星の在り処   作:KEBIN

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二つの冒険(Ⅴ)

「おっ?」

「あらっ?」

 ロレント市への帰り道、日が翳るマルガ山道。翡翠の塔とマルガ鉱山とを分けるT字路で、エステルとヨシュア達一行は鉢合わせた。

「遅かったじゃない、エステル。とっくにクエストを終了させて、ギルドの二階で昼寝していると思ったけど、一体、どこで道草を食っていたのかしら?」

「いや、それがさ。とにかく聞いてくれよ。こっちの方でも本当に色々とあったんだよ」

 再開を祝する間もなく、本来の調子を取り戻したヨシュアが嫌味を口にするが、軽い興奮状態のエステルの耳には入らない。義妹の助力抜きで単身でクエストをやり遂げた、自身の功績を自慢したくて仕方がない。

「それでさ、落盤事故が起きて、地下に閉じ込められちまった上に、魔獣が出没してさ。つい先だっては、複数の強面の盗賊団に……」

「はいはい、エステルの活躍は、後でちゃんとブレイサー手帳で確認してあげるから。それよりも運搬物は無事なのね?」

 鉱山の方は、思ったより深刻な事態に陥っていたみたいだ。内心の安堵を押し隠し、表面上は常のポーカーフェイスを維持しながらも、この場にいる第三者への情報漏洩を警戒し、エステルの解説を事務的に遮る。

「おうよ。ほれっ、この通り」

「あっ? 駄目っ」

 ヨシュアと異なり守秘義務感覚がユルユルのエステルは、考えなしにショルダーバックからセプチウムの結晶を無造作に取り出す。シャッターの音が響くのと、慌ててヨシュアが引っ手繰るのと、どちらが早かったか?

 気まずそうな表情で結晶を後ろ手に隠すも、既に手遅れ。神々しい輝きを放つ巨大なエスメラスが、確かにナイアル達の目に晒された。

「おい、ドロシー。今度こそ、今のお宝をカメラに撮っただろうな? あんなバカでかいセプチウムは、滅多にお目にかかれる代物じゃねえぞ」

「バッチリです、先輩。プロのカメラマンとして、突然のシャッターチャンスは絶対に逃しません」

「何て高額そうな宝石なの。アレを換金すれば、何ヶ月分のご飯が食べられるのかしら?」

「おい、ヨシュア。もしかして、こいつらがリベール通信の記者達か? 何か一人、変なのが混じっているみたいだけど。ひょっとして、俺、酷いヘマをしちまったのか?」

「かなりね」

 ようやく事態の重大さと、自分の迂闊さを悟ったエステルは狼狽し、ヨシュアは嘆息する。

 遊撃士にはクエストの内容に関する機密保持が課せられているのに、よりにもよってマスコミ関係の人間に結晶の存在が明るみになってしまうとは。

 妙に鼻が効くナイアルのこと。いずれ生誕祭と結びつけて、大々的に記事にされるのは時間の問題。そうなる前に手を打たねばならないが、まさか遊撃士が依頼者の民間人から、力ずくで感光クオーツ(フィルム)を強奪する訳にもいくまい。

 どうするか悩みながらも、とりあえず結晶をスカートの内ポケットに押し込もうとしたヨシュアの指先に何か固い物がぶつかった。翡翠の塔でドロシーがウッカリ落としながらも返しそびれていた予備の感光クオーツ。

 この瞬間、ヨシュアの合理的な思考フレームが解法を導き出した。

 

「ヨシュア、どうしよう?」

 魔獣や盗賊相手には無双したエステルだが、戦闘外のトラブルにはどう対処して良いか分からずオロオロしている。

「心配いらないわよ、エステル。証拠のフィルムは何とか抜き取ったから」

 これ見よがしに掌の上の、円形状の塊を転がして見せる。

「えっ? そんな筈は」

「馬鹿、フェイクだ、ドロシー。カメラを開けるな」

 感光クオーツの有無を確認しようと慌ててオープンボタンを押したドロシーをナイアルが諫めたが、ヨシュアは電光石火の早業で本物のフィルムをカメラから掏摸とる。

 この行為もまた泥棒には違いないだろうが、依頼人に暴力を振るうという最悪のシナリオだけは何とか回避した。後は得意の舌先三寸で言いくるめて、少しでも傷口を小さくするように努めるだけ。

