やはり俺の日常は酷くまちがっている。   作:あきさん

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設定上キャラを跡形もなく粉々に砕いてますが、それも込みでお楽しみ頂ければ。


隠れオタクな相模南。

  ×  ×  ×

 

 とある土曜の昼下がり。

 集めているラノベのほとんどが続刊待ちの状態となってしまった俺は、遠路はるばる千葉のアニメイトまで出向いていた。……いや実際はめんどくさいだけでそこまで遠くはねぇけど。

 最寄こそ京成千葉中央駅だが、少し歩くだけで千葉駅からもアクセスできるその場所は、総武線ユーザーにとってなんと心優しいことか。ありがとうアニメイト千葉!

 などと誰に聞かせるわけでもない賛辞を内心で呟きつつ、地下へと続く階段を下りていく。

 本来ならキャラクターグッズやBDなどもあれこれ物色したいところではあるのだが、あいにくこちとら金のない一学生。しかし、一切の隙間なく壁に貼られている色鮮やかな広告共が、見ろよ買えよとばかりに主張してきて鬱陶しい。

 手の届かない人参をぶら下げられても辛くなるだけだ。

 だから俺は、広告に書かれている値段を見て涙を呑んだりしないよう、少しだけ視線を外したまま店内へ入ろうとしたのだが――。

「……っ」

「……うおっ」

 入り口のドアが開きっぱなしという見知った状況も油断も招き、中へ入ろうとした俺と外へ出ようとした人物が、出会いがしらにどんっとぶつかり――。

「あ、ご、ごめんなさ……」

「っ、すんませ……」

 そして、次の瞬間。

 ――お互いがお互いの姿を見て、固まった。

 一方は、帽子に眼鏡、マスクという変装のテンプレみたいな格好に驚いて。

 もう一方は、まさに今信じられないものを見たかのように、動揺と混乱を瞳に宿しながら。

「……ん?」

 だが、欠けていた落ち着きを取り戻すと、覚えのある声だったことにいまさら気づく。

「あれ、お前……」

「……っ」

 俺の問いかけが終着する寸前、その人物は大層慌てた様子でばたばたばたっと階段を駆け上がっていってしまう。けれど、帽子の隙間からちらりと覗けた赤茶色の髪が、もしかしてという推測を一段階上のステップへのし上げた。

 とはいえ、れっきとした正解と呼ぶにはまだ遠く、いくつも矛盾が残っている。

 オタク文化というものは基本、カースト上位組、つまりリア充と呼ばれる連中の大半には蔑まれ見下されるもののはずだ。だから、あいつが望んでいるものなんてここにはないはずで。加えて、集団から孤立することを何よりも恐れていた奴が、知られれば地位の揺らぎかねない場所にいた。

 故に、いつまで経っても解答と正解が繋がらない。

 正しいはずの理屈が、目の前の真実と結びついてはくれない。

 ただ、誰もが一つくらい、人には知られたくない内緒を抱えては温め続けるもの。また、秘密は人に明かさないからこそ、秘密たり得るもの。

 ともすれば、対象が変わっただけで、俺のよく知る彼女たちにもそういった秘め事があるのかもしれない。

 なので、未だ辿り着けない正解を、もっともらしい屁理屈で無理矢理納得させながら。

「……なんであいつがこんなところにいるんだよ」

 同時に、少しだけ、私情にまみれた皮肉も織り交ぜながら。

 階段の先、もう見えなくなった背中目掛けて、そんな繰り言を放っておいた。

 

  ×  ×  ×

 

 あれから一日と半日ほどが経ち、迎えた月曜の放課後。すれ違った連中が全員揃って即座に後ずさるほど、俺はどんよりとした雰囲気を漂わせていた。

 といっても、件の出来事が原因というわけではなく。単純に新規開拓した作品があまりに面白すぎてどハマりしてしまったためである。

 既にアニメ化もされている作品だということ自体は事前知識で知っていた。しかし、どこぞのギャルゲーか何かにありそうなタイトルだったため俺は避けていたのだが、ネットなどでは書籍もアニメも双方共に高い評価を得ていたのを店頭でふと思い出し。

