怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第9話 『物語』

「ここなんだけど、蘭子ちゃんは甘いもの大丈夫?」

「甘美なる蜜は、我が血を昂ぶらせるわ!」

 

 杏が蘭子を連れて案内したのは、彼女をスカウトした場所から少し離れた場所にあるスイーツ店だった。甘い香りが表にまで漂ってくるそこは、その匂いに引っ張られるように集まってきた大勢の少女や若い女性、そしてごく少数のスイーツ好きの男性で賑わっていた。

 

「よし、それじゃ入ろっか」

 

 杏はそう言ったものの店の入口には向かわず、店の横にある小道に入って裏へと回った。彼女の後ろをついて来る蘭子が、首をかしげて怪訝な表情を浮かべる。

 

「店に入るのではないのか?」

「入口から入ったら、お客さんが騒いでパニックになっちゃうからね」

「成程……。伝説の勇者の気苦労は計り知れぬ、というわけだな」

 

 独特の言語で納得する蘭子に苦笑いを浮かべながら、杏はどう見てもスタッフ用の出入口にしか見えないドアを開けて中へと入っていった。両脇に段ボール箱が積み重なる狭い通路を通り抜け、スタッフが忙しなく働く厨房の脇へと差し掛かる。当然ながらこんな場所に入ったことのない蘭子は、おっかなびっくりといった感じにあちこちに目を遣りながら、杏のすぐ後ろに貼りつくようにして歩みを進めていく。

 と、そのとき、調理スタッフらしき若い女性が杏達の姿を見つけ、驚いたような表情を見せて駆け寄ってきた。怒られる、と蘭子が思わず身構えていると、

 

「杏さん、いらっしゃいませ!」

 

 怒るどころか、ニコニコと満面の笑みで杏を歓迎していた。自分の心配が杞憂に終わってホッと息を吐く蘭子を尻目に、杏がその女性に問い掛ける。

 

「奥のVIPルームを使いたいんだけど、空いてるかな?」

 

 すると女性はその部屋のある方をちらりと見遣り、少し困ったように眉を寄せた。

 

「えっとですね、今“社長”がいらっしゃってて……」

「……へぇ」

 

 すると杏は何かを企むようにニヤリと笑みを浮かべ、VIPルームへと早足で歩いていった。蘭子とその女性が慌てて追い掛ける中、杏は部屋のドアをノックもせずにいきなり開けた。

 

「――あ、杏ちゃん! なんでここに!」

 

 部屋の中で幸せそうな表情でパフェを食べていた女性――三村かな子が、驚いたように肩を跳ねて大声をあげた。テーブルの上にはかな子が食べているパフェだけでなく、ケーキやアイスなど店中のスイーツが所狭しと並んでおり、部屋中に甘ったるい匂いが充満していた。

 圧倒されるほどのスイーツの量に、そして突然の“奇跡の10人”登場で目を丸くする蘭子に対し、ある程度この光景を予想しており、かつて彼女と“同僚”だった杏は特に驚く様子も無くかな子の正面に腰を下ろす。

 

「やっほー、かな子。まさか“査察”の真っ最中だとは思わなかったよ」

「さ、査察だなんてそんな……。私はただ、美味しいスイーツを食べに来ただけで……」

「いや、社長が自分の店に来て自分が開発した商品を食べるのは、立派な“査察”だからね」

 

 杏の言葉に、かな子は「そんなつもりは無いんだけどなぁ」と呟きながらパフェを一口食べた。その瞬間、何も言わなくても美味しいことが伝わってくる満面の笑みを浮かべた。

 見た目にはスイーツ好きの可愛らしい女性にしか見えないかな子だが、現在彼女はアイドル活動やグルメリポーターをする傍ら、グループ全体で100店舗を超えるレストランを経営する会社の“代表取締役社長”も勤めている。

 彼女が会社経営を始めるきっかけは、スイーツ好きを公言していた彼女が開発したスイーツを既存のファミレスで販売するというアイドル活動の一環だった。しかしその頃からグルメリポーターとして様々な一流の味を知ったことで舌が肥え、リポーターとしての役割を果たすために猛勉強して知識をつけていた彼女は、溢れるように次々と新作スイーツのアイデアを生み出していった。

