星の在り処   作:KEBIN

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漆黒の福音(Ⅸ)

「はい、皆様お待たせしました。これより、『エジルお好み焼き店』を開店しま………………って、押さないで下さい。具材はたっぷりと用意していますので、列の最後尾の方まで十分間に合います」

「姉ちゃん、このチラシで只で食べられるのかい?」

「もちろんです。チラシご持参の方は席で手を上げて下さい。ただし、お一人様一個までなのでチラシを複数枚所持しても無効ですので、その点はご了承ください」

「うめえー! 姉ちゃん。こちらにお好み焼きもう一個追加」

「こっちも宜しく」

「「「俺も、俺も」」」

「了解しました。二個目からは有料になりますが、大丈夫ですね?」

(計算通りね。エジルさんの焼きたてほやほやは、覚醒剤なみに中毒性が高いから、一個ぐらいロハにしても十分元が取れるわ。さて、この調子でジャンジャン売り捲くるわよ)

 

        ◇        

 

 店がオープンして、早一週間が過ぎた。連日大繁盛で、十時の開店から零時の閉店まで客の途切れる気配もない。

 それもその筈。市の主要交通路に面した一等地に店を構えて大陸有数のお好み焼きが食べられて、カリンやカトリアのような美人の賄いが広報を担当し値段も激安。

 これだけ外連味なく勝利の方程式を積み重ねれば、失敗する方が世の摂理に反するといえる。外れの存在しない宝籤を購入したようなものだ。

 今日も今日とて厨房の換気扇から、秘伝のソースが焼ける香ばしい薫りが特注の大型扇風機のパワフルな羽に乗せられ、三叉路近辺の宙を彷徨う。定期便から市に降り立った客はその匂いに誘われるようにフラフラと進路を変更。店の暖簾を掻い潜る。

 地形の利を活かし文明の利器で食欲中枢を刺激し、一時的に来訪した一見さんさえも逃さずに取り込もうという貪欲な策略だ。

 当然、固定層のリピーター客を蔑ろにしない営業努力も忘れず、暖簾の隣に『ツァイス中央工房第七研究室ご一行様ご予約』の立て札が飾られている。

 

「カトリアさん、二階のお座敷にビール十本追加お願いします」

「了解です、カリンさん。今すぐお持ちします」

 細身の体型によらず、意外と膂力と平衡感覚に優れるカトリアは、お盆一杯のビール瓶の山を抱えたままふらつくことなく器用に階段を駆け登ると、彼方此方の席にヒョイヒョイとビールを配る。

 二階は団体予約客専用のお座敷になっていて、四十人までの大人数に対応。全てのテーブルには鉄板が敷かれていて、お好み焼きやもんじゃなどの具材も用意され客自身がセルフで焼ける様になっている。

 酒が入った素人がへらを握り、不器用な手つきで生地を引っ繰り返すのだから、どこもかしこも不格好なお好み焼きが産声をあげ、お座敷は阿鼻叫喚に包まれるがこれがまた結構楽しい。

 ソースや豚肉、キャベツなど素材が全て特級品なので、どれほどグロテスクでも味そのものは保障されるし、不揃いな失敗作を互いに罵倒し合いながら、それを肴に楽しい一時を過ごすのも無礼講の場の醍醐味だ。

「全く、どいつもこいつもなっちゃいないな。ほら、俺に貸してみろ」

 酒で頬を染めながら、グスタフ技師長が手慣れた手つきで箆を扱い、初めてお好み焼きと称しても良い円盤が衆目に披露される。

「見たか、これが技術班の手先の器用さよ。オーブメントは確かに便利だが、それも整備する腕前あっての話。密室で理論ばかりに傾斜して実地を疎かにしていると指先が退化しちまうぜ」

 酒の入った勢いなのか、たかだがお好み焼きの出来不出来から現場のブルーカラーと開発のホワイトカラーの部署間闘争じみた対立へと点火し、演算室主任のトランスは辟易とした表情をしながら最終兵器にお出まし願う。

「カトリアさん。何かグスタフさんが寝言をほざいているから、この酔っ払いにプロの技っていうのを見せてあげてよ」

 各所の工房の技術者に酌をしてまわっていたカトリアはお客のご要望に応じると、匠のへら捌きで五枚のお好み焼きを並行して引っ繰り返し、歓声が上がる。

 アマチュア同士が貶し合いながらお好み焼きもどきを食するのも一興だが、やはり店の人間が焼くと外観、味のどちらも技師長の及第作とは比肩すらできず、瞬く間に人数分のお好み焼きが振舞われる。「旦那様は私の三倍は上手く焼きますよ」との謙遜に人々は頂きの高さと道の険しさを実感する。