 さて真実はどうだかと酷評する気満々で読み始めてみれば、緻密に練られた展開に感嘆し、さりげなく敷き詰められた数多の伏線に何度も息を呑んだ。

 そうして、昨今のラノベ界隈も捨てたもんじゃねぇなと俺はアニメの視聴までも始めてしまい、全十二話を全て観終わった頃にはすっかり夜が明けていて。……つまりは自業自得の寝不足なわけです、はい。しかも二周目突入しちゃったんだよなぁ……俺ってばハマりすぎでしょ。

 おかげで身体を起こすのにも膨大なエネルギーを消費する気がするし、平塚先生の授業中に盛大な爆睡をかましてしまったせいで昼休みが説教で潰れたりと、今日は散々な日だった。

 重ねて、意図せず中途半端にとってしまった片手間レベルの睡眠が、今から部活動という過酷な現実が、現在進行形で俺の心身を苦しませている。

 ……仕方ねぇ、我らが部長様に頼み込んで下校時刻まで寝かせてもらう方向でいくか。それにほら、あれだ。部室内で俺がマジの空気と化していれば、雪ノ下と由比ヶ浜の二人も会話が弾み、ますますお互いをリスペクトできるパートナーシップを……っとあぶねぇ、眠すぎるあまりつい意識レベルごと意識が高くなりかけちまった。

 何度も雑念を振り払いつつ、やっとの思いで部室もとい回復ポイントに辿り着くと、俺はたまらず安堵の息を漏らした。

 あとはこの扉を開くだけで、戸塚とのキャッキャウフフが俺を待っている。残念なのは現実ではなく夢の世界でということだが、それでも現状よりは何倍もマシになるだろう。トツカエルマジ大天使。

「……うす」

「あ、ヒッキー……」

 自身がこんな状態のため一足先に部室へ向かわせた由比ヶ浜が、心配そうにではなく、何故か戸惑いに揺れる声色で俺を呼んだ。

 一体なんぞと最後の力を振り絞り、半ば落ちかけている重い瞼を開こうとした矢先。

「こんにちは。……あなたにお客様よ、比企谷くん」

 追って届いた雪ノ下の透き通るような声が、まるで冷や水を浴びせられたかのように感じてしまい、ぼんやりとしたままだった俺の意識は一気に目の前の現実へと戻っていく。

 すると、ここへ来るはずのない、ここにいるはずのない人物が、依頼者用の椅子に無言で座っていることをようやく脳が認識し。

 だからこそ同時に、先日の出来事におけるもう一人の当事者は、やはりこいつなのだと確信を持ててしまう。

 ――相模南。

 俺も彼女も、お互い理由なしに関わるつもりもない。たとえ関わらざるを得ない状況が起きたとしても、依頼だからといったように、お互い仕方なくという理由が必ず付随する。加えて、評したとおり、俺と相模は伸びた価値観の先にあるがほとんど正反対といっていい。

 言うなれば、相容れないだとか天敵同士だとか、そういった類の関係が一番近いだろう。

 故に、俺は。

「いや……なんでお前がここにいるんだよ……」

 思わず、先日と似たような繰り言をもう一度放ってしまうのだった。

 

  ×  ×  ×

 

 ……マジで今日は厄日なんじゃなかろうか。

 ちなみに今日は仏滅でもないし、今朝の運勢占いでしし座が下位だったわけでもドベだったわけでもない。むしろワーストどころかランキング上位だったはずなのにこのザマとか、一体全体ほんとなんなの? 救いはないんですか!

 などと自身が今置かれている状況を嘆きつつ、俺はもう何度目かもわからない欠伸を適当にかみ殺していた。

 あれから現在までのハイライトとしては。

 ちょっとそれ借してと何故か相模にまでそれ呼ばわり及び備品扱いされた挙句、返却は本日の下校時刻までによろしくと部長様の正式なる備品扱いと貸し出しの許可を経て、何の因果か屋上へと連れ出された俺ですが、屋上の空気が最悪です……という感じである。現場からは以上です。

 なので、とにかくさっさと帰りたいのが本音ではあるのだが。

「……いい加減そろそろ用件を話せ」

「っ、だ、だから……」

 という具合に俺から促してみても、こいつはごにょごにょ言い淀むだけで、そこから先を一向に話そうとしないわけで。やがて無言になった相模に痺れを切らした俺がまた促して……無限ループって怖くね?

