星の在り処   作:KEBIN

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漆黒の福音(ⅩⅣ)

「大変だよ、ティータ。今、ギルドのツァイス支部から連絡があってさ」

 四人の裸族が寛いでいる憩いの場に、突然、女将のマオ婆さんが凶報を携えて乗り込んできた。

 何でも中央工房で小火騒ぎが発生。職員を全員建物の外に避難させたが、ラッセル博士の存在だけが確認されておらず、中に取り残されたというか研究熱に火がついて退去放送を聞き逃したらしい。

 そんな折、その場に居合わせた王室親衛隊の面々が救助活動を買って出る。人々の賞賛をバックに中央工房に突入して数十分後、博士は毛布に包まれて無事に助け出されたが極度のショック状態で緊急搬送が必要とのことで、そのまま市街へと運び出された。

 その後、続報がないのを不審に思ったマードック工房長がレイストン要塞に問い合わせてみたが、親衛隊がツァイス市を訪れるスケジュールも博士の救難報告も聞いていないという青天の霹靂の返答が齎される。

 煙が収まった工房内部を調査すると、硝煙の発生源と思わしき妙な発煙筒が彼方此方にばら蒔かれていた上にカペルと例の黒の動力器まで消失している。この時にはじめて、博士の御身と最新鋭の演算オーブメントを目的としたテロ行為であるのに気づかされるも完全に後の祭り。

「そんな、おじいちゃんが……」

「王室親衛隊って、女王陛下を守護する王国軍のエリート部隊だよな? そんな連中がどうして博士を誘拐するんだ?」

「又聞きしただけじゃ事件の全貌は掴めないけど、襲撃犯の正体が親衛隊でないことだけは確かよ」

 ヨシュアはドライヤーでティータの髪を乾かすのと並行し、持論を展開する。

 自分たちの悪事を喧伝したい特別な理由があるのならともかく、そうでないのなら変装もせずに態々子供でも知っている有名な蒼と白の軍服を纏って犯行に及ぶ馬鹿はいない。

「単に隠れ蓑として利用しただけか、もしくは親衛隊に濡れ衣を着せる陰謀なのかは、現地点では判別つかないけどね」

 理に適った考察であるが、少女の千里眼を以ってしても、その親衛隊トップの中隊長が私怨から自身の生命をつけ狙っているとは想像だにしなかった。

 バスタオルで身体を拭き慌てて私服を着込んで身支度を整えた一行は、当然、博士の救出活動に乗り出そうとするが、情報が不足し過ぎていてこの場で指針を定めようもない。

 手掛かりを掴む為にも、一端中央工房に戻り現場検証を済ませてから受付のキリカに相談しようとエステルは意見を具申したが、八卦服を着終えたヨシュアは首を横に振る。

「それでは間に合わない。王国軍によって今頃は市内各所に検問が引かれただろうけど、ロレントのケースのように賊がアシを持っていたら意味はない」

 ツァイス市に立ち寄らずに直接犯人を捕らえに行くとヨシュアから大胆な案が提出されたが、既に姿を晦ました敵の足取りをこんな僻地から追えるものなら苦労はない。

 臨時司書の残業シリーズで限界が露見したように、一見サトリじみた予知能力を持つ名探偵もあくまで真っ当な解析作業に基づき解答を導き出しており、決して万能の魔術や遠視系の超能力を持ち合わせている訳ではない。

「エステルの指摘通り、私の合理的な思考フレームでもデータ不足で犯人の逃走ルートの特定は不可能だけど、今回はちょっとした裏技で追跡可能よ」

「今日の事態を予測していたわけじゃなく単なる悪戯心による偶然の産物だから、本当に怪我の功名としか言いようがないけどね」

 そう前置きすると、時間を確認したのか長々と腕時計を覗き込んだ後、博士の行き先を明言する。

「…………この方角だと紅蓮の塔ね」

「判った、ヨシュア。ラッセル博士は紅蓮の塔に運び込まれているわけだな?」

 能動的に動いている犯人でなく、恐らくは意識不明の気絶状態の人質の位置の方を断定したのが少し引っ掛かったが、自分などと異なりこの油断ならぬ義妹が根拠のない強がりを言う筈もない。

 風水占いじみた人探し法のカラクリが気になるが、今は一分一秒でも時間が惜しい。ヨシュアの秘密主義を論じるのはまた次の機会に譲るとして、急いで即行の旅支度を始めた一行に声を掛けてきた人物がいた。

