星の在り処   作:KEBIN

44 / 138
ヨシュアとクローゼの大冒険(おまけ)

「ところでクローゼ、身体の方は大丈夫なの?」

 アイナ街道のT字路で教授と別れ、ゆっくりルーアン市へ歩を進めながら、気にかけていた怪我の具合を懸念する。

 両足の火傷だけでなく、緊急避難の投げ技により、クローゼはHPゲージが真っ赤に染まった瀕死状態だ。ヨシュアは回復アーツを唱えようとしたが、蘇生術の副作用を恐れてか頑に拒まれた。その後どういう按配か、クローゼの両足その他の傷はゆっくりと癒え始めて、今では自力で歩行できるまで身体機能を回復させつつある。

「大丈夫ですよ。ヨシュアさんが『陽炎』を戦術オーブメントにセットしたように、僕には『治癒』のクオーツがありますので」

 そう宣言し、水属性の固定スロットに嵌められた真っ青なクオーツを誇示する。

 治癒の水属性クオーツには、時間経過と共にその名の通りに自然治癒を促進する効能がある。この方法でじっくり負傷を癒していけばアーツによる急速回復と異なり、身体にもほとんど反動をきたす事はない。

「多分、明朝までには体力が全快していると思うので、明日からの授業や稽古には支障はないです」

「そうなの、安心したわ。けど、只の学生さんにしては随分とレアなクオーツをお持ちのようね?」

 一般市民には縁がない戦術オーブメントを身に纏い、さらには町中の工房では合成不可能な特殊クオーツさえも所持する王立学園の生徒に、ヨシュアは意味ありげな視線を送る。

「そういう腹の探り合いは、もう止めましょう。ヨシュアさん、あなたなら僕の正体をご存じじゃないですか?」

「あなたの本名がクローディアル・フォン・アウスレーゼであることかしら?」

 韜晦や言葉遊びの駆け引き大好き少女が何か思う所があるのか。今回はいきなり話の核心から攻め入り、やはり見破られていた現実にクローゼは両肩を竦める。

 

 クローディアル・フォン・アウスレーゼ。

 リベール王国第二十六代女王アリシア二世の直系の孫に当たり、息子のユーディス夫妻が海難事故で他界した昨今、王位継承の第一候補である。公の社交場に顔見せすることがないので、市民レベルで彼のご尊顔を拝した者はおらず、お偲びで学生の身分を騙るのも可能。

「学園でも僕の立場を知る者はコリンズ学園長の他は、ハンスとジルさんの二人だけで、彼らも僕の素性を疑うのには半年はかかりましたけど、あなたは何時から気がついていられたのですか?」

「最初からと言いたいけど、確信を抱いたのは、あなたがデュナン公爵から逃げ出した時かしら?」

 かつて所属していた組織の『とある対象』として、クローゼの幼い頃の顔を覚えていたのだが、その事には触れずにデュナンとの確執だけを悪戯っぽく問いかける。

「あなたが公爵閣下と顔を会わせ辛い気持ちは良く判るわ。何しろ次期国王を巡るライバル関係ですものね」

 もっとも、アリシア女王がまともな人物鑑定眼の所有者なら、どちらが国王に推されるかは論争の余地すらないが、クローゼは軽く首を横に振る。

「お祖母様のことは心から尊敬していますが、僕は国王になんかなりたくないんです。それとお言葉を返すようですが、それこそヨシュアさんの欲目というか、僕のことを買い被りすぎですよ。宮廷内だけでなく、軍部にもリシャール大佐のようにデュナン叔父さんの後ろ盾となる人間もいますから」

 意外な次期国王レースの成り行きに興味を引かれる。忠誠心の塊の執事はともかく、公爵に肩入れする勢力とやらがデュナン個人のカリスマに心酔しているとは思えないが。もし、傀儡として利用するつもりなら、善良王子よりも馬鹿公爵の方が扱い易いのは確か。

(駄目よ。アレは私が先に目をつけて、きちんと根回しも済んだ大鴨なのに)

 ヨシュアは相当に身勝手な理由で内心憤慨しながらも、口に出しては友人への支持を表明する。

「クローゼが世継ぎになった方がこの国の未来は明るいと思うけど、あくまでもあなたの人生なのだから、私が横から口を挟む問題じゃないわね。王子様の身分云々を抜きにしてクローゼは学園中から慕われているし、私もエステルも素性を知った所で何が変わる訳でもないわ。だから、もう少し自分に自信を持ってもいいわよ」

