怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第6話 『普通』

 李衣菜達が無事に和解をした後、李衣菜と杏は仕事の打合せのために李衣菜の部屋へ、夏樹達バンドメンバーと輝子はセッションのために地下のスタジオへ。残る菜々は輝子のセッションを眺めていようかと思ったが、せっかくだから皆の夕飯を作ろうと夏樹達の許可を得てキッチンへと入っていく。

 キッチンはアイランド方式で、まるで外国のように1つ1つが大きかった。李衣菜家ではその日ごとに家事の当番が割り振られていて、意外にも外食をする機会は少ないのだという。

 

「うわぁ、さすがキッチンも豪華ですねぇ……。さーてと、今日の夕飯は何にしましょうかねー」

 

 菜々は鼻歌交じりで冷蔵庫のドアを開けて、そして固まった。

 牛乳やヨーグルトなどを除いて、冷蔵庫の中はほとんど空っぽだった。夕飯に使えそうな材料など、見事なまでに何も無い。

 

「うーん、これは材料を買わなくてはいけませんねぇ」

 

 口振りはいかにも面倒臭そうな感じだが、その声はどこか楽しそうだった。メイド服に興味津々だったことから見ても、誰かの世話をするのが好きなのかもしれない。彼女は足取り軽く、リビングと同じく白を基調とした廊下を通って李衣菜の部屋へと向かっていく。

 こんこん、とドアを軽く叩いてそれを開けた。

 

「杏ちゃん、李衣菜ちゃん、夕飯は何に――」

 

 中へ呼び掛けるために部屋に1歩足を踏み入れた菜々は、そこで思わず口を閉ざしてしまった。

 李衣菜の部屋はまるで高級ホテルの一室のように広く、白を基調としたデザインはとても洗練されていた。部屋の奥には大きな窓があり、外から見える景色を窓枠が切り取るそれはまるで絵画のようである。

 そして杏と李衣菜の姿は、その大きな窓の手前にあった。丸いテーブルに向かい合わせで座り、そこに紙を広げて思い思いにメモを取りながら真剣に打合せをする2人の姿は、普段のだらけきった様子や親しみやすく明るい様子からはまるで想像もつかない、見る者が思わず息を呑むほどの緊張感に包まれていた。

 

「あ、菜々さん、どうしたの?」

 

 しかし入口に立ち尽くしていた菜々に杏が声を掛けたときには、まるで幻か何かだったようにその緊張感もフッと消え、いつも見ている力の抜けたゆるゆるの雰囲気へと戻っていた。

 そしてその瞬間、菜々は我に返った。

 

「……い、いえ! 今日の夕飯何が良いかな、と思いまして……」

「うーん……、李衣菜に任せるよ」

「はいはーい! じゃあ私、バーベキューがしたい! 最近全然やってなかったし、こういうときじゃないとできないと思うからさ!」

「うん、良いんじゃない? じゃあ菜々さん、頼めるかな?」

「はい! 任せてください!」

 

 菜々は努めて明るく振る舞って、李衣菜の部屋を後にした。そしてドアを閉めた瞬間、彼女はその笑みを消して表情に陰を落としながら、今度は地下のスタジオへと向かっていく。

 地下の階段に繋がるドアを開けた途端、壁を伝ってバスドラムやベースの重低音、ギターやキーボードの高音、そしてそれらをすべて包み込むシャウトが聞こえてきた。それは菜々が階段を1段1段下りるごとに大きくなり、迫力も増していく。

 そしてその先にあるスタジオのドア(ちょうど目の高さに“リヰナレコーズ”と書いたプレートが貼られている)を開けた瞬間、まるで音が熱を伴って菜々に襲い掛かるかのように、彼女の顔にぶわっと熱気が吹きつけられた。

 拓海の奏でるドラムは、重厚なバスドラムから軽い金属音のハイハットまで、様々な打楽器の音が濃密に放たれていく。そのドラムが作り出すリズムを補強する涼のベースが、忙しなく暴れ狂う指に合わせて臓器を揺さぶるほどの重低音を繰り出す。

