星の在り処   作:KEBIN

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学園祭のマドモアゼル(Ⅴ)

「待て、ユリウス!」

「勘違いするな、オスカー。姫を諦めたわけではないぞ。お前の傷が癒えたら、今度は木剣で決着をつけようではないか。幼なき日のように、心ゆくまでな」

「そうか。ふふっ、判った。受けて立とう」

「もう、二人とも。わたくしの意見は無視ですか?」

「そ、そういう訳ではありませんが……」

「ですか、姫。今日の所は勝者へのキスを。皆がそれを期待しております」

「……判りました」

 腰元に左手を回して、セシリアを自分の方に抱き寄せる。ウエストは呆れるほど細く、軽く力を籠めたら枯枝のように折れてしまいそう。胸元から白き姫の琥珀色の瞳が蠱惑的な色を讃えてじっとオスカーを見上げており、薄くルージェを塗ったピンク色の唇に思わず吸い込まれそうになる。

(胸がドキドキしている。僕は本当にセシリア姫の魅力に参っている。はて、自分はオスカー? それともクローゼだっけか?)

 クローゼの意識が混沌とする。ヨシュアのトランスとは全く別の意味でクローゼは蒼騎士オスカー役に異常シンクロし、今の自分が素か演技なのか峻別がつかなくなった。

「はーい、カット、カーットぉー!」

 クローゼの時間がフリーズしたので、監督のジルが台本を丸めたメガホンで助監督の後頭部を強打し、一端稽古を中断させる。

 停滞していたのはほんの数秒だが、舞台のクライマックスシーンでは僅かな逡巡が命取りとなる。カポーンという小気味の良い打撃音に、ようやくクローゼは我に返る。

「おいおい、またこの部分かよ? お前らしくもない。一体どうしたんだよ、クローゼ?」

「すいません、ちょっと考え事をしてしまいました」

 ヨシュアを除いた面々の中で最も秀逸なクローゼの同じ箇所での単純ミス連発をエステルは訝しみ、申し開きしようがない失態の連鎖にひたすら平謝りするのみ。

「どうして、クローゼ君が惚けていたか、何となく想像はつくけどね」

「んなことより、カットする度に一々俺の頭をぶっ叩くのは止めろよな。助監督の仕事は補助であって、監督の暴力を受けることじゃねえぞ!」

 たん瘤の山をアピールするDV被害者の抗議をジルは受け流す。朴念仁のエステルと違い、彼女にはクライマックスシーンでクローゼの集中力が乱れる要因は大凡見当がついたが、共同作業のお芝居をしている手前、監督役として見過ごせない。

「本番でやらかされても困るし、いっそ最後のシーンだけ脚本をチョコチョコっと弄くって、クローゼ君とエステル君の配役を変更して」

「いえ、大丈夫です。ご心配おかけしてすいませんが、二度と今回のような醜態は見せませんので」

 クローゼはパンパンと両頬を強く叩いて気合を入れ直すと、既存のシナリオでの続行をジルに訴える。

 ラストシーンをエステルにだけは譲れないという意固地な対抗心もあったが、それ以上に公私混同する不甲斐無い自分自身に腹を立てている。何事にも動じない鋼のように強い意志を持とうと由緒あるアウスレーゼの家名に誓いを立てる。

 

 それからのクローゼはヨシュアの無意識化の誘惑を撥ね除けて、きちんと己の役柄に没頭する。

 毎日の猛稽古は寮の門限無視で行われる。少しずつポテンシャルを解放していくヨシュアに引っ張られるように、皆の演技もメキメキと上達を続けて、ジグソーパズルはどんどん新しい絵図に塗り替えられていく。

 日々は瞬く間に過ぎ去って、学園祭の前々日。監督のジルを唸らせる上々の仕上がりで最後の通し稽古を無事に遣り終えるのに成功する。まだ本番まで二十四時間の猶予があるが、ヨシュア達の都合により翌日は完全休養日に充てられる。

 その日は授業もないので、一日爆睡して練習で溜まった疲れを癒すも良し。同じく稽古でおざなりにされたクラス展示やクラブの出し物に精を出すなど、休日の過ごし方は各々の裁量に任せられた。

 ただし、学祭前日は、運営を取り仕切る生徒会が徹夜作業で修羅場になるのと同様に、エステルとクローゼの二人にとって、ある意味ほんちゃんに匹敵する勝負の場に出陣した。

 

        ◇        

 

