とある冥闘士の奮闘記   作:マルク

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えー長らくお待たせして大変申し訳ありません。とうとう1年以上更新が空いてしまいました。しかも1話でまとめきれませんでした(泣) 
今回はとにかく戦闘描写が難しかったです(現実の忙しい事も理由の一つですが)
それもこれもチート級の技を持つ『あの2人』が悪いんですよ(責任丸投げ)

あと忠告を一つ…。今回は話の都合上、アンチ(?)描写があります。蟹座ファンの方は御注意ください。それでも構わんという剛毅な方…どうぞ御覧ください(ガクブル)




17/聖闘士の資質(前編)

 

カツン、カツン…

 

 

 甲高い金属音が響き渡る室内には二人の人間がいた。一人は金槌とノミを振るう老人、もう一人は手首から血を流して静かに相方の作業を見守っている若者。

 二人の前には一体の聖衣(クロス)が鎮座している。激戦を潜り抜けてきたのであろう。ところどころの部品(パーツ)が欠損してかろうじて原型を保っていた。

 

 男達はそんな聖衣(クロス)に再び生命の炎を灯すべく、一心不乱に作業を続けていく。小宇宙(コスモ)がふんだんに含まれた血液を浴びせたところへ、ノミと金槌が振り下ろされる。一振りする度に聖衣(クロス)から星屑が舞い、傷を少しずつ癒していった。

 

 数時間かけて作業を終えると、今まで血を与えていた男は一礼して聖衣(クロス)と共に館から去っていった。その様は一羽の若鷹が飛び立つようで、見る者の心を引き付ける。しかし、見送った老人の表情には逆に影が差していた。

 

「さっきの男――あ奴が生きておれば同じくらいの年齢じゃったな…」

 

 誰ともなしにそう呟きながら老人は窓辺に腰掛ける。傍らにある容器に水を注ぐと、星明かりで照らされた大地を肴に晩酌を始めた。グビッと杯を傾け喉を潤し、火照った体を冷ます。彼の胸中は達成感のほかに、どこか虚しさを感じていた。

 

 それもそのはず、聖衣(クロス)を修復したという事は、先程の若者は戦場に戻る事を意味する。もう何回繰り返したのか数えていない。あと何回聖戦を繰り返せば平和がくるのだろう。それを実現するのに、あと何人の命が犠牲になるのだろう。いつしか老人はそのような疑問を抱えるようになった。

 

(いかんな。若くないせいか、どうも最近弱気になっておる。これではセージの奴に笑われてしまうわい)

 

 教皇となってアテナの代わりに地上を守り続ける。そんな重責を担わせてしまった弟に、老人は後ろめたさを感じていた。かといって、教皇になりたかったわけでもないので修復師の道を選択した事に後悔はない。やるせない気持ちを抱えて生きていくしかないのだ。

 

(せめて聖戦の生き残りがもう一人いてくれたら、こんな思いはしなくても済んだのかもしれんのう)

 

 教皇の仕事とは聖域(サンクチュアリ)の管理だけではない。ローマ教会を初めとした宗教団体や諸外国との政治のやり取りも含まれている。その激務をこなす彼の下に、各地で出奔する邪神退治や若い聖闘士(セイント)の育成を肩代わりしてくれる存在がいれば、まさしく『教皇の片腕』となってくれていただろう。

 老人は教皇代理という地位に就いているものの、あくまで教皇に何かが起きた時の保険(・・)という意味だ。表立って聖闘士(セイント)達を陣頭指揮する者とは立場が違う。 

 そもそも老人は既に高齢で現役を引退している。老兵がいつまでも居座っては若い芽が芽吹くことは決してない。自分達の守り抜いた時代で生まれた子に託すのが筋だろう。

 

 老人の口から溜め息がこぼれる。

 

『分かったのだ…。どこまで行っても私は人間…愚かな本質は変えられん。だからこそ…世界と私には導きが必要だったのだ…!』

 

 最後までいがみ合っていた戦友(とも)の声が――

 

『250年だ…ずっと信じた…。世界はいつか平和になると、思い描く理想を人々は求めていると。だが――だが250年の疑念は深まる。人間とはもともと悪性なのではないかと…』

 

 まだ若い老人達に理想を託して逝った恩師の声が――

 

 

 老人――白銀聖闘士(シルバーセイント)祭壇座(アルター)のハクレイの心に重く圧し掛かる。

 

