怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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番外編4 『“天才”に立ち向かう“秀才”の話』

 地元では有名な高級住宅地である、海から程近い小高い丘の頂上に建てられた、白を基調とした開放的でおしゃれな外観をした家。ただでさえ普通よりも広くて大きい家が建ち並ぶ周囲と比べても、その家は他のどれよりも広くて大きい。おそらくそれを見た誰もが“成功者の家”だと評価し、そして実際にそこに住んでいる者の名を聞けばそれが正しかったと確信するに違いない。

 そんな、多田李衣菜と彼女のバンドメンバーが住んでいるその家の地下には、音楽スタジオが丸々1つ入っている。346プロの関連会社である“美城ミュージックグループ”内に設立された李衣菜の自主レーベル“リヰナレコーズ”の本拠地であり、彼女達がライブの練習やセッション、そして新曲のレコーディングやそれに関する打合せをするときに使われる。

 

「…………」

「…………」

 

 現在スタジオにいるのは、多田李衣菜と向井拓海の2人だけ。李衣菜はスタジオのプレーヤーに繋いだヘッドフォンから流れる音楽を聴き、拓海は彼女の正面に座ってその様子をじっと見守っている。

 時間にして数分ほど、しかし拓海にとっては何よりも長い時間を過ごした後に、李衣菜がゆっくりとした動きでヘッドフォンを外した。彼女が音楽を聴き終わったことを示すサインである。

 

「……どうだったよ? アタシ的には、結構上手くいった方だと思うんだけど」

 

 拓海が口元の笑みを抑えきれずに問い掛けるが、李衣菜はなかなか口を開こうとしない。

 いい加減じれったくなった拓海が、ムッとした表情で再び話し掛けようとしたそのとき、

 

「ねぇ、拓海」

「おう」

「これさ、サビを最初に作って、それから少し時間を置いて他の部分を作ったでしょ?」

「…………、おう」

 

 驚きの表情を見せたのは最初の数秒、その後は悔しそうに視線を逸らしながら拓海は答えた。

 

「サビは良いと思うよ。でも他の部分が地味っていうか、何かパッとしない。唐突にサビで盛り上がるから、前半の地味な部分がより際立つっていうか、サビが浮いて聞こえる。間奏の部分も大サビに入るためにただ流してる感じになってるし、その大サビも単純な転調でつまらない」

「…………」

 

 李衣菜が喋れば喋るほど、拓海の目が明らかに鋭くなっていく。もしここに事情を知らない者がいれば、間違いなく彼女に喧嘩を売っていると思うに違いない表情にまでなっている。まぁ、事情を知っている者でも同じ結果になるかもしれないが。

 

「……李衣菜、はっきり言ってくれ」

「え? うん、分かった。――ボツ」

 

 

 

「んだよ、李衣菜の野郎! あそこまではっきり言う必要ねぇだろ! ちょっとは言いにくそうにしろよ!」

 

 階段を昇って広いリビングへと戻ってきた拓海は、ドアを開けるなり大声で怒鳴り散らしながら、ソファーにどっかりと勢いよく座った。ぼすん、と彼女の体重でソファーが沈み、そしてすぐに反発して元へと戻る。

 そんな彼女を出迎えたのは、同じくソファーに座っていた木村夏樹と松永涼だった。

 

「どうせ拓海が『はっきり言ってくれ』とか何とか言ったんだろ? だったらはっきり言うに決まってんだろ」

「あいつ、変なところで馬鹿正直だからな」

「うっせぇ! おまえらはOK貰ったから余裕だよな!」

 

 威圧感たっぷりに叫んでみせる拓海だったが、夏樹も涼も彼女のリアクションに笑うだけで怖がる様子を見せない。

 

「おいおい、アタシ達だって何回もボツ食らってんだよ。拓海よりも早く曲を仕上げてただけだ。とにかくちょっと直しては持ち込み、の繰り返しだよ」

「そうそう。それに1曲作ったからって終わりじゃないだろ。少なくとも1人3曲は作らなきゃ、李衣菜がまた怒っちまうぞ」

 