 

「うふふっ。やはり食べ物商売はお酒を提供するに限るわね」

 女中にレジ打ち、更には厨房の店主補助と一人三役をこなしていたカリンは、二階から回収した汚れたお皿の山を流し台に押し込むと、勘定の為にキャッシュレジスターに向かいながら密かにほそくえむ。

 既に時計は夜中の十一時を回っているが、八時から宴会を始めながら一向に帰り支度を整える気配はない。二次会もこの場で済ませる腹らしく、先程からひっきりなしに酒の注文が相次でいる。

 あれこれ手を尽くして経費削減に務めながらも超良心価格が足を引っ張り、連日連夜客で賑わいながらお好み焼き単体の収益だけで濡れ手に粟のぼろ儲けとはいかないが、その差額を埋め合わせるのが団体客の存在。

 エジルが安価に拘るのは、子供でも気兼ねなく食べられる料金体系を維持するのが目的なので、大人しか飲まないアルコール代に関しては無頓着。居酒屋なみの通常価格で販売している。

 そして宴会のような馬鹿騒ぎの席では、酒の消費ペースは半端なく。売上の八割が焼酎やビールなどの酒代の日も珍しくない。

 あれだけ丹精篭めた至高のお好み焼きより、問屋から普通に仕入れた酒類の方が儲かるのは皮肉な話だが、元々飲食業とはそういう商売だ。激旨激安のお好み焼きという話題性がなければ、そもそもこれほどの客が入る道理も無く、『卵が先か鶏が先か』というこの世界に良くあるジレンマの一つに過ぎない。

 とはいえ一カ月先まで団体客の予約で満杯の今の好景気な状況なら、エジルの道楽じみた値段設定を全うしても商売は安泰。店は軌道に乗ったとみて良い。

 

        ◇        

 

「エジルさん、こちらにもお好み焼き八枚追加ー」

 当初、カトリアやカリンに下心を抱いて通っていたミーハー客は未だ二人の看板娘に未練を残しながらも、今では純然たる味を求めて店を尋ねてくるようになったが。エステル・ブライトとかいう店に馴染のある常連さんは最初っから花より団子である。

「はうー、たこ焼きも食べたいので、二箱追加お願いですぅー」

 最近は良くティータと一緒に来店。二人合わせて十枚前後の大口注文をして、クエストで稼いだ報酬をせっせと貢いでくれるので、中々の上得意さんだ。

 その対価として、店にたむろしている間中クエストの愚痴や悩みを聞かされるが、今日は進捗状況が良いらしく鼻唄を口ずさんでいる。

「ご機嫌良さそうですね、エステルさん?」

「まあね、カリンさん。ツァイスに来てから溜め込んだクエストが、ほぼ終わりそうなんでな。特に難関だった『臨時司書の残業』の二つ目がやっと見つかってさ」

「以前に見せていただいた、あの妙ちりくんな図形ですか? 確かこんな感じでしたよね?」

 

『● ●

  ×

 ● ●』

 

「そうそう、紅蓮の塔に屋上に登って上から周囲の風景を見回したら、近くのあの絵柄に似た岩場があって、もしやと思って捜索してみたらビンゴよ。これで残る本……というか残したクエストは後一つだぜ」

「まあ、凄いです。ストレガー社の最新スニーカーで、ツァイス全土を走破した甲斐がありましたね」

「おうよ、『事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ』てな。エスパーな義妹でも推理できなかった遺失物を探して、今頃温泉で寛いでいるヨシュアをギャフンと………………って、そういえば塔を探索している最中、妙な魔獣に襲われていた知り合いが………………って、何で離れてくんすか、カリンさん?」

 他の客の注文に託つけてそそくさとトンズラかましたカリンをエステルは呼び止めたが、よほど聞きたくない固有名詞が話の続きに待ち構えているらしく知らん顔される。

 実は新規に請け負った臨時クエストがある。あまりにエステルの適正からかけ離れているので、ヨシュアの代役として相談を持ちかけようとするもアテが外れてしまい、「私で良ければお聞きします」とカトリアがティータを弄くりながら選手交代を申し入れた。