 

 聖戦で大勢の命が散った。確かに気の合う者達だけではなく、不仲な者もいた。だが、そんな彼らを一つにまとめていたのは希望があったからだ。

 

 この聖戦の先には平和な世界が待っている。一途にそう信じて戦い…死んでいった。

 

 だというのに結果どうだろう。自分達が守り抜いた命を、同胞である人間が奪っていく。己の努力を侮辱するに等しい行為を彼らは許せなかったのだろう。彼らの出した結論は武力を持って人類を矯正するという暴挙だった。その時の戦いは歴史の表に出てはならない影の歴史として、ごく一部の者にしか語る事は許されていない。

 

 あれから月日の経つ事200余年――世界はいまだに変わらない。

 

 女神(アテナ)を失った後も必死で守り続けたこの世界。

 

 いつか、やがていつかは理想の世界が来る。人の心に悪はあっても、それは善悪の狭間でもがいているにすぎぬと信じて…。

 

(そう、人間とは尊いのじゃ)

 

 その信念を胸に祭壇座(アルター)のハクレイは生きてきた。

 

 聖戦後も本来の修復師としての業務だけでなく、後進の育成にも努めてきた。自分達の思いを受け継ぐ後継者を育てる為に…。

 

 そうして日々を過ごしていくハクレイの下に、とある少年の噂が届く。ある日、教官が候補生達の前で技を実演した時にそれは起こった。

 

 積尸気鬼蒼炎(せきしききそうえん)の威力を見て、候補生達から『凄い』、『かっこいい』などの称賛の声が上がる中で、たった一人だけ彼はこう声を漏らしたという。

 

『おい。今の技を使うのにアンタは()()犠牲にしたんだ?』

 

 彼の言葉に、称賛を受けて得意げになっていた教官は凍り付く。他の候補生達はというと、何のことを言っているのか理解できないらしく怪訝な様子で二人のやり取りを見つめるだけだった。

 

 この時点で少年と候補生達との間に決定的な差ができていた。

 

 鬼蒼炎という技は、召喚した()()に燐気を用いて引火して蒼炎を作り出す。つまり、生者を守る為に魂を――守るべきはずの()()の魂を焼き殺さなければならなかった。

 現世で死を迎えて常世に行き、再び現世に還る。これぞ輪廻転生という魂の循環のメカニズム。それは水の流れによく似ている。海水が日光で蒸発し、雨となって地上に降り注ぎ、最後は河を辿って海へと戻る。

 しかし、魂そのものを消滅させてしまってはこのシステムが成り立たない。更に、強靭な魂を持つ敵を破壊するには、要する人魂の量が倍増するのだからバランス崩壊が起きやすいという一面も無視できない。

 

 これほどコストパフォーマンスのかかる技ならば失伝してもおかしくないのだが、今でも残されているのは勿論理由がある。

 人類の守り手である聖闘士(セイント)の敵は、何も人間だけではない。聖闘士(セイント)は魔獣、邪霊、そして悪神といった人知を超えた存在と相対する必要がある。そして怪物達の中にはただ殺しただけでは死ぬ事が無いモノがいた。

 肉体を失ったとしても魂が無傷な場合、ある程度の時間があれば復活してまた人々を脅かしてしまう。そんな人外には『封印』する程度しか対抗策が無く、何人もの聖闘士(セイント)がやるせない思いを抱きながら帰還を余儀なくされていた。

 助けた人々にもたらした平和を仮初のモノにしない為に、先人が苦節の末に編み出した技こそ『鬼蒼炎』なのだ。

 

 生者を守る為に死者を犠牲にしなければならないという矛盾を孕んだ闘士。

 

 そういった背景があるせいか、積尸気使い――特に使い手の中で最高峰ともいえる蟹座(キャンサー)はアテナ軍の中では異色の存在として扱われている。双子座(ジェミニ)乙女座(バルゴ)という最強(クラス)がアテナ軍の切り札(エース)と評されるのに対し、いつしか皮肉を込めてこう呼ばれるようになった。

 

 鬼札(ジョーカー)、と…。

 

 このような事情があり、積尸気使いはそのバランスを破壊しかねない存在なのだ。本来ならこれ見よがしに使用していいものではなく、ハクレイも聖域(サンクチュアリ)にいる双子の弟も、現役を退いてからは滅多な事では使わなくなった。