「ありがとうございます、ヨシュアさん。あなたはまだ僕をクローゼと呼んでくれるのですね」

 彼にとっては国王の資質を褒められるよりも、雲上の地位の隔たりを知って尚、等身大の友達でいることを約束してくれた気遣いの方が嬉しかったので、本当に照れ臭そうに微笑んだ。

 こうして王位継承の第一皇子という肩書を明かしたクローゼの一世一代のカミングアウトはあっさりと流されて、二人はルーアン市内に辿り着いた。

 

        ◇        

 

「いやー、ありがとう。まさか、本当に全ての依頼を、きっちりとこなしてくれるなんて。やっぱりブレイサーというのは頼りになるねえ」

 待ち合わせ場所に指定されたグラナート工房。カルノーと再会したヨシュアは、大興奮した彼からあやうくキスの洗礼を受けそうになるが、クローゼが身体を張って阻止する。

 とはいえ、後少しカットが遅れたらヨシュアに柔術で投げ飛ばされただけなので、実際に彼が守ったのは少女の操でなくツァイス技術者の健康の方なのだが。

「いや、済まない。興奮するとキス魔になる癖が抜け切れなくてね」

 冷静さを取り戻したカルノーは、バツが悪そうに頭を掻く。ラッセル博士の技術助手を努めた経歴もある有能な研究員だそうだが、ツァイス工房はこういう変人の巣窟なのだろうか?

 今回の高難度クエストの達成で、推薦状の目処が立つBP(ブレイサーズポイント)を取得したが、次の修行場には若干不安を感じる。

「むむっ。この導力反応の測定値は……そんなまさか…………いや…………しかし……」

 例の傘状の計測器を手持ちのノートパソコンに接続したカルノーは記録された情報をディスプレイに表示し、グラフに示されたウェーブの形状に見覚えがあるのか軽く小首を傾げる。

「どうかしたのですか、カルノーさん?」

「ああっ、この反応はラッセル博士の調査に同行して、王都の地下……って、済まない。これは国家規模の重要機密なんだ。忘れてくれ」

 慌てふためく姿にヨシュアは好奇心をそそられ、魔眼を使って情報を吐き出させようか悩んだが、止めることにした。どんな仕事にも守秘義務というのは存在する。興味本位で内情を暴いた結果、依頼人の立場を悪くしでもしたら、遊撃士として本末転倒だ。

「それよりも、君たちの話は実に興味深いね。謎の異空間とそこに存在するロストテクノジーの数々か」

「はい、この蒼耀珠もその一つです。どうやら古代クオーツみたいで、私達の戦術オーブメントとは規格が合わないみたいなのですが」

 懐から取り出した蒼耀珠を、カルノーに手渡す。現場からの消失を実際に目撃したアルバ教授はともかく、証拠物品でも持ち帰らないことには第三者はこんな絵空物語など誰も信じてはくれまい。

 蒼耀珠の透き通る真水のような輝きと、スロット装着部分との独特のフォルムを確認した白衣技師は再び思考の淵に嵌まり込む。

「カルノーさん。また何か心当たりでも? あっ、いえ。機密保持が課せられているなら無理に答えなくても」

「いや、君はギルドの人間だから、こっちの方は話しても良いかな。実はエプスタイン財団が新型の戦術オーブメントを開発していて、ツァイス工房も研究の一端に関わっているんだ」

 カルノーは本来、導力銃の設計、開発をメインに手掛けているが、有能な技術者らしく、彼方此方から引っ張りだこで、ラッセル博士の探査チームへの参加からエプスタイン財団への技術支援、さらには今回の発光現象調査の単独派遣など様々な仕事を割り当てられている。

 彼の説明する所では、来年には実戦配備される新型の戦術オーブメントは、合計スロット数が七つに増え、さらには二段階にスロット自体の強化も可能という独自のアーキテクチャを採用し、今使っている現行品とは比肩できない高機能らしい。

(スロットが一つ増えて七個ね。一つのラインに三つのスロットを抱えられたら、使えるアーツも大幅に増えて、父さんは泣いて喜びそうね)

 そう期待するも、アーツ適正ゼロのカシウスのこと。意気揚々と新型を装着しても、五芒星(ペンタグラム)の形が、今度は六芒星(ヘキサグラム)に変化するだけで、別の意味で泣きそうな予感がする。