 

 それを見て単なる仕事の一環として片づけるには惜しいと思った武内Pの進言により、346プロが出資する子会社という形でスイーツ店をオープンし、かな子を“店長”に位置づけた。結果、このスイーツ店は見事大当たり。現在では都内だけでも10店舗、全国を合わせると60店舗は下らない全国展開を続け、かな子の役職もいつの間にか“代表取締役社長”となっていた。

 しかもこの仕事を通してかな子は飲食店の経営の楽しさに目覚めたのか、スイーツ店以外にも様々な種類の飲食店をオープンさせ、その全てにおいて成功を収めている。和食や洋食、イタリアンや中華、果てはステーキ専門店にビュッフェまでその分野は多岐に渡り、346プロの敷地内にかな子の会社専用のビルまで建つほどに成長していた。

 基本的に店単体の経営は店長に一任されているが、かな子がまったく関わらないというわけではない。今回のように突然店に顔を出しては商品をチェックして、気になることがあればその場で店長に伝えるといったことも行っている。かな子の店すべてにVIPルームがあるのは、芸能人にも気兼ねなく来てもらいたいという想いと共に、かな子がいつでも査察を行えるようにしている、というのはスタッフの間でまことしやかに囁かれている噂である。

 閑話休題。

 

「ところで、杏ちゃんの後ろにいる子って、もしかして杏ちゃんの所の新しいアイドル?」

「そうそう、さっきそこでスカウトしてきたばかりの逸材だよー。――はい蘭子ちゃん、ご挨拶」

「ふえっ! ――しょ、承知した」

 

 一瞬“素”を見せるほどに驚いた蘭子だったが、覚悟を決めてかな子に向き直ると、大きく1回深呼吸をして口を開いた。

 

「我が名は神崎蘭子! この世界に降臨して14年の歳月が経った! 此度は“怠惰の妖精”より召喚され、幻惑の世界を統べるべく同盟を結ぶことと相成った! 以後、友として、そして宿敵として共に世界を歩もうぞ!」

「……う、うん! よろしくね!」

 

 1拍遅れて、かな子が笑顔で返事をした。初見にしてはなかなかの反応だろう。ちなみに杏は蘭子の横でその挨拶を聞いて「もしかして“怠惰の妖精”って杏のこと?」と尋ねていた。

 

「あ、もしかしてこれから大事な話をしようとしてここに来たの? だったら、私は帰った方が良いかな?」

「いやいや、むしろ杏達の方がお邪魔してるんだから、そんな気にしなくて良いよ。――それにかな子には後で“相談”したいことがあるから、できれば残ってほしいんだよね」

「相談? 杏ちゃんが良いって言うなら、私もここで聞いてるけど……」

 

 かな子はそう言うと、今度はパンケーキに手を伸ばして一口食べた。途端に顔を綻ばせる彼女に、杏は苦笑いにも見える暖かい笑顔を浮かべた。

 そして杏は蘭子を自分の隣に座らせると、かな子の見ている前で説明を始めた。

 

「それじゃまずは、杏の事務所について話すか。――杏が今計画してるのは、拠点となる劇場だけで活動する地下アイドル路線ね。テレビで活躍するようなアイドルほどは有名になれないしファンの数も多くないと思うけど、普通のアイドルよりも自由に活動できるから、蘭子ちゃんが望んでいる方向性でも充分大丈夫だと思うよ」

「蘭子ちゃんの路線って、さっき私に挨拶したような感じ?」

「そうそう、ファンタジー系の中二病って感じね。蘭子ちゃんが今着ているようなゴシック系の衣装で、中二感バリバリの曲を歌ったら雰囲気出るんじゃない?」

「うん、そうだね! 蘭子ちゃん、その服も凄く似合ってるし、いっぱいファンができるんじゃないかな!」

「おお……!」

 

 自分の大好きなものばかり集めたステージで高らかに歌い上げる自分を想像したのか、蘭子は目を輝かせて興奮した様子を見せていた。

 