「なら、聞いてくれよ、カトリアさん。実はこの間、ヴォルフ砦まで足を運んだら、ブラムさんという兵士から復縁の密談をされてさあ」

 今エステルが頭を悩ませているのは、『復活愛の使者』というクエスト。フェイという元カノの女技師との仲を取り持って欲しいという私生活のいざこざだが、ブラム氏はどう考えても縋るべき人間を取り違えている。

 ましてや貴重な女性側の意見を拝聴する為とはいえ、第三者にべらべら機密を漏らすのは守秘義務の観点以上に秘事を託された恋のキューピット役として些かデリカシーに欠ける。

「フェイさんのことなら、良く知ってますですよ。一見、ガサツっぽいけど、ああ見えて意外と可愛いものが好きなんですよ。一日一回は必ず僕のことをナデナデしてくれますし」

 口のまわりをソースでベトベトにしたティータが相方を務めて、カトリアが口元を拭いてあげる。己を可愛いと自称する男の子もどうかと思うが、今のカトリアのような周囲の女性の過剰な世話焼き振りが少年の自信を助長しているみたいだ。

 赤字店舗の建て直しと違って色恋沙汰に万能の方程式などあろう筈もないから、仮に上手くいかなかったとしても、別段エステルに責任はない。

 故に預かった恋文を届ければ、ことの成否に関わらず一応は依頼達成と言えなくもないが、折角だからプレゼントを添えてはどうかとカトリアから薦められる。

「うーん、ギフトねえ。よっしゃあ、フェイさんは工房の技術者だから仕事が捗るように『作業用グローブ』を………………って、イテっ!」

 どこからともなくへらが飛んできて、エステルの頭にクリーンヒットする。

「エステルさん。ティータ君は可愛いもの好きと言っていましたし、ここは『もこもこニット帽』に『旬のフルーツタルト』をセットにしてみては如何でしょうか?」

 あまりに小気味よい音がし、もしかすると頭蓋骨の内部はほとんど空洞で恐竜並に脳味噌が小さいのではと勘繰ったカリンが、先の与太話が有耶無耶になりそうなので再び割り込んできた。

 エステルの武者修行に手を貸さないと決めていたが、あの朴念仁の所為で一組のカップルが破局するのを見るに見兼ねて、つい差し出がましい口を挟んでしまう。

「けど、ブラムさんからは1000ミラしか貰ってないし、それだと赤字に…………」

「あらっ、市民の笑顔を守るのがブレイサーの本懐では無かったのですか? お二人が上手くいけば、きっと感謝されますよ」

 カリンからそう諭され、エステルは黙り込む。ヨシュアからビジネスとプライベートのミラは峻別しろと口酸っぱく警告されているが、この程度の身銭を切るぐらいなら問題ない。

 

        ◇        

 

「市民の笑顔か…………エジルさんが拘っているのは多分それなのよね」

 チラリと店頭のお持ち帰りコーナーに並んでいる街の小さなお子さん達に視線を注ぐ。

 お土産用のお好み焼きを焼いたエジルは、お好み焼きを真空ラップして一人一人の子供に丁重に手渡す。

「ブレイサーのおじちゃん、ありがとう」

「おいおい、流石に三十路前の男前を捕まえて、おじさんは酷くないか?」

「ママがオヤツにしなさいって、お小遣いをくれたの。また明日も買いに来るからね、エジルおじちゃん」

 苦笑するエジルの姿を尻目に、元気一杯の子供たちは散り散りに離れていく。

 極上のお好み焼きを手にし無垢な笑顔で駆けずり回る幼子の姿を、法被衣装のエジルは本当に優しそうな瞳で見下ろす。この小さな幸せを守る為に遊撃士の道を志したであろうことは想像に難くなく、ささやかながら彼は夢の一端を叶えられたのだ。

「けど、あの笑顔を見る為だけに収入を半減させているのも、また事実なのよね」

 確かに美談ではあるのだが、損得勘定だけで考慮するならば実に非効率的な話だ。

 定期便の運賃も大人と子供で料金が大別されるので、売る相手に応じて値札を替えられないかとカリンは往生際悪く値上げの口実を検討するが、増税やリストラは馬鹿な為政者でも思いつく極めて芸のない最終手段だし、料金の引き上げが店に与えるマイナスイメージも軽視できないので別の対抗手段を講じた方が良い。

 

        ◇        

 

「姉ちゃん、この店ではブルマで営業していないの?」

「申し訳ありません。ここはコスプレ喫茶ではなく、お好み焼き屋ですので」

「馳走になった。久しぶりに本物のお好み焼きを食べさせもらった」

「あのー、お客様。こんなにミラを置いていかれては困ります」

(カリン…………いや、ヨシュア君は何を考えているのだろうか?)

