星の在り処   作:KEBIN

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漆黒の福音(Ⅱ)

 次の修行場のツァイス市に向かう為に、薄暗いカルデア隧道の地下トンネルを走破するエステルとヨシュアの遊撃士兄妹。

 地元のロレントで定着していた『兄妹』の呼称。ヨシュアの涙ぐましい努力でボースで姉弟と流布するのに成功するも、ルーアンの学園生活で再逆転を許してしまう。

 兄姉競争で一勝二敗と既に後がないヨシュアは王都の最終決戦に望みを託すべくツァイスでの必勝を期するだろうが、腹黒完璧超人をして見た目の身長差というハンデは中々に埋めがたい。もしかすると、『姉弟』の称号を勝ち得るのは、短期間で百万ミラを稼ぐ以上の難事かもしれなかった。

 その義姉の立場を夢見るちっちゃな少女は入り口の日の光が見えなくなった途端、まるでプレッシャーから解放されかように両腕を黒髪の後ろに伸ばし大きな伸びをする。

「どうした、ヨシュア?」

 まさか「私は闇の眷属だから、太陽の光が届かない暗がりの方が落ち着くのよ」とか中二病の引き籠もりじみた台詞を宣わないかの危惧は杞憂。

 何でもジェニス王立学園に籍を置いてから今日までの間の四六時中、得体の知れないシロハヤブサにストーカーされて落ち着かなかったそうで、遠方からのジークの密かな監視の目に気づいていた。

「私というよりもクローゼを見張っているみたいだけど何だったのかしら、アレ? 特に学園祭が終わってからの数日は物凄い殺気を孕んでいて、少しでも隙を見せたら急降下して喉笛を噛み切らん勢いだったから全く生きた心地がしなかったわ」

「はっはっはっ」

 主人想い(※クローゼは友達と称していたが)の忠鳥にエステルは苦笑いするしかない。『白き花のマドリガル』の接吻事故はどちらかといえばヨシュアの方が被害者なのだが、こっぴどく失恋したクローゼがいたく傷心したのも事実。

 ギリシャ神話の主神ゼウスとヘラ夫婦の如く、妻は浮気した夫よりも不倫女性を憎悪する傾向があるようなので、ジークの嫉妬の矛先は飼主のユリア同様にヨシュアの方角へと不条理に向けられた。

「そういえば件の最終攻防戦の折、二人と別れてルーアン市に向かう途中に妙な連中がエステルをつけ狙っていたみたいなのよ」

 ストーカー繋がりで、昔日のとある出来事を思い出す。

 

 銀行から預金を引き下ろそうと早足でメーヴェ海道を駆け抜けていたヨシュアは、砂浜で四人の男女が海釣りに興じている姿を発見する。

 そのまま通り過ぎようとしたが、彼らの一人がエステルの名前を呟いたようなので、岩影に潜んでそっと聞き耳を立ててみると。

「ねえ、聞いた? モンブランが例のエステルってお兄ちゃんに負けちゃったみたいだよ」

「くかかかか。奴は所詮、俺たち釣行者四天王の中でも最弱」

「いくら剛竿の担い手相手とはいえオメオメとやられるなんて、釣行者(レギオン)の面汚しね」

「さてと、次に誰がエステルに挑むかこの爆釣ロワイヤルで決めるとするか。今の所、リンがトップだが………………ぎゃああああ!」

 

執行者(レギオン)なんて口走るから、エステルの命を狙う刺客と勘違いして思わず反射的にやっちゃったけど、組織とは全く無関係の単なる釣り好きの素人衆だったのよ。紛らわしいったらありゃしないわ」

 やれやれといった風情で、黒髪の少女は軽く肩を竦める。事実誤認で一般人に手をあげたミスを全く気に咎めていない。

「それで、そいつらはどうなったんだ、ヨシュア?」

「幸い意識を刈り取る方向で攻撃したから、気絶させただけで怪我一つさせていないわ。けど、準遊撃士から暴行を受けたとか根も葉もないデマを吹聴されても困るから、記憶の一部を弄くって王都にお帰りしてもらったけど」

 事実無根どころか、また見習いの立場が失墜しそうなスキャンダルであるが、あの空気の読めない連中に市長亭の大一番で乱入されでもしたら全てが御破算になっていた可能性が高いので怪我の功名というべきなのか。

 とりあえず次のツァイスで爆釣勝負を挑まれる心配がなくなったのは、エステルにとっても有り難い。最後の修行場のグランセル地方には変人共の巣窟たる本部をあるそうだが、あまり深く考えたくないので今は忘れることにしよう。

