雲一つない青空が広がる。どこまでも高い、澄んだ空だ。この『青空』だけは、どれだけVR技術が発達しても再現できないだろう。マフラーを首に巻いた詩乃は、空を見上げながらそう思った。
まぁ、今は落ち着いたからそのようなことを思えるのだが。
先程まで詩乃は、自分を虐めていた三人と対峙していた。いつも通り金をよこせと、そう命じて来たのだ。勿論、詩乃は拒否。それにイラついた彼女らは、兄から借りて来たというモデルガンを一丁見せつけて来た。以前に持ってくると宣言していたので予想はしていたが、体が本能的に震えようとして─奥歯を噛みしめて堪えた。そして、モデルガンを撃てない…撃ち方を知らない彼女らを見て、自分でも驚くほど拍子抜けした。そこで理解したのだ。本当に恐ろしいのは銃ではなく、人間の方なのだと。
では彼女達はどうだろう。攻撃するのは自分よりも弱者、更に群れているときのみ。モデルガンの撃ち方を知らず、目の前で焦っている。
─なんだ、自分と同じ普通の女子高生じゃないか─
確かそう思ったはずだ。その後は…あぁそうだ、彼女の手からモデルガンを奪い取り、解説しながらロックを解除。そして焼却炉の隣にあった空き缶に狙いを定め、撃ち抜いた。我ながら、初段でよく当てられたものだ。そして唖然としている彼女らに再びロックをかけたモデルガンを返して、あの場を去ったのだ。
それで現在、学校から出るために正門に向かっているところなのだが…なんだか少しざわついている。正門前の広場で幾人かの女子生徒が校門をみて、何事かを囁きあっていた。そのうちの二人が、クラスでもそこそこ仲の良い人物だと気づき、詩乃は声をかける。
「どうしたの?」
「あ、朝田さんやっほー」
「なんかね。校門前にバイク停めてる女の人がいるの。話しかけた人がいてね?誰か待ってるみたいなの」
「?…!?」
最初は疑問符を浮かべたが、すぐにある可能性に思い当たる。いやまさかそんな、と否定したい。
確かに、学校が終わる時間は教えたし、電車代が勿体ないから、その時間に誰かが迎えに来るとも言っていた。そして蓮巳は人見知りなので、自分は行かないとも。そうすると浩一郎か和葉のどちらかが迎えに来ることになり、ここは女である和葉の方が良いだろうということになった。
それは分かるし、まぁ当然だろうとは思った。女子というのは恋バナが大好きだ。蓮巳か浩一郎と会っている所を見られたら追及は避けられない。だから和葉に決まったのだが…。
恐る恐ると言った風に、校門の向こう側を覗き見て、詩乃はがくりと肩を落とす。スタンドを下した黒色の中型バイクに寄りかかり、女子生徒と談笑している人物は、間違いなく一昨日出会ったばかりの少女だった。
─話しかけたくない。心の底から─
十人以上が彼女に注目していて、更に話している所に声をかけ、バイクの後ろに乗る?顔を覆いたくなる。というか何であんなに楽しそうに話しているのだ。文句を言いたくなる気持ちを抑え、傍らの同級生に向き直った。
「えっと…あの人、私の知り合いなの…」
「えぇ!?朝田さんだったの!?」
「どういう知り合い!?」
驚愕したのは分かるが大きな声を出さないで欲しかった。その声に反応して、周囲の生徒達がこちらに注目してしまったではないか。とうとう顔を覆ってしまった。
じりじりとこちらに近づきながら、説明を求める彼女達に「ごめん!」と叫んで、詩乃は逃げるように和葉の方に走った。これでは和葉に来てもらった意味がないではないかと思いながら、校門を潜り抜け、車回しに出る。
足音が聞こえたのか、雑談をしていたはずの和葉が振り向く。詩乃の姿を確認すると、「すいません、待ち人が来ましたので」と雑談していた女子達に言った。その女子達は気が良い人達のようで、笑顔のまま手を振って帰っていった。
「こんにちは、詩乃さん」