 多くの帝国客に店を占拠され、猫の手も借りたい程の繁忙のとある一日の深夜。

 カリンが店長をつぶさに観察しているように、エジルもまた彼女の行動原理を把握しようと務めている。お好み焼きを焼く傍ら注文にてんてこ舞いの賄いの姿に視線を移す。

 英雄に対する子供じみたヤッカミの感情からカシウス当人とはあまり懇意になれなかったが、直弟子のシェラザードとはそれなりに面識があり、準遊撃士のデビュー前から二人の子息についての風聞も掴んでいた。

「実子のエステルは戦闘だけなら正遊撃士にも匹敵する。素直で嘘のつけない性格はブレイサーとしては諸刃の剣だけど、問題は義妹の方ね」

 エステルを凌駕する戦闘力に加え、大人顔負けの状況把握能力と幾つかの得体の知れないスキルを身につけている。恐らくはA級遊撃士相応の逸材だが、怠け癖があり世界に奉仕しようとする心構えがゼロだと聞き及んでいた。

 だからこそ、エジルは強引な少女のお節介が不思議で仕方がない。

 店がオープンしてから十日。前準備期間も含めれば既に二十五日を数えるが、連日の過酷な残業にも華奢な少女はへこたれることなく、むしろ楽しそうに感じる。

「それにしても羨ましいね、店長」

「そうそう、こんな美人のお手伝いさんを二人も侍らせちゃってさ」

 ロレントから流れてきたというエレボニアのお客が「ひゅーひゅー」と囃し立てるか、これまた子供たちのケースとは全く別な意味でエジルは苦笑する他ない。

 傍から見れば両手に花の羨望の身分に映るのだろうが、旦那様と慕ってくれるカトリアには婚約者がおり、カリンにいたっては泡沫のようにいずれ自分の元から消え去るのが約束されている竹取物語のかぐや姫そのものだ。

 無論、こうして毎日カリンと三階の事務所で寝食を一緒にし、一つの目標に向かって共同作業で汗を流していれば抑えきれない切なさが膨れ上がってくるが、同棲や破局など苦い大人のロマンスを幾度も体験したエジルは少女の献身が恋心を起因としたものでないのを弁えており、若輩のクローゼのように想いを暴走させることは無かった。

「そう、決して愛ではない。ヨシュア君が俺に求めているのは、むしろ兄に対する憧憬のような感情だ。カトリア君という年上の女性の存在も彼女にとってはプラスに働いている」

 とすると、一種の代謝行為という奴だろうか?

 ヨシュアがブライト家の養女となる前の過去は謎に包まれており、シェラザードはおろか拾ってきたカシウスでさえも少女の出自を知らないという。

 普通に考えれば、恐らくヨシュアの実の両親はもうこの世にいないのだろうが、他にも自分やカトリアぐらい歳が離れた兄姉がいたのではないだろうか。

「どうしたのですか、カリンさん? 目から涙が零れていますわ?」

「な、何でもありません、カトリアさん。コンタクトレンズにゴミが入った…………ううん、きっとこれもまた幸せの形なのですね」

 フェイクの蒼い眼をゴシゴシとこすりながら、偽りでない真珠の涙を零す。知的な女性らしからぬ意図不明な述懐にカトリアはキョトンとし、エジルは複雑な瞳で見つめる。

 ブライト家という今の新しい家庭に不満がある筈もないだろうが、かといって簡単に過去を拭えるものでもない。

 この束の間の逢瀬の機会に『失われた大切な記憶』に浸っているのだとすれば、エジルとしては無粋な問い掛けをせずに一日でも長く夢を見続けていられるよう祈るしかない。

 

 だが、そんなエジルの年長者らしい無言の気遣いは空振りに終わる。

 予期せぬ空前絶後の緊急事態が少女を夢から醒まして、『家族ゴッコ』に終焉を齎す。

「何だ? 急に明りが…………」

 店の照明が一斉に落とされて店内が真っ暗になり、客はパニック状態に陥る。

 別の次元世界でいう『停電』に該当する現象だが、この世界の導力はオーブメントそれ自体にEP(エネルギーポイント)が篭められており、電気と異なり発電所で一元管理されている訳ではないので、このような変事に免疫がない。

