「うおらぁっ!!」
土門の右ストレートが、ゴーレム=エリスの腹を捉えた。巨人の肉体は砕け散り、土とコンクリートの混じった残骸が宙を舞う。
しかしそれらは再び一つとなって、間髪入れず巨人は復活を遂げた。
もう幾度同じことを繰り返しているのかもわからない。こんな作業じみた行為を、土門はもう何十分も続けていた。
殴って、壊し、蘇った巨人を再び殴る。
何度殴ろうが、何度粉砕しようが、エリスを滅ぼすことは出来なかった。
(キリがねえぜコンチクショウ!)
ダメージらしいダメージはまだ受けてはいない。土門はエリスの巨体から放たれる攻撃を、時にかわし、時に受け止め、一度たりとも会心の一撃を許してはいなかった。
裏麗の牙王と似た能力ではあるが、一撃の重みや破壊力でいえば、シェリーのゴーレムは牙王には及ばない。
だが、エリスの持つ高い再生能力は、牙王のそれを遥かに凌ぐ。
負傷こそしてはいないが、土門のスタミナは着実に削られている。終わりの見えない人海戦術に、精神も蝕まれていた。
このままではいずれ疲弊し、終わりを迎える。土門の中には焦りが生まれていた。
そして、焦っているのはシェリーも同様であった。
戦闘が始まった直後は、ここまで戦いが長引くとは思っていなかった。
無論、土門の圧倒的なパワーには驚かされたが、それでも徐々に相手の体力を削りつつ、隙を見つけて一発喰らわせてやることは可能であると踏んでいた。
計算外だったのは、土門のタフさだ。
ゴーレムの再生能力を以てすれば、隙は簡単に作れるはずだった。それなのに、あのモヒカン男は無尽蔵のスタミナを見せつけながらエリスの攻撃を捌ききっている。その結果未だに決定打は生まれていない。
当然ながら、あの男にだって限界はあるはずだ。しかし、このままではシェリーが先に力尽きてしまう。それどころか、こちらの隙を突いて術士であるシェリーを仕留めに来る恐れもある。
ゴーレムを簡単に砕くあのパンチを喰らえば一発KOは必至。
(このまま戦っててもジリ貧ね。さて、どうするか……)
土門に痛打を喰らわせるための策が、ないわけではない。
しかしまだそれを実行に移すべきタイミングではない。あれは、シェリー自身にも危険が及びかねないハイリスクな策だ。
真に追い詰められた、そんな時まで手元に残しておくべきカードだ。
となれば、次善の策が必要となる。
(なんでもいい。この場にあるものを利用出来れば……)
シェリーは視界の端に、“あるもの”を捉えた。同時に、“それ”を利用した戦い方を無意識の内に思索する。
そして浮かんだ、勝利への道筋。
シェリーの口元が吊り上がる。
「みーつけた♪」
◇
「頑張れ、土門くーん!!」
土門の奮闘ぶりを見守りながら、柳は大きな声援を送る。
土門に加勢することすら出来ない歯がゆさを押し殺しながらの、彼女に出来る精一杯の助力であった。
戦況は土門優勢と言える。何度でも再生するゴーレムをなぎ倒し続けるその勇猛な姿が烈火と重なった。
(烈火……大丈夫なの……?)
先ほどの繋がらなかった電話を思い出す。
普段なら、コール音が三回鳴る頃には必ず電話に出る烈火が、そうしなかった。
烈火も柳同様に、何者かに襲われているのではないか。そして、敗れてしまったのではないか。
頭の中にそんな悪い予感が浮かんでくる。柳はかぶりを振って、それを散らした。
(ダメダメ! そんな悪い風に考えちゃ! 烈火が負けるわけないもんね!)
