星の在り処   作:KEBIN

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FirstChapter~ルーアン編~
導かれし者たち(Ⅰ)


 シェラザードが持ち込んだ、父カシウスに送られた謎のオーブメント。

 差出人のKは、カシウスの交遊関係が広すぎて見当がつかないが、R博士については、リベールが誇る天才科学者ラッセル博士のことではと、ヨシュアとシェラザードの見解は一致した。

 ツァイス市に近々帰還するエジルに預けて、博士に届ける案も囁かれたが、エジル自身が、「件の博士がラッセルさんと確定したわけではない」と慎重論を唱えたので、結局、肉親のエステルが保管することで落ち着いた。

 曰くあり気の一品であるのは確かだが、メモの文面上そこまで緊急の代物でもなさそうなので、二人の修行の旅がツァイスに辿り着くまで、この黒いオーブメントが日の目を見ることはないと思われていた。少なくとも、この時には。

 

        ◇        

 

「で、シェラ姐がトンボ返りでロレントに戻るのは良いとして、何でオリビエまで同行するんだ?」

 ボース国際空港。ちゃっかりとシェラザードの隣に佇むオリビエにエステルは呆れる。

「ふっ、そのシェラ君が僕にご執心でね。いやはや、もてる男は辛いというか。僕もそろそろ他の地方に足を伸ばしたいと思っていたから、彼女の提案は渡りに船なのさ」

 シェラザードから色香を交えて、「田舎町の良さを、あなたの身体の隅々にまで教えてあげる」と口説かれ、あっさり陥落した。

「お前、ヨシュアにアプローチしているんじゃなかったのかよ?」

「まあまあ、エステル。オリビエさんの世界を丸ごと包み込める偉大な愛は、そこらに転がっているチンケな恋情とはスケールが違うのよ。とてもじゃないけど、一人の女人が繋ぎ止めようなんて不可能よ」

 世間では普通そういう輩を単なる節操なしと呼んで蔑むが、物は言い様だ。このままシェラザードにオリビエを押しつけられれば願ったり叶ったりだからか、ヨシュアはやけに機嫌よくオリビエの多情振りをヨイショする。

「聞いたわよ、ヨシュアとの距離をたった5アージュ縮める為に、ぽんっと百万ミラを投げ捨てたんですってね? その切符の良さも素敵だし、何より謎を秘めた男性って惹かれるわよね」

 シャラザードはオリビエの腕を掴むと、蠱惑的な表情でヨシュアと同サイズの豊満な胸を押し付ける。正常なY染色体()の当然の反応として、オリビエは締まらない表情でふやけている。

(なんか妙だな)

 第三者視点なら、わらしべ物語を聞きつけたシェラザードが、オリビエをどこぞの大貴族のボンボンと見込み、玉の輿を狙って誑かそうとしているように映るのだろうが、エステルには違和感しか覚えない。

 姉貴分とは長いつき合いだ。「酒は飲んでも呑まれない」、「宵越しのミラと伴侶は持たない」がモットーの自由を愛し束縛を拒む生粋の風来人。

 シェラザードに限っては、単に金持ちというだけの良く知りもしない殿方に心を奪われることはない筈だが。

 このエステルの疑惑は正しい。彼女がオリビエを籠絡していたのには、実はある人物の思惑が絡んでいたりする。

 

        ◇        

 

「何よ、話しって?」

 アネラスの祝賀会の最中、店外に呼び出したヨシュアを面倒臭そうに催促する。

 彼女が気乗りしないのも無理はなく、元々この二人の女性は仲が良い訳でない。早く宴会場に戻って、無礼講で酒をたらふく浴びたくて仕方ないのだ。

「多分、居酒屋の安酒なんか、どうでも良くなりますよ。これを拝んでしまったらね」

 ヨシュアは懐から、一本のワインのボトルを取り出す。

「はあ、何よそれ? 飲みかけというか、ほとんど底に少ししか残ってないじゃない。そんなんじゃ食前酒にも……って、まさかそれは?」

「ふふっ、流石に気づいたようですね。シェラさんが狂おしいほどに所望していた、グラン=シャリネ1183年物です」

「あなた、その幻の逸品を一体どうやって」

 まるでパブロスの犬のように、シェラザードの口からツーっと涎が零れる。伽云々は酒の席のジョークだとしても、この超高級ワインへの執着心は本物だ。

「クエスト関係で色々あって、エステルと賞味する機会を得ちゃいまして。ご覧の有り様で『最初の一口』には程遠いですけど、きちんとワインセラーで保管しておいたので今なら風味はさして落ちていないと思いますよ。ぎりぎりグラス一杯分しか残っていませんが、シェラさんに差し上げます」

