怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第16話 『遭遇』

「こずえちゃん、美味しい?」

「うんー……」

「……そっか、それなら良かったわ」

 

 昼下がりの公園は穏やかな日差しが降り注ぎ、そこを訪れる人々を柔らかく包み込み、ゆったりとした時間が流れていく。大きな噴水がランドマークとなっているそこは、平日の昼間ではあるが、散歩に来た親子連れやスーツ姿のサラリーマンなどでそこそこ賑わっている。都会の忙しない空間の中で、この公園はホッと一息吐けるオアシスとして人気のスポットだった。

 そんな公園の一画で、私服姿の早苗とこずえが並んでベンチに腰掛けていた。こずえはたっぷりのクリームとアイスが包まれたクレープを頬張り、早苗はその横で缶コーヒーに口をつけている。その表情には、大分疲れが溜まっているように見受けられる。

 そんな早苗はこずえの方をちらりと見遣ると、大きな溜息を吐いてぽつりと吐き捨てた。

 

「やっぱりこの子、甘いものしか食べないのね……」

 

 こずえを警察で預かるようになってから、今日で2週間ほど。こずえの世話は、その日非番となっている女性警察官が担当することになった。今日は早苗が非番なので、彼女がこずえを預かっている。

 しかしそのたった2週間で、彼女達はこずえの“異常性”に悩まされることとなっていた。

 

 その1つが、“偏食”だった。先程の早苗の台詞からも分かる通り、彼女はこの2週間、とにかく甘い物しか口にしていなかった。それもケーキやアイスやパフェといった“スイーツ”のみであり、もはや甘い物以外を食べ物と認識していないかのようである。

 そしてもう1つが、“不眠”だった。常に眠そうにボーッとしているところから、彼女はよく眠る体質なのかと思っていたのだが、実際はまるで逆だった。早苗達がいくら彼女を寝かしつけようとしてもまったく眠る気配が無く、彼女達が我慢できずに寝落ちしてしまい、次に目を覚ましたときにこずえは既に起きている、という毎日だった。最近は布団に入ってしばらくすると目を閉じてくれるようになったのだが、本当に寝ているのかどうかは甚だ疑問だ。

 そして早苗達を最も悩ませているのが、“逃亡癖”だった。自宅にいれば鍵を開けて出ていこうとするし、外に出掛けて少し目を離した隙にその場から離れようとする。幸いこずえの運動能力が低いのですぐに捕まえられるのだが、早苗の直感としては、もしこずえが本気で逃げようとしたらすぐに逃げられるのではないか、と思わずにはいられなかった。

 そんなこんなで、こずえを預かった女性警察官は、次の日に出勤するときは疲労困憊となっているのがお約束となっていた。そして次にこずえを預かることとなる者は、その日に起こるであろう出来事に憂鬱な気分にならざるを得ないのである。

 

「こずえちゃん、この後はどうする? 公園を見て回ろっか?」

「うーん……」

 

 もごもごと無表情でクレープを頬張っているこずえに話し掛けるが、彼女は曖昧な返事を返すのみだ。このようにまともな会話が成立しないことも、早苗達を悩ませている要因の1つと言えるだろう。

 

 ――でもまぁ、彼女だって親から離れて見知らぬ場所で暮らしてるわけだし、それを考えればこうなることも当然っちゃ当然か……。

 

 早苗はこずえに同情するような視線を向けると同時に、未だに捜索届けすら出さずにいる彼女の両親に憤りを覚えた。彼女を預かった日から頻繁にデータベースはチェックしているし、彼女の特徴的な外見を見落とすはずがない。

 もしかしたら両親は既にいないのでは、とも思ったが、そしたら彼女が通っている学校の教師だったり、彼女が住んでいたであろう施設の職員などが何もしないのはおかしい。結果早苗の憤りの矛先は、まだ顔も見たことのない不特定多数に向けられることとなった。

 

 ――このまま捜索届けが出なければ、多分彼女は施設に預けられることになる……。でもこの子の場合、それで上手くやっていけるかどうか……。とにかく、できる限りはあたし達で面倒を見てあげなきゃね……。

 

 そして彼女を迎えに来た奴を1発ぶん殴ってやるんだ、と早苗は物騒なことを心の中でひっそりと決意した。拳を握りしめて何度も小さく頷く早苗を、クレープを食べ終わったこずえがじっと見つめている。

 と、そのとき、

 

「きゃあっ! 泥棒!」

 