「カルノーさん。もしかしてこの蒼耀珠は、新型の戦術オーブメントなら使えそうなのですか?」

 聡いヨシュアはここまでの話の推移から、次に告げられるであろう重大な事実を先読みする。

「その通りだよ。その蒼耀珠は、開発中の新型に対応した新規格のクオーツに形状がそっくり……というよりも、構造が完璧に瓜二つなんだ」

 新型の唯一の欠陥として、長年普及してきた旧型との互換性を全く維持できない。最新鋭の戦術オーブメントが市場に出回れば、今工房で合成されている旧規格のクオーツは単なる粗大ゴミと化す。

 これは中々に有益な情報で、ヨシュアは例の異空間からたんまりとせしめたセピスを惜しみなく投入して、自分とエステルの未開封スロットを全開封する腹だったが、危うく無駄遣いする所だった。

 現在の所、セピスは買い取り専門で、ミラで販売している店舗はリベールにはない。入手経路が限定されるセピスの数には限りがあるので、新型が導入されるまでの間は手持ちのセピスは大切に保管しておいた方が良さそうだ。

「もし良かったら、蒼耀珠をこちらで預からせてもらえないかな? 財団の試作段階の新規格クオーツでも、合成可能な同一属性は(×8)までが限界で、水属性を(×12)も合成する術は、現状では存在しないんだ」

 やはりというか、このクオーツを作った古代人は、今よりも遥かに進んだオーバーテクノロジーを兼ね揃えており、新型オーブメントの完成でようやく現代科学も、古代ゼムリア文明の末端に追いつくことになるのだろうか?

「もちろんです。もとより、そのつもりでしたから」

 今のヨシュアが保持していても何の役にも立たないし、財団がこの古代クオーツの解析に成功すれば、導力魔法(オーバルアーツ)のさらなる発展も見込まれよう。

 ただし、クエストの査定(BPと報酬)に色をつけるのと、新型が完成したらきちんと蒼耀珠を返却する旨を、抜け目なく確約させる。

「はははっ。これほどの貴重品だし、やっぱり、寄贈はしてくれないよね? できればクオーツを割って、内部構造をじっくり調べたいのだけど、こういう契約なら納得してもらえるかな?」

 どうせ紺碧の塔にお宝なんて残されていないからと、クエスト中の拾得物の所有権主張の一文を特記事項に盛り込んでおかなかった不手際を悔やみ、もし、蒼耀珠を損壊しても、相応の新規格クオーツを代品として用意するという約定で実験許可を取り付けた。

 計測器を手渡し、棚からぼた餅の古代クオーツを巡る交渉も纏まる。あとは発光現象を納めた感光クオーツを渡せばクエスト完了となるが、今まで成り行きを静観していたクローゼが初めて口を挟んだ。

「ヨシュアさん、さっさと所有者のカルノーさんから許可を貰って、もう一個のフィルムを返して下さい」

「あっはっはっ。やっぱり覚えていたんだ」

 白々しく愛想笑いするヨシュアをクローゼは白い目で眺めたが、ことをなあなあで誤魔化されるつもりはない。

 八卦服に完全お色直ししたヨシュアには、当初予定していた痴漢冤罪による迎撃法は使えなくなったが、突如、表情を青ざめせる。

「しまった。あのフィルムは制服のスカートの内ポケットに納めたままだった」

「はあ? また、そんな口から出任せで欺こうたって、そうは問屋が……」

 腹黒娘の薫陶宜しく、本来、人を疑うことと無縁だったクローゼが嘆かわしくも猜疑心の塊に凝り固まっている。教育係のユリア中尉が純情坊やの変貌を知ったら、泣いて悲しむかヨシュアへの殺意を漲らせたかもしれない。

 ただ、肝心のヨシュアはクローゼの疑惑の眼差しを無視し、血眼になって八卦服のポケットというボケットを手当たり次第に弄り続ける。

「ないわ、そんな馬鹿な」

 さらに半狂乱になって、二人の殿方の前で八卦服を脱ぎ捨てようとしたが、両手でスカートを捲ろうとした所で、慌ててクローゼに引き止められる。

「やっぱり、どこにもないわ」

 へたり込んで途方に暮れる黒髪少女の姿を、クローゼは思量深げに見下ろす。ポケットの中身は全て全開で晒され、物理的にフィルムを隠せそうな場所は存在しないし、流石にこれは演技ではなさそうだ。

