星の在り処   作:KEBIN

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ルーアン最終攻防戦(中編)

「ふう、力仕事は持病の関節痛に堪えるわ。また、ブレイサーの兄妹でも尋ねてこんものかな」

 導力圧と安定化装置のスイッチを弄くり、灯台の試運転作業をするフォクト爺さんは、トントンと両膝の踝を摩りながら愚痴を零していると、下の方からガヤガヤと笑談の音が響く。

 もしや本当にエステル達が再訪したのかと、鉄梯子の掛けられた昇降口から階下を覗き見してギョッとする。ルーアンでも悪童と名高いレイヴンが白昼堂々と灯台に乗り込んできた。

「ひゃーはっはっは。儘と百万ミラもせしめるとはラッキーだな、俺ら」

「ホントだぜ。面白半分でオンボロ孤児院に火をつけたら寄付金まで奪えるなんて、笑いが止まらないぜ」

「けど、ミラはもうほとんど残っちゃいないけどな。ロッコ、お前が博打ですっちまったからだぜ」

「けっ、ムシャクシャするな。憂さ晴らしにまた孤児院の薄汚いガキ共でも甚振りに行くとして、その前にたらふく酒を浴びるとするか」

 階下から漏れる哄笑に、フォクトは慌てて昇降口から首を引っ込める。

「大変じゃ。そういえば、今朝方、マノリア村でレイヴンのチンピラ共に寄付金を強奪されたとか騒いでいたっけ?」

 席に戻ったフォクトは、導力通信を繋ぐと王国軍に通報する。もし、爺さんが冷静なら、複数人の会話なのに声色が二種類しかなかったことに気づいただろうが、遊撃士ならともかく一介の灯台守に緊急時にそこまでの状況判断を求めるのは酷だ。

「クローネ峠の関所か? こちらバレンヌ灯台のフォクトだ。今ワシがいる真下の階層にレイヴンの奴らがたむろしておる。孤児院を焼き払ったのも寄付金を奪ったのも自分達の仕業だと豪語しておった。至急、逮捕の兵をこちらに派遣……………………」

 吹聴して欲しい伝達事項を言い終えた途端、意識が狩り取られる。気絶した老人の後ろには何時の間にか赤いバンダナを巻いたレイヴンの二人が控えており、更に鉄製の梯子を攀じ登ってギルハート秘書が姿を現した。

 

        ◇        

 

「おいおい、現職のルーアン市長が一連の事件の黒幕ってのはマジかよ?」

 既に察していると思われるが、マノリア村でアガットに声を掛けたのはエステルとクローゼの二人。この時に彼女は初めて、ルーアン市に渦巻く陰謀の数々を知らされた。

「ここまでのあらゆる事象が、ほぼヨシュアさんの予測通りに漸進しています。もはや証憑が存在しないだけの確定事項と見做しても良いでしょうね」

 クローゼがヨシュアの推理に太鼓判を押し、豪胆な女遊撃士も驚きを隠せない。

 ただ、物証がないだけと謳ったが、それこそが一番のネック。『疑わしきは罰せず』を原則とした専制国家とは思えぬ温いリベール法では状況証拠だけで人を裁けない。

 同じ君主制でもこれがエレボニア帝国あたりなら、目をつけた国事犯を投獄するにあたり秘密警察(ゲシュタポ)が幾らでも実証を捏造するのだが。

「それで証拠を揃える為に、ある程度敵の出方が判っているにも関わらずに敢えて受け身になって後手に回っているわけか? マリオ達が襲撃を受けるのを薄々悟りながら黙って見過ごしたのも、その一環というわけだ」

 ワイルドな外観によらず、高い判断力を備えているアガットは、物事の本質を見抜く。非好意的な視線で二人を一瞥し、エステル達は後ろめたそうな表情を見合わせる。

 彼女に指摘されるまでもなく、空賊事件で友誼を築いた先君を囮とするような遣り方にエステルの心が痛まない筈はないが、事態は予想以上に切迫している。

 

「おい、ヨシュア。態と寄付金を奪わせるって何だよ? 今夜か明日中の襲撃の目処は立っているのだから、俺たち全員で張り込めば」

「エステル、今回の事件で一番困るのはダルモア市長に一端手を引かれてしまうことよ」

 一致団結して事に当たれば再建資金は守れるだろうが、その後どうなるのか? ダルモアは経済的に逼迫し尻に火がついているので別荘地の分譲を諦める筈もない。仮に孤児院を建て直せたとしても、その地下には巨大な不発弾が埋め込まれたまま。

