星の在り処   作:KEBIN

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漆黒の福音(ⅩⅡ)

「わあ、ヨシュアちゃんとエステル君だ。久しぶりだね」

 紅色の髪を黄色いリボンで束ねて、視力補助の役割を果さないズレ眼鏡をしたリベール通信社の新人カメラマンは、ホンワカした態度で挨拶代わりにシャッターを切る。

「おおっ、そっちの可愛い坊やも良い顔してますね。とってもキュートですがもう少し笑ってくれると更にベリーキュートです」

「はうっー、こうですか?」

「相変わらずですね、ドロシーさんも……ってティータも釣られてポーズを取らなくて良いの」

 パシャパシャとストロボを焚くドロシーと両手人指し指を左右の頬に突き刺しにぱーっと微笑むティータを当分に見渡しながら、ヨシュアは両肩を竦める。

 美容と健康に優れると評判の天然温泉目当てに態々王都から訪ねてきたそうだが、舗装された歩道を歩く分には街道灯の効果で魔獣の襲撃を避けられたのに、良好な景色を求め夢遊病患者のように脇道に逸れはじめて先の窮地に陥った。

 エルモ村までほんの直ぐの距離だが、ティータと異なり真に護衛が必要な要監護対象と遭遇してしまい、目的地も一緒なので仕方なくただ働きでガードすることにした。

「それで、ドロシーさん。ナイアルさんから何か秘事を託されていないですか?」

「はい。「さり気なく例の遊撃士姉弟に合流して、スクープになりそうなネタを掻き集めてこい」と先輩から命令されました」

 ドロシーの習性を熟知するヨシュアは単刀直入に質問し、エステルさえも呆れる程に馬鹿正直な返答が齎される。メイベル市長をカンカンに怒らせた件といい、つくつぐ極秘任務に向かない人材だ。

「「おまえが自然に振舞えば、必ず腹黒姉と脳筋弟が参上する」と先輩は明言され、その通りにわたし達は運命の再会を果しました」

 「ナイアル先輩は予知能力者なのですかね?」とドロシーは慄く。ようするに、この天然娘を従来の生態に基づいてうろつかせれば自ずと珍動を引き起こし、誘蛾灯のように兄妹を招き寄せると見透かしての発言だ。

 ナイアルの思惑通りにことが運ぶのはちと癪であるが、スパイとしては最も適正に欠ける刺客が送り込まれてきたので自分らが隙を見せなければ大丈夫だろうとヨシュアは警戒心を解いたが、ドロシー相手にその目算が甘かったのを後々思い知らされる羽目になる。

 

        ◇        

 

 紅葉亭に辿り着いた一行は、マオ婆さんという肝っ玉女将から手厚い歓迎を受ける。実孫のように溺愛されているティータなどは胸の谷間に埋められあやうく窒息死しそうになる。

 ヨシュアの柔らかなおっぱいの裡で息絶えたなら昇天しただろうが、ラッセル博士と同年代の老婆では成仏できないのは必定。地縛霊と化す寸前に脱出したティータは、「早速、修理をしてくるでーす」と逃げるようにポンプ小屋に駆け込んだ。

 ティータのお仕事が終わるまでの間、暇を持て余したエステル達は荷物を二階の『袖小の間』に置くと村を散策する。

 土産物屋『葉月』を冷かし、中庭の池堀に置かれた石灯籠の隙間に隠された本をヨシュアが目敏く発見したり(※これでツァイス初期にエステルが請け負った依頼は全てコンプリート)しながら、三者は露天風呂の前のリラクゼーションスペースでとあるブツを目にした。

 上面の長さ2.74アージュ、幅1.525アージュ、高さ0.76アージュの長方形の折畳みテーブル。長辺に垂直に張られたネットによって台が二つに仕切られている。

「これって卓球台だよな?」

「わあ、面白そうだねえ。こっちの棚にはラケット数枚と新品のボールが(1ダース)で置いてあるよー」

「温泉といえば確かね定番ね。湯船に浸かる前に一汗掻くにはちょうど良いし、久しぶりに対戦してみる?」

 面倒臭がり屋のヨシュアとは思えぬ積極的な態度で、エステルの眼前にラケットが差し出される。

 尖った性能の華奢な義妹と異なり、体力自慢で運動センス抜群のエステルはほとんどの球技を万能にこなせるが、とある事情から卓球だけは勝てた試しがない。

「いいぜ、コテンパンの返り討ちにしてやるぜ」

 しかし、彼の性分として勝負を挑まれた以上は逃げることは叶わない。かくして遊撃士兄弟による異色の卓球対決が始まった。

 