「ストーカーといえは、意外だったのはナイアルだよな」

 釣公師団との関連性を問われるのも面倒なので、話を反らす為にブライト兄妹を狙って各地方に必ず出没する新聞記者を俎上に載せる。

 ダルモアが王国軍に逮捕された際、あの仕事熱心な聞屋さんがインタビュー無しに足早に退散したのに今更になって不自然さを覚えるが。

「そりゃ、そうでしょう。あの人、封じの宝杖の金縛りが解けた瞬間、ドサクサに紛れて私がダルモア市長をノックアウトした場面でシャッターを切っていたからね」

 「本当に要領が良いというか狡っ辛いというか」と今度は両肩を竦めてみせたが、例の金的シーンでヨシュアは半裸状態だったので笑って済ませられる話ではない。

 彼奴はエステル同様、黒髪美少女の誘惑を撥ね除ける硬派(※ヨシュア曰く機能不全)だから、個人で密かに愉しむつもりはなく、純然たる部数狙いで堂々と紙面に掲載するつもりだ。

 だからこそ、翡翠の塔の帰り道のようにフィルムを巻き上げられる前に一目散にトンズラしたのだが、それが判っていて盗撮中年を見逃したヨシュアの行動を不審がる。

「平気よ。どうせ現像化されたフィルムには市長さんしか映っていないから、今頃ナイアルさんは狐に化かされた表情をしているでしょうね」

 そう悪戯っぽく笑う少女の自信の源にエステルは心当たりを思い浮かべた。

 ファンクラブの連中から頼まれて、小遣い稼ぎにヨシュアの私生活を隠し撮りしたことがあったが、写真のあるべき場所から少女の姿だけが抜け落ちている摩訶不思議な心霊現象を幾度も体験させられた。

 正規に頼んで撮らせてもらったスナップショットにはきちんと少女の姿が納められており、これも絶対領域に似たヨシュアのスキルで本人の意志で能力のオンオフを制御可能。

(ヌードといえば、ヨシュアの裸を拝んだのも三年振りか)

 当時のヨシュアは紛う方無き洗濯板で、「シェラ姐に比べて、掴む所かねえな」とよく風呂場で後ろから抱きついてはブレーンバスターで頭から垂直に叩きつけられたが、よくぞここまで撓撓の果実を実らせたものだ。

 その二つの大きな膨らみを、ぴったりと密着した八卦服(チャイナドレス)越しにチラリと眺める。

 緊急時だった市長亭では劣情を催す余裕もなかった。生鑑賞したマシュマロのような柔らかそうなオッパイと綺麗なピンク色の突起物。鮮明なフルHD画像で脳内再生したエステルは義妹に性的興奮を覚えてしまい、その背徳感に思わす顔を背ける。

「どうしたの、エステル? さっきから、顔が赤いわよ? それに何だか視線が嫌らしい気がするけと……」

「何でもねえよ!」

 不慣れな事態に困惑するエステルは大声を張り上げ、ヨシュアも何となく居心地悪そうにする。

 少女の義兄は自他とも認める根っからの助平野郎だが、無意識かつ陽性のHなので基本的には被害を被っても後に引くことは少ないが、チラチラと何度も覗き見するジメジメした煮え切らない態度は世間に溢れるむっつりスケベそのもの。あまりエステルらしくない。

 それからしばらくの間、二人は顔を背けたまま一言も口を聞かずに隧道を歩き続ける。場の雰囲気はギスギスしており、なぜこうなったのか当人達にも判らない。

 ただ、今まで超然と構えていたエステルが微妙に義妹を性的対象と見做し始めた事実だけは、どちらも肌で感じ取っている。

 故に異性体験が絶対的に不足しているエステルはもちろん、一見手慣れているように見せ掛けて実はおぼこであるのが発覚したヨシュアも、有象無象の殿方を遇うならともかく特別視する少年の変貌を目の当たりにして、どう対処して良いのか分からずに途方に暮れている。

 この種の変化は友達以上恋人未満の仲の良い異性がお互いの関係性を一段階昇格させるのに避けては通れない通過儀式のようなものだ。再浮上の為に一時的に沈み込んだ状態であるのに気づかない両者は焦燥し事態の早期改善を試みようとするが、その切っ掛けを掴めずにサイレンス状態が続いている。

 だが、そんな鬱々とした空気を吹き飛ばすかのようにトンネル前方の奥深くから爆発音が響いてきた。

「ヨシュア!」

「うん」

 途端、精神のチャンネルを遊撃士モードに切り換えた両者はアイコンタクトを交わすと各々の得物を展開。全力疾走で隧道を直進していった。

 