「ふんっ、またぞろ面倒な事態になっているみたいだな」

「アガット?」

 廊下の奥から目立った大剣を背中に背負った赤毛の女戦士が姿を現す。バレンヌ灯台で別れて以後、凡そ一月振りの先輩遊撃士との予期せぬ邂逅にエステルは驚きの声をあげる。

「何でここに…………って仄かにシャンプーの香りもするし、温泉宿を尋ねる理由は一つしかないか。けど、ポンプが直ったのはついさっきだし、何時の間に風呂に浸かったんだよ?」

「うるさい。ここにはCPの補充にたまたま立ち寄っただけだ。それより、小娘。また俺の追っているヤマと重なりそうな気配だが、ラッセル博士の居所については間違いねえんだろうな?」

 クンクンと犬のように鼻を近づけて臭いを嗅ぐエステルを、アガットは煙たそうに追い払いながら誤魔化すようにそう問い詰めて、ヨシュアは無言のまま首を縦に振る。

 人間性の好悪の念はともかく、少女の神算能力を高く評価するアガットは論拠を尋ねることなく進言を鵜呑みにする。正遊撃士権限で勝手に場を仕切ってブレイサーズによる救出チームを編成すると、この場にいた民間人が参加を要望してきた。

「あ、あの、お願い。僕も一緒に連れていって」

 敬愛する祖父の危機にいても立ってもいられない心境からティータが哀願する。はじめて少年の存在に気づいたアガットはギョロリとガンづけし、年上女性からの非好意的な態度に馴れていない甘えん坊は身を竦める。

「おい、チビスケ。犯人は十中八九、俺が遣り合ってきた黒装束の連中で奴らは女子供でも容赦しない冷徹な闇社会のプロだ。そんな戦場にテメエみたいなガキを連れて行けるか、常識で考えろや」

「けど、僕どうしても、おじいちゃんを助けたくて…………」

「あっ、アガット。こいつはティータといってラッセル博士のお孫さんで、こう見えても信じられない馬鹿火力の持ち主で足手纒いになるような玉じゃ……」

「エステル、テメエもブレイサーの端くれなら、ちっとは職業意識も持ちやがれ。この小娘みたいに素人を力の有無で図って平気な顔して修羅場に巻き込んでいるんじゃねえ!」

 エステルがこのお子様の戦闘力に太鼓判を押そうとしたが、アガットに一喝され押し黙る。確かに実戦力になるかはともかく、ティータの年齢を考慮すれば彼女の忠言はこれ以上なく正論。ヨシュアに感化されファジーに流された趣がある倫理観の欠如を潔く反省する。

「あのー、誘惑山菜鍋食べ放題の件はどうなるのかなー?」

 ハラハラと狼狽するティータを中心に場の雰囲気が険悪になる中、相変わらずゴーイングマイウェイなトンチキ娘がぐーっとお腹を鳴らしながら場違いなボケをかまして一堂を困惑させる。

 ヨシュアは軽く嘆息した後、懐から二千ミラの紙幣を取り出して、マオ婆さんに手渡すと軽くウインクする。

「すいません、ドロシーさんと約束したので、注文通りの料理を拵えてもらえますか?」

「あいよ、この子の知り合いだし、ミラが足りなくなったとしてもオマケしておくよ。ほら、お客さん。誘惑山菜鍋に限らず好きなものを鱈腹飲み食いさせてあげるから、ティータと一緒にお座敷に行っておいで」

「わーい、本当にぃー? それじゃあ、ティータ君。お姉さんと一緒に酒池肉林を愉しもうねー」

「は、離して下さい、ドロシーお姉さん。僕はヨシュアお姉ちゃん達と一緒におじいちゃんを助け……」

 ティータはジタバタ暴れるが、飲み食い自由の魅惑のフレーズにアドレナリン全開のドロシーは細腕からは信じられない膂力でティータを引きずったまま、廊下の奥へと消えていく。

 ヨシュアはチラリとアガットの方向を振り向いて、「これで、宜しいかしら?」と皮肉っぽく囁いた後、上手く空気を読んでくれた女将に礼を述べる。

「気にしないでいいよ、あたしもティータが荒事に関わるのは反対だからね。リベールの頭脳だか何だか知らないけど、あんな老い先短いおいぼれの為に未来ある幼子が身体を張るなんて、社会の優先順位として間違っているだろ?」

 老婆は幼馴染みの偏屈爺にそう憎まれ口を叩いた後、「けど、ティータが悲しむから、なるだけ無傷で助けておくれよ」との年齢ギャップのあるツンデレ発言で周囲を苦笑させる。