 エステルや他の正遊撃士にしても何時までも常駐している訳にもいかず、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって時限爆弾が再点火。今度はその炎はマーシア孤児院だけでなくテレサや子供たちをも呑み込んでしまうかもしれず、その情景を思い浮かべたエステルとクローゼの顔色が土色に変化する。

「寄付金が奪われれば、市長側は必ず契約内容を盾に恐らくは法外な違約金か何かでテレサ院長を脅迫してくる筈よ。けど、契約通りの現金をキチンと用意できれば、逆に不正を抑えるチャンスでもあるの」

 百万ミラは市民レベルではそう簡単に右から左へは動かせない大金だが、ヨシュアにはその蓄えがあるので敵の裏を掻くことも相成る。以前、ボースで主張したように、多額のミラを所持していれば有事に際して真に多くの選択肢を得られる。

 ただ、その為にはカンナバーロ達の身を危険に晒さねばならずに二人とも不承顔。理論整然とした口実を準備してやるのは可能だが、どのみちエステルは自分の心を偽ることなどできよう筈もない。ヨシュアは敢えて翻意を促さずに、彼の意志を尊重する。

「納得いかないって顔ね。まあ、基本的に私は作戦を考えるだけで、決断はエステルに任せると決めているから。まずは寄付金を守るのに尽力し、長期戦で事を構えるのも有りよ。後悔しないようによく考えてみて」

 そう囁いて一任する。エステルは普段使わない脳味噌をフル回転させて悩みに悩んだ末、非情の策を受け入れる苦渋の選択をした。

 

「けっ、あの小娘。相変わらず守るべき大切な約束を果せなかった人間の辛さが判らないみたいだな」

「アガット、最終的にその案を採用したのは俺だから、ヨシュアは関係ない」

 思わず舌打ちするアガットから反射的に庇う。当然、今回の作戦の全責任を負う覚悟だが、その決意自体が腹黒い義妹に唆されているように思えては気に入らない。

「とにかく、後でマリオさんとカンナバーロさんには土下座してでも償う」

「必要ねえ。マーシア孤児院に関わる全てを死守するのが依頼の全容で、それに失敗したのは単純に力不足だっただけだ。お前ら見習いのヒヨコ共にケツを持たれなきゃならないほど、あいつらは落ちぶれちゃいねえ」

 公人の遊撃士の身柄と庇護対象の子供たちの将来的な安全を天秤にかけるのなら、どちらを優先すべきかは自明の理。

 マリオ達に事情を説明し寄付金を奪われる演技を頼むという選択肢もあった筈だが、明証無しの憶測だけでクエストを放棄させるなど正遊撃士の職分を犯す行為。また、百歩譲って彼らがその提案を受け入れたとしても、アガットの推測通りに奴らがレイヴンの中に紛れていたとしたら、その猿芝居を見抜かれていた公算が高い。

「ちっ、結局は何もかもが、あの小娘の思惑通りか」

 ヨシュアの策略が有効なのはアガットも理屈として判ってはいるが、全能者の如く高みから全てを見通すような態度が気に食わずに感情的に納得いかないといった風情。

「あいつらの真摯な想いを虚仮にした以上、失敗は絶対に許されねえ。当然、敵の足取りは掴んでいるんだろうな?」

 そう問い掛けるも、彼女自身半信半疑。真夜中とはいえ奴らに勘づかれないように尾行するなどアガットでも骨が折れる作業。戦闘に特化しすぎた若輩のエステルに可能だとは思えない。

 隠密の達人のヨシュアなら他愛もない仕事だろうが、少女は既に二人とは別行動を起こしており、エステルは無言でクローゼに催促する。

 その件に関して敵に悟られずに追跡する方法があるとクローゼの方から志願してきたので、子供達の笑顔を守りたいという彼の願いを受け入れ素人学生の同行を許可した。

「ジークっ!」

 そう叫びながらクローゼがピィーっと指笛を吹くと、空の彼方から真っ白な鳥が凄い勢いで降下してきた。クルクルと彼の周囲を飛び回りながら差し出された左肘の上に軟着陸する。

「ピューイ、ピュイ、ピュイ」

「はははっ、良し、良し。ご紹介します。彼女はシロハヤブサのジークで僕の大切な幼馴染みです」

 クローゼははにかむ。嘴の下を撫でられたジークはゴロゴロと気持ちそうに喉を鳴らし甘えている。

 以前、大海原で消失した件の写真を銜えていた白隼。実は『ファルコン』のコードネームでクローゼの行動を見届けるようユリアから託された歴とした親衛隊員。

 卵から孵った雛鳥の頃からの長い付き合いで、育て親のユリアとクローゼの二人に大層懐いていて、人の身では難しい様々な工作活動に従事している。

 幼少からの訓練で鳥目を克服し夜目も効くので、闇夜の大空高くから標的に気づかれずに狙った得物を追尾するなどお手の物。

「ピュイ、ピュイ、ピュピューイ」

「そうか、そうか、偉いな。お願いした通りにしっかり追跡してくれたんだな。レイヴンが今どこにいるか判りました。一晩、クローネ山道の草むらで捜索を遣り過ごし、つい先程バレンヌ灯台に入っていったそうです」