 誰もが技の見てくれに心奪われる中、ただ一人『本質』に目を向けた少年。出来事の経緯を聞いたハクレイは運命じみたものを感じてならなかった。

 

 人類の守護者と称される聖闘士(セイント)にも問題はいくつもある。美辞麗句で飾り建てても所詮は『軍隊』であることに変わりない。そこには階級という縦社会が存在し、厳しい上下関係がある。超人的な力を身につけてしまった事で、能力に差がありすぎると人間関係に溝ができやすいのだ。特に黄金聖闘士(ゴールド)とそうでない者の差は著しい。

 

 だからこそ教皇補佐である祭壇座(アルター)の本来の使命とは、そんな両者を繫ぎとめる事にこそあると彼は解釈している。

 

 ハクレイは少年の中にアテナ軍が掲げる大義に惑わされる事のない信念を感じた。それは己の道に疑問を抱く聖闘士(セイント)達を導く事になるだろうと…。

 

 祭壇座(アルター)はこの少年にこそふさわしい。

 

 善は急げと言わんばかりにハクレイはそのまま少年を直弟子として引き取った。一介の聖闘士(セイント)ではなく、自身の後継者とするためにだ。そうしてハクレイの指導を受けた少年は異例のスピードで上達していった。まるで砂漠に水が染み込んでいくようだったと人は言う。

 だがハクレイは少年を見誤っていた。少年の芯――信念は彼が予想していた物を遥かに超えていたのだ。

 

 目を閉じると少年との最後のやり取りが、今でも鮮明に思い出せる。

 

 

『まるで妻は浮気などしていないとひた向きに信じる夫のようだな。流石は我が師――俺にはとてもできない事をやってくれる』

 

『師よ。少しは女心というものを学んではいかがかな? 女という生き物は基本的に我が儘な生き物よ。浮気の理由も夫に飽きたから、寂しかったからなどの自分に都合のよい逃げ道を用意している。ここで信じているから何もしないという選択肢は、女共をつけあがらせるだけでしょうに…』

 

『女共は知りたいのですよ。自分は愛されているのか否かを…。追求しなければ夫は自分に関心が無い、つまりいてもいなくてもどうでも良い存在なのだと判断するでしょう。

 俺はそういう(サイン)は見過ごせんクチでな。二度となめた真似ができないよう思い知らせなければなりますまい』

 

『簡単ですよ。ある時は言葉で、またある時は拳を叩きつければ良い。それだけで捨てられた子猫のようにしおらしくなる。人間も同じように扱えば良いでしょう…』

 

 

 苦悩の末に導き出した結論(人間は尊い)を一蹴し、かつての戦友(とも)と同じく武力を用いるべきだと説く少年に、ハクレイは思わず手を挙げてしまう。そこから二人の破局までは時間がかからなかった。売り言葉に買い言葉の大喧嘩が始まり、小宇宙(コスモ)の応酬までして周囲を更地にするまで止まらなかった。遂にハクレイは少年に破門を言い渡し、少年もそれを受け入れてこの地を後にした。

 

 師としてはのたれ死んでいないかと心配の一つでもするべきなのだろうが、ハクレイは少年がしぶとく生きているだろうと確信していた。腐っても教皇代理である自分が見込んだ逸材が、惨めに世を呪いながら死んでいくとは到底思えない。

 

 聖闘士(セイント)になれなかった候補生は雑兵として務めなければならず、それを拒むのなら小宇宙(コスモ)の秘匿性を保つ為にも殺すのが師としての最後の務め。

 しかし、ハクレイにはどうしてもできなかった。まだ幼かった頃、未来の族長候補として弟と共に鍛えられていた彼に聖闘士(セイント)になるよう薦めてきたのが他ならぬ族長だったからだ。

 

 長の言葉通り、聖域(サンクチュアリ)での生活は新鮮だった。

恩師ができ、仲間ができ、そして好敵手(ライバル)もできた。何よりアテナと聖闘士(セイント)がいかに人間に無くてはならない存在なのかを知ることができた。彼らと共に生きた日々は、今でもハクレイの中で大きな財産となっている。

 

(長の言葉がなければ、ワシは惰性で長という地位を継いでおったかもしれんな)

 

 少年を破門したのも、そういった経験に基づいての判断だった。あの少年の器は聖域(サンクチュアリ)にも、この地(ジャミール)にも納まりきれるものではないと考えたからこそ…。

