星の在り処   作:KEBIN

138 / 138
攪乱するグランセル(ⅩⅢ)

「本当に生きていると退屈しないわね。現実は何時だって私のちっぽけな思惑を捻り潰してくれる」

 フィリップに脅しをかける単なる小道具としてエステルに持たせたクローゼの予備のレイピアが、まさか王冠争奪を巡る武具として用いられるとは想像だにせずにヨシュアは軽く両肩を竦めた。

「閣下、その本気で王太子殿下と決闘を……」

「無論じゃ。だから、お主は手出し不要じゃぞ、フィリップ」

「御意に」

「それと小娘、私が勝ったら先のフィリップへの非礼は詫びてもらうぞ」

「ええっ、土下座でも裸踊りでも何でもしてあげるわよ。ただし、あくまでもクローゼに勝てたらの話ね」

「ぐっ、今に見ておれよ、小娘」

 左手をヒラヒラさせる少女の琥珀色の瞳に明らかに揶揄する色が浮かんだので立腹したが、この場はぐっと堪えてウォーミングアップに努める。

「マジに馬鹿公爵をクローゼとサシで戦らせる気かよ、ヨシュア?」

 本来ならこういう漢同士のタイマンには合理主義者の義妹よりも熱血兄貴の方に理解がある筈だが、対戦カードが異色すぎるので控えめに疑問を提示する。

「公爵さんから言い出したことだし特に止める理由もないわね。何よりも両軍大将による一騎討ちには大きな利点があるわ」

 戦争という形を取ればどちらが勝とうと夥しい量の血が流れるが、代表者による頂上決戦ならば犠牲となるのはデュエリストのどちらか一人。故に白の花のマドリガルでも二人の騎士は親友同士で雌雄を決しようとした。

「この敗北で公爵さんが納得してくれるなら、むしろ僥倖ね。いずれにしても現国王のアリシア女王の意志を無視しているのだけは問題だけど」

「判りました、ヨシュアさん。そういう事なら争いは好みませんが、この決闘を受けて立ちます」

 クローゼはそう覚悟を決めると、独闘に精を出す公爵の姿に意識を注ぐ。多少なりとも剣狐から宮廷剣術を指導されていたのかと思いきや、お尻を大きく後ろに逸らしたへっぴり腰で剣を振るう姿はズブのド素人。握手に託つけたヨシュアの掌診断でもアマチュア確定しており、もし猫被り娘のように実力を偽っているならかなりの大人物だが、それは買い被りの模様。10回ほど素振りを繰り返しただけで既に息があがっており、全身からガマガエルのような大量の脂汗が滲み出る。

「ふう、熱い、熱い」

 公爵は高価な絹の上着を脱いで上半身裸になる。衣服の下には鋼の筋肉が隠されていたなどというベタなオチはなく、汗でギトギトに滑ったブヨブヨの肉塊が露出する。

「上手い料理を鱈腹食って寝ての典型的な脂肪太りか。自分に甘い性格が伺えるな」

 エステルもジャンクフードが好物の大食漢であるが、修行好きの上に体脂肪率10%未満の筋肉が寝ているだけでもカロリーを大量に消費するので、その身体には贅肉の欠片も伺えない。

「クローゼ、怪我させないように気遣ってやれよ」

「判っています、エステル君」

 クローゼとデュナンには2倍近い体重差があるが、ウェイトが物を言うのはあくまで筋量に隔たりがある場合のみ。脂肪をいくら身に纏った所で何の驚異にもならず、ましてや剣同士の闘いになれば、無手格闘ほどには体格差は問題視されない。

 男二人は勝利を規定の未来として戦後処理の打ち合わせに入ったが、ヨシュアは公爵の裸体を値踏みするように眺めている。

「どうした、ヨシュア?」

 ピザ中年のセミヌードは到底女性の鑑賞に耐えうる代物ではないので、てっきり恒例の養豚所の豚を見るような目で蔑むのかと思いきや、ヨシュアは見惚れているように思える。

「おいおい、まさか」

 以前、似たようなシチュで爺萌えと勘違いした経緯があるので、「実はお前、デブ専なのか?」と茶化す言葉を何とか堪える。実際にエステルの対応は正しく、またしても武術的なお話だった。

