怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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第11話 『始動』

 いよいよ、双葉杏の事務所“208プロ”の主宰する劇場“アプリコット・ジャム”のこけら落としの日がやって来た。

 インターネットやラジオで宣伝した甲斐もあって、開場前の劇場には多くの客が集まっていた。劇場前の道路が開場待ちの客で埋まるという光景は、いくらその道路が車の擦れ違うのがやっとの広さとはいえ、地下アイドルの劇場のこけら落としとしてはかなり珍しい部類に入るだろう。

 ホームページ上でのデビューアルバムのダウンロード販売は、2週間ほど前から始まっている。そのときには様々な場所で話題となったのだが、どちらかというと“かつて一世を風靡したアイドルがプロデュースするアイドル”という側面が強かった。しかしこうして客が集まっていることからも、劇場のアイドル自身の魅力がしっかりと伝わっていることが分かる。

 静かに、しかし徐々に熱気が高まっている人々の中に、全体的に露出の少ない灰色の服を身に纏い、大きなマスクで顔の下半分を隠している女性がいた。彼女はパッと見では落ち着いているように見えるが、よく見るとそわそわと指を動かしたり視線をさ迷わせたりしている。

 

「……ねぇ、凛さん。もしかして緊張してる?」

 

 するとその女性の隣にいた少女が、周りに聞こえないように小声で話し掛けてきた。凛と呼ばれた女性と同じように大きなマスクをつけ、肩に掛かるほどの長さで毛先を緩くウェーブさせた髪型をしている。

 

「緊張か……。もしかしたら、そうかもしれないね。何だか、自分が初めてライブを迎えるかのような心境だよ」

「もしかして、“New Generations”のライブを思い出したとか?」

 

 そう問い掛けてきたのは、先程の少女と挟むようにして女性の隣に立つ別の少女だった。こちらはマスクこそしていないものの、大きな帽子でボリュームのある長い髪と目元を隠している。

 その少女の質問に、凛は小さく首を横に振った。

 

「ってことはもしかして、“トライアドプリムス”の初ライブ? 私達はデビューライブだったから分かるけど、凛さんも緊張してたんだ」

「へぇ、そうだったんだ……。あたし達から見たら余裕そうに見えたから『やっぱり“奇跡の10人”は違うなぁ……』って思ってたんだけど……」

「ふふっ、私が緊張してる姿を見せて2人を不安にさせちゃいけないと思って。――もちろん、緊張したよ。レッスンとかリハーサルで見てたから出来映えは心配してなかったけど、やっぱりお客さんにどういう風に受け入れられるかは、実際にやってみるまでは分からないからね」

 

 そう話す凛は、マスクの下からでも柔らかな笑みを浮かべていることが分かった。

 

「だとしたら、双葉さんも今頃は緊張とかしてるのかな……?」

「うーん……、私は杏が緊張しているのなんて見たこと無かったなぁ……」

「いやいや、さすがに緊張してるでしょ。自分のならともかく、今日は自分が育ててきたアイドルの初ライブだよ? 私だったら、心臓がドキドキして仕方ないよ」

 

 マスクをつけた少女の言葉に、凛は「それもそうだね」と言って劇場の地下入口辺りに視線を向けた。

 

 

 

「……ん? あれ? 今、何時?」

「公演開始の1時間前です! こんなときに寝るなんて、さすがにどうかと思いますよ!」

 

 楽屋のソファーで目を覚ました杏の質問に答えたのは、今日の出番は3番目だというのに既にステージ衣装に着替えた菜々だった。その声は体に合わせて小刻みに震えており、その表情もガチガチに強張って青ざめている。

 杏が部屋を見渡してみると、同じようにステージ衣装を着ている他の3人も、見てすぐに分かるほどに緊張しきっていた。特に1番手である輝子にいたっては、椅子に座ってじっと床を見つめたまま動かないという、なかなか危なっかしい状態になっている。

 そんな彼女達を見て、杏が口を開いて真っ先に言ったことが、

 

「輝子ちゃんはともかく、他の3人はまだ衣装に着替えなくて良いんじゃないの?」

「いや、何というか、居ても立ってもいられなくなったというか……」

「ステージ衣装を着ちゃうと、リラックスできなくなるよ? みんなあれだけレッスンしたんだから、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」

「そ、そうは言うけど……。杏さんも……、初ライブのときは緊張したんじゃないの……?」

「うーん、そうでもないかなぁ……。杏の初ライブは確か、楽屋で私服のまま寝てたら、本番5分前でプロデューサーに起こされた気がする」

「なっ! それって、かなりまずいじゃないですか!」

「さすが、“怠惰の妖精”は戴冠式から王者の風格であったか……」

 

 菜々達が感心してるのか呆れているのか分からない(おそらく後者が大半だろう)感想を述べている間も、輝子は会話に参加しようともせずに床を見つめ続けるのみだった。

 さすがに深刻だと思ったのか、杏はソファーから立ち上がると輝子の傍までやって来た。

 

「輝子ちゃん、大丈夫?」

「……フヒ、大丈夫だ」

 