        ◇        

 

「は、はうぅー。それ以上僕に近づいたら、本気で当てちゃうんだから」

 数百アージュ程先の曲がりくねった角道に出ると、魔獣に包囲された小さな男の子が不安そうに忙しく首を左右に振って周囲を警戒している。

 金髪碧眼の少年は、赤を基調としたマント付きのオーバオールの作業服とゴーグル付着の二本の長紐が垂れ下がった帽子を被っており、護身用の導力砲(オーバルカノン)を抱えている。

 近くに地面が抉られた跡がある。先の爆発は小型導力砲(P-03)の炸裂音のようだが、外した模様。口から触手を生やし芋虫の形状をしたグロテスクな魔獣(ダンプクロウラー)はジリジリと距離をつめていき、少年は泣きそうな表情になる。

「助けましょう、エステル」

 どんぐり眼のまん丸ほっぺに小動物系の愛らしい仕種。好みの直球ど真ん中のプリティなお子様のピンチに恩を売ってアレコレ強要する絶好の好機と不精者が舌舐りしながら何時になく邪なやる気を漲らせるが、普段なら真っ先に飛び出す筈の熱血漢がヨシュアの左手を掴んで押し止める。

「どうしたの、エステル? あなたらしくな……」

「…………上手く説明できないけど、今、あの中に割って入るのは不味い」

 まさかあんな子供にヤキモチを焼いているのかと勘繰ったが、違うみたいだ。クラーケンの襲撃すら察知したエステルの第六感は侮れないものがあるが、自分たちの助太刀抜きであの子が自力で窮地を脱せるとは思い難い。

 少年を壁際に追い詰めたダンプクロウラーの群は130°の扇の角度で取り囲んでいる。いくら攻撃範囲が広い導力砲でも一度に七匹全部の魔獣を巻き込むのは無理。再チャージの間に餌食となるのは必然。

 今更エステルがあの程度の魔獣に臆したとも思えなので、少年のらしくない変容の連続にヨシュアは戸惑いを隠せない。更には恐怖に屈して手元を震えさせたのか、少年は顔を隠すように俯いたまま命綱のP-03を地面に取り落としてしまい、チャンスと見た魔獣は一斉に襲いかかる。

 ヨシュアは本能的に飛び込んで『漆黒の牙』で一網打尽にしようとしたが、エステルは強い握力で義妹を離さずに割り込みSクラフトは不発に終わる。この一瞬の出遅れは命取り。もはや万事休すかと思いきや。

「うっ…………ううぅ………………うわああああ………………!」

 少年は面をあげると血走った目で、マントの内側から黒光りするゴツイ銃器を取り出す。

「なっ!?」

「旧式の機関砲(ガトリングガン)?」

 キュピーンという少年の正面目線のカットインが入ると同時にSクフラト『カノンインパルス』が発動する。最もエステルやヨシュアの体術系クラフトと違って、必要なのは闘気(CP)ではなく単に弾薬の残数だけ。

「わああああ…………! 死ね! 死ね! 死ねぇー!」

 六本並べた砲身が毎秒100発という速度で反時計回りに高速回転し、凄い勢いで薬莢を吐き出しながら弾丸の雨を降らせる。

 少年は左右見境無しにガトリンガンの砲身を振り回す。瞬く間に魔獣の群は蜂の巣で原型すら留めずミンチになり、周囲の壁一面にグチャグチャの肉片がぶちまけられる。

 もし迂闊に介入して、あの銃弾のシャワーを浴びていたらと想像しヨシュアは寒けを覚えた。

 やがて全ての弾倉が撃ち尽くされる。硝煙の余韻を残しながらカラカラという音を立て砲身の回転が停止する。

 もはや敵影どころか魔獣の死骸の欠片一つ落ちていない戦場で、身の安全を確認した少年は薬莢の山の中に埋もれるように地面にしゃがみ込むとホッペを艶々に輝かせながらふうっと額の汗を拭った。

「はううっ、ドキドキしちゃった」

「ビックリしたのはこっちだ! 何なんだ、お前は?」

 エステルが至近からガナリ声をあげる。少年は「ふぇっ?」といきなり毛皮を撫でまわされた子猫のようにビクッと身体全体を逆立てて怯える。

 柔和そうな見掛けに反して、危険極まりない銃器と攻撃性能を携えた幼子が七人目の導かれし者であるとは、この時のエステルとヨシュアは知る由もなかった。

 


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