「……はぁ」

 相槌代わりのため息を吐いた数も百から先は覚えていない。いやまぁ実際は十回もいってないと思うけど。……いい加減帰りてぇ。

 そんなまったく生産性のないやりとりを延々繰り返した頃、平行線だった状態にようやく動きが訪れた。

 気まずそうに視線を泳がせては口元をまごつかせるだけだった相模が、ふと意を決したように深呼吸し、ぐっとスカートの端を握る。

「こ、この前……あ、あたしの……っ、みっ、みみ、見たでしょ……!」

「……いや、いろいろ省略しすぎだから」

 おかげで俺がラッキースケベ的な何かをやらかしたみたいになっちゃってるんですけど。あと涙目でこっち見んな。マジで本当にやらかしたような気になっちゃうだろ。

 もはや突っ込むのも訂正させるのも面倒なので、そこはそのまま放置して本題に触れてやることにする。

「まぁ、別に言いふらしたりしねぇから安心しろ。……じゃ、そういうことで」

 そもそも言いふらす相手がいない! はい、解散! この話はもうやめやめ!

 お後がよろしいようでとばかりに相模へ背中を向けた俺は、めくるめく戸塚とのいちゃいちゃドリームライフに備え立ち去ろうと――。

「ま、待ってよ! まだ話終わってない!」

 ――したものの、相模が引き止めてきたせいでその夢は叶わず。……屋上へ行こうぜ……久しぶりにキレちまったよ……ってここ屋上だったわ。

「まだ何かあんのか……」

 やむを得ず、彼女を背にしたまま耳だけ傾ける。

 正直、奉仕部への依頼ではない時点で話など聞く必要は皆無なのだが、今部室へ戻ったところで面倒事の先延ばしとかけ算にしかならないだろう。

「そ、その……えっと……なんで言いふらしたり、しないの?」

「……は? いや、言いふらす必要性がないだろ」

「でもあんた、うちの弱み握ったようなもんじゃん……」

 ああ、なるほど。その言葉にどうりでと合点がいった。

 要は、彼女も自分の中に真逆の世界を二つ持っているタイプなのだ。クラスのカーストを絶対的なものとして振る舞う表向きの自分とは別に、それを隠れ蓑にした、こっそりとオタクライフを楽しむ裏の自分がいて。

 リア充という生き物の大半は、オタク文化を蔑み見下す。だから、実は自分もという部分が周囲に露見するのを何よりも恐れていた。妄想や想像をかき集めた世界なら、相模が求めているものだって容易く手に入る。地位は必要なく関係もないアニメやネットでなら、自分と同じような価値観を持った連中と簡単に繋がることだって可能だ。

 そう考えれば、辻褄が合う。

 きちんとした理由が備われば、屁理屈も正当性のある解へと変化する。

「……何笑ってんの」

 なるほどなと満足げな苦笑を小さく漏らすと、ちくりと刺すような視線を背中に受ける。

「いや別に。ただ、お前みたいなのがこちら側だったってのが意外なだけだ」

「あんたなんかと一緒にしないでよ……って言いたいところなんだけどね。うちもオタクなのバレちゃったし、さすがにそれはもう通用しないや」

 やがて相模はかくりと力なくうなだれ、諦観めいた息を長ったらしく吐くと。

「……ねぇ、ほんとに言いふらすつもりないんだよね?」

「だからさっきもそう言っただろ」

「じゃ、じゃあさ……前からあんたに聞きたかったことが一つあるんだけど……」

「……あ?」

 相模が? 俺に? パードゥン?

 何をいまさらと俺は思わず振り向いてしまったが、心底解せないことを言い出した当の本人はそれどころじゃないらしく、えっとえっとと何やら必死に言葉を探している。

「その……あんた、いつも本読んでるじゃん? だから……もしかしたらラノベとかも……読んだりしてるのかなって……」

 視線を行ったり来たりさせては唇を開けて閉じての末に、途切れ途切れながらもようやく絞り出された彼女の言葉に、俺は。

「な、なによその顔……」

 それはそれはもう露骨に目や口元を歪め、心底解せぬと表情でしっかり応えることにしたのだった。よし、これにて閉廷! 一件落着! 

