怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第21話 『無粋』

 気がついたら、ボクはそこにいた。今思い返してみても、ボクが“この世界”にやって来た瞬間が分からない。

 あの日もボクは、いつものように学校から家へと帰る途中だった。ボクの通学路は何の変哲も無いごく普通の住宅街であり、規格的に造られた平凡な家が整然と建つ光景も、等間隔に並ぶ電信柱と街灯も、もはや数えることも億劫なほどに見慣れたものである。

 しかしあの日のボクは、自分に襲い掛かってくる“違和感”が気になって仕方がなかった。毎日見てきた景色であるはずのそこが、まるで今まで訪れたことの無い異国の地であるかのような錯覚に陥る。

 そんな“違和感”に苛まれながら、ボクは最も見慣れた場所である自宅へと戻ってきた。

 そしてドアを開けて中へ入ると、普段は家で夕飯の用意をしているはずである母の姿が無いことに気がついた。すぐに帰ってくるだろう、と思ったボクは、特に深く考えることなく母の帰りを待った。

 

 日が暮れて夜になっても、母は帰ってこなかった。普段ならとっくに夕食を終えている時間になっても、父は帰ってこなかった。

 

 さすがに不審に思ったボクは、両親を捜すために外へと繰り出した。夜空の星と街灯によって照らされた道路を、ボクは全力で駆け抜けた。住宅街を抜けて駅前の商業地区に差し掛かり、夜の闇を塗り潰すほどに煌々と明かりを放つ店を1軒ずつ見て回る。

 結局両親は見つけられなかったが、その代わりに、散々ボクを悩ませていた“違和感”の正体に気がついた。

 

 この街には、自分以外の人間がどこにもいなかった。

 

 普段は店で買い物する人々、仕事や授業を終えて帰路に着く人々、そして猛スピードで道路を走る車がひっきりなしに行き交うそこには、現在ボク以外の誰も存在していなかった。誰も通らない片側3車線の道路のど真ん中を、ボクは必死になって走り回った。もはや両親でなくても良いから、自分以外の人間を見つけられればそれで良かった。

 しかしどれだけ必死になって探しても、ボクのそんな些細な願いすら叶えられなかった。誰もいない駅前のロータリーで、ボクは途方に暮れて空を見上げた。ボクの気持ちとは裏腹に、夜空の星はとても綺麗だった。

 それからのボクは、宛ても無く街を歩き回った。人間どころか地球上の生物が全ていなくなったのか、遠くから犬の遠吠えが聞こえてくることもない。風が吹く音と自分が地面を踏み鳴らす音しか聞こえない世界で、太陽が地平線から昇り、弧を描いて空を巡り、再び地平線へと姿を消し、代わりに月と星が空を埋める間、自分以外の生物を求めて歩き回った。

 

 そして自分以外の生物が姿を消してから2週間ほどが経過した頃、ボクの頭の中に唐突に疑問が湧いた。

 ボクがこの2週間、一時も睡眠を取らず何も口にしていないのに、一向に眠気や空腹を覚えずに疲れる気配も無いことに。

 

 

「ようやく気づいたのか、遅すぎるぞ」

 

 

 突然背後から聞こえてきたその声に、その少女――アスカは驚愕と歓喜を綯い交ぜにしたような表情で後ろを振り返った。

 “この世界”にやって来てから初めて出会った他人であるその少女は、とにかく黒かった。フリルを多用したドレスのような衣装――一般的にゴシックロリータと呼ばれる服に身を包み、差している日傘(夜なのに)も細かい刺繍の施された真っ黒なものを使用し、長い銀髪をツインテールにするのにも真っ黒なリボンが使われている。

 

「……君はいったい、誰なんだ?」

 

 アスカが少女に尋ねると、少女は大きな手振りで腕を組み、顎に指を当てて首を横に振った。誰がどう見ても、嘆かわしく思っていることが分かる仕草である。

 