 昼間の穏やかな空気に包まれていた公園に、突如絹を裂くような悲鳴が響き渡った。

 早苗が咄嗟に声のした方へ目を向けると、若い女性が地面に涙を浮かべて座り込んでいるその正面で、がっしりした体型の若い男性が必死な形相で走ってくるのが見えた。彼の左手には、明らかに男性が持つようなデザインではない小さなバッグが握られている。

 

「こずえちゃん! ちょっとそこで待ってて!」

 

 早苗はそう言い残すや否や、すぐさま立ち上がって駆け出した。160センチにも満たない小さな体躯で、胸の膨らみが無ければ幼い顔立ちも相まって子供に見られること請け合いな彼女だが、そのスピードはちょっとした短距離走選手のようであり、彼女はあっという間に引ったくり犯の正面へと躍り出た。

 一瞬驚いたような表情を浮かべる引ったくり犯だったが、相手が自分よりもかなり小さい女性であることに気づくと、すぐさまニヤリと不敵な笑みを浮かべて彼女に突っ込んでいった。

 しかし、彼は気づくべきだった。

 普通は怖じ気づいて動けない場面で、わざわざ自分を捕まえようとやって来た彼女がどういう人間なのかを。

 

「うらぁっ!」

 

 早苗は自分に向かって繰り出してきた彼の右腕の袖を掴むと、そのまま手前に引き寄せながら彼の懐に自分の体を潜り込ませた。同時に体を回転させて彼と自分の背中を密着させると、向こうが殴り掛かってきたときの勢いを利用して彼の体を持ち上げ、そのまま柔道の“背負い投げ”の要領で彼を投げ飛ばした。

 そして背中を強かに打ちつけられた引ったくり犯が怯んでいる隙に、早苗は袖を掴んでいた手を彼の手首へと移し、そのまま彼の手首を逆方向に極めた。非力な女性でも片手でできる関節技であり、仰向けで四肢を投げ出していた引ったくり犯は、その姿勢と手首の痛みのせいでもはや起き上がれなくなった。

 

「ぐっ、ぐあああああああ!」

「午後1時16分、窃盗の現行犯で逮捕! ――そこのあなた、警察呼んで!」

「は、はい!」

 

 たまたま一番近くにいたサラリーマンに大声で呼び掛けると、彼女の気迫に圧倒されたのかすぐさま携帯電話を取り出した。早苗の足元では引ったくり犯が逃げ出そうともがいているが、彼女が手首を締めると悲鳴と共に動かなくなった。

 

「はい、大人しくしてなさいねー」

 

 早苗は笑顔で引ったくり犯にそう呼び掛けながら、先程まで自分がいたベンチの方へと視線を向けた。

 そこには、誰もいなかった。

 

「――えっ!」

 

 すんでのところで、引ったくり犯の手首は離さずに済んだ。

 

 

 *         *         *

 

 

 昼下がりの公園は穏やかな日差しが降り注ぎ、そこを訪れる人々を柔らかく包み込み、ゆったりとした時間が流れていく。大きな噴水がランドマークとなっているそこは、平日の昼間ではあるが、散歩に来た親子連れやスーツ姿のサラリーマンなどでそこそこ賑わっている。都会の忙しない空間の中で、この公園はホッと一息吐けるオアシスとして人気のスポットだった。

 

「待ってくれ!」

 

 そんな中、その場から逃げるように腕を振って走る女性と、必死に息を荒げながら大声をあげて彼女を追い掛ける若い男は、周りの人々の目を一挙に集めるほどに目立つ光景だった。その行動だけでも充分目立つのに、2人共顔立ちが整っているとなれば、その注目度もさらに高まるというものだ。

 特に女性の方は、周りにいる男性だけでなく女性すらも目を惹かれて息を呑むほどの美貌だった。緩くふんわりとした髪は光の加減で深緑に見せる独特の色をしており、左右で微妙に色の違う瞳は涙に濡れて輝いている。女性にしては背の高いその体躯は全体的にスラリとしなやかで、それでいて女性的な柔らかさも兼ね備えた完璧なプロポーションである。

 最初は逃げる女性を追い掛ける若い男という光景が続いていたが、大きな噴水に差し掛かったところで女性がふいに立ち止まった。男性もそこで足を止め、女性とつかず離れずの距離を保って彼女の次の行動を見守る。

 

「……なんで追い掛けてくるんですか? その気なんてないくせに」

 

 やがて女性は小さく肩を震わせながら、消え入りそうな声で呟いた。

 

「そんな……、僕は本当にあなたのことが――」

「それじゃ、さっきの女の人は誰なんですかっ!」

 