「せっかくだから、蘭子ちゃんの希望も聞いてみるか。蘭子ちゃん、何か『こういう感じのライブがしたい!』ってイメージとかあるかな?」

「わ、我が決めるのか!」

「うん、そうだよ。杏の事務所は、アイドル本人の自主性を尊重する方針だからね」

「そ、そうか。うむ……」

 

 蘭子は顎に手を遣って、眉間に皺を寄せた難しい表情で考え込んだ。アイデアを出そうと知恵を振り絞っているようにも見えるが、その目は先程からちらちらと、自分が持っていた鞄(ゴスロリの服に合うように黒を基調とした装飾が施されている)へと向けられていた。

 そして杏は彼女のそんな態度に気づきながら、あえて問い質すような真似はしなかった。じっと彼女を見つめながら、彼女の方から話を切り出してくれるのを待っている。そしてそんな2人を、かな子は固唾を呑んで見守っている。

 やがて、蘭子が口を開いた。

 

「……我は時々、独りで魔導書の作成に取り組むときがある」

「魔導書? ……それ、今持ってたりする?」

「…………、うむ」

 

 やや時間を掛けて頷いた蘭子は、緊張した面持ちでその鞄から1冊のスケッチブックを取り出した。しばらくそれをじっと見つめていた蘭子だが、やがて頬を紅く染めて黙ってそれを杏に差し出した。

 

「うん、じゃあ見せてもらうよ」

 

 杏はそれを受け取って、自分にしか見えないようにゆっくりとそれを開いた。かな子も本人の気持ちを察して、それを覗き込むような真似をせずに、杏の表情のみを眺めながらテーブルのスイーツを一口食べた。そして蘭子はお湯でも沸かせそうなほどに真っ赤に染まった顔で、じっと杏のことを見つめていた。

 

「……蘭子ちゃん、これって自分で全部考えたの?」

 

 やがて杏が、スケッチブックに目を遣りながら真剣な表情で蘭子に問い掛けた。蘭子はピクリと肩を震わせると、恐る恐るといった感じで口を開く。

 

「う、うむ。細かい箇所に古文書より解読した詠唱を用いたものもあるが、ほぼ我が手によって作成されたと言っても過言ではない」

「成程ね……」

 

 そして杏はスケッチブックをパタリと閉じ、蘭子へと向き直った。

 

 

「うん、採用」

 

 

「ふぇ?」

 

 いきなりの言葉に、蘭子は理解が追いつかず素の声を出してしまった。

 

「良いじゃん、これ! なかなか面白いストーリーだよ! これをライブに取り入れれば、他の3人にも負けない個性的なライブになると思う!」

「こ……これをか?」

 

 そのスケッチブックに描かれていた、まるで悪魔のような羽根の生えた蘭子のイラストに詳細な設定、そしてそれを基にした物語がそのまま形にされることが恥ずかしいのか、蘭子は再び顔を紅く染め上げた。

 

「ストーリーを取り入れるってことは、ミュージカルみたいにするってこと?」

「それも良いんだけど、もっとお客さんが一緒になって参加できるような感じにしたいなぁ……。菜々さんとは別の切り口で、ライブを観てるお客さんも巻き込めるようなやつ……」

 

 杏の言葉はどんどん小さくなり、やがてぶつぶつと独り言を呟きながら思考を巡らせることに没頭し始めた。このような彼女の姿を何度か見たことのあるかな子は、こうなると話し掛けても返事をしないことを分かっているため、蘭子に「せっかくだから食べてって」とテーブルに並べられたスイーツを勧めている。

 

「そ、そうか……。我の生み出した世界が、よもや産声をあげることになろうとは……」

 

 しかし蘭子はそんな余裕も無い戸惑うような表情で、ぽつりとそう呟いた。

 頭の中に広がる空想の世界を、断片的にでも具現化してきたスケッチブック。特に誰かに見せるわけでもなく、自分1人が満足できればそれで良かった。というよりも、現実に存在できないからこそ、紙という狭い場所にでも構わないから目に見える形にできればそれで良かった。

 それが杏という女性に出会ったことで、現実世界に自分の空想世界が具現化するかもしれない。今まで自分が考えたこともない未知の世界が待っているという事実をようやく実感してきた蘭子は、一抹の不安と、そして大きな希望に胸をいっぱいにしていた。