「これは、もしかすると手子摺るかもしれないわね」

「はあ?」

 エステルは素っ頓狂な声をあげると、タラリと冷や汗を流す義妹を懐疑的な瞳で見下ろす。敵の防御策の読み違えに続いて予期せぬ王族同士のデュエルと最近の腹黒参謀の予言は空回りしてばかりなので、とうとう少女自慢の合理的な思考フレームにもヤキがまわったかとエステルは思っていた。あくまでも、この時には。

「それじゃ、これよりデュナン公爵とクローゼ……いや、クローディアル殿下との決闘を始めます。両者構え、始め!」

 公平な立会人としてエステルが号令をかけて、剣を構えた二人の王族による骨肉のバトルがスタートした。

 

「ぬわわあああ!」

 公爵はしっちゃかめっちゃかに剣を振るうが、スピードは遅く動きも直線的な上に予備動作も大きいのでクローゼの目からはテレフォンそのもの。カウンター気味に自分のレイピアを公爵の剣に絡めて一気に振り抜くと、剣は公爵の手元から大きく弾かれた。

「おいおい、開始5秒で決着かよ?」

 やはりヨシュアの思わせぶりな態度は単なる取り越し苦労の模様。予想以上の瞬殺劇にエステルは肩の荷を下ろし、剣を喉元に突きつけて死命を制したクローゼは降伏勧告する。

「降参してください、叔父さん。できれば怪我をさせたくありません。それに武器がなければもう戦えないでしょう?」

「ぬうう、舐めるな、小童(こわっぱ)が。剣がなくとも、この二つの拳があるわあ!」

 剣による決闘を示唆した癖に、何時の間にかバリートゥード(何でもあり)に種目が変更される。ただし、この場合は公爵の往生際の悪さを呆れるよりも、根性なしの彼が最後まで勝負を諦めることなく見せた不屈の闘志を讃えるべきか。両腕を競泳のクロールのように循環させながら襲いかかる。

「あれは回転式拳法(ぐるぐるパンチ)。作戦、戦法、戦略、効率など一切の(はかりごと)を捨て去って純粋な感情をぶつける、恐らくは人類最古の最終兵器……」

「言っていて虚しくならないか、ヨシュア?」

「……ええ、少しね、エステル」

「意味深な台詞を吐いた手前、引っ込みがつかないのは分かるけど、無理に盛り上げようとしなくてもいいからさ」

 口惜しそうな黒髪少女の頭をポンポンと叩くと、再び戦闘に目を向ける。ポカ、パカという牧歌的な打撃音を残して公爵の拳が何発かヒットするが、低防御力のクローゼをしてダメージを受けた様子は全く見受けられず。この子供の喧嘩を決闘と称するのは無理がありすぎる。

「たっく、痛ましくて見てられねえな。もう終わりにしてやれ、クローゼ」

 エステルの催促にクローゼはコクリと頷くと、一本突きの態勢でレイピアを構える。鳩尾を突いて一撃で意識を刈り取ろうと、水月を強打したが。

「えっ?」

 何が起きたのか? グニャという妙な擬音がしたかと思うと、何時の間にかクローゼは後方に吹き飛ばされている。まさか公爵にクローゼの攻撃が跳ね返されたとでもいうのか?

「くっ、ならば」

 クローゼは今度は本気で剣を構えて、解除クラフト『シュトウルム』で連続で剣撃を公爵の身体の中心線に叩きつける。解除効果とは無関係に単純に彼の手持ちの戦技の中で一番高威力な技なので選択したが、まるでゴムのような弾力で全ての衝撃が吸収された。

 

「やはり私の見立ては正しかったわね。あれは一万人に一人の資質を持つ者が人智を超えた暴飲暴食の果てに辿り着くといわれる脂肪遊戯(キングオブハート)。あの幻の肉体を持つ者がこの時代に現存するとは驚きね」