 

「『黄金(ゴールド)から逃げた貴方には分からない』…か。フフッ、懐かしい台詞じゃな」

 

 若造の時ならいざ知らず、今や聖域(サンクチュアリ)の重鎮の一人となった自分に面と向かって言う者が現れるなど露程も思わなかった。その物怖じしない姿が昔の自分と重なり、ハクレイの顔に笑みがこぼれる。

 

「アヴィド――お前の目にこの世はどう見える…」

 

 人里離れて建てられた館の周囲は一面岩場しかない。だが遥か彼方にチラホラと小さく光が見える。まるで星のように美しく輝くそれらの一つに己の馬鹿弟子もいるのだろうかと考えながら、ハクレイはまた杯を傾けるのであった。

 

 

 

「チッ!」

 

 魂葬波による炎と暴風が、杳馬の接近を阻もうと吹き荒れる。けれども先程からその炎は一撃も彼を捉える事が出来ていなかった。いずれも紙一重でかわされている。

 

「おいおい期待外れさせんじゃねぇよ! さっきから外してばっかじゃねぇか! もっとしっかり狙いなァ!!」

 

 時間を操る杳馬でも、さすがに予知能力までは持っていない。そんな彼がどうして正確に躱せるかというと、ごく単純なトリックだった。

 

 杳馬は敵の動きではなく、殺気を感じ取っているのだ。

 

 どんなに小宇宙(コスモ)感じ取りにくくさせようとも、意思の力を込めなければならない以上殺気だけは隠し通せない。しかもアヴィドの殺気は常人の域を超えており、狙いも正確だ。殺気が増す瞬間を狙ってその場を移動する――ただそれだけで簡単に躱せてしまう。

 

「そらよ!」

 

 杳馬の飛び蹴りをアヴィドが腕で受ける。それを狙い通りと、杳馬は足を腕に引っ掛けてそこを起点に曲芸師の如く我が身を回転させた。その動きにより遠心力が上乗せされて、アヴィドの後頭部目掛けて裏拳を叩きこむ。

 首を前に倒し回避するアヴィド。空振りしたせいで上体が前のめりになり、杳馬に隙が生じる。

 

「ムン!」

 

 アヴィドの指が握りしめる4本の葉巻。それが杳馬の背中で魂葬波となって炸裂した。

 

「がッアぁアアアアアアア!?」

 

 単発でさえ厄介な魂葬波が4発同時に撃ち込まれ、さしもの杳馬も苦悶の声を上げながら元来た道へと吹き飛ばされる。

 

「これで終わりだ…」

 

 アヴィドが指をクンッと上にあげると隆起した地面が獣の顎を模して獲物に喰らいつく。咀嚼を繰り返し余韻に浸る獣に向けて、飼い主の必滅を込めた号令が飛ぶ。

 

「積尸気魂葬波!!」

 

 蒼き閃光が迸り、一瞬この場から音が掻き消えた。粉塵の中より現れし光柱が、悪魔を浄化せんと空に十字を刻む。誰が見ても勝敗は決した――そう思えた。

 

 

 

「お~怖ッ! 葉巻吹かして余裕こいてると思ってたら、それも人魂で作ってんのかよ!? 悪趣味な野郎だぜ」

 

 だが、悪魔は生きている。

 

 先の一撃はたとえ師であるハクレイでさえ受ければ致命傷は免れないだろうとアヴィドは自負している。それを受けてなお平然としている敵を見て、咥えている葉巻がギシリと軋む。

 

(こいつ…本当に人間なのか?)

 

 冥闘士(スペクター)の天敵とされる魂への攻撃。それにここまで耐えられるとなると、さしものアヴィドも疑念を抱かずにはいられない。ここまで頑強な魂を果たして人間が持てるものなのかと…。

 

(これが冥闘士(スペクター)……老いぼれ共が警戒するわけだ。三巨頭ですらない雑魚にここまで手こずるとは…)

 

 一見アヴィドが優勢に見えるが、実際のところ杳馬の方に分がある。魂葬波を撃てば撃つほど、縛砕陣を構成している人魂の量は減少する。いくら攻撃を当ててもダメージを与えられないのならば消耗するだけだ。弾切れを起こして陣を維持できなくなるのも時間の問題だった。杳馬の隠している力の正体が分からない以上、それは得策ではない。