「悪いな、ティータ。必ずラッセル博士を取り返して戻ってくるから、ここで大人しく待っていろよ」

「ふんっ、今更お前らを留意されるつもりはないが、危険は覚悟しておけよ」

「エステルが固定イベントを済ましてくれたから、塔で『アレ』と遭遇することはない。そう、何の問題もない……」

 三者は各々の決意を言葉に秘めると、「面倒事が片づいたら、今度はゆっくりと泊まりに来ておくれよ」と玄関口で手を振るマオ婆さんに挨拶し紅葉亭を飛び出した。

 

        ◇        

 

 紅蓮の塔の前に辿り着いた遊撃士チームは、入り口手前に複数の足跡が入り乱れているのを発見する。

 例のスニーカー履き潰しマラソンで塔を登った時は、このような痕跡は存在せず。お宝の枯渇した遺跡を訪れる物好きはアルバ教授のような考古学者以外そうそういない筈。

「ふん、本当は半信半疑だったが、どうやら正解みたいだな」

「ヨシュアの危惧した通りに連中が飛行船を保持しているのなら時間がない。タイムロスを防げるようになるだけ魔獣との戦闘を避けていくから俺から離れるなよ」

 減らず口を叩くアガットと澄まし顔の義妹との両者にそう宣告すると、戦術オーブメントにセットされた陽炎クオーツを誇示する。

 以前、ヨシュアが前借りした隠密効果を持つ幻属性クオーツ。ツァイスでの地道な働きで目出たく準遊撃士ランク五級に昇格し正式に授与された。パーティーは密集隊形を維持すると内部をうろつく魔獣を無視して登頂を始めた。

 

        ◇        

 

「予め現場を検分した件といい、随分と頼もしくなってきたわね」

 徹底的に魔獣との交戦を回避し続けた結果、瞬く間に五階に到着に頂上出入り口はもう目の前。

 塔内は意外と入り組んだ構造をしていたが、探索歴のあるエステルは迷うことなく二人を屋上への最短ルートに誘導。冒険開始当初の早熟期に較べて、きちんと目的意識を以って問題に対処するエステルの成長ぶりにヨシュアは目を見張る。

「ところで、ヨシュア? 何か下から妙な音が聞こえてこないか?」

 珍しいヨシュアの褒め台詞に浮かれることなく、エステルは自分が感じた違和感を伝達し二人は耳を傾ける。確かに階下からズシーン、ズシーンと重音が響いており、心なしか塔全体が振動しているようにも感じる。

「もしかして、下の階で戦闘が行われているとか?」

「はっ、まさか。縄張り争いか何かで魔獣同士が諍いを起こしているんだろ。それより、さっさと突っ込むぞ」

 元より人の出入りが頻繁でない寂れた場所なので、エステルの疑惑を一蹴したアガットは血気早くオーガバスターを背中から引き抜くが、ヨシュアは軽く首を横に振る。

「階段の上から殺気を感じるので強行突破は危険」

 そう警告した後、懐から風船のようなものを取り出しプーッと息を吹き込んで膨らませる。

 エステルの頭ぐらいの大きさでサイズを固定し、階段の方角へフラフラと飛ばす。出入り口を横切るや否や屋上から銃弾のシャワーが降り注ぎ、ゴム風船は内部の空気を撒き散らしながら粉々に破裂した。

「今よ!」

 銃撃の雨が鳴り止んだ一瞬のタイムラグをついて、ヨシュアの合図で一気に屋上へと飛び出す。

「ふんっ、ビンゴだな」

 この場には三人の黒装束が控えている。一人は気絶したラッセル博士を拘束し、別の者はトランシーバーでどこかと連絡を取り合っていて、最後の男は黒光りする銃器のカートリッジらしきものを慌てて換装している。

「さっきの迎撃はあいつの仕業か? 敵にもティータみたいな機関砲(ガトリングガン)の遣い手がいるのかよ?」

「いいえ、エステル。アレは機関銃(マシンガン)よ」

 ガトリングガンよりも威力と残弾数を抑えることで携帯性能を向上させているが、どちらも生身の人間を一瞬で挽肉(ミンチ)にする破壊力を秘めているのに相違ない。

 武器マニアの少女が銃器のレクチャーをし一撃必殺のマシンガンに警戒を促しながらも、本人は両手にアヴェンジャーを展開すると実に無防備に機関銃を構える黒装束の方向に歩を進める。

「血迷ったか? なら、そのまま死ね!」

 血も涙もない黒社会の住人らしく、男は何の躊躇いもなく華奢な少女に向かって銃を乱射する。

 ドガガガガと激しい銃音と共に物凄い勢いで薬莢が吐き出される。成す術もなく蜂の巣にされたと思ったのも束の間、それは漆黒の牙の十八番の残像。得意の高速機動力で自在に左右に動き続けて、銃弾の雨あられを交わすと瞬く間に懐に切り込んだ。