 どう見ても大丈夫に見えない真っ青な顔で、輝子はそう答えた。

 杏は壁際にあったパイプ椅子を持ってきて輝子の隣に座ると、体がくっつきそうなほどに寄り添って優しく声を掛ける。

 

「本当はあまり、こういうことは言わない方が良いのかもしれないけど……。はっきり言っちゃうと、今からやる輝子ちゃんのライブを観に来てるお客さんって、もう最初から輝子ちゃんのファンなんだよ?」

「……フヒ、そう、なのか……?」

「そうそう。考えてもみなよ。何の興味も無いライブに、わざわざ足を運んでお金払って観に行くような人はいないよ。しかもその内の何割かは確実に事前にアルバムを買って聴いている人達なんだし、そうでなくたって少なくとも輝子ちゃんのことが嫌いな人はいないんだよ」

 

 杏の言葉は輝子に対して掛けられているものだが、菜々達も黙ってその言葉に聞き入っている。

 

「杏達みたいな常設の劇場で活動する地下アイドルにとって一番ハードルが高いのが、“劇場に足を運んでもらうこと”なんだよ。つまり今こうして劇場に来てくれている人達は、もはやそのハードルを乗り越えた人達なの。だから今から輝子ちゃんが出るステージの前にいる人達は、全員輝子ちゃんの味方なんだよ」

「み、味方……」

「そうそう。そもそも、この劇場はみんなにとって“ホーム”なんだよ? いわば“自分の家”なの。自分の家なのに寛げないなんて有り得ないでしょ? だからみんなも、ここでライブをするときはもっとリラックスして良いんだよ。ファンの人達だって、のびのびと自分のやりたいことをやってるみんなを観たくて来てるんだから」

 

 杏の言葉を聞いた4人の表情は、先程と比べても明らかに和らいでいた。1番手の輝子も、表情こそまだ固いものの笑顔を浮かべる余裕が出てきた。

 輝子のその姿に満足そうに頷いた杏は、元いたソファーに戻って、

 

「……というわけで、杏は寛ぐためにもう一眠りするよー」

「ちょっと、杏ちゃん! 起きてくださいよ!」

「うーん……、あと10時間……」

「ナナ達のライブ、終わっちゃうじゃないですか!」

 

 再びソファーに体を沈める杏とそれを引っ張り起こす菜々の遣り取りに、他の3人は呆れたような笑みを浮かべていた。

 先程のような重苦しい緊張感は、どこかへと消え去っていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 ぎゅうぎゅう詰めというほどではないにしろ、フロアは大勢の人で埋め尽くされていた。皆がそわそわとした様子で、かつて一世を風靡したアイドルが作り上げた“成果”を今か今かと待ち構えている。

 ステージへ目を向ける。真ん中のマイクの傍にキノコがプリントされた真っ赤なギター、その両脇にギターとベース、そしてその後ろにドラムセットとキーボードが置かれた、典型的なバンドスタイルの布陣である。この劇場では皆がソロ指向であり、現在ユニットは存在しないので、残りの楽器はバックバンドが演奏するものと思われる。

 ふいにフロアの照明が暗くなった。ライブが始まる合図であり、それを感じ取った観客が途端に声をあげて拍手をする。

 

 そしてフロア全体に流れ出したのは、聴く者の臓器を震わせるような重厚なベース音だった。演者が登場するための出囃子(でばやし)であるそれは、徐々にパーカッション、キーボードと楽器が増えていき、観客の期待をじわじわと上げていく。

 そしてギターの音が響き渡るのと同時、赤いTシャツに黒いズボンで統一された衣装を身に纏うバックバンドのメンバーが登場し、おもむろに楽器を手に取って準備を始める。出囃子に混じって音を鳴らし、最終的なチェックを行う。

 そしてそのメンバーが準備を終えて直立の姿勢になった、次の瞬間、

 

「ウラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 フロア中を切り裂くような悲鳴をあげながら、この日のトップバッター・星輝子が姿を現した。

 銀色の髪の一部を赤く染め、顔にも大きく星形のペイントを施し、さらにトゲや鎖がアクセサリーとなった革製の衣装を身に纏った、まさに一般人がメタルと聞いて思い浮かべる姿をしたその少女は、舌を出して不敵な笑みを浮かべながら、ステージの真ん中へと躍り出る。

 そして挨拶代わりと言わんばかりに、輝子はギターを掻き鳴らした。バックバンドもそれに合わせて力一杯弦を弾き、スティックを叩きつけ、鍵盤を殴りつける。それに呼応するようにフロアの観客が野太い雄叫びをあげ、建物全体が震えるような錯覚を引き起こす。

 

 そして観客達の期待を込めた視線を一身に受けながら、輝子はMCも自己紹介も挟むことなく、いきなり曲を始めた。“アプリコット・ジャム”の記念すべき1曲目は、輝子が杏達を自宅に招いたときに聴かせたあの曲だ。当時は正式なタイトルは無かったが、アルバムに収録するにあたって『ヒエラルキー』と名付けられた。

 輝子の口から飛び出す剥き出しの怨念が、フロア中の観客を高揚感へと誘った。隙間無く繰り出される金切り声のようなギター、呻くように喚き散らすベース、心臓の鼓動を表すように爆音を鳴り響かせるドラム、そしてそれらを宥めるような、それでいて助長するような高音のキーボードが、一体となって観客に襲い掛かってボルテージを上げていく。