 涼の口から李衣菜の名前が出た途端、拓海はその不機嫌な顔をますます歪めた。

 

「――ったく! ちょっとひとっ走りして頭冷やしてくる!」

 

 拓海は勢いよく立ち上がると、乱暴に床をどたどた踏み鳴らしながらリビングのドアへと向かっていく。

 しかしドアのノブを掴もうとしたそのとき、ドアが勢いよく開かれたために拓海の手は虚しく空を切った。

 

「あれっ、たくみん? どうしたの、そんな怖い顔して」

 

 ドアを開けてリビングに入ってきたのは、里奈だった。

 

「――何でもねぇよ!」

 

 そして拓海は彼女の横を擦り抜けてリビングを出ていった。驚きで目を丸くして彼女を見送る里奈に、夏樹と涼が苦笑いを浮かべる。

 

「ねぇねぇ2人共、たくみんはどうしたの?」

「だりーからボツ食らって、少し荒れてるんだよ」

「まぁ、いつもみたいにバイク走らせたら気分も収まるだろうよ」

 

 3人がそんな会話を交わしている間にも、外からけたたましいエンジン音が鳴り響くのが聞こえ、そして徐々にその音が小さくなっていった。

 

「さてと、アタシ達もそろそろ新しい曲を作らないとな」

「そうだな。今作ってるやつも形になってきたし、ここら辺で1回だりーに持ち込んでみるか」

 

 2人は特に心配した様子も無く、傍に置いていた自分用のギターを構えながらそう言った。そしてそのまま、おもむろにギターを鳴らし始める。

 しかし里奈は、拓海が出ていったドアをじっと見つめると、

 

「……アタシも行く!」

 

 そう言い残して、勢いよくリビングを出ていった。先程よりも控えめなエンジン音が外から聞こえ、そして徐々にその音が小さくなっていったのは、それから1分もしない内だった。

 

「……拓海がどこに行ったのか、アイツ分かってるのか?」

「まぁ、どうせ“いつもの場所”だろ」

 

 夏樹と涼はそれだけ喋ると、再びギターを鳴らし始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

「……ちくしょう」

 

 自慢のバイクを走らせて拓海が向かったのは、彼女達の家から程近い場所にある海辺だった。今はまだ泳ぐような季節ではなく、そもそも岩が点在しており海水浴に適した場所ではないため、ここには彼女以外に人の姿は無かった。

 だからこそ拓海は、今日みたいなことがある度にここを訪れていた。大きな岩を背もたれにして浜辺に座り込んだ彼女は、際限なく行ったり来たりしている波打ち際や、ごくたまに横断する船以外には何も無い水平線を、何も考えずに無心でじっと見つめている。

 その間、拓海の背後では車の行き交う音が絶えず聞こえていた。防波堤の向こう側に道路が通っているからだが、背もたれにしている大きな岩が目線を遮っているため、道路から拓海の姿が見えることはない。

 なので拓海は誰にも邪魔されることなく、ただじっと海を見つめていた。

 しかし、10分ほど海を見つめていると、

 

「――――ん?」

 

 背後を通っていたエンジン音の1つが、拓海のちょうど真後ろ辺りでふいに止まったのに気がついた。この辺りは交差点も信号機も無く、明確な目的が無い限り止まるような場所ではない。

 何となく気になった拓海が、大きな岩から身を乗り出して後ろを振り返ると、

 

「あっ、たくみん発見! はろはろー!」

「…………」

 

 腕をめいいっぱい伸ばしてブンブンと腕を振る里奈に、拓海は何とも形容しがたい苦い表情を浮かべた。そんな彼女を気にする様子も無く、里奈は小走りで近づいて彼女の隣へと腰を下ろした。

 

「……何しに来たんだよ、里奈」

「たくみんが心配だから来たの。一緒に海見よー」

 

 一切の邪気を感じられない眩しい笑顔を浮かべる里奈に、拓海は複雑な表情をしながらも彼女を追いやることはせず、「勝手にしろ」と小さく呟いてその場に腰を下ろした。

 海から吹きつけてくる風を全身で浴びるように、里奈は大きく腕と背筋を伸ばした。

 

