麦わらの副船長   作:深山 雅

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番外編 エースの出会い 後編

 「問題は『今』だ」

 

 シャンクスはそう仕切りなおした。

 確かに、13年も前のことを何時までもぐだぐだ言っててもどうしようもない。

 その言葉に周囲も頷く。ルミナの行方を気にしていたのは彼だけではない。いつでも明るかった彼女は当時の一味ではムードメーカー的存在であり、皆に慕われていたのだ。

 

 「エース、お前の知っていることを教えてくれ」

 

 その頼みに、エースは些か……どころではなく戸惑った。

 何しろ、結局のところエースは部外者だ。確かに全くの無関係ではないが、だからといって本人が話さなかったことを勝手にベラベラと喋っていいものだろうか。

 エースが口を閉ざしたため、暫しその場には沈黙が落ちた……が、その後シャンクスが小さく溜息を吐いた。

 

 「……なら、とりあえずこれだけでも答えてくれ」

 

 言われ、エースはシャンクスに向き直る。

 

 「あいつは今……生きているのか?」

 

 「!」

 

 その問いに、エースは答えられずに瞠目した。しかし、シャンクスはその反応だけで事情を察したらしい。

 

 「……そうか」

 

 空の見えない洞窟の中で、天を仰いだ。

 

 「あいつ……もう、いねェのか」

 

 

 

 

 シャンクスの反応が思った以上に素早いものだったため、エースは逆に困惑した。その様子に気付いたらしいシャンクスは苦笑した。

 

 「多少、覚悟はしてた……海賊なんだ。その消息が途絶えるってことは、1番可能性が高いのはそれだ。あいつは、そう何年もじっとしていられるタイプじゃねェしな」

 

 確かにそれは一理ある。海賊が消息を絶てば、最も可能性が高いのは死亡だ。だが。

 

 「覚悟……?」

 

 エースには、その言葉が引っ掛かった。

 

 「……あの人は、13年前に死んだ」

 

 ポツリ、と呟くように声が漏れた。 

 13年前、それはつまりルミナが赤髪海賊団の面々の前から姿を消して、そう経たない頃には死んでいたということだ。それを察し、周囲はざわめいた。

 

 「今は、フーシャ村の墓地に眠ってる」

 

 「フーシャ村……近くまで行ってたのになァ。墓参りも出来てねェ。けどよ……てことはあいつ、父親を頼ったのか?」

 

 シャンクスは軽く驚いた。

 

 エースの元を訪れたというのは、様子伺いにちょっと立ち寄っただけのことだろうと思っていたのだ。子ども好きなルミナなら、充分にあり得る。

 

 ポートガス・D・エース。

 シャンクスは口には出さないが、その名前からエースの出自については大体見当がついていた。そしてその予想が正しいならば、ルミナが様子を見に行ってても何も可笑しくは無い、と。

 

 しかしフーシャ村の墓に入っているということは、父親であるガープ中将を頼ったということだろう。

 正直、信じられなかった。ルミナは昔……ロジャー海賊団の頃から、父親を嫌っていたのだから。いや、正確に言えば嫌っていたのとは少し違うが、ほぼ絶縁状態だったのには違いない……ルミナからしてみれば。ガープの方は嘆いていたが。

 そんなルミナがガープを頼る、というのは……それだけで、のっぴきならない何かがあった、と言ってるようなものだ。

 

 「あんた、本当に全然気付かなかったのかよ」

 

 先ほどヤソップが向けたものよりもさらに冷ややかな視線をエースに向けられ、シャンクスは考え込む。

 

 考えてみれば、『13年前に死んだ』というのも、妙な話だ。

 当時のルミナは20歳。とてもではないが、自然死とは思えない。

 かといって彼女は、治癒人間だ。戦闘中にどんな怪我を負っても、すぐに治せた。一撃で即死させられるか、一瞬にして完全に意識を奪うかでもしない限り、あっと言う間に復活できたのだ。となると、事故死というのも考えにくい。

 いやそれ以前に、無言で船を降りて反目していた父親を頼り、父親の方も海兵として娘を捕まえることはせずに匿った、となると。

 

 「あいつ、何かの病気だったのか?」

 

 それならば、辻褄は合う。ルミナは病気は治せなかったし、ガープ中将も追い討ちをかける気にはならなかっただろう。

 しかし、その答えにエースはいっそう険しい顔をした。

 

 「本当に……解らねェのか?」

 