 

「ねぇ、蘭子ちゃん」

 

 と、いつの間にか思考の世界から戻ってきた杏が、蘭子に声を掛けてきた。

 

「如何した、怠惰の妖精よ」

「蘭子ちゃんって、そういう物語を考えるのとか好きなんだよね?」

「その通りだ。新たな世界を創造することは、我の存在理由と同義である」

「そっかそっか。それじゃさ――」

 

 杏はそこで一旦言葉を区切り、にやりと何かを企むような笑みを浮かべて問い掛けた。

 

「――今から、杏の家に来ない?」

 

 

 *         *         *

 

 

 蘭子との打合せを終え、その後のかな子との“相談”を済ませた杏は、蘭子を引き連れて自分の住むマンションへと戻った。

 最初蘭子は杏の家と聞いて、海辺に建つ真っ白で大きい一軒家という、いかにも“成功者の家”といった感じの家をイメージしていたが、実際にはどこにでもあるようなごく普通のマンションだった。確かに最新機器のセキュリティシステムに加えて管理人が入口を監視していることから、セキュリティに関しては他のマンションよりも厳重な造りになっているが、この程度ならば平均よりも少し高い給料で充分住めそうである。

 

「ささ、どうぞどうぞー」

「う、うむ……! 邪魔するぞ……!」

 

 しかし緊張で頭をいっぱいにしていた蘭子にはそんなことを気にする様子も無く、杏に促されるままにマンションの入口を潜ってエレベーターに乗り込んだ。中層階のとある一室、最上階でも角部屋でもないそこが杏の部屋であり、入口には表札すら掲げられていない。

 

「ただいまー」

 

 杏が部屋の奥に呼び掛けながら中へと入っていくと、玄関から伸びる廊下に面したドアの1つが開かれ、中から灰色とも銀色とも形容できる長い髪をもつ少女が顔を出した。

 

「お、お帰り、杏さん……。後ろにいるのって、もしかして……?」

「そ。新しいアイドル候補生だよ」

「――わ、我が名は神崎蘭子! 今日より幻惑の世界を統べるべく、この者と手を組むことと相成った! 同胞よ、共に世界という名の舞台で踊り明かそうぞ!」

「……成程、かなり個性的だな。そして可愛い……。――わ、私は星輝子。よろしく……」

「輝子ちゃんはこう見えてメタルが好きなんだよ。しかも自分で作詞作曲もしてるの」

「何と! お主は自在に音を操るというのか!」

「フヒ……、そ、そこまで大層なものじゃ……」

 

 蘭子と輝子が話している間も、杏は時折部屋の奥をちらちらと覗き込んでいた。こういうときに真っ先に駆けつけそうな彼女の姿は、まだ現れていない。

 

「輝子ちゃん、菜々さんは?」

「フヒ……、リビングで“格闘”してる……。かなり苦しんでるな……」

「怠惰の妖精よ。お主が力を貸して欲しいというのは、その者のことか?」

「うん、そうだよー」

 

 輝子が「えっ? 妖精?」と戸惑っているのを無視して、杏がリビングのドアを開けた。

 普段食事を摂るときに使うテーブルに、精根尽き果てた様子で突っ伏している菜々の姿があった。ノートは何度も書いては消してを繰り返したような跡があり、しかし最終的には1文字も残っていなかった。

 

「……あれ、杏ちゃん? ごめんなさい、帰ってたのに気づかなくて」

 

 杏達に気づいた菜々が笑顔を浮かべて立ち上がるが、その笑顔にも立ち振る舞いにも力が籠もっていない。疲れ切っている彼女の姿に、杏と輝子は苦笑いを浮かべ、蘭子は純粋に心配そうな表情を見せる。

 

「随分苦戦してるみたいだねぇ、菜々さん」

「ええ。小さい頃から空想するのは好きだったんですけど、細かい設定まで考えたことが無くて……。やっぱりナナは、こういうことには向いていないのかもしれません……。――ところで杏ちゃんの後ろにいるのって、もしかして……?」