 そんな重苦しい音の応酬に、里奈の奏でる耳を劈くほどに高いキーボードが割り込んできた。しかしそれによってベースとドラムのハーモニーが壊れることはなく、むしろこれによって彼女達の“音”が“音楽”へと変貌を遂げた。そして輝子と夏樹によるツインギター、そして輝子のシャウトが合わさり、彼女達の音楽は縦横無尽にスタジオ中を駆け巡っていく。

 自身の目の前で繰り広げられる彼女達の演奏に、菜々は何もかも忘れて見入っていた。自分の体が音に包み込まれて溶け込んでいくような、自分の存在さえ希薄になってしまうような、そんな没入感を味わっていた。

 と、そのとき、彼女達が菜々の存在に気づいて演奏を止めた。ふいに音楽が止み、菜々の意識も現実世界へと戻っていく。

 

「フヒ……、菜々さん、どうかしたか……?」

「え? ――あ、ああ! すみません! 李衣菜ちゃんが『晩ご飯はバーベキューが良い』って言ってたんですけど、皆さんはそれでも良いですか!」

「お! 良いじゃねぇか! 腹一杯肉を食うか!」

 

 “バーベキュー”という単語に真っ先に反応したのは拓海であり、涼と夏樹も鉄板の上で焼ける肉を想像したのか獰猛な笑みを浮かべた。里奈は「えぇっ? お肉太るー」と文句を言いつつも口元の笑みを抑えきれず、輝子は「キ、キノコがあるなら何でも良いぞ……」と控えめながらもしっかりと自己主張する。

 

「分かりました! それじゃナナが、今から材料を買ってきますね!」

 

 そう言ってスタジオを後にしようとする菜々に、涼がベースを置いて「待って」と呼び掛けた。

 

「アタシも一緒に行くよ」

「えぇっ! そんな、大丈夫ですよ!」

「良いって良いって。どうせアタシが今日の食事当番だったんだし、8人分の材料を1人で持って帰るのは結構きついぞ?」

「……ええと、じゃあ、お願いします」

「よし。――んじゃ、行ってくる」

 

 拓海の「8人もいるんだから、大量に肉買ってこいよ!」という呼び掛けを背中に聞きながら、菜々と涼はスタジオを出て階段を昇っていった。

 その途中で再びスタジオで演奏が始まるのが聞こえ、菜々は後ろ髪を引かれる想いで李衣菜の家を後にした。

 

 

 *         *         *

 

 

 李衣菜の家から一番近い場所にあるスーパーは、丘の(ふもと)にある海のすぐ傍に建っていた。一口にスーパーと言ってもそこら辺のものとは訳が違う、生鮮食品から手作りの総菜やデザートに至るまで、生産の段階からこだわり抜いた商品ばかりを集めた、そしてその分他のよりも数段値の張る高級志向のスーパーである。

 そんな高い商品ばかりを取り揃えたスーパーで、特に値札を見ることもなく次々と肉をカートに放り込んでいく涼の姿に、菜々は思わず目を丸くして見入っていた。

 そしてそれを振り払うように、菜々はむりやり話題を探して口を開いた。

 

「そ、それにしても、さっきの演奏は凄かったですね! 思わず聞き惚れちゃいました!」

「そうか? ありがとな。――あの輝子って子、かなりのセンスだな。さっきやった曲も輝子が作ったやつなんだけど、かなりの完成度だったよ。あれで15歳だっていうんだから末恐ろしいね」

「ふふふ、そう言ってもらえると、輝子ちゃんも喜ぶと思います」

「それに、輝子と色々話して分かったんだが……。ありゃ、李衣菜と同じタイプだな」

「……李衣菜さん、と?」

 

 涼の思わぬ言葉に、菜々はなぜか心臓を鷲掴みされるような苦しさを覚えた。

 

「自分に才能があることに気づいていない、みんなが自分と同じようにできると思い込んでるタイプだ。『他の人ができないのは努力が足りないせいだ』っていうのが、昼間みたいな喧嘩をしているときに李衣菜がいつも言ってる台詞なんだよ。さすがに輝子はそこまで露骨には考えてないけど、話を聞いてると似たような節があるな」

「輝子ちゃんが……?」

「ああ。――あいつ、作り始めて3日経っても完成しなかった曲は、容赦無く捨てるらしいぜ? だらだら作ってても良い曲になるとは思えないから、だってさ」

「3日って……! ちょっと短すぎませんか!」

「そう思うだろ? アタシ達もそう思って、あいつにそう言ったんだ。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」