「大変です、旦那様。外を確認してきましたが、町中は光一つなく闇に閉ざされていて、この店だけでなく全ての施設の照明が消えています。それだけじゃなくエレベーターも動いていないみたいで、あらゆるオーブメントが停止したみたいです」

「うーむ、一つ二つならともかく、全てのオーブメントが同時に故障するなんてまず有り得ないだろうし、一体何が…………」

「導力が停止? 一つだけ心当たりがあります。エジルさん、これからラッセル工房に向かうので、一緒についてきて下さい。カリンさん」

「了解です。パニくっているお客さんは私が宥めますので、いってらっしゃい」

 柔和な見掛けによらず胆力に優れ危機対処能力が高そうなお手伝いさんに店を一任すると、精神のチャンネルを商人から遊撃士へと切り換えた男女の一組は怪異の発生源と思わしき場所へ駆け出して行った。

 

        ◇        

 

 ラッセル工房一階の実験室。

 様々な怪しげな機器が並ぶ薄暗い室内に市長亭で現出した漆黒の光が駄々漏れる中、ティータは黒いオーブメントの置かれた測定器の各種タコメーターを一心不乱に見つめていて、普段は物怖じしない筈のエステルがハラハラしながらティータに催促する。

「おい、ティータ。流石にそろそろ不味いんじゃないか? 何かこの家だけじゃなく、市全体の照明が落ちているみたいだぞ」

「はうぅー。止めないで下さい、エステルお兄さん。もう少しで何かが掴めそうなんです。おじいちゃんも科学の発展には多少の犠牲はつきものだと言ってましたです」

「そっか、なら良いのか?」

「はい、いいですよ」

「いい訳ないでしょう! エステル、あなたがついていながら何をやっているの?」

 気配もなく二人の合間に割り込むように女性のキンキン声が響き、男二人はビクッと身体中の毛を逆立てさせる。

 恐る恐る振り返ると、エプロン姿の金髪碧眼の美女カリンが仁王立ちして二人を見下ろしていて、エステルは軽く安堵する。

「何だカリンさんかよ、脅かすなよ。それよりも、はしたない大声出してらしくな………………?」

 突然エステルの視界が上下反転して、地面に背中から叩き落とされる。

 少女特有の柔術技『空気投げ』で足の払いも無しに投げ飛ばされた。エステルは真下からカリンのデニムスカートの中身を覗き込む恰好になったが、見覚えがある謎の暗闇に阻まれている。

「全く何時になったら気づくのだか、鈍いにも程が………………」

「パンツが見えねえ。お前、もしかしてヨシュアか?」

「人をどういう認識の仕方しているのよ!」

 固いハイヒールの踵でエステルの鼻っ柱を踏み潰してグシャリという鈍い音が響き、ドクドクと鼻血が零れて顔面に赤い血の池を作る。

 もしかすると鼻骨が折れたかもしれず。遅れて辿り着き惨状を目撃したエジルは片手で頭を抑えながら天を仰いだ。

 スプラッターなエステルの成れの果てにガタガタ怯えるティータを、猟奇殺人犯は蒼い瞳で一瞥すると敢えて優しい猫撫で声で最後通告する。

「ねえ、ティータちゃあーん。私は可愛い良い子には寛大だけど、悪い子には一切容赦しない性質なの。もし、あの馬鹿と同じ末路を辿りたいのなら……」

「測定器は、もう止めましたです。ご、ごめんなさいです、ヨシュアお姉ちゃん。おじいちゃんが戻ってくるまで待てなくて、ついお兄さんに頼んで……」

 慌ててスイッチを切ったティータは米つきバッタのようにペコペコと平身低頭しながら懺悔する。しばらくして部屋の照明が灯り窓の外も明るくなってきた。ツァイス市全土のオーブメントが活動を再開したみたいだ。

「ヨシュア君。これはボースでシェラザード君が持参してきた例のオーブメントだよね? 件の『R博士』というのは、ティータ・ラッセル君のことだったのかい?」

 困惑顔で尋ねるエジルにどこから事情を説明したものやら。

 漆黒のオーブメントがその本性を露わにした。一つの都市全域を機能制止させる程の異常な性能を有すると判明した以上、このような危険極まりない代物を捨て置くことはできない。

 

 いずれにしても長かった休暇は終わりを告げた。ヨシュアはカリンという居心地の良い温ま湯のような仮身分を捨て、本業の遊撃士に復帰しなければならなかった。

 


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