「そ。杏達の新しい仲間だよー」

「我が名は神崎蘭子! 今日より幻惑の世界を統べるべく、この者と手を組むことと相成った! 同胞よ、共に世界という名の舞台で踊り明かそうぞ!」

「……成程! これはなかなか強烈ですね!」

 

 一瞬遅れた菜々のリアクションに、杏は満足そうに頷いた。

 

「蘭子ちゃんは見ての通り、昔から空想するのが大好きなんだよ。きっと、菜々さんの力になるんじゃないかな?」

「そうなんですか? それは心強いですね! よろしくお願いします!」

「うむ! 我に任せるが良い!」

 

 蘭子は高らかにそう宣言すると、菜々に向き直った。

 

「“月よりの使者”よ! お主が自身の本当の姿を見出せないのは、シナプスの海が途方もない深さであるからではないか?」

「……つまり、どういうことですか!」

「あー……、多分『どこから手をつければ良いか分からないから困ってるんじゃないの?』みたいなことを言いたいんじゃないかな?」

「あー、はいはい! そんな感じです!」

 

 菜々が何回も頷くと、蘭子は顎に手を遣っていかにも考え事をしているかのようなポーズを取った。普通の人がやると滑稽にしか見えないが、蘭子の場合は顔立ちがかなりのレベルで整っているため妙に様になっている。

 

「お主が幻惑の世界を歩もうとする理由は何だ?」

「あっ、今のは何となく分かりますよ。アイドルを目指す理由ですよね? ――テレビで観ていたアイドルが凄く輝いて見えて、何だか元気が湧いてくるんですよ! それで『明日も頑張ろう』って気分になるんです! 菜々もいつかは、そんなアイドルになれたら嬉しいですね!」

 

 やはり長年アイドルに憧れてきただけあってスラスラ出てくるうえ、それを話すときの菜々は生き生きしている。

 

「ならば、その想いを基点にして広げていけば良い」

「基点に、ですか?」

「うむ。我が紡ぐ魔法も、元を辿れば数百もの単語の羅列である。その単語それぞれの意味や構成を熟慮し、想いをその中に込めることで、その魔法は初めて効果が表れて意味を成す。お主にとってその想いは、お主自身を構成する根幹を成すものであるはずだ。その基盤を強固にすることが、これから幻惑の世界を歩むお主にとって何よりの指針となるであろう」

「…………、ふむ」

 

 回りくどい言い方のせいで菜々は理解に手間取ったが、蘭子の言いたいことはよく分かった。全体の設定を一気に決めようとするとどう手をつけて良いのか分からず途方に暮れるが、最も重要なことに的を絞って設定を決めていけば、他の部分に関しても数珠つなぎに定まっていくと主張したいのだろう。多分。

 菜々が頑張って蘭子の言葉を理解しようとしている間にも、蘭子は大袈裟な身振りを交えて“バーンッ!”という擬音が聞こえてきそうな勢いでポーズを取った。右手の親指・人差し指・中指を立てて顔の前に持ってくるそのポーズを見て、杏は「あれは……フレミングの右手の法則!」とリアクションを取っていた。

 菜々はそのポーズの迫力にしばらくの間圧されていたが、やがてハッと我に返ると、

 

「……えっと、そうですね! 蘭子ちゃんが手伝ってくれると百人力です!」

「うむ! では早速取り掛かるぞ! 一刻も早く魔導書の作成に取り掛かることが、世界を統べる最も近道となるのだ!」

「何だかよく分かりませんけど、言いたいことは何となく雰囲気で分かりますよ!」

 

 菜々と蘭子はテンション高く叫びながら、つい数分前に顔を合わせたばかりとは思えないほどに息を合わせて菜々の部屋へと駆け込んでいった。

 

「うんうん、これなら菜々さんの“設定”も早く決まりそうだね」

「フヒ、そうだな……」

 

 事の成り行きを見守っていた杏と輝子が、頷きながらそんな会話を交わした。その様子はさながら、子供の成長を見守る親のそれに酷似していた。

 実際の年齢はともかく。

 

 

 *         *         *

 

 