 

 菜々が答えずに言うと、涼は呆れたような笑みを浮かべて、

 

「『え? 普通そうじゃないの?』って、本気で戸惑うようにな。――李衣菜とまったく同じだ。あいつも数日経って曲ができなかったら躊躇いなく捨てるし、それをアタシ達に指摘されたときの答えもまったく同じだった」

「…………」

「悲しい話だけど、アタシは“才能”ってものは確実に存在すると思ってる。同じ努力をしても、人によってどこまで到達できるかには明確な差があると思うんだ。――でも、李衣菜は違う。あいつは自分と他人を比べるようなことをしないから、“自分ができて他人にできないこと”が理解できない。だから昼間みたいな喧嘩は、割と日常茶飯事だったりするんだよ。もちろん、輝子は李衣菜ほど自分勝手じゃないから、菜々達と喧嘩するようなことはそうそう無いだろうけどな」

「…………」

 

 涼の話を聞くほどに、菜々の表情が暗くなっていく。涼はそれに気づいているが、あえて尋ねるようなことはせずに買い物を続けていく。

 やがて、菜々が口を開いた。

 

「……ナナ、これからアイドルやっていけるんでしょうか?」

「…………」

「ナナはアイドルになりたくて色んな事務所のオーディションに参加して、それでずーっと落ち続けて、最後の最後に杏ちゃんが声を掛けてくれたんです。――でも杏ちゃんは昔凄いアイドルで、杏ちゃんにスカウトされた輝子ちゃんも凄い才能を持っていて、ナナみたいな普通の人間が、そんな2人と一緒にアイドルをやっても良いんでしょうか?」

「……別に良いんじゃないの? アイドルが売れるかどうかは客が決めることだけど、アイドルをやるかどうかは本人が決めることだろ。アタシらだって、李衣菜に食らいついていくのが精一杯で、そもそも食らいついていけてるのかどうかすら分かんないけど、それでも必死に毎日やってきてんだ」

「りょ、涼ちゃん達も、ナナからしたら凄く魅力的なアイドルです!」

「……ありがとう。菜々にそう言ってもらえると、必死にやってきた甲斐があったって思えるよ」

 

 そう言って笑う涼は、菜々にはどこか辛そうに見えた。そしてそれを見ている菜々は涼以上に辛そうで、苦しそうだった。

 と、そのとき、

 

「あれ? あそこにいるのって……」

 

 涼は売り場の奥に知り合いでも見つけたのか、今まで押していたカートを置いて突然駆け出していった。菜々が慌ててカートを押してその後を追うと、涼の傍には彼女よりも頭1つ分は低い少女の姿があった。

 その少女は金色のショートヘアで、長く伸ばした前髪で右目を隠している。両耳には幾つもピアスがついており、寒いどころか少し汗ばむ陽気であるにも拘わらず両手がすっぽりと隠れるほどに長い袖を持つ服を着ていた。髪に隠れることなく顕わになっている左目にはうっすらと隈があり、お世辞にも健康的とはいえない外見をしている。

 

「よう、小梅! 学校の帰りか?」

「あ……、涼さん……。うん……、夕飯を買いに来た……」

 

 快活に声を掛ける涼に対し、小梅と呼ばれたその少女はぼそぼそと消え入りそうな声で答えた。そんな彼女の様子に、菜々は輝子の姿が重なって見えた。

 

「その子は誰ですか?」

「ああ、この子はアタシの親友でね、ときどきアタシ達の家に来て一緒に映画観てるんだ」

「あ……、は、初めまして……。白坂小梅、です……」

 

 ぺこりと頭を下げる小梅の姿は、同性の菜々ですら庇護欲をそそられる。

 

「ナナは安部菜々っていいます! いやぁ、トップアイドル達の家にお邪魔できるなんて、何て羨ましい……」

「わ、私と涼さんは、涼さんがアイドルになる前からの知り合いなの……」

「成程、そういうことですか」

「小梅は夕飯の買い物か?」

「うん……。私の両親、今日は遅くまで仕事だって……」

「だったら、一緒に飯食うか? アタシら、今日バーベキューなんだ。腹一杯肉食えるぞ?」

「お肉……、あんまり食べられないけど、行く……」

「小梅は小食すぎるんだよ。もっと食わないと大きくなれないぞ?」

 