 

 かくいう杳馬もアヴィドの実力を高く評価していた。

 

 目の前の男は明らかに黄金聖闘士(ゴールド)級。それも聖衣(クロス)を纏ってもいないというのにこの強さを維持しているのだから驚きである。もしアヴィドが黄金聖衣(クロス)得ていたとしたら、杳馬も“真の姿”を晒す事態になっていただろう。

 

 深追いできずお互いに攻めあぐねいている中、杳馬が問う。

 

「しかし分からねェな。テメエはなんでそこまで鳳凰座聖衣(フェニックス)に拘る? 纏えねェ聖衣(クロス)なんざ置物にしかならねェだろう。それとも何か? 聖闘士(セイント)に未練はないっつうのはブラフで、実は未練タラタラってオチか? 随分と女々しい野郎だなァおい」

 

 グスタフ、ラドル…すでに何人もの命が鳳凰座(フェニックス)の為に失われている。彼らの力量(レベル)を考慮したところ、どう見繕っても割に合わない計算だ。暗黒(ネーロ)の規模は知らないが、あれだけの人材を“安い犠牲”とみなすアヴィドの鳳凰座(フェニックス)への執着は異常である。

 

「纏えるかどうかなど俺には些細な問題よ。この世で究極の欲とは何だと思う? それは『不死』よ。この世でいくら財を成そうと…武を極めようと…覇道を進もうと…俺達には生命という限りがある。それが永遠(・・)に続けられるとしたらどうだ…」

 

 アヴィドはそう言うと、葉巻を一息吸い紫煙を吐き出す。

 

「かつて俺の師はこう言っていた。『我らの内なる小宇宙(コスモ)は無限だ』とな。事実、これだけはその通りだと俺も思っている。

 人間の小宇宙(よくぼう)に限りなど――無い!」

 

 そう言い放つと、アヴィドは手にした葉巻を空に掲げる。すると二人の周囲にいた亡者達が身を震わせ、人魂へと姿を変貌させた。それらは彼の頭上に集結し一つの個を形成する。

 

「欲望のままに小宇宙(ちから)を振るい、世界を蹂躙し尽す! あれは暗黒聖闘士(おれたちに)こそ相応しいと思わんか! そして、これが俺の手にした力だ!!」

 

 積尸気によって強制的に集められた人魂に向けて、葉巻から燐気が放たれる。生成された物体は例えるなら『蒼い太陽』と言えばいいだろうか。本来光の差さない黄泉平坂を蒼く染め上げる様は、アヴィドの宣言通り彼の色で塗り潰されたかのようだった。

 

 そして、杳馬はまだこれが悪夢の序章でしかない事を思い知る。

 

 遥か彼方より一つまた一つと、空を覆い尽くさんばかりの数の人魂が太陽に引き寄せられていく。

 燃え盛る炉に薪が放り込まれるように、人魂を取り込む毎に太陽はその大きさを、熱を、光を増していった。さらに――

 

 

アァアアアァツイィイイイ…アァツィイヨウォオオオオゥウウ…

 

オガァアアァアザァン…ダヂゲデ…オガァアアアァザンン…

 

ゴォメンナザイィイイ…ダレカ…ダレガァアア…ア、アア…

 

 

 耳をつんざく絶叫が黄泉平坂に木霊する。老人、若者、子供、異なる言語の悲鳴も混じっている。ありとあらゆる人間の魂が、アヴィドという魔人ただ一人の手によって火炙りに処されているのだ。

 その場にいるだけで正気を失いそうになる光景を、杳馬はただ無表情で見つめている。

 

「ハハハッ、気に入らんか? 俺には聖歌隊のコーラスに聞こえるんだがな! 見るがいい! これこそ俺の力! これこそ積尸気の真髄よ!! 他者を喰らい、己の糧とする!!!