 ヨシュアはニコニコと微笑みながら、ワインのボトルを無造作に手渡す。

「ああっ、愛しのグラン=シャリネが我が手に!」

 貴族の好事家と異なり、味と香りが保証されているなら、初物に拘る気はない模様。テディベアを手にした時のアネラスに似た狂態ぶりで、すりすりとボトルに頰擦りすると急に真顔になって、ヨシュアに疑惑の眼差しを向ける。

「で、条件は何? 世の中、タダより高い物はなし。対価を聞かないとオチオチ受け取れないんだけど?」

 遊撃士らしい状況判断力と何よりも目の前の腹黒娘の人柄を顧みて善意のギフトの可能性を真っ向から否定したが、ワインのボトルを我が子のように両腕でぎゅっときつく抱き締めていて手放す意志は皆無。

「本当に話が早くて助かりますね。ちょっと長くなるけど、聞いてもらえますか?」

 

「ふーん、なるほど。確かにそのオリビエという男は異常ね」

 グラン=シャリネに纏わる逸話から、ヨシュアの口座の復活まで聞き終え、オリビエの思惑を訝しむ。

「百万ミラも貢いでもらって女冥利に尽きると言いたいですけど、本気で口説く気ならあれだけのミラがあれば他にいくらでも遣りようがあったと思うのです。ただ、あの道化ぶりが演技にも思えないので、良く分からなくて」

 対人鑑定眼に優れたヨシュアでさえ、彼の行動にあまりにも邪気がない為にオリビエの正体を図りかねる。

「判ったわ、それとなくその男に接触して、正体を探ればいいわけね?」

 ヨシュアはコクリと頷く。この後、二人はルーアンに旅立つ予定。この調子でオリビエにストーカーされても面倒なので、適当に理由を見繕ってロレントまで引っ張っていって欲しいと依頼される。

「こりゃまた、えらく高く出たわね。何か主目的は、あんたの愛人関係の清算のようにすら思えてきたわ」

 その疑惑は当たらずとも遠からず。ましてや、先行して五十万ミラを博打投資したリスクに対する正当な報償とはいえ、預金を倍額に儲けさせてくれた恩人に対して、ヨシュアの対応は無慈悲な厄介払い以外の何者でもない。

「まあ、いいわ。そいつがエレボニアの諜報員か何かで、万が一にもエステルに害を及ぼす存在だとしたら、見過ごす訳にもいかないからね」

 シェラザードのエステルに対する愛情は本物である。何よりも、このグラン=シャリネに当初想定していた代償を鑑みれば、帝国人の一人を拐かすぐらい楽な仕事だ。

「じゃあ、交渉成立ということで、これはあたしのものね」

「そのまま飲むつもりなのですか?」

 シェラザードはペロリと舌なめずりすると、グラン=シャリネを開封しその場でラッパ飲みしようしたが、ヨシュアに引き止められる。

「何よ、文句あるの? こういうのは飲める時にきちんと飲み干しておかないと次があるとは限らないのよ」

 食い物を手にしたら、他の強面に奪われる前にその場で強引にでも胃の中に押し込む。掘り出し物を見つけたら、誰かに買われる前に有り金どころか借金してでも必ず手に入れる。幼い頃の教訓から自然と身につけた彼女なりの人生哲学。

「今飲むという意見には、ある程度同意なのですが」

 この後、シェラザードがオリビエの懐柔に成功し、とんとん拍子で話しが進んだとする。オリビエという生粋のトラブルメーカーと一緒に定期船に乗り込んで、グラン=シャリネがロレントに着くまで無事で済むだろうか?

 普段は寛容なシェラザードだが、酒が絡むと容赦なくなる。恐らくは船内で帝国男性の無残な死体が発見され、華の遊撃士から一転、犯罪者に身を窶す羽目となる。

「折角だから、最高の雰囲気で賞味してはいかがでしょうか?」

 惨憺な妄想を心の内だけに押し止めると、ヨシュアは5000ミラの紙幣を差し出して、チップのようにシェラザードの胸の谷間に押し込んだ。

「何よ、これ?」

「私見ですか、グラン=シャリネに一番合う逸品は、トリフを乗せたロッシーニ風のフォアグラのソテーだと思います。アンテローゼのロッソ料理長に頼めば作ってもらえますよ」