「うーん、風が気持ちいいぽよー! そういえばこの海で泳いだことなかったね! 夏になったら一緒に泳ごうよ!」

「何言ってんだよ。アタシらはアイドルだぞ? こんな人目に付くような場所で泳ぐなんて、そんなの武内さんが許すはずねぇだろ」

「あぁ、そっかぁ……。残念ぽよぉ……」

 

 残念なのを表すように口を尖らせる里奈だったが、すぐに嬉しそうに破顔した。

 

「でもでも、アタシ達もすっかり有名になったよね! ちょっと前まで地元でフツーの女子高生だったのに、何だか不思議な感じだね!」

「…………」

 

 反応を求めるように拓海の方へ身を乗り出す里奈だったが、彼女は何やら苦い表情になるのみで返事をしなかった。しかし里奈はそれを咎めることなく再び海へと顔を向けて、波が行ったり来たりするのを眺め始めた。

 やがて、拓海が口を開いた。

 

「……なぁ、やっぱりアタシ、この仕事向いてねぇよ」

「えー? そんなことないよー」

 

 ニコニコ笑って拓海の言葉を即座に否定する里奈に、拓海はギロリと彼女を睨みつけた。並の人間だったらそれだけで竦み上がるほどの迫力だが、長い付き合いになる彼女にはまるで通じない。

 拓海は大きな溜息を吐くと、再び海へと視線を向けた。

 

「……里奈、こんな所で油を売ってて良いのか? もう曲は作ったのかよ?」

「まだ歌詞は書いてないけど、とりあえずだりなさんには出してみたよ? オッケーだって」

「……もしかして、一発か?」

「うん」

 

 何てことないかのように頷く里奈に、拓海はその表情をますます苦いものにした。

 

「やっぱおまえ、すげぇな。アタシなんて、さっきアイツにボツを突き付けられたばっかだよ」

「えぇ? そんなことないってー。今回はたまたまだし、ボツって言われるのなんてしょっちゅうだよ?」

「“しょっちゅう”ってことは、それだけアイツに曲を提出してる回数が多いってことだろ? こっちは1曲作るだけでもかなり疲れんだよ。――おまえ達とは違ってな」

「…………」

 

 ぼんやりとした目つきで水平線を眺める拓海を、里奈は盗み見るようにチラリと見遣った。

 その表情には、申し訳なさのような感情が滲み出ていた。

 

「……ねぇ、たくみん。やっぱり、迷惑だったのかな?」

「あぁ? 何がだよ」

「アタシが勝手に、たくみんの分の履歴書も一緒に送っちゃったこと」

「…………」

 

 拓海は返事をしなかったが、それでも里奈は話し続ける。

 

「……アタシさ、馬鹿だから昔から何もできなくて、全然自分に自信とか無かったんだぁ。そんな自分を変えたいって思って、でもやっぱり1人じゃ怖いからって、たくみんを勝手に346プロのオーディションに巻き込んじゃって……」

「…………」

「たくみんは優しいからアタシに付き合ってくれたけど……、やっぱり嫌だった?」

 

 怯えるような表情で顔を俯かせ、それでもその視線だけは拓海に向けて里奈は尋ねた。上目遣いなことも相まって、大型犬が耳と尻尾を垂らしてご主人に許しを乞うているように見える。

 拓海はそんな里奈をチラリと見遣ると、一際大きな溜息を吐いた。それに反応してピクッと里奈の体が跳ねるが、それを押さえつけるように拓海の手が彼女の頭に置かれ、乱暴な手つきでガシガシと撫でた。

 里奈の髪がボサボサになった辺りで、拓海は撫でる手を止めた。

 

「……嫌なのを我慢してオーディションに参加するほど、アタシはお人好しじゃねぇよ」

「……成程。つまりたくみんは、アイドルになるのにノリノリだったと」

「ちげぇよ! おまえとならアイドルになっても――あぁもう! せっかく人が真面目に答えてやったってのに!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らす拓海の姿は、普段から見慣れているものだった。そのことに里奈は、にへら、とだらしない笑顔を見せ、拓海はその姿にみるみる勢いを窄めていく。