 そうして興奮の内に1曲目を終えた輝子だが、続けざまに2曲目『Hydnellum peckii』へと移っていった。ついてこれる奴だけついてこい、というメッセージが込められていそうなそのライブ構成は、普段MCの多いアイドルのライブに慣れた観客を一瞬戸惑わせ、しかしすぐさま始まった否が応にもテンションの上がる演奏にそれどころではなくなった。

 

 輝子が初めてMCを挟んだのは、3曲目『毒』が終わった後だった。すでに汗をびっしょりと掻いていて、肩を上下させて呼吸を荒げている。これだけ激しい曲を演奏してみせる少女の言葉を聞き漏らすまいと、観客全員が身を乗り出して彼女の言葉を待ち構えている。

 そして、

 

「……あ、どうも。星輝子です」

 

 演奏のときとはまるで違う、マイクを通しているのに今にも消え入りそうな声に、観客が一斉にずっこけた、気がした。

 

「えっと、今日が人前で演奏する初めてのライブです……。みんな、普段の生活で色々ストレスが溜まってると思うけど、ここではどれだけ叫んでも誰にも怒られないから……、みんな思う存分叫びまくって……、楽しんでくれたら、う、嬉しいです……」

 

 演奏のときは観客を威嚇するように睨みつけ、洗練されたテクニックでギターを掻き鳴らす様子は圧倒的な迫力があるのに、素の状態で話す彼女はそのいじらしい仕草に庇護欲をそそられる。輝子のMCに拍手を贈ったり声をあげる観客達は、さっそく彼女のギャップという名の魅力に惹かれているようだ。

 そして輝子が「それじゃ、次の曲……」とMCを締めくくった途端、あれだけオドオドとしていた彼女の表情から不安が消え、その力強いキリッとした視線をギターに向けた。その俯き加減の凛々しい表情は、身長が140センチほどしかないにも拘わらず中性的な格好良さがあった。

 そうしてフロアに流れたのは、ストリングス(弦楽器)が中心となったシンフォニックな伴奏だった。先程までの曲とは違う厳かな前奏に、観客達は失った体力を回復させるかのようにホッと一息吐き、

 

「誰が休んで良いっつった、おらああああああああああああああああああああああ!」

 

 輝子の声と共にステージ上から発せられた4種5つの音色が一瞬で会場を支配し、観客達は瞬時にテンションを上げて再び体を激しく揺さぶっていった。

 こうして4曲目『自虐交響曲』を皮切りに、輝子のライブは最後の最後まで全速力で突っ走るような激しいテンションのまま締め括られた。

 

 

 *         *         *

 

 

 星輝子のライブが終わり、1時間のインターバルを挟んで白坂小梅のライブとなる。この間に観客の入れ替わりが行われるが、3割ほどがそのまま会場の中へとUターンし、2割ほどが劇場の2階部分に常設されたカフェへ、そして4割ほどが1階部分にあるグッズ売り場へと歩みを進めていった。

 先程はバンドセットが組まれていたステージだが、今回はマイクスタンドだけで何も置かれていない。おそらく、打ち込みによる演奏に合わせて歌うものと思われる。

 やがてフロアが暗くなり、1人の少女が姿を現した。出囃子も無く無音のステージに現れた小梅は、普段通りに長い袖で両手を、長い前髪で右目を隠している。しかしその頭には小さなリボンがあしらわれ、薄い水色をした衣装は肩を大きく露出させ、スカートの丈も膝上と短く、先程の輝子と比べたら随分とアイドルらしい姿をしていた。

 そして観客達は、無音のステージにただ姿を現しただけの小梅に見とれていた。輝子のときとは対照的な静寂に、フロアの観客が1人残らず息を呑み、彼女の一挙手一投足を見逃すまいとその視線を彼女に固定させている。

 

「……白坂小梅です。じゃあ、1曲目」

 

 たったそれだけのMCの後、フロアに軽快な音楽が鳴り響いた。打ち込みの音を中心とした可愛らしいその楽曲は、通常のアイドル曲と比べても違和感が無いものだった。打ち込みとはいっても、ライブで使われるスピーカーを通せば空気を震わせるほどの迫力があるため、観客は輝子のときの激しさこそ無いものの体を上下させてリズムに乗っていた。

 そして小梅は音楽に合わせ、ニコニコとアイドルらしい笑顔を浮かべながら歌い始めた。マイクを片手に持ちながらなので大きな手振りこそ無いものの、時折ダンスも交えながら可愛らしく歌うその様子は、間違いなくアイドルそのものだ。

 その後に流れる曲も、良質なJ-POPが続いた。様々なジャンルの音楽を下地にしたバリエーション豊かな楽曲はけっして単調になることがなく、観客を飽きさせないライブ構成となっている。

 

 しかし、確かにその曲は完成度こそ高いものの、そのどれもがテレビに出るようなアイドルが歌ってもおかしくないものばかりだ。先程の輝子はまさに地下アイドルといった攻撃的なものだったが、小梅の曲ならば普通にテレビを目指しても良いように思うだろう。

