星の在り処   作:KEBIN

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ラッセル博士救出作戦(後編)

 レイストン要塞の地下独房には多くの重犯罪者が収容され、ボースで身代金目当てのハイジャック事件を引き起こした外国籍のカプア一家もその中に含まれる。自由を束縛する鉄格子を恨めしそうに眺めながら、ジョゼットは溜息を吐き出した。

「ねえ、キー姐。僕たちもう一生このままなのかな?」

 涙ぐんだ末っ子の鬱顔を目の当たりにしてキールは何とか慰めたかったが、同じ虜囚の身の上でまやかしの希望を与えることは叶わずに辛そうに俯くしかなかない。

「随分と苦労しているみたいね。そんなにここから出たいの?」

 そんな姉の代わりに、憐憫の言葉を掛けてくれる者がいた。何時の間にやら格子の内側に紛れ込んでいた黒髪の少女に、一家の面々は度肝を抜かれる。

「あなたは確か、準遊撃士の…………えっと……」

「ヨシュア?」

 戸惑う一堂を尻目に、ヨシュアはマイペースに大きく伸びをする。ジッゼットは「どうやってここに?」という質問を呑み込んで、恥ずかしそうに顔を背ける。

 一端の男児として、気になる女の子を前に咎人として無様な囚人姿を晒すのに抵抗を感じているようだ。

「尋ねたいことは山程あるけど、前に倣って要点だけを問うことにするわ。こんな所まで何をしに来たの?」

 男所帯の一家の中で最も豪胆な女丈夫が、煉獄の最下層に突如として降臨した天使の存在に困惑する亡者たちを窘めながら弟を庇うようにヨシュアの前に仁王立ちするが、「質問しているのはこちらよ?」と高飛車に鸚鵡返しされたので、彼我の立場差を弁えた彼女はご要望通りに本音を囁く。

「そりゃ逃げ出したいわよ。正確には帝国に送還されて、アルカトラス刑務所に入れられる前にね」

 自国民による海外でのハイジャック騒動は大陸中に知れ渡っている。エレボニア帝国としては下手人たるカプア一家に落とし前をつけないことには、周辺諸国に対する沽券に関わる。

 レイストン要塞以上に鉄壁を謳われるアルカトラス監獄は社会の屑が行き着く最期の墓場で、ひとたび収監され恩赦、脱獄を含めて生きて出所した者は皆無。国際信用力の強化を図る帝国政府の基本政略に基づき、越境犯罪者がどんな悲惨な末路を辿るかという見せしめの意味でも、ドルン達には最も重い無期刑が宣告されるのは間違いない。

「空賊稼業に手を染めたのは紛れもなく私たち自身の意志だし、犯した罪は何時か償わなくちゃいけないと思う。だけど」

 元々は長兄を欺いた詐欺師みたいな法で裁けぬ悪党共から汚れたミラを頂戴する鼠小僧のような義賊を目指していた筈なのに、頭領の鶴の一声によって何ら迷惑を受けた訳じゃない他国にまで流れてくる羽目となった。

 この時にはもうドルンは洗脳済み。計画の歯車の一部として、一家の指針は大きく歪められていた。

 未だに顔も名前も思い出せないが、唯一つ忘れようもないあの女の自らの手を汚すことなく他者の弱みにつけこむ蛇のような性質は何一つ変わっていない。

「その糞野郎にとってはもうあたし達は用済みで、後がどうなろうと知ったこっちゃないんだろうけど、そんな奴の都合でやらされたことにまで責任を取らされてたまるか!」

 キールは悔しそうに唇を嚙み、ジョゼット達はしんみりとした表情を見合わせる。

 彼らの普段の温さからして、主張した心意気に嘘はないだろう。蛇女に対する被害者としての同情もあったので、機会を与えることにした。

「もし、一つ私の頼みを聞いてくれるのなら、ここから抜け出すチャンスをあげましょうか?」

 そのヨシュアの大胆な提案に、一堂は騒めく。

 本来なら一笑に付す所だが、この牢内に入り込んだこと自体、何らかの脱出方法を裏付ける証明である。この得体の知れない琥珀色の瞳の少女の無謬性は嫌と言うほど思い知らされているので、真面目に耳を傾けることにする。