 となると制服の残骸と共に、あの忌まわしいフィルムも異空間に置き去りにされ、懸念材料は取り除かれたことになるが、ヨシュアはフィルムを諦めるつもりはない。

「クローゼ、今すぐ紺碧の塔に戻って、フィルムを回収に行くわよ」

「落ちついて下さい、ヨシュアさん。あなたらしくもない。もうとっくに異空間への出入り口は閉じちゃっていますよ」

「そんな、また発光現象が起こる一年後まで待たないといけないわけ? 私の……、王立学園女子生徒全員の夢と希望が……」

 ガックリと膝を落として、ヨシュアはさめざめと涙を零した。

 仮に執念深く来年再訪したとしても、鍵の役割を担うアウスレーゼの末裔が同行しなければ、異空間への扉は決して開かれることはないのだが。

「クエスト活動中に、何か重大な器物破損でもあったのかい? 申告して貰えたら賠償の対象として……」

「いえ、お気になさらずに。ジルさんのお古のジェニスブレザーと一緒に本当にしょーもないガラクタを紛失しただけですから」

 尋常でないヨシュアの身を案じたカルノーが心配して声を掛けたが、クローゼは何ら問題ない旨を非情に通達する。

 ただし、彼の手元にある仕事用のフィルムの中に、私用の写真が一枚だけ混じっているので、現像したらコッソリと手渡して欲しいとヒソヒソ声で囁いた。

(うふふっ、上手くいったわ。まだまだ甘いわね、クローゼ)

 カルノーに対応してクローゼが背を向けた途端、ヨシュアは嘘泣きをストップし、軽く舌を出す。例のフィルムは芸者のおひねり宜しく、密かにヨシュアの胸の谷間に埋め込まれている。どこのボケットを探しても見つからない訳だ。

 先のヨシュアの取り乱す様は真に迫っており、警戒していたクローゼが再度出し抜かれたのも無理はない。仮に見破られたとしても、初なクローゼにあの魅惑のデルタゾーンからフィルムをぶっこ抜くだけの度胸はあるまい。デリカシーゼロのエステルなら、躊躇なく乳房を鷲掴みしそうであるが。

 こうして異なる感光クオーツの扱いにお互いに内心で満足しながら、依頼人のカルノーに別れを告げて二人はグラナート工房を後にした。

 

        ◇        

 

「さてと、後はギルドに顔を出して、ジャンさんに報告すれば一連のクエストも終了ね。本当に長い一日だったわ」

「そうですね。けど、ヨシュアさん。この水のセピスは、本当に僕が貰っても良いのですか?」

 出納袋一杯に収められたセピスを、クローゼは顔の高さまで持ち上げる。水を司る聖域の紺碧の塔に縁があるだけはあり、例の異空間から水属性セピスが大量に入手したが、その大部分をヨシュアはクローゼに献上した。

「さっきのカルノーさんの話を聞いていたでしょう? あなたの戦術オーブメントはワンラインの上に水の固定スロットが多いから、新型を全開封するには馬鹿みたいに大量の水のセピスが必要になる筈よ」

 逆にヨシュアやエステルのスロットにはほとんど固定属性はないので、水は一定数キープしておければ、それで十分だ。

 

 工房でもチラッと話に出たスロット開封について説明すると、戦術オーブメントは出荷された時にはサービス開封された中央メインスロット以外は全て塞がれている。スロット属性に応じたセピスを使用して開封することにより、初めてスロットにクオーツを嵌め込むのを可能とする。

 無属性スロットを開封する場合には、大量の火水地風の下位属性セピスと、微量の時空幻の上位属性セピスをバランス良く揃える必要がある。

 火のセピスはなぜかやたらとこの属性セピスをコレクションしていたカプア一家の連中から強奪。水のセピスは今回の冒険で腐るほど入手。風のセピスは自分の固定属性開封で集めていたシェラザードから旅の餞別として余剰分を受け取っている。

 時空幻のセピスも異空間からそれなりの数を入手できたので、後は地のセピスを旅の間に意図して回収しておけば、全開封とはいかなくても新型を即戦力として使える程度のスロット数を開封可能。

 その時になったら、風セピスの再収集に迫られるシェラザードが自分が寄進した分のセピスを返却しろとか、しみったれたことを言い出さないかがちと心配だが。

 