「いいから答えてよ」

 ……とはいかないですよねー。

 まぁ、なんだかんだで結局話を続けてしまっている俺も俺ではあるけれど。それも背中越しに話すのではなく、彼女と再びきちんと向かい合って。

「……これでも一応は読書家なもんで。っつーか、なんでんなこと聞いたんだよ」

「えっと、うちもアニメは毎クールチェックするんだけどさ……中には原作がラノベなのもあるじゃん?」

「あるな。ていうか最近だとむしろそっちのほうが大半だが」

「そうそう。でもさ、どんだけ観てもハマっても、原作ってやっぱ手に取りづらくて。文字ばっかりって考えたら、なんか、うん……」

「……なるほどな」

 見るからに活字苦手そうだもんね君。ちなみに俺も相模みたいなのがよく読んでるティーン系の雑誌は苦手だ。見出しからしてなんか読んだだけで偏差値下がりそうだし。

「つまり、アニメと比べて原作はどうなのか、どう違うのか。そこらへんが知りたいわけね」

「うん、そんな感じ」

「……つってもなぁ」

 そもそも読み物とは形式を問わず、最後に自分がどう思ったかなのだ。どこに重きを置いているかも人それぞれだし、読了後の満足感も人それぞれなわけで。故に、俺が素晴らしいと思えた作品が相模にとってもそうだとは限らない。アニメ化もされている作品ならなおさらだ。

 ましてや、作品について語れる相手すらもいなかった俺である。今でこそ奉仕部の二人や依頼などで知り合った連中はいるが、雪ノ下姉妹とは本の趣味が全然違うし、由比ヶ浜や一色あたりは読書自体と無縁なレベルである。材木座? そんな名前の奴は知ら――。

 

 ――あぁ、そうか。

 そこまで思考を巡らせ終えたところで、単純な答えにやっと思い至った。光明をもたらしてくれたのが名前も知らない奴だという事実は非常に口惜しく腹立たしいが、致し方あるまい。

「ねぇ、さっきから何で黙……」

「相模。俺も一つ聞いていいか」

「……っ、あ、え、なに?」

 黙りこくる俺をせき立てようとした矢先で面食らったのか、相模はびくりと肩を強張らせる。こういうところは表でも裏でも共通なんだなと妙な安心を覚えつつ。

 つまるところ、俺は相模の表側しか知らないのだ。

 しかし、今こうして対峙しているのは、俺の知らないところだらけな裏側の彼女で。

 そんな中での唯一の救いは、かつて、似たような対象を相手にした経験だろうか。といっても、似たような対象というだけで、似ているかと問われればまるで違うけれど。

 だから、まずは傾向や嗜好を掴まなくては話が始まらない。ピースを揃え核たる部分を見つけなければ、話が終わらない。

「差し支えない程度にお前のことを教えろ。じゃなきゃ話しようがない」

「……はぁ?」

 にもかかわらず、相模も相模で何言ってんだこいつと胡乱げな表情を浮かべながら、負の感情を剥き出しにしてくる。

 やれやれ……。 

 俺はため息を吐いてげんなりしつつも、自身と彼女が残したまま放置していた祭りの後片付けを顧みれば、それも仕方ないかと頷けた。

 

  ×  ×  ×

 

 あくる日の放課後。

 本日ぶんの授業が全て終わり、先程までは静かだった校内も、今じゃすっかり生徒たちの喧騒で満ち溢れている。

 部活へ向かう者、帰路につく者、クラスでだべり続ける者と、各々が自分なりのスクールライフを謳歌していた。

 さて、そんな俺はどうかというと。

 部活へ向かうわけでもなく、かといって帰路につくわけでもなく、クラスでだべる相手がいるわけでもなく、人を避けて廊下を歩くという悲しいスクールライフを謳歌していた。いや謳歌はしてねぇな。

 とはいえ、クライアントからはバレないようにとのお達しなので俺はそうするほかないのだが。……かーっ! バレないようにとかマジでめんどくせーからつれーわー。もともと存在感ねーけどバレないようにだからなー、つれーわー。

 だが、さらに七面倒くさいクライアントというものが世には存在するから驚きである。ソースは俺の母ちゃんと親父。ごくたまに電話中マジもんの静かなブチギレかましてる時あんだよなぁ……怖い怖い。よし、俺は絶対に働かんぞ!

