その日は朝から分厚い雲に覆われ、なんとも重苦しい感じのする天気だった。朝の天気予報曰く、雨は降らないそうだけど、これじゃあいつ降り始めてもおかしくはない。
そんな決して良くはない天気の日だというのに、今日も私たちの神社には多くの参拝客の姿。それは本当に有り難いことだと思う。
……けれども、この参拝客は此処が観光の名所だから訪れてくれただけなんだろう。私たちへ会いに来たわけではなく、ただ観光としてこの神社へ訪れてくれただけ。
そのことに文句があるわけじゃないし、仕方の無いことだと思っている。でも、どれだけ私が人間に歩み寄ろうとも、人間が私の存在に気づいてくれないというのは、やっぱり辛かった。
「さみしい世界になっちゃったなぁ……」
誰にあてるでもない独り言がこぼれ落ちる。
……さて、落ち込んでいても仕様が無い。
ん~……今日は何をしよっかなぁ。春なのだし、やはり満開となった桜木を見に行くのが良いかもしれない。
早苗は巫女としての仕事があるし、神奈子は祈願をしなければいけない。そうなってしまうと、私はひとりぼっち。まぁ、そんなのいつものことだけどさ。
それと、早苗の言っていた手品師ってのがどうにも気になる。
手品なんてテレビで何度も見たし、実際に見ることはないとしてもそれほど珍しいものじゃない。けれども――“青”。そんな手品師の名前が気になった。
遠い昔の記憶だ。
それは、もうどれくらい昔なのかもはっきりと思い出せないほど、遠い記憶となってしまった。そんな遠い遠い記憶の本の数瞬の出来事の中に、その手品師と同じ名前の人物が登場している。一緒にいた時間は決して長くない。けれども、アイツは記憶に残る奴だったなぁ。
アイツと私たちが別れてから、もう1500年もの時間が流れたというのに、どうしてなのやらアイツのことは直ぐに思い出すことができた。
馬鹿で変態で……私が弱みを見せた唯一の人間であるアイツのことを。
「また戻ってくるって言ったのに……どれだけ待たせるのさ。早くしないと私、消えちゃうよ?」
自虐ネタ。
そんなネタには乾いた笑いだって出てこない。
アイツは不老不死のはずだし、あれから1500年経った今だって生きているはず。そうだというのに、ホント何処で何をやっているのやら。
「あっ、諏訪子様。お出かけですか?」
それじゃ、出かけよっかなと思い、動き出したところで早苗が声をかけてきた。
「うん、ふらふらと適当に遊んでくるよ」
私の姿や声は早苗以外の人間には見えない。だから、こうして他の人間たちがいる場所で早苗と話すときは気を付けないといけない。
……早苗も私たちの姿が見えなかったら、もっと良い人生を送ることができたのかな。
早苗に対して感謝している気持ちはもちろんある。でも、それと同じくらいの申し訳なさだって感じていた。下手に神様なんてものが見えてしまっているせいで、この子はきっと何度も苦しんだはず。何度も、何度も……
その苦しさを私は理解することができないけれど、早苗の歩んできた道が決して平坦ではなかったことくらい分かる。
「はい、分かりました。どうかお気を付けて。それと、暗くなる前にはお戻りくださいね」
「うん、分かってる。早苗もお仕事頑張ってね」
神がひとりの人間に対して甘すぎる、なんて思われるかもしれないけれど、やっぱり早苗のことは大切にしたい。でも、それは仕方の無いことだと思うんだ。だって、この世界で私の姿を見ることのできる人間はほとんどいないのだから。
それじゃ、行ってきます。
なんて早苗に言おうとしたところで、ぽつり一粒の雨が私に当たった。どうやら今日の天気予報は珍しくもなくハズレらしい。
「早苗。確か洗濯物が干してあったら? 多分この雨は強くなるに、よせて来な」
「あっ、はい。分かりました。よせてきます」
はぁ、今日は雨、か。
せっかく出かけようと思っていたのに、これじゃあその気も失せてしまうし、満開になった桜も散ってしまう。
……正直、雨はあまり好きじゃない。雨の日はどうしても考えごとが増えてしまうし、そんなつもりはなくとも何故か悲しい気持ちにさせられるから。
