怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第17話 『変化』

 その女子中学校は“お嬢様学校”として、地元から少し離れた場所でも有名な学校だった。元々は明治の初めに創立された大学が生徒数の拡大に伴って分化したのが始まりであり、その歴史に恥じない格式の高さと教養の深さが自慢であると学校側は豪語している。

 しかし学校側と生徒側で意識の格差があるのはどこも同じで、生徒達が学校の自慢できる点を質問されたとするなら、真っ先に“制服が可愛い”が挙げられるだろう。

 “可愛い”といっても奇を衒ったようなフリフリの飾りを施しているわけではなく、むしろ学校が主張する格式の高さに見合った、首元の赤いリボンがトレードマークのクラシカルな装いであり、まさに“お嬢様学校”と呼ばれるに相応しい上品さを兼ね備えている。

 しかし彼女達も、全てに対して満足しているわけではない。確かに制服は自慢できるくらいに可愛いのだが、校則が厳しいために髪型に制限があり、アクセサリーの類も禁止されている。そのせいでオシャレの幅が極端に狭くなり、だから彼女達は良く表現すれば“上品”、悪く表現すれば“地味”という印象は拭えなかった。

 

 しかし、どのような物事にも必ず“例外”は存在する。

 特に、或る教室の窓際最後方の席に座る生徒とその隣に座る生徒は、その中でも顕著だと言えるだろう。

 1人は光の加減によって銀色にも見える独特の色合いをした長い髪をツインテールのように結び、さらにその毛先を縦方向に巻くという奇抜なヘアスタイルをしていた。しかし整った顔立ちと育ちの良さから来る洗練された所作のおかげか、クラシカルな制服と相まって彼女自体が高級なお人形のような印象を抱かせる。

 そしてもう1人は、毛先を外に跳ねさせた金髪のショートヘアに、もみあげと後ろ髪の辺りから伸びる長いエクステという、こちらもなかなか奇抜なヘアスタイルをしている。その凛々しい顔立ちは中性的でもあり、先程の銀髪の少女と並ぶとそういう“カップル”に見えなくもない。

 現在は、本日全ての授業が終わった放課後。窮屈な想いで過ごす勉強の時間から解放された生徒達の声が、学校のあちこちから溢れかえっている。2人のいる教室もその例に漏れず、仲の良い生徒同士で集まってこれからの予定を話し合ったり、あるいは何の取り留めの無い会話に華を咲かせたり、部活動のために急いで教室を出ていったりしていた。

 

「…………」

 

 しかし銀髪の少女はそんな時間になっても一向に席を立とうとせず、口を引き結んだ緊張の面持ちでじっと机を見つめていた。そしてそんな彼女を、エクステの少女が若干呆れるような表情で眺めていた。エクステの少女が近づいても、銀髪の少女が気づく気配は無い。

 

「……蘭子、もう放課後だよ」

「ふえっ! ――そ、そうか……。すまぬ……」

 

 あからさまに狼狽える銀髪の少女――神崎蘭子の姿に、エクステの少女――二宮飛鳥は苦い表情を浮かべて大きな溜息を吐いた。それだけのことで、蘭子が怯えたようにビクッ! と肩を跳ねさせる。

 

「そんなに怯えないでくれ。謎の罪悪感が生まれそうだ」

「……う、うむ、すまぬ」

「どうしたんだい、蘭子? 今日は何だか様子が変だよ。ボクが声を掛けても上の空だし、授業中も何かに気を取られて“心ここにあらず”といった感じだ」

「…………」

 

 飛鳥に問い掛けに、蘭子は無言で返した。言いにくそうに机を見つめていることが、他のどの返事よりも明確な回答となった。

 

「君が何かを悩んでいるのは、火を見るよりも明らかだ。ならば君の親友を自負しているボクとしては、君の力になりたいと思うのが自然な発想だ。もちろん、君が話したくないと言うのならそれ以上踏み込むことなんてできないけどね」

「…………」

「それとも、君の親友というのはボクの自惚れだったかな?」

「う、自惚れなんかじゃないよ! 私は――」

 

 思わず顔を上げて大声を出した蘭子だが、目の前の飛鳥が笑いを堪えるように口元を押さえて小刻みに震えているのが分かると、蘭子は餌を頬張ったハムスターのように頬を膨らませてそっぽを向いた。

 

「くくく……、ごめんごめん。そこまでムキになって否定してくれるなんて、親友冥利に尽きるというものだ。そんな君だからこそ、ボクは君の力になりたいと素直に思えるんだ」