 小梅自身が作詞を務めたその歌詞を聴かなければ、の話だが。

 

 有名な怪談“番町皿屋敷”を下地に作られた『10枚目の行方』。

 恨みを成就させようとする人の想いを丹念に描いた『丑の刻』。

 独特の論理で殺人をする犯罪者が主人公の『シリアルキラー』。

 恋人が好きなあまり、その人を食べてしまいたいという欲求に駆られる『ハンバーグ』。

 子供を亡くした母親が、別の子供を誘拐して子育てをする『おままごと』。

 

 そのどれもが、背筋が凍るほどのリアリティを内包しており、そして曲によっては耳を覆いたくなるほどにグロテスクな表現がなされている。そしてそんな世界観が、普通のアイドルが歌うような楽曲に乗せて、普通のアイドルが歌っているような可愛らしい笑顔で、観客の耳に届けられるのである。

 1曲目が披露されているときは、さすがに観客にも動揺が見られた。人間の業が生み出す恐怖の世界を、普通のアイドルと同じようにニコニコと心の底から楽しそうに歌い上げる小さな少女の姿は、耳からの情報と目からの情報に多大なギャップをもたらし、人々に混乱を引き起こす。

 しかし3曲目が終わった頃には、観客はそのギャップと混乱の虜となっていた。その心理は咽せるほどに辛いと知りながら激辛カレーを食べ続けるものに似ており、普段の生活では味わうことのないであろう刺激に“取り憑かれていった”のかもしれない。

 

「……改めまして、こんばんは。白坂小梅です」

 

 何曲か披露した後、小梅はMCで改めて自己紹介をした。観客から一斉に拍手が上がり、すっかり彼女の虜となった一部の観客から呼び掛ける声に、小梅は律儀に手を振って応える。

 

「えっと……、わ、私は人前に出るのが苦手だけど……、今日のために歌詞を書いて、一生懸命練習しました……。ぜひ、最後まで楽しんでください……」

 

 少々短いMCだが、小梅はそこで言葉を切った。次の曲が始まる雰囲気になったが、フロアにはなかなか音が流れない。

 にわかに観客がざわめき始めた頃、

 

 ――――バチバチッ! ブチッ!

 

 火花が散るようなスパーク音がフロア中に鳴り響き、観客が一斉に体をびくつかせて驚きの声をあげた。先程とは違うざわめきがフロアを埋め尽くす中、

 

「――くすっ」

 

 大きな袖で口を隠しながら笑う小梅の姿に、観客はこれが“演出”であることを悟った。ホッと胸を撫で下ろし、小さな女の子にしてやられたことに軽く腹を立て、しかし楽しそうに笑う小梅を前に全てを許してしまいたくなる。そんな複雑な想いを抱いたまま、観客は次の小梅の曲へと耳を傾けた。

 

「……何だ、今のは?」

 

 首をかしげる音響監督の疑問を置き去りにして。

 

 

 *         *         *

 

 

 安部菜々のライブまで、あと1分。

 ステージ上は小梅のときと同じく何も無く、マイクスタンドだけが真ん中にぽつんと立っている。このことから、菜々も小梅と同じく打ち込みの音楽に合わせて歌うものと思われる。

 しかし小梅のときと大きく違うのは、ステージの背面に大きなスクリーンがあることだろう。フロアに集まった観客も、それを使ってどのようなパフォーマンスが行われるのか気になっているのか、皆が興味深そうにそれに視線を向けている。

 と、ふいにフロアが暗くなった。観客から歓声があがるが、スクリーンに光が灯ることで歓声が止まる。

 そして次の瞬間、「ブーッ! ブーッ!」とフロア全体にブザー音が鳴り響いた。

 

『エマージェンシー、エマージェンシー』

 

 その声は人間のそれではなく、インターネットからダウンロードできる合成音声ソフトに酷似したものだった。しかしそれは有り得ない。なぜならこの声は、ウサミン星に住まうエージェントから極秘のルートを通じて送信されたメッセージだからである。

 スクリーンには銀河系をイメージしたイラストが映し出され、その中心に近い場所で赤い点がチカチカと点滅している。

 

『ウサミン星より《太陽系ロップポイント》を経由して報告、kbyarebnhgujy7、応答せよ』

「こちらkbyarebnhgujy7、メルヘンネーム“安部菜々”」

 

 ウサミン星からのメッセージに答えたのは、フロアのスピーカーを通したような加工が施された女性の声だった。おそらく地球人の電波傍受を恐れたことによる自衛のためだろう。ちなみに“kbyarebnhgujy7”の部分はあまりに複雑すぎる発音のため、人間には音声を早送りしているようにしか聞こえない。

 

『ウサミン星所有タンクに貯蔵された《ニンジン》が、残量40パーセントを下回った。これは今から155年前に起こった《MPウォーズ》時に記録された35パーセントに匹敵する非常事態である』

「報告、了解。kbyarebnhgujy7からも、ミッションナンバー《SDGSZFVHGVHHG》について報告する。繰り返す、ミッションナンバー《SDGSZFVHGVHHG》について報告する」

『了解、報告に移れ』

「ミッション第4関門“アイドルデビュー”の目処が立った。作戦開始日時は――年――月――日――時である」

 