 そして、ぽつぽつと話し出した。

 

「……っていうか、里奈は別に『昔から何もできなくて』なんてことは無いじゃねぇか。ピアノだって弾けたし、その頃から曲だって作ってただろ」

「ピアノはずっと小さい頃に習ったことあるってだけで、たくみんがギターを弾き始めるまでは触ってもいなかったよ? 作曲だって単なるお遊びだったし。――アタシからしたら、だりなさんとバンドやるようになって初めてドラムと作曲を始めたたくみんの方がずっと凄いと思うよ」

「仕方ねぇだろ。いきなりバンドに入れさせられたと思ったら、ドラムやれだの作曲やれだの言われてよ」

 

 拓海の言葉で昔のことを思い出したのか、里奈が楽しそうに笑い声を漏らした。

 

「最初にだりなさんと会ったときはビックリしたよねー。初めてのレッスン頑張ろー、って思ってたら、だりなさんがいきなり来て、しかもアタシ達のことを連れてっちゃうんだよ?」

「普通に考えなくても、自分勝手で強引すぎるよな。バンドを組むことすら初耳なのに、初ライブまでほとんど時間が無いって言うしな」

「あのときのたくみん、初めてアタシと会ったときと同じくらいトガってたよねー! だりなさんと毎日喧嘩してたし!」

「今も喧嘩するけどな。今日みたいな曲作りでもそうだし、ドラムのことも色々言ってくるし」

「でもたくみん、何だかんだ言ってだりなさんの言うこと参考にしてるよね」

 

 里奈の言葉に、拓海は恥ずかしそうに口を閉ざした。

 

「……どんな無茶振りだって内容自体は納得できるし、アイツは自分ができもしないことを人に押しつけるような奴じゃないからな。だからこそタチが悪いんだけど。――でも別に、全部を参考にしてる訳じゃないぜ? 『ここは譲れない』って思ったら絶対にやらないし」

 

 拓海がそう言って里奈の方をチラリと見遣ると、彼女はニマニマと意味ありげな含み笑いを浮かべていた。

 

「……言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」

「ううん、別に何でもないぽよー。ただ、だからだりなさんはたくみんに遠慮が無いんだろうな、って思っただけ」

「はぁ? どういう意味だよ」

 

 拓海が若干苛立たしげに問い掛けるが、里奈はそれに答えることなくスクッと立ち上がった。服についた汚れを軽く手で払うと、拓海へと向き直って手を差し伸べた。

 

「帰ろう、たくみん? みんなが待ってるよ」

「……あいつらが、そんなタマかよ」

 

 拓海はそう言いながら里奈の手を取り、立ち上がった。

 

 

 *         *         *

 

 

「そういえば、夏樹ってどういう経緯で李衣菜のサポートに入ったんだ?」

 

 リビングのソファーでギターを弾いていた涼は、隣で同じようにギターを弾いていた夏樹にふいに尋ねた。

 

「どうしたんだよ涼、いきなり」

「いや、そういや聞いたこと無かったなって思って。夏樹ってこのバンドに入る前は、李衣菜のソロライブでサポートやってたんだろ? そもそもどうやって李衣菜と出会ったんだ?」

 

 夏樹は首をかしげて「話したこと無かったっけ?」と呟くと、少しの間考える素振りを見せて口を開いた。

 

「アタシは元々、高校の軽音楽部でバンドをやってたんだよ。アタシはギターとボーカルで、一応オリジナルの歌も作ってたんだ。――それである日、学校の近くにある喫茶店でアタシ達がライブをやることになったんだよ」

「喫茶店でライブ?」

「喫茶店って言っても“ロック喫茶”とか呼ばれるようなヤツで、時々テーブルとかを移動してバンドを招いたりするんだよ。そんなだから50人くらいしか入れないような小さなフロアだし、客と出演者が同じ入口を使うから、ライブをするときは客を掻き分けてステージに行かなきゃいけないんだ」