「…………むぅ」

 

 飛鳥の熱意が通じたのか、蘭子は膨らんでいた頬を萎ませて飛鳥に向き直った。

 そして、ぽつぽつと話し始めた。

 

「……実はね、飛鳥ちゃんにお願いがあるの」

「……お願い、か」

 

 普段の“邪気眼モード”ではない素の口調の蘭子に、飛鳥も自然と真剣な顔つきとなる。

 

「……飛鳥ちゃん、今日時間ある?」

「もちろんだ。付き合うよ」

「うん。じゃあ、もっと静かな場所に行こ」

 

 席を立って教室を出ていく蘭子の背中を眺めながら、飛鳥は彼女の後をついていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロ本社ビルと同じ敷地内にあり、その建物と空中廊下で繋がっているそのビルが、諸星きらりが立ち上げたファッションブランドの本社ビルである。

 元々は現346プロの社長である桐生つかさが、346プロを立ち上げる前に経営していた女子高生向けアパレル会社のブランドの1つとして始まったものだ。“奇跡の10人”の1人であるきらり自身がモデルとして広告塔となったこともあり、現在は346プロの子会社、つまり実質的に美城グループの系列会社として独立するほどに成長した。

 しかし勘違いしないでほしい。確かにきらりがモデルを務めることによる話題性もあったが、きらりの会社がここまで大きくなったのは、ひとえに彼女の作る服がオシャレに敏感な若者の琴線に触れたからであり、紛れもなく彼女のファッションデザイナーとしての実力あってのことである。

 そんな彼女がファッションブランドを始めるきっかけは、まだ346プロが雑居ビルの1フロアを間借りしていた頃から、同期のアイドル達のライブ衣装やステージのデザインを手掛けていたからだ。そしてそれは彼女の会社が大きくなってからも止めることはなく、現在でも346プロのアイドル達をトップアイドルへと導くべくライブ衣装などのデザインを続けている。

 

「はい! できてるよぉ!」

 

 衣装のデザインや製作を行う大きなテーブルが中央に置かれた社長室にて、きらりが実に楽しそうな満面の笑みでそう言いながら、1枚の紙を“彼女”に手渡した。

 

「ふーん、どれどれ……」

 

 そしてその紙を、応接セットであるソファーに寝そべる双葉杏が受け取って目を通した。

 その紙には色鉛筆によって衣装のデザインが描かれており、赤いシルクハットに同色のジャケット、そしてその下はタキシードに似た黒いスーツというものだった。それだけ聞くと男性的な衣装に思えるが、ジャケットの裾から覗く青いフリル生地がスカートを思わせ、さらに中に着るシャツの裾が短くなっているため、タキシードのフロントカットからお腹の辺りがちらりと見えるようにデザインされている。

 

「おぉ、さすがきらりだね。写真を見せただけなのに、もう飛鳥ちゃんに合う衣装をデザインしちゃうなんて」

「うっきゃあ! 杏ちゃんに褒められちゃったにぃ!」

 

 出会ったときから変わらぬ特徴的な口調で、そしてその大きな体をフルに使って喜びを顕わにするきらりに、杏の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。

 するときらりは、ソファーに寝そべる杏の隣へと腰を下ろした。そこは杏の頭のすぐ傍であり、ソファーが沈み込むのに合わせて杏の体がきらりの方へ移動し、きらりがそれを受け止めるような流れで杏の頭を自身の太股へと乗せた。いわゆる“膝枕”である。

 

「とりあえず蘭子ちゃんの“説得”が上手くいったらここに連れてくるから、そのときは改めて微調整とか採寸とかよろしくねぇ」

 

 きらりにされるがままになっている杏の呑気な声に、

 

「……ねぇ、杏ちゃん」

 

 きらりはどこか暗い表情を浮かべて、遠慮がちに口を開いて杏に話し掛けた。

 

「飛鳥ちゃんがライブに出るか、まだ決まってないんだよね?」

「うん、まぁね。でもまぁ、今まさに蘭子ちゃんが説得してることだし、大丈夫でしょ」

 

 杏はそう言いながら、寝そべった姿勢のままきらりに向かって口を開けた。それを見たきらりは、カラフルな包装紙に包まれた飴玉をポケットから取り出して、包装紙を剥がして彼女の口にそっと近づける。そして杏は頭を少しだけ上げて、小鳥が餌をついばむようにその飴玉を口に入れてコロコロと舐め始めた。