 エースも、頭では解っている。今更そんなことを言ってもどうにもならないということぐらい。

 それでも、腹立たしかった。何も知らずにいる様子を見ると。

 

 「そういえば……」

 

 聞かれ、シャンクスはふと思い出したらしい。

 

 「少し、食欲が落ちていたな……出て行く前の頃、1日3食しか食ってなかった」

 

 その発言に、首を捻る者が数名。

 

 「それって、普通のことなんじゃ……」

 

 彼らはルミナが出て行ってから赤髪海賊団に入った者たちであり、彼女を直接は知らない。しかし、当時を知る者たちは驚いている。

 

 「何だって!? 何でそれを言わなかったんだよ、お頭!」

 

 「あいつは1日5食は食ってたじゃねェか!」

 

 「……って、ルフィかよ」

 

 予想外の言葉に、エースは思わずツッコんだ。

 

 (1日5食って……)

 

 エース自身もそれに負けず劣らずの食欲を持っている。しかし記憶の中の華奢な女性とその食事量を結びつけるのは、甚だ難しいことだった。

 しかし周囲の反応からすると、どうやらそれは事実らしい。

 

 「あいつは本当にそれぐらい食っていたな」

 

 「その割に、メチャクチャ細かったけどな……」

 

 無表情で過去を語るベックマンに対し、いつもの骨付き肉を齧りながら己の腹を見詰めて呟くラッキー・ルゥ。

 

 「それに……そういえば、朝起きぬけに吐いてたこともあったな。頭痛もあったようだし。体調悪いのかって聞いたら、悪いわけじゃないっつってたが」

 

 「……気付けよ、あんた」

 

 エースは、再び思わずツッコんだ。

 ジト目になるエースとはまた別に、表情が強張る者が数名。

 

 「お頭、それって……」

 

 特に驚いているのは、妻帯者であり子持ちのヤソップである。何か心当たりがあるらしい。

 

 「ルミナのやつ……妊娠してたんじゃねェのか?」

 

 ピシリ、と場の空気が凍った。

 ぽとり、とシャンクスは持っていたジョッキを取り落とし、エースに視線を向けた。エースは気まずげにシャンクスから目を逸らす。その態度こそが、事実を十二分に物語っていた。

 

 《えーーーーーーーーー!?》

 

 世に名を轟かせる大海賊団の幹部たちが、揃って絶叫の声を上げた。

 

 

 

 

 本当なら明かすつもりは無かったことをつい知らせてしまい、エースはもの凄く焦っていた。全て彼の不用意な一言が原因だ。エースがそれを明かすことはルミナも……ユアンも、望んではいないだろうと、解っていたのに。

 はっきり言って、挙動不審である。目は泳ぎ、そわそわと落ち着かない。その様子が逆にリアルだった。

 

 「おいおい……マジかよ」

 

 ヤソップがあんぐりと口を開けて呟いた。

 

 「お頭。心当たりは?」

 

 ベックマンの厳しい視線の先で、シャンクスはつと視線を逸らした。

 

 「…………あるな」

 

 周囲からとても冷ややかな視線に晒される彼は、海賊頭である。今この場では、部外者のエースを除けば最も高い立場にいる人間だ。しかし現在、彼の部下たちが彼に向ける視線は、間違っても親分に対する物ではない。

 

 確かに当時の彼は、既にそれなりに名の売れた海賊だったとはいえ、20歳そこそこの若造だった。自力で気付け、というのも酷な話だったかもしれない。しかし、今の今まで気付かないというのは……。

 ここまでくるとエースとしても、もう苛立ちよりも呆れの方が先に立つ。

 エースは頭を掻きながら口を開いた。弟には悪いが、ここまでバレてしまった以上は正確な情報を伝えた方がいいかもしれない、と思ったのだ。

 

 「13年前、おれは『治癒姫』に会った」

 

 エースが話す気になったと悟り、周囲は黙った。

 

 「可笑しな女だった。突然現れて、勝手に『友だちになろう』とか言ってよ……でも、会ったのはその時だけだった。昔はその理由なんざ解らなかったが……後になって知った。あの人は死んじまったってな」

 

 淡々とした話に、聞いていた者の内数人が沈痛な面持ちになった。多分、直接ルミナを知っている者たちなんだろう。

 

 「おれがあの人に会って数ヶ月が経ったころ、ジジイがガキを連れてきた」

 

 あの日のことは、エースもよく覚えている。

 

 『何だよ、ソレ』

 