「別に大した条件じゃないわ。あと一時間程したら、この牢の鉄格子が全て開錠されるから、研究棟にいるエステル達にメッセージを伝えて欲しいのよ」

 自由の代償としてどんな無理難題も受け入れるつもりだったドルン達にとって、実に拍子抜けするぐらい簡単な要求。ついでのサービスとして、飛行艇のエンジンを起動させる導力キーまで手渡してくれた。

 警備飛行艇を奪って逃げるルートも検証してみたが、老体の博士を護衛しながら無事に辿り着ける確率は低かったので、こちらは気前良くキール達に提供して、自分らが本命の秘密の抜け道から脱出するまでの囮役を務めてもらうつもりだ。

「これがあれば、発着所に泊めてある飛行艇を動かせるようになるわ。飛行機の操縦はお手の物でしょ?」

 一見、至れり尽くせりのサポートを施す少女の営業スマイルを、キールは胡散臭そうに見下ろしたが、この場では無言を貫いた。

 どうやら、ジョゼットの恋敵もここにいるみたいだ。あの裏表のない真っ直ぐな坊やと異なり、計算高い少女の持ち掛けた話だから何か落とし穴があるのだろうが、他に選択の余地はない。また、ヨシュアも別段リスクを隠すつもりもない。

「予め断っておくけど、貴方達が飛行艇まで到着できる公算は限りなくゼロに近いわよ」

「上等よ。以前に主張したように、手札がブタだとしても降りられない時があるのよ。こちらのベットは既に底をついているし、相手の持ち札がブラフであるのを期待するだけよ」

「そう、なら幸運を祈るわね」

 最後にこの先に武器保管庫があるのでそこで押収された得物は補充できる旨を伝えると、ヨシュアは赤い小さな粒を不味そうに齧りながら出現した時と同様に忽然と姿を消して、ドルン達は眼を擦る。

 やはりというか牢内のどこにも抜け穴などない。儚く消え去った堕天使の少女が集団幻覚でないのはキールの手元に残された導力キーの重みが立証していたが、その彼女が何ともいえない表情をしている愛弟に忠告する。

「ねえ、ジョゼット。余計なお節介だろうけど、あの娘は止めておいた方が良いわよ。どう考えても、あんたに手に負えるような玉じゃないでしょ?」

「な、何を言っているんだよ、キー姐? 僕は別にヨシュアのことなんか……」

「そういうツンデレじみた態度は、男がしても可愛くないわよ。そもそも脳筋兄貴に較べてスタートラインからして不利なポジションにいるのに、自分の気持ちにすら正直になれないようじゃ勝負にもなりゃしないわよ」

 実姉のもっともな指摘にジョゼットは赤面し、周囲からドっと哄笑が沸き起こる。空賊砦でお縄になってから、一家の面々に笑顔が戻ったのは本当に久しぶりだ。

 

 それから、きっちり一時間後。

 中央制御室の担当の兵士がヨシュアの魔眼で操作され、地下牢の全てのロックが外されて、カプア一家はおろか他の受刑者まで開放される。

 要塞にいる膨大な兵士の数を考慮すれば、二十人弱のドルン達だけが蜂起しても瞬く間に鎮圧されてしまうので、百人を超す囚人全員の暴動が不可欠だったからだろうが、律儀にもヨシュアとの口約束を尊守したジョゼット達は態々研究棟に寄り道しエステルと再会して、今の時に至る。

 

        ◇        

 

