これは俺がまだ大学に入ったばかりの頃、高校時代よりひいきにしていた和菓子屋穂むらの店主からある頼まれごとを引き受けた。
その内容は
「長女が今年中学三年なのだがこのままだと進学が危うい。どうか助けてやってくれ」
というもので、日頃ひいきにしてるが故に色々とサービスを受けてる俺は、断るのも気が引けると思いつつも渋っていた。
しかし、受けてくれればあんみつを毎度格安で提供してくれる。そんな言葉につられて快諾をさせてもらった。のだが……
その当の長女である穂乃果ちゃんに簡単なテストを行ったところ進学が危ういとかそんな次元ではないと知った。
数学では比例反比例をいまいちわかって無い。国語は漢字が壊滅的、英語はそもそも単語がローマ字で読まれ、社会はまず歴史の人物の名前を読めない、理科はアルカリと酸の違いを覚えていない……などともう理解の外だ。
翌年受験生の真姫は定期テストで90台から満点を余裕に取れるのに、なぜ一年上の穂乃果ちゃんは半分の点も取れないのか。
それでいて彼女は楽観的だ。真剣に頼んできた店主と違ってまだ受験という現実を見ていないんだろうか。
などと考え、悩み、店主に頼まれたがやってられないと思い、やめてやろうと思ってもいた。
まぁ今考えれば比べる相手が間違っていたのだろうと思う。
真姫はもともと才能肌で有るに加え、西木野病院の跡取り娘としてある程度の英才教育を施されていた。
俺はそんな真姫の許嫁と決まっているが故に落ちぶれるようなへまをしているわけにはいかず、並べずとも喰らいつくほどの努力をしていた。
真姫に劣等感を抱きつつもそこで折れずにやっていこうとしたのだ。
そんな住む、生きる環境からしてまるで違う穂乃果ちゃんを、俺たち……特に俺に合わせようとするのも無理であって。
裕也に
「お前の目線で考えないで彼女の目線で教えてみるといい」
とアドバイスをもらったものの、それをこれっぽっちも理解できずに裕也に向かって「役に立たないやつだ」と嘲笑を吹っ掛けたことも懐かしい。
そう、あの頃の俺は少し驕っていたのかもしれない。
天才肌の幼馴染兼許嫁をもってるんだぞ、俺はそれに負けないように頑張って食らいついてる、お前らはどうだ? と、情けない驕りを持っていたのだろう。
そんな雰囲気で振る舞っている俺に雪穂ちゃんが接していけるわけもないのは当然明白。
俺が穂乃果ちゃんを教えていた最初の頃とか警戒心ビンビンにして決して近寄ろうとはしなかった。
というよりもはや敵意をむき出しにしていた気もする。
当の穂乃果ちゃんもだいぶ俺のことが苦手だったようで、俺が来るたびに縮こまっていたなと思い返す。
そんな俺が接し方を覚えたのも何を隠そう真姫のおかげだ。
大学での勉強は滞りなくすすみ、裕也とは多少気まずいままではあるが話すことくらいまでには仲も回復し、ビート・ライダーズへ加入してからの練習にも不備はなかった。
不備はなかったが、ほかのメンバー、ザックや駆門先輩などの、彼らにいい感情は抱かれていなかったが。
俺はなかなか穂乃果ちゃんに教えることがうまくいかずのまま気付けばイライラしていた。
まったく進捗もよくないままで夏休みに入りそうになったそんなある日、真姫に
「ちょっと、何をイライラしてるの? 私に話してみなさい、あなたの許嫁なんだから。
なに? 嘘なんて許さないわよ。あなたの嘘も真実も、私にはわかるんだから」
と、押し倒されて逃げられない状態で詰問を受けたので仕方なく真実を告げると、
「バカ。あなたが勉強を教えている相手は私なの? 私はあなたに教えられていないわよ、相手をよく見なさい。
私以外を見ないその癖、少しでいいから、直してもらわないと私が大変なんだから」
……とこっぴどく叱られてしまったのだ。
このとき、なぜか裕也にもらったものの、切り捨てたあのアドバイスまで思い出してしまった。
それを真姫に伝えると、それよ! と怒鳴り、追加でなぜ今までそれを実践しなかったのかとまで怒鳴られることになった。
その時までも、その時以来も、本気で怒る真姫を見かけることはなかったと思う。
つまりそれだけ俺と、その相手である穂乃果ちゃんを心配していたのだと思う。
その時から俺の中で何か意識が変わったのだろうか。
気付けば裕也に会いに行き、なぜか頭を下げていて、教え方を教えてほしいと頼んだのだ。
他人ごとのようだが、本当になぜこんな態度に出たのか未だによくわかっていない。
いや、わかっているのだろう。だが、どうにも一抹の不要なプライドがそれを拒んでいるのか。
当時の俺らしくない態度に少し驚いた裕也は、一度拳骨を俺の頭へたたき落とし、特に何も聞かずに教えてくれた。