 不働の意志を確固たるものにしながら、俺はえっちらほっちら屋上へと続く中央階段を上っていく。使わなくなった机が乱雑に置かれているままなのは変わらずだが、それでも、荷物や資材で溢れていた時よりかはだいぶ通り抜けやすくなっている。

 しかし、今回はぎっしりと鞄に詰まった余計な荷物が机に引っかかり俺の行く手を阻む。まるで後片付けをほったらかしにしていた俺をあざ笑うかのように。

 けれど、昔は昔だ。過去は過去だ。

 人に抱く印象というのは常に秒単位で更新され、正にも負にも不規則に傾く。それは俺から見た彼女たちにも言えることであり、彼女たちから見た俺も同様である。

 故に、たとえ些細なことでも変化し、常に不安定で一定の形を保たない。時には第三者の介入により当事者すらも意図していない変化を呼び起こすこともある。人と人との関係が破綻することもあるのはそのためだ。

 ただ、俺と彼女の場合はお互いに最悪からのスタートであり、上がりようこそあってもこれ以上下がりようがない。また、仕方なしの開き直りにしろ、彼女は自ら俺と同族であると認め口にした。そこにはプライドや肩書きに拘り、レッテルを張ることで自身の優位性を保とうとしていた相模南は存在しない。

 そして、ここから先のステージには、聴衆も野次馬も今は必要ない。少なくとも現段階で必要なものといえば、当事者同士と鞄の中にある余計な荷物くらいだ。

 その後のことなんて知らないし、どうなるかもわからない。わかりたくもない。

 でも、ただの後始末として、この一件が片付くのではないのなら。

 この扉の先は、どん詰まりのデッドエンドなどではなく、むしろ――。

 そんならしくもない可能性を考えながら、俺は扉に引っかかっている南京錠へ手を伸ばし、力を入れて引っ張った。

 

 錆びの浮いた扉をぎっと開けば、視界にはうっすらとオレンジがかった空の色。

 だが、俺は屋上からの景色を味わうために来たんじゃない。それはもちろん、フェンス間際で物憂げに佇んでいる彼女も。

 やがてこちらに気づいた相模は、ふうと短く息を吐いた。

「……遅くない?」

「しょうがねぇだろ、校内一周したんじゃないかってくらい回り道させられたんだから」

「だってそうしないとしょうがないじゃん。……バレて友達に噂とかされると恥ずかしいし」

「お前のどこが完璧超人で誰からも好かれる心優しいメインヒロインなんだよ……あ」

 ……しまった。口にしてから失言だったと気づく。

 いくらオタクだといっても、俺の返した突っ込みの元ネタは男向けのギャルゲーだ。異性のこいつが知っているとは限らないし、たまたま元ネタのセリフとかぶっていただけかもしれない。

 だから、マジの真顔での「は?」が飛んでくるかと思い一応は身構えていたのだが、何故かほんほんと納得したように頷く相模。

「へー、あんたにはこのネタ通じるんだ。なんか親近感湧いたかも。……やったね! バッチリ好印象!」

「お前にそれ言われても全然ときめかないんだけど……」

 しかもまさかのそっち側かよ。ガールズサイド嗜んでるとかなかなか闇が深いな、相模。

 それはともかく、ここらで一度釘を刺しとくべきだろう。どうやらネタが通用する嬉しさに変なスイッチが入ってしまったらしく、相模のテンションがやたらと上がっている。

 放課後にこんな場所まで来る奴なんてそうそういないだろうが、可能性がないわけじゃない。何より俺が精神衛生上よろしくない。

「っつーかお前、開き直りすぎだ。もはや別人になってんぞ」

「……クラスのみんなには内緒だよっ」

 だから、バレてもいいのか間に合わなくなっても知らんぞとやんわり注意してみたものの、当の本人がこの有様である。気を遣った俺が馬鹿みたいじゃねぇか……。

「なんか今さらに俺のソウルジェムが濁った気がしたんだがどうしてくれんの……バレたくないんじゃなかったのかよ……」

「ごめんごめん、わかってるよ。あんたがノッてくれたからついハメ外したくなっちゃって」

 それでも、俺の言いたいことは一応伝わっていたようで、相模は恥ずかしげにたははと頭の後ろに手をやる仕草をとった。うーん、こうも素直にこいつに謝られるとなんか調子狂うぞ……。