 女性のよく通る声が、少し離れた若い男にまではっきりと届いた。今にも消えてしまいそうなほどに儚い印象だった女性から飛び出した、思わず若い男が息を詰まらせて1歩後ずさるほどの声に、周りでそれを眺めていた観衆を「おおっ……」と唸らせる。

 

「あれは、単なる幼馴染みだよ! 君が思っているような関係じゃない!」

「そんなことないわ! あの子と一緒にいるときのあなたの笑顔……、あんな笑顔、私と一緒にいるときには見たことなかった……!」

「そ、それは……、君の誤解だよ!」

「あの子だって、きっとあなたのことを好きに違いないわ……。だって分かるもの……。私と一緒だから……」

 

 女性の声は、瞳から零れる涙と共に震えていた。

 

「……それでもっ! 僕は君のことが――」

「私はアイドルで、あなたはプロデューサー。私と過ごしているときのあなたは、いつも誰かに見られやしないかってビクビクしてた。私はこれ以上、あなたの重荷にはなりたくない……!」

「……ぼ、僕はっ! 君のことを重荷だなんて一度も――」

「それにっ!」

 

 若い男の台詞を遮った女性の大声に、彼はビクッ! と肩を跳ねて表情を強張らせた。

 

「私は、やっぱりアイドルが好きなの……。そして、アイドルのプロデューサーをやっているあなたのことも好き……。もしあなたの恋人になってそれを失うくらいなら、私は……」

「…………」

 

 若い男は、彼女の言葉を否定することができなかった。何か言おうと口を開きかけては、言葉にならずに口を閉じる、という行為を繰り返している。

 そんな彼を見て、女性はフッと優しい笑みを浮かべると、

 

「……また明日、“プロデューサー”」

 

 女性はそう言って、笑った。見る者を惹きつけて止まない、まさしくアイドルに相応しい笑顔だった。

 そうして踵を返し、その場を去っていく女性の後ろ姿を、若い男は最後の最後まで引き留めることができなかった。

 

 

 

「はい、カーット!」

「チェック入りまーす!」

 

 監督の一声を皮切りにスタッフが一斉に動き出し、先程撮ったシーンのチェックに入った。先程女性を見送った若い男はホッと一息吐いて踵を返すと、撮影用カメラの脇を通り過ぎてスタッフの用意した折り畳み椅子へと腰を下ろした。

 アイドルのプロデューサー役を演じていたその男性は、若手の有望株としてにわかに注目を集めている俳優である。爽やかな笑顔が似合うイケメンである彼は若い女性を中心に人気であり、話題のドラマや映画でもよく顔を見るようになった。

 そんな彼は現在、先程(演技として)自分を振った女性へと視線を向けていた。現在彼女は自分と同じくスタッフから用意された折り畳み椅子に座り、台本で次のシーンをチェックしている。

 

「おっ、どうしたの? 楓ちゃんを見つめちゃって。役に入り込みすぎて、楓ちゃんのことが好きになった?」

「ちょっ……! そういうんじゃないですって!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべて声を掛けてきたベテランのスタッフに、若い俳優は慌てふためいた様子でそれを否定した。しかし顔は真っ赤に染まっているため、まだ売れてなかった頃から付き合いのある彼でなくても嘘だということが分かる。

 

「まぁまぁ、思わず惚れるのも無理ないと思うよ? 楓ちゃん、最近ますます磨きが掛かっているからねぇ」

「……俺が学生の頃、ずっと彼女の追っかけしてたんですよ」

「へぇ、そうなんだ。ということは、そのときの憧れの存在と競演してるってことか! 夢があるじゃない!」

「……まぁ、そんな憧れの存在に見事に振られる役ですけどね」

 

 高垣楓。

 7年前に346プロからアイドルデビューした彼女は、当時25歳というアイドルとしては遅い時期でのデビューであった。以前にやっていたモデルの経験と類い希なる歌唱力、そして武内のプロデュースにより、“奇跡の10人”の1人に数えられるほどの大ブレイクを果たした。

 その頃から独特の雰囲気を纏っていた彼女が女優業に進むのも自然なことで、彼女はそこでも隠れた才能を開花させた。最初はアイドルとしての人気から仕事を貰っていた彼女も、日本や海外の様々な賞レースで名前を賑わせるようになると、純粋に女優としての実力で仕事を呼び寄せるようになっていた。そして現在では日本に留まらず、海外の映画にも出演するほどの女優へと成長していた。

 

「それにしても、彼女はデビューのときから全然老けないねぇ。デビューのときから25歳とは思えないくらいに若く見えたけど、自分より一回り下の女の子と一緒にアイドル役を演じて違和感が無いっていうのは、さすがに彼女だけじゃないかと思うね」

