比企谷八幡のSAO録 作:狂笑
Side アスナ
この世界に囚われて以来私は何回、何百回と自問してきた。
なぜあの時、自分のものですらない新品のゲーム機に手を伸ばしてしまったのか?
なぜ頭に装置し、ハイバックのメッシュチェアーに体を預け、起動コマンドを口にしてしまったのか?
自分のことなのに、どんなに考えても私には説明できなかった。
ただ一つ言えるのは、あの日全てが変わった……いや、終わったということだけ。
私の、結城明日奈の十五年の人生は戦いの連続だった。
結城家という、祖父は京都の地方銀行経営者、父は一大電子機器メーカーレクトの創業者という家に生まれたせいで、幼稚園の入園試験を幕開けに次から次へと大小の試験が課せられ、それら全てに勝ち抜いてきた。
一度でも負ければ、私は無価値な人間になる。
そう思うととても怖かった。だから勝つしかなかった。
でもそれももう終わってしまった。
今回課された勝利条件は、百層に及ぶ浮遊城の天辺に辿り着き、最後の敵を倒すこと。
しかし、ゲーム開始から一か月しか経たないのに、既にプレイヤーの五分の一が退場した。
しかも、そのほとんどがベテランクラスの人たちだった。
残された戦力はあまりに少なく、立ちはだかる道はあまりに遠い。
だけど私は攻略に出た。
たった二つの信念と、ソードスキルだけを頼りに。
一つ目は、私が私でいるため。
最初の街で宿屋に閉じこもってゆっくりと腐っていくくらいなら、最後の瞬間まで自分のままでいたい。
あわよくば、自分のままでいながらクリアしたい。
二つ目は、早く生還して、幼なじみのハチくん――比企谷八幡のお嫁さんになるため。
まだ確定はしていないけれど、昔から絶対成し遂げると決めていた。
私はSAOに入る数日前、小町ちゃんに久々に連絡をとった。
ハチくんに彼女がいないことはその時に確認済み。
でもあやしい人はいるみたいだし、私一人で両親を説得するのは大変だから、ある切り札を切った。
角宮のお爺さん――ハチくんの祖父の角宮鉄三さんに連絡をとった。
角宮のお爺さんはレクトの筆頭株主だし、創業時の経営が芳しくない頃からの支援者。
お父さんが大学生時代に色々とやんちゃしていた時代からの付き合いらしく、うちの両親にとって頭が上がらない相手。昔ハチくんと小町ちゃんが世田谷に来たときに私を含めた三人でどこか行ったりしたときに面倒を見てくれた人でもある。
きっと角宮のお爺さんなら味方してくれる。
そう思って電話をかけた。
結果は成功。どうやら角宮のお爺さんと思惑が一致したらしく、お見合い?の場をセッティングしてくれた。
角宮のお爺さんに頭の上がらない両親も渋々ではあったものの承諾してくれた。
SAO開始の翌週の日曜日、会えるはずだった……。
それが無くなってしまった。
私がSAOに囚われたせいで。
悔しかった。
悲しかった。
早く生還しなければ、ハチくんが彼女をつくってしまう可能性があるから。
だから私は、一刻も早く生還したかった。
もしかしたら、一つ目のは建前なのかもしれない。
負けたくなかった。
このゲームにも、まだ見ぬ恋敵にも。
だから私はつい、無茶をしてしまった。
予備のレイピアとポーションを大量に持ち、街にほとんど戻らず、ただひたすら迷宮区に潜った。
食事も睡眠もろくに取らずに、だ。
それから三・四日は経っただろうか。流石に無理が祟ったらしく、コボルド?とか言うモンスターを斃した後、絶っていること自体が辛くなり、座り込んでしまった。
HPゲージはフルを保ってはいたものの、立ち上がれそうになく、戦闘もすぐには出来そうにない。
でもここは迷宮区、ぐずぐずしていればすぐにまたモンスターは現れる。
もうたたなきゃ。
そう思ったとき、後ろから何者かに声をかけられた。
「……さっきのはオーバーキルすぎるぞ」
どこかで聞いたことのある懐かしい声だと思った。
でも、私には他の疑問が生まれた。
えっと……オーバーキルって何?
