2月の冷えきっているはずの廊下を歩いているのに、身体中熱くて仕方がないのは、たぶんさっきまで屋上に居たから寒さに慣れ切ってしまってるからなのだろう。
顔の火照りが止まらないのは、普段居ない一年生が二年生のテリトリーを歩いているから、視線が集中して気まずいからなのだろう。
胸の鼓動が激しく高鳴るのは、特別棟の屋上からここまで急いで歩いてきたことによる息切れに違いない。
だって…………熱くたって火照ってたってバックンバックンしてたって、なぜか不思議と心はとても落ち着いているから。
愛ちゃんのセリフ。私はなんであんな簡単な事に今まで気付かなかったのかな?恋は盲目すぎでしょ。
そして目的地に到着した。
この扉を開けるのは今日で二度目だ。
あの時も熱くて火照ってドキドキしてメチャクチャ緊張してたけど、同じような熱っぽさなのに、今はこんなにも心が落ち着いてるんだから不思議。
そしてわたしは迷わず扉を開いた。
× × ×
「失礼しまーす」
そう声を掛けた途端に集中する視線。うわっ……結衣先輩がぎょっとして超見てる。
なにせ今日は2月14日。たぶん……なんか感じ取ってるんだろうな。
でもそんな事はもう気にしない。集まる視線だって全然無視しちゃう。
今のわたしの瞳に映ってるのは、イヤホンを耳に差して机に突っ伏してるクセに、わたしの「失礼します」にビクッとなったあの先輩の背中だけ。
わたしは迷わずその背中の隣まで歩いて行くと、あの日とおんなじようにイヤホンを思いっきり引っ込抜いてやった。
「うひゃっ」
「うっわ……相変わらずキモくてちょっと無理ですごめんなさい」
「……登場早々振られちゃうのかよ……で、なんの用だよ一色」
頭をガシガシ掻きながら、気まずそうに目を逸らす先輩。
ふむ。こんな日にわざわざ来たんだから、理由なんて分かってますよね?
それとも、友達の愛ちゃんを振ったからその件で文句言いに来たとか思ってるのかな?
「えっとですねー。ここではなんなんでぇ、お昼休みに生徒会室に集合してくださいっ」
きゃるんっ!と可愛く言うと、先輩は超嫌そうな顔をした。
いやまぁわたしが今日という日に生徒会室への呼び出しを口にした瞬間に、教室中がザワリとしたから当然と言えば当然なんですけどね。
「あ、や、昼はアレがアレでな?」
だからわたしは先輩のどうでもいい言い訳なんて無視して、耳元でそっと囁いてやった。
「……言っときますけど、もし逃げたらこの間のデートであったこと全部、この教室でつい口が滑っちゃうかもですよ……?」
「なっ!お、おま……」
あの日以来、お互いに敢えて避けてきたデートの話題に触れたら効果てきめん!
そう……わたしがこの話題を口にするってことは、今日がその時なんですよ?せんぱい……
「ではではよろしくですっ♪」
絶妙な手の角度と腰の角度がポイントの、必殺の敬礼をバシッと決めて、わたしはF組の教室を後にした。
わたしの強襲を受けて、結衣先輩は先に動いたりするのかな?
先に呼び出したわたしを見てからその前に動くなんてちょっとズルいけど、恋はバトルだしズルいくらいじゃないと何にも始まらないんだって、わたしはあの子に教えて貰ったからね。
だからお先に告りたければお先にどうぞ?
むしろこれで動かないくらいの気持ちなんだったら、もうあなたなんて恐くない。
× × ×
四時限目終了のチャイムが校内に響き渡ると同時に、わたしはチョコレートの入ったカバンに手を伸ばしてすっと立ち上がる。
三限の休み時間の間に生徒会室の鍵は借りといた。
もちろん平塚先生には即呼び出しを食らって、昼休みに生徒指導室に来るようにと命じられたんだけど、「今日の昼休みだけはご容赦を!土下座も辞さない覚悟であります!」って言ったらなんとか許して貰えた。
もちろん放課後は強制連行確定ですよ?なのでもう実質的にワンチャンなのです!
覚悟は出来た。時間も出来た。だからもう焦りなんて1つもないから慌てずに行こう。
「ありゃ?いろは今日もお昼……………………ふ〜ん。そっかそっか!よ〜しっ!頑張ってこーいっ」
「いろはちゃんふぁいとぉー!」「行ってら〜。ま、頑張んな」「行ってらっしゃーい!ファイッ」
ぐぬぬ……わたしそんなに顔に出てんのかなぁ……
えへへ〜、今まで何にも聞かないでいてくれてたのにありがとねっ。
帰ってきたら、ちゃんとみんなに話すからね。
「おうっ!!」
わたしはわたしらしく勝ち気な笑みを浮かべコブシを突き出した。
ついに勝負の時。待ってろせんぱい!