「交換条件も済んだことだし、そろそろ出掛けるわよ」

 狭いプレハブ小屋に大人数で押し入ったカプア一家はヨシュアからの伝言をエステルに託すと、世間話する暇もなく全員が得物を装着して王国軍が待ち構える中庭に討って出る。

 シード少佐の極大魔法(グランストリーム)により大部分の囚人が無力化し、反乱の帰趨は定まったように思えるが、だからこそ、さっきまで死に物狂いだった兵士の空気が弛緩しており、キール達にもつけ入る隙があるそうだ。

「ドルン兄さん。導力砲の設定は非殺傷にしておくようにね」

「おうよ、これ以上罪を重ねるつもりはないからな。いくぞ、野郎ども!」

「「「「「「「がってんだぁー!」」」」」」」

 キールが複数の発煙筒を放り投げて視界が塞がった刹那、ドルンの大型導力砲が各所に炸裂。兵士たちは浮足立ち、その隙を逃がさずにカプア一家は一致団結し飛行船発着所を目指す。

 飛行船は導力キーがないと飛ばせない故、王国軍の守備意識は湖に直結する波止場方面に集中している。比較的警戒が手薄だった発着所へのルートが強行突破されるが、戦力比を鑑みるとジョゼット達の劣勢は免れない。

 彼らが再び自由を掴み取れるのかは、まさしく(エイドス)のみぞ知る所。

 

「さてと、それじゃ俺たちはヨシュアの言伝て通りに、要塞司令室を目指すとするか。博士、ティータ、打ち合わせ通りに頼むぜ」

「はいですよ。けど、悪逆非道のハイジャック犯と聞き及んでたですけど、ちゃんとヨシュアお姉ちゃんとの約束を守るあたり、意外と良い人達みたいですね」

 根は悪い奴らでないのは確かだが、遊撃士としての立場上、既決囚に肩入れする訳にもいかないのでエステルは黙秘する。

 ただ、終始無言で俯いていたジッゼットが妙に敵意全開でこちらを睨んでいた理由は、朴念仁のエステルにはさっぱり思い浮かばなかった。

 

        ◇        

 

「怪しい奴、止まれっ…………て、ラッセル博士?」

「ご無事でしたか?」

 要塞司令棟の中央入口を見張っていた守衛役は、脱走騒ぎのドサクサで迂闊にも失念していた老人の存在に驚きの声を上げる。

 二人の兵士に挟まれ、手錠を掛けられた博士の胸元には、赤い帽子を被った少年が涙目で取り縋っている。

「あ、あの、ラッセル博士、その子供は……」

「情報部の奴らが頑固なご老人に我が儘を言わせない為に浚ってきたお孫さんだとよ。とりあえず司令室まで連れて行けとの命令だ」

 リベール正規軍の紋章が入った軍帽を深めに冠った長身の兵士がそう明かすと、博士はクワッと眼を見開いて思いっきり罵倒する。

「ワシはおろかこんな年端もいかぬ孫まで拉致しおるとは、この人の皮を被った鬼どもめが! 市民を守る王国軍はそこまで腐り果てたのか?」

「ひっく……ひっく……、おじいちゃん、恐いよぉー。お家に帰りたいようー」

「大丈夫じゃ、ティータ。このワシの目が黒い内はお前に指一本触れさせはせんからな」

 激しく泣きじゃくる幼子を前にして、自分たちの行いに疚しさを感じていた兵士らは後ろめたそうにラッセル祖父孫から顔を背ける。

 結果、命令の内情も護送役の兵士の顔も検めないまま、司令棟内部へと素通りさせてしまう。

 

「上手くいったみたいだな」

 同じ手口で館内にいる兵士を煙に巻いた一行は、廊下の角を曲がり切ると博士とティータを戒めていた偽装を解く。ヨシュアに匹敵する嘘泣きスキルを所持するお子様は、「ドキドキしちゃいました」とカラッとした笑顔を覗かせる。

