星の在り処   作:KEBIN

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学園祭のマドモアゼル(Ⅵ)

「えい! やあ! せいっ! とっとっと……」

 紫髪で高価な身なりの可愛らしい坊やが、野原で剣の鍛練に励んでいる。

子供用とはいえ自分の身長ほどもあるレイピアに振り回される様は見ていて微笑ましいが、剣の重さに耐えきれずにすってんころりんしてしまう。

「ううっ……」

「殿下。男子たるもの、人前でおいそれと涙を見せてはなりません」

「ユリア」

 二年ぶりに聞いた懐かしい声色に、どんぐり眼に溜め込んだ涙腺は嬉し涙に取って代わる。少年はオデコをぶつけた痛みも忘れ、細剣を放り捨てて声の主の胸元に飛び込んだ。

「あははははっ……、本当にユリアだ」

「壮健でございましたか、殿下。ユリア・シュバルツ。本日より准尉の辞令を得て、王宮に帰参しました」

 黄緑髪の若い女性は少年の両手を掴んで、メリーゴーランドのように振り回す。

 勧進帳のような堅苦しい言葉遣いでは、まだ七歳の子供には何のことやら判らないだろうと苦笑するが、生来の生真面目な性格に軍隊の規律厳しい寄宿舎生活が拍車をかけ、歯止めが効かなくなっている。案の定、少年は楽しそうに回転しながら、小首を傾げている。

 彼女は先週、士官学校を卒業し、王族守護を司る王室親衛隊に配属された。少年との姉弟の如き強き絆を考慮され、王太子専属の護衛兼教育係として一昼夜を共にすることになる。

「殿下の剣として仇なす敵を討ち滅ぼし、御身に危険が及びし時は生命を以て盾となる覚悟でございます」

 旧態依然の難波節の口上を少年は全く解せないが、再び姉代わりの女性と一緒にいられるのが嬉しくて溜まらずに破顔する。

「ねえ、ならユリアが僕のお嫁さんになったよ。そうすれば、僕達ずっと一緒にいられるのでしょ?」

 にぱーと一点の曇りのない少年の笑顔が、ズキュウウーンと女性のハートを直撃する。思わず頬が赤く染まる。この無垢な魂を汚さんとする悪あれば、自分は世界の全てを敵にまわしても怯むことなく戦える。

「お戯れを、殿下。私は何時までもお側にお仕えし御身をお守りすることが叶えば、それだけで十分幸せでございます。それ以上は賎しき身には恐れ多いことで何も望みません」

 

        ◇        

 

「では、これにて本日の実戦稽古は終了とする。三十分の休憩後、全員、持ち場に戻るように」

 王室親衛隊の朝は早い。まだ朝霧が立ちこめている王都グランセル。武術大会の開幕まで閉鎖されているグランアリーナを利用して、早朝訓練を敢行していたユリア・シュバルツ中尉は解散を宣言するが応答はない。

 彼女の中隊に属する五十人を数える隊員は皆、地面に平伏して息切れを起こしていた。

「返事は?」

「ふぁ…………はぁーい」

「腑抜けているな。なら鍛練を延長して、全員腕立て伏せ二百……」

「「「「「マム・イエス・マム!!!」」」」」

 ユリアが鞘に収めた長剣(バトルセイバー)を抜刀しかけたので、隊士たちは大慌てで立ち上がり、親衛隊式の最敬礼を施す。

「んっ、よろしい」

 示唆した得物を鞘に戻すと、ユリアは『蒼の組』の門から出て行く。中隊長の姿が消えると同時に再びぶっ倒れる。

「やれやれ、参ったな。本当に化物だぜ、うちの隊長殿は」

「俺達だって士官候補生として、エリートコースの狭き門を潜り抜けた精鋭の筈なんだけど、あの人は別格だよな」

 五人一組で次々にユリア単騎に襲いかかったが、悉く返り討ちに遇い死屍累々を晒す羽目になる。

 女性の身でありながら、かつて鬼の大隊長と恐れられた剣狐の神技の域にいずれは到達するだろうと、剣聖からお墨付きを貰っただけはある。

「けど、ユリア中尉。何だか最近イライラしているというか、えらく不機嫌じゃないか? 教練中、そこはかとなく剣にも殺気を帯びているし、憂さ晴らしの一面もあるだろ?」

「原因はほら、王太子殿下が庶民の体験学習で王都を離れたからさ。王立学園に籍を置いてから、もうかれこれ一年以上逢ってないから、流石にそろそろ限界がきたんじゃないか?」