「一応は突っ込んでやるが、何なんだよ、ソレ?」

 ようやく解説魔の面目躍如の機会が訪れ、ヨシュアは水を得た魚のように知識を披露する。

 エステルやジンのように過酷な修練によって剛の肉体を造り上げた者は武の世界に五万といるが、堕落の境地によって柔の脂肪を産み出した者は歴史上でも数える程しかいない。脂肪の鎧が緩衝材となり、あらゆる攻撃を無効化してしまうので、対物理においては無敵に等しい防御力を誇る。

「なんか凄えんだか、凄くないのか良く分からない奥義だな」

「今時の若い子は体型を気にして体脂肪や高カロリーを忌み嫌うけど、実はそう馬鹿にしたものじゃないのよ」

 アザサシなどは分厚い皮下脂肪のお陰で寒さも減っちゃらで、飢えてもしばらくは持ち堪えられる。もし飲まず喰わずの飢餓状態に追い込まれたら脂肪燃焼効率の良すぎるエステルは三日で餓死してしまうが、公爵は脂肪に蓄えられた栄養分で一週間は生命を繋げるので、実は箱入り公爵の方が遊撃士のエステルよりもサバイバルに強いことになる。

「よーするに、クローゼの剣じゃ公爵さんには一切ダメージは与えられないということよ。仮に対戦相手がエステルだったとしても、物理である以上は結果は同じでしょうね」

 ヨシュアの説明に二人は唖然とするが、それ以上に驚いているのはデュナン公爵本人である。当人は自分の特異体質など知る由もなく、引くに引けない事情からある意味自暴自棄で挑んだバトルだったが、勝算があると知って常の傲慢さを取り戻した。

「ぬっふふふふ。どうやら形成逆転のようだな、クローディアル」

 小太りの公爵の身体が河豚(ふぐ)みたいに大きく膨れ上がったように錯覚し、クローゼを怯ませる。公爵の肉体改造はどれほどしょーもない分野でも、人並み外れて突き抜けられれば一芸を極められるという稀有な成功例に属するのだろうか?

「くっ、打撃が駄目なら斬撃で切り刻むまで。叔父さん、悪いですが、少し血を見てもらいますよ」

 気を取り直したクローゼは剣を横に捌いて、肉塊を切り裂こうとしたが、全身を覆う脂ぎった汗に阻まれて剣は表皮を滑った。

「なっ?」

「対物理においては無敵と言ったでしょ、クローゼ。私や執事さんみたいな物理防御力(DEF)を無効化する特殊スキルを持たない限り、公爵さんにダメージは与えられない」

「ぬおおおお!」

 自身の防御性能に自信を抱いたデュナンは無防備に突進する。クローゼは迎撃しようとするも全ての剣撃は弾かれて、マトモに体当たりを食らい壁まで一気に押し込まれる。

「かはっ!」

 公爵の打撃に殺傷力はないが、全体重を乗せてコンクリート壁にサンドイッチされれば話は別。クローゼの口から血が零れる。危うく意識が飛びかけたが、何とか正気を維持して距離を取る。

「クローゼ!」

「不味いわね、今ので肋骨に罅が入ったみたいよ」

「大丈夫です、エステル君、ヨシュアさん。僕はまだ戦えます」

 口元の血を拭ったクローゼは儚げに微笑んだが、膝は震えて足元をふらつかせている。細身のクローゼにはかなり堪えているようで、後二、三発食らったら戦闘不能は必至。

「中々に厄介ね。絶対防御と謳っても人体なんて急所の固まりだから、レイピアを目に突き刺して眼球を抉るとか、股間を蹴りあげて睾丸を潰すなり色々と遣りようはある筈だけど、線が細い王子様にはそういう芸当は無理でしょうし」

「いや、それ、俺にも出来ねえから。というか本当におっかねえこと言うよな、お前」

 エステルは冷酷な物の怪を薄気味悪そうに見下ろす。義妹はこの旅の間に色々な情緒を学んできたが、決してその本質が変化した訳でない。必要とあれば目潰しや金的のようなエゲツナイ真似も躊躇なくこなせる。

「けど、このままだとクローゼ、マジにヤバイのか?」

 消化試合と思われた王族対決の勝敗の行方が迷走し始めたのでエステルはハラハラするが、クローゼの敗北に貞操の一部が賭かっている少女の顔には焦りはない。

「ピンチには違いないわね。けど、こう言っては何だけど、ここで戦闘素人の公爵さんに不覚を取るようなら、とても激動のリベールを任せられる器ではなく、アリシア女王の見込み違いということになるけど」

「そうだな、ヨシュア。俺たちの旅の仲間のクローゼはそんなにヤワじゃないよな」

 エステルは親友への信頼を取り戻す。クローゼもまたエイドスに選ばれた八人の導かれし者の一人なのだから。

 

(どうすれば良い?)