 にかっと笑みを浮かべて小梅の肩を抱く涼に、小梅はおどおどしながらも弱々しく笑みを浮かべた。現役アイドル(しかも売れっ子)の彼女に迫られて緊張しているというよりも、単純に人自体が苦手なのだろう。

 それにしても、

 

 ――この小梅ちゃんって子、何だか目が離せませんね……。

 

 小さく華奢な体躯は今にも折れてしまいそうで、か細いその声はころころと可愛らしく、時折ふと見せる笑顔は思わず守りたくなってしまうほどに魅力的だった。菜々は先程から何回も、彼女の魅力に引っ張られるように意識を奪われかけてはハッと我に返ることを繰り返している。

 まるで、目に見えない何かに捕らえられているかのように。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜、夜闇を塗り潰すほどにネオンが光り輝く都会とは違い、満天の星が余すことなく自己主張をする空の下で、ジュージューと焼ける音と食欲をそそる匂いが立ち籠めている。

 

「おい夏樹、それアタシが狙ってたやつだろ!」

「何言ってんだ、拓海。んなもん、早い者勝ちに決まってるだろ」

「んんー! 美味しいぽよー! お腹が気になるけど、止められんちー!」

「ははは、今日ぐらいはそんなの気にしなくて良いだろ。食ってから考えりゃ良いんだよ」

 

 李衣菜の家の敷地内、全力で駆け回れるほどに広い芝生の庭の中央で、大きな2つの鉄板の1つを占領して18歳4人組が肉を食べながら騒いでいた。勝手知ったる仲間だけあって一切の遠慮が無く、拓海と夏樹は互いに肉を奪い合い、涼が4人分の肉を焼き、里奈が自分の肉を食べながら時々涼の口に肉を運んであげている。

 

「かーっ! やっぱり焼肉にはビールが一番だよね!」

「一番だねって……、李衣菜にお酒の味が分かるの?」

「何言ってんの! 私だってね、もうすっかり立派な大人なんだよ? 何てったって、もう24歳だからね!」

「本当にぃ? 20歳になったばかりの頃、かな子の店で酔いつぶれて入口で思いっきり――」

「ああ、もう! その話は止めてよ!」

 

 李衣菜と杏は皆と離れてリビングの縁側に座り、ちょうど2人の間に山盛りの肉を置いていた。李衣菜はそれをつまみにビールをごくごくと呑み、杏はジュースみたいに甘いチューハイをちびちびと呑んでいる。

 そして、

 

「フヒ……、まさかここでホンシメジを食べられるとは思わなかったぜ……。さすが、良い匂いを出してやがる……」

「ほ、本当だ……。とっても美味しそう……」

「輝子ちゃん、小梅ちゃん、お野菜とかキノコも良いですけど、せっかく高いお肉を買ってくれたんですから、少しはそっちも食べたらどうですか?」

 

 輝子と小梅がジュージューと音を立てて油を撥ねさせる肉の隣で静かに焼けるキノコをじっと見つめ、菜々が世話焼きの母親よろしく彼女達の分の肉まで皿によそっていた。

 コミュ障とコミュ障が顔を合わせたところで、互いに互いを警戒して仲良くならないのが常である。輝子と小梅ももしかしたらそうなるかもしれないという懸念があったが、はっきり言ってそれは杞憂だった。2人は顔を合わせた途端、何のシンパシーを感じたのか、まるで旧知の親友であるかのように親睦を深め、夕食の頃には常に一緒に行動するまでになっていた。

 

「輝子ちゃんは、キノコに詳しいの……?」

「あ、ああ、キノコは好きだぞ……。あ、杏さんに出会うまでは、キノコが唯一の、し、親友だったからな……」

「わ、私も同じ……。涼さんに会うまで……、ずっと“あの子”だけが友達だった……」

「あ、あの子……?」

「う、うん……。いつも私の傍にいて、私を励ましてくれるの……」

 

 そう言って儚げに微笑む小梅を、輝子はじっと見つめていた。まるで意識を失ったかのように。

 そして、ふと我に返った。

 

「……フヒッ! そ、そうか……、大事な人なんだな……。1回、会ってみたいな……」

「大丈夫、輝子ちゃんなら、すぐに会えるよ……。――すぐに」

 