「我が名を知らぬというのか。これは想像以上に重症だな」

「……どういうことだい? 君はボクを知っているのか?」

「知らないはずがなかろう。随分と当たり前のことを訊くのだな」

「……“この世界”にボクを招き入れたのは君かい?」

「招き入れた? 言葉は正しく使うべきだ。お主は招かれたのではなく、“帰ってきた”のだから」

 

 少女の言葉に、アスカは訝しげに眉を寄せた。

 

「帰ってきた? どういうことだい? 生憎だが、ボクにはこんな世界に来た記憶は無い」

「らしいな。だから今“この世界”は、こんなにも殺風景だ」

 

 人っ子1人いない周りの景色を眺め、少女は大きく溜息を吐いた。

 

「まぁ良い。時間は無限だ、ゆっくりと記憶を取り戻すところから始めようではないか。それにはまず、この殺風景な街を破壊しなければならない」

「街を破壊するだって? 無茶を言わないでくれ。こんな広い場所、どうやって壊せって言うんだい?」

「それをお主が訊くのか。――手元を見るが良い」

 

 少女の言葉に釣られて、アスカが自分の手元を見遣る。

 彼女の手にはいつの間にか、柄が自分の身長ほどもある大きなハンマーが握られていた。

 

「どういうことだ? こんな物、さっきまでどこにも無かったぞ!」

「随分とつまらないことに囚われるのだな。どうやら現実世界に蔓延る“常識”の影響で、かなり思考が制限されているようだ」

「何だって……?」

「確かに今のお主だけでは、そのハンマーで街を破壊することは厳しいだろう。だがここには大勢の“協力者”がいる。その者達と力を合わせれば、この街を破壊することなど容易いことだ」

「“協力者”だって? ここにはボクと君しかいないのに、そんなのどこにも――」

「いつまで“常識”を引きずっているつもりだ? ここに来た時点でそんなものが通用しないことくらい、お主はとっくに分かっているはずだ。――今から“協力者”達が空間の壁に揺さぶりを掛ける。その壁を目掛けてハンマーを振り下ろせば、街は破壊されるはずだ」

「空間の壁? いったい何を――」

「全てを逐一説明してやるほど、我は親切ではない。――“協力者”達よ、始めるが良い!」

 

 ――SHOUT!――

 

 その瞬間、どこからともなく歓声が聞こえた。数にしておよそ数百ほどにもなるその歓声は、その大半が『ランコ』と叫んでいるが、『アスカ』と叫ぶ者もけっして少なくはない。

 そして歓声が起き始めて数秒後、街の景色が地震でも起こったように震えだした。一瞬驚きの表情を浮かべるアスカだったが、すぐに慌てたようにハンマーを振り上げて、それを思いっきり振り下ろした。

 

 ガシャンッ!

 

 ガラスの割れるような音と共に、街の景色に大きなヒビが入った。それはまるで、街の映像を映し出していたスクリーンに亀裂が走ったかのような光景だった。

 未だに止まぬ歓声の中、アスカが再びハンマーを振り上げた。

 

 ガシャンッ!

 

 先程よりもヒビが大きくなり、それに呼応するように歓声も大きくなる。

 アスカがハンマーを振り上げた。

 

 ガシャンッ!

 

 もしもこれがガラスだったら、あと一振りすれば砕け散るほどにまでヒビが広がった。

 最後の仕上げとばかりに、アスカが一際大きくハンマーを振り上げた。

 

 バリイィンッ!

 

 盛大にガラスが砕け散る音と共に、街の景色もガラスのように砕け散って姿を消した。

 そして代わりに現れたのは、宇宙だった。

 前後左右上下、どこを見渡しても漆黒の闇が広がっていて、無数の星がその闇に浮かぶように散らばっている。さらに遠くに目を凝らしてみると、惑星や人工衛星、天の川のような星の集まりも見て取れる。

 そしてそんな空間を、白く輝く階段が貫いていた。それは上へ上へと果てしなく続いている。あまりにも長く続いているため、先の方が霞んで見えなくなっている。

 あまりの出来事に頭のついていかないアスカは、助けを求めるように後ろを振り返った。

 そこにはもう、少女の姿は無かった。

 