 アガットはもちろん、クローゼの自信の源を知らなかったエステルも唖然として声が出ない。ここまでハッキリと固有名詞込みの会話が成り立つとは、意思疎通が可能とかいうレベルでなくクローゼは鳥語を翻せるとしか思えない。

「ピューイ、ピュイ、ピュピュピューイ」

「えっ? あの黒髪はビッチだから止めておけって? こらこら、ジーク。ヨシュアさんのことを悪く言っちゃいけないよ。とにかくバレンヌ灯台に急ぎましょう、エステル君、アガットさん」

 ジークはクローゼを誘導するようにゆっくりと飛翔してゆき、他の二人も狐に摘まれたような表情で後を追う。

「ジークだっけ? クローゼの友達とか抜かしていたけど、何か賢いとかそういう次元を超越していないか? にしてもシロハヤブサの雌にまで嫌われるとか、相変わらずヨシュアの奴、同性からの警戒心が半端ないな」

 ふと、並走するアガットの姿が目に入る。エステルはじっと彼女の横顔と見覚えのある二つの巨大な隆起物をじっと眺める。

「何だ? 俺の顔に何かついているのか?」

 エステルの目線がGカップ相当のバストの方にも注がれているのをスルーしているあたり相変わらず己の性に無頓着のよう。「気のせいだよな?」とエステルは自分にも理解不能な衝動に駆られながら大きく首を傾げた。

 

        ◇        

 

「さてと、これで準備は全て遣り終えたかな」

 バレンヌ灯台の最上階、無言のギルハートが見守る中、レイヴンの二人組は赤いバンダナを取り外して、黒い仮面を被る。更にはチンピラ服を脱ぎ捨てるとその下には黒装束が隠されていた。

 以前、クローネ峠の関所に魔獣をけしかけてアガットに護送された襲撃犯と同衣装。レイヴンに成り済まして寄付金の強奪を手伝っていた。

「もうじき、灯台守からの連絡を受けた王国軍がここに辿り着く。その前にずらかるとするか」

 どうやってロッコ達を操ったのかは不明だが、彼らに濡れ衣を着せる算段のようで舞台装置は既に完成している。

 酒盛りで酔い潰れたディン達の周辺にはニートには真っ当な手段では手に入れられない十数万ミラの大金が散乱。ご丁重にもポケットには証拠物の可燃燐まで仕込んである。

 記憶のないレイスなどがいくら無実を喚いても、札付きの不良の戯れ言に耳を貸す物好きなどいる筈もない。マーシア孤児院絡みの一連の事件は全てあの屑どもの所業となるわけだ。

「これで良かったのですよね」

 まるで何者かの許しを求めるかのようにギルハートは呟き、そんな彼女の良心に応えるかのように返答が戻ってきた。

「良い訳ねえだろう。残念だぜ、ギルハートさん」

 聞き慣れた声に背筋を凍らせ、慌てて後方を振り返る。ルーアンにいる筈のない人物が鉄梯子を攀じ登ってきた。

「エステルさん?」

 「なぜここに?」、「どうやってこの場所が?」とか色々疑問が沸き起こったが声にならない。ただ、エステルに悪事を直に見られた。その一事が酷く後ろめたく、思わず顔を背けてしまう。その隙にエステルに続いてクローゼとアガットまで登ってきた。

「ふんっ、やはりマリオ達をやったのはテメエらだったか」

「こんな所まで追ってくるとは、本当にギルドの犬はしつこい」

 依頼人のギルハートの存在を無視して、浅からぬ因縁を持つアガットと黒装束の男達が睨み合う。周辺が一触即発の空気に包まれる。アガットは背中のオーガバスターを引き抜き、敵は無言のまま両腕の鉤爪をジャラリと鳴らす。

「エステル、お前は下がっていろ…………といっても、聞くような玉じゃねえよな」

 奴らは真の闇世界の住人。ボースで関わったカプア一家のようなコソ泥とはレベルが違うが、エステルが決して自分を曲げないのはクローネ峠の一件で判っており、実際に臆することなく物干し竿を展開する。