 『お前と同じさ! ガープに押し付けられたんだよ! 全く……何だってこうも厄介者が増えるんだか! コイツはガープの孫さ。名前はユアン。しかも、あの『治癒姫』ルミナのガキだとよ!』

 

 殺伐として変わり映えの無かったダダン一家での生活において、大きな変化だった。

 

 「あの人は、産後に肥立ちが悪くて死んじまったらしい」

 

 何とも言えない空気が漂う。

 おそらく、誰もが可能性を考えてはいたのだろう。13年も行方の知れない海賊が、どうなっているのか。けれど、この死因は流石に誰も想定していなかったに違いない。

 

 「それって、本当にお頭の子なのかよ?」

 

 聞いてきたのは、先ほどルミナの食欲に疑問を持っていた男だった。つまりは、ルミナを直接は知らない者である。

 

 「だってよ、そんな証拠どこにも無ェじゃねェか」

 

 その言葉にも一理ある……何も知らない者ならば。

 

 「確かに、確かめる術は無ェよ。あの人、死んじまったからな。でもよ、ルフィが言ってたんだけどな」

 

 暫し逡巡したが、エースはかつてルフィが言っていたことを告げた。

 

 「7年前、7歳だったルフィが言うには……あいつは、『ちびシャンクス』らしいぜ……おれも、今見てそう思った」

 

 心当たりのある女が産んだ、そっくりな子ども……それが他人の空似であるなどと、どれほどの天文学的確率だろうか。

 ある意味、100の言葉よりも確かな証拠だ。

 

 「まぁ……そうでなくても、あいつはそんな器用なヤツじゃなかったからな」

 

 シャンクスはまだ衝撃が抜けきらないようだ。

 それはそうだろう。今までの話し振りからしても、彼がルミナのことを今でも気にかけているのは明らかだ。そんな女が知らない内に死んでいて、しかも子どもを産んでいたと聞いて、ショックを受けない男はいない。

 それにしても、器用、というのは、二股とかそういうことだろうか?

 

 「誰かに襲われた、とかいう可能性は考えないのか?」

 

 別に本気で言っているわけではないが、エースはふと疑問に思った。

 しかしその疑問は彼ら……ルミナを知る者には愚問だったらしく、微妙な表情をされる。

 

 「……んなことしようもんなら、その男は死んだも同然だ」

 

 「あァ。ルミナのやつ、小さくて細っこかったくせに、やたら強かったからな」

 

 「酔ったあいつに殴られて、生死の境を彷徨ったヤツもいたよな?」

 

 「万一力で勝てても、あの能力を使われたら死は免れないぜ」

 

 「だな……生物である以上、あれは防ぎようが無かったからな。例え『白ひげ』でも無理だったろうぜ」

 

 口々に言い募る彼らの発言を聞き、エースには別の疑問が沸いてきた。

 あの能力、とはどういうことだろうか? 能力、という言い方をするということは、覇気のことではないだろう。となると、悪魔の実の能力か? しかし、治癒能力を使われて『死は免れない』なんて、可笑しい。

 そこまで考えて、エースは頭を振った。

 疑問は尽きないが、今はそれを聞く場面ではない、と思い直したのだ。

 

 「……名前」

 

 シャンクスがふと漏らした言葉の先を、エースは促した。

 

 「あいつ、昔っから言ってたんだよな。もし自分が大人になってガキが産まれたりしたらどんな名前を付けるかってな」

 

 それは、まるで試しているかのようだった。エースがその名を答えられるかどうか。確かにそれは有効な手段だろう。他人には知りようのない情報なのだから。

 

 「………………ユアンだよ。あいつはユアンってんだ」

 

 その答えに、一同は納得した。それはかつて、彼女が度々口にしていた名と同じだったからだ。

 

 「『男の子ならユアン、女の子ならユリア』……あいつはそう言ってたなァ」

 

 色んな意味で、確定的である。

 

 

 

 

 しかし知ったからとて、本人がこの場にいないのでは、シャンクスたちにはどうしようもない。しかもここはグランドライン、それも新世界であり、その子どもがいるのは東の海だという。会おうと思って会えるものでもない。

 

 ルミナに対しても、13年前に死んでしまっている以上、どうすることも出来なければその真意を知る術もない。或いは、おそらく彼女の最期を看取ったであろうガープ中将ならば何かを知っているかもしれないが、相手は海兵である。とてもじゃないが、接触など出来ない。