 気配りの達人のヨシュアとしては、残りグラス一杯分のグラン=シャリネを最も効率よく味わえる方法を伝授する。

「確かにワインだけというのも、味気ないからね。今回はあんたの至れり尽くせりに甘えるとしますか」

 エステルに漆黒のオーブメントを手渡し、可愛がっていた後輩のアネラスに祝辞も述べてきた。居酒屋キルシェでの用件はほぼ終えたので、棚ぼたの最高ワインとディナーを味わいにアンテローゼに足を伸ばそうとしたが、ふと最後に気になったことを尋ねる。

「『定期船失踪事件』の高難度クエストを解決した件は聞いたわよ。一ヶ月、それもたった一つのクエストで推薦状を貰ったのは、地元以外じゃあまり前例がないみたいね。まあ、あんたがデウス・エクス・マキナした結果なんだろうけど」

「実はそうでもないのですよ、シェラさん」

 シェラザードは、腹黒チート娘が機会仕掛けの神を降臨させ、全てを強引に終わらせたのだろうと睨んだが、ヨシュアはエステルが果たした類まれな役割を誇らしく解説する。

 カシウス二世として隔離を抱いていた正遊撃士たちとの垣根を見事に取り払い、ギルドを一丸に纏め上げて、クエストを成功へと導く。

 その後も多額の報酬に心奪われることなく、功労者全員に還元し(※これ自体はヨシュアのアイデアだが)、さらに周りの評価を高めたのは推薦状入手後の態度。

 ロレント時の性急な反応から、真っ先にルーアンに向かうものと思い込んでいたが、エステルは敢えてボースに留まり、大して稼ぎにならない掲示板に復活した小口のクエストをこなし始めた。

 今までバイト三昧で、あまり市から離れられなかったので、ルーアンに渡る前に、きちんとボース全土を己の足で歩いて確かめたのだ。

「なるほど、それであんた達はまだボースに滞留していたわけね。それにしても、変われば変わるものね。あのダボハゼみたいな性分だったエステルがねえ」

 目先の欲望に囚われがちだった弟分の見違えるような成長ぶりに、シェラザードは目を見張る。

「己の決断が功を奏し、苦難に見合うだけの目に見える成果を残して、多くの人達から活躍を認められ、生活の全てが充足している。まさしくエステルは、今がブレイサーとして一番楽しい時期でしょうね」

 今更ヨシュアに諭されるまでもなく、シェラザードも痛いほど良く判っている。遊撃士に限らずどんな職業であれ、努力が結果に直結する時ほど人生に幸福を感じ取れる瞬間はない。

 しかし、風水に紐解くまでもなく、世の中の陰陽は絶妙なバランスで成り立っていて、幸せな状態は永続しない。果たせない約束。救えなかった生命。目の前の悲劇を、ただ指を銜えて傍観するしかない歯がゆい無力感。

 遊撃士は神でも万能でもない。世界中に蔓延する不幸に対し、差し伸べられる救助の手は限られている。

 いつかはエステルも、かつてシェラザードやエジルら正遊撃士が直面した、絶望にも似た過酷な現実と嫌でも向き合うことになる。その審判の日までに、エステルが現実と折り合いをつける術を身につけていれば良いが、最悪の場合、遊撃士そのものを放棄する深刻なダメージを負いかねない。

「そういう意味では、今のエステルに必要なのは更なる成功の上積みでなく、むしろ取り返しがつくレベルの失敗かもしれないわね。エステルが挫けた時に、あの子を支えてあげるのは、ヨシュア、あなたの役割よ。その為にあんたの力量からすれば退屈な旅に、態々同行しているんでしょ?」

 確信を込めたシェラザードの質問に、ヨシュアは無言を貫く。彼女が過信してくれる程には、自分がエステルにとって不可欠な存在であるという自信を持ち合わせていない。何よりも本当に支えられているのは、果たしてどちらの方なのだろうか?

 それでも、ヨシュアはどこまでもエステルの旅路の道連れとなるつもりだ。

 それが、五年前に虚ろな人形に魂を吹き込んでくれた少年に対して、少女が成し得るたった一つの恩返しなのだから。

 

        ◇        

 

 シェラザードとオリビエは定期船でロレントに移動する。エステルとヨシュアの兄妹はアネラスやエジル達に別れを告げ、反対方向に歩を進めた。

 空の神(エイドス)によって定められた運命の八人の中の半数が一時的に出揃ったが、またしばしの別れとなる。この四者が人数を倍にして再合流を果たすのには、まだ幾ばくかの時間が必要となる。

 いよいよルーアン地方へ旅立つ為に、西ボース街道とクローネ山道を渡り歩いた二人が関所に辿り着いた時、既に日が落ちていた。

 

 新天地で新たな導かれし運命の者たちと巡り逢うことになる。

 


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