「学生さん、あんたはあの秘書の身柄を抑えておけ」

 どうせ奴らにとって人質の値打ちなどありはしないが、せめてもの配慮として民間人のクローゼを戦闘から遠ざけるように指示。アガットとエステルは得物を振り回して黒装束と渡り合う。

 

「影縫い!」

「ぐあっ!」

 黒装束の男は残像を残して懐に潜り込むと、鉤爪でエステルの胸板を抉る。

 この『影縫い』のクラフトにはヨシュアの絶影と同じく、対象者の遅延(DELAY)を促す効果があるらしく、エステルを防戦一方に追い込む。

 技の効能といい高速機動力を売り物とする一撃離脱戦法には、どことなく漆黒の牙を彷彿とさせるものがある。これが闇の眷属に共通する戦い方のようだ。

「強え、何者なんだ、こいつらは?」

 得意のタフネスで持ち堪えているものの、エステルに大きく息を切らせる。もう一人の黒装束と互角の戦いを演じているアガットが補説する。

「予め忠告しただろう? これが猟兵団(イェーガー)とは別種の戦闘のプロって奴だ。もっとも、怪物のお前の義妹は一方的に打ち倒したみたいだかな」

 ヨシュアの名前を聞いた刹那、エステルの目の色が変わる。敵の強さに呑まれていて、大切なことを忘れていた。

「確かにあんたは速いし、今まで俺が戦ってきた人間の中でも強い。けどな……」

 目を閉じ闘気を溜め込んだ後に一息に解放する。エステルの半円に軽い衝撃波が発生。『麒麟功』で物理攻撃力(STR)行動力(SPD)を大幅にブーストする。

「俺が毎日稽古し追い掛けているヨシュアはもっと速く、何よりも桁違いに強い」

 そう宣言すると、先とは比較にならない超スピードで襲いかかる。はじめて黒装束に攻撃をヒットさせ、五分の闘争へと持ち込む。

「ちっ、何だ? このガキ、急に手強くなりやがった」

 戦闘初期のように遇えなくなった黒装束は舌打ちするが、自己ブースト技ならやがて反動をきたす筈。それまで持ち堪えればよいと守勢に徹しながら皮算用したが、男はプロフェッショナルにあるまじき失態を犯している。

この戦いは騎士道精神に基づいたタイマンの決闘ではなく、虎視眈々と介入の機会を伺っていた第三者の存在を失念していた。

「ジーク、お願いします!」

 クローゼの掌から解き放たれた白隼が、急降下時速387kmという人間の動態視力では視認不可能な超スピードで戦士(ケンプファー)となって襲いかかり、正面から仮面に特攻する。

 目がチカチカする程の衝撃に怯んだ黒装束の攻防力が一時的に衰えた隙を逃さず、エステルの棍撃が男の左腕を鉤爪ごと打ち砕いた。

「ぐっ!」

 左手を複雑骨折した男は大きくエステルから距離を取る。アガットと対峙していた仲間と合流すると、戦闘力を削ぎ落とす切っ掛けを作った伏兵の小僧を忌ま忌ましそうに睨みながら密かに思案する。

 彼らはこの程度の負傷は意に介さずに死ぬまで戦い続けられるアサシンだが、その献身はあくまで真なる理想を実現する場合のみ。現在受けた損害はこのビジネスに設定された領分を越えている。

 このあたりが潮時と見切りをつけた黒装束は遊撃士に手打ちを持ち掛けるべく、今のイザコザでクローゼの元から離れた交渉材料に手を伸ばした。

「ひっ! あ、あなた達、一体何を?」

 突然、後ろから黒装束に羽交い締めにされたギルハートは、顔を青ざめさせながら悲鳴をあげる。

 人質の価値はないにしても、まさか仲間割れに近い形で逆に身柄を抑えられるとは想像だにせず。ついさっきまでの飼い主の手を噛んだドーベルマンの変わり身の速さに、エステル達は呆れて声も出ない。

「動けばこの女の命はない」

「ちょ、ちょっと、冗談は止め…………?」

 ギルハートの舌は、それ以上まわらなかった。軽く鉤爪を垂直に振り切るとポニーテールに束ねたギルハートの髪が解けて、頬にもツーッと一筋の赤い雫が垂れる。

 更には彼女の衣服が縦一文字に切り裂かれ、小振りの胸の谷間からお臍までが露出。ファスナーが壊れたスカートがストーンと落ちて恒例の縞パンが晒されるが、羞恥心を感じる余裕もなく呆然と惚ける。