「……とにかく、この階段を昇ってみよう」

 

 アスカはそう言って、先の見えない長い階段を昇り始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

 ステージのスクリーンに映るのは、宇宙に浮かぶ白い階段を昇る飛鳥の姿だ。宇宙や階段はCGで制作されているが、その階段を昇る飛鳥は実写である。映像の中で彼女は、先の見えない階段を時折見上げて憂鬱そうに溜息を吐くが、それでも足を止めることなく歩みを進めていく。

 そんな彼女を応援するように、フロアに音楽が流れ出した。彼女の前途に待ち受ける困難を予期しているかのように不気味で、それでいてその困難を振り払うかのように力強いストリングス中心の楽曲に、フロアの観客も徐々にテンションが上がっていく。

 そしてステージ脇から蘭子が姿を現したことで、観客のテンションは最高潮に達した。蘭子はちらりとフロアに目を向けるのみで、ステージ中央に置かれた、金属の突起物が左右に2本ずつ(計4本)とその中央にノートパソコンが取りつけられたキーボードへとまっすぐ歩いて行く。

 

 346プロの池袋晶葉特製の楽器“レーザーハープ”の正面に立った蘭子は、パソコンを操作して、ハープの弦に見立てたレーザーを出現させた。そして実際にハープを奏でるようにそのレーザーを指で弾くと、それに合わせてギターの音が鳴った。ストリングスに混じって異質な音を放つエレキだが、その不安定感がむしろ観客達の高揚感を生み出し、これからに対する期待感を煽られる。

 そうして始まったのが、蘭子の2nd(セカンド)アルバム『冒険物語』でも1曲目に収録されている『星の階段』だ。力強く歌い上げる彼女の姿は、映像の中で奮闘する飛鳥を激励しているようにも見える。おそらく背後で流れる映像とセットで観ることで、そのような印象を抱くのだろう。

 

 その後も立て続けに2曲披露したところで、ライブは物語パートへと移行した。それに合わせるようにスクリーンの映像が消え、蘭子の背後に組まれた階段のセットを昇る飛鳥が現れ、フロアから歓声があがる。

 そんな彼女が、階段の先に何かを見つけた。それは建物にあるようなごく普通のドアであり、宇宙空間のような場所においては却って異様な物に見える。階段を踏み外さないように裏側を覗き込むと、階段はドアを境にブツリと途切れている。

 物語上、その階段の下は果てしない宇宙空間である。普通に考えれば、ドアを開けて足を踏み入れた瞬間に真っ逆さまだ。

 しかし飛鳥は、けっしてそうならないという根拠の無い自信があった。飛鳥はその自信を拠り所に、何の躊躇いも無くドアを開けてその向こう側へ――

 

 

「おいおい、いつになったら加蓮ちゃんは出てくるんだよ!」

「こっちは奈緒ちゃんに会えるのを、朝からずっと待ってんだぞ!」

「さっさとこんな前座を終わらせて、早く本番始めてくれませんかねー!」

 

 

 突然フロアから聞こえてきたそんな声に、観客が一斉にそちらへと顔を向けた。今まさにドアを開けようとしていた飛鳥も、ノートパソコンを操作して次の曲に備えていた蘭子も、思わずその動きを止めて顔を上げる。

 そこにいた3人組の男達は、服装こそは周りと変わらず目立たないものだが、その態度が周りと比べて実に目に余るものだった。如何にも嫌味ったらしくニヤニヤと笑みを浮かべ、ポケットに両手を突っ込むその姿は、アイドルのライブを楽しむ姿勢にはどこまでも似つかわしくない。

 

「あーあ、せっかく奈緒ちゃんに会えると思ったのになぁ!」

「双葉杏も全然顔出さねぇじゃんか。本当は名前を貸してるだけで、実際には何もしてないんじゃねぇの?」

「マジかよ、詐欺じゃねぇか!」

 

 ライブ中にも拘わらずゲラゲラと大声で笑う彼らに、周りにいる観客が怒りを顕わにする。

 

