星の在り処   作:KEBIN

66 / 138
学園祭のマドモアゼル(ⅩⅩⅡ)

 帝国客を心ゆくまで楽しませて、ミラを搾り取った寿司屋台に騎馬戦。公爵の財布をピンポイントで狙い撃ちした御布施劇。順風満帆に寄付金を掻き集めてきた学園祭のマドモアゼルが最後の『白き花のマドリガル』の主役公演で躓いて、思わぬ落とし穴に嵌まり込んだ。

 ある意味、今日一日ヨシュアが漠然と抱えていた不安が顕現化したといえるのだが、失ったのはミラではなくお金では買えない類の大切な何か。その刺客となったのは悪意ある敵でなく少女が心から信頼する友人。

 

「劇中で油断していたとはいえ公衆の面前で唇を奪われるとか、あの娘も随分と温くなったものね」

 触れるもの皆傷つけたナイフのような鋭利な触角を持ち、一部の隙どころか感情すら伺えなかったオートマタのような少女。

 それが、五年前始めた出会った頃のヨシュアに対するシェラザードの第一印象。丸くなったというか人間変われば変わるものだ。

「まあ、あの娘には良い薬かもね」

 シェラザードは軽く両肩を竦めながら、そう嘯いた。

 普段から思わせ振りな態度で多くの殿方を手玉に取り続けて、明らかに男という存在を甘く見ていた所があるので自業自得の顛末と言えなくもない。

 本来ならヨシュアのように彼方此方にモーションを振りまく情の多い女はもっと早く大火傷を負うものなのだが、男性側が思い詰めて野獣のように暴発しても大多数の非力な子女と異なり楽々と物理的に対処可能な戦闘能力があったので、今日まで自分の生き方を見つめ直す機会が与えられなかった。

 よりにもよって、エステルの目の前で咎を受けたことだけは些か同情しないでもないが。

「意外いえば、あんたもよね。もう少し取り乱すかと思ったけど」

 キスの瞬間は流石に驚いてはいたものの、その後オリビエは何事もなかったかのように何時もの飄々とした道化振りを取り戻している。

 幼女の接吻ですら血涙流して悔しがっていたのだ。自称未来の花嫁とやらなら発狂してのたうちまわりそうなものだが、オリビエは澄まし顔でボロローンとリュートを一曲献上する。

「ふっ、むしろ僕はあのプリンスを再評価したぐらいだよ。やはり男子たるもの女性を本気で口説こうと思ったら、あのぐらいの積極性がなくてはいけないよね。最初、マイブラザーの隣にいる彼を見かけた時はまだまだお尻に卵の殻が張り付いているヒヨコだと見縊っていたが、今こそヨシュア君を巡る僕の恋敵と認定しよう」

「はあ、さいでっか……」

 例によって懊悩とまるで無縁のオリビエの類まれな躁思考に呆れるが、その中には幾らか感嘆の要素も含まれている。

 ヨシュア曰くの『世界を丸ごと包める偉大な愛』の所有者のオリビエが単なる節操無しなのは疑いようがないが、女性の側にのみ身持ちの堅さを求めない態度は首尾一貫しており、その度量の広さには好感が持てる。

(赤い糸で結ばれた運命の相手と真っ先に出会えたら、誰も苦労はしないのよね)

 騎馬戦の落馬を切っ掛けに結ばれた幼馴染みの初々しいカップル(ニキータ&ジノキオ)を見かけたが、ありゃ幸福な部類だ。

 シェラザードのように生まれ落ちた環境が悪ければ、本人の意思才覚とは無関係に綺麗な身体でいるのが難しい場合もあるし、そうでなくとも男と女の関係は間違えなければ何が正しいのか見極められないケースがほとんどだ。

「まっ、そのあたりの機敏を今のエステルに求めるのは、まだ酷だろうけどね」

 本気でヨシュアを口説き落とすつもりなら、最大のライバルとなるのはオリビエが王子様と評した(※まさかクローゼの正体に気がついている?)可愛い坊やではないが、肝心の本命はその方面の経験値が絶対的に不足し過ぎている。この後三者の間でプチ修羅場的な展開が繰り広げられるのが容易に目に浮かぶので、シェラザードは思わず天を仰いだ。