それに、自分を守ってくれている土門を応援しなければ。そう思い、再び二人の戦いに意識を向ける。
ちょうど、土門がエリスを破壊する瞬間が目に入った。ゴーレムの巨体が崩れ落ち、その背後に守られるように立っていたシェリー=クロムウェルという女の姿が露わになった。
シェリーは笑っていた。
笑いながら、柳と目を合わせた。
「ひっ!?」
まるで幽鬼のように不気味なその笑みに、柳は恐怖する。
シェリーが何を考えているのかなど理解は出来ない。しかしながら、戦闘のさなか、敵である土門ではなく柳を見ていた。
身の毛のよだつ感覚が柳を襲った。
ゴーレムはすぐに再生し、巨体がシェリーの姿を覆い隠した。
それでも、あの笑みは柳の頭に焼き付いて離れない。まるで、獲物を捕捉した猛禽のようにも見えたその眼光は、かつて何度も向けられたものと同じだった。
土門がシェリーの異変に気づいた様子はない。
報告すべきか。しかし、ゴーレムの相手で精一杯になっている土門の集中を削ぐ真似はしたくない。
土門を案ずるが故に、柳は迷った。その遅れが、彼女に災難をもたらすこととなる。
─
足下のコンクリートが砕けた。そこから現れるは、巨大な掌。
「きっ……」
悲鳴、よりも早く柳の細い体を頑強な掌が掴んだ。胴体を強く締め上げられた柳は声を上げることすら叶わない。
同時に、土門と戦っていたゴーレムは役目を終えて崩壊する。
突如として自壊したゴーレムを見て、土門は異変に気づいた。
振り返ってみれば、自分と戦っていたはずのゴーレムが柳を掴んで拘束している。
予期していなかった方向に現れたエリスの存在に驚愕しながら、土門は叫ぶ。
「柳ィィーーーーーーッ!」
非戦闘員を狙う。卑怯とも言えるが、裏返せば非常に有効な戦法とも言える。
そのことを予期出来なかった事実に土門は歯噛みした。
(くそったれ! 一番気をつけなきゃなんねーことじゃねェか!!)
エリスを破壊することに没頭するあまり、十分有り得た可能性を頭に残していなかった。
完全な失策。土門の中に後悔の念が満ちる。
が、
(ウジウジ考えてるバアイじゃねえ! とにかく、柳助けねーと!!)
一刻も早く柳を救出してやらねばならない。背後には盾を失ったシェリー本人がいるが、遊んでいる暇などない。
柳を救わんと、エリスに突進する土門。
「動くな」
かすれた女の声が土門の足を止めた。
「今彼女が置かれている状況、理解出来ないわけじゃないでしょ? あの女は人質だ。無事に返してほしけりゃ、私の指示に従いな」
「……へっ、おめえさんの狙いは柳じゃなかったのかよ? その柳を傷つけるような真似して良いのか?」
どんな理由があってシェリーが柳を襲っていたのかは知らないが、おおよその見当はつく。おそらく、柳の持つ治癒の力が目的のはずだ。戦う力も持たない優しい少女を狙う理由など、それ以外には考えられない。
「当たらずとも遠からず、だな」
そう言って、シェリーは地面にチョークを走らせ始める。
「確かにその少女を狙ってきたのは間違いないわ。
……でもね、私の目的はもっと別のところにあるのよ。そこの餓鬼浚うのは、目的達成のための一つの手段でしかねえんだよ。結局のところ、その餓鬼がどうなろうが私に不利益はないってわけ」
一つ描き終えると、少し離れてまた何かを描き始めて行く。土門はシェリーへの警戒を強めながら叫んだ。
「てめえの目的なんざどうでもいいんじゃアンポンタン! コイツは俺とてめえの喧嘩だろうが! 柳放しやがれ!!」
「いやよ」
シェリーはせせら笑うようにそう言った。
「騎士道精神? それとも男の流儀ってやつ? なんでもいいけど、馬鹿馬鹿しいんだよ。
これは喧嘩なんかじゃない。殺し合いだ。勝ったら殺す、負けたら死ぬ。死にたくなけりゃ、どんな非道な手段でも使えば良いんだよ」
土門は固く歯を噛み締めた。
例えば、麗(魔)の餓紗喰のように。例えば、死四天の蛭湖のように。正々堂々、フェアな戦いを好む戦士も存在した。しかしそれは、ほんの一握りの例外だ。
シェリーもまた、そんな例外には当てはまらない。それだけの話だった。それもまた、闇の中に生きてきた者としてのあるべき姿に違いない。
