オレンジの町の港、アルビダの小船に俺が、その隣のバギー一味の小船にナミが乗り込んでいるのだが……。
「あんた、何かの宗教にでも嵌ってんの?」
……ナミの視線が冷ややかだ。
「俺は無宗教だし、無神論者だよ」
ってか、この世界で神って、水泳キャップ野郎が頭に浮かんでくるし。
いや、神が実在することは俺が1番よく知ってる。知ってるけど……敬ったり祈ったりする気には絶対なれん。あのジジイめ……。
「じゃあ、何でそんな古ぼけた本を拝んでるのよ」
呆れたような口調だが、俺としても譲れない。
「本じゃない、日記だ。俺の『宝』だよ」
「へぇ……あの麦わらも似たようなこと言ってたわよね。お宝の在り処でも書いてあるの?」
ナミの目がベリーだ! いやまぁ、確かにお宝に関することも書いてはあるけどね。空島のこととか。
「まさか。母の形見だからだよ」
これが俺にとって『宝』になったのはいつだっただろうか。最初は、便利なお得アイテムというだけの認識だったんだけどな。
そもそも、『母さん』という人が俺には何となく遠かった。会ったのだって、俺が産まれたあの日にただ1度だけ。しかもその時の俺は転生という現象に混乱していて、母さんをよく見ていなかった。
だって、まさか死んでしまうなんて思ってなかったし。
それでも母さんが俺を大事に思ってくれてたのはあの短い邂逅でも実感できていたから、感謝はしていたけれど……『母さん』と呼んではいても、祖父ちゃんやエースに比べてどこか他人のような気がしていた。
それが変わったのはこの日記を読んでからだ。晩年の記述は、胎の中の俺に対することばかりだった。勿論それだけじゃなかったけど、かなりの比重だった。
本来なら誰かに向けて書くものではない日記。でも、俺に……我が子に語りかけるかのような記述が多々あった。勿論、俺に見せるために書いたわけではないんだろうけどさ。
知らぬ内に、『お得アイテム』が『形見』という認識になっていたっけ。
同じ遺品でも、他の雑貨とこの日記は違う。これは唯一、母さんの意思が感じ取れるものだ。
母の遺品に対する思いは多分、後に集まる麦わらの一味の中でもナミが最も共感してくれるんじゃなかろうか。海賊船にみかんの木を搭載するぐらいだし。
案の定、ナミは真面目な顔になった。
「……そう。で、何でそれに合掌?」
やっぱりそこはそこで気にはなるらしい。うん、俺も他人がやってたら奇異の目で見てる自信があるよ。
「これは俺にとって、母さんの遺影や位牌に近いんだ……だからちょっと、うん。改めて悼みたくなってね」
バギーに話しただけなのに、俺までセンチになっちまったよ。
実際の所は、物言わぬ日記を拝んでもどうにもならない。ただの自己満足だってのは解ってるけどさ……。
え、バギー? アイツ自身はどうでもいい。あの凄まじい不憫さには心から同情するけど、それだけだ。
どの道、頂上戦争時には何とかして利用するつもりだったし。特に対ミホーク用盾とか、映像電伝虫の1件とか。『キャプテン・バギーの名を上げろ大作戦』とかどうでもいいし。そんなことするぐらいならむしろその電伝虫寄越せ。あれ1つでいくらでも手が打てるようになるんだ。
「お母さんも……」
ナミが皮肉げな口調で声を掛けてきたから、俺は顔を上げた。
「草葉の陰で泣いてるんじゃないかしら? 息子が海賊になんてなっちゃって。」
どうやら、俺の拝みの意味をそう取っているらしい。そりゃそうか、俺とバギーの会話なんて聞こえてなかったはずだし。
でも。
「それはないな」
俺があんまりにもあっさり断言したからか、ナミは面食らっていた。
「だって、母さんも海賊だったんだから」
しかも超有名人である。
ついでに言うなら、母さんの懸賞金は最終的には8億2000万ベリーにまで上がっていた。現在は失効されてるけど。どんだけ執着してんだよ、海軍&世界政府。ってか、その理由は何?