「おい、てめぇら! いい加減にしろ! 今はライブ中だぞ!」

「文句あるなら、さっさと出てけよ!」

 

 彼らの怒りももっともだ。自分達がライブを楽しんでいるというのに、横から水を差すような真似をされているのだから。現に先程まで高揚していたフロアの空気は、3人組によって白け始めている。

 しかしながら、その観客の怒りによって場の空気が悪くなっていることも、残念ながら事実であった。3人組もそれを分かっているのか、わざと相手の怒りを煽るような言葉を吐いている。

 そしてフロアの端っこにいる観客が、小さく首を振って後ろを振り返った頃、

 

『あーあ、せっかく奈緒ちゃんに会えると思ったのになぁ!』

 

 つい先程聞いた野次がフロア中に響き渡り、観客達は咄嗟に3人組へと顔を向けた。しかし当の彼らが、一番戸惑うように目を丸くしていた。

 

『双葉杏も全然顔出さねぇじゃんか』

 

 そして再び聞こえてきた野次に、観客はそれが録音されたものであることに気がついた。

 一斉に、ステージへと目を向ける。

 

『マジかよ、詐欺じゃねぇか!』

『実際には何も――』

『あーあ、せっかく奈緒ちゃん――』

『詐欺じゃねぇか!』

『いい加減にしろよ! 今はライブ――』

『あーあ、せっかく奈緒ちゃん――』

『さっさと出てけ――』

『奈緒ちゃん――』

『あーあ――』

 

『さっさと『奈緒ちゃん『あーあ『さっさと『奈緒ちゃん『あーあ『さっさと『奈緒ちゃん『あーあ『さっさと『奈緒ちゃん『あーあ――

 

 ステージでは蘭子が右手で4本のレーザーハープを次々と弾きながら、左手でノートパソコンをいじっていた。先程の言い争いをいつの間に録音し、そしてシステムに組み込んだのか、蘭子の手によって先程まで聞き苦しかった言い争いが独特のリズムを持ち始めた。

 

「どういうことだ、これは? せっかくドアを見つけたというのに、まるで開かないではないか」

 

 そして階段の上では飛鳥が、大きな手振りを加えて嘆きの演技をしてみせる。これ見よがしにドアを大きく揺さぶって、フロアの観客にドアが開かないことをアピールする。

 そんな飛鳥の疑問に答えるのは、せわしなくレーザーハープを操る蘭子だった。

 

「どうやら“協力者”の中に、裏切り者がいるらしい。ドアが開かないのはそいつの仕業だ」

「おいおい、だったらどうやってこのドアを開ければ良いんだい? いつまでも階段でこの姿勢でいるのは、さすがに少しキツイものがあるんだが」

 

 少々メタの入った飛鳥の発言に、先程まで言い争いをしていたフロアから笑い声が漏れた。

 

「仕方ない。本当はもう少し後の試練を乗り越えるために用意したものなのだが、特別にこの場面で使用する許可をやろう。まだ理性の濁っていない“協力者”に、どちらの“声”でこの耳障りな声を打ち破るか決めてもらおう」

 

 蘭子の台詞と共にスクリーンに映し出されたのは、0から10まで数字の書かれたメーターと、選択肢を示す2つのアイコンだ。1つはキノコのマークとギター、もう1つはコミカルな幽霊のマークと両手を頬に付けて叫ぶ人の2種類である。

 そして観客の叫び声の大きさによって選ばれたのは、キノコとギターの方だった。

 

 ギュイイイイイイイイイイイイイイイイイン――!