 いや、接触どころか……出くわしたりしたら問答無用で襲い掛かってきそうである。あちらはかつてルミナがいた頃は度々接触を図ってきた。娘を取り返そうとしていたのだ。とはいえ、それぞれの船の上で、10数m置いての対峙だったが。

 

 娘にてみれば絶縁して以降連絡も取ってない父親であっても、父親にしてみれば愛娘であり、未練たらたらだった。……その度にすげなく断られて、泣きそうになりながら追い返されていたが。そしてその都度最後には、ロジャー海賊団解散後に彼女を自身の海賊団に引き入れた=ルミナを海賊の道に留めたとして、シャンクスのことを射殺さんばかりに睨むのだ。

 正直、流石のシャンクスもあれには参っていた。それが海兵としての睨みならば例え相手が海軍の英雄とはいえ海賊として受けて立つのだが、ガープ中将のそれは海兵ではなく父親としての睨みだったからだ。

 それでも最初の頃は、それがルミナの選択だから、と受け流せたのだ。しかしそれから数年が経ち2人が理ない仲になると、別の意味でどうにも気まずかった。しかも、げにおそろしきは父親の勘。そう掛からずにその関係もバレたようで、更に剣呑になった。間にルミナが入っていたから冷戦状態で済んでいたのだが……一歩間違っていればどうなっていたことか。

 

 あの頃でさえそうだったのだ。ルミナが死んでしまった今では……戦争が起こりかねない。しかもその死因が産褥で、その上シャンクスは何も知らずにいたというのだから……ガープに対しては弁解の余地も無い。海賊だから、悪党だから、と開き直る気にもなれない。かといって、戦争を起こすわけにもいかず。

 よって、『ガープとの接触』は却下である。

 となると、今の彼らに出来ることといえば……。

 

 「それで、ルフィは心を殺されてこう言ったんだ。『生まれ変わったらナマコになりたい』ってな」

 

 エースに昔の話を聞くことぐらいである……何の解決にもなっていないが。

 

 半ばやけくそ気味に酒樽を次々と開け、彼らはエースも含めて盛り上がっていた。当事者であるシャンクスだけではなく、かつてのルミナを知る者たちもその死を悼み、気付いてやれなかったことを悔やみ、けれど今は何も出来ない歯痒さに焦れているのだ。ルミナを知らない者にしても、もしも『治癒姫』がいればシャンクスの腕も元に戻ったかもしれないのに、と思えば非常に残念で落胆が隠せない。

 

 エースにしてみても、確かに初めは腹が立ったが相手の方にも決して悪気があったわけではなくて、ただどこかで何かの歯車が狂ってしまっただけなのだろうと察した。しかしルミナのことを考えればやるせなく、ユアンの心情を思えば何とも言えない気分になり、だがルフィの恩人と思えば感謝もしていて……どうにも複雑だった。

 

 「あー、そりゃあ確かにルミナの血だな」

 

 言われ、エースは首を捻る。1度会っただけだが、ルミナはそういうのとは全く違うタイプに見えたからだ。

 しかし、シャンクスは苦笑する。

 

 「普段は全然そんなことなかったんだけどな……本気で切れると、そうなってたんだ。にこやかな笑顔で淡々と毒を吐いてよ。さらに度を失うと、同じくにこやかな笑顔で暴れ回ってたけどな……まぁ、滅多になかったが」

 

 なるほど、と納得した。思い返せばユアンも割と気が長いというか、本気で怒ることは滅多に無かった……どうも近年は身長が伸び悩んでいることを気にし始めていたようだが。ついでにいうなら、どうにもあいつはルフィに対しては沸点が低いようだが……多分、色々と悟っているんだろう。

 

 「けどよォ。中身はそうでも、外見はお頭に似てんだろ? ルフィが『ちびシャンクス』なんざ言うぐらいにはよ」

 

 酒が入って真っ赤な顔をしながらヤソップが尋ねた。

 

 「あァ。そっくりだ」

 

 「それは、苦労するだろうな」

 

 無礼講になりつつある中でも自分のペースを崩さずに冷静な顔で嘆息したのはベックマンだ。その言葉に、他の者たちも大きく頷く。

 

 「どういう意味だよ?」

 

 面白くなさそうに憮然とした顔でシャンクスはむくれている。

 

 「そのままの意味だが? あんたは無駄に有名だからな。例え繋がりがバレなくても、色々と面倒事が降り掛かるだろうさ……海に出てくるなら尚更だ」

 