閑話休題。
まぁとにかく、俺がそれこそバギーのように町を襲う……所謂モーガニアの海賊になったってんなら悲しむかもしれないけど、単に海に自由とロマンを求めての出航なら、むしろ喜んだだろう。何といっても、母さん自身がそうだったんだし。
俺が求めたのは自由とロマンじゃないけどね!そういうのは全部頂上戦争後に考えようそうしよう。
うんうんと自己完結していると、ナミが溜息を吐いた。
「そう……親子揃ってろくでなしってわけね。どうでもいいわ、そんなこと。それより……」
ナミは俺の乗る小船を挟んで停泊しているバギーの海賊船に目をやった。
「今のうちに、あそこを物色しておこうかしら。何かあるかもしれないし」
「無いよ」
断言できる。あそこにはもう目ぼしい物は何も無い……あ、記録指針だけ回収しないとな。
「何でそんなの言い切れるのよ」
既に1度は俺のせいで財宝を手にし損ねているからか、ナミの態度は刺々しい。
ふ、と俺は口の端を吊り上げた。
「じゃあ聞くけど……どうして俺がルフィと合流するのに、ゾロより大分時間が掛かったと思う?」
「!? あんた、まさか……!」
流石ナミ、察しがいい。
……これがルフィだと、『何でだ?』とすぐさま問い返されるだろうね。
俺はニッコリと微笑んだ。
「でも喜んでよ。頂いた物は色々そっちの船の船室に詰め込んであるから」
特に、食料ね。いやー、とても簡易的だったとはいえ一応キッチンがあるって知った時は嬉しかったよ。まぁ、キッチンと呼べるほどの代物じゃなかったけど。コンロと小さな台があるだけだったけど。それでもこの吹き曝しな小船よりはマシだろう。
ナミは慌てたように確認に行き……事実をその目で見たのだろう、渋い顔で戻ってきた。
「何よあれ? 食べ物ばっかりじゃない! しかも何、あの量は!」
量? 普通に食べたら精々2日分ぐらいなんだけどな……ただし、ルフィの。
俺は肩を竦めた。
「しょうがないじゃん。ウチには食魔人がいるんだよ」
ルフィの1食は、常人の5食を軽く超える。しかも1日5食計算だ。アイツを小さくして食いでを増やすことで漸く賄えるんだよ。
「そうじゃないわよ! お宝は無いの!?」
あ、そっち?
「あったよ。ただしコッチに置いてあるけど」
俺が引き寄せたのは、木箱が2つ。この中に色々入っている。ただし小さくしているから、実際には見た目以上だ。
「何なら、俺たちから奪う?」
挑発的な笑みを浮かべてみました。ナミはムスッとした顔で黙り込む。
そりゃそうだろう。ゾロの戦いぶりは直に見てるし、俺がリッチー&モージを降したことも知っている。ルフィが悪魔の実の能力者でバギー相手に優勢に戦ってたのも見てるはずだ。正面から向かうには分が悪い、と思ってるんだろう。
「……あれ、何でこの船に積み込んであるの?」
おや、話題を変えることにしたか。
「そりゃ勿論、その船を奪おうと思ってたから」
本当はナミのことを知ってたからだけど、そんなことは言えないので晴やかな笑顔でハッタリをかました。
「は?」
「この船小さいだろ? 船室も無いし。かといってあんな大きさの船は3人じゃ動かせない。でもその船ぐらいならどうとでもなるし、ちょっとグレードアップしようかな~って思ってたんだ」
ビッグ・トップ号に手を出す気は元より無い。バギーたちにはグランドライン中間までは来てもらわないといけないし。そうでなくとも、さっき言ったようにそもそも動かせないという問題点がある。
俺の堂々とした略奪宣言に、ナミが引いている。
「私、海賊専門泥棒として今まで色々盗んできたけど……」
何だかとても疲れたような顔をしている。
「盗まれる側に立ったのは、初めてだわ」
……アーロンとかのことは、また別の話なんだろう。あくまでも、泥棒のナミとしての話だろうから。
さて、そろそろ行こうかな。
「俺、一応もう1度あの船の中を見てくるけど……何なら、その隙に盗んでもいいよ?」
「盗んで、逃がしてもらえるのかしら?」
「そりゃあ、勿論」
俺は満面の笑顔を作った。勿論、一種の脅しである。
「絶対に追いかけて取り返すよ? そう時間は掛からないだろうし、そんな時間じゃ遠くに逃げられないだろうからね」
記録指針は、今度は簡単に見付かった。やっぱり場所を知ってると簡単だね。
この流れではブードルさんを気絶させてないから町民に追い掛け回されることは無いだろうと思ってたのに、ゾロを抱えて戻ってきたルフィは駆け足だった。
「お帰り……どうしたのさ?」
「追われた!」
どん、と胸を張って宣言しやがって……あぁ、そうか。
「どうせ、海賊だって名乗ったんだろ」
ルフィに誤魔化すというスキルは無いもんなぁ。
俺は呆れてるのに、ルフィはしししと笑った。
「あの犬が助けてくれたんだ!」
シュシュ……賢いな、お前は。
「海図は? 手に入れたの?」
ナミが身を乗り出すようにしてルフィに聞いた。
「おう!」
ルフィは懐から1枚の海図を取り出した……その際、抱えていたゾロが落下したために目を覚ました。
「……っ。何なんだ」
それはこっちのセリフだ。お前どんだけ眠り深かったんだよ。
「バギーは?」
結果は見えてるけど、一応聞いておく。
「ぶっ飛ばしてやった!」
やっぱりか。バギー、ご愁傷様。お前の不憫伝説はこれからも続くだろう。
「よし、行くか」
俺たちのとナミ、2隻の小船は並んで帆を張る。出航だ。
ナミの小船にはバギーのマークが……だから、何でその鼻が……。
「待て、小童ども!!」
俺がちょっと遠い目になってたら、息を切らせながらブードルさんがやってきた。
「すまん!! 恩にきる!!」
ブードルさんは泣いていた。結果として町は守られたわけだしね……うん、ルフィお手柄。
「気にすんな!」
ルフィも叫び返し、その一言を最後に俺たちはオレンジの町を後にしたのだった。