 億の魂で倒せぬなら兆を! 兆の魂で倒せぬなら京を! 京の魂で倒せぬなら垓を! 足りんというのなら、足りるまで注ぎ込むまでだ!! なにせこの地には魂が腐るほどあるのだからな!!!」

 

 積尸気使いの対神用奥義『積尸気転霊波(せきしきてんりょうは)』――聖戦で散った聖闘士(セイント)達の魂を集結させて敵にぶつけるというハクレイが編み出した大技。強い小宇宙(コスモ)を持つ聖闘士(セイント)の魂を使用しているだけあって、その威力はまさしく最終奥義の名を冠するにふさわしい。

 

 腹立たしい事に、アヴィドにはどうしてもこの技が使えなかった。

聖闘士(セイント)ではないどころか、守るべき人間をぞんざいに扱うアヴィドの呼び掛けに応える闘士などいるはずもない。師に匹敵するほど小宇宙(コスモ)を高めれば解決すると思っていただけに、これは彼にとっても誤算だった。ならばどうするかと思案の末に編み出したのが、今放とうとしている技である。

 

 その名も『積尸気滅塵波(せきしきめつじんは)』。

 

 転霊波に比べてはるかに大量の人魂を要するが故に、現世では作るのに時間が掛かってしまうのが難点だ。けれども、魂の残数や技を撃つのに要する体力を考慮すればこの場では最も適している技だった。

 

 絶体絶命の状況にもかかわらず、杳馬はというと何一つ反応しない。

 アヴィドの蛮行を止めもせず、非難するわけでもない。ただ何の感情も示さず、彼が準備を整えるのを待っているだけだ。

 

 その余裕の姿勢が癪に障るのか、アヴィドはある事を口に出す。

 

「ああそういえば、お前の弟子がヴァレリーを倒したようだな…」

 

「あん?」

 

「安堵しているようだが、師弟揃って肝心な事を忘れていないか?」

 

 アヴィドの意味深な言葉を、杳馬は頭の中で反芻させる。恐ろしい思考速度で今までの言動からヒントを探していく。

 そして――

 

「ッ!? てめえ!」

 

 弾かれたように飛び出して杳馬が跳びかかるも、いつの間にか左手に持っていたアヴィドの葉巻によって魂葬波を浴びせられる。

 

「大人しくそこで見ているがいい。お前の弟子が死ぬ様をな!!」

 

 

 

「う、グッ…い、生きて…る?」

 

 傷の痛みを堪えながら、行人がゆっくりと起き上がる。腹部の傷口を見てみると不思議な事に血が止まっていた。

 

「ようやく起きたか。“真央点”を突いたとはいえ、手遅れと思っていたよ…」

 

 声をかけられた方を見やると、ヴァレリーが壁にもたれ掛るようにして座っていた。

 

「あ…あなたが助けてくれたんですか。なんで敵の俺を?」

 

「礼なら僕じゃなく、それに言うんだね」

 

 言われるがまま行人が視線を向けると、今の位置からやや3mほど離れた場所。辺り一面に広がるはずの血溜まりが、その地点から広がる事なく止まっていたのだ。

 

「まさか!?」

 

 この不可解な現象に心当たりがある行人は注意深く床を調べ始める。すると案の定、不自然な切れ目を見つけた。床板を剥がすとそこには、探し求めていた鳳凰座(フェニックス)の聖衣箱が丁重に保管されていたのだ。

 

鳳凰座(フェニックス)が出血多量で死なないようにと、君の血を押し止めていたんだろうね。恩返しのつもりじゃないかな?」

 

「そうですか…」

 

 助けるつもりが逆に助けられてしまったという話に、行人は内心複雑な思いを抱く。

 

「では約束通り、これは俺が貰います」

 

「好きにしたまえ。このダメージ……暫く動けそうにない。でも…そう上手くいくかな?」

 

 ヴァレリーの言葉を不審に思い、行人は周囲を確認する。

 

「そういえば、何だか――暑…い!?」

 

 気づけば室温がジワジワと上昇しており、まるでサウナ特有の息苦しさを感じさせていた。慌てて部屋のドアに向かい、扉に触れないように掌を掲げる。そうして扉から伝わってくるのは、異様に猛り狂う小宇宙(コスモ)の波動だった。

 

首領(ドン)鬼蒼炎(きそうえん)さ。この船はもうすぐ燃え尽きる…僕も…君も…。そうして燃え残った鳳凰座(フェニックス)首領(ドン)が悠々と持ち去るだろう」

 

「そ…そんな。仲間がまだ生きているのに!!」

 

「さあ? 『死人に口なし』ってやつじゃないかな。子供に暗黒(ネーロ)が負けたなんて事実を残したくないんだろう。君には悪いけど、ここで一緒に死んでもらうよ…」

 