 

 その瞬間、まるで悲鳴のような甲高い音を掻き鳴らしながら、星輝子が舞台袖から姿を現した。今の彼女は、普段ステージに上がるような如何にもメタルらしい攻撃的な衣装とはまるで違う、白いシャツと黒いタキシードのコントラストが眩しい、まさに“男装の麗人”といった表現が相応しい風貌だった。

 しかしながら、普段のライブでも使っている真っ赤なギターから繰り出されるのは、普段のライブにも劣らない激しいものだ。タキシード姿で長い銀髪を振り乱し、メチャクチャに音を歪ませる彼女のパフォーマンスに、フロアからも歓声が沸き上がる。

 

 そして輝子が一際大きくギターを振り上げた瞬間、ガラスの割れるような音がフロア中に響き渡り、ギターの後ろで鳴っていた野次がブツリと途切れた。そしてステージに組まれた階段の上では、飛鳥が先程まで開かなかった(ということにしていた)ドアを勢いよく開け放った。

 

「さて、先へ進むとしよう」

 

 飛鳥のその台詞を皮切りに、スクリーンに新たな映像が映し出された。

 そうして再び進行し始めたストーリーに、観客はつい先程までの騒動も忘れて見入っていた。

 野次を飛ばしていた客は、とっくに姿を消していた。

 

 

 *         *         *

 

 

「むー! むー!」

「蘭子……、少しは落ち着いたらどうだい?」

 

 本番でこそ凛々しい表情を浮かべてトラブルを乗り越えてみせた蘭子だったが、ライブが終わって楽屋に戻った途端に頬を膨らませて怒りを顕わにし始めた。もっとも、些か迫力に欠けるために小動物が威嚇しているような可愛らしいものなのだが。

 とはいえ、飛鳥としてもそのままにしておく訳にはいかない。なので彼女は蘭子の隣に座り、苦笑混じりに蘭子を宥めていた。

 

「フヒヒ……。災難だったな、2人共……」

「でも2人共、アドリブでその場を切り抜けるなんて、凄い……」

「本当ですよ! ナナだったら、パニックになって何もできなかったかもしれないですね!」

 

 そしてそんな2人の様子を見守っているのは、ステージ衣装から私服に着替えている輝子・小梅・菜々だった。ステージでのトラブルについては、舞台袖にいた輝子や小梅はもちろん、楽屋でテレビ越しに鑑賞していた菜々も周知のことである。

 

「ボクだって、最初はかなり戸惑ったさ。ライブの段取りが頭から抜け落ちそうなほどにね。――だけど蘭子が機転を利かせてくれたからこそ、ボクは心を落ち着かせることができたんだ」

「……それは我とて同じだ。親友と共に舞台に立っていたからこそ、親友と共にあの装置で戯れていたことを思い出し、実行することができた。親友がいなければ、我はあのまま何もできずに佇んだままだっただろう」

 

 蘭子が今日のライブで使用した、その場で録音して機材の音声に組み込む機能は、あの機材の開発者である池袋晶葉が単なる遊びで付けたものだ。今までライブで使用したことはなく、せいぜいリハーサルのときに飛鳥と共にスタッフの声を録音して遊んでいたくらいである。

 だからこそ2人は、あの場で即座にその機能を使ってトラブルを乗り越えることができたのだろう。互いを信頼する2人の仲睦まじい様子に、菜々達3人も自然と顔を綻ばせる。

 しかしそれも、今日のライブを振り返ることでスッと消えた。

 

「それにしても……、今日はああいう内容の野次が多かったですね……。ナナのライブではありませんでしたけど、平日にカフェで働いてると、わざと周りに聞こえるようにあんなことを話す人に出くわしますよ……」

「確かに、輝子さんや小梅さんのライブでも見掛けたね。もっとも、2人だって上手くあしらってたみたいだけど」

「そ、そんなことないぞ……。私は野次にムカついたから、思わず大声で怒鳴っちゃった……」

「いやいや、輝子さんの場合はそれで良いんだって。事実、それで盛り上がったんだから」

 

 蘭子の直前に行われた輝子のライブでも、先程のような野次を飛ばす観客がいた。しかし輝子の場合は「せっかく金払って野次飛ばしに来たんだから、もっと大きな声で叫べよ!」と怒鳴り返したのである。

 普通ならば悪手なのだが、彼女の場合はパフォーマンスの方向性も相まってさらなる盛り上がりを見せたのである。結局その観客は、周りの迫力に圧されてすごすごとフロアを退散していた。