 

 青春の若気の至りを、若輩のエステルやクローゼが上手く処理できないのは無理からぬことだが、中には齢を重ねた成人でありながらも目の前の情景を割り切れない人物もいたりする。

「ク…………クローゼが………………、私のクローゼが………………穢…………さ…………れ…………た」

 クローゼ坊やに無垢な理想像を重ね続けてきたユリア・シュバルツ中尉。濁ったレイプ目で何やらブツブツと呟きながら、リオンとルクスに両肩を借りている。

「中尉、しっかりして下さい…………というか、良い年齢の大人が接吻一つで再起不能にならないで下さい」

「へへっ、中隊長殿の貞操観念はきっと小学校低学年で止まっているんじゃないか? 今の衰弱した状態なら俺らでも余裕で勝てそうだな」

 これが黒髪娘に強引に唇を奪われたのなら、その憤りを怒りのエネルギーに変換出来たのだろうが、王太子殿下の仕出かした不意打ちでは言い逃れのしようがない。世俗の塵垢と無縁だと盲信していたクローゼが普通に性欲を持つ一端の男性であると現実にさぞかしショックを受けたご様子。

 クローゼもいつまでもユリアが望むような無菌状態の幼子でいられる筈もない。彼女がクローゼから一人立ちする為にもいずれは向き遭わなければならない壁なのだが、その洗礼を最悪に近い形で浴びたユリアは直ぐには折り合いがつけられずに自分の殻の中に閉じ籠もる。二人はこれ幸いと、隊長を引きずるようにジェニス王立学園を後にし、アルセイユへと帰還した。

 かくしてヨシュアに迫っていた危機が少女自身の企図によらず再三に渡って回避されるが、クローゼの方は自らの所業のツケを精算しなければならなかった。

 

        ◇        

 

「申し訳ありません、ヨシュアさん」

 他の役者を全員締め出した楽屋裏に戻って、二人っきりのスペースを確保してもらったクローゼは、土下座せんばかりの勢いで頭を下げて心から謝罪する。

 むろん謝って済む類の出来事ではないのは判っているが、他にやれることはなく、ひたすら平身低頭するのみ。血を模した染料で汚れた舞台衣装を纏ったままのヨシュアは、琥珀色の瞳で無感動にクローゼを見下ろしていたが、軽く嘆息すると頭を振る。

「気にしてない…………といえば嘘になるけど、私にも悪い所はあったと思うから」

 殊勝にも演技にかこつけたクローゼの暴走を攻めずに、ヨシュアは自戒をこめて、それだけを告げる。

 クローゼの想いを明確に知覚しながらも、エステルを含めた今のぬるま湯のような仲よしこよしに居心地の良さを覚えて、今日まで結論を先伸ばしてきたツケを支払わされた。

 色恋に限らず相手の真摯な想いには、はぐらかしたりせずに真面目に応えるのが世の礼儀。譬え現在の友情を手離す羽目になったとしても、きっちりとケジメをつけておくべきだったと今更になってヨシュアはかつての己の怯懦を悔やんだ。

「ただ、これだけは信じて下さい、僕は決して中途半端な気持ちだった訳ではないです。ヨシュアさん、僕はあなたのことが……」

「クローゼ!」

 ヨシュアは口調と表情に初めて苛立ちの感情を混めて、恐らくはこの後続いたであろうクローゼの告白を強引に遮る。

「クローゼ、私はあなたのことが大好きよ。だからお願いだから、あなたのことを嫌いにさせないで」

 敢えて冷やかにそれだけを言い捨てると、後ろを振り返ることなくヨシュアは退出し、クローゼはガックリと膝を落とす。

 『Like』と『Love』の好きという言葉の意味合いの決して踏み越えることができない境界線をまざまざと見せつけられる形となり、鈍い痛みを伴う心の痕を代償にして少年はまた一つ保護者が登ることが叶わなかった大人の階段を踏み締めた。