片手をあげ、そう言った和葉。走行中、邪魔にならないよう腰まで届く黒髪をポニーテールにし、ジャケットを羽織っている。因みに全身真っ黒コーデだった。
こうして改めて彼女を見てみると、少し年上に見える。いやまぁ実際に一つ上なのだが、高校生というよりも、大学生と言われた方がしっくりくるのだ。身長はさして変わらないのに、それほどに大人びて見える。少女というより、女性と表現したほうが良いかもしれない。
「…こんにちは、おまたせ」
「いえ、僕もつい先程到着した所ですし、楽しくお話させていただきましたから」
和葉は笑みを見せながらそう言うと、詩乃にヘルメットを渡してきた。詩乃としてもさっさとここから移動したいので、黙って受け取る。鞄を斜め掛けにして、フルフェイス型ヘルメットを被り、ハーネスを留めた。時折、蓮巳のバイクで後ろに乗せてもらっていたので、手間取ることはなかった。
和葉はそれを確認すると自らも黒いヘルメットを被り、シートに跨ると、和葉は首を傾げた。
「そういえば、スカートは大丈夫ですか?」
「体育用のスパッツ履いてるわ」
「そうですか」
詩乃の言葉に納得したような声をすると、バイザーを下す。これが蓮巳だったら文句ありげに眉を顰めるんだけど、と詩乃は思いながらリアシートに跨った。詩乃が和葉の腰に手を回すと、「しっかり捕まっててください」と言ってバイクを走らせた。
「ここです」
十分足らずで到着した場所は湯島の隣、御徒町にある喫茶店『
ヘルメットを手に持ったままドアを開けると、スローテンポなジャズが流れてくる。艶やかな板張りの店内はオレンジ色の灯り照らされていて、狭いが何とも言えない暖かさに満ちていた。
「いらっしゃい」
バリトンボイスでそう言ってきたのは、カウンターの向こう側に立つ黒人。その人物は、アンドリュー・ギルバード・ミルズと名乗った。和葉が言うには、この人物もSAO
「やぁアンドリュー」
「よぉ和葉。連れなら先に来てるぜ」
そう言って指をさした方を見ると、眼鏡をかけた男性がこちらに笑みを向けていた。彼が、和葉に《
本当は別の場所を指定されていたらしいのだが、そこにこの人数で行くと他の人に迷惑をかけてしまうので、ここにしたらしい。
二人が席に座り、飲み物を頼んだのを確認した眼鏡の男は、詩乃に名刺を差し出してきた。
「はじめまして。僕は総務省総合通信基盤局の菊岡誠二郎と言います」
「は…はじめまして…朝田、詩乃です」
詩乃は慌てて名刺を受け取り、会釈を返した。つい蓮巳を見てしまったが、彼は自分よりも先に来ていたので、既に挨拶終わっているのだろう。そう思っていると菊岡と名乗った男は、口元を引き締めると頭を思い切り下げて来た。
「まずは謝罪を。この度は、こちらの不手際であなた方を危険に晒してしまいしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「い、いえ…そんな…」
突然の謝罪に、詩乃は狼狽える。最初から自分はターゲットに含まれていたし、結果的に助けてもらったのだから謝罪をする必要はない。そう正直に言おうとして
「…謝罪を受け入れます」
「蓮巳?」
隣に座っていた蓮巳が、そう口にした。彼は目線だけをこちらに向けていた。
「…こういうのは、受け入れたほうが早い」
でないと話が進まない、と。身も蓋もないことを言えば、そういうことらしい。
その証拠、というべきか、菊岡は肯定も否定もせず苦笑だけに留めた。
「では本題に入りましょう。とりあえず、ここ二日で分かったことを伝えます」
そういって菊岡は『
新川
「PoHと呼ばれていた人物の五人。今回のBOBではターゲットとされていた人が三人だったそうだ」
シノン、ペイルライダー、ギャレット。詩乃は和葉達に助けられたが、残念ながらペイルライダーとギャレットは助からなかったそうだ。