「はい、俺もそう思いますよ。一緒に撮影してても、高垣さんに見とれちゃって演技どころじゃないですよ」

「はっはっはっ! 何回もそれが原因でNG出してたもんねぇ! 特番のNG大賞が楽しみだ!」

 

 スタッフのからかいに若い俳優は苦い表情を見せると、それを誤魔化すように楓の方へと視線を向けた。

 現在彼女の隣には目つきの鋭い大柄な男が立っており、2人は何やら話している様子だった。

 

「……高垣さんの近くにいるあの人って、彼女の()()()プロデューサーですよね?」

「ああ、そうだよ。君も追っかけをしてたなら、名前くらいは知ってるだろ?」

「はい、もちろん。彼女だけじゃなく“奇跡の10人”を全員プロデュースして、芸能界の勢力図を大きく塗り替えた“生ける伝説”だって、テレビとかでよく紹介されていました」

 

 芸能界を席巻するアイドル10人をプロデュースした人物となれば、当然注目されないはずがない。アイドルの専門誌では彼自身を幾度となく特集したこともあるし、その道のプロを紹介するテレビ番組でも取り上げられている。そんなこともあり、武内自身もアイドルほどではないにしてもかなり知名度は高い。

 

「“プロデューサー役”の君としては、嫉妬せずにはいられない感じかな?」

「いやいや、そんなんじゃないですよ。むしろ『やっぱ本物には敵わないなぁ』って感じですよ。ああして2人が並んでいる光景なんて、もの凄くしっくり来るじゃないですか」

「うん、そうだね。もし楓ちゃんが結婚するなんてことになったらパニック間違いなしだけど、その相手があのプロデューサーくんだったら、何か納得できちゃう気がするんだよねぇ」

「ええ。俺もよく分からん有象無象なら納得できないですけど、あの人だったら普通に受け入れられる気がしますよ。もちろん、泣きますけどね」

「君自身が楓ちゃんと結婚したいって気は無いの?」

「いやいやいやいや! 無理ですって! そんな畏れ多い!」

 

 彼自身も若い女性からキャーキャー言われる存在だというのに、まるで純情な少年のような反応を見せる彼に、スタッフは笑いながら彼を慰めるように肩を強く叩いた。

 

「それにしても、高垣さんとプロデューサーさんは何を話してるんでしょうね?」

「さぁねぇ。あの2人が話してるときって、俺達も何となく近寄りがたい雰囲気があるからねぇ」

 

 

 

「プロデューサー、何だか焼き鳥が食べたくなりました。今夜は焼き鳥にしましょう」

「……えっと、申し訳ございませんが、私は今日用事がありますので――」

「1人で焼き鳥屋に行け、と言うんですか? そんなの寂しいじゃないですか」

「……それならば、共演者の方々と行けばよろしいのでは?」

「あらあら、焼き()だけに、()()付く島もありませんね。ふふふっ」

「…………」

 

 眉を寄せて手を首の後ろに遣る武内に、楓は手で口を隠して笑みを浮かべた。遠くから見たらとても気品のある優雅な仕草であり、例えば学生の頃から追っかけだった俳優なんかは、それだけで心奪われるに違いないだろう。

 たとえ言っていることが、子供っぽい我が儘とただの親父ギャグだったとしても。

 

「……もしかして私が呼ばれたのは、一緒に呑む相手にするためですか?」

「はい。最近プロデューサーと一緒に呑む機会も減ってしまったので、この辺りで昔みたいに交流を図ろうかと」

「『機会が減った』と仰いますが、確か1ヶ月ほど前にも一緒に呑んだ気がしますが。――それに、明日も朝早くからドラマの撮影が入っています。呑むなとは言いませんが、あまりゆっくりする余裕も無いかと」

「あっ、それなら大丈夫ですよ。この日のために頑張りましたから、撮影は予定よりも早く進んでいます。なので監督から明日1日のお休みは頂いています」

「……そのために、最近特に仕事に力が入っていたのですか……」

 

 反論することもできなくなった武内に、楓はしてやったりと言いたげな笑みを浮かべた。普段は大人の女性としての魅力に溢れた彼女だが、そうして笑うと言動も相まって実に子供っぽい印象を受ける。

 今でこそそんな風に笑う彼女だが、デビュー当時は周りとのコミュニケーションが取れず、感情を表に出すことがほとんど無かった。このことがモデルとしていまいちパッとしなかった要因でもあったのだが、アイドルとしての経験を積み、年下の同期と交流を重ねることで徐々に感情を表に出すようになった。