 その店は味よりも量で勝負しているような大衆食堂で、とにかく安い値段で大量に食べたいという食べ盛りの学生やガテン系の仕事をする男性に人気だった。現在も席を埋める客のほとんどが男性であり、皿いっぱいに盛られたボリュームたっぷりの料理をどんぶり飯で掻き込んでいる。

 そんな店の一番奥まった席に、2人の男性が向かい合わせに座っていた。1人はスーツをきっちりと着込んだ20代後半くらいの男で、何やら思い詰めたような表情をしている。もう1人の40代後半くらいの男は逆に飄々とした表情を浮かべており、くたびれたコートを身に纏い無精髭を蓄えるその風貌は、かなり失礼な表現をするならばまともな職業に就いているとは思えない印象を受ける。

 

「んで、今日はどんな用事であっしを呼びつけたんで? 何かネタになりそうな情報でも掴んだんですかい?」

 

 年上の男がタバコに火を点けながら尋ねると、年下の男は躊躇いがちに口を開いた。

 

「……先輩から聞きました。あなたは金さえ払えば、どんなことでもやってくれるんですよね?」

「“何でも”というわけにはいきませんなぁ。あっしだって捕まりたくないんでね、“直接的な依頼”はお断りですぜ?」

「つまり“間接的な依頼”だったら引き受けてくれるということですね?」

 

 若い男はそう言って、紙切れを1枚彼に差し出した。それは名刺だった。

 

「“双葉杏プロダクション(仮)代表取締役兼プロデューサー・双葉杏”……。これはまさか、あの双葉杏があんたに渡してきたものですかい?」

「はい、そうです」

「もしこれが本当だとするなら、確かにかなりのスクープだ。日本中を熱狂させた……いや、今でも芸能界で大きな影響力を持つ“奇跡の10人”の中でも象徴的な存在だった彼女が芸能事務所を立ち上げるとなれば、あちこちでひっくり返るような大騒ぎになりますぜ。うし、さっそくアポを取って取材を――」

阿久徳(あくとく)さん、惚けないでくださいよ。そんな“まともな”取材、善澤さんにでも任せておけば良いでしょう? 僕が頼みたいのはただ1つ――」

 

 年下の男はそう言うと、テーブルに置いた杏の名刺にダンッと勢いよく指を押しつけた。

 

「どんな手段を取っても良い。――この事務所を潰してください」

「そりゃまた随分と、穏やかじゃないですねぇ。訳を訊かせてもらっても?」

「こいつのせいで、トップアイドルになれるはずだった逸材を横取りされた。しかもこっちがスカウトしている最中にだ! あんなふざけた言葉でそいつを誑かしただけじゃなく、俺に恥を掻かせてくれた! 絶対に許しておけるか……!」

「アイドルなんて、またスカウトすりゃ良いじゃないですかい」

「2週間もずっと歩き回って、声を掛けては断られの繰り返しで、やっと見つけた逸材だったんだぞ! こっちの言う通りにしてりゃすぐにでもトップアイドルになれたものを、あいつはその場の気分で双葉杏を選びやがったんだ! ……苦労もせずに金持ちになって、さっさと引退してニートになった世間知らずの元アイドルに、社会の厳しさってやつを教えてやるんだ」

「……そうですかい。まぁ、あっしとしては、貰えるもんを貰えりゃ文句は無いんですがね。――高くつきますぜ?」

「構いませんよ。あいつに吠え面掻かせられるんならね」

 

 年上の男――阿久徳の言葉に、年下の男はニタァッと気味の悪い笑みを浮かべた。

 阿久徳はそんな彼から視線を逸らし、テーブルに置かれた名刺をじっと見つめていた。

 

 ――それにしても双葉杏たぁ、随分と懐かしい名前が出てきたもんだ。“今度は”何を企んでいるんですかねぇ……。

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら、阿久徳は天井を見上げてタバコの煙を吐き出した。

 

 

 *         *         *

 

 