 

 夏樹の話を聞きながら、面白そうな喫茶店だな、と涼はぼんやりと考えた。

 

「んで、そのときのライブも客を掻き分けながらステージまで上がって、一通りライブをやって、また客を掻き分けて出ていこうとしたんだ。そしたら『すっごい良かったよ! 最高だった!』ってやたらボディタッチしてくる馴れ馴れしい客がいてな。それ自体は嬉しかったし、こっちもテンション上がってたから、礼を言おうと思ってそっちに顔を向けたんだよ。――そしたら、そいつがだりーだったんだ」

「マジかよ! それは凄いな!」

「なっ? 普通に考えても有り得ないだろ? 天下のトップアイドルが、たかが高校生バンドの学園祭レベルのライブを見に来てたんだぜ? しかもその後にアタシの所にまでやって来て、『自分のライブでギターを弾いてほしい』って誘ってきたんだ」

「おぉっ、何だかドラマチックじゃんか!」

「正直バンドの活動も楽しかったから迷ったんだけど、当時のメンバーが後押ししてくれてな。だからアタシはだりーの誘いを受けて、サポートメンバーとしてツアーを回るようになったんだ」

「へぇ、成程なぁ……。ってか、そう考えると夏樹が一番の先輩になるってことか」

 

 涼のからかい混じりの言葉に、夏樹は「おいおい、ほとんど変わらねぇだろ」と苦い顔をした。

 

「そういう涼は、確か最初は武内さんにスカウトされたんだっけか」

「そうそう。アタシも夏樹と同じで、高校の軽音楽部でバンドを組んでたんだよ。担当はボーカルで、一応リーダーだったんだ。んで、部活のOGがやってるライブハウスで()らせてもらってたときに、たまたまそれを観てた武内さんにスカウトされたんだ」

「へぇ、アイドルのプロデューサーって、そういう場所にも行ってるんだな」

「時間が空いてて近くでそういうイベントがあるときは、積極的に顔を出してるって言ってたな。――んで、ボーカルに惹かれてスカウトしたってこともあって、武内さんもソロのボーカリストとして売り出す予定だったんだ」

 

 涼はそこまで話したところで、ふいにプッと笑みを漏らした。

 

「だけどある日、李衣菜が突然アタシらの所にやって来てな、自分のライブにアタシを使わせてくれって言い出したんだよ」

「えっ? だってボーカリストとして346プロに入ったんだろ? 何か楽器はやってたのか?」

「一応ギターは少しだけ。でも人前で聴かせられるレベルだとは思ってなかったし、しかも持たされたのはベースだったからな。なんで呼ばれたのか全然分かんないから、前に李衣菜に訊いてみたんだわ」

「だりーは何て?」

「『ティンと来たから!』だってさ。訳分かんないだろ?」

 

 そう言って笑う涼の表情は、例えるならば“手の掛かる子供について話すときの親”といった感じだった。そしてそれを聞いているときの夏樹の表情は、例えるならば“他の親の話を聞いて自分の子供を思い浮かべるときの親”といった感じだった。

 と、そのとき、

 

「ふいーっ! ちょっと休憩ぃ!」

 

 地下室の階段を勢いよく駆け上がり、そのままリビングに飛び込んできた李衣菜は、その勢いのままキッチンへと入っていった。

 冷蔵庫のドアを開け閉めする音の後に再び姿を現した彼女の右手には、水滴が表面に付くほどにキンキンに冷えた缶ビールが握られている。

 

「おいおい、昼間っからビールか?」

「良いじゃーん、さっきまでユニット用の曲を作ってたんだよ。“仕事の後の一杯”って、何だかロックじゃない?」

「どんな理屈だよ。むしろ大人に憧れる子供じゃねぇか」

 

 夏樹のツッコミも無視して、李衣菜はカシュッと小気味良い音をたてて缶ビールを開けると、それに口を付けた。一瞬だけ顔をしかめるも、勢いよくそれを飲み干していく。美味しいと感じないなら呑むなよ、と2人は思ったが、どうせ言っても無駄なので口にはしなかった。