× × ×
鍵を開けて、誰も居ない冷えきった室内に入る。
そして会長に就任してから持ち込んだハロゲンヒーターのスイッチを入れて、ふと室内をぐるりと見渡してみる。
思えば色々あったな〜。とは言ってもまだたったの二ヶ月ちょっとしか経ってないけどね。
でもたったそれだけとは思えないくらいの濃密で素敵な時間だった。
やっぱ先輩と決着を付けるとしたら……ここしかないよねっ。
そしてわたしはいつもの自分の席に着いて先輩の到着を待つ。
本当に不思議。今まであれだけ不安だったり恐かったりして逃げてばっかりだったのに、わたしの心はとんでもなく穏やかなままだ。
昨夜までは何度も吐きそうなくらいに緊張しっぱなしだったのに、こんなに落ち着いているだなんて、わたしおかしくなっちゃったのかな?
『だって、振られちゃったからって、諦めなきゃいけない決まりなんてないでしょ?……もし誰かさんの告白が成功して彼女が出来ちゃったって、諦めなきゃならない決まりなんてないでしょっ?…………だって…………ずっと想い続けて、ずっとアタックしまくって…………いつか振り向かせちゃえばいいんだからっ!』
あの時の愛ちゃんの言葉が頭を過る。
ホントばっかみたい、わたし。なんでこんな簡単な事に今まで気付かなかったんだろう。なにをそんなに恐れてたんだろう。
こんなにも簡単な事だったんだ。こんなにも当たり前の事だったんだ。
そう……
「逃げられちゃうなら、どこまでも追っかければいいだけじゃんっ!」
こんな簡単な事だけど、わたしには見えてなかった。こんな簡単な事なのに、気付けただけで心が落ち着いた。
だから愛ちゃん、ありがとねっ。
と、その時扉を叩く音がした。
「どうぞ」
客人を招き入れるその声は常時と何一つ変わらない落ち着いた声色で、一人っきりの生徒会室に優しく響いた。
× × ×
ガラリと開いたその扉から、いつもの面倒くさそうな顔をした愛しい先輩が顔を覗かせた。
「おう……来たぞ」
「ふふっ、お待ちしてましたよ?せーんぱい。ささ、どぞどぞ!」
室内に招き入れられた先輩は、なんだか所在なさげによく座る席に腰掛ける。
「……あー、で?なんの用だよ……」
さてさて、それでは何からお話しましょーかねぇ?
とはいえ、まずは聞いとかなきゃならないことがありますね。
「えーっとぉ、先輩はー」
人差し指を口元に充てて、首をかしげながら聞いてみる。
たぶんその作ったあざと可愛い仕草とは裏腹に、ここからはちょっと声のトーンが落ちちゃいます。
「愛ちゃんに……チョコ貰ったじゃないですかぁ?…………なんで、断っちゃったんですか?先輩なんかにあんな可愛くて素敵な子がチョコくれて告白してくるなんてこと……もう一生無いことかも知れませんよ……?」
すると先輩はため息をついてガシガシと頭を掻く。
「……やっぱその事か。まぁアレだ。あまりにも急すぎてビックリしたしな」
「……ビックリしたから断っちゃったんですか……?ホントこんな事、もう二度と無いかも知れないんですよ……?後悔しちゃいますよ……?」
「ああ……まぁ後悔すっかもな。愛川はすげぇ良い子だし、その……なんだ、か、可愛いしな……」
「だったら、なんで……」
「そもそも釣り合わんだろ俺となんかじゃ。俺と付き合ったって、愛川のためになんかなんねぇだろ」
「……じゃあ、先輩が愛ちゃんの告白を断ったのは、単に愛ちゃんの為とかって言うんですか?」
その質問に、先輩はちょっと苦しそうに顔を歪めた。
「…………んなわけねぇだろ。そんな理由だけで断ったら、気持ちを真っ直ぐにぶつけてきてくれた愛川に申し訳ねぇよ……それだけじゃなくて、理由は他にもある」
「他にもって?」
「まぁ単純に、俺はまだ愛川の気持ちに応えられるほど愛川の事を知ってねぇってことだ。確かに良い子だし、か、可愛いが、それだけで付き合うとかって良く分からん……」
「そうですか。他には?」
「……あとは、それこそ俺の問題なんだが……なんつうの?人を好きになるっううか、人に好かれるっつうか、そういうの自体が良く分かんねぇんだよ……」
「……良く……分かりません」
「……俺はな、今まで他人から好かれた事なんて無かった。常に悪意とか憎悪とか、そういうのに晒されてきた人間だ……だから、俺みたいのを好きになる人間の気持ちが分かんねぇんだよ…………たぶんそれは勘違いだ。俺に勘違いして、勝手に幻想を抱いてるだけだ」
…………まったく。ホントにどうしようもない先輩ですねー、せんぱいは。
人の気持ちを勘違いと考えること自体があなたの勘違いなんですよ?人の気持ちって、そんなに簡単じゃない。
たぶんそう言いながら、わたしの気持ちにも牽制を入れてきてるんでしょ?