 守備隊長のシード少佐のようなお偉方のご尊顔ならともかく、数百人を数える駐屯兵がお互いの顔を全員分認識し合っている筈もないが、少し注意力を働かせれば未熟なエステルや女人のアガットの変装など楽に見破られただろうから、純朴な兵士達の良心を刺激する幼子は色んな意味で今回の攻略に欠かせないキーパーソンだったようだ。

「しかし、ヨシュアの奴、ジョゼット達に導力キーまでプレゼントして俺らを軍の中心部に招き寄せるとは、どういう脱出の算段を巡らせてやがるんだ?」

「ふんっ、あの小娘の考えることだから、そのあたりは万事抜かりはないだろう。どうせ、さっきの空賊たちは捨て駒として利用されたんだろうぜ」

 貶しているのか褒めているのやら判らない会話を交わしながら司令室の前まで来ると、不用心にも半分程開いた扉の隙間から切羽詰まった声が聞こえてきた。

「ふーう、随分と手間取らせてくれたが、もう後がないぞ、ヨシュア君?」

「お、お願いです、見逃してください、シード少佐」

「私の陣地をこれだけ好き放題荒らしておいて、そんな甘い命乞いの嘆願が通る筈はないだろう? これで終わりだ」

「いやぁー!」

「ヨシュア!?」

 シード少佐とのタイマンにヨシュアが破れたのだろうか?

 市長亭に次ぐ義妹の窮地じみた悲鳴にエステルはドアを蹴破って室内に乱入するが、目の前の光景に「ありっ?」と小首を傾げる。

 二人は指令机を挟んで軍人将棋で対戦中。たった今、総司令部がシード少佐の大将駒に占拠されて、ヨシュアはガックリと肩を落とした所だった。

「もう何なのよ、この運ゲーは? 初期配置の地点で九割方勝敗が決しているじゃないの!」

「ふふっ、敗者の泣き言は見苦しいぞ、ヨシュア君。迂闊に虎の子の大将を動かして、地雷を踏んでしまった君の失態だよ」

 「クソゲーよ、クソゲー!」と喚く少女を前にして、良い歳こいた大人が澄まし顔で勝ち誇る。

 本来、このボードゲームは駒の強弱を図る審判役の第三者が必要なのだが、導力仕掛けの特注将棋盤には全ての駒に導力チップが仕込まれていて、勝敗を自動判定する機能が備わっており二人だけで遊ぶことが可能。

 マイナー故に既に生産中止になったユリアやカノーネのようなマニア涎垂の世に百台と存在しない幻の骨董品(アンティーク)だそうで、王都のオークションで五万ミラも叩いて競り落とした。

「なあ、ヨシュア。お前ら、一体何をやっているんだ?」

 エステルでなくても反応に困っただろうが、ラッセル博士の処遇で少佐と折り合いがついたので、ティータ達がここに来るまでの暇潰しをしていたとヨシュアはあっけらかんとした態度で報告する。

強者(もののふ)同士が剣と剣で語らい、互いを認め合い、そして芽生える友情。そう、私たちは分かり合えたのよ」

 両手の掌を胸部に重ねてヨシュアはキラキラと瞳を輝かせるが、腹黒完璧超人の戯言を鵜呑みするようなお目出度い面子はこの中にはおらず。何よりもシード少佐の引き攣ったような笑みが、この場で繰り広げられたであろうエゲツない駆け引きの数々を克明に物語っていた。

 

        ◇        

 

「はああっ、たあっ!」

 長剣を振り回すシードを、ヨシュアはマインゴージュ宛らの双剣の捌きで受け流す。

 遮蔽物のない狭い室内でのバトルはあまり隠密者向きではない上に、このハンサム士官の腕前はタイマン特化型の剣狐に較べても、さほど遜色ない。

(マトモな条件で戦り合ったら、かなり分が悪かったでしょうね。けど)