 言い終えるとヴァレリーはそっと眼を閉じて自身の半生を思い返す。孤児院で資質を認められ、聖域(サンクチュアリ)に招かれた幼少期。異国人と迫害されながらも、研鑽を積んだ少年期。聖衣(クロス)を賭けて、朋友と殺し合いをしなければならなかった青年期。

 

(我ながら碌でもない人生だ)

 

 一体自分はどこで間違えてしまったのだろうか。もしこれが女神(アテナ)のお導きだというのなら、聖闘士(セイント)などこの世から消えてしまえ。

 例えそれで人間が滅びたとしても、それはそれで仕方がないだろう。神々の怒りを買わずに生きるには、人間は醜悪すぎたのだ。

 

 自分を初めとした、これほど大勢の人間の命を犠牲にしなければ維持できない平和に価値があるとは思えない。だからこそ、アヴィドの言葉は麻薬のように心を蝕んでいった。

 

『“神”にとって人間など、放っておいても次から次へと生まれてくる存在よ…。アテナもまた“神”の視点でしか物事を捉えきれんからこそ、聖闘士(セイント)も…それを目指す人間も…どれだけ死のうがその犠牲の重さについて真に理解する事はできん。だから行いを改める事ができず、悲劇は何度も繰り返される。

 どんなにお優しかろうが、神は神でしかないという事だ…』

 

 兵士を使い捨てにするというならアヴィドもいい勝負だが、人間(じぶん)を理解してくれる点がアテナより勝っていた。彼女はただ悲しむだけで、醜いモノなど受け入れられないだろう。

 

 だって彼女は神だから――

 

 だって神と人間とでは見ているものが違うから――

 

「…っグ!」

 

 思い出すだけで(はらわた)が煮えくり返りそうになる。気を紛らわそうと行人の様子を見やると、そこには天井に向けてコーヒーカップを投げ飛ばす姿があった。

 

「でぇえええぇい!!」

 

 カップは2人が落ちてきた穴を飛び越えて、船のメインマストに到達する直前で四方から伸びてきた鬼蒼炎により炭すら残さず焼き消されてしまう。

 

「クソッ!」

 

 脱出口を探そうとしても無駄だ。この鬼蒼炎の包囲網からは逃げられない。ヴァレリー達もこの事態を考えていなかったわけではない。不要とみなされた仲間が突然発火した鬼蒼炎で燃やされていく。そんな光景を何度も見続けた彼らは、そのトリックが首領から渡された金貨を初めとした報酬(・・)によるものと推理した。だからこそ首領の用意した船には手を付けず、互いに金を出しあってチャーターしたものに乗り込んで任務に就いたのだ。

 しかし結果はこの様だ。首領(ドン)によって造られた金貨は暗黒(ネーロ)だけでなくヴェネチア中に広まっており、ヴァレリーが雇った船員にも出回っていた。死体安置所がある後方から火が迫ってきているので出火元はそれで間違いないだろう。絶望で項垂れるヴァレリーに、行人が話しかけてくる。

 

「あ…え~と、ヴァレリー……さん。何か秘密の脱出口とかありませんか?」

 

「ハッ! そんな都合のいいモノ有るわけないだろう。有ったらとっくに僕が使っているさ」

 

 行人の問いを鼻で嗤いながら、夢も希望もない答えをヴァレリーが返す。すると今度は、彼が予想もしなかった提案をしてきた。

 

「ヴァレリーさん、恥を承知の上でお願いします。俺に力を貸してください。ひょっとしたらここから脱出できるかもしれません…」

 

 そう言われつつ己の前に置かれた“あるモノ”を見て、ヴァレリーは眼を見開く。成程、それ(・・)なら鬼蒼炎を攻略できるかもしれない。

 

「…一応聞くけど、どうやって知ったんだい? 話したことは無かったはずだよ」

 

「最後の一撃を受けた時、小宇宙(コスモ)を通してあなたの記憶が流れ込んできたんです」

 

 それを聞いたヴァレリーは思わず顔を顰める。小宇宙(コスモ)とは、いわば剥き出しの魂だ。小宇宙を高めれば高めるほど、そこに込められた思いも強くなり感じ取り易くなる。狙ってやったのかは不明だが、感知能力の高い行人はそれを拾ってしまったのだろう。

 

「何が…見えた?」

 

「多分…聖闘士(セイント)関連は殆ど。暗黒(ネーロ)の事から聖域(サンクチュアリ)の事まで…」

 