 地球から時空間列車で1時間ほど行った場所に存在するウサミン星。そこの住民であるウサミン星人は、《ニンジン》をエネルギーとして暮らしていた。

 ここでいう《ニンジン》とは、地球で栽培されている野菜のことではない。地球の言葉で表現するならば、“生き甲斐”というのが最も意味的に近いかもしれない。人々が何かに夢中になるときに放出されるエネルギーのようなものが《ニンジン》の正体とされ、ウサミン星人はこれを摂取することで生きている。そして地球が《ニンジン》の一大生産地であることから、ウサミン星人は地球を《メルヘン》と呼び、長らくの間親しみと共に密接な繋がりを持っていた。

 しかしここ数十年、ウサミン星人にとって看過できない“変化”が表れた。《ニンヅン》と呼ばれるエネルギー体が急速に溢れかえり、《ニンジン》の質を劣化させていったのである。

 その名の通り《ニンヅン》は《ニンジン》と非常によく似たエネルギー体であり、何かに夢中になる人間から放出されることも同じである。しかし2つの間には、決定的な違いがあった。

 《ニンヅン》を発散する人間には、“主体性”が存在しないのである。何物かによって偽物の“熱狂”を植え付けられた人間が放つ《ニンヅン》は、自ら夢中になれるものを探す人間の放つ《ニンジン》に悪影響を及ぼす。そしてそれは《ニンジン》を糧として生活するウサミン星人にとっては死活問題であった。

 一刻も早く偽物の熱狂を植え付けられた人間を解放し、本当に自分が夢中になれるものを探してもらう必要があった。しかし《ニンヅン》が蔓延してしまった世界では、《ニンジン》こそが自分達に悪影響を与える害悪なエネルギーとして、《ニンジン》を発散する人間やそれを必要とするウサミン星人を排斥するようになってしまっていた。

 なのでウサミン星人は、自分達の姿を偽装する必要があった。《ニンヅン》が蔓延する世界に飛び込んで、《ニンジン》を発散する人間を内側から増やしていく必要があった。

 そしてウサミン星人の未来を左右する大事な役目を与えられたのが、ウサミン星人の少女“kbyarebnhgujy7”。

 地球では、“安部菜々”というコードネームを与えられている。

 

 

 

「うん、なかなか良いんじゃない?」

「フヒ……、まさかアイドルへの憧れが、最終的にこんな形になるとは……」

「あの、杏ちゃん? 本当にこれ、大丈夫なんですか? ナナ、こういうの分からないんで、何か不安になってきたんですけど」

 

 あれから数時間、菜々の部屋から出てきた2人が差し出したノートには、上記の設定を元にした膨大な“資料”が書かれていた。ウサミン星で使われている独自の言語からウサミン星の成り立ち、そして人間から放出された《ニンジン》をウサミン星人が摂取するまでの過程、さらには《ニンヅン》に侵されたときの症状をレベル別で表示したものまで多岐に渡っている。

 

「我ながら、今回の世界は非常に魅力的なものとなった!」

「フヒ……、蘭子ちゃんがそう言うなら安心だな……。それにまだ時間はあるし、とりあえずこれで進めてみて、違和感があったら変えていけば良いんじゃないか……?」

「……そ、そうですよね。これから考えていけば良いですよね!」

 

 満足げな表情を浮かべてご機嫌な様子の蘭子に、2人に対してそれぞれフォローを入れる輝子、そしてそれを受けてとりあえず結論を先延ばしにすることにした菜々。

 そんな彼女達3人の様子を、杏は真剣な表情で眺めていた。

 

 アイドル活動そのものをロールプレイング化する、自称宇宙人。

 普段はダウナーなコミュ障だがスイッチが入ると豹変する、作詞作曲もできるメタラー。

 中二病世界を作り上げて自身もその一部に成りきる、劇場型の空想少女。

 そしてこの場にはいないが、普通の人間には見えない者が見える、ホラーやスプラッターを拠り所とする孤独な少女。

 

 普通ならば、アイドルにするような逸材ではないだろう。もし彼女達がオーディションに姿を現したとしたら、主催者は苦笑い混じりに不合格の烙印を押すか、むりやり自分の望む方向へ彼女達をねじ曲げに掛かるだろう。

 しかし、杏はけっしてそんなことはしない。彼女が自分の望むスタイルを貫けるよう、そしてそれで最大限の結果を出せるよう、最高の舞台を整えてあげることが仕事だと思っている。そのために自分がすべきことは何か、杏はプロデューサーになることを決めてから、そればかり考えるようになった。

