星の在り処   作:KEBIN

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魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅣ)

「わーい、私のお給料だー」

 グランアリーナのメディカルルームの扉前、ドロシーはヨシュアから受け取った俸給袋をすりすりと頬ずりする。

 目撃者の少年への情報料を勝手に天引きされて中身が5%ほど減少しているが、杜撰な彼女は給金額を検めようともせずに真っ先にホールに飛び出していく。

 前々から目を着けていた一万ミラもするお洒落な高級腕時計を購入しに今からエーデル百貨店に買い物に赴くそうで、サラリーが満額支給されていたとしても、その日暮らしの厳しい生活に陥るのはどのみち時間の問題だ。

「そういえば、ジンさんとオリビエさんはまだ中にいるのですか?」

「ううん、二人とも万能の霊薬を賜りにいくって言っていたよ」

「この王都にそんな凄いお薬が存在するなんて知らなかったよー」

 ドップラー効果でどんどん減退していくドロシーの戦きを翻訳したヨシュアは軽く両肩を竦める。

「まあ、酒は百薬の長というからね」

 ようするにまた二人して酒場に繰り出したのだ。

 素寒貧の大人二人の飲み代の出所は恐らくは昨日のお小遣い。昨晩の宴会はなし崩し的にシャークアイに奢られたようだが、それだけの元気があるなら決勝のコンディションを憂慮する必要も無さそうだ。

「なるほど……二人が逃げ出したのも宜なるかなね」

 扉を開け室内の惨状に得心する。まるで空き巣荒らしに遭遇したかのように包帯や注射器などの医療用具がひっちゃかめっちゃかに散らばっている。

 ドロシー当人は真面目に男性陣を看護しようと務めたのだろうが、それは有難迷惑の典型例。傷の悪化を恐れたジン達は仲間を見捨てて逃走したようで、クルツ戦のチームワークが嘘のような薄情さだ。

「その苦渋の選択を攻める気にはなれないけどね。エステル自身は意識のない状態なのが幸いしたみたいね」

 ベッドに無防備に横たわるエステルの顔を覗き込むと、額に『筋肉』の文字が刻まれ、瞼、鼻、ホッペにも花柄(コミカル)な落書きがなされている。

 ドロシー嬢がアートに気を取られたお蔭で看護と称した肉体への追加ダメージは免れたが、この爆笑面ではムードも減ったくれもなく白雪姫のように接吻で起こそうとする意欲も沸かない。

 水性ペンなのでエステルが目覚める前に悪戯書きを全部拭き取ってから、オデコの称号を『脳筋』に書き換えた上で得意の整頓能力を活かして室内を綺麗に片づけていると次のお客さんがやってきた。

 決勝での再会を誓い合ったメイル一行。得物を根元からへし折られ鎧もボロボロのエルフ耳の少女は赤マントの少年と互いに肩を支え合うような重い足取りで入室。唯一人無傷のブラッキーが瀕死の怪獣を抱きかかえている。

「あら、メイルさん。残念でしたね」

 情報部に破れたのは一目瞭然。満身創痍のタット達に労いの言葉を掛ける。メイルは無言のまま俯くと、自分の治癒は後回しにして重傷のガウを優先させる。

 周囲からミラの亡者と思われているが、一応仲間を気遣う思いやりはあるらしい。直ぐに回復アーツを唱えるよう催促するが、タットは首を横に振る。

「今、傷口を塞ぐのは不味いよ、メイル。弾丸を残したままだと物凄く危険だよ」

「どういう意味よ、タット?」

 疑似エネルギーを撃ち込む導力銃は外皮に裂傷を与えても、内蔵にまでダメージが侵食する筈はない。

 タットは相方の質問を無視してメスで傷口を穿ろうとしたが、怪獣独特の固い皮膚が災いし刃の方がひん曲がる。

「タット君。本当に実弾が怪獣さんの体内に埋まっているのね?」

 その質問に赤帽子を脱いだタットは真摯な表情で肯く。荒治療をするのでガウの身体をしっかり抑えているようにブラッキー達に通達すると、アヴェンジャーを消毒液に浸して殺菌する。