「ここが築地市場ですか。ルーアンに在住して一年近くなりますが、顔を出するは初めてですね」

 築地とはラングランド大橋を境とするルーアン南地区にある卸売市場の俗称。以前クローゼが市内を案内した時にレイヴンの介入でエステルに紹介し損ねた場所だ。

 大陸に無数ある卸売市場の中では規模は小さい方だが、漁師の寄合所だけあって水産物を専門に扱っている。生鮮品の品質と量ならボースマケットを遥かに凌ぎ、態々外国の業者も買い付けにくる程である。

 エステルと連れ立って築地デビューを果たしたクローゼは、早速競り市の独特の熱気に圧倒される。

 周囲のどこを見回しても魚介類で埋めつくされている。更には気が荒そうな漁師が外国のバイヤーと1ミラ単位の激しい値引き交渉で火花を散らす様は、庶民の生活臭というのをマザマザと感じさせる。

「ヨシュアさんは、良くこんな場所で地歩を築けましたね? 彼女のバイタリティの高さには、本当に感心させられます」

 彼方此方で売り物の生魚が剥き出しのまま山積みされて、所々に蠅もたかっており、悪臭と不衛生さに思わずクローゼは顔を顰める。

 高級感溢れる宮廷で長年生活してきた王子様にとって、目の前の光景は刺激的過ぎる。ルーアン住人でありながら、生臭い築地市場に足を踏み入れるのを躊躇ったのも判らないでもない。

「まあ、相手が染色体的にオスなら、誰だろうと仲良くなれる素質の持主だからな、ヨシュアは」

 田舎育ちで釣りを趣味とするエステルは生魚固有の臭みも別段平気で、試食の魚の切り身にちょくちょくと手を伸ばす。

 ヨシュアにしても魚料理で腸に潜んだ寄生虫を取り除く作業は頻繁なので、虫などの衛生状態で一々目くじら立てていたら到底料理人など勤まらない。

 このあたりが同じノーブルカラーの綺麗好きに見えながらも、完全温室育ちの王太子とアンダーグランウンドに精通している田舎娘の違い。全寮制のジェニス王立学園も比較的閉鎖された清潔な環境と言えるので、ブライト兄妹との付き合いは見聞を深めるという意味では有益に機能している。

 

「ほう、坊主。お前が嬢ちゃんお墨付きの釣り名人か?」

 ヨシュアから手渡された地図に従い、築地の再奥地に辿り着くと、いかつい漁師の集団に囲われ、中央の丸椅子に腰掛けた小柄な老人から値踏みの視線を受ける。

 この男は築地市場で長老と敬われる伝説の船乗り。生涯釣果数は百万を超えるという市場で最大の影響力を持つ人物だ。

「おう、俺がヨシュアの義兄のエステル・ブライトで、こっちは相棒のクローゼ・リンツだ。よろしくな、爺さん」

 場の雰囲気に気押されて萎縮したクローゼと異なり、エステルは物怖じせずにポンポンと長老の肩を叩く。

 作法に煩い上流階級の社交場と比べて、飲む、打つ、買う、をモットーとする海人(うみんちゅ)は細かい礼儀には割と無頓着。裏表のないエステルの態度は好意的に受け入れられている。

 ヨシュアも海の戦士たちから嬢ちゃんの愛称で可愛がられており、イケイケの遊撃士兄妹に比べたら弱腰な自分の方が小市民なのではと疑問に思う。

「内陸は比較的穏やかに見えるが、今は時化の時期で大海原は不漁が続いている。嬢ちゃんとの契約で最低二匹は釣らないといけねえが、やれるのか、坊主?」

「あたぼうよ、ロレントの太公望と謳われたエステル様に釣れない魚は存在しないぜ、爺さん」

「ふーむ、良い目をしている。エステルって言ったな? お前さんなら、アレを使いこなせるかもしれんな」

 自信満々のエステルに長老は目を細めると、漁師たちにアレを持ってくるように指図する。二人の大男が丸太ん棒のような物体を重そうに抱えてきた。

「これって、もしかしてロッドですか?」

 最低でも全長五アージュに達し、屈強な船乗りが二人がかりでしか持ち運べない質量を誇る規格外の釣竿に、クローゼは呆れ果てて言葉も出てこず、「武人は武具を知る」もとい、「釣人は釣具を知る」の諺通りに、一見で得物の価値を見抜いたエステルはゴクリと生唾を飲み込んだ。

『剛竿トライデント』

 良く撓り決して折れることのない超極太の本竿に、同じく絶対に切断されることがないワイヤーのような極太の釣糸と、更には永久に破壊されることなく『美臭』クオーツの如く巨魚を誘きよせるルアーが完全一式でセットになった幻の釣具。ゼムリア文明期のものと推測されるれっきとした古代遺産(アーティファクト)の一つ。