土門は拳を解き、その場に立ち尽くす。
「……俺のことは好きにしな。柳にはそれ以上手ェ出すんじゃねーぞ」
今土門に出来るのは、その身と引き換えに柳の安全を確保する事だけだ。
いや、実際にはその場しのぎの方法でしかない。土門がシェリーに敗れれば、柳は敵の手に落ちてしまう。その結果起こり得る最悪の事態を、土門は理解している。
それでも、従うしかなかった。
「良い度胸だな。貴方の勇気に免じて、なるべく苦しませないように殺してあげるわ」
ゴーレムが、空いている腕を壁に叩きつけ始めた。コンクリートの壁は容易く砕け、破片が飛び散る。
そんな作業を十数回繰り返し、小さなコンクリートの山が出来上がる。
まるで磁石に吸い寄せられるように、コンクリート片はエリスの腕の先端へと集まり、球体を形作っていく。そして出来上がったのは、巨大なハンマーを装着した巨人。
酷く不格好な姿となった巨人は腕を大きく引くと、反動をつけた一撃を土門に叩き込んだ。
「がっ……!!?」
今までとは桁違いの衝撃が土門の体を襲った。
その破壊力たるや、土門の身体を容易く弾き飛ばさすほどだ。
「がはっ……はっ、はっ、は……」
立ち上がった土門の口から赤黒い血の塊が吐き出される。
全身をバラバラにされたのではないかと錯覚してしまいそうな一撃だった。
重心を極端に偏らせることで遠心力を増した上に重量・硬度共にコンクリートを固めたことで跳ね上がっている。
その分振りが大きくなり隙が増している。しかし、柳を盾にされ身動きの取れない土門相手には関係のない話だ。
結果的に、効果は覿面だった。
たった一撃で土門の身体はKO寸前にまで追い込まれている。胸に激痛が走っているのを考えるに、肋が何本か折れているのかもしれない。
「頑丈さが仇になったみたいね。一回で仕留めるつもりだったんだけど、余計苦しめちゃうかしら?」
シェリーはそう言いながらも、エリスに二撃目の準備を促している。人形はその指示通り、再度ハンマーと化した腕を振り上げた。
「やめてェェーーーーーーーーっ!!」
柳の叫びが、届くこともなく。
無情にも振り下ろされる巨人の鉄槌。土門の身体は再度宙を舞った。
柳はとっさに目を閉じた。それでも、土門の身体が地面に叩きつけられる音は聞こえた。
目を開けるのが怖かった。
「……大したもんだな。まだ死なねえか」
シェリーの言葉が、柳に土門の生存を知らせる。
柳は恐る恐る瞼を上げた。柳の目に映った土門は、生きていた。生きて、なおも立っていた。
「土門く……」
だけど、最早限界を迎えていることは明らかだ。
全身が血塗れのその姿は、これ以上エリスの攻撃を喰らえば取り返しのつかないことになってしまうと告げている。
「やめてよ……土門くん」
自然と、口をついたのはそんな言葉だ。
「もうやめて……それ以上叩かれたら、ホントに死んじゃうよ……」
心優しい少女には、耐えきれない光景だった。
「私、やだよ。土門くんが死んじゃうなんて、やだ……もうやめて……やめてよ」
仲間が死ぬくらいなら、仲間を失うくらいなら、我が身を捧げた方が良い。
土門の身を案じた少女の言葉は、紛れもない本心。
「麗しい友情ね。どうかしら? 彼女もこう言っていることだし、諦めて引き下がった方がいいんじゃない。尻尾巻いて逃げるってなら、わざわざ追いかけて殺したりはしねえよ」
敵であるシェリーもまた、それに同調する。
あるいは、常人なら一撃で死んでいたであろう破壊力を受けきった土門への敬意の表れなのかもしれない。
「やだね」
されど、土門は抗う姿勢を崩すことはなかった。
「ワリィがよ、柳。俺はそんなお願い聞くつもりはねえぜ」
そうはっきりと断じた。
「そんな……どもんく……」
「お友達がわざわざくれたチャンスみすみす逃す気かよ? 良いからとっとと失せて消えろ」
か細い柳の声をかき消すように、微かな怒気を孕んだシェリーの声が空気を震わせた。
そこに含まれた意味は、土門にも柳にもわからない。
「チャンスだ? なんだよそりゃ。俺がダチ見捨てて逃げ出すことラッキーだと思うような薄情モンに見えっかよ?