 ライブが行われている今まさにこの瞬間の日時が告げられると、エージェントが『おおっ、でかした』と嬉しそうに返事をした。まるで機械が読み上げたような棒読みの台詞に、フロアのあちこちから笑い声が漏れる。

 

『kbyarebnhgujy7も知ってる通り、我々は《ニンジン》が無ければ生きていくことができない。しかし《ニンヅン》が蔓延していることにより、近年《メルヘン》からの《ニンジン》供給が大幅に落ち込んでいる』

 

 エージェントの説明に合わせるように、スクリーンにはウサミン星を描写したと思われるイラストが次々と映し出される。しかし記録が少ないためか、そのどれもが曖昧で要領を得ない。

 

『我々は一刻も早く、《メルヘン人》を“偽物の熱狂”から解放し、真に熱狂できるものを見つけるための足掛かりを構築しなければならない』

『そのためには、kbyarebnhgujy7によるアイドル活動が不可欠である。《メルヘン人》の生態観察を目的としたカフェの潜入捜査が予定よりも延び、ミッション開始時間に数年のズレが生じているが些事である』

『kbyarebnhgujy7よ。《メルヘン人》を、一刻も早く“偽物の熱狂”から解き放つのだ』

「了解」

『以上、報告を終了する』

 

 その言葉を最後に、通信は遮断された。それに合わせて、スクリーンの映像も消えてフロアが暗闇で満たされる。

 そして次の瞬間、打ち込み主体のとても明るい曲が流れ始めた。それに合わせてステージの照明も一気に明るくなり、メイド服を模したようなフリフリの衣装を身に纏った安部菜々が、舞台袖から飛び出すようにして現れた。

 

「《メルヘン人》の皆さん、初めまして! ウサミン星からやって参りました永遠の17歳、安部菜々です! 夢と希望を両耳に引っ提げて、ナナ、頑張っていきまーす! はい!」

「ミンミンミン! ミンミンミン! ウーサミンッ!」

「ミンミンミン! ミンミンミン! ウーサミンッ!」

 

 前奏の間に詰め込んだMCと共に、両手を耳の辺りにくっつけて行う“ウサミンコール”が始まった。菜々のアルバムの1曲目にも収録された『メルヘンデビュー!』だけに、予習を済ませた観客によるコールが真っ先に反応し、それはすぐにノリの良いフロア全体に響き渡っていった。

 そこから矢継ぎ早に繰り出される『ロップスポット』や『ニンジン』といった楽曲も、聴くと思わずテンションが上がるような、少しネットに詳しい者ならば“電波ソング”と称するようなものが並ぶ。ちなみに歌詞の端々にはウサミン星で使われる単語が使われているが、意味を知りたいならば事務所のホームページからもアクセスできるツイッターの“ウサミン語解説bot”を参照すると良いだろう。

 

「皆さん、改めましてこんにちは! 安部菜々です! 今日はナナのデビューライブに来てくれて、ありがとうございます!」

 

 そして菜々のライブで特徴的なのが、先程の2人と比べても圧倒的にMCの時間が長いことだろう。観客からの呼び掛けにも全力で答え、「今の映像はウサミン星のエージェントからの通信でですね~」と丁寧に解説を加える辺りは、ファンサービスに全力を注いでいる証と言える。さらには「ちなみに平日は2階のカフェでバイトしているので、皆さん遊びに来てミッションの達成に貢献してくださいねー」と宣伝まで忘れない。

 さらに肝心の楽曲だが、電波ソングと呼ばれるような明るいものばかりではない。ウサミン星人とメルヘン人による切ない恋愛を描いた『ドクトゥン』といったテクノ調バラードや、輝子作曲によるメタルを電子音に置き換えたような激しい曲調が特徴の『ニンヅン』といったハードテクノなど、曲自体の完成度も非常に高い。この辺りは、さすが作曲を担当した多田李衣菜の妙と言えるだろう。

 こうして菜々のライブは、或る意味一番アイドルらしい盛り上がりを見せながら幕を閉じた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして本日最後のライブは、神崎蘭子である。

 菜々がいなくなったステージ上だが、スクリーンは片づけられずにそのままとなっている。そしてそのスクリーンの手前に置かれているのは、金属の突起物が左右に2本ずつ(計4本)とその中央にノートパソコンが取りつけられたキーボード、としか形容できない不思議な楽器だった。

 アルバムでどのような曲をやるのか分かっているものの、その装置とスクリーンを使ってどのようなパフォーマンスをするのか検討もつかない観客達は、時折首をかしげながらその謎の機械を眺めていた。

 やがてライブの時間となり、フロアが暗くなった。菜々のときと同じくスクリーンが明るくなり、そこに映像が映し出される。CGにより制作された荒野のど真ん中で、実写の男(顔が隠されているために特定はできないが、結構大柄な体格をしている)がボロボロの姿で倒れている。

 

『見よ、男が今にも息絶えようとしている』

 

 凛々しい少女のナレーションを皮切りに、その“物語”は始まった。ストリングスを主体とした厳かなBGMが、その物語に彩りを添える。

 