「……にしてもハメ外しすぎだ」

「いやー、うち、こういうネタ交じりの話って今までできなかったからさ。……その反動?」

 知らんがな。

 まぁ、そんな壮絶なまでにどうでもよさげな俺の突っ込みはさておき。

 話が停滞しすぎて明日も荷物を抱えたまま往復するのが嫌だった俺は、肩にかけていた鞄を床へ下ろす。

 そのままファスナーを開いて持ってきたものを見せてやると、相模はその場でしゃがみ込み、ほへぇと若干の驚きが混ざったような声を上げる。

「マジで持ってきてくれたんだ。ぐう聖かな?」

「……まぁ、一応は依頼みたいなものだし」

「感謝……っ! 圧倒的感謝……っ!」

「言っておくが、もう突っ込まんぞ」

「ちぇ……でも、その、……ありがと」

「……おお」

 どんだけ引き出しあるんだよといった苦笑の意味も込めつつ、興味深そうに一冊ずつ手にとっては目を輝かせる彼女の姿に俺は口元を緩ませる。そりゃそうなるよな、作品は好きなのに活字ってだけで食わず嫌いしてたんだし。

「へー……ラノベってこんなんなんだ。もっと文字ばっかりなのかと思ってた」

「読みやすさに特化しているレーベルなんかもあるくらいだからな」

「うん、確かにこのくらいならうちでも読め……」

 上機嫌でぱらぱらとページを早送りしていた相模だったが、地の文ばかりが続くシーンを目にした直後うげっと露骨に眉をひそめた。どうやら彼女のラノベデビューはスタートから前途多難だらけの模様。

 という具合に相変わらず七面倒くさい奴ではあるものの、食わず嫌いをしてしまう気持ちはわからなくはない。いわゆる間違った先入観というやつだ。それは現に俺も抱いていた。

 こいつはなかなかに厄介なもので、一度でも頭に取り憑けば真実をいとも容易く捻じ曲げてしまう。中身を知る前からああだこうだと勝手に決め付けては邪推し、己の視野を恐ろしいほどに狭めてしまう。実際に蓋を開けてみないとわからないというのに。

 今回の場合なら、件の新規開拓した作品や相模に対しての偏見が、他でもない自身の印象操作に囚われてしまっていたいい例だろう。

 だから俺は、頭の中ですっかり凝り固まってしまった相模南、つまり表の彼女に対する印象や心象は一旦捨て置く必要があった。そうして昨日は残りの持ち時間を全て使い、質問と回答から好みの傾向と嗜好を割り出し、現物を見てもらうことにしたのだ。俺が所持している作品のみという前置きはつくけれど。

「ほー……ふーん……あ、ここの挿絵あるシーン、アニメでもやってたよね。難しすぎてうちはちんぷんかんぷんだったけど」

「もともとの話自体が複雑だからな、その作品。一応俺もアニメは観たが、あれは完全にダイジェストだったわ」

「あー……だから原作組にあんな叩かれてたのか」

「そういうこった」

 ……まぁ、サブカルチャーに無縁及び嫌悪感を持っている連中からすりゃ、こんなふうにコアで痛々しさオンパレードの会話ばかりだったが。

「でも、ほんとあれだね。チョイスがうち向けってのもあるんだろうけど、実際見てみるとうちが思ってたほどじゃないっていうか。むしろ逆に興味出てきちゃったというか……」

「食わず嫌いなんてそんなもんだ」

「今思うとほんとそれ……あー、もう! こうやってもやもやするくらいならこの前一緒にラノベ買っとけばよかったぁ……」

「昨日まであんだけ渋ってたやつのセリフとは思えんな……」

 悩ましげに息を吐いて自身と同様の掌返しをする相模に、思わず微笑がこぼれ出た。

 結局、根拠のない偏見や観念なんて、実際に蓋を開けてみればこんなものなのだろう。

「そこはほら、終わりよければ全てよしってことで」

「……まぁお前がそれでいいならいいけど」

 にしても、こいつを相手によくもまぁ悪手とならなかったものだと我ながら思う。都合のいい結果論ではあるが、俺は無意識に妙手を打っていたのかもしれない。……うむ、後で自分を褒めてあげよう。俺には自分以外褒めてくれる人いないからね!