 そうして一呼吸置くと、行人は言い難そうに続けた。

 

「そして――あなたが暗黒聖闘士(ブラックセイント)になった理由です」

 

「なら返答は分かるだろう。“お断りだ”…助かりたければ自分で何とかするんだね」

 

「勿論タダとは言いません! 手伝ってくれるのならばこれ(・・)を貴方に差し上げます!!」

 

 そう言い放ちドンッと置かれたのは、先程まで二人が命懸けで取り合っていた物――鳳凰座の聖衣(フェニックス)だった。

 

「ッ!? 正気か君は! 自分が助かりたい一心で聖衣(クロス)を手放すというのか!!」

 

 行人の常軌を逸した行動に、ヴァレリーは傷が痛むのも構わずに声を荒げる。聖衣(クロス)とはただの防具ではない。アテナが人類に残した大いなる遺産なのだ。それを自ら暗黒聖闘士(ブラックセイント)の手に委ねるという行人の感性は狂っているとしか言いようがなかったからだ。

 

聖闘士(セイント)とは! 聖衣(クロス)を守る為に存在するのではありません!人間(・・)を守る為に存在するんです!! ならば今ここで聖衣(クロス)を使って俺達の命を救う事の何が悪いんですか!?」

 

「青いな…少年。聖衣(クロス)とは、聖闘士(セイント)を一人でも多く生き残らせようとアテナが慈悲を込めて与えたもの。替えは無い。新造する事もできない。なのに、僕に渡すというのかい? 二度と君の下へは戻ってこないぞ」

 

「その時は…地の果てまで貴方を探し出しますよ。そして改めて貴方に決闘を申し込みます。さっきの戦いで勝敗は1勝1敗…。今度こそ決着をつけましょう」

 

 自分を見つめる真っ直ぐな瞳。幼いからこそ持ちうる事ができる輝きは、穢れた暗黒聖闘士(ブラックセイント)には眩しすぎ、せめてもの抵抗と不機嫌そうに目を逸らす。

 

(チッ! 現実を知らぬ子供め…)

 

 行人の言い分はともかく、戦士として納得いく決着をつけたいという考えは悪い気はしない。しばし考えた上でヴァレリーは答えを出す。

 

「……まぁ良い。僕もできる事なら死にたくはない。だが、確率は良くて2割にも満たない。失敗に終わっても恨まないでくれよ」

 

「大丈夫ですよ。鬼蒼炎で死ねば魂そのものが消えて無くなるんです。だったら恨む事も苦しむ事も無いでしょう」

 

 どこかピントのズレた慰めの言葉で思わずヴァレリーが笑ってしまう。それを見てキョトンとするも、行人も吊られて声を上げて笑った。

 死がすぐそこまで迫っている危機的状況で緊張感のない笑い声が木霊する。敵同士だというのに、屈託なく笑い合える事にヴァレリーは内心驚いていた。ひょっとしたら、人が解り合えるというのは自分が考えているよりももっと簡単な事なのではないだろうか。

 

 不思議とヴァレリーはそう考えてならなかった。

 

 

 

 船尾から船嘴に向けて蒼き炎が行軍する。理不尽な暴力に船は為す術なく、大海に身を委ねようと傾きだす。

 極上の獲物にありついた獣の如く、蒼炎は次々と船室を貪っていった。そして、とある一室へと辿り着く。中から感じ取られるのは(エナジー)という生者しか持ちえないもの。それに気づいた蒼炎は更に勢いを増す。

 扉に喰いつき、最後の護りを破った蒼炎が目にしたのは2人の人間。背にはヴァレリーを、胸には聖衣箱(クロスボックス)を背負う行人の姿があった。背後から手渡されたものを受け取り、行人はそれを飲み干す(・・・・)

 

「ホーリースパウト!!」

 

 一気に吐き出されたものは聖人の血とも称される水――葡萄酒。ヴァレリーによって小宇宙(コスモ)を調節されたそれは聖の属性を帯びた水へと変質し、死して苦しむ魂を積尸気から解放したのだった。

 

 

 




念の為に言っておきますが、鬼蒼炎の解釈は私独自のものという事を忘れないでください。
何度アニメや漫画を見直しても、人魂召喚→鬼蒼炎の流れだったんです。まあマニゴルドが燃やしていたのは悪人の魂だったんでしょう…多分。


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