 エースは既に話しの中で、かつて決めた各々の出航計画についても話していた。ルフィとユアンが、3年後に海賊として海に出るつもりだということも。

 その言葉にエースも頷いた。

 

 「だろうなァ……あいつもその辺は解ってるみたいだけどな。だから、あんまり自分の顔が好きじゃないみたいだ。前に、鏡を叩き割ってたこともあったし」

 

 ダダン一家には、鏡は無かった。しかしゴミ山で鏡を見付けることはあったのだが……その度にユアンはそれを叩き割っていた。曰く、条件反射らしいが。

 

 そういう話を聞き、赤髪海賊団の者たちは何と言っていいか解らない。

 お頭を庇いたい気持ちが無いわけではないが、ルミナを知る者たちにしてみれば、自業自得だと言ってやりたい気にもなる。ましてや、そんな状況に置かれている子どもがそんな行動に出るのも、とてもではないが責められない。結果、赤髪の大頭は先ほどから、断続的に冷ややかな視線に晒される羽目に陥っている。

 当の大頭殿はというと、何だか暗黒を背負っている。前向きな彼にしてはとても珍しい。

 

 「顔も見たくねェってか? ……まぁ、仕方がねェけどよ」

 

 ルミナに対しては、どうして話してくれなかったんだ、という思いが無いわけではない。勿論、1番に悪いのは喧嘩の発端を作ったであろう自分だと思っているし、当時その兆候に気付きながらも肝心な所にまで行き着けなかったことを悔しく思うがそれでも、彼女を責めるつもりは無いが憤りはある。

 

 しかし、その子どもの方は完全な被害者だろう。両親の喧嘩の割を食ったともいえるわけなのだから。これもまた、弁解の余地が無い。恨まれても憎まれても、文句は言えない。

 だが、それを否定したのは意外にもエースだった。

 

 「ん……いや、それはちょっと違う。あいつが嫌ってるのはあんたじゃなくて、面倒ごとそのものの方だ。あれで結構ものぐさだからよ」

 

 流石は育ての親というべきか、エースはユアンの性格を把握している。

 

 「? お前の話を聞く限りでは、どちらかといえば真面目な努力家、という印象だったが?」

 

 反対に赤髪海賊団の者たちは疑問顔だ。それにエースは肩を竦める。

 

 「こうと決めたことや興味のあること、後は……おれたち兄弟間に関することや、母親に関することにはな。その他のことには、結構適当だぜ」

 

 別にそれで不都合は無いし、自分たちのことはちゃんと考えてくれているから、むしろ弟に対する兄貴の独占欲というか、その他に対する優越感なんかもあったりするので、エースとしてはそれでも全然構わないのだが。

 ちなみに、ユアンの適当さが最も垣間見えたのは、ガープに対する態度だったりする。別に嫌っているわけではないのだろうが、ものすごく適当にあしらっていた……というか、体よく使っていた。ある意味兄弟の仲で最も世渡り上手なのは、あの末っ子だろう。

 そこでふと、思い出した。

 

 「あー、でも、鏡でもアレは壊してないな」

 

 「アレ?」

 

 「昔ジジイに貰ったヤツだ。あの人の形見なんだってよ」

 

 かつてユアンの3歳の誕生日、ガープがプレゼントだと言って持ってきたルミナの遺品。その中にあった手鏡が、ユアンが壊していない唯一の鏡だ。

 

 「それって、これぐらいの大きさでシンプルな手鏡か?」

 

 右手で輪を作りながらシャンクスが尋ねた。

 

 「あァ。知ってんのか?」

 

 「いや……知ってるっつーか……」

 

 ガシガシとシャンクスは頭を掻いた。

 

 「昔、おれがあいつにやったんだよ。見習いの頃にな」

 

 そういえば、ルミナが『男の子ならユアン、女の子ならユリア』発言をし始めたのもあの頃だったか、と頭の隅でチラと思い出す。

 

 エースは、その話は己の胸1つに留めておくことを即座に決めた。

 アレが『赤髪』からの贈り物だったと知れば、ユアンは間違いなく微妙な顔をするだろう。

 すっかり保護者の感覚である。無理もないが。

 

 「何だよ……あいつ、ずっとそんなの持ってたのか……」

 

 しんみりした様子でジョッキを傾けるシャンクスに対し、ベックマンが口を開く。

 

 「面倒は嫌いだとはいっても、何れは会うことになるだろうな。ルフィと共に海に出るのならば」

 