 焼きつくような胸の痛みを堪えながら、クローゼはひたすら思案する。確かなことは今の手持ちのクラフトにはデュナンに通じそうなカードは一つもないという過酷な現実のみ。

(きっと、僕は心のどこかで叔父さんのことを見下していたんでしょうね。だから、あの人に追い詰められた絶体絶命の状況にショックを受けている。何も持たないのは叔父さんでなく、僕の方だと言うのに……!)

 この時、クローゼは常日頃からアリシア女王から口酸っぱく諭されていた言葉を思い出した。『まずは自分の弱さを認めて、そこから全てが始まる』のだと。

 人は容姿、才能、家柄など生まれ持ったプロパティは全て異なるが、他者に比べて劣った自分を嘆いた所で現実は何も変わらない。

 それは人でなく国でも同じこと。個人としては高い水準に属するアリシア女王やクローゼも、リベールという小国の国主の地位に封じられた瞬間に他の大国に比べて足りない自国を省みなければならない。

 人口が少ない、兵力に乏しい、国土が狭いなど数え上げれば切りがないが、そんな現状に愚痴を零した所でどうにもならない。今ある現実を受け入れた上で知恵を絞り対策を練るしかない。

(そうだ、考えろ。剣が全く通じない今の僕に打てる手は……!)

 利発なクローゼが正解に辿り着くのに、そう時間はかからなかった。クローゼは無用の長物と化したレイピアを放り捨てると、印を組んだ。

「自力で気がついたわね、クローゼ」

 この瞬間、勝利を確信したヨシュアは内心で密かに安堵する。解は真に単純。何度も腹黒娘が会話にヒントを散りばめていたように物理が駄目なら導力魔法(アーツ)で攻めれば良い。クローゼは身体を青色に光らせて水属性アーツの詠唱に入る。

「ぬっ、クローディアル、貴様!」

「剣の勝負を破棄したのは叔父さんの方ですから、僕も遠慮なく遣わせてもらいますよ」

 確かに先にルール破りを仕出かしたのは彼である。解除クラフトを持ち合わせていない公爵にクローゼの詠唱をキャンセルする術はなく歯噛みするが。

「閣下、ダイヤモンドダストは範囲指定型の小円アーツですから、その場から離れれば回避可能です!」

 執事は大声でそう叫んで、公爵の喚起を促す。

 広範囲アーツには対象指定型と範囲指定型の二種類がある。対象指定の場合はどれほど動いた所で単体アーツ同様にトレースされるので絶対に逃げ切れないが、範囲指定は詠唱開始時に入力した絶対座標が固定されるので、上手く範囲を読めれば脱出できる。

「おい、執事さん、あんた……」

「コホン、決して手出しはしていませんよ」

 ジト目で睨む兄妹にフィリップは赤面しながら咳払いする。賭け対象のヨシュアでさえも空気を読んで直接的なアドバイスは控えていたというのに、主の窮地につい口出ししてしまった模様。

「でかした、フィリップ」

 公爵は喜色を浮かべると、クローゼがどのポイントに範囲を絞ったのか推測する。常識的に考えれば今踏み締めている大地だが、賢しらなクローディアルのこと。案外、彼の移動を予見して別の場所を指定した可能性もある。範囲指定のマーキングは詠唱終了時に出現するので先読みは不可能だが、一ヶ所だけクローゼが絶対に指定しない安全地帯があるのに気づいた。