「ちょっとチクッとするけど、我慢してね。男の子だもんねー」

 二つの刃を器用に並行させドリルのように傷口を抉るが、チクチクどころかザックザックという擬音に周囲の者は胃を凍らせる。

「$#&?##$!$%…!?」

 麻酔無しの強行手術の想像を絶する痛みにガウは声にならない悲鳴をあげて暴れ狂うが、三人は必死に球体ボディを羽交い締めにする。

「なるほど、これね。えいっ!」

「ガウ! がううう!」

 刃先の三分の一ほどを埋没された所で目当ての物を探り当てたヨシュアが少し力を篭めて引き抜くと、ガウは断末魔のような雄叫びを残して失神する。

「急いで傷を塞がないと」

 タットはガウの身体に両手を当てると、身体全体を青色に光らせながら回復魔法(ティア)を唱え傷口の接合に勤める。

 ヨシュアが双剣の先端に摘んだ血塗れの物体を床下に取り零す。

 カキーンという金属音を反響させ地面とキスする。メイルの足元まで転がったので反射的に拾い上げる。

 破けたレオタードの一部を布切れ替わりに丁重に血を拭き取ると銀色の弾丸が蛍光灯に反射した。

「まさか、本当に銃弾が存在したなんて。畜生、あいつら。火縄銃が禁止の大会でルールを破って…………」

「メイル、その詮索は後回しだよ。傷口は何とか塞がったけど熱が一向に下がらないんだ」

 実弾が危険視される最大の理由は、体内に食い込んだ鉛の塊が身体を内側から蝕むから。運良く貫通した場合はともかく体内に放置したら生命に関わるので、ヨシュアも強行切除に踏み切った。

 ただ、それとは別にガウの症状が悪化しているようで、ヨシュアには心当たりがある。

 紅蓮の塔でアガットが撃たれたのと同種の神経毒が弾丸に篭められており、壊死し始めた皮膚の色や呼吸の荒さが類似している。

「ある意味、運が良かったと言えるのかしら?」

 懐から七色に輝く液体の入った小瓶を取り出すと、ガウの口元に垂らす。

 かつてアガットの生命を救った『アルヴの霊薬』。用心深いヨシュアは原料のゼムリア苔を多めに採取し予備分をストックしておいた。こんなに早く役立つ機会に恵まれるとは、ビクセン教区長に無理して強請りした甲斐があったというものだ。

 それからガウは三十分近くも苦しそうに唸っていたが人間よりも新陳代謝が速い故か、一晩苦しんだアガットに比しても僅か一時間あまりで呼吸を落ち着かせて、壊死した皮膚も原色を取り戻し峠は脱したようだ。

「ありがと、ヨシュア。何か色々借りが出来ちゃったけど何時かミラ以外で必ず返すからね」

 守銭奴らしいニュアンスで柄にもなく礼を云うと、情報部への怒りがムラムラと沸いてきたらしく涙ぐんでいた形相を急激に歪める。

「あの黒マスク共! ど汚い手を使って、そんなにまでして賞金が欲しかった訳?」

 目的の為に手段を選ばないというなら、人間外生命体を参加させた上で詠唱のフライングなどの悪辣の限りを尽くしたメイルらもあまり偉そうに他者の不正を批判する資格はない気もするが、自分に甘く他者に厳しいのが人の性なので己の所業は棚上げする。

「この件を審判に訴えて、あいつらを反則負けに…………」

「メイル、多分無駄だよ。こうして試合が終わった後で実弾を提供しても明確な証拠にはならないよ」

 今すぐ大会運営本部に駆け込もうと息巻くメイルを、タットは手を掴んで引き止める。

 シラを切られてしまえばそれまでだ。ましてや特務兵は主審の目を欺く為に導力機関銃のシャワーの合間に実弾を織り交ぜるという念の入れよう。今更身体検査を要求しても物証は全て抹消済みだろう。

「何よ、タット。それじゃ泣き寝入りしろって云うの?」

 悔しそうに唇を噛むメイルを、タットはマントの内側に抱き寄せて慰める。

 二十万ミラの賞金がパーになった銭金勘定よりも、身内それも怪獣の身を案じて憤っているらしいメイルに内心で感嘆するが、同時に貴重なサンプルを採取できた。

 得意の合理的な思考フレームであらゆるデータを吟味して、どちらが勝ち残ろうとも決勝戦で遅れを取る要因はないと情報収集を打ち切ったが、あくまで大会規則の範囲内に基づいての起算だ。

 枠内から逸脱したルール無用の残虐ファイトを仕掛けてくるなど、まさしく想像の遥か彼方。冷酷無情の漆黒の牙も随分温くなったものだと自嘲しながら、早速借りを返してもらう為に声を掛ける。

「ねえ、メイルさん。ちょっと相談したいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

 

        ◇        

 

