デート・ア・ライブ  the blue fate   作:小坂井

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77話

「ねえ、〇〇は僕の事。好き?」

 

「ええ、あなたは変なところがありますけれど、大切に思ってますわよ」

 

周りが木に囲まれた場所で、二人の人物のそんなやりとりがされる。そこは多くの木が並び立ち、その枝の隙間から地面に暖かい日光を降り注がせるそんな場所。そこで一人が自分を膝枕してくれているもう一人にそう聞くと、女性のそんな声が返ってくる。

 

「うん…、僕も〇〇の事が好き…」

 

その回答に満足の笑みを浮かべ、後頭部にある太ももに全てを預け、目を閉じる。自分の全てを託せるようなそんな不思議で暖かい状況に眠りたくなるが、それに抗い、僅かに目を開ける。

 

そして、今現在、自分を膝枕しながら、頭を撫でてくれている人物に顔を向ける。だが、その顔は逆光効果のせいでハッキリと見えない。

 

「・・・・・」

 

見えないなら、せめてこの手で触れて確かめようとその顔に右腕を伸ばす。無言のその行動に相手は疑問を口にする事なく、ただクスリと笑うだけだった。ゆっくりと近く自分の掌がその頬に触れようとするその瞬間。

 

 

ピピッーピピピピピッ!!

 

「ッ!?」

 

突如鳴り響いたその音に、蓮は目を覚ます。目覚めたと言うより叩き起こされたという表現が正しいような目覚めだ。鳴り響く音の中でため息と共に自分の頭を抑える。

 

「あぁ…寝てたのか…」

 

今自分がいるのは、自宅の隠し部屋。数台のパソコンと大量の電子部品で支配された領域で、椅子に座って居た。学校から帰って来て、この部屋に入ったものの別に寝るつもりは無かったのだが、これも狂三の言っていた副作用の一つだろうか。

 

そんな事をボンヤリと考えながら、自分を叩き起こしたもの…机の上で音を立て続ける携帯電話を手に取る。画面には『司令官殿』と表示されている、電話をかけてきたのはどうやら彼女らしい。どんな内容でかけてきたのか大方察しがつくのだが、通話を選択しそれを自分の耳に当てる。

 

『あ、やっと繋がったわ。さっきから何回も電話かけてたのに、なんで出なかったのよ』

 

「あー、司令官殿?さっきまで寝てたから気づかなかったんだと思う」

 

向こう側からは怒りが半分、心配が半分といった様子の琴里の声が聞こえてくる。何回もと言ってた辺り、帰ってきてからの短時間で随分と深い眠りに入ってしまってたらしい。昼寝などらしくないと自分でも思う。

 

『昼寝してたって事?まあ、何でも良いけど、そのせいで鳶一 折紙の今後の対策についての会議が欠席になっちゃったのよ?まあ、大雑把な事は私の口から言えるけれども…』

 

「そんな細かい事は言わなくて良いよ。俺は今後どうすればだけ言ってくれれば」

 

『え?分かったわ。蓮には、今週の土曜にある士道と鳶一 折紙とのデートで、二人の近くで控えて貰うわ。まあ、やる事はいつも通りだけど、相手はあの〈デビル〉だから十分に注意してちょうだい』

 

普段の蓮らしくない、大雑把な言葉に琴里は少し戸惑ったものの、話し合いで決まった今後の行動を伝える。それを聞きながら、自分を心配するような事を聞かれるわけでもなく、いつも通りの様子から士道は今の自分の状態を話してないと確信する。

 

『でも、〈デビル〉に対する推測とかはちゃんと聞いてほしいから、明日にでも家に来てちょうだい。それじゃあ…』

 

「あっ、まだ切らないでくれ」

 

『ん?何?何か聞きたい事でもあるの?』

 

琴里を呼び止めた所で、何故自分がそんな事をしたのか理解出来なかった。別に何か分からない事やどうしても聞いておきたい事があった訳でもない。まるで口が勝手にそう言ったかのように喋っていた。

 

「え?いや、その…」

 

どうしてもそんな事をしたのか、蓮自身も理解出来ず、無意味に視線を泳がせ部屋中を見渡した。呼び止めておいて何も聞かないのも失礼だろうと思い、必死に何か話題を探す。そこで蓮の視線が部屋内のパソコンのデータをまとめている親の端末に目が止まった瞬間、どうしてそんな事をしたのか察した。

 

(もしかして…俺は俺自身のことを知って欲しがっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)…?)