「それは今お前がいる場所だ、クローディアル!」

 公爵は突進すると、再び体当たりを敢行。公爵の腹相撲で吹き飛ばされたクローゼは再度壁に叩きつけられる。

「クローゼ!」

「大丈夫よ、エステル。インパクトの瞬間、軽く後ろに飛んで衝撃を和らげている。そして何よりもチャックメイトよ」

「ぬっ、これは?」

 セーフティーゾーンを奪い取ったと安堵した次の刹那、デュナンの足元に青い小円のマークが浮かび上がる。ここはクローゼが元々いたポジションなので、もし公爵に押し出されなかったら確実に自爆するポイントを範囲指定していたことになる。

「そう来ると思っていました、叔父さん」

 先のおしくら饅頭でHPをレッドゾーンに突入させながらも、詠唱を完了させたクローゼは不敵に笑う。二人の戦闘キャリアには大きな隔たりがあり、心配性の執事の介入も足元に地雷が埋まっていると知った人間が安住の地を求める習性も全て読み切った上で、理詰めで(トラップ)を構築したクローゼの作戦勝ちだ。

「やあ、ダイヤモンドダスト!」

「ぐおおお!」

 公爵の身体目掛けて冷気を宿した氷塊が次々と襲いかかる。いつぞやの黒鮪のように瞬く間に瞬間冷凍(フリーズ)されてデュナンは氷の彫像と化した。

 

        ◇        

 

「ま、頭を冷やすには丁度良いかもしれないな」

 氷柱に閉じ込められた公爵の間の抜けた表情を眺めながら、エステルはクローゼの手を掲げて勝利宣言する。

「公爵さんにしては頑張ったと俺は思うぜ。ラストは紙一重の攻防だったしな」

 最後の遣られ方はギャグそのものだが、お笑いバトルにしかならないと思われた決闘なのに、クローゼが敗北一歩手前まで追い詰められた。

 デュナンが最初の場所から一歩も動かなければ自らのアーツで自滅していたリスクの高さもそうだが、もしダイヤモンドダストの氷結効果が発動しなかったら、既に満身創痍のクローゼは次の攻撃で確実に戦闘不能に陥っていた。

「あら、エステル。博打には違いないけど、それでも十分な勝算があったからこそ策を実行に移したのよ。何しろクローゼは水属性のスペシャリストだからね」

 戦術オーブメントの固定属性はスロットの汎用性を縛る枷と思われがちだが、固定属性が多いほどその属性アーツの威力と追加効果の発動率を高められる裏設定がある。

 通常の氷結率は20%程度の低確率だが、水の固定属性を三つも抱えるクローゼなら80%の高確率にまで高められるので、これなら十分に戦略に組み込める。

「ティアラ」

 クローゼは水の回復アーツを自らに唱える。罅の入った肋骨が完全に修復し体力まで全快。例の蘇生魔法の功罪にさえ目を潰れば、並の術者の倍近い回復率の高さだ。

「なるほど、同じワンラインのオリビエはどんな属性アーツも組める反面、クローゼやタットみたいに特化した属性部分はないって……あれっ? もしかして無属性の上にラインが壊滅している俺や親父は一番使えないってことかよ?」

「そうなるけど、二人ともとっくにアーツには見切りをつけたのだから構わないんじゃない?」

「それじゃ、フィリップさん。氷は十分もしたら溶けると思うので叔父さんの介抱をよろしくお願いします」

「殿下、かたじけない。それと閣下、今日まで仕えてきてこれほど嬉しく思った日はありませんぞ」

 氷漬けの主に敬礼する執事の細い目頭が熱くなる。公爵が自分を庇ってくれたことと、何よりも負けたとはいえ最後まで勇敢に戦い抜いたことを誇らしく思っているようだ。涙を拭ったフィリップは今度は兄妹の方に向き直ると、何か言いたそうにヨシュアの顔をじっと見つめる。