 その言葉に、一同はハタと気付いた。

 ルフィはシャンクスに会いに来る。立派な海賊になって麦わら帽子を返すために。そのルフィと共にいるというならば、彼らはいつかその子にも会うことになるだろう。

 それに思い至り最も緊張したのはシャンクスである。普通の人間ならば当然の反応だろうが、四皇とも言われ恐れられる大海賊が、その事実1つに固まっているのだ。ある意味、『赤髪』を恨む人間が見たのならば溜飲が下がるであろう光景かもしれない。

 

 「あー、まぁ……お頭よォ、そんなに気にすんな。おれだって、もしも倅に会うことになったら、と思うと緊張するけどよ。1発殴られてやって、恨み言を聞いてやって、そんでその後でちゃんと向き合えばいいさ」

 

 陸に妻子を残して海に出た男・ヤソップがシャンクスの肩を叩くが……はっきり言ってこの2人では、状況が似ているようでまるで違うだろう。

 

 「あいつは、あんたのことを殴ることも恨み言を言うこともないと思うけどな。むしろ、出来れば関わりたくないみてェだし」

 

 エースの言葉が、ぐさぐさとシャンクスの心に突き刺さった。

 恨み辛みがあるどころか、まるっきり他人行儀である。いや、つい先ほどまでその存在すら知らなかった自分が言えた義理ではないのかもしれないが、それはあまりにも寂しくないか? いっそ嫌われていた方がまだ、出会った時に突破口が開けるような気がする。

 

 「ま、それはそれで仕方がねェよな。だって昔ポカしちまったんだし」

 

 ぐさぐさ、と更なる言葉の槍が突き刺さる。

 

 「あの人には逃げられちまうし。ガキには敬遠されてるし」

 

 ぐさぐさ、ぐさぐさ。反論出来ないのが痛いところである。

 ここまであけすけに言う辺り、エースもかなり酔っているらしい。何故か勝ち誇ってるように見えるのは気のせいだろうか?

 

 「おれなんて、あいつにははっきりと『育ての親』って言われたしな。『尊敬する兄ちゃん』って言われたことだってあるし」

 

 ぐさぐさ、ぐさぐさ。

 

 「あの人にだって、『可愛い』って抱きしめられたし」

 

 ぐさぐ……いや、完璧に止めだった。ある意味、エースの完全勝利だ。

 

 未だ嘗て、四皇・『赤髪』のシャンクスに、ここまでのダメージと敗北感を与えたルーキーがいただろうか? そしてこれから現れるのだろうか?

 しかし、反論は出来ない。全ては13年前、シャンクスの若い頃の失敗が原因であることに疑いようもないのだから。

 

 

 

 

 色んな意味で、やけくそな宴の夜は過ぎていくのだった。

   

 

 

 

 翌日。

 前夜にはあれほどやられっ放し(?)だったシャンクスが、もの凄くイイ笑顔でその場を発とうとしているエースの肩を叩いた。

 どうやら、色んな意味で復活しているらしい。何とも立ち直りの早い人だ。流石は四皇の一角、とエースは妙なところで感心する。

 

 「おい、エース。一晩考えたことがあるんだがな」

 

 既にスペード海賊団のクルーたちは洞窟から出ており、今この場にいるのは赤髪海賊団とエースだけだ。

 

 「何だ?」

 

 問い返すと、シャンクスは笑った。その笑顔は、よく似た顔の下の弟よりも、上の弟に似ているような気がした。

 

 「やっぱ、過去はどうにもなんねェんだよな。それで責められても弄られても、文句は言えねェ。けどな、これからはこれからだ。教えてくれてありがとよ」

 

 エースとしては、虚を突かれた気分だった。昨夜は酔いも手伝って、自分は結構失礼なことを言いまくったような気がするのだが、まさか礼を言われるとは。

 しかも、望んで教えたわけでもない。元はといえば、ついうっかり口が滑ったのと、ウソを見破られたことが原因だ。

 何となく、してやられた気分だ。

 

 (に、しても……)

 

 目の前の赤い髪の男は、やはりやたらとイイ笑顔だ。

 

 (ユアン……頑張れよ……)

 

 エースは何故か、弟にエールを送ったのだった。その理由は自分でも解らない。

 

 

 

 

 何だか先のことが楽しみなような不安なような、複雑な気分だった。

 

 しかしエースはこの時、気付いていなかった。

 ユアンが隠しておきたかった事実。それを暴露してしまったことにより、彼自身が弟の逆鱗に触れることとなってしまう、その未来を。


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