つーか、そもそも前提が間違ってるっつーんだ」
「あ?」
シェリーの顔に浮かぶ不快感。
それを無視して、土門は続ける。
「俺は柳を守りてえ。俺だけじゃねえ。花菱のバカヤロも、風子様だって、火影の奴らはみんな柳や他の連中守りてえって思ってんだ。
そんで、柳だっておんなじように俺らのこと守りてえって思ってんだろうな。でもよ、だからって俺が譲ってやる気はねえんだよ。
俺様は欲張りだからな! 助けてえって思ったらぜってえ助けてやるんだよ! 柳の気持ちなんざ関係ねえや!」
土門は叫んだ。今にも泣き出しそうな柳に向かって。
「諦めやがれ柳! お前が俺をじゃねえ! 俺がお前を助けんだ!」
土門は逃げない。
喩え命尽き果てようと、柳のために戦い、そして散っていくだろう。
シェリーは唇を噛んだ。土門の言葉に、態度に、自身の心が反応してどす黒い感情を生み出していることがわかった。
「どういうつもりだ!! テメエ今の状況理解してねえのか! そんな身体でホントに勝てると思ってんの!? ホントに助けられると思ってやがんのかよ!!
……それで死んだら、その子の気持ちはどうなるのよ? 仲間が命を棄ててまで庇ってくれたのに、結局無意味な犠牲に終わってしまえば、その子がどれだけ傷つくかわかってるのか!!?」
酷く矛盾した言葉だった。
シェリー自身、今の自分の弁が如何に支離滅裂なものかは理解していた。
今柳を連れ去ろうとしているのは誰だ? 土門を殺そうとしているのは誰だ?
手を引こうともせず、標的である少女の気持ちまで代弁しようとしている己は一体なんなのか。
いや、わかっている。気づいている。
何故ここまで感情的になってしまうのか、シェリーはとっくに知っていた。
土門はシェリーの言葉を素直に聞いていた。
敵であろうと、彼女の言葉は正しい。正しいが、間違っている。
「カンチガイしてんなよ。俺は死なねえからな。
ガマン比べだ。テメーのお人形が俺を殴り倒すのがはええか、それともテメーがバテるのがはええかな。攻守交代ってだけの話じゃねえか」
そうだ。それだけなのだ。
土門が死ななければ、土門がシェリーよりも先に倒れなければ。そうすれば、柳は傷つきはしない。
バカな土門にだってわかる、単純明快な理屈だ。
「……ああ、そうかよ」
そんな馬鹿の理屈は、シェリーにはわからなかった。
「いいわ、好きにすればいい。その結果貴方が死んで、彼女は私に浚われて、その時初めて貴方は自分の犯した過ちに気づけばいい……その選択が、こいつにデケエ傷残しちまうことになぁ!!!」
シェリーは怒りのままにエリスの拳を振り上げさせた。
土門の行動がどれだけ愚かしいもなのか、その身に知らしめるために。
柳にもわかった。シェリーが本気だということが。そして、もう一度あの攻撃を喰らえば今度こそ土門が死んでしまうであろうことも。
それでも、土門は逃げようとはしない。柳を見捨てようとはしない。
土門がそういう人間であることは、柳だって知っていた。そのせいで生まれる悲劇だって想像できた。
『頼むぜ花菱、柳! その馬鹿ぶっ殺して──先へ進んでくれ!!』
柳を守るため、奈落の底へと落ちた時。
あの時は、無事に帰ってくることが出来た。土門を信じたい気持ちはある。だけどそれ以上に、土門を喪うことへの恐怖があった。
満身創痍の土門の姿を目の当たりにしてしまっては、無理からぬことだ。
無情にも振り下ろされる巨人の鉄槌。
その標的である土門と目が合った。
土門は笑っていた。
心配するなと言わんばかりに、泣くんじゃねえよと語りかけてくるように。
柳を不安にさせないように、いつもの顔で笑っていた。
──いやだよ!