「マトモに喰らったら即死。けど、当たらなければどうということはない」

 アヴェンジャーをクロスに振り抜くと、男の手にある機関銃は真っ二つに切り落とされる。

「馬鹿な!?」

 硬質の銃器が豆腐のように容易く両断され度肝を抜かれるが、当のヨシュア自身は不満顔でブツブツと何か呟いている。

「今のも武具の性能で力任せに引き裂いたに過ぎない。全ての物理的な抵抗力を無効化する私が目指す(ことわり)にはまだ程遠い」

 何らかのクラフトの実験を試みていたようだ。この銃弾飛び交う戦場でまだ余裕があり、黒装束との力量差は顕著。

「動くな、小娘。それ以上一歩でも俺達に近づけば、ラッセル博士の命はないぞ」

 『双剣を扱う黒髪の少女はロランス隊長に匹敵する腕前の要危険人物』との報告を直接刃を交えて惨敗した仲間から受け取っていたのを思い出した黒装束の一人が、博士のこめかみに小銃の銃口を押し付けた。

「けっ、また人質とか芸のない奴らだな。だが、ルーアン秘書の時と違って、てめえらはこの爺さんに危害を加えることは出来ない筈だぜ?」

 王国一の頭脳を目的とした誘拐行為なら確かに道理。アガットは無造作に前に踏み出そうとするが男は威嚇するように撃鉄を起こす。

「生憎と福音(ゴスペル)を奪還した今、博士の身命は最優先事項には属さない。本当に傷つけられないか試してみるか?」

「ゴスペル?」

「多分、導力停止現象を引き起こした例の『黒の動力器』のことでしょう」

 訝しむエステルにヨシュアが補説する。うっかり機密事項を漏洩し黒装束はうろたえるが、逆に言えば博士の身の安全が二の次という彼らの恫喝に嘘はないという裏付けにも繋がり、不用意に動けなくなる。

「どうやら、形勢逆転だな。お待ちかねの救援も来たようだ」

 そうこう膠着状態を維持している間に強風と共に赤いカラーの飛行艇が出現。後部ハッチを開くと塔の外周に乗り付ける。

「そうだ、そのまま大人しくしているがいい」

 黒装束は順番に飛行艇の内部に乗り込んで行き、エステルとアガットは無言でアイコンタクトを交わす。

 身軽な二人はともかく、三人目が空中静止する不安定な飛行艇に博士を運び込むには、どうしたって隙ができる。目敏いヨシュアがそのチャンスを見逃す筈はない。

 最速の漆黒の牙が飛び込むタイミングを見計らって自分たちは援護に回ると自ずと役割分担を定めた三者は絶妙な連携で突入作戦を開始しようとしたが、ヨシュアでさえも予測しなかった闖入者がその計画を御破算にしてしまう。

「だ、だめえー!」

 屋上出入り口から血走った表情で小型導力砲(P-03)を構えた子供が出現する。

 少年の赤い作業着は魔獣の返り血で薄汚れおり、魔獣犇く危険な塔の内部を単身力ずくで血路を切り開いて、ここまで辿り着いたみたいだ。

「なっ? ティータ?」

「あのチビジャリ、どうやって、こんな所まで?」

「迂闊ね。さっきの戦闘音はティータが階下で暴れていたわけね」

 驚愕する三者に頓着せずに、ちっちゃな破壊神はP-03を放り捨てると虎の子のガトリングガンを装備し、Sクラフト『カノンインパルス』を発動させる。

 マシンガンとは比べ物にならない超高火力の絨毯爆撃が、飛行艇のエンジン部分を狙って集中砲火。艇が大きくぐらついた。

「なっ? このガキ、導力部の弱点を狙って」

「わああああ! 飛行艇を落としてしまえば、おじいゃんはどこにも連れていけないですぅー!」

 柔和な見掛けによらず過激思想のティータは敵の輸送手段を絶つ強行策を敢行し、その選択自体に誤りはない。

 ただし、敵にも武器と反撃手段があり、何よりも圧倒的な攻撃力に反して防御性能が心もとないとのヨシュアの指摘が正鵠だったのを実戦の場で思い知らされる。

「クソガキが、調子に乗るんじゃねえ!」

 ラッセル博士に突き付けていた銃の照準がティータに向けられ、迷うことなく引き金が引かれる。

 高火力兵器を保持するだけで、戦場全体の空気の流れを読めない戦闘素人に回避する術はない。銃弾がティータを貫こうとしたが、殺気に反応したアガットが反射的にティータを突き飛ばす。