 

「っていうか、何だよ“ユニット用の曲”って? アタシらの曲じゃないってことか?」

「うん。面白そうな子を見つけちゃってさぁ、プロデューサーと今西さんに話を通して、その子とユニットを組んでミニアルバムを出してもらうことになったんだよ。曲は私が作って、向こうにそれをアレンジしてもらうの」

「おいおい、今ですらバンドとソロを両方やりながら、他のアイドルに曲を提供してるんだろ? アルバム出すってことはライブもやるんだろうし、大丈夫なのかよ?」

「へーきへーき」

 

 何てことないようにそう言ってのけ、李衣菜は空になった缶をゴミ箱に捨てた。おそらく本当に、彼女にとっては何てことないのだろう。

 そんな彼女を眺めていた夏樹は、尋ねずにはいられなかった。

 

「なぁ、だりー。なんでだりーはバンドを組もうと思ったんだ?」

「えぇ? どうしたの、いきなり?」

「いや、だってアイドルとしてめちゃくちゃ成功してたじゃねぇか。ドームツアー回ればチケットも完売だし、他のアイドルに提供した曲も評判良かったし。全部1人でできるのに、なんでわざわざバンド組んだのか疑問に思って」

 

 自分のことを尋ねられているにも拘わらず、李衣菜は腕を組んで真剣に考え込んだ。

 

「そんなこと言われてもなぁ……。“バンドをやりたくなったから”じゃ駄目?」

「駄目ってことはないけど……。というか、李衣菜ってアイドルになるまでにバンド組んだこと無いのか?」

「ううん、あるよ」

「へぇ、そうだったんだ。そいつらとプロ目指そうとは思わなかったのか?」

 

 涼の問い掛けに、李衣菜はあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、

 

「それは絶対にヤダ」

 

 むしろ気持ち良いくらいに断言した。

 

「……そこまで言い切るほどかよ。そんなに嫌な思い出なのか?」

「うん。プロデューサーにスカウトされるまでは、中学とか高校でバンドを組んだりしてたんだけど、どのバンドも全然楽しくなかったよ」

「あれか? よくある“音楽性の違い”ってヤツ」

 

 夏樹の問い掛けに、李衣菜は首を横に振った。

 

「最初にバンドを組んだのは、確か中学校に入ってすぐだったかな? 先輩達が組んでたバンドに入れてもらって、そこでギターをやることになったの。私が一番上手かったから」

「おおっ、すげぇじゃん」

「そんなことないよ。だってその人達、全然楽器弾けないもん」

 

 きっぱりと言い切った李衣菜に、夏樹と涼は何も言えなかった。

 

「全然練習しないから、私が作った曲も全然弾けなくて。私がそれに文句を言ったら『もっと簡単に弾ける曲を作れ』って逆ギレされてさ。今思い出しただけでもイライラするよ」

 

 口を尖らせて不満をアピールする李衣菜だったが、彼女とそれなりに付き合いのある2人は素直に彼女に同情することができなかった。彼女の作る曲は今の自分達でさえ難しいと感じることがあり、彼女は『自分が弾けるんだから相手も頑張れば弾けるだろう』と本気で考えてることを知っているからである。

 

「結局その先輩達は単なる遊びでバンドやってたから、すぐにそのバンドから抜けて、別のバンドに入ったんだよ。コピーバンドだったんだけど演奏は上手かったから、今度は大丈夫だろうって思って」

「……でも、駄目だったと」

「うん。私が曲のアイデアを求めても、全員が『李衣菜の好きにやったら良い』とか『自分達は李衣菜に従うから』とかそればっかり。1人で作ってるのと変わらないし、何だかその人達が“舞台装置”にしか見えなくなったから、結局それもすぐに辞めちゃった」

 

 李衣菜の話を聞いていた2人には、そのときの光景がありありと思い浮かんだ。

 

「んで、だったら自分達で曲を作ってるバンドに入れてもらおうって思って、その学校で一番人気だったバンドに入れてもらったんだよ。元々そのバンドが持ってた“色”みたいなのもあったから、それに合わせるようにして曲も作ってさ」