『互いの弱い部分補って何が悪い。それが仲間ってモンだ!』
──死なないでよ、土門くん!
『夢を与える作家先生になりてえんだろ? なろうぜ。起きろ!』
──私、泣いちゃうよ。土門くんがいなくなったら、泣いちゃうよ。
私だけじゃないよ。烈火くんも、薫くんや水鏡先輩も、土門くんの大好きな風子ちゃんだって、たくさん、たくさん泣いちゃうよ!
ゆっくり、ゆっくりと土門に巨人の拳が迫っていくのが見えた。
どうすればいいか、柳にはわからない。ここから状況を覆すチカラなど、柳は持っていない。
少女には、ただ叫ぶことしか出来はしない。
「だめぇぇぇええーーーーーーーーー!!!!」
先ほどと同じように柳の声が響いた。
死にゆく男への、殺そうとする女への、無力な少女による精一杯の叫び。
しかし、同じような光景ではあったが、結果は全く違ったものとなる。
柳の身体から、光が発された。
土門も、柳自身も知っているその光は、普段少女が使う治癒の力と同じ輝き。
破壊とは対局にあるその光に、現状を変える力などない。土門の死も、シェリーの勝利も。
柳でさえもそう思っていた。
しかし。そうではなかった。
エリスの巨体が、その動きを停止させた。直後、巨人はその強靭な肉体をボロボロと崩落させていく。
魔力で繋がれていた各々のパーツがその力を失ってて、人型を失って単なる土やコンクリートの破片へと姿を変えていく。
柳は放り出されて、地面に倒れ込んだ。
土門もシェリーも、今起きた事象を認識こそすれ理解が追いついていなかった。
戦場には有り得ないような無防備な間が生まれる。
崩れ落ちた巨人、解き放たれた少女、大きく変化した局面──。
それをいち早く呑み込んだのは────土門。
「うおおおおおおおらああああああああ!!!」
人質はいなくなり、壁も消えた。
土門にとってそれは──千載一遇の好機。
土門は猛進する。猪のように、戦車のように。
全身の激痛など知ったことではないというかのように、全霊の力を、本気の信念を込めた一撃をシェリーに与えんとするために。
「こ……のぉっ!!」
シェリーはチョークを振って、再度エリスを召喚しようとする。生まれかけたゴーレムは、しかしその完成を待たずして土門の突進で砕け散った。
なおも、土門の勢いは止まらない。少しも速度を落とすことなく、シェリーへと肉迫した。
シェリーは咄嗟に足を運び、土門の射線から逃れようとした。
しかし、遅すぎた。砲弾と化した土門から逃れきるには、判断も速度も遅すぎたのだ。
「がっ……!!」
土門のショルダータックルがシェリーに炸裂した。
ダンプカーに跳ねられたような衝撃を受け止めた女の身体は、派手に転がってやがて動きを止めた。
シェリーが動かなくなるのを見届けて、土門はその場にへたり込んだ。
「あー……疲れた」
安心と同時に、全身に激痛が走った。最後の一撃は、かなり無茶だったようだ。
柳が駆け寄ってくる。
「土門くん!」
「おー、柳。怪我はしてねえか?」
「私は平気。でも土門くんが……」
傷ついた土門の身体を見て、柳は唇を噛んだ。自分が招いてしまった結果に悔しさが湧き出してくる。
目に涙を浮かべる柳の頭を、土門は優しく撫でた。
「気にすんじゃねえって! 元はと言やあ俺の不注意だ。それに、柳のお陰で助かったんだ。礼を言いてえぐれえだよ!」
その言葉に、柳は顔を綻ばせた。
「……うん! 今、怪我治してあげるね!」