ほとんどが真姫と似たような内容ではあったが、真姫と違い、裕也は話しかけ方などのコミュニケーションまでしっかりと教えてくれたのだ。
聞けば裕也には
明確に敗北を味わった気分だった。
早速、その後で初めての家庭教師の時にそれを実践してみたところ、穂乃果ちゃんの回答率が気持ち三、四割ほど上昇した。
彼女はその日の終わりに笑顔でこう伝えてくれた。
「おにいさんの授業、今日が一番おもしろかったよ! こんな授業だったら、穂乃果次もやりたい!」
目から鱗のような気分だった。
今日までの間一度も教えることがうまくできずいらだってばかりだったというのに、しっかりと真姫と裕也に教わった通りやってみるだけでここまで、ここまでも反応が違うのだ。
俺はこの日から色々と変わった。
そこからの毎回の授業は毎回が佳境だった。
音ノ木坂は存在名目上では女子専用公立高校。公立高校ということは受験時期は翌年始めだ。まだ間に合うと思っていた。
穂乃果ちゃんの伸びしろは悪くはなかった。
というよりか寧ろ、応用問題が解けるのに肝心の基礎ができていないだけであるとわかった。
そうとわかれば基礎を徹底的に教えればいい。
幸い穂乃果ちゃんは基礎だけに特化すればいいので数学も理科も困ることはなかった。
しかし問題は単語、漢字の英語、国語、社会である。
こればっかりは基礎云々以前の問題である。
そこでとりあえず彼女の覚えるやる気を引き出すために、母さんが行きつけるちょっとお高いパン屋の人気パンをぶら下げてみた。
ぶら下げるといっても現実にするわけではなく、その日の授業から次の授業までの間に単語や漢字を覚えてもらい、小テストにして高得点を出せばそのパンをプレゼントする。
逆に低得点で有ればそのパンは目の前で雪穂ちゃんにプレゼント。
功を制したのか無事に穂乃果ちゃんは毎度毎度の小テストを高得点でクリアするようになった。
おかげさまで雪穂ちゃん用にもう一つ持っていくのも定番になったが。
頬をモキュモキュと膨らませておいしそうに食べる穂乃果ちゃんを見るとなんだかリスを見ているようでいやされた。
そんなことを言ったもんだから雪穂ちゃんには一度蹴られたけれども。
確かそんなときにこんなことを言われていた気がする。
「お姉ちゃんをペットにしようとかそんなふしだらなこと考えてるんですか!」
「……はい?」
「お姉ちゃんは純粋なんです……! そんな、そんなエッチなことするのはお父さんとお母さんが許しても私は許しません!」
「いや、俺許嫁がいるから他の女性に手を出すつもりなんて最初から毛頭ないんだけど。というかそんな人道に反すること店主も奥さんも許さないでしょ」
「……じゃあ真士さんはお姉ちゃんに魅力がないっていうんですか!」
「雪穂ちゃんさ、どう答えてほしいの!?」
まるで穂乃果ちゃんを嫁がせてくれといわんばかりの言いようだがあれはきっとギャグだ、そう確信している。
その後どうにかこうにか頑張って受験一か月前。
「おにいさぁん! 何を言ってるのかぜんっぜんわかんないよぉ!」
「ええいこれで三度目だぞ!? なぜ伝わらないんだ助けてくれ雪穂ちゃん!」
「ええ……なんでそこで私に振るんですか……そこの範囲まだ習っていませんし」
「くっ!もう時間がない、ここは見捨てて次の問題に行こう!」
「ええっ! 穂乃果がんばるからおにいさん見捨てないでぇ!」
「わかった! わかったから! それ正解しようか! 頑張ろうか!」
「真士さん、私お邪魔みたいなので向こうにいます」
「ねぇ来月受験なのに雪穂ちゃん俺たちを見捨てるのやめてぇ!?」
「おにいさん! この人の漢字なんて読むの?」
「待ってて今確認する……ってそれ前回教えたところなんだよねぇ!」
正直こんな調子で合格できるのだろうかと不安にしかならなかった。
しかし、そんな中でも彼女の明るさに、なぜか何とかなるんじゃないかという希望的観測を覚えた。
そんな中迎えた一か月後。
案の定穂乃果ちゃんは受験不合格……と思いきや、彼女はたいそう本番に強い子だったようで、ぎりぎり状態のデッドヒートだったにもかかわらず見事合格を勝ち取っていた。
その報告をしてくれた時の彼女の嬉しさ満点の笑顔と感謝の言葉を忘れることはないだろう。
その後、蔓葉先輩からビート・ライダーズを引き継いだり、真姫の受験が始まったり、真姫の進路がUTXから音ノ木坂に変わったりなどと色々あったため一年穂むらに寄ることがなかったが、久々に行き、会った彼女は明るさ、元気さが残る当時のまま。
もし俺に真姫がいなければ、俺はこの子に恋をしていたのだろうか?