『その男の家は、生まれながらにして貧乏だった。その日の飢えを凌ぐ程度の金を稼ぐのもやっとであり、それさえままならない日も珍しくなかった。長年の心労が祟って両親が次々と死ぬと、彼の貧乏に拍車が掛かった。そしてこの日、男はとうとう己の限界を超えて倒れ伏し、今にも命の灯火を消そうとしている』

 

 映像と音声によって展開されるその物語に、観客達はアイドルのライブ中とは思えない“沈黙”でそれに見入っている。

 

『なんて、無様な姿だろうか。その男は、選択肢さえ間違えなければ“勇者”になれたのに』

 

 その声は男をつけ離すように冷たい、しかしどこか彼を哀れんでいる優しいニュアンスを携えていた。

 

『煌びやかな鎧を身に纏い、燦然と輝く剣を握りしめ、後世で伝説と語られるに相応しい部下を後ろに従え、世界の破滅を画策する魔王を討伐せんと立ち向かう“世界の英雄”になれたのに』

 

 映像には、その“有り得た未来”を表すように次々と映像が切り替わっていく。しかし徐々に靄が掛かったように薄暗くなり、やがて完全に黒に染められた。フロアが暗闇に包まれる。

 

『男は、愚かだった。悲しいほどに、愚かだった』

『労働で稼いだ僅か銅貨1枚を、その日の飢えを満たすだけのパンを買うためではなく、行商団が売っていた“食べられる野草”という本を買うのに使っていれば、飢えを凌ぐことができたのに』

『人生とは、選択肢の連続だ。どうでもいい選択肢から人生を左右する選択肢まで、その種類は様々だ』

『男は、選択を誤ったのである。選択を誤ったが故に、今こうして荒野の真ん中で1人死のうとしている。男は苦悶の表情を浮かべながら、全てを諦めたように目を閉じている』

 

 ここで突如、ナレーションが止まった。BGMも途切れ、フロアが静寂に包まれる。

 

『まったくもって、忌々しい』

『全てを悟ったように生を諦めているこの男が、この上なく忌々しい』

『もしや“我”を脅かす者が現れるかもしれないと心震わせていたというのに、このようなつまらん幕引きでは興醒めを通り越して怒りすら覚える』

 

 そして、再びBGMが鳴り出した。ストリングスに加えてティンパニーなどのリズム隊が加わったことで、厳かな中にも、これから何かが始まるという期待感と高揚感が湧き上がってくる。

 

『そこの者達、我に協力してほしい』

『我と共にあの男に正しい選択肢を提示し、あの男を“伝説の勇者”へと導くのだ』

『そのためには、まず我がこの世界に降臨しなければいけない。お主達の声がその鍵だ』

 

 そして一呼吸の後、ナレーションである少女が呼び掛けた。

 

『――さぁ、我の名を呼ぶが良い!』

 

 その瞬間、スクリーン上にでかでかと“CALL RANKO”の文字が映し出された。最初は戸惑うような反応を見せていた観客も、急かすようなBGMと共に察したのか一斉に“蘭子コール”が沸き起こった。スクリーンにはメーターが表示され、観客の声の大きさに合わせて矢印がどんどん上がっていく。最初は“0”を指していたそれも、観客が必死に叫ぶことで最高値の“10”へ向かっていく。

 そして矢印が“10”に達したその瞬間、舞台袖から蘭子が姿を現した。万感の想いを込めた拍手で迎えられた彼女は、観客にこれといった反応を見せることなく、ステージに置かれた例の謎楽器へとまっすぐ向かっていく。

 

 蘭子がパソコンに何やら打ち込むと、両脇2本ずつの突起物に変化が表れた。2本の突起物を繋ぐように緑色のレーザーが3本ずつ現れ、まるで弦の少ないハープのような出で立ちになる。

 そして蘭子は手を挙げると、そのレーザーを弦に見立てて指で弾くような動作をした。

 すると、まるで本物のハープのように音が鳴った。しかしそれは本物のハープとは程遠い、あらかじめパソコンで打ち込んでおいたような電子音だった。時に単音、時に1フレーズ、時にティンパニーのような打楽器、そして時には蘭子自身によるコーラス、と、蘭子が計6本のレーザーを指で弾く度に、次々と異なる音がフロア中に響き渡る。

 そしてそれに合わせてストリングス編成の伴奏が流れ始め、蘭子の1曲目『出立』が始まった。この物語のテーマソングとも言える楽曲(もちろん蘭子が作詞を担当している)を、時々キーボードを弾き、レーザーを指で弾きながら歌い上げる蘭子の姿に、観客達は先の3人と違ってただ静かに聞き入っている。

 

 そうして、立て続けに3曲を歌い終えた。普通のライブならば、この辺りでMCが入るタイミングだろう。

 しかし蘭子のライブは違う。スクリーンが再び映像を映し出し、ナレーションと共にムービーが始まる。餓死の危機を脱した男が村を飛び出し、いよいよ魔王の城を目指すこととなった。そして最初に立ち寄った村にて、悪魔に支配された2つの村の話を聞く。2つの村はかなり離れており、地理的に片方にしか行くことができない。

 

『皆の者、どちらか一方を選ぶが良い』

 