 

今は、自分の正体や本当の名前を知って貰う良い機会だろう。琴里なら、その事実を変に広げる事なく十香達へと伝えてくれるだろう。それに気づき、少し上擦った声音で話す。

 

「いや、その…俺…実は…えっと…」

 

頭では理解している筈なのに、言葉にしようとすると喉に石が詰まっているかのように言葉が出てこない。出てくるのは意味の無いものばかりで、言葉として成立しなかった。

 

『どうしたのよ?何か言いたい事があるんじゃないの?』

 

「いや、やっぱり何でもない。明日、そっちの家に行くよ…。それじゃあ…」

 

琴里の問いに、逃げるようにそう答えると通話を切る。再び一人だけとなった部屋で蓮はため息とともに机に突っ伏した、その胸にあるのは『言えなかった』という後悔だ。

 

「何で言えなかった…。十分に信用出来る相手だっただろうに…」

 

それは間違いない真実であったと自分自身に確認する。ならば、何が自分を止めたのか、その背後にある〈ラタトスク〉という組織の存在か?あるいは、他者を見る時の自分のアドバンテージ…優越感か…。

 

「まさか…それが…」

 

それが頭に浮かび、顔を上げた蓮の視界にキラリと光るものが映る。それは一見、正方形の形をした水晶だった、しかし、見た目はそう見えても中身はパソコンに匹敵するスペックを持つ携帯端末。それが室内の明かりを反射させ光っているように見えたのだ。

 

「…ッ!!」

 

蓮はそれを見た瞬間、歯をくいしばるとそれを掴み部屋の壁に向けて投げつける。そこそこの力を込めたのだが、端末は壁とぶつかり大きな音を響かせるだけで傷一つつくこともなく、乾いた音と共に床に転がる。

 

「他人を見下して…何様のつもりだ…!隠し玉を持ってて…安心してるお前は…」

 

床に落ちたそれを睨みつけ、拳を強く握る。その言葉は全て自分へと戻ってくるものだと理解している。丸腰になるのが怖くて、何か武器を隠し持ってないと日々生きていけないようなそんな臆病者。そんな自分にただただ呆れ怒りが湧いてくる。

 

「もう…終わりだ。皇帝は…」

 

小さく息を吐いた後、電話中に視界に入った室内全てのパソコンの統制をしている端末の電源を入れる。そして、十桁以上のパスワードを入力し、操作出来るようにする。

 

そこからキーボードをカタカタと叩き、最後にキーを叩いた瞬間、画面が真っ赤になるとそこに八十秒のカウントダウンが表示される。

 

「・・・・・・・・・・」

 

それを0になるのを見届けることなく、目を伏せた後、蓮は室内の明かりを消し部屋を出て行く。もう訪れる事のないであろうその部屋に未練などカケラも残さないように真っ直ぐに。

 

無人となった部屋で、その端末の画面だけが光を放つ。そのカウントが0となった瞬間画面には『NO DATA』と表示されその画面は自動的に消える。

 

これで世界を騒がせていた"皇帝"は死んだ。これから先、何かを生み出すことはなくただ人々の記憶から消えゆくだけの存在へとなった。結局、ジェイク・メイザースは誰かに秘密を打ち明ける事はなく、消去し忘却するという形で処理した。秘めていたものを伝えるのではなく、その必要を無くさせて(・・・・・・・・・・)口を閉ざしたのだ。

 