        ◇        

 

「はいっ」

「くっ!」

 ヨシュアのスマッシュがコートの左隅ギリギリに突き刺さり、エステルのラケットの脇を擦り抜けてポイントになる。

「11-0でヨシュアちゃん、ウィーン。これで二ゲーム先取だね」

 審判役を務めたドロシーが高らかにヨシュアの勝利を宣言し、これまた温泉卓球定番ユニフォームの浴衣に着替えたヨシュアの手が翳される。

 ちなみに二人の対戦前にドロシーも挑戦してみたが、空振りばかりでラケットにボールが掠りすらしないので、拗ねてジャッジ役に専念することにした。

「なあ、ヨシュア。前々から思っていたが、それは卑怯じゃないか?」

 歯ぎしりを堪えながら義妹の不正を指摘する。ヨシュアの利き手には右手用ラケット、逆手には左手用ラケットが握られている。得物の双剣さながらの二刀流を維持しているが当然ルール違反。

 武術の稽古でヨシュアに負け続けるのは恒例行事だが、神聖なスポーツの舞台でこのようなインチキが罷り通っても良いものか?

「別に公式試合じゃあるまいし、お遊びなのだから愉しんでやればいいだけでしょう? 勝負の最中に泣き入れるなんて男らしくないわね、だっさぁー」

「わあっーたよ。その反則行為ごと粉砕しているから、今に見ているよ!」

 クスクスと嘲笑うヨシュアの態度に頭に血が上ったエステルは、またぞろ腹黒義妹の口車に踊らされているのを承知しながら、敢えて安っぽい挑発に乗っかる。

 ド汚い手を使う卑劣漢の奸計を小細工抜きで正々堂々叩き潰すのが主人公たる者の使命なので、精々己が卑小さを後悔させてやることにしよう。

 

 そんなエステルの意気込みとは裏腹に、それからもワンサイドゲームが続く。

 本来なら細腕のヨシュアは球技全般を苦手とするが、この卓球だけは全くの別物。

 羽のように軽いセルロイド製ボールを至近距離から打ち合う特性上、膂力にさほど意味はない。動体視力と反射神経に、何よりも小手先の技量が物を云うまさしくヨシュアの為に誂えたような遊戯。

 ましてや少女の手首の器用さは天下一品。その上でラケットを左右同時に展開しているので、彼女にバックハンドの概念はなく。全て強打可能なフォア側でコートのどこに打ちこんでも死角無しで的確に弾き返してくる。

「二人とも早すぎだよ。目が全然、追いつかないよー」

 エステルのサーブから始まり、カン、カン、カン、カンと音を立てピンポン玉が凄い勢いでネット上を何十回も行き来し、ドロシーは忙しく首を左右に振る。

 素人目の彼女からは一見互角の打ち合いに映るだろうが、これも全てヨシュアの掌の中。

 柔らかなタッチで必ずボールに妙な回転をかけてくるものだから、ラリーが長引く程に少しずつエステルの狙い所にズレが生じる。いずれヨシュアが滅多打ちしエステルがひたすら拾い続けるサンドバックのような一方的な展開になり、やがて根負けしたエステルがボールをネットに引っ掛けてポイントを落とすの繰り返し。

 エステルも人並み外れた持久力に球技のセンスにも恵まれているので瞬殺されることは稀だが、相手は精密機械のようなショットの正確さとメンタルで全くミスを犯さないのでゲームはおろかポイント一つ奪えない。

 お義兄様が手抜き接待を喜ばない性格なのは今更なので、ヨシュアは一切手心を加えずに思う存分蹂躙。第三ゲームもラブゲームで決着する。

「四セット先取だから次で終わりかしらね。程よく疲れてきたし気持ちよく温泉に浸かれそうね」

 激しい動きの連続で浴衣を着崩れさせたヨシュアが軽く額の汗を拭いながら爽やかにはにかむが、逆にエステルのイライラは最高潮に達する。

 そりゃルール無用で好き放題しているヨシュアは楽しかろうが、一ポイントも取れずに遊ばれて遺恨無し(ノーサイド)を受け入れられる程にエステルは人間が出来ておらず、ストレスは溜まる一方。

 何としてもヨシュアを出し抜いて必ずやラブゲームを阻止してみせると、えらく志の低い目標に下方修正したエステルはラストマッチに挑む。

 