 今よりも高度な文明を維持していた古代人が釣りを趣味にしていたというのも驚きだが、その主用目的の無害さから七耀教会の回収を免れたという微笑ましい逸話まであったりする。

導力器(オーブメント)を使わずに人の身で、全長3アージュ、体重400kgを超える黒鮪を釣り上げようと思ったら、こいつを使うしかない」

 かつて長老も若い頃、剛竿トライデントで壱万を超える鮪を一本釣りしたそうだが、勇退後にこの剛重のアーティファクトを扱えた船乗りはいない。

「無茶ですよ。そりゃ怪力のエステル君なら、一人でも持ち上げること自体は出来るでしょう。けど、比率で考えたら、この大きさの竿で釣りをするのは色々と無理があります」

 常識人のクローゼが真っ当な意見を提出するも、長老は彼の狭い良識を笑い飛ばす。

「坊主、俺は見ての通り小兵で他の力自慢の漁師に比べて膂力に秀でていたわけじゃない。なら、なぜ、剛竿を扱えたか判るか?」

 それは、この竿が持主と定めた人間を自ら選ぶが故。

 剛竿トライデントは普通の釣人にとっては重いだけの欠陥品だが、竿が認めた主の掌では羽根のように軽くなるという、どこかのお伽話で聞いたような設定だ。

 尚、長老が引退した理由は、老いによる筋力不足で剛竿を持たなくなった訳ではなく、純粋な技量の衰えで三行半を突き付けられたからだそうで、中々にシビアなロッドだ。

「あるじを選ぶって。なんか、エクスカリバーの伝承みたいだな」

 クローゼと同じ感想を抱いたエステルは軽く舌舐りしながら、無頓着に竿の柄の部分を片手で掴む。剛竿トライデントは造作もなくエステルの手によって目の高さまで掲げられる。

 まるでヨシュアを抱き上げた時みたいに、不自然にエステルの掌には竿の重みを感じられず、剛竿トライデントは釣馬鹿大将を新しい主と認めたようである。

「おおっ、四半世紀ぶりに、新たな剛竿の担い手が現れるとは!」

 まるでエスクカリバーを引き抜いたアーサー王の伝承のように周りの漁師たちから拍手の洪水が巻き起こるが、当人のエステルとしては実に複雑な気分だ。

 噂にきく『太極棍』のような伝説の武具から選ばれたのならともかく、釣具に認められても職業選択の道を誤ったと訴えかけられているようで素直に喜べなかった。

 そんなエステルの内心の葛藤などお構いなしに、突然パシャパシャとシャッターのストロボが焚かれる。眩しいフラッシュの光にエステルを目を瞬く。

「よう、お前ら。姉弟揃って相変わらず面白そうな真似しているじゃないか」

 神出鬼没のナイアルだ。ブライト姉弟の現れる所、特ダネ有りと確信しているブンヤさんは、エステルとクローゼが築地市場に入っていくのを見掛け、こっそり後をつけたら幻の釣具継承の歴史的瞬間に居合わせた。

 伝説と謳っても所詮は釣竿なのでスクープという程ではないが、紙面の合間を埋めるゴシップネタとしては十分。エステルが黒鮪の一本釣りに挑戦すると聞きつけると、マグロ漁船への同行を強引に取り付けた。

 

        ◇        

 

「ううっ、うぷっ……」

「おいおい、大丈夫か、クローゼ?」

 長老の手持ちの小型漁船で沖合に出たエステル達だが、早速クローゼは海の洗礼を受ける。

 天候は黒雲に覆われ、吹き抜ける突風と激しい荒波に甲板は揺れ捲くり、船酔いしたクローゼは二回ほど吐瀉物を海に垂れ流して、エステルに背中を摩られている。

 意気揚々と乗り込んだナイアルは完全グロッキー状態で、比較的揺れが少ない船底の仮眠室で横になっている。まあ、スクープに不屈の闘志を燃やす男だけに、重要なシャッターチャンスでは必ずカメラを構えて出没するだろう。

「大丈夫です、エステル君。しかし、高速の飛行艇には馴れているつもりでしたが、海船の揺れは全くの別物ですね」

 強い足腰と優れた平衡感覚で、甲板に根を下ろしたように微動だにしないエステルと違って、乗り物酔いで三半規管が一時的に麻痺したクローゼは大揺れの度にパチンコ玉のようにデッキを盥回しにされ、今も船乗りの一人に抱き留められた。

「そりゃそうだろ、兄ちゃん。今日は一日漁だけんど、遠洋漁業の大時化の海はホンマに過酷だかんな。手のつけられない荒れくれ者の悪ガキも数カ月マグロ漁船で働けば、憑き物が落ちたように大人しくなるけんな」

 だとすれば、何時も暇そうに倉庫にたむろしている、体力だけは有り余っていそうなレイヴンの連中を纏めてマグロ漁船に放り込めば、ニートの更生に役立つんじゃないだろうか?