そう言って土門の身体に手をかざすと、そこから光を発した。
ただ、その光量も治癒の速度も普段の半分にも満たない程度だ。さっきエリスを破壊する際に多くの力を使ってしまったのだろうか。
(あれ、なんだったんだろう……)
あんなことが起こったのは初めてだった。
生き物を癒やすための力が、何故あんな結果を生んだのか。考えたところで答えは見つかりそうにもない。
長年付き合ってきた力が覗かせた新たな一面に困惑しながらも、柳は頭を振って治療に集中しようとする。
微弱な光が少しずつ土門の傷を消していき、四分の一程度が終わった。
このまま続けようと場所を替え、新たな傷を癒やし始めた。
ガラッ、と何かが崩れる音が聞こえた。
それを聞きつけ、土門は素早く視線を音のした方に向けた。
そこには、ふらつきながらも瓦礫や壁にもたれ掛かりながら立ち上がるシェリーの姿が。負っていたダメージの分、勢いが足りなかったのかもしれない。
そう思い、土門もまた立ち上がった。
「よお、じゃじゃ丸。俺様のタックル喰らってダウンしねえとは中々タフじゃねーか」
「ナメんなよ糞餓鬼……!」
そう言いながらも、シェリー自身土門の攻撃を浴びてなおも立ち上がれるとは思っていなかった。自身の中に渦巻く執念がそれを可能にしたのだ。
倒れさえしなければ、勝機は残っている。柳を追いかけながら、そのための下準備は済ましておいたのだから。
「エリス!!」
シェリーが叫ぶと、ゴーレムは復活した。土と瓦礫が集まって人の形に固まった。
しかし、その体躯は貧弱。全長はおよそ半分、纏うコンクリートの鎧の厚みも薄くなり、先ほどまで猛威を振るっていた姿と比較して非常に頼りない。
シェリーが受けたダメージは少なからずエリスにも影響を与えていた。
「へっ、んな弱っちそうな人形で相手になるかよ!」
「いいのよ、これで。これはただのトリガーに過ぎないんだから」
シェリーは笑ってそう言った。
その時、柳は異変に気づいた。シェリーの足下、正確には彼女がもたれ掛かっている柱の根元が淡く光っている。
そこだけではない。視認出来るだけでも10カ所程度同じように光っていることがわかる。
目を凝らせば、それが円陣とその中に描かれた文字から発されているものだと気づけた。
「貴方はよく戦った。でもな、もう終わりだ」
シェリーはゴーレムを生み出し、操ることを得意としている。しかし、同時に二体以上のゴーレムを生み出すことは出来ない。柳を捕縛する際、わざわざ完成していたゴーレムを自壊させたのはそれが理由だ。
ならば、無理矢理二体目を召還しようとすればどうなるか。その答えが逆転の一手となる。
柳は目を見開いた。淡い輝きの中、魔法陣が描かれていた柱がボロボロと崩れ落ちいくのを目撃したからだ。
柱全体が一瞬で風化し、やがて消え失せる。
一本程度なら、そこまで大きな影響はないだろう。しかし他の複数箇所に点在する光が、同じように柱のある場所から放たれているものだとするなら……。
「土門くん! 早く逃げなきゃ、このビルが……!」
大きな揺れが、柳の言葉を遮った。地震ではない。建物全体が軋んでいた。
天井が崩れ落ち、巨大な破片が柳に落下する。
「このっ!!」
間一髪、土門の拳が破片を砕いた。土門は柳を抱え、一刻も早くこの場から離脱しようと走り出す。
だが、揺れや退路を塞ぐ大量の瓦礫が邪魔をして思うように動けない。
シェリーは既に姿を消していた。エリスもいない。あの巨人を盾にしながら脱出する算段なのだろう。