 このままガムシャラに戦っても今までの二の舞になるのを悟ったエステルは、ラリーを継続しながらヨシュアの動きを観察して相手の弱点を探る。

 すると真っ先に浴衣姿のヨシュアが結構艶かしいのに気がつく。思わず見取れてしまったエステルの額にピンボンスマッシュが炸裂する。

「どうしたの? 試合中に集中力を乱すなんてエステルらしくないわよ」

「い、いや、何でもない。続けるぞ」

 以前もこんな遣り取りがあったような気もしたが、ヨシュアは深く気にせずサーブの態勢に入る。

(まいったな、ヨシュアの奴、気がついていないのかよ)

 一心にゲームにのめり込んでいた時はまるで目に止まらなかったが、試合後、直ぐに湯船に飛び込む予定のヨシュアはノーブラ。浴衣の下のふくよかな胸が動く度にポヨンポヨン揺れ、更には機動力を維持する為か普段のミニスカ並に足下を絞っていて何時も以上に生足を剥き出しにしている。

 例の絶対領域の謎の暗闇によってどれほど激しく動き回ろうとも下着(上はともかく流石に下は履いてないことはないだろ?)は見えないが、もし色香で惑わす魂胆があるのなら効果は覿面。さっきまで成立していたラリーすら続かずに立て続けにポイントを失う。

(だあー、何をやっている、エステル? 気合を入れ直せ!)

 別段、何かを賭けている訳ではないが、勝負と名がつくものにベストを尽くさないのはエステルの矜持が許さず。パンパンと両頬を張って煩悩を退散させると、残り五ポイント間に攻略法を見出すべくヨシュアの一挙一動に目を凝らす。

「7-0 あと4ゲームだよ」

(ボールを左右に振っても意味無し。全部ファオで捌かれてしまう)

「8-0 何か退屈だから、わたしは二人の姿を撮ることにするよー」

(前後に揺さぶっても効果ゼロ。この狭い卓球台じゃヨシュアのリーチの短さはウィークポイントにはならない)

「9-0 二人ともいい表情してますねえ、とってもセクシーです」

(駄目だあー。本当にどこにも隙がねえ…………まてよ、隙がない?)

「10-0 あれぇ? 何時の間にかマッチポイントだよー」

(いけるか? このままだとどうせじり貧だし一か八かだ)

 いよいよ最後のヨシュアのサービス。

 ラリーが長引く程に玉の変化に惑わされて強打が打てなくなるので、勝負はサーブを放った直後の一瞬。エステルは迷うことなく、渾身の一撃をヨシュアの真正面に向かって叩きつけた。

「なっ?」

 身体の中心線目掛けてボールが飛んできたので、左右どちらで対応するか反応に悩む。その一瞬の判断の出遅れが命取りになり、あろうことかヨシュアは両方のラケットで同時にボールを弾いてしまう。

「よっしゃあ。今のを有効打と謳うつもりはないよな、ヨシュア?」

 ピンポン球はフラフラとエステルのコートに舞い戻ってきたが、二度打ちに等しいこれは流石にアウト。

 ラブゲームを阻止して念願のポイントを手に入れたが、ボールが台上に落下した刹那、跳ねることなくその場で静止。更にはスイカ割りの西瓜のようにパカッと真っ二つに砕けて、思わすエステルは目を見張った。

「おい、ヨシュア。お前、一体何をした?」

 そう問い掛けたが、意図せず魔球を披露したヨシュア当人が一番驚いていた。今の現象がいかなる物理法則に基づいて発生したのか、得意の合理的な思考フレームで算出する。

(私は思わず反射的に両方のラケットでボールを弾いたけど、そんなことでボールが割れる筈はない。物体を砕くにはそれが持つ抵抗力を上回るスピードとパワーが必要。けど、もし数マイクロ秒の狂いもなく『本当に全く同時のタイミング』で二つのエネルギーを送り込んだらどうなるか? それが例のクフラトのヒントになるというならテストしてみる価値はあるかも)

 天才数学少女の頭の内でどのような方程式が導かれたのか? 周囲にはさっぱり分からなかったが、ヨシュアは棚から別のボールを取り出すとプレイを続行。ゲームそっちのけで先の同時打ちをひたすら試し続け、その果てに。