 

「なあ、ヨシュア……」

 楽屋の扉の前で待ち構えていたエステルは義妹と鉢合わせる形となったが、それ以上言葉が出てこない。

 舞台で起こったハプニングが彼の中でいまだに消化しきれておらず、まるで心の準備ができていない。ヨシュアは無表情のままエステルの脇を通りすぎようとしたので慌てて声を掛けるも、口から出た単語は自身ですら予想もしないものだった。

「初めてがクローゼで良かったじゃないか」

 あらゆる慰めのセンテンスの中から、よりにもよって最もヨシュアの神経を逆撫でする最悪の一言が紡がれる。ヨシュアはギリッと奥歯を噛み合わせて、ワナワナと肩を震わせる。

 朴念仁ここに極まりというか、魔獣相手に命懸けの鉄火場を何度も潜り抜けてきたエステルも、こっち方面の修羅場は皆無。傷心の少女を労るにはまだまだ人生経験が足りなすぎのだが、自分が地雷を踏んでしまったことだけは理解できた。

 物理的報復を覚悟し反射的に身構えたが、いつまで待っていてもヨシュアが手をあげる気配はない。

「初めてじゃないわよ………………馬鹿…………」

 ヨシュアは心底口惜しそうな表情で、ある意味では脳天から地面に叩き落とされる以上の衝撃的な一言を呟く。そのまま冷やかな瞳でエステルを一瞥し、忍者のように消失する。

 ポチャンと池に放り込まれた石ころがゆっくりと波紋を広げるように、ヨシュアの言葉の意味がエステルの胸の奥深くへと浸透していく。

(はじめてじゃない……って、それってどういう意味だ?)

 どうのこうの謳っても、ヨシュアは多くの男性と付き合ってきたのは疑いようがない事実。キスもおろか、その先も既に体験済みというニュアンスなのか?

 そう考えたエステルの心にチクリと針で刺されたように鋭い痛みが走り、思わず心臓病患者のように胸を抑える。

「何だよ、これ? さっきの真剣勝負の決闘で、どこか負傷したのか?」

 色んな意味で幼いエステルには痛みの正体が判らなかった。

 ただ、エステルが今日まで義妹と見做して一線を構えていたヨシュアを、無意識ながらもはじめて一人の異性として囚えた歴史的な瞬間だ。

 

        ◇        

 

 三人の少年少女が青春の謳歌をしている最中も、ジル達生徒会の主催の元に学園祭は最後の締めに突入。グランドでは来賓の父兄や帝国客を交えてのフォークダンスが行われている。

 オクラホマミキサーの音楽が掛けられ、学祭のみで使用する看板や仮設アーチなどの不要物を中央で燃やしてキャンプファイヤのように盛り上げ、人の輪を二重に型作りながら曲に合わせて踊り続ける。

 ペアとなった男女が一列に連なる。女子生徒が外来の男性客に両手を預ける形でステップを刻み、軽くお辞儀して別れると列を一つずらして男女共にパートナーを変更。

 ほとんど練習時間も取れなかった即席のダンスにしては、中々様になっている。現役のブルマ女学生とおててつないで踊れたという御褒美は帝国の大きなお兄ちゃん達にとって生涯忘れ得ぬ貴重な思い出となることは請け合いで、彼方此方から感涙の涙が零れている。

 

「……たっく、ヨシュアの奴、どこに姿を消したんだ?」

 武術素人のジルはシェラザード達のように接吻シーンを視認できた訳ではないが、その後の三人のギクシャク具合から薄々事情を察した。フォークダンスをキャンセルするのは致し方ないにしても、後夜祭の打ち上げで全校生徒に振舞うお寿司の方はヨシュアがいなくてはどうにもならないので探してくるようエステルは生徒会長から直々に依頼され、当てもなく校舎を彷徨い歩いて直ぐに途方に暮れる。