 

 ――杏もすっかり“仕事人間”だなぁ……。

 

 フッと自嘲的な笑みを浮かべた杏だったが、その笑みには爽やかさがあった。

 

「よし、みんな! 菜々さんの方針が固まったのを祝って、今から何か食べに行こう!」

「おおっ、良いですねぇ! 蘭子ちゃんとの作業に夢中になりすぎて、全然夕飯の準備ができてませんしね!」

「フヒ……、何か美味しいキノコ料理が食べたい……」

「蘭子ちゃんは何が食べたい?」

「……えっ! わ、我も良いのか?」

「良いに決まってるじゃないですか! 蘭子ちゃんだって、もうナナ達の仲間なんですから!」

「仲間……。う、うむ! そうであるな! それなら我は――」

 

 プルルルルル――。

 蘭子が自分のリクエストを口にしようとしたその瞬間、蘭子のスマートフォンが着信を知らせる電子音を鳴らした。自分の台詞を遮られたことで、不機嫌そうに頬を膨らませながらそれを取った蘭子だったが、

 

「――――!」

 

 画面を見た瞬間、蘭子は顔を引き攣らせて青ざめた。

 

「どうしたの、蘭子ちゃん?」

「……お母さん」

「えっ……。もしかして、電話してない……とか?」

 

 杏の質問に、蘭子はその引き攣った表情のまま、こくりと小さく頷いた。

 

「と、とりあえず出て!」

「う、うむ! ――あ、もしもし、お母さん? えっと――ひぃ!」

 

 電話口から漏れてくる声だけでも分かるほどの怒鳴り声に、それを耳元で聞いている蘭子だけでなく杏達も思わず体を震わせていた。

 

「う、うん! 連絡しなくてごめんなさい! あ、あのね、お母さん! 私、実はアイドルにスカウトされて――ち、違うよ! 嘘じゃないって!」

 

 先程までの中二ファンタジー全開の口調ではない、まさに彼女の素そのままだった。さすがに家族に対してはあの口調ではないらしく、それどころか素の彼女は少し幼い口調をしているようだ。

 

「ほ、本当だもん! あの双葉杏さんにスカウトされたの! ……分かった! じゃあ今から、杏さんに変わるね!」

 

 蘭子はそう言って、杏にスマートフォンを差し出した。自分が説明しないと埒が明かないことは分かっていた杏は、特に戸惑うこともなくそれを受け取った。

 

「もしもし、お電話変わりました。はい、双葉杏と申します。――いえ、けっして娘さんを騙そうなどという気はまったくありません。はい、本物です。はい、娘さんには街中で出会いまして、アイドルとしての可能性を感じましたのでスカウトさせていただきました――」

 

 そして普段のゆるゆるな雰囲気からは想像もつかないほどにしっかりした応対をする杏に、彼女との付き合いがそれなりにある菜々や輝子が驚きで目を丸くしていた。

 

「はい、はい……。それでは、失礼致します」

 

 その言葉を最後に、杏は電話を切った。そしてスマートフォンを蘭子に返すや否や、すぐさま自分の部屋へと戻っていった。そしてリビングに戻ってきたときには、いつも部屋で着るようなゆるゆるのTシャツではなく、どこに行っても恥ずかしくない余所行きの服装だった。

 

「菜々さんと輝子ちゃんは、2人で夕飯食べちゃってて」

「えっと……、杏ちゃんは?」

「今から蘭子ちゃんの家に行ってくる。――蘭子ちゃん、一緒に行こっか」

「は、はい!」

 

 颯爽と玄関へ歩いていく杏に、蘭子が慌ててついて行った。玄関からドアを開ける音と閉じる音が聞こえ、あっという間に部屋には菜々と輝子の2人だけが残された。

 静寂に包まれる中、菜々と輝子はお互いに顔を見合わせて、

 

「……杏ちゃん、やろうと思えばちゃんとした応対ができるんですね」

「フヒ……。杏さんがあんなにちゃんと喋ってるの、初めて見た……」

 

 間違いなく本人にとって失礼な感想を述べた。


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