「どうしたの、執事さん? もしかして、そんなに私の裸踊りが見たかったのかしら? 良い年齢してお盛んなおじいちゃんね」

 ヨシュアは蠱惑的な仕種でからかったが、生真面目かつ枯れた年寄りは首を横に振る。

「冗談の通じない人ね。謝罪の方なら決闘はクローゼの勝ちだから、取り決め通りに無しよ。何よりも私は間違った事は言ってないと思うけど?」

「いえ、何一つ返す言葉もありませんでした。恥ずかしながら今回のクーデターも、わたくしは陛下なら許して下さるだろうと甘く算段しておりました」

「まあ、実際にアリシア女王はそういう御仁だから、臣下からそう舐められちゃうのも仕方がないわよね」

 再びフィリップは言葉に詰まる。ヨシュアは女王の寛容さを王者の度量の広さではなく、為政者にあるまじき公私混同と見做しているようだが、恩赦に預かる立場のフィリップが抗議するのは厚かまし過ぎるので黙っていた。口に出したのは別の主張である。

「お二人方兄妹や王太子殿下に比べて、わたくしが成すべき事を全く果たさなかったのは確かです。ですが、それでもわたくしの手でリシャール大佐を討つべきか迷わなかったと問われれば嘘になりますが……」

「言い訳するのではありませんが、もし大佐が単なる私利私欲で閣下を反逆罪に引きずりこもうとしていたのなら、刺し違えてでも首を撥ねる覚悟でした。しかし、彼もまたこの国の未来を本気で憂いている人物で、リベールは何時か必ず彼の力を必要とする危機が訪れます。ですから」

「おい、執事さん。それって、リシャール大佐は優秀だから、後日の事を考えて今は多少の悪さには目を瞑れっていう意味か?」

 少しばかり感情を害した風でエステルが横から口を挟む。マーシア孤児院やユリアファンの奥方など情報部関連で財貨を失った者は数知れず。だが、マキャベリズムに徹するなら有象無象の多くの平民よりも大佐一人の方が国家に貢献できるキャパは遥かに大きい。

「その危機とやらに見舞われたら大赦を与えて有能な大佐の罪を免責する一方で、無能な一般人は家を焼かれたりなどの理不尽な目に逢わされても黙って受け入れろって言いたいわけか?」

「やめなさい、エステル。執事さんには王宮の人間としての立ち位置があるのよ」

 散々フィリップを攻撃したヨシュアが今度は擁護にまわる。公爵を追い詰める作戦上、敢えて重箱の隅を突ついて泥を被らせただけで、一連の事件に主体的な責任を持たない老人をこれ以上苛めるのは少女の本位ではない。

 王室親衛隊は王族を守護するのを第一義に結成された組織なので、極論すれば百の市民よりもたった一人の王家の血筋の者を優先して守らなければならない役職にある。ましてやアリシア女王やクローゼのようなお人好しは小を守る為に御身を危険に晒すような危なっかしさがあり、気を揉む親衛隊は尚更非情にならざるを得ない。

「今回のクーデターみたいな非常事態ではブレイサーのフットワークの軽さが勝るように、軍隊のような無情な戒律の元で大規模な統率が取れないと守れない物も数多くある。戦車や飛行艇などの導力兵器が数多く導入される国同士の戦争になったら、ブレイサーの個人戦闘力なんて高が知れてるからね」

 ギルドの国家権力に対する不干渉云々の建前は置いておいても、百人戦役でリベールを守ったのはS級遊撃士の個の力ではなく、希代の戦略家に率いられた無名の王国軍兵士の集団的な犠牲と献身によってである。まあ、この世界にはヨシュアも含めて生身で戦車相手に無双できる規格外の化物が存在するのもまた事実であるが。

「私たちは力なき市民の生活を守る為に全力を尽くす遊撃士(ブレイサー )。それだけで十分でしょ、エステル?」

 人それぞれ志は異なるのだから、他者の選んだ人生に口を挟むのではなく、自らの(タオ)を貫き通せば良い。大軍兵器と称され極めて戦争向けの能力を持つクルツが軍隊でなく遊撃士協会(ギルド)に身を置くのも、エステルと同じ理想を抱いているからである。

 

 そう話を纏めたヨシュアは公爵と執事に別れを告げると、いよいよ救出作戦の最終目的地であるアリシア女王の私室へと向かう。だが、そこで少女は捨て去った筈の自らの過去と向き合わなければならなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。