 

「あんまー。やっぱ飴は最高だねー。家で舐めてると、菜々さんが『飴ばかり舐めてるとご飯が食べられなくなっちゃいますよ』ってうるさいんだよねぇ。杏のお母さんかって――」

「杏ちゃん」

 

 その見た目や言動に反して非常に人を気遣うきらりが、杏の言葉を遮って話し掛けてきた。杏はそれを咎めることなく、口を閉ざしてきらりの顔をじっと見つめる。

 

「……杏ちゃんは蘭子ちゃんのこと、すっごく信頼してるんだね」

「まぁね。蘭子ちゃんに限らず、事務所の4人は元々実力はあったからね。杏がわざわざ手を貸さなくても、あの4人は色々と考えて動いてくれるから、こっちとしては凄い楽だよ」

 

 実に楽しそうに話しながら飴を舐める杏を、きらりは微笑みを携えながら見下ろしていた。

 その笑顔が不自然なものだと気づけるのは、おそらく杏だけだろう。

 

 

 *         *         *

 

 

 蘭子が飛鳥を連れて案内したのは、彼女達の通う学校から電車で数駅離れた場所にあるスイーツ店だった。甘い香りが表にまで漂ってくるそこは、その匂いに引っ張られるように集まってきた大勢の少女や若い女性、そしてごく少数のスイーツ好きの男性で賑わっていた。

 しかし2人は正面の入口からは入らず、店の横にある小道に入って裏へと回った。蘭子の後ろをついて歩く飛鳥が怪訝な表情を浮かべるが、すぐに納得いったように、そしてこの場を楽しむように笑みを浮かべた。

 どう見てもスタッフ用の出入口にしか見えないドアを開けて、2人は中へと入っていった。両脇に段ボール箱が積み重なる狭い通路を通り抜け、スタッフが忙しなく働く厨房の脇へと差し掛かる。当然ながらこんな場所に入ったことのない飛鳥は、物珍しそうにあちこちに目を遣りながら、蘭子のすぐ後ろに貼りつくようにして歩みを進めていく。

 

 と、そのとき、調理スタッフらしき若い女性が蘭子達の姿を見つけ、驚いたような表情を見せて駆け寄ってきた。ニコニコと満面の笑みで2人を歓迎するその女性に、飛鳥は蘭子の後ろで静かにホッと息を吐いた。

 そうして2人が案内されたのは、スタッフ用の通路からさらに奥まった場所にひっそりと備えつけられたVIPルームだった。広めのボックス席を切り取ったようなその部屋で、蘭子と飛鳥は互いに向かい合うように腰を下ろした。

 

「成程、これが芸能人御用達の“VIPルーム”というヤツか。蘭子もこういう部屋を使うようになったとは、自分のことではないのに何やら感慨深いものを感じるよ」

「……好きなの頼んで良いよ。付き合ってくれたお礼に、私が出すから」

「別に君の頼みならば、いつでも喜んで付き合うんだけどね」

 

 深刻な表情でテーブルの辺りをじっと見つめる蘭子に対し、飛鳥はあくまで微笑を崩さない。どことなく演技臭いその仕草は彼女が普段から行っているものであり、それによって彼女は“本当の感情”をその演技の裏に隠している節がある。

 夕食の時間としてもおかしくない時間帯なので、結局蘭子はオーガニックフルーツのジュース、そして飛鳥はブラックコーヒーを注文した。店員がそれを運んできて、儀礼的な動きで2人が同時に口をつける。

 

「……っ」

 

 飛鳥がほんの少しだけ顔をしかめ、静かにコーヒーカップを置いた。

 それに倣うように、蘭子もジュースの入ったコップをテーブルに置いた。

 

「……飛鳥ちゃんに、お願いがあるんだ」

 

 その瞬間、ぴくり、と飛鳥の肩が跳ねる。腕を組んで改めて座り直し、蘭子の方へと向き直る。その一連の動作はひどくゆっくりで、それはまるで自分の心が落ち着くまでの時間を稼いでいるかのようだった。

 しかしその時間は、蘭子にとっても有難いものだった。

 

「実は今、新しいアルバムを作ってて、もう歌もストーリーも完成しているの」

「何と、それは朗報だね。完成したらぜひとも聴かせてもらうし、ライブにも足を運ばせてもらうとしよう」

 

 飛鳥の言葉に蘭子はホッとするような笑顔を見せ、しかしすぐにその表情を引き締めた。

 

