やはり俺の日常は酷くまちがっている。   作:あきさん

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※誤字修正しました。指摘くれた方ありがとうございますー。


雪ノ下雪乃だって悪戯をしてみたい。

  ×  ×  ×

 

 春のぽかぽかとした陽気と心地よい爽やかな風が、寝不足の俺を夢の世界へと定期的に誘ってくる。

 昨日は新刊の発売日がいくつか重なっていたせいで、明け方近くまでついつい読み耽ってしまった。おまけに今日の午前中は平塚先生の授業や体育、午後は期末に向けての小テストと、ろくに寝ることができなかったのだ。

 かっくんかっくんと何度も船を漕いでは意識を戻し、それを数え切れないほど繰り返してやっとのことで放課後。だが、奉仕部でのゆっくりとした時間の流れは、今の俺にとっては睡眠導入剤の役割でしかない。いっそ寝てしまえれば楽なのだろうが、部活中に寝るなと雪ノ下からお小言を頂戴しそうなので、結局はいつものように読みかけのラノベに視線を落としている。

 こういう時こそ一色あたりが生徒会の手伝いを持ち込んでくれれば多少眠気覚ましにもなるのだが、今日は訪れる気配がまるでない。

 また、由比ヶ浜も三浦たちとの約束で遊びに行くらしく、不在である。つまり、部室には雪ノ下と俺の二人しかいないわけで、必然的に空気も落ち着いた静かなものになってしまう。

「くあ……」

「あなた、今日はなんだかやけに眠そうね」

 しきりに欠伸を漏らす俺を見かねたのか、雪ノ下が声をかけてきた。

「あんまり寝てないんでな……」

「ゲームでもしていたの? 夜更かしはあまり関心できないわね」

「いや、昨日新刊の発売日でな。夢中になって読んでたらいつの間にか朝だっただけだ」

 言うと、雪ノ下が納得のいったような表情をしつつも呆れたため息を吐く。

「気持ちはわかるけれど……ちゃんと寝なさい」

「わかってはいるんだけどな……」

 欠伸混じりに答え、瞼をこすりつつ雪ノ下の淹れてくれた紅茶を呷る。しかし、マジで眠い……。盛大に爆睡しそうなのが心配だけども、帰ったら少し寝るか……。

「……そんなに眠いの?」

 読みかけの本をぱたんと閉じ、雪ノ下が尋ねてくる。

「ああ。今日の授業、寝れなかったから余計に」

「そもそも授業は寝るためにあるわけじゃないのだけれど……」

 平然と言い放った俺に、雪ノ下がこめかみに手を当てながら盛大にため息を吐く。

「はぁ……。後で起こしてあげるから寝てなさい」

 俺の様子を見かねてか、雪ノ下が諦めたような口調で言う。意外な言葉に、落ちかけていた意識がちょっとだけ覚めた。それでも超眠いけど。

「……いいのか?」

「そんなに眠そうにされたら私まで眠くなってしまいそうだもの。それに……」

 一旦言葉を区切ると、雪ノ下が視線をふいっと逸らす。

「またあなたが事故に遭ったら、その、……私も、困るから」

 徐々に弱々しく、切れ切れになっていった声。だが、最後まできちんと耳に届いた。あぁ、前回の事故のこともあるし、一応はこいつなりに心配してくれてんだな。

「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ」

 ふっと口元を緩ませて答えた後、両手を組んで机に突っ伏して睡眠の体勢に入る。寝れるという安心から自然と瞼は落ちていき、思考がぼやけてフェードアウトしていく。

「……おやすみなさい」

 雪ノ下の声が聞こえた直後、俺の意識は途切れた――。

 

  ◇  ◇  ◇

 