「エステル、次……」

「もうボールはねえよ。というか頼むから真面目に卓球してくれよ」

 エステルが呆れながらゲームオーバーを宣告したように、台上には最後のピンポン球が二つに割られ、同様の運命を辿ったボールの残骸が彼方此方の床下に転がっている。

「12-10でエステル君、ウィーン。やったね、マッチポイントからの大逆転劇だよ」

 大物なのか頭の螺子が緩んでいるのか、目の前の異常事態にもまるで動じずに、審判兼カメラマンの役割を全うしたドロシーが背伸びしながら長身のエステルの左手を掲げる。

 一ダースのピンポン玉の尊い犠牲と引き換えにエステルがワンゲームを奪い返した所でゲーム続行が不可能になり、卓球勝負はお開きになった。

 

「うふふっ、まさかこんな暇潰しから新たなる(ことわり)が閃くなんて、球遊びと馬鹿にしたものじゃないわね」

 以前、市長亭で剣狐のSクラフト『エメスラル・ハーツ』に触発され、課題とした物理防御力(DEF)を無効化して固定ダメージを与えるクラフトの手掛かりを掴んだよう。予想外の収穫にヨシュアは笑みを零すも、今回の実験には妙なオマケがついてきた。

「エステルくーん、ヨシュアちゃーん。二人の戦いの雄姿を撮ったスナップショットを見てみてー」

「写真が出来たって? カメラのことは詳しくないけど、フィルムを映像化するには現像作業が必要なんじゃないのか?」

「んっふふふふぅー。これはZCFで新しく開発された、『ポラロイドカメラ』と言ってね。撮ったその場で直ぐさまスナップが再現できるんだよ」

 「ポジに該当する感光クオーツがないから焼き回しは無理だけどね」と補説しながらオリジナルそのものを手渡し、次の瞬間、エステルは赤面する。

「どうしたの、エステル? 顔が赤いわよ?」

「い、いや、ヨシュア。お前は見ない方が…………」

 しどろもどろになりながら写真を後ろ手に隠そうとしたが、その行為はヨシュアの好奇心を刺激する結果にしかならず。次の刹那、シェラ姐直伝のキャットテイルで強奪する。

 どうせ自分の姿は映っていないし、どんなエステルの狂態が焼きついているのかワクワクしながら覗き込んだヨシュアは「なっ?」と素っ頓狂な声をあげる。

「嘘? どうして、こんなことが……」

 一見マトモな勝負風景が展開されているが、だからこそ奇怪しい。

 被写体には浴衣でラケットを振り抜くヨシュアの姿が克明に映されいて、あろうことか絶対領域まで解除されて、裾から全開状態の白の下着まではしたなく晒されている。

「こんなオカルト有り得ない……と言いたい所だけど私のステルスが破られた現実を認めない訳にはいかないわね」

 ヨシュアは数学者だが、理論と現実がバッティングした時には目の前で起きた事象を優先する現実主義者(リアリスト)でもある。

 『神秘はより強い神秘によって打ち消される』と聞くが、ドロシーの写真の(ことわり)がヨシュアの隠密性能を上回ったということだろうか?

 真相究明の為にエステルにもカメラを持たせて、ドロシーと交互でヨシュアのショットを撮らせてみる。即時現像されたエステルの方のスナップにヨシュアの姿は映されておらず、ドロシーが再度撮った方は先と同じ顛末で偶然や奇跡でないのが立証される。

「ある意味、この場で彼女の能力が発覚したのはラッキーだったわね」

 ドロシーが興味本意でインスタントカメラを持ち込まなければ、油断したヨシュアはあられもないネガをリベール通信社に無償提供し、妙に鼻が効くナイアルがヨシュアとドロシーの相関関係に気がついたら良いようにつけ込まれた危険性がある。

「ねえ、ドロシーさん、お願いがあるのですが、この写真を勝負の記念にいただけませんか?」

「えー、それは駄目だよ。ナイアル先輩から……」

「温泉から上がったら、誘惑山菜鍋の食べ放題でどうです?」

「うん、いいよ。写真はまた撮ればいいんだしね」

 満面の笑顔の裏で改めて天然娘に苦手意識が芽生えると同時に漆黒の牙の生命線スキルをレジストする危険人物をどう処遇するか悩んだが、幸いドロシー本人の懐柔は容易いので抹殺方向に心を傾けるのは止めることにした。

 

 尚、後日。買収の子細を考え無しにナイアルに洩らしたドロシーは、なぜか当人が撮り損ねたヨシュアの艶姿をせっかく映像に収めたのに、そのスクープ画像を騙し取られた件で先輩から大目玉を喰らってしまいました。

 


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