 

 李衣菜はさらりと言ってのけたが、自分が得意とする路線とは違う曲を作るというのは、なかなか難しいものである。2人も他のアイドルに曲を提供したりするのだが、普段の自分達とは畑違いの曲を作るというのは結構骨の折れる作業だ。

 

「最初は割と上手くいってたと思うんだけど、今まで中心だった子がだんだん曲を作らなくなっていって……。んで、ある日『自信を無くした』って言ってバンドを抜けちゃったんだよね」

「あぁ……」

 

 顔も見たことのない“元”バンドマンの気持ちが、2人には痛いほど分かった。李衣菜と付き合いのある人物でその子の気持ちが理解できないのは、おそらく李衣菜本人だけだろう。

 

「それ以外にも何回かバンドを組んだけど、結局はそのどれかの繰り返しでさぁ……。いい加減バンドは諦めようかなって思ってたときにプロデューサーにスカウトされて、それに乗っかったって感じかなぁ……」

「ふーん、成程ねぇ……。――それじゃさ、なんでアタシ達とバンドを組もうと思ったんだよ?」

 

 涼の問い掛けに、李衣菜はしばらく考え込む素振りを見せて、

 

「……ティンと来たから?」

「武内さんも時々それ言ってるけど、それで全部許されると思うなよ」

「だって仕方ないじゃん! そうとしか説明できないだから!」

 

 頬を膨らませてそう言う李衣菜に、夏樹は「分かった分かった」とそれ以上の追及を諦めた。

 その代わり、“最も訊きたかったこと”について尋ねることにした。

 

「分かった分かった。――それで、アタシ達とのバンドはどうなんだよ?」

「楽しいよ、凄く」

「――――!」

 

 間髪入れない即答に、夏樹も涼も思わず体をピクンッと跳ねさせた。

 

「私が何か言っても頭ごなしに否定しないし、だけど言いなりって訳じゃないし、みんなからも曲だけじゃなくて色々アイデアを出してくれるし。時々意見がぶつかって喧嘩しちゃうときもあるけど、それも含めて全部“楽しい”って感じかな!」

 

 そう言ってニカッと笑う李衣菜に、2人は「そうか……」と返事を濁して視線を逸らした。2人共顔に手を遣っているのは、紅くなっている頬を彼女に見られたくないからだろうか。

 何とも言い難い空気が部屋に流れかけたが、外から聞こえてきたバイクの音がそれを掻き消してくれた。

 

「おっ、拓海が帰ってきたみたいだな」

「里奈の原付が聞こえないってことは……、また置いてかれたか」

 

 夏樹と涼は苦笑いを浮かべ、李衣菜はキッチンに戻って2杯目を手に取った。今度はビールではなく、ジュースのように甘いチューハイだった。

 リビングのドアを開けて入ってきた拓海は、キッチンから顔を出した李衣菜を見て一瞬動揺を見せた。

 

「よっ、拓海。頭は冷えたか?」

「……おう。――李衣菜」

 

 拓海に呼び掛けられ、李衣菜はチューハイを口に付けながら視線を彼女に向けた。

 しばらくの間モゴモゴと口籠もっていた拓海だが、意を決したように李衣菜へと向き直り、

 

「……今日の夜、空いてるか?」

「夜? 大丈夫だよ」

「……さっき出した曲、夜までに直すから」

 

 拓海はそれだけ言い残すと、足早にリビングを出ていった。

 夏樹と涼は顔を見合わせてクスリと笑い、李衣菜はチューハイを呑みながら拓海が出ていったドアをじっと見つめていた。

 

 

 

「うーん、全体的に纏まりは良くなったけど、何か平凡な感じになっちゃったね。これだったら前の方が良かったかもなぁ。――ボツで」

「何なんだよ! どうすりゃ良いのか分かんねぇよ!」

 

 李衣菜の部屋から聞こえてきた怒号に、夏樹と涼は苦笑いを浮かべ、里奈は楽しそうにクスクスと笑った。


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