「今のは威嚇だが、次は本当に首を斬り落とす」

「エステル、ハッタリじゃねえ。こいつらは目的の為なら女子供でも平然と殺れる外道だ」

 アガットから警告を受けたエステルは、歯噛みしながらも後退。修理用の出口まで距離を取った黒装束は、そこでギルハートを解放すると同時に灯台から脱出する。

「ちっ、ここまで来て、誰が逃がすかよ!」

 間髪入れずにアガットも非常口に飛び込む。窓から外を眺めると、マノリア間道を下って手負いの黒装束を追い掛けている姿が目に入った。

 エステルは自分も加勢しようか一瞬迷ったが、半裸でへたり込んで放心しているギルハートを何故か放置しておけず。制服の上着を脱いでそっと彼女の背後から被せてあげるが、共に騎馬戦を戦った仲として裏切られたような気分になり愚痴が零れるのを止められなかった。

「ギルハートさん、本当に残念だぜ。こんな酷いことをする人間だとは思わなかった」

「エステル君、あまり責めないであげて下さい。ダルモア市長が主犯である以上、先輩に選択の余地は無かったのですよ」

 スケベ心から自分がヨシュアに成し得なかったダンディズムな振る舞いを目の当たりにして、己が狭量さを密かに恥じ入りながらも憐れみの感情と共に学園の先輩を庇う。

 彼女は秘書としてそれなりに有能な人材だが、ダルモアからすれば替わりなど幾らでもいる。ましてやルーアンの大御所の市長に逆えば、首はおろか再就職すら困難になる。

 我が町のクラウス市長はもちろん、ボースで出会ったメイベルもあまりに好人物なのでエステルには実感が沸き辛いだろうが、一般庶民が権力者と敵対し一人で生きていける筈もない。エイドスに仇なす行為と知りつつも悪事の片棒を担ぐしか道は残されていなかった。

「それよりも、もうじき王国軍がやってくるみたいですが、この状況はまずいですよ。フォクトさんの証言もありますし、客観的に見繕えば今の先輩のあられもない姿はレイヴンから辱められた被害者で、供述次第では僕らを共犯に仕立てることも十分に可能です」

 その可能性を指摘され、エステルは思いを巡らせる。誤認逮捕の中でも痴漢冤罪は最も厄介な代物。ほとんどの場合は男性側の反証は無視し、被害者女性の一方的な証言だけで物的証拠もなしに立証が成立する。

 エステルにも遊撃士としての身分があるが、見習いの社会的信用度が今一つなのはボースで身に沁みている。ギルハートに開き直られて水掛け論に持ち込まれたら直ぐさま潔白を証明するのは難しい。

 結果、事情徴収で数日は拘禁されるのは確実。最終的に嫌疑が晴れるにしろ、そうなったらダルモア市長を追い詰める千載一遇の好機を逃してしまう。

「仕方がない。寄付金だけ回収して俺たちもこの場からトンズラするぞ」

 実行犯におめおめと逃走を許し目的の明証を得られなかったのは無念だが、寄付金奪回という最低ノルマは辛うじて果たせたので、証拠に関してはヨシュアの方に期待するしかない。

 ダルモア市長さえ逮捕されれば、追ってレイヴンの無罪も証明される。クラムの殴り込みの件といい余所の火の粉を浴びてばかりで気の毒だが、しばらくは牢屋暮らしで我慢してもらうしかない。

 百万ミラ分の現金を確保した二人は、この場を立ち去る前にギルハートに声を掛ける。

「先輩、良く考えてみて下さい。今は女性であるあなたの詐術が勝ち得たとしても市長の悪行が明るみになれば全て覆ります。そうなる前に自主的に自首すれば罪は軽く……」

「信じているぜ、ギルハートさん!」

 情理両面から説き伏せようとしたクローゼに対して、エステルは打算や謀のない掛け値無しの真実の一言を彼女の心に叩きつけ、ギルハートはビクッと身体を震わせる。

 時には百の理屈よりも、たった一つの熱い情念が人の魂を揺さぶる場合もある。自らの無粋さを悟ったクローゼは、それ以上言葉を投げ掛けようとはせずに灯台を後にした。

 

 バレンヌ灯台から脱出したエステル達と入れ違いになるように王国軍の兵士が殺到。彼方此方で酔い潰れているレイヴンの面々を拘束すると、拉致被害者と思われる半裸女性を保護し事情を伺ってみる。だが、彼女の口から出た言葉は灯台守の報告とは真逆で、兵士たちを困惑させる。

「ここに倒れている人たちは利用されただけで、何の咎もありません。マーシア孤児院を焼き払い、更には寄付金を奪った真犯人はダルモア市長。実行犯の手引きをしたのは、わたくしルーアン市長秘書のギルハート・スタインです」

 


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