 そのナレーションと共に、右と左を指す矢印が同時に現れた。その矢印のどちらかが光っているときに、そちらを選択したいと思った観客は声をあげる。そして最終的に声の大きかった方を選択し、物語が進んでいく。蘭子のライブにはこのような“分岐点”がライブ中に幾つかあり、それによって物語の行方だけでなくセットリストさえも変わってしまう。

 そして最大の特徴として、このライブは“マルチエンディング”となっている。観客が選んだ物語のルートによって10通り以上もの結末が用意されており、どのような結末になるかはその日の観客次第ということだ。

 ちなみに記念すべき第1回であるこの日のライブは、勇者となった男が立ち寄った村の事件を解決し、そして報酬を惜しんだ村人によって奇襲に遭い殺されるという、文句無しの“バッドエンド”だった。物語に入り込んでいた観客達は、その結末に本気で悔しがっているようだった。

 物語の世界観を壊さないため、ライブ中は一切MCを挟まない。なのでこの日蘭子がナレーション以外で観客に呼び掛けたのは、全ての曲が終わった後のことだった。

 

「皆の者、我が名は神崎蘭子。この物語の語り部にして黒幕だ」

 

 その言葉に応えるようにして、フロアから一斉に拍手と歓声が沸いた。

 

「本日の演目は、残念ながら我の納得のいく結末ではなかった。しかし諦めてはならぬ。選択肢を見誤らず、正しき道に男を導けば、必ずや男は我の元へと辿り着く。――では、また会おう!」

 

 蘭子はそう言って、ステージを後にした。観客は拍手と歓声をもって、彼女を見送った。

 

 

 こうして、本日全ての演目が終了した。

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様、蘭子ちゃん! 凄く良かったよー!」

「お疲れ様です、蘭子ちゃん!」

「フヒ……。す、凄く格好良かった……」

「う、うん……。完璧だった、と思う……」

 

 舞台袖に下がって楽屋へと戻ってきた蘭子を、杏を初めとした事務所のメンバーが出迎えた。出番の早かった輝子と小梅はすでに私服に着替えているが、蘭子の前に出番だった菜々はステージ衣装のままだった。インターバルは1時間あったはずだが、蘭子が気になってそれどころではなかったのだろう。

 一方、ステージ上での凛々しい表情のまま楽屋に戻った蘭子は、

 

「うむ! 初めての経験であったが、我の手に掛かれば造作も……造作も……ふえぇ」

 

 楽屋で皆の顔を見て安心したのか、表情を崩してボロボロと涙を零して泣き始めてしまった。するとそれに釣られたのか菜々も泣き出してしまい、杏・輝子・小梅は慌てたように2人に駆け寄り、背中を擦ったり頭を撫でたりして気持ちを落ち着かせる。

 やがて2人の泣き声が落ち着き、時々鼻を啜る音にまで収まった頃、

 

「さてと、まぁお客さんの反応を見ても分かると思うけど、今回のライブは良かったんじゃないかな? スタッフさんの話だと、カフェやショップの売上も上々みたいだし、初っ端のライブとしては大成功って言っても良いでしょ」

 

 杏のその言葉に、輝子達は互いに顔を見合わせて満足げに笑い合った。

 

「でも、これで終わりじゃないからね。昨日まではこの日のために色々準備をしていたけど、むしろここからが長いアイドル生活の始まりなんだから」

 

 しかし直後の杏の言葉に、4人全員が表情を引き締めて頷いた。

 一生に1度しかない、アイドルデビュー。この日をどれだけの想いで迎え、そしてどれだけの想いで乗り切ったか、その重さは杏にも充分に分かっている。しかしこれは、これから週に2回という頻度でライブを行っていく彼女達にとっては、ほんの“通過点”でしかないのである。

 

「これからライブを重ねていくと、みんなの技術もどんどん上がっていくと思う。だけどそれ以上に、お客さんの目も肥えてくるからね。それに同じ曲ばかりでライブするわけにもいかないから、これからもどんどん曲を増やしていかなきゃいけないし、色々なことにチャレンジしなきゃお客さんはすぐに離れていっちゃうから」

 

 輝子は観客を飽きさせないために新曲を作り続けなければいけないし、それは作詞を担当している他の3人も同じだ。特に蘭子に至ってはライブのストーリーを定期的に一新する必要があるし、菜々は平日にも事務所2階のカフェに出るなど、他の3人が苦手とする“ファンサービス”の分野で活躍してもらわなければならない。

 さらにはネットコンテンツを充実させるためにも、動画配信や有料コンテンツといった様々な企画のアイディアを、彼女達自身にも協力してもらう必要もある。こういった企画は、自分でアイデアを出すことで“やらされている感”を軽減することが大事なのである。

 とはいえ、

 

「とりあえず今日はお疲れ様ということで、このまま打ち上げでもやろっか! もちろん明日もライブがあるから、そんなに羽目は外せないけどねぇ」

「フヒ……。や、やった……!」

「そ、それじゃ、今度こそお寿司……」

「良いですね! この間は何だかんだで行けませんでしたし!」

「魔力を消耗した我が体は、大地の力を欲しておる!」

 