 幼い頃から姉弟のような間柄で、何時も一緒にいるのが自然だった二人だから、寂しさもひとしおだろう。

 王族の身分はコリンズ学園長以外には秘匿されているので、親族とでも偽り何か適当な用事を言い繕って面会にいけば良いものを、堅物の中隊長殿は「殿下がご卒業あそばせるまでは」と自らを縛るので見ていて本当に不憫だ。

 

「「「「「「きゃあー、ユリア様ぁー!」」」」」」

「って、鬘を被った偽物じゃないの?」

「ちっ、しくったわ。本命はさっき裏口から抜け出したマントの主ね」

「A班、B班。目標は帝国大使館前を抜けて、グランセル城へ逃走する模様。王城前とキルシャ通り方面路を全面封鎖して、標的を袋の鼠にするように」

 グランアリーナの外から黄色い歓声と同時に、えらく物騒な会話が響いてきた。王都にファンクラブを構えるユリアの追っ掛けの女性たちだ。

 一昔前は近視眼の魔獣の群れとなんら変わらなかったが、よほどの知恵者が参謀に加わったらしく、今では下手な猟兵団(イェーガー)よりも行動が組織化されている。

 グランセル名物の追跡劇も日々ヒートアップしている。囮役のエコーに意識を惹き付けている中に地下水路内部の秘密の抜け道から王城に逃げ込んでいるのだが、この手で何時まで欺き通せるのやら。

 衛士達は隊長を尊敬していたし、王都を移動する度に望まぬ珍道に巻き込まれるユリアを気の毒に思っていたが、真に同情されるべきはこんな朝っぱらから満身創痍になるまで叩きのめされて、僅かな休憩後に夜遅くまで激務に就かなければならない自分らではないかと思い直した。

 彼らの健康、引いては王都の安全を守る為にも一刻も早い中尉と王太子の感動の再会を心待ちしていたが、その願いは意外な形で果される。

 

        ◇        

 

「ふうっ……」

 自分の執務室に戻って、人心地ついたユリアは軽く溜息を吐く。

 なぜ無骨な己などが、老若図問わず多くの女性から慕われるのか理解に苦しむ。エスカレートする彼女たちのストーカー行為は職務を妨げることしばしばで、有難迷惑と云う他ない。

「そもそも、どうして女人が同性に恋慕するのだ? 明らかに自然の摂理に反しておるではないか?」

 そう自らに疑問を呈してみるが、答えは出てこない。

 仕事一筋で齢を二十七も重ねて、その間浮いた話の一つも無く、この手の話題は苦手だ。実家の母親は娘の婚期を焦っているみたいだが、何も家庭に入り子を宿す人生だけが、女の幸せという訳ではあるまい。

「そう、私は殿下のお側にいて、お守りすることが…………」

 そこまで言いかけて、生涯仕えると定めた当主の不在を思い煩い、憂鬱な気分になる。専属のお付きの教育係から今では中隊を預かる隊長にまで出世した彼女だが、その忠誠心は未だ殿下の元にある。

「クローゼ」

 十一歳も年下の主の名前を呟く。デスクの上に置かれたデジタルフォトフレームのスイッチを押すと、中央の写真部分に焦がれ人の姿が表示される。

 このオーブメントはツァイス中央工房(ZCF)制で、複数の写真を保存することが出来、数秒単位でクローゼの姿が切り替わっていく。

 赤ん坊から七五三の園児の着物姿、更には入学前のユリアとのツーショットなど、ほぼ一才単位で写真の中のクローゼが成長していき、自然ユリアの顔が綻ぶ。

 どうやって入手したのか、つい最近撮られた制服姿の写真に切り替わった途端、トントンとドアがノックされる。ユリアは慌ててスイッチを切ると、液晶はダミーのシロハヤブサの写真に固定された。