 小梅はそう言って、どこか儚い印象を与える控えめな笑みを浮かべた。

 

 

 

「…………」

 

 そんな小梅と輝子の様子を、杏が縁側で肉とビールを口にしながら眺めていた。

 

「――でさぁ、そのときの凛の反応がおかしくて! ……って、杏、聞いてる?」

「へっ? あ、ごめん。聞いてなかった」

「もう、何に夢中になってたの――って、小梅ちゃんか。じゃあ仕方ないね」

 

 李衣菜は不満そうに口を尖らせながら杏の視線の先を追い、その先に小梅がいることが分かると何やら納得したように頷いていた。

 

「何々? やっぱり双葉Pとしては、小梅ちゃんが気になる感じ?」

「まぁね。あの子って、346プロとかには紹介とかしてるの?」

「ううん、してないよ。前に1回紹介しようとしたときがあったんだけど、小梅ちゃんが『目立つことはしたくないし、怒られる』って言ってたから、プロデューサーにも知らせてない」

「怒られる? 親に、ってこと?」

「いや、ご両親じゃないと思うよ? 前に小梅ちゃんのご両親に会ったことがあるけど、私達と付き合うことに対しても特に何も言わなかったし、仮にアイドルになるとしても反対はしないんじゃないかな? ――まぁ、ご両親の場合、小梅ちゃんが何になろうと気にしないと思うけど」

「放任主義ってこと?」

「そう言うと聞こえは良いけどね……」

 

 含みを持たせて口を閉ざす李衣菜に、杏は何かを察したように眉間に皺を寄せ、これ以上は訊かないことにした。

 

「そうか。それじゃ、小梅ちゃんをスカウトしたとしても問題は無いってことだね」

「お? 小梅ちゃんが杏のお眼鏡に適ったかぁ! 何か知り合いとして鼻が高い気分になるね!」

 

 李衣菜はそう言って、ぐびぐびとビールを呑んだ。杏はそれを見て、明日は確実に二日酔いで大変な目に遭うだろうな、と確実とも言える予測を頭の中で立てていた。

 

「まぁ、小梅ちゃんは可愛いから納得だけどね! 私でも時々小梅ちゃんに見とれちゃうときがあるよ! 何か気がついたら、ずーっと小梅ちゃんを見ていたときがあるって感じで。――ひょっとして私も、小梅ちゃんの魅力に“取り憑かれて”いるのかな?」

「“取り憑かれて”いる、ねぇ……」

 

 その言葉がやけに引っ掛かったのか、杏はそう呟きながら再び小梅の方へ視線を向けた。

 彼女の傍にいる輝子と菜々が揃って小梅をじっと見つめ、鉄板の肉とキノコを焦がしていた。

 そのときの目は小梅自身を見ているようで、その実どこも見ていないかのようにあやふやなものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 賑やかなバーベキューも終わりを迎え、5人くらいがいっぺんに入っても余裕で収まるほどに広いお風呂を全員が堪能した後、部屋のリビングは照明を消されてほとんど真っ暗になっていた。

 とはいえ、皆が早々に寝てしまったわけではなく、むしろ全員がそのリビングに集結していた。

 なぜかというと、

 

『ギャアアアアアアアアアアアアアア!』

「ぎゃああああああああああああああ!」

「アッハッハッハッ! 怖がりすぎだろ、だりー!」

 

 ホラーやスプラッタが大好きだという小梅がわざわざ自宅に1回戻って持ってきたというお勧めの映画を、リビングの大きなテレビで鑑賞していたからである。正体不明の殺人鬼に別荘地で追い回され、全編に渡って血飛沫が舞うというB級臭の漂う映画を、夏樹達4人は時々声をあげて笑いながら、杏と輝子はお菓子を食べながら眺め、小梅は目をきらきらさせながら食い入るように、そして李衣菜と菜々は絶叫ポイントを1つも取りこぼすことなく叫びまくっていた。

 

「べ、別に怖がってなんかないし! いきなりでびっくりしただけだし!」

「そうかそうか。だったら李衣菜、もっとテレビの近くに来いよ。そこだと見にくいだろ?」

「い、いや、別にここでも大丈夫――ああっ! 何か急に新曲のインスピレーションが降りてきたぞー! これは早くスタジオに行って録っておかないと!」

 