 そう真面目にエステルは考えるも、再び波風に翻弄されたクローゼがこちらに流れてきたので受け止めようとしたが、制服の内ポケットからヒラリと零れ落ちた何かを反射的に掴む。

「何だ、写真か。て、これは?」

「あっ、それは駄目です!」

 クローゼの悲鳴に反応するかのように。本日一番の突風が、エステルの手の内の写真を大空高く舞い上げる。瞬く間に、高速巡行中の船尾の彼方へと消えていった。

「見ましたか?」

 写真をロストしたことよりも、被写物の識別確認の有無の方がクローゼの懸念事項のようだ。彼の表情が青ざめているのは、体調不良だけが原因ではない。

「いや、拝見する前に風で飛ばされちまったから、良く判らなかったぜ。それよりも悪かったな。大事な写真を失くしちまって」

 目線を逸らししどろもどろになりながら、ヨシュア相手なら一発でばれるような下手糞な嘘をエステルは吐く。

 そもそも鉄の握力のエステルが迂闊にも写真を手離したのは、被写体の組み合わせの意外性に心の隙間を突かれたから。他人(ヨシュアを除く)を疑うことを知らない無垢なクローゼは、「なら、良いのです」と安堵の溜息を吐き出した。

 家宝の写真を紛失したのは痛手だが、被害は肌身離さず保持していた鑑賞用だけ。前回の教訓で引き出し奥の二重底に隠しておいた保存用と××用の二枚は無事なまま。

 けど、三種の神器ではないが、きちんと三枚キープしておかないと落ち着かないので、船を降りたら直ぐに焼き増ししておこうと堅実思考のクローゼは心に誓う。

(一体、どうなってやがる? 何でヨシュアがクローゼの奴と)

 ほんの一瞬だが、大陸南部の原住民に匹敵するエステルの超視力は写真の内容を鮮明に記憶に留めている。恐らくは紺碧の塔の屋上と思わしき場所で、制服姿のクローゼにヨシュアが仲睦まじく抱きついていた。

 義妹のプレイガール振りは毎度のことなので、その毒牙にクローゼが餌食になったとしても今更咎め立てする気はないが、問題はヨシュアが王立学園の制服を着ていたこと。

 つまり撮影日は例のお芝居のクエストが始まってからで、毎日の稽古で多忙なクローゼが紺碧の塔に足を運べた機会は、謎の急用で練習をキャンセルした一日しかない。

(本当にどういう経緯でこの写真は撮られたんだ? まさか、男遊び云々の与太話が真実で、この日はクローゼの当番とか言わないだろうな?)

 ならば、ヨシュアとクローゼの急激な親密度の変化にも納得がいかないこともないが、お芝居にかける皆の情熱を、二人が疎かにする筈はないとエステルは首を振る。

(止め止め、現状、二人はきちんと学園祭と寄付金集めの準備に熱心に取り組んでいるし、プライベートでどういう仲になろうと俺が口を出す筋じゃない)

 エステルは自分にそう言い聞かせて、得意の鳥頭に任せてこの一件を忘却しようしたが、クローゼとは別の意味で猜疑と無縁だったエステルの心の奥底に燻った火種はふとした切っ掛けで再燃する危険性を孕んでいた。

 

        ◇        

 

 男の分厚い友情の壁に微妙な亀裂を生じさせた一枚の写真は気紛れな風に運ばれ空中を彷徨い続け、真空スボットのような一時的な無風状態に浮力を失って海中へと落下する。

「ピューイー」

 写真が水浸しになろうとした刹那、一羽の鳥が急降下して水面すれすれで嘴で写真を空中キャッチし、ホバリングから急上昇。その鳥は全身が雪のように真っ白、白隼(シロハヤブサ)と呼ばれるタカ目ハヤブサ科の種族。リベールでは国鳥として崇められている。

 シロハヤブサは写真を銜えたまま円らな瞳で、どんどん小さくなっていくマグロ漁船の船尾を確認すると、再び吹き始めた偏西風に身を預けて内陸の方角へと姿を消した。

 


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