いつか壊れて、自分の真実を漏らすと予想していた事は片手の指の数で数えきれるだけの人物だけが理解し、闇へと葬り去られた。その瞬間に立ち会ったのは世界で一人だけだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そして、来るべき週末の土曜日。天気は晴天、デート日和としては文句のない環境だ。そんな日の天宮駅前への道を歩きながら、士道は耳につけたインカムで会話をしていた。相手ははるか上空にいる〈フラクシナス〉の艦橋に座っている琴里だ。

 

『にしても、随分早くない?まだ約束の四十八分前の時間じゃない』

 

「いや、折紙だったらもう来ててもおかしくない。いなくても待たせちまうよりはマシだろ」

 

折紙との待ち合わせは十一時なのに対し今の時間はそれの四十八分前、十時十二分だ。インカムで会話しながら携帯でそれを確認しても士道はそれを早すぎるとは言わずに、相手はもう来てるとすら言う。それに琴里は『ふーん』と意味ありげな声を出す。

 

『随分と詳しいのねぇ、ただのクラスメートの割には』

 

「うっ…いろいろあったんだよ。それより、蓮は今どこにいるんだ?もう駅前広場で待ってるのか?」

 

このままでは自分が不利な話題になると察し、話題を切り替えを含めた疑問点を聞く。いざという時に動いてもらう蓮とは朝に会ってるわけでもなく、行く途中に顔を合わせる手筈という訳でもない。折紙の事を考えると出来るだけ近くにいて欲しいものだが、琴里からは意外過ぎる答えが返ってきた。

 

『ああ、蓮なら家を出た瞬間からついてきてるわよ。今も士道を見ているでしょうし』

 

「えっ!?どこから…」

 

慌てて周囲を見渡すが、今いる周りには人っ子一人居なく、自分を見ている誰かがいるだなんて言われなければ何もしないで歩き続けたに違いない。必死に首を振る滑稽な士道を鼻で笑った琴里は、答え合わせとばかりに蓮の居場所を教える。

 

『右後ろの方向にある茂みの中。よく見ると黒猫がいるでしょ?』

 

「茂みの中…?ああ、確かにいるな…」

 

指示に従い、背後を振り返り茂みの中を見ると、見事なまでの黒い毛並みをした猫が隠れていた。毛の色が黒なのもあり最初から探す気で見ないと気づかないだろう状態だ。

 

『あれが蓮よ。ずっと家から見てたのよ』

 

「あ、あれがか?どうやって…」

 

『少し前に七罪の天使によく似た力を蓮も手にしたじゃない。あれを使ったらしいわよ』

 

そう言われて、士道は思い出す。精霊の一人である七罪の天使、〈贋造魔女(ハニエル)〉の力を別の形でものにしていた。その力で別の生き物になるのをこの目で見ていたのだ。

 

士道はその黒猫に、挨拶がわりとばかりに手を掲げると、『ニャア』という返事が返ってくる。それは『安心しろ』という意味なのか、それとも『さっさと歩け』と言ったのかは本人以外分からないだろう。

 

『こんな風に蓮は士道と鳶一 折紙とのデートについて行くわ。もちろん、ずっと黒猫が追いかけてくるのも怪しまれかねないから、臨機応変に姿を変えて行くから安心しなさい』

 

「お、おう。それは安心だな…」

 

『なんで引いてるのよ。あんたが『心配だから出来るだけ近くに待機させて欲しい』って言ったんじゃない』

 

「ま、まあそう言ったけど…それはいざという時の時のためって意味で…」

 

ここまで来ると安心というより恐怖というものを感じる。それに頬を引攣らせるが、自分がそう言ったのは事実なのでやり過ぎなどという事を言える訳もなく歩き続ける。少し歩き、曲がり角を曲がる瞬間、士道は黒猫がいた茂みに目を向けるが、そこには黒猫の姿は無かった。

 

 

 

駅前広場の噴水前で、約束の三十分以上前だというのに合流する士道と折紙。それを上から見下ろしている存在があった。

 

(今の所は折紙に異常は無し…、こう見てると普通なんだけどなぁ)

 