「うん、ありがとう……。それでね、飛鳥ちゃんに頼みがあるんだけど……」

 蘭子はそこで一旦言葉を区切り、何回か大きく深呼吸をして胸の鼓動を落ち着かせた。

 そしてその大きく澄んだ目をまっすぐ飛鳥へ向けて、

 

 

「そのライブで、飛鳥ちゃんに出演してほしいの」

 

 

「……出演というのは、ライブで流すムービーに出るということかな?」

 

 飛鳥の問い掛けに、蘭子は首を横に振った。

 

「今回のライブでも映像は使うけど、飛鳥ちゃんの演じるキャラは実際にステージに立つの。歌ったり踊ったりはしないけど、音楽に合わせて台詞を言ったり演技をしてほしいんだ」

「…………、そうか」

 

 飛鳥の返事に蘭子は大きく頷き、ジュースのストローに口をつけた。果汁独特の酸味と自然な甘みが口の中いっぱいに広がり、乾いていた口内に染み渡っていく。

 そして彼女がコップを置いたタイミングで、飛鳥が彼女へと質問する。

 

「なんでボクなんだい? ボクには演技の経験なんて皆無だし、プロの俳優を招いた方が確実にクオリティも高くなるだろうし、見栄えも良くなるに違いない」

「……実はね、今度のストーリーの主役は、飛鳥ちゃんをイメージして作ったの」

「ボクを?」

 

 飛鳥の問い掛けに、蘭子は力強く頷いた。

 

「主人公の女の子は、小さい頃は空想とか好きで物語を作るのが趣味だったんだけど、次第にそういうことをしなくなっていったの。だけどある日、突然目の前に現れた魔法使い――あ、これが私なんだけどね、その魔法使いに連れて行かれた世界が、その子が昔作った絵本の世界だったの。そこで色々なことを経験しながら現実世界へ戻ろうと奮闘する、って話なんだけど」

「成程、とても興味深い物語だ。なぜボクがその主人公のモデルとなったのかはこの際置いておくとして、なぜボクはムービーではなくステージに立っての出演なんだい? ムービーの方が撮り直しも利くし、失敗も無いだろう?」

 

 飛鳥の質問はもっともであり、だからこそ蘭子が事前に予測していたものである。

 

「前回のライブはムービーを使ってストーリーを進めて、ステージには私1人しかいなかったでしょ? だから今回は私以外の人をステージに立たせて、ムービー以外にストーリーを語る役目の人が欲しかったの」

「成程。前回のライブとの明確な差別化を図った、ということだね」

 

 納得したように腕を組んで頻りに頷いた飛鳥の言葉に、蘭子がパァッと晴れやかな笑顔を浮かべて「そうそう!」と大声で叫んだ。少し話しただけで真意を汲み取ってくれる聡明さが、蘭子が彼女に好意を持っている理由の1つである。

 

「……でも正直、全然知らない人と一緒にステージに立つのは不安なんだ。だから飛鳥ちゃんがステージに立ってくれると、私としても心強いかなって思って」

 

 蘭子はそう言うと口を閉ざし、じっと飛鳥を見つめた。そんな彼女の視線から逃げるように、飛鳥はテーブルのコーヒーに視線を落とし、おもむろにそれを取って口をつけた。ほんの少し顔をしかめ、静かにカップを置いた。

 

「……訊いても良いかな? なんでそこまでボクにこだわるんだ? 知らない人が不安なら、他のアイドル達にその役目を担ってもらうのも1つの方法だ。――それに蘭子も立派なプロだ。個人的な感情のみでズブの素人であるボクを起用しようと思うような性格でないと、短くない期間君と付き合ってきたボクの推測なのだが」

「…………」

 

 飛鳥にとっては当然の質問なのだが、蘭子は答えにくそうにジュースのストローに口をつけた。しかし飛鳥は彼女を急かすことなく、彼女が口を開くのを黙って待っている。

 やがて、蘭子が口を開いた。

 

「……飛鳥ちゃんは、私にとって“恩人”なの」

「……恩人とは、これまた随分と大きな評価を頂いたものだね」

 

 フフッと笑ってみせる飛鳥だが、その“演技”の端々に喜びが垣間見えている。

 

「最初に飛鳥ちゃんが私に話し掛けてくれたときのこと、憶えてる?」

「……あぁ、憶えてるよ」

「私が自分の服装でクラスのみんなに馬鹿にされてたとき、飛鳥ちゃんだけはそれを褒めてくれたでしょ? 私、飛鳥ちゃんのあの言葉があったから、あの服を止めたりしなかったんだ。だから私が今こうして、自分の好きなようにアイドルをやれるようになったのも、飛鳥ちゃんがいたからなんだよ」