 鋭い観察眼を備えるヨシュアであるが故に数合渡り合っただけで気づいてしまう。

 激しい剣撃を絶え凌ぎながら、両目を真っ赤に光らせて魔眼の能力でメディカルチェックすると、案の定、左肩のあたりに炎症を起こしている。

(あらあら、痛みを顔に出さないように痩せ我慢しているけど結構な重傷ね)

 得物を握る利き腕と逆側のダメージなので、そこまで大勢に影響はないように思われるが、ボディーバランスは戦闘では大事な要素。それはミクロン単位の振り子の比重が勝敗に即直結する達人同士であれば尚の事。

 これが熱血馬鹿のエステルならば、ハンディを抱えた相手を追い詰めるのを潔しとせずに日を改めるか。もしくは、自分にも似たような自傷を加えて、「これで互角の条件だ」とか馬鹿な真似……もとい騎士道精神に走ったりするのだが、漆黒の牙の場合。

(ラッキー、それじゃ遠慮なく、弱点を攻めさせてもらうわね)

 傷口に指先を突っ込んで更に深く抉るように、嬉々としてシード少佐の左肩のあたりを狙って攻撃を集中砲火する。

 何時どこで彼が負傷したかは知らないし、その経緯にも全く興味はないが、少しはこちらに有利なサプサイズもなくては不公平。せっかく得たアドバンテージを最大限つけ込ませてもらうとしよう。

「くっ!」

 好守が完全に逆転し、左肩を庇う度に激痛が走り脂汗が流れるが、それでもへこたれずに能面を維持しようとする。

(この娘、明らかに私の負傷箇所を把握している?)

 少女の意図を明確に悟り、心なしか興醒めする。

 勝利を至上とする職業軍人である以上、その行いを卑怯と罵るつもりはないが、この瞬間、闘いを通じて互いが分かち合う可能性が無へと消失した。

 

 状況はヨシュア優勢に傾いたが、この手の職務に忠実そうな衛士はあまり追い詰めると予想外の力を発揮したりするので厄介だ。

 昔から君子いわく「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」とあるので、無理に力で捻じ伏せるよりも、心を折る方向へとシフトする。一旦距離を稼いでインターバルタイムを設けると、お誂え向きに敵側から会話を試みてきた。

「その年齢での技量は正直驚嘆に値するが、自分が何をしでかしたか判っているのか? ここに捕らえられている君が開放した囚人たちは市民の安全を脅かす凶悪犯ばかりなのだぞ」

「あらっ、誘拐犯が犯罪者を管理するなんて、チャンチャラ可笑しいわね。ラッセル博士は一体どんな罪状で、この要塞に繋がれているのかしら?」

 素朴な問題提起をヨシュアはせせら笑う。痛い所を突かれたシードは痛痒によらず初めて表情を歪めるが、ここに忍び込んだ少女の真意は諒承した。

「そうか、君の目的は博士の救出か?」

 ヨシュアはその質問には答えずに、再度ラッセル博士を拘禁する法的根拠を問い掛ける。このような状況でも軍人としての責務が勝るのか、「軍事機密だ」の一点張りで守秘義務を行使したが、その模範回答によりヨシュアは最悪のカードを発動させる。

「そう、これはアリシア女王の意志なわけね?」

「なっ?」

「王国軍の指揮権は全て女王陛下に帰属する以上、他に考えようがないわ。かつての博士との専守防衛の誓いを反故にし、大量破壊兵器を造らせてエレボニアに復讐戦を企図する為に孫を人質にして無理やり従わせたと。名君として名を馳せ暴君に終わるのが世の君主の習わしとはいえ、あの聰明な陛下がここまで判断を鈍らせるとは老いによる衰えとは恐ろしいものね」