周囲にある電灯の上に止まる一匹の鳩。街中にいたとしても気にすら留めないであろう存在に変身している蓮は、緊張しているのか士道とぎこちなく話す折紙を見下ろしてそう考える。そして思い出す、数日前に琴里から言われた事を。

 

『鳶一 折紙は、精霊の姿を見た瞬間、"前の世界の記憶を取り戻す"』

 

あくまで仮説という前置きをした後に言われた言葉だが、折紙は精霊を見た瞬間に〈デビル〉という精霊へ変化するスイッチが入るという。だから、あの時霊装を纏っていた狂三が殺され、一緒にいたというのに自分たちには攻撃して来なかった。

 

結論から言うと、鳶一 折紙は自分が〈デビル〉という事を隠しているつもりなど無かった(・・・・・・・・・・・・・・)という事だ。

 

(随分と歪な世界になったな…、やっぱりそんな都合良くはいかないのか)

 

自分たちは過去に戻り、行ったのは折紙の過去を変えようとしたが悲しい部分だけを綺麗に無くそうなど都合が良すぎたのだろ受け止める。ただ、その後始末をなぜ自分が鳩になど変身してやっているのだろうか。…まあ、上司である琴里からの頼みであったからなどと言ってしまえばそこまでな疑問なのだが。

 

そんな事をボンヤリ思っていると、見ていた士道と折紙が歩き出し移動を始める。行き先は〈フラクシナス〉の命令か、今話し合って決めたのかは分からないが二人を視界にキープし続けるため、羽を羽ばたかせて空へ舞い上がった。

 

 

 

「だ、大丈夫か?体調が悪いのなら少し休んで…」

 

「ううん…大丈夫…。今日の私どうしたんだろ…?」

 

デート場所の一つであった洋服店を後にした折紙と士道だったが、店を出てから折紙は何やら苦しそうに額を抑え、士道はそんな彼女を心配する素振りを見せていた。折紙がこんな理由なのは、さっきの店で士道が少し目を離した瞬間に、折紙がスク水に頭に犬耳のカチューシャ、お尻に犬尻尾のアクセサリー、そして首に革製の首輪とアブノーマルな格好をしていたからだ。

 

それを見られた折紙自身は、最初は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、その後何故か苦しそうに顔を歪めたのだ。そんな状態の折紙と共に今は歩いている。

 

「ま、まあ、気分が悪くなったのならすぐに言えよ?無理しないでさ」

 

「ありがとう…、でも、私、さっきはなんであんな格好を…キャッ!?」

 

話の途中で折紙はそんな短い悲鳴と共に尻餅をついた。それと同じようなタイミングで折紙とは違う驚きの声が聞こえた事から、どうやら誰かとぶつかってしまったと士道は理解した。前を見ると、折紙のように倒れている人物がいる。

 

「いやいや、ごめんなさいねぇ。うっかり前を見てなかったもんだから…」

 

そう言いながら立ち上がったのは、杖をついた老婦人だった。髪型は白髪のベリーショートで、装いは真っ青なリブタートルネックニットに、Aラインのロングスカート。そして歩きやすそうなウェッジソールの黒いブーツを履いていた。杖をついていたが、その背筋はシャンとしており、その必要性を感じさせないものだ。

 

そんな不思議な雰囲気を放つ貴婦人は、折紙の前まで歩いてくると、心配そうな表情と共に手を差し出してくる。折紙もその雰囲気に呆然としていたが、我に帰り、『だ、大丈夫です』と言って立ち上がる。

 

「わ、私の方こそ、前を見てなかったので…、えっと、お怪我はありませんか?」

 

「私は大丈夫よぉ。こんな年齢だけど結構頑丈ですからね」

 

折紙の心配を吹き飛ばすように微笑む。まるで物語から出てきたようなそんな感じを受けさせる人物だ。そんな老婦人は士道と折紙の顔を一回ずつ見ると、まるで微笑ましいものを見るような表情をする。

 

「あらあら、もしかしてお二人は恋人同士かしら?どうやらデートのお邪魔をしちゃったようねぇ」

 