 そしてその結果、彼女の中身はその見た目からは想像もつかない、非常に子供っぽい性格であることが分かった。しかも非常に酒好きで事あるごとにプロデューサーを呑みに誘おうとするし、そして酔うと非常に酒癖が悪いし、素面(しらふ)のときでも唐突に親父ギャグを言っては皆を困惑させる。

 

「……お店の予約をしてきます」

 

 しかし、たとえどんな中身だったとしても、楓の美貌に掛かればそれすらも魅力的に見えてしまう。結局武内は『担当アイドルのご機嫌を取るのも仕事の内』と心の中で言い訳をしながら、普段から贔屓にしている完全個室の高級居酒屋の予約を取ることにした。

 スマートフォンをポケットから取り出しながら、武内はその場を離れ――

 

「――――ん?」

 

 ようとしたそのとき、彼の足元に1人の少女がいることに気がついた。小学校中学年くらいの身長をした、ぼさぼさの長いミルク色の髪を緩く纏めたその少女は、普通の子供ならば目を合わせただけで泣き出すような顔をした武内のことを、エメラルドグリーンの眠そうな瞳でまっすぐ見つめている。

 

「……この子は?」

「あら、プロデューサー。ひょっとして隠し子ですか?」

「違います」

 

 楓の問い掛けを冷静に否定しながらも、武内は困惑を隠しきれない表情でその子を見下ろしていた。なぜなら今はドラマの撮影中であり、そういう場所では一般人が入り込まないようにスタッフが厳重に見張っている。つまりこの少女は、その包囲網をかいくぐったことになる。

 しかし、それにしても、

 

「何だかこの子、随分と可愛らしいですね。何だか庇護欲をそそられるというか」

「……えぇ、そうですね」

 

 武内が少女を見下ろしていたのは困惑以外にも、彼女の容姿が非常にレベルの高いものであるからだった。日本人離れした容姿もさることながら、見る者を惹きつけて止まない不思議な雰囲気が彼女にはあった。武内はじっと彼女と目を合わせながら、顎に手を当てて何やら考え込んでいた。

 しかしそれも、僅か10秒ほどだった。

 

「すみません! 勝手に中に入らないでください!」

「ごめんなさい! でもあそこにいる女の子、あたしが預かっている子でして!」

「えっ、子供? ――あれっ、いつの間に!」

 

 何やらギャラリーとスタッフが言い争う声が聞こえてそちらに目を遣ると、小さな体に子供のような顔つきをした、しかし胸はやたらと大きい女性が慌てた様子でこちらに駆け寄るのが見えた。その視線は先程の少女に向けられており、その少女も女性を見て「さなえ、はやーい……」と呟いていた。

 

「ごめんなさい、この子が迷惑を掛けたみたいで! ほらこずえちゃん、帰るわよ!」

 

 その女性(どうやら“早苗”というらしい)は武内の前に辿り着いて頭を下げるや否や、すぐさま少女(どうやら“こずえ”というらしい)の手を取ってその場を去ろうとした。こずえも素直に彼女の手を取り、引っ張られるがままとなっている。

 と、そのとき、

 

「少々お待ちいただけますか? あなたが、こちらのお子様の保護者ですか?」

「えっ? ……えっと、そ、そうですけど……?」

 

 ズイッと顔を寄せてきた武内の迫力に戸惑いながらも、早苗はこずえの手を掴んだまま首を縦に振った。

 すると武内はスーツの内ポケットに手を突っ込んだ。一瞬ヤの付く自由業の方々が鉛玉発射装置を取り出すときの光景と見間違えて身構えかけた早苗だったが、それが単なる名刺であることに気づいて構えを解いた。

 

「突然失礼致します。私は346プロダクションでアイドルのプロデューサーをしております、武内と申します」

「えっ? あ、はい、お顔は何度か……」

「いきなりで申し訳ございません。こちらのお子様を、ぜひとも我がプロダクションのアイドルにスカウトさせていただきたいと思いまして」

「…………、えっ?」

 

 条件反射で名刺を受け取った早苗だったが、その言葉を聞いた途端に思わず素っ頓狂な声をあげて、視線を武内とこずえの間で何度も往復させてしまった。

 

「アイドルって……。こずえちゃんが?」

「はい。彼女は見た目の可愛らしさもさることながら、人を惹きつける不思議な魅力をも持っています。この子ならば非常に魅力的なアイドルになれると、一目見たときに直感致しました。我々の言葉で言えば『ティンと来た』といったところでしょうか」