「ユリア中尉、リオンとルクスです。お時間よろしいでしょうか?」

「入れ」

 入室を許可された二人の親衛隊員は軽く敬礼してから、早速本題に入る。

「中尉、先程、『ファルコン』が定時連絡から戻られて、こんな物を銜えていたのですが」

 やや躊躇った後、リオンは皺が入った写真を手渡し、ピクリとユリアの眉が動く。ファルコンとはルーアンにいるクローディアル殿下の行動を見届けて、その情報をユリアに送り届ける役割を帯びた工作員のコードネーム。

 お偲びで学生生活を送っている手前、大々的な護衛や監視をつける訳にもいかず、誰にも気取られることなく自然とクローゼを観察可能なボジションをキープできる有能な逸材が選ばれたが、ヨシュアのような隠密能力者ならともかく、学舎で生活するクローゼを万人に怪しまれずに盗視するなど人間に可能な業なのだろうか?

 写真を見たユリアの表情が険しくなる。どういう経路で行き渡ったのやら、大海原で例の白隼が銜えていたツーショット。ユリアのクローゼに対する過保護すぎる愛情を知り尽くしている二人はこの写真を見せるべきか真っ向から意見を対立させていた。

 だから、「お前たち、この写真をどう見る?」と無表情に問いかけられても、内心の動揺をひた隠して思いの丈を正直に告白するしかない。

「可愛い娘ですね。素性を隠したとはいえ、共学の学舎で殿下が女生徒から持てない筈はないので、ガールフレンドの一人ぐらいいても可笑しくはないですね」

「へへっ、俺様がみた感じじゃ殿下も満更じゃなさそうだし、この黒髪美少女が玉の輿に乗る日も近いんじゃないの? 幸い女王陛下は身分や家柄などの格式に拘る宮廷の重臣共に比べりゃ自由恋愛に理解が……」

「魔性の女だ」

「「はいっ?」」

 突如として少女の性根を断言したユリアに、二人は素っ頓狂な声を上げる。

「貴様らの目は節穴か? この写真から溢れ出る瘴気じみた邪悪な波動を感じ取れないのか?」

「瘴気ですか?」

 本当は「正気ですか、中尉殿?」と問いかけたかったが流石に堪える。

「そうだ、私には判る。あどけない笑顔で多くの殿方を拐かし、男を破滅へと導く毒婦がこの少女の本性だ」

 たかが写真一枚から、えらく酷い言い掛かりをつけられたものだと二人は今度は見解を等しくしたが、どんな忠言も火に油を注ぐ結果にしかならないので押し黙っていた。

 まあ、琥珀色の瞳の少女を良く知る者なら、ユリアの人物鑑定を是とするかもしれないが、以前、王宮にいた頃、侍女のシアが偶然クローゼとぶつかって頬を染めただけでもユリアは良い顔をしなかった経緯もあり、真の慧眼の所有者なのか単にクローゼに近づく少女は全てビッチで片付けられているのかは判断が難しい所。

 普段は王家への忠誠心に溢れて部下にも公平で思慮深い好人物のユリアも、こと愛弟か絡むとレンズが曇りまくる傾向があり二人は匙を投げる。ただ、本日予定されていた高速巡洋艦アルセイユの飛行訓練先をルーアン市に設定すると聞いた時には耳を疑った。

 確か今日は王立学園では年に一度の大イベントが催される日。外来にも門戸が開かれている学園祭ならクローゼを訪ねるにはうってつけのチャンスで、最高時速3600セルジュのアルセイユなら瞬く間にルーアンに到着可能。

 意固地のユリア中尉が予想外の形で王太子との再会を決意したのを二人は喜ぶべきなのだろうが、気になるのは黒髪の少女の運命だ。

 彼らが達観した通りの中隊長殿の誇大妄想であれば何ら問題はない。

 便利なキープくん扱いで異世界で死にそうな目に遭わせるとか、密かに辱めの写真を保持して同好の女子にばら蒔いていたりとか、多重債務者が乗せられる過酷なマグロ漁船に売り飛ばしたとかの悪事を働いていない限りは大丈夫だと思うが。

 

(待っていて下さい、殿下。幼少の頃よりの誓いを果す時節が参ったようです。御身を誑かそうとする不届き者をカシウス殿より授かった剣技(ランツェンレイター)の錆としてくれます)

 ユリアは腰の鞘にぶら下げたバトルセイバーを握る手に力を篭める。同時刻、王立学園のクラブハウスで模擬店の仕込みをしていた黒髪の少女の背中に、ゾクリと寒けが走ったらしい。

 


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