 とにもかくにも、一日ぶりの延長戦を経て、ようやくここまで漕ぎ着けることができた。あとは実際に触れてみた相模が何を感じ、何を思い、最終的にこれからどうするかは彼女次第。俺の関与できる部分などもうほとんど皆無に等しい。

 これにて依頼完了……になるのかは正直わからんが、できることがもうない以上、ひとまずは終わりとしていいだろう。

 物理的にも精神的にも肩の荷が下りた安心からか、俺はゆっくりと屋上の壁に寄りかかる。

 そこからずっと先、空の彼方に見えるのは、先程より赤みが増したオレンジ色だけだ。

「……やっぱさ、不思議だよね」

 なのに、どうしてか、そこへ割り込んできた声がある。

「うちは、あんたが嫌いで……あんたも、うちが嫌いで。なのに、今はこうやって話してる。前から友達だったみたいに……話せてる」

 自身と俺の双方へ静かに語り聞かせるような声調に釣られ、視線の高度を落とす。相模は本を手にしゃがみ込んだまま、こちらに言葉を届けていた。

 優しい言葉でもかけてやれればよかったのだが、あいにくこちとらそんな性根は持ち合わせていない。

 けれど、あの時のような突き放すやり方を選ぶのも、今は違う気がしたから。

 そして何より、今相模が手にしている作品が、奇しくも――。

「……まぁ、生きてりゃそんなこともあんだろ」

「……そうかも」

 昼休みにでも読もうかと偶然持ってきていた、依頼とは無関係のものであり。

 けれど、その作品は俺と彼女を再び巡り合わせたきっかけとなった、例の作品だったから。

 

  ×  ×  ×

 

「……あんたもこういうハーレムものっぽいやつ、読むんだね」

「言っとくけど、それマジでタイトル詐欺だかんな……」

「え、そうなの……? てっきりそれっぽい感じしたけど……」

「俺も最初はそう思ってた。けど、こないだお前と会った時試しに買ってみたんだけどよ、マジでやばかった。……泣いちまったよ、わりとガチで」

「え……あんたでも泣くことあるんだ……」

「あんたでもってなんだよ……お前、俺を一体なんだと思ってんの……」

「だって比企谷だし。……ふーん、そっか、そんな面白いんだこれ」

「お前が面白いと思うかどうかは保障しかねるが、それでも読んでみたいなら貸すぞ」

「……でもまだ読んでる途中なんじゃないの? 栞挟んであるけど」

「二周目だ」

「どんだけハマってんの……じゃあ、まぁ、これも何かの縁ってことで借りちゃおっかな」

 

  ×  ×  ×

 

 先程よりもますます赤みが濃くなった夕方の空に、ほんの少しだけ藍色が混じり始めた頃。

 依頼……というよりかは相談に近いものだったが、それが完了した旨を伝えるため、俺は昨日ぶりに部室の扉を開く。

「終わったぞ」

「お疲れ様」

「ヒッキー、お疲れー」

 二人のねぎらう声に頷いて応えつつ、いつものように定位置に腰掛けた。すると、入れ替わるように雪ノ下が席を立つ。

「紅茶、淹れ直すわ」

「ああ、頼む」

「じゃ、あたしもお菓子新しいの出すね!」

 そうして、馴れ親しんだ空気と時間が流れ始める。

 やがて漂うのは、温かな湯気に紅茶の香り。クッキーやチョコレートの甘いにおい。

 なんてことない、いつもの毎日だ。俺の知っている日常だ。

「ところでヒッキー、さがみんの依頼ってなんだったの?」

「……まぁいろいろだよ。依頼っつーよりかは相談みたいなもんだったけど、とにかくいろいろだ」

「何一つ伝わらない説明ね……」

「一応は守秘義務があるからな……ん、サンキュ」

 呆れたような微笑みと共に差し出された湯呑みを受け取った俺は、二日間の出来事を思い返しながらずずずと紅茶を呷る。

 最初こそ、秘密の口止めという仕方のない理由がくっついていた。

 本来の俺と彼女の関係なら、そこで終わるはずだった。

 なのに彼女は、本来抱いているはずの感情からは若干ズレたことを言い出して。

 俺も俺で、本来抱いているはずの感情からわずかにズレた選択をして。

 その結果、俺と彼女は秘密を共有する関係というちょっとズレた道を歩き始めて。

 だけど、それはきっと、関係の終わりなどではなくて。

 それはやっぱり、どん詰まりのデッドエンドなどでもなくて。

 ――だから、少しだけ。

 本当に、ほんの少しだけだけれど。

「……なんか甘いな」

「おかしいわね……砂糖の量は変えていないはずだけれど……」

「んー……あたしも変わってないと思う。やっぱり気のせいじゃない?」

「ああいや悪い、味の話じゃないんだ。ただの独り言だよ」

 口の中に残ったままの紅茶の余韻が、普段よりも甘かったように感じられた。

 

 

 

 

 




前回の転載から一年経ってたとか笑えない……。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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