「え、えっと……」

 

 早苗は困惑しながら、こずえへと顔を向けた。彼女は相変わらず感情の読めないぼんやりした目つきで、黙ったままじっと早苗のことを見つめていた。

 まるで彼女がどう出るか、観察しているかのように。

 

「えっと、ですね……。この子は訳あって私が預かっておりまして、今は親元を離れて暮らしているんです……。なので親の許可無しには、そういうことを決められないというか――」

「その方と連絡を取ることは可能でしょうか?」

 

 ただでさえ迫力のある顔つきで、早苗に押し迫るようにグイッと1歩前に躍り出た武内に、早苗は警察官の習性で思わず逮捕術を行使しかけて、寸前のところで踏み留まった。

 

「すみません。簡単に連絡を取れる状態ではないので……」

「分かりました。それでは名刺を渡しますので、連絡がつきましたらご一報くださいますようお願いします。――良い返事を、期待しております」

「……はぁ」

 

 両手を添えて渡されたその名刺には、346プロダクションの電話番号だけでなく、武内自身の携帯番号も記載されていた。もっともそれは仕事用の番号であって、プライベートは別に用意されているに違いない。

 とりあえずこれで、話は一区切りついた。スタッフや出演者が面白そうにこちらを眺めていることもあって、早苗は一刻も早くこの場を離れたかった。なので彼女はこずえの手を握ってすぐさま歩き出し――

 

「あの、すみません」

 

 かけたそのとき、武内が再び声を掛けてきた。思わずイラッと来た早苗だったが、それを大人の余裕で胸の内に隠して武内へと向き直った。

 

「……何でしょうか?」

 

 傍目には完璧に見える笑顔を浮かべた早苗に対し、武内は先程差し出した名刺をもう1枚取り出しながら、

 

「あなたは、アイドルに興味はありませんか?」

 

 

 

「振られちゃいましたね、プロデューサー」

「…………」

 

 その声色から楽しんでいるのが分かる楓の言葉に、武内は口を引き結んだまま首の後ろに手を遣った。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロが毎週金曜日に主要スタッフを集めて会議をするのと同じように、双葉杏が立ち上げた事務所“208プロ”も、現在進めている企画の進捗状況や今後の活動スケジュール、そして新たな企画のアイデアを募る場を毎週月曜日の夜に設けている。

 しかしその光景は、世間一般で“会議”と聞いて思い浮かべるものとはかなり違うだろう。

 

「はい、それじゃ今から、208プロの月曜会議を始めまーす」

 

 気の抜けた杏の声に、周りからパチパチと軽い拍手の音が鳴った。

 会議の参加メンバーは代表の双葉杏に、所属アイドルの安部菜々・星輝子・白坂小梅・神崎蘭子の計5人である。

 しかし会場は杏宅のリビング、しかも普段食事を摂るときに使うテーブルであり、しかも全員がお風呂上がりのパジャマ姿である。発言のときにもいちいち挙手はしないし、発言する彼女達に緊張した様子は一切見られない、実にリラックスした雰囲気で行われる。その光景は会議というよりも、寝る前のちょっとした団欒(だんらん)と表現した方がしっくり来る。

 だがその話している内容に耳を傾ければ、間違いなくそれが“会議”であると納得するだろう。

 

「皆さん、“チェキ”って知ってますか?」

 

 菜々の質問に肯定の表情を浮かべたのは杏だけで、残りの3人は首をかしげていた。

 

「チェキっていうのは元々アナログフィルムを使うコンパクトなカメラのことだったんですけど、地下アイドルやメイドカフェではそれを使って一緒に写真を撮ることを指すんです。特に地下アイドルの劇場では、お金を払ってアイドルとのツーショット写真を撮るサービスがあるんですよ」

「お、お金を払って一緒に写真を撮るのか……」

 

 輝子の困惑した声に、杏が苦笑いを浮かべて菜々の説明を引き継ぐ。

 

「ファンとの距離が近い地下アイドルならでは、だよね。大抵の劇場ではチケットやグッズの売上だけじゃ正直厳しいから、チェキって結構重要な収入源になってるんだよ。劇場によっては、アイドルのステージ出演料がもの凄く安く設定されていて、チェキを歩合にすることで利益を稼いでる所もあるよ」

「み、みんな、大変な想いをして頑張ってるんだね……」

「傍目には華やかな幻想世界にも、魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)しているということか……」

 

 ちらりと垣間見たこの業界の薄暗い部分に、小梅は少々オブラートに包んだ感想を述べ、蘭子は遠回しに見えて普通に率直な感想を述べた。

 