 国家侮辱罪に該当する超推理ではあるが、表面的な事象を見比べると一つ一つの論拠には微妙に筋が通っている。あまりに予想の斜め上すぎる切り返しに、シードは唖然とする。

「だとしたら、あなたのような下っ端と掛け合っても埒が明かないわね。陛下に直接お目通りして直談判しましょう」

 ヨシュアは双剣を太股のベルトに仕舞い込むと、クルリと背を向ける。

 完全に少女のペースに巻き込まれた少佐は一瞬茫然自失に陥るが、直ぐに我に返って剣の切っ先を無防備な細身の背中に突き付ける。

「待て、そもそも、ここから逃げられると思うのか?」

「逃げられるわよ。だって、私はこんなスキルを保持しているのだから」

 その言葉と同時に目の前から少女の姿が一瞬で消失する。次の刹那、真後ろにある剥き出しの隠し通路の奥からコツコツと階段を駆け上る音が聞こえ、シードは眼と耳を疑った。

「馬鹿な、有り得ん」

 薄暗いトンネルの奥からヨシュアが再出現したが、どれほどの超スピードで動いたとしても彼がその動きを見落とす筈は無く、瞬時に別の場所に転移したとしか思えない。

瞬間移動(テレポーテーション)か?」

「そうよ、今からグランセル城の女王宮まで跳んでアリシア女王に面談して、直ぐさまここに戻ってくるのも可能よ」

 余裕綽々な涼しい顔で、平気で嘘八百を並び立てながらシードをさらに追い詰める。

 既にCPを遣い果たしたヨシュアは、あの不味い果実のお世話にならない限り再テレポートは出来ないし、最大ワープ距離も微々たるもの。

 本来切れ者のシードは落ち着いて思考すれば、所々に綻びが見え隠れする少女の荒唐無稽なハッタリに気づいただろうが、その猶予を与えずに最後通告を突き付ける。

「そうだ、私はこれでもクローディアル殿下とは懇意にしているし、彼も錯乱した祖母の変化に心を痛めているだろうから、私が女王を暗殺し後継を彼に託せば陛下の名誉も守られ、リベールも新たな若き宗主の手に委ねられて全て丸く収まるじゃないの」

 ヨシュアはニコニコと微笑みながら、名案でも思いついたようにポンっと両手の掌を合わせて弑逆を示唆する。

「一分後には陛下の嗄れた生首を持参して、ここに戻ってくるから待っていてね。これであなた達も望まぬ任務に従事する必要もなく万々歳でしょ? それじゃ、ばいばー」

「待て、今回の博士の幽閉に陛下は何の関係もない。全てはリシャール大佐に率いられた単なる一機関の暴走だ!」

 シードは抗戦の意志無しを証明する為に剣を鞘に収めると、必死に呼び止める。

 これが己の身命への恫喝であれば決して屈することはなかったが、国主の身を盾にされては如何ともし難く。既に王国軍が情報部に牛耳られている現状を訴え、モルガン将軍の軟禁や軍高官の粛清などの内部情報を洗い浚い暴露する。

「なーんだ、ちゃんと話せば分かり合えるじゃないの、私達。もうしばらくしたら私の仲間が博士を連れてここに訪ねてくるけど、あの穴から抜け出るのを見逃してくれるわよね?」

 きちんと女王への暴言の数々を撤回し謝罪した後、少女は馴れ馴れしくシードの肩口に手を振れると、水の回復アーツを唱えて自ら悪化させた左肩の炎症をマッチポンプのように治癒しはじめる。

 「今のは対話でなく脅迫というのだ」とシードは内心で思ったが、その憤りの感情を押し殺して名を問うてみる。「ヨシュア・ブライト」との真名に軽く得心する。

「そうか、カシウス大佐の娘か。それなら常人離れした技能や交渉術にも納得だな」

「私は単なる養女ですけど、実子の義弟は私すら足元にも及ばない大人物ですよ」

 底意地の悪いヨシュアは、勝手にエステルのハードルを引き上げる。そんな凄腕の姉弟が要塞に潜入した地点で、この顛末は必然なのだと少佐は思い込んだが、こうまで一方的に弄ばれたままでは立つ瀬がない。何か一矢報いる手段はないかと周囲を見回すと、変事が起きるまでベルク副長とプレイしたままデスクの上に放置されている軍人将棋のセットが目に入った。