 かちこちと時計の秒針が刻む音と、すーすーとした寝息だけが部室に響いている。

 読みかけの本を閉じ、隣へちらりと視線を移す。傾いた顔から覗く寝顔は、死んだ魚のような目が閉じられているおかげで雰囲気が大分違って見えた。

 おもむろに席を立ち、その人物へ近づいてまじまじと眺めてみる。

「こうして見ると確かに顔立ちは整っていると言えるかしら……?」

 目は腐ってるけど、そう言い添えてみたものの、静かに反響するだけで返答はない。……あなたが何も言い返してこないというのは、少し寂しいわね。

「…………」

 きょろきょろと周りを一瞥し、注意深く耳を傾けた。そうして誰も近くにいないことを確認してから、おそるおそる手を伸ばしかけた時――。

「ん……」

「ひっ!」

 彼が小さく身動ぎ、思わず悲鳴が漏れた。

「お、驚かせないで……」

 って、元々私から触れたのだしその言い方は違うわね。動揺のあまり理不尽なことを口走ってしまったが、もう一度彼の頭へと手を伸ばし、そっと撫でさする。

 何だか悪いことをしているような気がして、とても私らしくはないと自覚してはいるけれど。こんな時くらいでしか、私は素直になれないから。

「あなたのやり方は嫌いだけれど……。感謝はしているわ、比企谷くん」

 一人きりと錯覚する程に静まりかえった部室で呟く。いつかあなたに、必ず私の言葉で伝えるから、今はこれで許してちょうだい。

 さわさわと遠慮がちに頭を撫で続けながら、その顔に自虐めいた微笑みを向ける。

「……なんだか、愛嬌があるわね」

 わずかに開いた口元にふとあどけなさを感じ、そんな感想を漏らす。

 と、そこで好奇心やいたずら心から、つい別の箇所に触れたくなってしまった。

 手を離し、今度は頬を指でちょんちょんと突っつく。

 ぷにっ。

「意外に、柔らかいのね……」

 つんつん。

 ぷにぷに。

 ……男の人って、こう、柔らかくないイメージがあったのだけれど。比企谷くんが特殊なのかしら? そういえば、私から男の人に触るのって今までなかったわね。相手が比企谷くんだからかしら、不思議と抵抗がないわ。

 何だか楽しくなってしまい、柄にもなく夢中になってしまう。

 つんつん。

 ぐにぐに。

 先程より力を加えて押し出してみると、思い描いた通りにぐにゃんと形を変えた。もしかして、私より柔らかいのではないのかしら?

 開いている方の手で、自身の頬をつまんで確かめてみる。……あまり変わらないわね。でも何故かしら、比企谷くんの頬の方が心地よい気がするわ。

「ふふっ……」

 ぷにょぷにょ。

 ぐにょぐにょ。 

「本当、柔らかい……」

 くにくに。

 つつーっ。

 突っついていた指を、そのまま頬の上で往復するように滑らせて遊ぶ。その感触を楽しみながらくすくすと笑みをこぼしていると、不意にぱちりと彼の瞼が開いた。

「………………お前、何してんの」

 そしてばっちりと目が合い、私の時間がぴたりと止まる。彼はぬぼーっとした寝起きの顔で、訝しげな視線を私に送りつけてきた。

「…………」

「…………」

 ひたすら、沈黙だけが流れる。

 頭には、何も言葉が浮かんでこない。

 口から出ていくのは、ただの吐息だけ。

 ……落ち着きなさい、雪ノ下雪乃。とりあえず今の状況を整理しましょう。

 原因は、間違いなく私。つまり、彼は悪くない。

 そう、悪いのも、こうなった原因を作ったのも、寝ている彼にいたずらをした私がいけないのだから。

 なら、私が言うべきことは決まっているわね。

 ごめんなさいと言って、きちんと事情を説明すればいいだけ――。

「……ち、違うのよこれはあなたをそろそろ起こしてあげようかと思ったのだけれど、顔に虫が止まっていたから振り払おうとしただけで別に他意はないのよ。いい? 私があなたの頭を撫でていたとか頬を突っついていたとか、そういうことは絶対に有り得ないのだから、変な勘違いは起こさないでちょうだい」

 違う、違うの。そうじゃないの、そうじゃないわ。

 おまけに動揺しすぎたせいで、言う必要のないことまで言ってしまったじゃないの。私、ちっとも冷静じゃないじゃない……。

「おい、後半ただの自爆じゃねーか……」

「……忘れて」

 顔の熱が徐々に増していくのがわかる。私としたことが言い方を間違えすぎてしまったわ……。

「まぁ、その、なんだ。……お互い忘れよう」

「そうしてくれると助かるわ……」

 意図しない形で説明することはできたものの、あまりの気まずさにいたたまれなくなり、俯いて視線を逃がす。こういう時、どうしたらいいのかしら? 何を言ったらいいのかしら? 取りあえず何か言い繕うべきよね。

「ひ、比企ぎゃやくん」

 ……いきなり噛んでしまったわ。いくつ失敗を積み重ねれば気が済むのかしら、私。

「お、おう。つか落ち着け、俺は気にしてないから」

「そ、そう……」

 私は気にするのだけれど……。気にしてないと言われるのもそれはそれで何だか……。顔色をうかがうようにして視線を戻してみると、彼ががしがしと頭を掻く。

「……それに、別に嫌じゃなかったし」

「そう……」

 彼の言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。同時に心が高鳴り、より顔がかあっと赤く染まっていく。

 この感情の正体は、まだわからないけれど。彼の願う“本物”が一体何なのかは、まだ掴めないままだけれど。

 いつか、私を。

 いつか、私と。

 

 うっすらと茜色に染まり始めた陽の光が差し込んでくる奉仕部の部室で、私は一人、心の中でそんなことを考えた――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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