「取引しませんか、ナイアルさん? 記事の掲載時期を生誕祭当日に調整してもらえるならフィルムはお返ししますし、ついでにこの結晶の由来についても詳しくお話します」

 ナイアルが何か主張する前にヨシュアが妥協案を提示する。交渉事はとにかく相手に主導権を渡さないに限る。

「拒否したら?」

「不幸な事故により、翡翠の塔を納めたこの仕事用の感光クオーツは消失しますね。当然、こちらの不手際でのクエスト失敗ですので報酬は全額お返しします」

 ヨシュアは全く悪びれることなく、にっこりと微笑む。

 彼本来の気質に合わない性質の悪い恫喝が目の前で行われていたが、エステルは堪えた。ヨシュアが態々尻拭いをしてくれているのが判っていたからだ。

「あと、条件を飲んでもらえたら、報酬の減額があったのもリベール通信本社には報告しません」

「はえー、それが、どうしてナイアル先輩のメリットに繋がるのですか?」

「お前は黙っていろ、ドロシー」

 能天気なカメラ助手を一喝した後、ナイアルは後ろめたそうにたじろぐ。どうやら完全に見透かされているらしい。

「断っておくが、俺は取材費を着服したことは一度だってねえぞ。ただ、スクープを得る為には危険を顧みない度胸と何よりも先立つものが必要なんだよ。上層部のお偉方にはあまり理解しちゃもらえないがな」

「それはあなた自身の問題だから好きにすればいい」

 ナイアルの弁明に取り合わなかったが、多分、苦し紛れの嘘ではないと当たりをつける。短いつき合いだが普段の乱雑な言動とは裏腹に、彼の人格に矮小な要素が乏しいのを見定めているからだ。

 勿論、ドロシーとエステルには、二人が水面下でしている遣り取りについてさっぱり判らず、頭上にクエスチョンマークを浮かべている。

 

 ナイアルは忌ま忌ましそうにヨシュアを見下ろしていたが、一服して気分を落ち着けると煙と一緒に諦観の溜息を吐き出した。

「ちっ、本当に食えないお嬢ちゃんだな、判ったよ。元々、ロレントには翡翠の塔の取材で来たんだ。手ぶらで王都に帰ったら、デスクにどやされちまう」

「ご理解いただけて助かります。それでは約束通りフィルムはお返ししますね」

 あっさりとドロシーの手に交渉物品を返却され、ナイアルは却って訝しむ。

「おいおい、そんなに簡単に切り札を手放していいのかよ?」

「取引は何を置いても、お互いの信頼関係が第一ですから。ただし、万が一にも約定を反故にしたら、今後、ギルドはリベール通信社からの取材には一切応じなくなることを覚悟して下さい」

 ナイアルから言質を取ったことで故意に問題を拡大解釈して、個人の口約束を両者が所属する団体間の信用問題にまで発展させる。こうなるとナイアルも迂闊な真似は不可能になる。

「はあ、格段に腕が立つ上に、頭の方はもっと切れるってか? カシウス・ブライトもとんでもない娘を養女にしたもんだな。ところで、お前さんが噂のヨシュアの義弟のエステルかい?」

 海千山千の姉貴よりも単細胞の弟分の方が懐柔し易いと踏んだのだろうか。ナイアルは矛先をエステルに向けると馴れ馴れしく肩に手を回した。

 義兄とは真逆の不適切な単語を聞いて、エステルの眉が動いたが当人はしれっとしている。何よりもエステル自身がこの場で小さくない借りを作ってしまったので、強く訴えられない。

「自己紹介が遅れたな。俺はリベール通信社のナイアル・バーンズだ。さっき、ちらっと話していたが、鉱山で面白そうな体験をしたそうじゃないか。猫メイドのいる居酒屋で、飯でも食いながら、じっくり冒険談を聞かせてくれないか?」