 李衣菜はそう言うとソファーから立ち上がり、そそくさとその場を退散しようとする。

 

「拓海」

「おう」

 

 しかし次の瞬間、拓海によって羽交い締めにされてしまったためにそれは叶わなかった。

 

「な、何をするの拓海! 離して! こわ――せっかくのフレーズを忘れちゃうから!」

「李衣菜が今まで思いついたフレーズを忘れたことなんて無かっただろ? 良いじゃねぇか、最後まで楽しもうぜ?」

「いやだあああああぁぁぁ……」

 

 リビングの片隅で騒がしくしている一方で、全体的に赤の占める割合が大きいテレビ画面を楽しそうに観ていた小梅が、自分の隣にいる輝子に寄り添って話し掛ける。

 

「しょ、輝子ちゃん……、ど、どうかな……?」

「フヒ……、こういうの初めて見たけど……、何だか面白いな……。主人公がパニックになってるのとか、殺人鬼が狂ってる感じとか、何だか私がやってる音楽の世界と似ている気がする……」

「輝子ちゃん、音楽やってるの……?」

「フヒ……、メタルを少々な……。小梅ちゃんは、メタルとか、興味あるか……?」

「き、聴いたことないけど……、輝子ちゃんの好きな音楽なら、き、聴いてみたいな……」

「わ、分かった……。ちょっと恥ずかしいけど……、後で私の作った曲を聴かせる……」

「うん、楽しみ……」

 

 辿々しくも会話を交わす様子は、何だかお見合いを連想させるものだった。

 そんな2人に、体を近づけて顔を寄せる者がいた。

 

「小梅ちゃん、ちょっと良いかな?」

「あっ、杏さん……」

「フヒッ……、杏さん、どうした……?」

 

 杏が声を掛けると、小梅(と輝子)が揃って顔を向けてきた。明かりがテレビの光だけという状況もあるが、これだけ接近しても毛穴すら見えない肌のきめ細やかさと白さに思わず杏も息を呑み、そしてすぐに我に返った。

 

「この映画が終わった後で良いから、ちょっと話がしたいんだけど良いかな?」

「は、話……? うん、良いよ……」

「フヒ……、杏さん、もしかして……?」

「お、輝子ちゃんは気づいた感じ? 輝子ちゃんも賛成だよね?」

「う、うん……。小梅ちゃんと一緒なら、わ、私も心強い……」

 

 杏と輝子が話しているのを横で聞いていた小梅は、ピンときていないのか首をかしげていた。

 

「それじゃ、そのときは宜しくね。――ちょっとトイレ行ってこよ」

 

 特に誰かに聞かせるわけでもない杏の独り言は、

 

「ひいぃっ! う、後ろに来てますって! 早く気づいて――ああ、後ろで斧を振り上げてるじゃないですか! 早く気づいて――ひえええええええぇぇぇぇ!」

 

 体をがたがた震わせて悲鳴をあげながらも、その目はしっかりとテレビに固定され、ご丁寧に実況までつけている菜々の叫び声に掻き消された。

 

 

 

 普通の家とは規格外の広さを誇る李衣菜家だが、さすがにトイレまでは広くなく、普通に便器が1つと簡易的な洗面台があるだけの狭いスペースである。

 

「さてと、小梅ちゃんはスカウトに乗ってくれるかなぁ?」

 

 その洗面台で手を洗いながら、杏はそんな独り言を呟いていた。

 小梅のアイドルとしてのポテンシャルは、かなり高い水準にある。少々コミュニケーションに難があるところが欠点だが、それを補って余りあるほどにヴィジュアルが優れているし、自分含め他の皆も言っている「無意識に小梅を見つめているときがある」という現象は、アイドルをやるうえでこれ以上ない武器となるだろう。

 問題は、小梅がスカウトに乗ってくれるかどうかである。しかしそれも、ほとんど心配はいらないように思われる。この数時間の間に急速に仲を深めることとなった輝子の存在が、もしかしたら小梅がアイドルになる決断をする手助けとなるかもしれない。友情を利用するようで少し気が引けるが、こちらも優秀な人材を見逃すわけにはいかない。

 