「ボクがいなくても、蘭子は自分の望む形で生きていくことができたと思うよ。君は元々、それだけ強い意志を持っているんだから。――それに“恩人”というのなら、それはボクにとっても同じことだ。君がいてくれるからこそ、ボクはエクステをつけて学校に行くことができる。ボクは1人ではこの程度のささやかな抵抗すらできない、とても矮小な人間なんだよ」

 

 飛鳥の言葉は本心からのものだったのだが、蘭子は静かに首を横に振った。

 

「……私はいつも怖いんだ。自分のやっていることが、本当に正しいことなのか。そんなとき、私はいつも飛鳥ちゃんの言葉を思い出すの。飛鳥ちゃんが認めてくれるから、私は安心して自分の好きなことをやれるの。――だからかな、飛鳥ちゃんにいつも近くにいてほしいって思うようになったのは」

 

 蘭子はそう言って、にっこりと微笑んだ。

 

「――――」

 

 杏にスカウトされる前から何回か声を掛けられたことのある彼女の微笑みは、飛鳥の平静を揺さぶるのに充分すぎるほどの力があった。

 

「……えっと、しかしやっぱり、ボクはプロに頼んだ方が良いと――」

 

 飛鳥が何か言おうと蘭子へ視線を向けたそのとき、彼女の目に飛び込んできたのは、今まで以上に真剣な表情でこちらを見つめる蘭子の姿だった。ただでさえ整った容姿の蘭子がそんなことをすれば、同性の飛鳥が息を呑んで言葉を失ってしまうのも無理はない。

 そしてその表情で、蘭子は次の言葉を口にした。

 

「――私は、飛鳥ちゃんと一緒にステージに立ちたいの」

「…………そう、か」

 

 蘭子の視線に堪えきれなくなったのか、飛鳥はフイと顔を逸らして絞り出すような声でそれだけ答えた。普段からクールな言動を心掛けている彼女は今、耳まで真っ赤に染まっている。

 それでもじっと飛鳥を見つめ続ける蘭子に、飛鳥は観念したと言いたげに軽く首を横に振った。

 

「……分かったよ。まさか蘭子の意思がここまで強いとは思っていなかったよ。思わず――いや、何でもない」

 

 何やら口を滑らせかけた飛鳥だったが、そこで言葉を区切って蘭子に向き直ると、

 

「――良いだろう、蘭子。せっかくの“親友”の頼みだ。正直不安な気持ちの方が大きいが、ここは親友の胸を借りることにしよう」

「――うむ! よくぞ言った! それでこそ“同志”よ!」

 

 クールな微笑みを携える飛鳥に、大袈裟な決めポーズを取る蘭子。

 2人の耳は、未だに真っ赤に染まったままだった。

 

 

 *         *         *

 

 

「うん、分かった。それじゃ細かい日程はまた改めて決めるから、今日は2人でご飯食べに行ってきなよ。うん、後で領収書渡してくれれば良いから。大丈夫だって、そんなに遠慮しなくて。“接待交際費”ってヤツだよ。はいはい、じゃあねー」

 

 きらりの会社の社長室で、応接セットのソファーできらりの太股を枕に寝そべっている杏が、その姿勢のまま蘭子との会話を終え、ポケットにスマートフォンをしまった。

 

「上手くいったの?」

「うん。今度は飛鳥ちゃんと一緒に来るから、都合つけてくれる?」

 

 杏の言葉にきらりは「分かったにぃ」と答えながら、胸ポケットから可愛らしいデコが施された手帳を取り出した。

 

「えっと……、今度の月曜の午後が空いてるにぃ」

「んじゃ、飛鳥ちゃんの学校が終わったらここに来るから、そのときはよろしくね」

「うん、分かったにぃ! 杏ちゃん達のために、最高の衣装を作るからねぇ!」

 

 両手の拳をグッと握りしめて、きらりは力強くそう宣言した。

 それを若干苦笑いで眺めていた杏は、「よっこらしょ」と呟きながらきらりの太股から頭を離して起き上がると、

 