「あれっ、ここは?」

 ようやく目を覚ましたエステルは、周囲の状況を確認する。

 場所は闘技場どころか医療室でもない、ホテル・ローエンバウム202合室のベッドの上。チェアに腰掛けたヨシュアが琥珀色の瞳でじっと自分を見つめている。

「そっか、俺、調子こいた挙げ句、クルツさんに負けたのか…………」

 記憶の糸を辿って最後の一シーンを思い浮かべたエステルは、自虐しながら後ろめたそうに顔を逸らす。

 アネラスを取り逃がし失策の起点となり、最後の最後で我が儘を通して戦術的には無意味な引き延ばし戦で負傷したりと、冷静に考えたらチームの足を引っ張ってばかりだ。

「一人のミスを皆で補い合うのがパーティーだから何時までも引きずる必要はないけど、クルツさんには感謝しておいた方が良いわよ」

 態々、即死系時魔法(シャドウスペア )互換の裏朱雀を用いたのは、エステルの体調を憂いたからで、アーツによる戦闘不能は物理攻撃に較べ肉体への後遺症が残らない。

 その代償に精神に負荷を与えるので心的外傷ストレス傷害(PTSD)で心の弱い者がトラウマを抱えるケースもあるが、心臓に毛が生えているエステルにはその心配はなく一日ぐっすり寝ればベストに近い形で決勝の舞台に立てる。

「そっか……そこまで気を遣われる余裕があるとは、まだ随分差があるんだな」

 相手はA級遊撃士なので当然の隔たりだが、恐らくヨシュアもジンやクルツと同じ世界に棲息しているであろう立ち位置の違いを憚ると、どうしても焦りを禁じ得ない。

「もう夜は遅いし、着替えてからもう一眠りしなさい」

 そう薦められたので、空腹を満たす為にヨシュアが用意した夕食の大盛りカレーを残さず平らげてから、シャワーを浴びに欠伸をしながら浴室へと向かう。

 服は所々血と汗で湿っている。華奢なヨシュアが自分を運ぶのには無理があるので不思議がるも、準決勝で敗退したタットらに運搬を手伝ってもらった(これが借りなのか?)と告げられる。

「それじゃ決勝はまた腐れ縁の黒装束たちということになるのか」

 強さ自体には不足はないが、アネラス達との熱い死闘を思い出したら正直高揚感をまるで覚えず、王城進出への単なる障害物としか映らない。

 凄腕の仮面の隊長対策になぜかヨシュアは絶対の自信を抱いているし、特務兵は厄介だが戦力の底は割れている。十絶陣のムチャクチャなチート方術に比べれば消化試合みたいなものかと、医療室での経緯を知らないエステルは甘く見積もりながらシャワーのバルブを捻る。

「まっ、今度は個人プレイに走らないように注意…………って、何だ?」

 頭から冷たい水滴を浴びて気分をリフレッシュさせた刹那、ガシャンという破壊音が響き反射的に精神のチャンネルを遊撃士モードに切り換える。

 慌ててタオルでセットが崩れた髪の毛を拭き、バスタオルを腰に巻きながら半裸で客室に飛び込むがヨシュアの姿はない。

「おい、ヨシュア…………って、これは?」

 正面の窓ガラスが叩き割られている。地面に石ころとガラスの破片が転がっており、先の物音はこれだろう。

 ふと周囲を見回すと、テーブルの上に一枚の紙片が置かれていたので内容を読んでみる。

『貴殿の過去を清算する時が来た。連れに正体を告げられたくなければ、今すぐ大聖堂脇にある封鎖された湾岸区まで来い』

「ヨシュアの奴、まさか一人で……」

 置き手紙を握り締めたエステルは舌打ちする。

 一切の生い立ちは謎に包まれているが、普段は闊達なヨシュアが何かに怯え、時たま中二病(おかしなやまい)を発病させるのは何度も体験している。

(馬鹿野郎が。直ぐに一人で先走りやがって)

 エステルは急いで身支度を整えて、新しい私服に着替えるとヨシュアの後を追う。この手紙の主がヨシュアの心の闇に巣くう過去の亡霊なら絶対に見過ごせない。

 知恵でも戦闘力でも大きく遅れをとる情けない兄貴だが、その義妹の能力の高さに反した脆さと弱さを誰よりも知り尽くしている。過去の暗闇へと引きずり込もうとする魔の手から必ずヨシュアを守ると、今は亡き大切な誰かに誓約したのだから。

 

        ◇        

 

「ふふっ、良く来たな。何の任務であの少年に接近しているかは知らんが今本性を暴かれては困るようだな」

 グランセル西方の湾岸区。

 戒厳令のように多数の兵士が徘徊する王都内を全く問題視せずに、最短距離で駆けつけたヨシュアは波止場に仁王立ちするシスターを無言のまま見つめる。

「今こそ己の原罪をその身で償わせてやる。私の大切な男性を返してもらうぞ、毒婦」

 フードを外すと黄緑の短髪が零れる。両耳にイヤリングを嵌め眼光は鷹のように鋭い。

 修道服を着たまま長剣(バトルセイバー)の切っ先向ける精悍な顔つきの女性に対して、ヨシュアは琥珀色の瞳をジト目にしながら一言呟いた。

 

「おばさん、誰?」

 


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