洗濯物を取り込むため、慌ただしく母屋へ向かっていく早苗を見送ってから、上を向いてみた。そんな私の顔へ、灰色で覆われた空から落ちてきた雨粒が当たる。
目を閉じ、そのままの姿でいると、次第に私の顔へ当たる雨は強くなっていった。まだ温かくなり始めたばかりの季節に降る雨はやたらと冷たく感じる。
そうやってひたすら雨に打たれていると、ドン――っと誰かが私へぶつかった。
ぶつかられた私は転び、雨に濡れた地面のせいで着ていた服も汚してしまうことに。
「うわっ……あれ?」
「ふふっ、そんなところで、何つまずいてるのさ」
「い、いや、今なんかぶつかったような気がして……」
そのぶつかってきた相手は、参拝客のひとり。
急にぶつかられ、転ばされたんだ。その人間に対して怒ってやろうとも思ったが……その感情は直ぐに冷めた。だって、例え私が怒ったところで相手は私に気づかない。むしろ、悪いのはただただボーっと立っていた私のなのだから。
雨が、強い。
雨を染み込ませた私の服は重く、上手く動くことだってできない。だから私は、その場へしゃがみこむことにした。重くなってしまったこの心と身体じゃ碌に動けるわけがない。
辛い。
苦しい。
怖い。
もう……もう、どうしようもないのかな?
このまま私は消えていくしかないのかな? 人間から忘れられ、誰にも気づかれることなく、ひっそりと消えていくことしか私にはできないのかな?
そんなのは……そんな未来は――
「す、諏訪子様! この雨の中、いったい何を……」
強い雨の中、早苗の声が響いた。
今はまだこの早苗がいてくれる。私に気づいてくれる人間がいる。
じゃあ、早苗がいなくなってしまったら? それにいつまでも早苗が私に気づいてくれる保証は? そして何より、そんな我が儘のために早苗を巻き込んでしまう権利が私にはあるの?
「……ねぇ、早苗。私、消えちゃうのかな?」
「そんな! そんなことは……」
別に消えても良いって思っていた。
神奈子のように、焦っているわけじゃないって思っていた。
でも、私はそう思いたかっただけだ。子供のようにただただ強がっていただけ。自分の本当の気持ちを隠し、何でもないようなフリを続けていただけ。
こんなにも長い時間を過ごしてきたというのに、消えてしまうことがひたすらに怖い。
誰でも良い。誰でも良いから……私を助けてよ。
「だって……私の声はもう誰にも届かない」
「諏訪子様……」
いくら神として崇められようが、どれだけ長い時を過ごそうが……私は弱いままじゃないか。
「そんなことはないさ。だって、お前の声は確かに俺へ届いているのだから」
誰かの声がした。
遠い遠い昔に聞いた誰かの声が。
そして、あれだけ強く降っていた雨が急に、止んだ。
「それに諏訪子は消えないよ。例え、世界中の人間がお前のことを忘れてしまったとしても、俺だけはお前を覚えていてやる。だから安心しろって。どんなことがあろうとも、俺がお前を――洩矢諏訪子を消させはしない」
下へ向けていた顔を上げ、言葉を落としてきた奴の方へ視線を移す。
其処に、その私の視線の先にいたのは――
「え? あ、青さん? もしかして、貴方は諏訪子様のことが……」
あれからもう、1500年以上も経ったんだ。そのせいで、今何が起きているのかが分からない。
でも、幻覚じゃない。幻聴でもない。
私の目の前に立っているのは、遠い遠い昔に出会ったアイツだった。
「ど、どうして青、が?」
声が震えた。無意識のうちに視界がぼやけた。
けれども、これが現実だってことだけははっきりと分かった。
「んなもん決まってるだろ」
私の言葉を受け笑ったアイツ。
そして、雨の止んだ世界の中、私の目の前にいる人物は優しい顔で、言葉を落とした。
「諏訪子と一緒にお風呂へ入るためだよ」
と、言うことで第53話でした
これでシリアスっぽい雰囲気は当分ないはずです
意味の分からない諏訪子さんのセリフがあったかもしれませんが、長野県の方言を喋ってもらいました
一度、書いてみたかったもので……
次話からはいつもの雰囲気に戻ってくれそうです
では、次話でお会いしましょう