「ヨシュア君といったね? 不幸な行き違いで深まった溝を取り除き親睦を深める為に博士や君の義弟が来るまでの間、少し遊戯と洒落こまないか?」

 かくしてシード少佐は言葉巧みに素人を誘い込むのに成功。ルールを覚えたばかりのビギナーを士官学校の大会での優勝経験もある熟練者が手加減抜きで叩きのめす極めて大人気ない手段で溜飲を下げるのだった。

 

        ◇        

 

「何か義妹が色々と迷惑をかけたみたいで、申し訳ないです」

 エステルは左手でヨシュアの頭部を無理やり押し下げて、バツが悪そうに懺悔する。

 小悪魔的なたった一人の少女に要塞の秩序が目茶苦茶に蹂躙されたのは事実だが、彼にしてもリシャール大佐の専横を止められずに博士を見殺した。その天罰が下されたのだろうと難儀な性格の少佐はこの先に待ち構える苦難の数々を全て罪滅ぼしとして受け入れる覚悟。

「ふんっ、そういう事なら、今までの無礼な態度は水に流してやろう」

「恐縮です、ラッセル博士。穴は王国旗でも飾って誤魔化すので、直ぐさま脱出を……って失礼」

 博士への非礼を詫びると、少佐の腰にぶら下げたトランシーバーが振動する。現場にいる腹心のベルク副長からの緊急連絡である。

「私だ。何だって? カプア一家の頭目格の三人が飛行艇を奪っての逃走に成功しただと!?」

 更なる心労の加重を約束する部下からの報告にシード少佐は大声を張り上げて、「やるわね」とヨシュアはヒューっと口笛を吹く。

「おい、ヨシュア。これも全てお前の計算の内か?」

「まさか、ここに忍び入ってからの私の起算は狂いっぱなしだし、難攻不落のレイストン要塞の警備体制を甘くみないことね」

 基本的に囚人たちの脱獄成功率は0%だったので、ヨシュアは安心して解き放ったそうだが、ある条件化に置いてのみコンマ数パーセントの可能性が芽生える。

 それは一部の者が自らの脱出を諦めて、他者を逃がすための捨石となることだ。とかく軍事的な作戦は全員生存を目指すと極端に難易度が跳ね上がるが、予め切り捨てるべき死兵を設けておくと驚くほど達成率が上昇する。

「とはいえ、人はそうそう赤の他人の為に捨て身になんかなれないわ。ましてや、ならず者達に自己犠牲を求めるのは無理でしょうし、正直ジョゼット達が脱出できるとは思わなかった」

 カプア一家の団結力の高さは重々承知しているが、人間同士の信頼関係は土壇場の修羅場でこそ真価を問われるものである。終身刑がチラつく中で本当に我が身を生贄にできるとは、その忠義心には素直に感服するしかない。

「シード少佐には悪いけど、ここは潔く健闘を称えてあげましょう」

 その守備隊長殿は何か言いたそうな眼でヨシュアを睨んだが、この場では何とか堪える。要塞に駐屯する警備飛行艇を全機投入して、キール達を追いかけるように命令する。

「なら、俺達もそろそろ行くとするか」

 捜索の人手が空の上に集まれば、地上に潜伏するエステル達の逃走は更に容易になる。この場に長居するほど少佐のヨシュアへの心証が悪化する一方なので、彼の堪忍袋の緒が切れない内に別れの挨拶を交わすと、次々に秘密の抜け穴へと飛び込んで行った。

 

 かくして飛ぶ鳥大いに後を濁して、レイストン要塞を脱出した一行は無事にラッセル博士の救出作戦を成功させた。

 ただし、これは終わりでなく、王都を舞台にした未曽有の大攪乱の始まりの狼煙に過ぎないことを二人は博士の口から告げられることになった。

 


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