先輩はわたしなんかが想像出来ないくらいに、たくさん辛い目にあってきたんだろう。
その事についてはわたしには何にも言えないし言う資格もない。
でも……それとこれとは違うんだよ。先輩みたいな素敵な人は、もっと真っ直ぐに人の気持ちを受け取ったっていいんだよ。
「やっぱり……良く、分かりません……でも、とりあえず分かりました…………あとは?」
「とりあえずは……そんなとこだ……」
そう言いながら、先輩はふいっと目を逸らした。
……先輩?嘘つきましたね?
わたしは今、超怒ってます!
分かってた事だけど、想定内の事だけど、それでもっ……恋する乙女の熱い気持ちを勘違いの一言で切り捨てて逃げようとする先輩のあまりのヘタレっぷりに!
だから今日は絶対に逃がしてやんないんだから!
「せーんぱい?……こんなに真面目なお話してるのに、嘘は良くないですねー」
「は?嘘なんてついてね…」
「ほっとけないバカが居る」
「…………なっ!?」
先輩の顔が一気に青くなった。
わたしはそれを見て、たぶんわたし史上最上級の黒い笑顔を向けてやった。
「ほっとけないバカが1人居るから、愛川の気持ちに応える事は出来ない……ですよねっ?」
「お前っ……!なんでそこまで知ってんの……?」
そしてわたしはカバンからわたしの気持ちが全部詰まってると言っても過言では無い、最っ高の贈り物を取り出した。
「ホーントせんぱいはどうしようもないヤツですよねー。目は腐ってるし心も腐ってるし、寒いしキモいし捻くれてるし。あとキモい」
「おい……キモいって二回言ってんぞ」
「そして何より、恋する女の子の気持ちを舐めすぎです。ふざけんなです。なにが俺を好きになんかなるわけが無いですか。人の気持ちなんだと思ってんですか。本当に最悪な人ですね。ガチでムカつきます」
とても告白なんかをしてるようには見えない雰囲気の中、わたしはそっとチョコレートを先輩へと差し出した。
「どうぞ先輩。そんなどうしようもない先輩に、誰にも好かれる資格なんて無い最低最悪な先輩ごときに、このわたしが仕方がないのでチョコあげましょう」
戸惑う先輩に、無理矢理チョコを押し付ける。
そしてわたしは、たぶんわたし史上最上級の微笑みを先輩へと向けた。
自分では分からないけど、本当に自然に出た笑顔だったから、たぶんその笑顔は本物なんだろう。
「好きですよ?せんぱい。……わたしは、あなたの事が大好きです」
あまりにも自然に出た言葉。
思わず笑っちゃうくらいの史上最低で史上最悪なヒドい告白劇。でもキラキラした素敵なムードの告白劇なんかより、こっちの方が断然わたし達らしいよね?
こんなヒドい告白になっちゃったけど、この想いは…………ちゃんとあなたに届くかな…………
続く
ありがとうございました!
いろはすの告白シーンは、こんな風にロマンチックでもなければムードも無い、罵りながら優しい気持ちが溢れる最低でみっともない告白劇がこの2人には合ってるかな?とずっと思ってて、このシーンは一番最初から決めてました。
もっとこう、いろはすが真っ赤になって、スカートをぎゅっと握って声がかすれて涙流しながらで、ドッキンドッキンでバックンバックンな告白劇じゃなくてごめんなさい><
そして次回はついに最終回です!
「逃げちゃうならどこまでも追っかければいい」
が果たして負けフラグなのか!?それとも逆に勝ちフラグなのか!?
次回の最終回をお待ちくださいませっ!