「前日…せめて朝に思いついていれば、死なないで済んだかもしれないですね…」
悲痛な表情でそう呟いた和葉の右腕を、慰めるように浩一郎が優しく握った。
「今それを言っても仕方ないことだよ。それに、今回で犯行を止められなかったら、あと三人は犠牲になってたかもしれない。それだけでも喜ぼう」
菊岡は続ける。
その境遇でも兄弟仲は良好で、兄が高校を中退してからは精神の慰撫をVRMMOに求め、その趣味はすぐに弟に電波した。そして兄は二年間《SAO》の虜囚となり、父親の病院で昏睡していた。生還してからは、弟にとって兄は偶像…一種の英雄のような存在になった。生還後、しばらくはSAOのことについて話題に出さなかったようだが、リハビリが終了し帰宅すると、弟にだけはSAO内でのことを話していたそうだ。
GGOを始めたのは弟に誘われたから。本当の殺人が起きることのない世界は彼にとって退屈で、観察していたPLの殺し方を想像することの方が楽しかったそうだ。それが一変したのは、
最初はただストーキングする日々。ある日、総督府でPLのリアル情報を知る機会が訪れた。兄は見た情報を反射的に記録した。それを続けて、全員で十六名ものリアル情報を手に入れたという。この時はまだ、この情報をどうしようとは思っていなかったらしいが、弟が兄にキャラ育成が行き詰ったことを打ち明けた。それがゼクシードのせいだということも聞くと、手に入れた情報の中に彼のものがあった。そして二人して、ゼクシードこと茂村の殺害方法を計画し始めた。
実際に行うにはいくつもの壁が存在したが、薬品の入手、マスターキーの入手と一つ一つ乗り越えていき…殺害した。この時、直接手を下したのは兄の方だ。GGO内での銃撃に合わせて、アミュスフィア使用中だった茂村の顎の裏側に高圧注射器を刺し、薬液を注入した。
二人目の犠牲者の際も手口は同様。この時点で彼らは条件に一致する者を七人決めていたそうだ。
そして一向に
「これが、『
「…捕まっていない、ということですか」
和葉の言葉に菊岡は頷き、詩乃は目を見開く。
「君の妹さんからラフコフ幹部の名前を聞いてすぐに調べたんだけどね。捜査当局やら裁判所の説得に手間がかかりすぎた」
「しょうがない…と言いたくはありませんが、仕方ないでしょうね。『ゲーム内から殺人を起こしている可能性がある』だなんて信じるはずがないですし」
ふぅと重い溜息を吐いた二人に、詩乃は何も言うことができなかった。蓮巳にどうにかしてほしいと思うも、彼は口が回る方ではない。故に浩一郎に視線を向けると、彼はこちらに気づき目線だけで頷いた。
「菊岡さん、一つ気になったんですけど、なんでPoHの本名は言わなかったんですか?」
それはそれで悪手では?詩乃はそう思ったが、先程より若干は空気が軽くなったので良しとする。
浩一郎の言葉に「あぁ…そのことか」と言って、信じがたいことを続けた。
「デタラメだったんだよ。名前も、住所も、全て」
薬品カートリッジがまだ2つ行方不明であること、彼らを繋げたのはPoHであることを最後に告げて、菊岡は帰っていった。
「…よかったの?」
蓮巳は、詩乃に向かってそう聞いた。蓮巳は、詩乃が恭二について何かしら聞くものだと思っていたからだ。
「いいのよ」
詩乃は、ただそう答えた。
もし、詩乃の近くにいてくれた人が恭二だけであったら彼について何か聞いていたかもしれない。だが自分には、隣には蓮巳がいる。彼がいてくれればそれでいい。今はそう思う。
その思いは蓮巳にも伝わったようで、納得したように何も言わなかった。
「さて詩乃さん、蓮巳さん、まだ時間はありますか?」
和葉は両手を鳴らして注意を引くと、こちらにそう聞いてきた。それに何もないと答えると、それは良かったと言い─