 ちなみに本日最初に出番のあった小梅の場合、彼女が何かしらの反応をする前に突然ステージの照明が切れ、その瞬間に野次を飛ばした観客が悲鳴をあげ、観客を掻き分けながら大慌てでフロアを出ていった。観客達は不思議そうにしていたが、小梅が再び歌い始めたことでどうでもいいと思ったのか、再び元の盛り上がりを取り戻していた。

 

「有名になるということは、ファンが増えると同時にアンチが増えることも意味している。だからそういう反応が起こるのも想定して、ある程度割り切ることも必要なんだろうけど……」

「ナナとしては、悲しいですよ……。ナナ達を応援してくれている人達の水を差すような真似をするなんて……」

 

 顔を俯かせてそう呟く菜々に、その場にいる全員が無言で肯定した。自然と、楽屋を重苦しい空気が包み込んでいく。

 と、そのとき、

 

「何か楽屋が暗いなって思ったら、随分と辛気臭い話をしてるね」

 

 若干呆れの色を含ませた様子の杏が、ノックもせずに楽屋へと入ってきた。杏の後ろには、相変わらず感情を表に出さないこずえの姿もある。

 そして2人と一緒に入ってきたのは、気まずそうに口を引き結ぶ奈緒と加蓮だった。

 

「悪いな、みんな……。アタシ達のせいで、何か劇場の雰囲気を悪くしちゃって……」

「何を言ってるんですか、奈緒ちゃん! ああいう人だってたまにはいますよ! そんなに気にしないでください!」

「でも私達が移籍してこなかったら、ああいう人達がここに来ることは無かったと思うし……」

「それはどうだろうね。ああいう輩は、常に自分にとって都合の良い攻撃対象を探しているものさ。たとえ奈緒さんや加蓮さんが来なくとも、いずれああいう輩はやって来たと思うよ」

「そうそう、飛鳥ちゃんの言う通り」

 

 杏の言葉に皆が彼女へと視線を向けると、彼女は既に楽屋で一番大きいソファーに寝そべっていた。重苦しい空気に包まれた部屋で誰よりもリラックスする杏、そしてそんな彼女の隣にぴったりと寄り添って腰を下ろすこずえの姿に、部屋の雰囲気が若干和らいだ気がした。

 

「杏が現役のときにも、ああいうのはよく見掛けたよ。ライブならまだしも、ファンクラブ限定のイベントにまでやってきて野次を飛ばすなんて“猛者”もいたくらいだし」

「つまりそれって、自分の嫌いなアイドルのファンクラブにわざわざ入って、野次を飛ばしに来てるってこと?」

 

 信じられない、と言いたげに目を丸くする加蓮に、杏は苦笑を浮かべ、

 

「ところが実際いるんだよねぇ、野次を飛ばすことに並々ならぬ情熱を注いでる人間ってのは。――ちなみに野次を飛ばしてるからって、そのアイドルのことが嫌いとは限らないからね?」

「えぇっ? どういうことですか?」

「さっき飛鳥ちゃんも言ってたでしょ? ああいう人が求めてるのは“攻撃対象”なんだよ。つまり相手に対して重視してるのは『攻撃しやすいかどうか』だけで、相手に対する好き嫌いとかがそもそも存在しないんだよね」

「フヒヒ……、筋金入りだな……」

「我の目をもってしても、いまだ知り得ぬ世界があるということか……」

 

 口調は難解ながらも表情は実に分かりやすい嫌悪感を顕わにする蘭子に、飛鳥は苦笑混じりで「別に一生知らなくて良い世界だよ」と呟いた。

 

「だから“ああいう人達”はどこにでもいるものだって割り切って、上手いあしらい方を考えた方が良いんだよ。――そういう意味では、輝子ちゃんのやり方は本人のキャラとも合ってるし良いと思うよ」

「フヒヒ……、良かった……」

「蘭子ちゃんと飛鳥ちゃんは、アドリブであそこまで対処したのは素直に凄いと思う。問題点を挙げるとするなら、あまり多用するとそういう“文化”が生まれちゃって面倒臭いことになる、ってくらいかな」