「くっ……!」

 実弾がティータを庇ったアガットの脇腹を貫通。膝をついて崩れ落ちる。

「おい、アガット!」

 エステルがアガットに駆け寄る。追い打ちのように彼らの目の前に手榴弾が投げ込まれる。

 ヨシュアは一瞬迷った後、これ以上被害を拡大させない為、一時的に博士の身柄を奴らに預けることにし、エステル達の側に反転すると手榴弾を塔外に蹴飛ばした。

 空中で小規模の爆発が起こるのと隊列が混乱した間隙を逃さずに博士を収容した飛行艇が飛び立つのは、ほぼ同時。

 ヨシュアは無表情でエステルは歯噛みしながら遠く離れて小さくなる飛行艇の影を見つめ、「おじいちゃあああん!」と絶叫するティータの悲痛な慟哭が宙空に木霊した。

 

        ◇        

 

「ひっく、ひっく、どうして、おじいちゃんが。ひどい……ひどいよぉ」

 土壇場の乱入で作戦を台無しにしてくれたティータには苦情が山程あるが、祖父を失い泣き崩れる傷心の幼子をこの場で叱りつけるべきか兄妹は悩んだが、そんなジュリコの壁を突き破って手負いのアガットがティータの襟首を掴むと手加減抜きで顔面を殴打。

「なっ? ティータのプニプニほっぺたに傷が」

「おい、アガット。気持ちは判るけど、相手は子供だしちっとは加減を……」

 周囲の批難の声を無視し、アガットはズカズカとティータの面前に仁王立ちする。少年は頬を抑えたまま、信じられないものでも見るように瞳に涙を溜め込む。

「な、殴った? おじいちゃんにもママにも叩かれたことがないのに………………ひっ!?」

 再びアガットの手が振り上げられる。ティータは反射的に縮こまるが、次の衝撃は頬に加えられることなく、そのまま股座に手を伸ばすとティータの股間を掴んだ。

「は…………はうぅををぁぁぁぁ!?」

 手心なく性器を絞られたティータは顔全体を真っ赤にして嬌声をあげる。あまりに予測不能な事態の連続に兄妹は無力な観衆化して状況を傍観する。

「はうっ……、はう……、はううぅぇぅ………………」

 ティータが首を左右に振りながら、盛りのついた雄猫のようなよがり声を洩らす。

 顔色一つ変えずに中年男の金玉を蹴り上げたり、オールヌードまで披露した羞恥感覚に乏しいヨシュアが頬を真っ赤に染めたまま見惚れている。ショタっ子の艶やかな狂態振りは相当にこの腹黒少女の性的な壷に嵌まったようだ。

「ふん、女みたいな軟弱な面して、ついているモノはきちんとついているじゃねえか。おい、チビガキ。テメエも一端の男児なら女子みたいに何時までもピーピー泣いているんじゃねえ」

「お、お姉さん…………、痛い…………離し………………はうぅっ!」

「いいから、そのまま黙って聞いてろ。お前、このままでいいのかよ? 爺さんのことを助けられないまま、このまま諦めちまうつもりか?」

「うっ、うううっ…………」

 涙目のティータはブンブンと首を横に振る。ようやくアガットはティータの急所から手を離した。

「なら、やることは一つだ。お前には人にはない力があるのだから、勇気の遣い所を間違えるんじゃねえ。でなきゃ、あの泣き虫みたいに本当に大切な者は何一つ守れやしねえ。判ったか、チビガキ………………いや、ティータだったっけか?」

 それだけを告げると、アガットはぶっきらぼうにティータに背を向ける。その時のアガットの瞳はいつぞやのクラムの時と同様に優しげだ。

「ふーん、結構良い所あるじゃないか。ああいうのを今流行りのツンデレって言うんだっけか?」

「ちょっと、ちょっと、もう終わりなの? ちっ」

 好き勝手な感想を述べるブライト兄妹の姿を尻目にティータは熱っぽい上の空の表情。先程アガットが触れた場所の温もりを感じ取りながら、女性体とは思えぬ彼女の逞しい背中をポーっと見つめている。既に股下の痛みは引いたが、先程から心臓がドキドキして一向に止まらない。

「はうっー、僕もうお婿さんにいけなくなっちゃったですぅー。アガットさん、責任取ってくれますですか?」

 これが十二年間生きてきて初めて知る恋のトキメキであるのに、温室で過保護に育てられたお子様が知る由も無かった。

 


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