……いや、そんなIfは俺にとっても、真姫にとっても、彼女にとってもナンセンスだ。
そこで周りが見えるようになったあたり、回想から意識が戻ったらしい。
ずいぶんと待たせてしまったかなと独り言をつぶやきながら、穂むら奥の高坂家居住区域のリビング、そこで待機している雪穂ちゃんの、向かいに敷かれた座布団に腰を下ろす。
今俺がすべきなのは、その妹さんである雪穂ちゃんを、彼女と同じ学校へと進ませること。
さぁ授業を始めねば。俺はもう、間違えない。
「真士さん、さっきは何をぼーっとしてたんですか?」
「んー? ああ、君や穂乃果ちゃんと初めて会ったときを思い返していてね」
「あの時の真士さん怖かったですからね。私もお姉ちゃんも毎回あなたが来るの、つらかったです」
「うぐっ……その件に関しては反省している」
「でしたらあの時のご褒美に食べさせてくれていたパン、あれをお姉ちゃんと私用に毎回持ってきてくださいね」
「わかった。今回はご褒美式ではなくてももってこよう。ただし、点数低かったら……」
「絶対に高得点しかとりません。私も音ノ木坂に行くんですから」
「期待しよう。穂乃果ちゃんの妹さん」
「任せてください、お姉ちゃんの家庭教師さん」
・真士
このころは荒れ模様。真姫への愛情というよりかは劣等感による対抗心が過半数を占めているように見える。
実質的洗脳状態みたいなものでもそういう感情とは刷り込みを超えるのだろう。
・大学生活
不備がなしというが実際は教師からもだいぶ悪印象が。
ビート・ライダーズでも紘汰がかばおうとしなければきっと居場所などなかった。
・真姫
実はこの詰問方法は真士の母である美穂に教わったもの。
まだ真姫は嘘を見抜けない頃だが、そういうべきだと教えたのは真姫の母である優姫。
この母親たちは本当に仲が悪いのかいいのかよくわからない。
・裕也
実は真士と受験先で知り合ったもの同士。
なぜかまた出会ったためよくわからない運命を感じ仲良くやっている。
真士の態度を見ながらも「根はいいやつだな」と確信していたらしい。
・飛鳥
元ネタキャラ:ウルトラマンダイナより
野球選手の夢を追った裕也の友達。
高校時代学問が壊滅的で、よく裕也に泣きついてたという。
巻き返しや逆転に定評があるプレイングで二軍候補生という立場ながらも人気選手として話題になっている。
・パン屋
太陽の手だか太洋の手だかを持つ職人が営む店。
セレブがよく通ってはいるが実はお値段的に見ればだいぶ庶民的。
真士の見当違いである。
・雪穂
この時期くらいになるとどこか、姉と真士がくっついてくれればいいのにと思いつつももやもやに襲われるようになっている。
実は真士を意識しているものの最初の頃のせいでふたをしてしまっているような子。
真士に婚約者がいると知ったので実はこの時点で彼女の実質的失恋なのである。
・穂乃果
今回のキーパーソン。
あまり出てきてないししゃべっていないとは思うだろうが、この話のヒロインは真姫ちゃんであり、今回は真士の回想でしかない。
だが真士が雪穂を語る上で不可欠なのが穂乃果であるため、今後も雪穂が出る場合穂乃果も必然的にかかわってくると考えられる。
穂乃果ちゃんの誕生日だということで前々から構想はしていた回想回を書いてみました。
次の行進は来週か再来週を予定しています。
読了ありがとうございました。