「あいつが本気でかくれんぼしたら、見つけられる訳がないよな」

 元々猫のように気紛れで気分屋の所があるので、もし拗ねたまま学園の外にでも飛び出されたのなら本当にお手上げだ。

 最近、ようやく遊撃士の自覚が芽生えてきたらしいヨシュアが、私情で皆が必死に築き上げていた学園祭を途中で投げ出すような無責任な真似はしないと信じたいが。

「…………って、いた?」

 予想外にもエステルはあっさりとヨシュアを探し出すのに成功。屋上で体操着姿に着替えた少女はセシリアのラストシーンのように仰向けになって熟睡している。

「おい、ヨシュア。寝ているのか?」

 不貞寝していただけの現実に軽く安堵すると、エステルは華奢な義妹の上半身を抱き起こして軽くペチペチと頬を叩いたが、ヨシュアが起き出す気配はない。

「こんな所でいつまでも寝ていると、風邪を引く……」

 至近から寝顔を覗き込んだエステルは、ヨシュアの桜色の唇とそこから漏れる艶やかな桃色の吐息にドキリと心臓を震わせる。

 手強い魔獣と遣り合った時にも味わったことがない未知なる緊張感が、武者震いとなってエステルの身体全体を駆け巡る。

「キスか。クローゼはヨシュアの唇に触れた時は、どんな感触だったのかな?」

 スケベ王で鳴らすエステルだが、スカート捲りは日常でも接吻体験はいまだ無し。小さい頃に二人の幼馴染みから両頬にキスされたことはあったが、デュナン公爵のアレなみにノーカンだ。

 柄にもなくヨシュアのフェロモンに惑わされたエステルは吸い込まれるように自分の唇を近づけたが、唇同士が触れ合いそうになった刹那、ハッと我に反る。反射的に大きく身体を離すとブンブンと大きく首を横に振った。

「いけねえ、いけねえ。何を考えているんだ。ヨシュアは俺の義妹なんだぞ。それを…………」

「意気地なし」

 ボソッと何かが囁かれると同時にパチッと琥珀色の瞳が見開かれる。ヨシュアが跳ね起きて、エステルは死体が蘇った時のユリウス並に心臓の鼓動をバクバクさせる。

「あ…………あの、ヨシュアさん…………もしかして、起きていらして…………」

「ううん、耳元でエステルが騒がしいから、今起きた所よ。それとも寝ている私に何かエッチなことしようとしていたの?」

 余裕を取り戻したヨシュアは琥珀色の瞳に悪戯っぽい光を称えながらクスクスと微笑む。エステルは慌てて首を横に振るが、先の所業が露見しているのは一目瞭然で赤面する。

 もしかすると、エステルが探しに来てくれるのを目立つ場所で待ち続けて狸寝入りしていてのかもしれず。屋上から炎を取り巻く二重の人の輪を見下ろしたヨシュアは、軽く伸びをするとエステルの腕を掴んだ。

「さてと、多分まだ塞ぎ込んでいるクローゼにも声を掛けて、私たちもフォークダンスに参加しましょうか、エステル?」

 先の一件を完全に吹っ切れた訳もないだろうが、ヨシュアは自分達が企画したクエストを最後まで全うする心構え。例によって体育座りで鬱モードに突入していたクローゼの意識を得意の一本背負いで強引に此岸へと引きずり戻すと「これで貸し借りチャラよ」と呟いて二人の殿方と連れ立ってフォークダンスの輪に加わった。

 こうしてエステル、クローゼをはじめとして、運の良い生徒、外賓の十七人の殿方が学園祭のマドモアゼルと手を繋ぐ栄誉を授かった。次は自分の番と意気込むハンスの一歩手前でまだ曲長に余裕がある筈のオクラホマミキサーが不自然に停止。フォークダンスは打ち切りになり、副生徒会長は地団駄踏んで悔しがった。

 この件に関しては放送室で曲目を仕切っていた現役の生徒会長が手を回したという陰謀説が囁かれたが、その動機については未だ解明されていない。

 

 かくして、至り尽くせりの数々の接待で帝国客を堪能させた学園祭は、円満にフィナーレを迎えた。

 来場者は思い思いの満足感を胸に秘めて、帰宅の途につくことになった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。