 杏の言葉に、4人は一斉に顔を綻ばせてはしゃいでいた。これからも様々な困難が彼女達を待ち受けているだろうが、“腹が減っては戦はできぬ”ということで、今は何もかも忘れて英気を養うことも重要だろう。杏も「よし! スタッフ全員分、特上寿司だー!」と言いながらスマートフォンを取り出している。

 

 

 数ヶ月前まで仕事もせずにニート生活を送り、自身の生活に空虚感を覚えていた杏は、

 今このとき、自分が才能を見出した“仲間”と共に、心の底からの笑顔を浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 最後の演目が終わって外に出たときには、街はすっかり夕焼け色に染まっていた。

 本日より営業を開始した劇場“アプリコット・ジャム”付近には、大勢の人で溢れていた。1階のグッズ売り場には長い列ができており、2階のカフェも順番を待つ客が外にまで溢れている。

 そして彼らは皆、それぞれが今回のライブで印象深かったシーンを思い出しては満足げな表情を浮かべていた。その中には初めて会った人々と顔を付き合わせて、蘭子のライブのどこで選択肢を誤ったのかを真剣に話し合っている場面も見られた。

 そんな人々を眺めながら劇場を後にするのは、露出の少ない灰色の服に大きなマスクで顔の下半分を隠している女性、肩に掛かるほどの長さで毛先を緩くウェーブさせた髪型の少女、大きな帽子で長い髪と目元を隠している少女の3人組――すなわち、トライアドプリムスの3人だった。

 

「凛さん、杏さんに声を掛けなくて良いの?」

「うん。杏にはいつでも会えるし、今日くらいはあの子達に譲るべきだしね」

 

 加蓮の問い掛けに、凛は口元に笑みを浮かべて返事をした。

 そしてその隣では、奈緒が未だ興奮冷めやらぬ様子で熱く語っていた。

 

「いやぁ、やっぱ生のライブは凄かったよなぁ! CDで曲は予習してたけど、やっぱライブで聴くんじゃ全然印象が違うよ! 全員方向性が違う感じで良かったし、あたしこの劇場の常連になっちゃうかもなぁ!」

「ふふ、そうだね。さすが杏、よくあれだけの逸材を見つけてきたと思うよ。李衣菜やきらりやかな子が色々手伝ったって聞くけど、星輝子って子は自分で曲を作ってるし、他の3人も自分で作詞をしてるんでしょ?」

「そうそう! それに蘭子ちゃんは、ライブのストーリーも自分で全部考えてるらしいんだよ! いやぁ、やっぱり凄いなぁ! こりゃ、あたし達も負けてらんないな!」

「うん、そうだね。私も“奇跡の10人”だ何だってちやほやされて調子に乗ってたら、あっという間に後輩に追い抜かされちゃうから気をつけないと」

「えぇ? ストイックな凛さんが“調子に乗る”なんて、全然想像つかないけどなぁ」

「…………」

 

 奈緒と凛が楽しそうに喋る中、加蓮だけは真剣な表情を浮かべてじっと黙りこくっていた。

 

「ん? どうしたんだ、加蓮?」

 

 奈緒がそれに気づいて声を掛けるも、

 

「……ううん、何でもないよ」

 

 加蓮はにこりと笑って、そう答えるだけだった。

 

 

 

「いかがでしたか、社長?」

 

 緩く纏めた三つ編みを横に垂らすその女性は、普段は緑色の事務服という特徴的な格好をした千川ちひろだった。今日は街に溶け込むために地味な色合いの服装をしている彼女は、自分の隣にいるその人物へと問い掛ける。

 

「んっ? まぁ、さすが杏って感じだな。あいつのことだからテレビで観るようなのとは全然違うので来るとは思ってたけど、まさかあそこまで吹っ切れるとは思わなかったわ。――あとやっぱ、劇場の“狭さ”が良いよな。劇場の名前の通り、自分の好きなものを詰め込んだ感じがするわ」

「ええ、そうですね。それにアイドルのみんなが、自分の好きなことをやれて生き生きしているように思えました。――それにあの雰囲気、何だか“昔の346プロ”を見ているような気分になったのは、私の気のせいでしょうか?」

「いや、気のせいじゃねぇよ。杏は346プロが今の場所に引っ越す前に引退したからな。あいつにとっての346プロは、今みたいなでっかいビルを持つ大企業じゃなくて、雑居ビルの1フロアを借りて営業してる弱小プロダクションのイメージのままなんだろ。あいつがアイドル達と一緒に暮らしてんのは、そういう雰囲気を無意識に欲してるんじゃねぇの?」

 

 その言葉を聞いたちひろは、本人が聞いたら顔を真っ赤にして否定しそうですね、と思った。

 すると、ちひろから社長と呼ばれたその“若い女性”は、ふいに両腕を挙げて大きく伸びをした。

 

「あー、やっぱライブは良いわ。何か“原点”を思い出した感じだわ。うし、アタシも帰って仕事頑張るか」

「そうですね。頑張りましょう、“桐生社長”」

「おうよ」

 

 長い金髪を揺らしながら堂々と歩く346プロの創設者にして社長である“桐生つかさ”の後ろを、ちひろはまるで忠実な従者かのようにぴったりとついていった。


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