私はMMO?とやらをプレイするのはこのSAOが初めて。
だから、その業界の専門用語のようなものは全くわからない。
そのことを訊こうと思って、声をかけられた方へ顔を向ける。
そこにいたのは――とても懐かしい、私の会いたかった人。
整った顔立ち
それを台無しにしてしまう特徴的な、でもどこか温かみを感じさせる目
ぴょこんと立った、愛らしいアホ毛。
信じられないけど、間違いない。
ハチくんだ。
どうしてここにいるかは分からないけど、私にとっては『会えた』ということが何よりも重要だった。
だから私は声をかけた。
「ハチくん、なの……?」
反応はなし、というか戸惑っているようにも感じる。
も、もしかして忘れちゃった?
確かにしばらく会っていないけど、そんなことないよね?
不安と焦りに駆られた私は、とりあえずケープのフードを外しながら訪ねる。
「ハチくんこれで、わかる?」
一瞬空白があったものの、ここが仮想空間だと意識させないような言葉ではあったものの、しっかりと言葉を返してくれた。
「久しぶりだな、元気にしていたか――明日奈」
私は嬉しかった。
例えデスゲームであろうとも、作られたアバターで、実体ではなくデータであったとしても。
しばらくは逢えないと思っていたハチくんと会えたことが。
絶望の世界に希望の光が差し込んだ。
自分の感情を完全に抑えきれなくなった私はつい――立つのが辛いことも忘れて――彼の胸へと飛び込んで――
――そのまま気を失った。
仮想空間で気を失うのって、どんな仕組みなんだろうか……
Side out
× × ×
「お、おい明日奈!?」
胸にドシンと、重たい衝撃が走る。
それだけならまだいいのだが(よくないけど)、明日奈は金属防具の類を一切着けていないのだ。
それは一体どういうことになるか、お分かりだろうか。
そう、明日奈の感触がダイレクトに伝わってくるのだ。
いくらデータといえども柔らかくていい匂いがして色々とヤバい。
こんなところの再現力高めるくらいならログアウトボタン作れよ茅場。
だがそんな俺の心情を考慮することなく、聞こえてくるのはただの寝息。
……ん?寝息?
よく見れば明日奈は俺の胸に顔をうずめたまま、力なく俺へとよりかかっている。
しかも「スース―」と寝息が聞こえる。
マジで寝ちゃってるよこの娘。ここ迷宮区だよ?
俺がたまたまここを通ったからよかったものを……
だが、仕方のないことなのかもしれない。
この世界で肉体的な疲労を感じることはない。
だがその代わりに、精神的な疲労は大きい。
そもそもソードスキルの使用自体、精神的疲労を伴うのだ。
そして今、俺たちプレイヤーの置かれている状況。
僅か一か月で二千人もの人間が死に、それなのに第一層すら攻略できていない。
外部と接触できる手段などなく、いつになったら現実に帰れるかの見通しが立たない。
攻略に出ているのなら、常に死と、隣り合わせだ。
明日があるかすらわからない。現実世界では保障されていた『生』が保障されない。
このことは、確実にプレイヤーの精神を蝕む。
繰り返すようになるかもしれないが、その状態で、精神的疲労を伴うソードスキルを使わなければならない。
最前線にいる者は、戦いの興奮や熱でそれを覆い隠している分、本人たちは気付かないだろうが、精神的な負担は誰よりも大きい。
そんな中、知り合いの、幼なじみの姿を見つけたのだ。
こいつはまだ中学生。気が緩んでしまったとしても仕方がない。
故に、何かを言うつもりはない。
俺だって今、気が緩んでいるのかもしれないのだから。
明日奈の頭を撫でつつ、俺はあることを思いついてしまった。
……どうやって安全地帯まで運ぼう。