「こんなもので、散々迷惑掛けた分の埋め合わせになるとは思わないけど、とりあえず受け取っておいて」

「ありがとうございます、ヨシュアさん。けど、迷惑だなんて思っていませんよ。そもそも、手紙の差出人があなたでなければ、僕はこの場所にすら来なかったですし」

「クローゼ?」

 意味深な供述をしたクローゼの表情をヨシュアは正面から覗き込み、クローゼの胸の鼓動が密かに高まる。

 お互いに庇い救われた異世界での命懸けの冒険奇譚や、今日一日のヨシュアの豊かな表情や艶やかな肢体を思い出したクローゼは、改めて自分が目の前の黒髪の少女に惹かれている事実を強く認識した。

「ヨシュアさん」

「なあに、クローゼ?」

 吸い込まれそうな琥珀色の瞳がじっとクローゼを捕らえ、土壇場になってクローゼは怯んだ。

「いえ、何でもありません」

 想いをハッキリと自覚しながらも、告白する最後の勇気を捻り出せず、曖昧に言葉を濁す。ヨシュアも、「そう……」と呟いただけで、深く追求しない。

 犯罪レベルに鈍感なエステルでなし、ヨシュアはクローゼの切ない気持ちを正解に知得していたが、この場は敢えて彼の怯懦に任せて有耶無耶で終わらせる道を選んだ。

 彼の想いに真摯に報いるなら、結局、返せる言葉は一つしかなく、その答えを躊躇なく伝えるにはクローゼは少女の心に近づき過ぎてしまった。これまたロレント一の悪女(シェラザード談)だった頃のヨシュアならまず有り得ない怯懦で、その意気地のない変化に本人が一番困惑していた。

 ただ、結果論で述べるなら、ヨシュアはクローゼの思慕に対して、この場でキッチリと決着をつけるべきだった。

 今日一日の色濃い体験の数々は、少年に少女との特別な絆を感じさせるには十分で、実際に錯覚ではなく二人の間には確かな心の繋がりが存在した。

 だからこそ、この先も心変わりする筈のない返事を柄にもない逡巡から先伸ばさなければ、『白き花のマドリガル』の白の姫セシリアと蒼の騎士オスカーとの恋物語も、また違ったフィナーレが有り得たかもしれないから。

 

        ◇        

 

「やあ、おかえり。ヨシュア君。ここ数日は、本当にご苦労だったね」

 ルーアン支部に顔を出すと、受付のジャンが真っ先に労いの言葉を掛ける。

 実際、一般人のクローゼに御足労かけた挙げ句、死を覚悟する程の窮地に幾度となく追い込まれたので、口先だけで慰められてもヨシュアの荒んだ心は癒されないが、謝意は推薦状の発行という実益で提供してもらう密約を既に取り交わしてあるので、当初の予想外の苦労の数々には目を瞑ることにする。

 前借りした陽炎クオーツを返却したヨシュアは、学園祭が終了したら自然な形でエステルにも推薦状を手渡せる口実を今のうちに考えておくようジャンに催促する。

 周囲が気を揉む程には本人たちは最短昇進記録に拘っている訳ではないので、別に急ぐ旅でもないのだが。ヨシュア自身はエステルの苦手の学舎生活での苦労に報いるサプライズギフトと考えているみたいで、クエストの片棒を担いだクローゼとしては些か面白くない。

(至れり尽くせりの万全のサポート体制って、こういうのを云うのだろうな。ヨシュアさんが望んだこととはいえ、本当にエステル君が羨まし……って、あの依頼は、もしかして?)

「ヨシュアさん、アレは?」

 再び芽生えた嫉妬心は軽い驚きに塗り潰され、クローゼは掲示板を指差して、そこに張られた新規の依頼書をヨシュアは覗き込んだ。

『ジェニス王立学園生徒会の臨時の役員を募集中。美人で頭が良いのに、実は性格が不器用で損な役回りをしている娘に限定。By ジル・リードナー』

「もう、ジルったら。生徒会って、今度は何を企んでいるのやら」

 依頼内容の文面を読んだヨシュアは苦笑する。頼みごとがあるのなら、女子寮で二人きりになった時にでもすればいいものを態々クエストの体裁を取るとは、どうやら一連の行動は全て親友の生徒会長に見透かされていたらしい。学園でのヨシュアの理解者は、ここにいるクローゼ一人というわけでもなさそうだ。

 

 長かったヨシュアとクローゼの珍道中は、これにてお開きとなる。翌日から舞台を再びジェニス王立学園の敷地内へと移し、今度はエステルや生徒会の面々も含めて、お芝居をはじめとした学園祭の様々な準備へと取りかかることになる。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。