龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第3章~5~

 「あれは何年前になるかのう。昔の事過ぎて何年前の事だったか忘れてしまったが、20年以上は昔の事じゃろうの。何しろまだわしが、若くてピチピチした色男だった頃の話じゃ」

 

 「若くてピチピチした色男って……」

 

 

 あきれた様な声音に、老人はにんまりと笑う。

 

 「今も十分良い男じゃが、昔はもっと男前じゃったぞ?お主なんか目じゃないくらいにのう」

 

 そう言って、節くれだった手で優しく金色の髪を撫でた。

 

 「目じゃないって……オレ、男じゃないし」

 

 唇を尖らせた雷砂をなだめるように、暖かな掌はゆっくりゆっくり頭を撫で続けている。これ以上無い愛しい存在にそうするかのように。

 しばらくそうしていた後、再び静かに話し始める。少し遠くを見るような眼差しで、ここではないどこかを見ながら。

 

 「天気のいい、山歩きには最適の、そんな日じゃった。その日は仕事も休みで、わしは普段から良く行く山に散歩がてら薬草を探しに行ったんじゃ。そんな大きな山じゃない。歩き慣れた道で迷うはずもないのに、気がつけば見知らぬ山道にいた。さっきまで上り坂を上っていたはずなのに、いつの間にか下り坂を歩いとる。なんだか狐につままれた様な心地で、それでも段々気味が悪くなってきたわしは、急いで山を降りたんじゃ。山さえ下りてしまえば、いつもの日常に戻れるはずだと、そう信じての。だが、そうは問屋がおろしてくれなかった」

 

 淡々とした口調で語られる物語に引き込まれる。声も出さずじっと話に聞き入る雷砂を前に、老人は途切れず物語を語り続ける。

 

 「山を降りると、そこには見たことの無い風景が広がっておった。山を越え、違う町へ着いてしまったのだと自分に言い聞かせながら、わしは遠くに霞むように見えた建物に向かって歩いた。誰か人に会いさえすれば、自分の町への帰り方を聞いて帰る事が出来る……その時はまだそう信じておった」

 

 目を閉じ、一呼吸おいて……それからその当時の事を思い出すように目を眇めた。

 

 

 「近くまで行くと、藁葺き屋根の、農家の様な一軒屋じゃった。木を組んで作ったような建築様式は、わしが今まで見たどの建物とも違って見えた。だが、そんな疑問は後回しにして、わしはその家の扉を叩いた。そこから出てくる人は、わしと同じ言葉を話して、わしを家に帰す手助けをしてくれると信じていたよ。じゃがのう……」

 

 「……信じていたのと、違ってた?」

 

 「そうじゃ。わしが信じて望んでいたこととはまるで違っておった。じゃが、その家の住人はとても善良で親切な御仁だったよ。なにせ、言葉も通じない赤の他人を家に招きいれ住まわせてくれたのじゃからの」

 

 「言葉が通じないって、そこはサイ爺の国だったんじゃなかったの?」

 

 「信じたくなかったがの、信じざるを得なかった。周りの者が話す言葉はわしが知るどの国の言葉とも違い、彼らが教えてくれる町の名前や土地の名前はわしの知らないものばかりじゃった。そうこうしている内に、わしの中で一つの結論が浮かび上がった」

 

 「結論?」

 

 「うむ。どうやらわしは世界の壁を越え、まったく違う異世界へと足を踏み入れてしまったのだ……とな」

 

 「異世界!!??」

 

 「そうじゃ。わしの生まれ故郷の大陸は中国という。じゃが、そんな国はこの世界では存在しないし、後々見る機会を得たこの世界の地図は、わしの知る世界の地図と全く異なるものじゃった」

 

 「異世界なんて、本当にあったんだ……」

 

 

 思わずもれたそんな呟きに、老人は声を上げて笑った。そして語る。

 少女の漏らした呟きはこの世界の大半の人々の持つ思い。ほとんどの人間は異世界なんてものがあることを知らず、信じず、一生関わることなく生涯を終えていく。そんな彼らにとって異世界など無いのと同じもの……だから。

 

 「必死に勉強して、こちらの世界の言葉を覚え、色々な場所で、色々な文献を読んだが、異世界に関する文献は驚くほど少なくてのう。とうとう帰る方法を見つけることが出来なかった。帰れないという事実を自分に納得させるのにはかなりの時間がかかったが、一旦納得した後は、この国の人間として生きる事に努めた。異世界から来たなどと、胡散臭い話をしても気味悪がられるだけじゃという事は早々に気づいておったからのう。じゃから、わしの本当の過去を知る者は数えるほどしかおらん」

 

 そこまで聞いて、雷砂はふと不安になる。

 数えるほどの人にしか教えてないような、そんな大切な話を自分のような子供にしてしまって良かったのだろうか、と。

 もちろん、話してくれた老人の信頼を裏切るようなまねをするつもりは無い。だけど……。

 ちょうどいいことに、話の合間なのか、老人の声は途切れていた。

 気になるのなら問うてみればいいと、俯いていた顔を上げた瞬間、優しく細められた老人の眼差しとであった。

 

 「不思議に思うておるのじゃろ?何故こんな話を自分に……と」

 

 問いかけに、ただ頷く。

 

 

 「何が無くともお主にはいずれこの話をしておった様な気もするがの。まだ幼いながらに、お主には人を裏切らぬ揺るがぬ意思を感じる。類まれな……そう、世の英雄と呼ばれる存在が持ちえる様な強い強い心を。だから、なんのきっかけが無くともお主にはきっとわしの過去を打ち明ける事になったじゃろうのう。もっとずっと先の事であったであろうがの」

 

 「何か、あったの?オレに話をしようと思うようなきっかけが……」

 

 「きっかけか。きっかけと呼ぶのならあれがそうじゃったのかのう。5年程前の話じゃ。ある日、わしとはまるで関わりの無い、一度もあった事の無いお人がここを尋ねてきた。そのお人はどこから聞きつけたのか、わしが異世界と関わりを持つ者だという事を知っておった。それを知ってわざわざ訪ねて来たのだと、そう言った。彼はわしに頭を下げて、不快な思いをさせて申し訳ないと、まず明らかに格下のわしに向かって真摯に謝罪し、そして言った。ぜひご教授頂きたい事があるのだと。わしはとにかく面食らって、わしの様な半端者に教えられるような事が何かあるのだろうかと彼に問うた。彼はどこまでも真面目な態度で頷き、わしに事情を打ち明けた。最近、一族に迎え入れた人族の子供がいる。親も無く、どこから来たのかも分からない。だが、万に一つの可能性としてその子供の故郷は異世界の壁を越えた向こうにあるのではないかと考えているのだ、と」

 

 「それって……、5年前にここを訪ねて来た人って、まさか」

 

 「恐らくお主の考えている通りのお人じゃよ。お主が親父殿と呼び、慕うお方。獣人族の部族の内、最も強い勢力を持つといわれているライガ族の長。5年前、単身でわしの元を訪れたそのお人は、ジルヴァンと名乗られた」

 

 「親父殿が、ここに……」

 

 「そう、あれは5年前。風が強く吹く日の、日も大地の向こうに隠れ、細い月も雲の向こうにその身を隠した闇夜のことじゃった」

 

 

 


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