「─姉さん終わったか?」
詩乃から見て右側、つまり店の奥側からそのような声が聞こえてきた。そちらに顔を向ければ、茶髪を三つ編みにした男と、もう一人の和葉がいた。幻覚かと一回目を擦り、そうではないことを確認してしまった。
「久々にその反応見たなぁ」
「まぁ二人と別々に会うっていうこと自体が久々だしね」
最近知り合った人達は二人と同時に会ってるし、と肩を竦めながら男の方が言った。和葉そっくりの女子が来た時から頭に手を当てていた和葉が、溜息を吐きながら口を開く。
「紹介します。双子の妹の佳奈と、その恋人の明日加です」
どうもと二人が和葉の紹介にそって、こちらに頭を下げて来たので挨拶を返す。そして和葉が真剣な表情になり、口を開いた。
「詩乃さん、貴女に謝らなければならないことがあります」
「え?」
引き継ぐように浩一郎が口を開く。
「ここに来てもらったのはもう一つ理由があってね。君は怒るかもしれないけど」
そう言われても、詩乃には意味が分からない。それが表情から分かったのだろう。佳奈が言葉を紡ぐ。
「先に言っておくが、俺と明日加は事件のことを知っている」
「勝手なのは承知だけど、俺たちは昨日■■■市の銀行に行ってきたんだ」
「っ!?」
佳奈と明日加の言葉で頭が真っ白になり、驚愕と言う言葉では生ぬるいほどに絶句した。まずは自分の過去を知っていることに、そして町の名前に。
その町の名は、かつて詩乃が住んでいた町だ。忘れたくても、忘れられない、町の名前。何故、今になってその町の名前が出てくるのか。更に、その銀行とは、あの事件の起こった銀行のことだろう。何故そこに行ったのか。
「詩乃さん、それは貴女が合うべき人に会っていない…聞くべき言葉を聞いていないと思ったからです」
「だから銀行に直接行って頼んだんだ。ある人の連絡先を教えてほしいって」
「会うべき人…?聞くべき言葉…?」
唖然と言葉を繰り返す詩乃の前で、和葉が佳奈に向かって目で合図を送る。そして佳奈が店奥のドアを開けると、そこから一人の女性と小さな女の子が姿を見せた─
「良かったのかい?」
女性─あの事件にて巻き込まれ、妊娠中だった彼女は詩乃に救われた。それを詩乃に伝え、彼女の子供も絵を見せると、志乃は涙を流した。蓮巳はそんな彼女の背をさすっている。
「何がですか?」
「君が─君達も
カウンターに移動した浩一郎と和葉は、それらを視界に入れながら話してた。浩一郎は和葉に視線を向けながらそう言ったが、目を詩乃達に向けたまま和葉は口を開く。
「良いんですよ。別に知らなければいけないなんてことはないですし」
まぁ聞かれたら隠すことなく言うつもりではあるのだが。少なくとも彼女が落ち着いてからになるだろう。佳奈もそれは了承している。
なら良いんだと浩一郎は言って、また騒がしく楽しくなるだろうなと、これからに思いを馳せた。
習い事やら就活やら卒論やらで忙しくなるので、またしばらく休みます!もしかしたら短編を投稿するかもしれませんが、まぁないと思ってくれていれば!
ではではまた会いましょう!
「あー楽しかった。やっぱ殺し合いは最高だよなぁ」
「─
「くはは、すぐに対処しといてよく言うぜ」
「流石に目の前でやられればな。それはそれとして、干渉した事自体を咎めることはない。あのままであれば、和葉は負けていただろう」
「別にそれでも問題なかっただろうがな。生前の話とはいえ、俺とアイツは
「そうか」
「…」
「…」
「なぁ、あの約束、本当に守ってくれるんだろうな?」
「当たり前だ。俺は交わした約束を破ることは無い」
「なら良い。それを聞きたかっただけだ」
「ではな、俺は戻る」
「おう」
足音が遠のいて行き、一人になった空間でその人物は呟く。
「嗚呼、ようやくテメェと─」
─殺し合える─
「楽しみだなぁ和葉…くはは!」