「んで、菜々さん。その話を持ち出したってことは、ウチでもチェキをやりたいってこと?」

「えっ! そ、そうなのか……! そ、それって、ファンの人達とツーショット写真を撮るってことだよな……! そ、そんなの無理だぞ……!」

「し、知らない人、怖い……!」

「我が偽りの器には、か、かような試練は荷が重すぎる……!」

 

 杏が菜々に尋ねた途端、208プロのコミュ障メンバーが一斉に慌て始めた。所属アイドル4人の内3人がコミュ障というのは、地下アイドルとはいえ“アイドル”を標榜する劇場として如何なものだろうか。

 

「いえいえ、そういうことじゃないですよ。ただナナ達の劇場で売ってるノベルティグッズって、ナナ達の顔がプリントされたものって無いじゃないですか」

 

 菜々の言う通り、きらりによってデザインされたTシャツやキーホルダーなどは、杏の意向もあって“普段の生活で使っても違和感の無いもの”として作られている。なのでアイドル自身の顔写真は使われておらず、例えば輝子の場合はデフォルメされたキノコがプリントされている、といった感じに“分かる人だけ分かる”ようになっている。だからこそ杏の劇場のノベルティグッズは、他の劇場と比べても女性客がよく購入する傾向にあるのだが。

 

「なのでナナ達のプロマイドか何かを発売すれば、ファンの皆さんも喜んでくれるんじゃないかなって思うんですけど」

「プロマイド、かぁ……」

 

 しかし菜々の提案に対して、杏の表情は渋かった。

 

「あれっ、あんまり良くない感じですか? プロマイドなら種類も多く出せますし、良いグッズになると思ったんですけど」

「それ自体は別に悪くないんだけど……。ほら、アイドルのファンって“コレクター気質”みたいなところがあるでしょ? だからあんまり多く出すと、大金出して全部買おうとしちゃうかもなぁ、って思って」

 

 確かに、初めて劇場に来たと思われるファンの中には、全アイドルの全グッズを制覇しようとして何万円もの大金を払うというケースが割とよく見られている。

 

「そりゃ杏達からしたらそっちの方が儲かって良いんだろうけど、そういうのって“バランス”があると思うんだよね。――それとまぁ、これが一番大きな理由なんだけど……」

 

 杏はそこで一旦言葉を区切ると、菜々の方をちらりと見て、

 

「単純に、面白みに欠ける」

「……むむぅ、やっぱりそこに行き着きますか」

 

 杏の言葉に菜々は反論する様子も無く、むしろ納得した感じで頷いた。

 

「いや、でもカード形式のグッズっていうのは無かったから、それ自体は良いんだよ。でも写真だけだと正直弱いから、何か“付加価値”があると良いんだけど……」

「付加価値、ですか……。――あっ、そうだ! テレフォンカードなんてどうでしょう!」

「……菜々さん、テレフォンカードなんて今時使う?」

「へっ? ……駄目ですね」

 

 杏からの議題に対し、菜々を始めとした全員が一斉に腕を組んで考え込んだ。

 そして最初に顔を上げたのは、小梅だった。

 

「わ、私達の曲を付けるっていうのは……?」

「曲? カードにCDを付けるってことですか?」

 

 そう尋ねる菜々に、小梅が首を横に振った。

 

「アルバムを売るときみたいに、ホームページからダウンロードできるようにするの……。えっと、シリアルナンバー、って言うんだっけ? あれをカードの裏に書いておくの……」

「有料コンテンツをカード形式で販売する、ってことか。うん、なかなか面白いんじゃない?」

「ほ、本当? えへへ……」

 

 上々な反応を見せる杏に、小梅は安心したように表情を和らげた。

 

「曲を付けるとなると、新曲ですか?」

「そこなんだけど……。うーん……、劇場限定で販売するグッズだし、おまけ的な立ち位置にしたいよなぁ……」

 

 再び腕を組んで考え始めた杏に、「な、なぁ……」と自信なさげな声が掛けられた。

 その声の主は、輝子だった。

 

「だ、だったら、自分以外の持ち歌を、自分が普段歌ってる感じのアレンジにカバーするっていうのはどうだ……?」

「ってことは、例えば輝子ちゃんのカードを買うと、他の3人の持ち歌を輝子ちゃん流にアレンジしたバージョンで聴けるってことか……。――うん、面白そうじゃん。輝子ちゃんのファンだから買ったのに、付いてくる曲は輝子ちゃん以外のアイドルの持ち歌ってところが、何か矛盾してて逆に面白い」