「それじゃ、杏もそろそろ帰るね」

「杏ちゃん、もう帰っちゃうの? せっかくだから、一緒にご飯食べよ?」

「悪いけど、菜々さんがもう夕飯作っちゃってるから。事前に外で食べてくるって言わないと、菜々さん怒るんだよねぇ」

「……そっか、それじゃ仕方ないにぃ」

「一緒の食事はまたの機会ということで。それじゃあね、きらり」

 

 ひらひらと手を振って社長室を後にする杏に、きらりは「またね、杏ちゃん!」とその長い腕を懸命にブンブンと振って返事をした。そんなきらりに杏はクスリと笑みを漏らしながら、社長室のドアを閉じていった。

 ドアが完全に閉まり、杏の姿が見えなくなった。

 しばらくは杏を見送ったままの笑顔だったきらりだが、数十秒経った頃にはその笑顔も消え、代わりに眉をハの字にした寂しそうな表情が浮かんでいた。

 

「そっか……、そうだよね……。杏ちゃんも、今はアイドル事務所の社長だもんね……」

 

 きらりはぽつりと呟くと、社長室の一番奥に置かれた光沢のある大きな事務机へと向かい、大きな体のきらりでも余裕のある椅子(背もたれ+肘当て付き)へと腰を下ろした。衣装のデザインや製作を行う大きなテーブルが中央に鎮座し、先程まで杏がいた応接セットが入口に近い場所に置かれている。壁際には海外の雑誌やら古今東西の服飾を纏めた書物など、デザインに関連する資料がびっしりと詰まった大きな棚が並んでいる。

 誰が見ても“立派な社長室”と称されるその部屋が、今の彼女の活動拠点だ。今でもテレビに出てタレント活動することは多いし、モデルとして華々しく活躍することもあるが、今の彼女は“アパレル会社の社長”であり“デザイナー”だ。この部屋でデザインに頭を悩ませたり、様々な人達と打合せすることが必然的に多くなる。

 

「きらりも杏ちゃんも、他のみんなも……、“昔のまま”なんて有り得ないんだにぃ……」

 

 普段とはまるで違う、今にも消え入りそうなその声に答える者は、この場にはいなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「…………」

 

 とあるマンションの一室。

 その部屋の主である、子供のように小さな体に大人らしい大きな胸をしたその女性――片桐早苗は、無言のままリビングの座卓に体を突っ伏したまま動かなかくなっていた。顔の見えないその姿からでも、彼女の全身から疲れ切っているオーラが(ほとばし)っている。

 そして彼女のすぐ傍では、クリーム色の髪にエメラルド色の瞳をした少女――遊佐こずえが、焦点の定まっていない目つきで黙々とシュークリームを頬張っていた。そんな彼女の目の前には、同じシュークリームが山のように積み上がっている。

 

「……駄目だ、もう限界。さすがにこのままじゃまずい」

 

 机に突っ伏したまま、早苗が呻くように呟いた。むくりと起き上がった彼女の目元には、くっきりと隈が刻まれている。

 そしてその疲れ切った目を、こずえへと向けた。視線を向けられてもなお、こずえはその目を何も無い虚空へと向けたままシュークリームを食べ続けている。

 

「……普通なら施設に預けるところだけど、この子が施設で上手くやっていけるのかしら……?」

 

 甘いもの以外は一切口にしようとせず、まともに眠っているところを見たことがなく、そしてときどき脱走を試みる。常にどこを見ているのか分からない目つきに、まともにコミュニケーションを取ることもできない。

 そんな彼女が相手では、いかに警察から信用されている児童養護施設といえども厳しいかもしれない。それに同じ施設に預けられた子供とトラブルになる可能性も大いにある。

 

「ねぇ、こずえちゃん」

 

 視線を向けられてもなお、こずえはその目を何も無い虚空へと向けたままシュークリームを食べ続けている。

 

「こずえちゃんは、今の生活の方が良い? それとも、こずえちゃんと同じくらいのお友達と一緒に暮らしたい? ……それとも、他にこずえちゃんの希望とかあるかしら?」

 

 しかし早苗がそう尋ねた瞬間、こずえはシュークリームを頬張る口と手を止めて、視線だけを早苗の方へと向けた。

 そしてぽつりと、意識を集中させないと聞き取れないくらいのボリュームで呟いた。

 

「こずえ、あんずといっしょー……」

 

 それだけ答えると、こずえは再びシュークリームを食べる作業に戻った。

 

「…………、分かったわ」

 

 早苗はそう答えると、ポケットから携帯電話を取り出してボタンを押し始めた。

 そしてそれを、こずえはシュークリームを頬張りながら眺めていた。


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