「こここっ、恋人ですか!?」

 

「デートっていうか、なんと言うか…」

 

士道は困ったような表情で頬をポリポリと掻く。まあ、デートしているのは間違いないためどう反応していいのか難しいところだ。それより、隣にいる折紙の動揺っぷりが凄まじいのが問題だ、見てて心配するほど顔を真っ赤にすると『恋人』という単語を何度も呟いている。そんな折紙を見て、老婦人は口に手を当てて上品に笑うと『若いっていいわねぇ』と言う。

 

「さて、要らない年寄りはこの辺りで退散しようかしら。お二人共、楽しい一日を過ごしてくださいねぇ」

 

そう言うと、ペコリと頭を下げ士道たちとすれ違うように逆の方へと歩いていく。不思議な人だなぁと思いつつ折紙を見ると、何やらモジモジと恥ずかしそうに下を向いていた。どうやら、自分たちが他から見たら恋人に見えるという事を気にしているらしい。

 

そんな折紙を見てどうしようかと悩む士道は、ある事を考え口を開く。

 

「あの…さ、俺たち他の人から見たらそう見えるらしいぜ。折角だからその…手、繋いでみるか?」

 

「えっ!?えええ!?」

 

その言葉にさらに狼狽する折紙。それを見て流石に急すぎたかと思い、慌ててフォローを入れる。

 

「あっいや、もちろん折紙が嫌なら良いんだ!変なこと言っちまって悪い!」

 

折紙の反応を見て、慌てて手を振り謝る士道。流石に急過ぎたかと思ったのだが、折紙は緊張気味に手を差し出した。

 

「べ、別に嫌だったとかじゃないよ…?ただ、ちょっとびっくりしちゃって…。確かに、人も多いしはぐれたら大変だよね…。だ、だから…士道くんの言う通り、手を繋いだ方がいいよね…」

 

恥ずかしそうに顔を逸らす折紙は、側から見ても無理しているのが分かる。一瞬、自分が言っておきながら本当に握っていいのか悩んだが、ここで引いては攻略など出来ないだろう。そう考え、差し出された右手をギュッと握る。

 

「ひゃっ!?」

 

「よ、よし、じゃあ行こうか…」

 

折紙の甲高い声が聞こえてきたものの、状況が進展したのは確かだ。その手応えを感じつつ、士道は歩みを進める。その時、チラッと折紙の顔を見るが、恥ずかしがっていたもののまんざらでもなさそうな様子を見てホッと息をついた。

 

 

 

 

『へえ、やるじゃない。流石ね』

 

「お、俺だって何回もデートしてるんだ。これぐらい出来るようになるさ…」

 

そこから歩いてしばらく歩いた先にあった公園で、折紙がトイレに行って居ない間に士道は〈フラクシナス〉にいる琴里とインカムで会話し、彼女からの賞賛に小さく胸を張る。手を握る瞬間、動揺してたのは確かだがそれを気にしないのが男の意地という奴だろう。だが、琴里はその意地に対して『ん?』と疑問の声を出した後『ああ、そういう事ね』と納得のいった事を言う。

 

『別に士道の事を『流石』って言ったんじゃ無いわよ。ただ、あの場でそういうムードに持っていったあの老婦人がすごいって言ったの』

 

「…琴里、もしかして…もしかしてだがあの人って…」

 

琴里の妙な言い回しに、乾いた笑みと共に頭にまさかという可能性が浮かぶ。それは一%に満たない可能性だったのだが、現実的にはあり得なくないものだ。会話先の琴里も士道がそれを察したのを感じたらしく、笑っているのが見える。

 

『あら、珍しく鋭いじゃない。あれも蓮の変装よ。いい仕事するわね』

 

「あぁ……」

 

乾いた笑みから一転し、泣きそうな表情へと変わると座っているベンチで、燃え尽きたボクサーの如く項垂れる。同時に心の中で今日一日、親切な人間には絶対に心を無防備にしないと誓うのだった。

 


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