「わ、私は普段ホラーっぽくない曲調だから、思いっきりホラーっぽくした方が良いかな……」

「それじゃナナの場合は、普段みたいにピコピコした感じですかね」

「我が奏でる調べは、常に豪華で壮大なるものよ! なれば、たとえ異教の調べであろうとも、我の手に掛かれば同じ道を辿ることは至極当然!」

 

 輝子の提案に杏が賛同したことで、他の3人も楽しそうな表情で想像を膨らませていった。どうやらこのカバー企画に対して、全員が乗り気なようである。

 

「よし、それじゃプロマイドにカバー曲を付けるっていう感じで行こうか。――輝子ちゃん、仕事に余裕はある?」

「だ、大丈夫だ……。曲さえ決めちゃえば、アレンジだけだからそんなに時間は取られない……」

「そっかそっか。じゃあ輝子ちゃんの担当は本人に任せて、後は李衣菜達に――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 杏の言葉を慌てた声で遮ったのは、菜々だった。

 

「どうしたの、菜々さん?」

 

 杏が尋ねると、菜々は数秒間迷うような表情を見せ、意を決したように口を開いた。

 

「……そのアレンジ、自分でやることってできませんか?」

「自分で?」

「ええ。――実は、いつか自分の曲を自分で作りたいって思ってまして……。そのための練習といいますか……」

「杏としては別に構わないけど、菜々さんって楽器とかやったこと無いよね? 素人だと、曲のアレンジだけでも凄く大変だと思うよ?」

「わ、分かってます! 皆さんに聞かせられるものになるまでに、多分凄く時間が掛かるかもしれません! でもナナは、自分の力で作ってみたいんです!」

 

 菜々が力強く拳を握りしめながらそう言うと、

 

「え、えっと……、杏さん……。じ、実は私も……」

「我も常々、世界の全てを我が手中に収めたいと思っておったところだ!」

 

 小梅と蘭子も、菜々に触発された(あるいは後押しされた)ように口々にそう言った。

 それを受けて、杏も真剣な表情で考える。正直言って、3人に任せていたら完成にどれだけ時間が掛かるか分からない。それにクオリティのことを考えたら、素直にプロに任せた方が確実だ。

 しかし、

 

「……うん、良いんじゃない? 企画としても面白そうだし」

「ほ、本当ですかっ!」

 

 杏の言葉に、菜々達3人は喜びを顕わにした。その様子を眺めていた輝子も嬉しそうに微笑み、菜々達に「何か困ったことがあったら、私に相談してくれ……」と弱々しい声ながらも心強い言葉を掛ける。

 

「よし。それじゃ、とりあえず1ヶ月くらい期間をあげるから、その間にできるところまでやってみてよ。それを見て、また改めて決めるからさ」

 

 杏がそう言うと、菜々達3人は凛々しい顔つきで頷いて応えた。杏はそれを見て、やる気満々なのは良いことだ、と自分のキャラに似合わないことを自覚しながらそう思った。

 

「んじゃ、新しいグッズについてはここまでとして……。――最後に、蘭子ちゃん。新しいライブのストーリーについてだけど」

 

 名前を呼ばれた蘭子は、新しいことに挑戦することにワクワクしているような表情から、不安と緊張が綯い交ぜになったような複雑な表情へと変えて杏に向き直った。

 

「この前渡してくれたストーリーの草案、読ませてもらったよ。――うん、大丈夫。あれで進めようと思う」

「ま、誠か!」

 

 それを聞いた瞬間、蘭子はパァッと晴れやかな笑みを浮かべて立ち上がり、そして次の瞬間にはホッと息を吐いて腰を下ろした。けっして少なくない時間を掛けて作り上げたストーリーがボツにならなくて、ひとまず安心といったところだろう。菜々達も、そんな彼女の頑張りを知っているので「良かったですね」と労いの言葉を掛けていた。

 

「んで、スケジュールを考えると、今すぐにでもムービーを録りたいところなんだけど……。今回のストーリーって、主人公が蘭子ちゃんくらいの歳の女の子だよね? 蘭子ちゃんの中で、この人が良いってイメージはあるの?」

 

 杏がそう尋ねると、蘭子は何やら口をもごもごさせて、あちこちに視線をさ迷わせていた。

 

「どうしたの? ひょっとして、結構な大物だったりする?」

「むっ! そ、そうではない! ……むしろ、この世界の住人ではない」

「この世界の……ってことは、もしかして素人さん?」

 

 杏の問い掛けに、蘭子は頷いて答えた。


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