「さてと、それじゃそろそろ行こっかな」

 

 弾みをつけるように杏はそう呟くと蛇口の栓を締め、タオルで手を拭う。そしてドアノブに手を掛けると、がちゃりと押し下げた。

 がっ。

 

「――ん?」

 

 何かに引っ掛かったように動かないドアに、杏は首をかしげてドアノブに目を遣った。鍵は掛かっていないし、引き戸なので何かに遮られるということも無い。

 

「もしかして壊れた? ――ねぇ、誰かー!」

 

 ドアの向こうに呼び掛けるが、返事は無い。リビングからはそう離れていないはずなので、杏の声が聞こえていないはずはないのだが。

 

「ちょっとー、誰か聞こえないの――」

 

 がしゃああああああん!

 

「――――!」

 

 ドアの向こうから聞こえた、ガラスか何かが割れるような音に、杏は目を丸くして息を呑んだ。明らかにただ事ではない状況に、杏の表情にも焦りが見える。

 

「ねぇ! 誰か! ドアが開かないんだけど! ねぇってば!」

『――ウゴクナ』

「――――!」

 

 すぐ耳元から聞こえてきた少女の声に、杏はすぐさま後ろを振り返った。もちろん彼女の後ろには先程まで自分が使っていた便器しかなく、そこには誰の姿も無いし、誰かが隠れられるようなスペースがあるはずもない。

 

「……随分と手の込んだ冗談だね。あの映画を観ていて臆病になってると思った? だけど残念だね、杏は別に幽霊とか怖くないんだよ。だからこんな悪戯は止めて、杏をここから出してくれないかな?」

 

 口ではいかにも余裕そうな言葉を発しているが、その表情はどこか引き攣っており、こめかみからは冷や汗が一筋流れ落ちていた。

 と、そのとき、

 

『――ウバウナ。ウバウナ』

 

 再び少女の声が聞こえてきた。誰の姿も見えず、しかし耳元で囁かれているようにはっきりと聞こえるその声に、杏は口を引き結んでトイレ中を睨みつけるように見渡す。

 それと同時に、頭の中で先程の声について考えを巡らせる。

 

 ――ウバウナ……。もしかして「奪うな」って言ってる……?

 

 

 

「何々! もう、何が起こってるの!」

 

 一方その頃、杏以外の面々も混乱の極みに達していた。

 リビングと隣接しているキッチンで突然皿が割れたと思いきや、今度は部屋全体がガタガタと揺れ出した。まさか地震かと思った彼女達は、杏のことが気になったものの身の安全が第一と考え、即座にリビングの大きな窓から庭へと飛び出した。

 そして、揺れているのが李衣菜の家だけだということに気がついた。もしも巨大地震だったら庭に出ても立てないほどに不安定なものだが、1歩踏み出した途端まるで先程までの揺れが嘘かのようにびくともせず、周りの家も普段の生活通り静かなものである。

 しかし李衣菜の家へと振り返ると、そこだけ巨大地震に襲われたようにガタガタと家全体が揺れ動いていた。中では皿や窓などが割れる音が響き渡り、杏以外全員外に出ているにも拘わらず照明が点いたり消えたりしている。

 そんな家を眺める彼女達の反応は様々だ。

 

「フ、フヒ……、ポルターガイスト……、初めて見たぞ……」

「おいおい、マジかよ……」

 

 目の前のことが信じられずに呆然とする者、

 

「うわわ、すごーい! ポルガイとか初めてぽよー!」

 

 呑気に笑ってみせる者、

 

「ど、どうしましょう……! 杏ちゃんがまだ中にいるんですけど……!」

 

 中に取り残された杏を心配する者、

 

「うわあああああああああああああ! もおおおおおおおおおおおおおお!」

「ああ、もう! 落ち着け、李衣菜!」

「って、こんなときに電話だと……! ――り、凛さん! 悪いけど、今ちょっと取り込んでるから! じゃ!」

 

 そして恥も外聞も捨てて泣きわめく者と、それを宥める者。

 そんな中、1人だけ特殊な反応を見せる者がいた。

 

「……どうしよう、私のせいで」

 

 ポルターガイストという超常現象ともオカルトとも言える出来事を目の前に、小梅はなぜか沈痛な面持ちで自責の念に駆られていた。


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