「ご飯って、食事を奢って頂けるのですかー?」

 今まで、のほほんと三者の会話を眺めていた教授が、身体を割り込ませてきた。

「わたくし、この一週間、ミラがなくて、ろくな物を食べてなくて、もうお腹がぺこぺこでぺこぺこでぇー」

「うわっ、何だ、このおばさんは? てっ、汚ねえ。涎垂らしてやがる」

 エステルが飢餓女性を引き剥がそうとしたが、教授はスッポンのように張り付いて離れない。

「忘れていた。そういえば、この人もいたわね」

 一難去ってまた一難。さらなる難題の上澄みに吐息したが、この問題は多少の口止め料で解決しそうだ。

「それでは、ナイアル先輩の奢りで、レッツゴー居酒屋アーベントー」

「ちょっと待て。俺は奢るなんて一言も言ってないぞ」

「早く、早く、食べに行きましょう。わたくし、もうお腹が限界です」

 

        ◇        

 

 その夜、居酒屋アーベントの唯一の喫煙ルームである十三番テーブルを遊撃士の兄妹、リベール通信の記者コンビに学者風の中年女性という奇妙な取り合わせの客が占領した。

 摩天楼の如く次々に重ねられる膨大な皿の枚数に途切れることなく追加されるオーダー。散開するワインの空ボトルに灰皿一杯に積まれる煙草の吸殻。いやが上にも、周囲の禁煙テーブルの客の目線を一手に集める。

「でさぁ、俺が機転を効かせて、この結晶で魔獣を惹きつけて親方を援護し……」

 料理にがっつきなから、ジェスチャーを交えて、己の武勇伝を語る勇者。

「ふーっ、なるほどな。そこの所のニュアンスをもう少し詳しく。って、おい、アルバ教授、それで何皿目だ? ちっとは自重してくれ」

 食事と取材と飲酒と喫煙を同時にこなしながらも、無銭飲食者への牽制を怠らない記者。

「申し訳ありません。今、可能な限り食い溜めておかないと今度また何時ご馳走にありつけるのやら」

 周りを気にせず、ただひたすら一心不乱に飲み食いを続ける貧乏学者。

「臨時収入が懐に転がり込んだのだから、別に構わないじゃなくて? それよりも、さっきから煙草の煙がうざくてしょうがないんだけど」

 一見マトモに見せかけて、さり気なく未成年の飲酒を敢行している犯罪者。

「先輩、何時ボーナスを貰ったんですか? 狡いですよ、私にも。この一本気パスタ美味しいですねぇー」

 何も考えず、興味の赴くままに飲食を試みる愚者。

 十三番テーブルでは、阿鼻叫喚の餓鬼道の地獄絵図が展開されており、給仕のエリッサは怯んだが、意を決して親友に声を掛ける。

「ねえ、ヨシュア。新戦力のメイドってどっちなの? 片方は年齢的に少し、いや、かなりキツイと思うんだけどな」

「どちらも仕事の関係者でアルバイトとは無関係よ。あと、ワインのお代わりを持ってきてくれない?」

「駄目だよ。ヨシュアがお酒に強いのは知っているけど、時と場所を弁えてくれないと。 ところで願いがあるんだけど」

 やんわりと軽犯罪を押し止めると、馴染みの黒猫衣装のメイド服を翳してみせる。

「これは何かしら、エリッサ?」

「ヨシュアの現場復帰を待ち望んでいた、お客様方に頼まれちゃってさぁ。今日だけでいいから、助けると思って。お願い、ヨシュア」

 両手の掌を合わせて、拝み倒される。ヨシュアは、男女問わず打算的な相手との駆け引きに強い反面、エリッサやエステルのように裏表のない人間の真摯な頼みごとに弱かった。ましてや少女はヨシュアの替えの利かない親友であり、その願い事は断りづらい。

 さらにヒートアップを続ける十三番テーブルを振り返る。宴は狂乱の色をますます濃くし、当分終わりそうにない。

「これは長い夜になりそうね。安全の為に市長宅には明日届けるとしましょう」

 結晶を隠しポケットの奥底に仕舞い込む。メイド服に着替えるために、十三番テーブルの面々に背を向け、控室に消えていく。

 

        ◇        

 

 かくして、二つの冒険はつつがなく終了した。

 後日、リベール通信の文化欄に翡翠の塔の記事が、社会欄に期待の新人遊撃士姉弟のインタビューが、リゾート欄に黒猫メイドの写真が同時に掲載されることになる。

 


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