「うむ、了解した」

「分かったよ」

 

 杏のアドバイスに、2人は素直に頷いた。

 と、小梅が杏の袖をチョイチョイと引っ張った。

 

「ねぇ、杏さん……。私は……?」

「小梅ちゃんは……、うん……」

 

 目を逸らして口を噤む杏に、小梅はキョトンとした表情で首をかしげた。そんな2人の姿に、他の皆も苦笑いを浮かべるばかりである。

 

「さてと、辛気臭い話はこれで終わり。ここからは楽しい話をしようよ。――蘭子ちゃんに、お仕事の依頼が来てるんだけど」

「むっ。我にか?」

 

 自分の名を呼ばれ、蘭子が若干緊張した表情となった。今までは皆と一緒にやる仕事ばかりだったので、自分1人だけで乗り越えなければいけないことに不安を感じているのかもしれない。

 

「そんなに身構えなくて良いよ、そんなに難しい仕事じゃないんだから。――デビューして少しした頃に、“月刊アイドルマスター”って雑誌のインタビューを受けたことは憶えてる?」

「もちろん憶えてますよ! 何てったって、あの善澤さんのインタビューですからね!」

 

 杏の質問に真っ先に答えたのは、興奮して鼻息を荒くする菜々だった。確かにあのインタビュー記事の仕事が来たとき、彼女が一番喜んでいたことを杏達は思い出した。

 

「アタシ達も何回か取材してもらったことあるけど、やっぱり善澤さんって凄い人なのか?」

「凄いなんてものじゃないですよ、奈緒ちゃん! 杏ちゃんを始めとした“奇跡の10人”が怒濤の勢いで芸能界を駆け上がっていったとき、もっとも346プロから信頼されていた記者が善澤さんですからね! 善澤さんのインタビューによって素顔を見せるアイドル達の姿に、ナナ達アイドルオタクは毎日釘付けだった訳ですよ!」

「お、おう、そうなのか……」

 

 普段からは考えられないほどに早口でグイグイ詰め寄ってくる菜々に、奈緒はすっかり腰が引けていた。それでも菜々は構うことなく、「そもそも善澤さんを一躍有名にしたのは、当時“第1次アイドルブーム”だったときに――」と熱弁していた。

 

「んで、その話を持ち出すってことは、蘭子1人が善澤さんのインタビューを受けるってこと?」

 

 そんな菜々を無視して、加蓮が杏にそう尋ねてきた。

 

「そう。蘭子ちゃんの新しいアルバムが発売されたから、それの制作秘話とかを中心に色々話してもらいたいって内容だったよ。――でも、前みたいなインタビュー方式じゃないんだよね」

「“怠惰の妖精”よ、どういう意味だ?」

 

 何やら含みを持たせた杏の言い方に、蘭子が期待と不安を半々にした複雑な表情となる。

 

「蘭子ちゃんには“或るアイドル”と対談してもらいたいんだって。何でもそのアイドルが元々蘭子ちゃんに興味があって、今回のアルバム発売をきっかけに善澤さんに話を持ち掛けたみたいだよ。んで、善澤さんも面白そうだって思ったみたいで、杏の所に話を持ってきたって訳」

「善澤さんに自分から話を持ち掛ける、ってことは……」

 

 いつの間にやら杏達の話に戻ってきていた(その隣で奈緒が若干くたびれた様子でいる)菜々は、どうやら“或るアイドル”の正体を察したようで、口元のにやけを抑えきれずにいた。

 そしてそんな菜々の様子に他の皆もそれぞれ頭を巡らせ、そして徐々に察していった。菜々も語るようにもはや業界の大物と称しても過言ではない善澤に対して、「一度会って話をしてみたかったから」という理由で自分から企画を提案するなど、それこそ彼と旧知の関係でなければ実現させるのは相当難しい。

 

 例えば、杏のように昔から仕事上での付き合いがある者、とか。

 

「蘭子ちゃんの対談相手は――鷺沢文香だよ」

「――――!」

 

 杏の一言に、蘭子の目が大きく見開かれ、そして輝いた。


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