シェリーはいざとなれば最初からこうするつもりだったのだ。元より彼女にとって柳の生死は問題ではなかった。目的達成のための入念な準備の上で、最悪の事態も想定していた。
「くそっ! ざけんなよ、こんなとこで!!」
こんな所で死ぬわけにはいかない。何より、柳を死なせるわけにはいかない。
そう思いながらも、身動きをとることは出来ない。
揺れは次第に大きくなり、周囲は落下した瓦礫で埋もれていく。
そして、遂にビルは完全な崩落を迎えた。
◇
建物の崩壊を見届けて、シェリーは周囲を見渡した。
遠くから聞こえるサイレンの音は、さっき空が光ったことに関係しているのか。
今学園都市には同僚の魔術師であるステイル=マグヌスと神裂火織がいるはずだ。禁書目録の確保のためにやってきた二人が何か下手を打ったのかとも考えたが、あの二人が手慣れた仕事でそんなヘマを犯すはずもないと否定する。
なんにせよ、人が集まってきているのであれば都合が良いのかもしれない。
あの少女が死んだことで、少女の拉致を依頼してきた連中との関係もご破算となった。最早奴らに気を使う必要もないし、むしろシェリーの目的を達成するにはそれを実行した人間が誰であるかを明確にしなければならない。
このまま投降し、捕らわれればいい。学園都市の人間による報復か、はたまた身内である必要悪の教会による粛正か。あるいは、ローマ正教辺りの他宗派の魔術師が始末をつけに来るかもしれない。
いずれにせよ、シェリーは殺されるだろう。だが、それで良い。
己の命を犠牲にして、魔術と科学の完全な離別を実現出来るのであれば。二つの世界が住み分けることで、完全な平和が実現するのであれば。
そのためなら、捨て石になってやろう。
エリスを喪って以来、それだけが自分の望みだったのだから。
──本当に良かったのか?
そんな考えが頭に浮かんだ。
シェリーの理想のために、シェリーより先に犠牲となってしまった二人。互いのことを支え合っていた二人を殺した事実がシェリーに重くのしかかった。
──何を迷う必要がある。より多くの人間を救うためには、二人ぐらいの犠牲はやむを得ないじゃない。
そう心中で呟いて、無理矢理己を納得させるしかなかった。
もう一度、巨大な墓標となった瓦礫の山を見てシェリーは呟いた。
「……悪かったな。許可されたら、花くらいは添えに来てやるよ」
「墓参りなら必要ねーぜ」
シェリーは耳を疑った。瓦礫の下から、聞こえるはずのない声が聞こえた。
瓦礫の隙間から、光が漏れ出した。まるで光芒のようなその輝きはやがて収まり、瓦礫の一部が弾け飛んだ。
「ば……かな……」
瓦礫の中から這い出てくる人影を見て、シェリーは呆然と呟いた。
有り得ない、と頭で否定しようとしても、事実それは起こっている。死んだはずの人間が、生存など不可能な状況で、なおも生きている。
「ズイブン面食らってやがるな。俺様が死んだとでも思ったかよ」
気絶した少女を抱え、瓦礫から飛び降りたその男は、その特徴的なモヒカン頭は、見間違えるはずもなく。
「まだまだ、あれっぽっちじゃ足んねーな」
月明かりに照らされた肌は浅黒く変色し、額には『鉄』の一文字が浮かんでいる。
「来いよ。テメーが何を考えてるかは知らねーが、全部真っ正面から叩き潰してやる!!」
石島土門は死んでいない。
土門と柳の関係はなんか好きです。
お互いに恋愛感情の一切ない純粋な男女の友情な感じが。