古代の地球に転生したことを知ってから十年が経った。あっという間に時が過ぎた気がするが、それにはちゃんとした理由がある。
俺は、過去の地球にいるという驚愕の事実を知って気絶したあのあと、二週間眠りっぱなしだったらしい。能力を使いすぎると俺は長時間眠ってしまうみたいだが、二週間の睡眠の原因は過去の地球にいるという事実を知ったことではなく、その前の変化の術のせいである。俺はあのとき能力で変化の仕方を確認しながら人間の姿に変化したが、どうやらそれがまずかったらしい。
俺の『答えを出す程度の能力』は、使うと瞬時に答えが出てくる。この場合能力を使っているのは一瞬だけだ。しかし『どういう行動をすればいいか』などという疑問だと、能力を常に使っている扱いになってしまうのである。前回だと変化している間ずっと能力を使っていることになり、道理でかなり疲れるはずだ。
能力を使わずに変化をする練習をすると、慣れれば人間の姿のままでも生活ができるようになった。人間の姿になることに慣れただけであり、尻尾は未だに隠せないが。
同様に、能力を使いながら空を飛ぶのも危険だと判断し、能力で事前に練習方法を調べてから飛ぶ訓練をした。変化の術は変化する姿を毎回考えなければならない頭を使う妖術であるが、空を飛ぶのは頭よりも体を使う妖術のようだ。変化の術に比べると空を飛ぶのはいくらか簡単な感じがした。
そうそうそれで変化の術だが、人間の自分以外のものに化けるのはかなり苦労した。化けるものを脳内で詳細にイメージしなければならないのがその原因だろうか。自分ではない自分の体を想像するのは、想像以上に難しいのだ。イメージがうまくなれば自分以外の動物や物体でも変化させられることが可能らしいが、俺にはまだそれもうまくできない。
妖怪の力を使いこなすのはこんなに難しいものなのか。もしかしたら俺が人間のときのことを覚えているせいで苦労しているのかもしれない。生まれたっての妖怪なら本能で能力を使いこなすのではないか。
ともあれ俺は数年かけて妖怪の能力を使いこなす練習をした。
ある程度思い通りに自分の能力が使えるようになったので、俺は住み慣れた山を離れて旅に出てみることにした。空を飛んでいってもよかったのだが、急ぐ理由があるわけでもない。それに旅は歩いていくものだろう。
目的はとりあえず人間を見に行くこと。能力で『人間がどこにいるか』を調べると、俺はその方角へ向かって歩き出した。
二ヶ月ほど歩いてようやく村を発見した。どうやら人間はここにしかいないようだが、しかしその分大きい村であると思う。門番もいるし、尻尾も隠せない俺は人間のフリをして訪ねることは不可能だ。
ここはこっそり忍び込むしかない。さて、どうやって忍び込もうか…… そう考えていたら後ろから声をかけられた。
「お主、見かけない妖怪じゃな。新入りか?」
「うわぁ!」
突然自分にかけられた声に、俺は驚いて体が跳ねる。思えば狐になってから会話というものをしたことがない。この反応は当然といえば当然だろう。
俺は声のしたほうにあわてて振り向くと、そこには背の低い男の子どもがいた。人間の子どもか、とも思ったが、よく見れば頭頂部の少し後ろに角が一本生えている。
「……お、鬼?」
俺は直感で思ったことをそのまま口にした。角が生えている二足歩行の生物といえば、俺の中では鬼以外思い付かない。
「いかにも、ワシは鬼じゃ。名を
「あ、ああ。確かに俺は狐の妖怪だ。名前は……」
返答の途中で言葉に詰まる。よく考えたら俺にはまだ名前が無い。
前世と同じ名前を名乗ってもいいのだが、生まれ変わったのだから同じ名前にする必要はないだろう。そう思い、能力で前世の名前を思い出すことは、あえてしないでおいたのだ。名前を必要だと感じることが無かったので、すっかり失念してしまっていた。
「……実はまだ無いんだ、名前。そうだ良かったら、一鬼が俺に名前をつけてくれよ」
「……ほう名無しじゃったか。うむ、そうじゃな……」
年寄りくさいしゃべり方をする子どもの鬼が、俺の無茶振りに真剣な表情をして考える。俺としてはそのときにふと思った適当なお願いだが、後から思えばなかなか唐突な頼みである。
「……"
「真、か。短くていい名前だな、気に入った。これからは真と名乗らせてもらうよ、ありがとう」
予想外にも一発で俺が気に入る名前を言ってもらい、俺は一鬼にお礼を言う。真、真か、本当にいい名前だ。
「……でも一体どうしてこの名前を?」
「ふむ、鬼という種族は嘘が嫌いでな。いろんなものに化ける狐や狸はあまり好ましく思っておらん。しかしお主は……」
「俺は?」
「嘘をつくのが下手糞そうな顔をしておる」
「……へ?」
気に入った名前だったのに理由が想像以上におかしなものだったため、思わず声が裏返る。なんだろう、褒められたのか貶されたのか良く分からないその理由は。嘘をつくのが下手そうな顔ってどんな顔だ。
「よろしくの、真」
「あ、ああ。ありがとう一鬼。そうだ、一つ聞いてもいいか?」
「ふむ、なんじゃ?」
名前の話はさておいて、一鬼は初めて会った言葉の通じる存在だ。しかもなかなか友好そうな妖怪であるため、一つと言わず聞いてみたいことはたくさんあった。
「さっき俺に声かけたとき、『新入りか』って聞いてきたよな。ってことは、ここには妖怪がたくさんいたりするのか?」
「うむ。この村の周囲いろんなところに勝手気ままに住んでおる。たまに人を驚かし、たまに酒を盗んで宴会をしたりしておるよ。一応ワシがまとめ役みたいなもんかのぉ」
「まとめ役? しゃべり方からもしかしたらと思ってたけど、もしかして一鬼って結構年上?」
「なあに、まだ二百も生きてはおらん。まぁワシより年上にはまだあったことがないがの」
「に、二百!?」
その子どもみたいな見た目で? という台詞をどうにか飲み込む。年齢に伴わない見た目をしているキャラとかは漫画で結構見たりするが、実際目の前にしてみると信じられない。しかも二百って……人間だったらギネス更新するにもほどがある。
「お主は何を考えているか顔で分かるのぉ。妖怪に見た目など関係ないわい」
「……さいですか」
そんなに分かりやすい顔をしていただろうか。自分ではよく分からないのだが、真という名前に恥じない顔らしい。
「ふむ、どうやら真は新米の妖怪らしいのぉ。どれ、一つと言わずいろいろ教えてやろうかの」
「ああ、頼む」
一応妖怪になってそれなりの年数は経っているのだが…… 妖怪に見た目が関係ないことなど、そういった知識はまだ空っぽだ。初めて会う妖怪である一鬼の厚意に甘えて、いろいろ教えてもらうことにする。
「……ふむ、それなら何から話すべきか……」
一鬼はいろんなことを教えてくれた。妖怪は、人が恐怖を覚えるから存在するようになったのだと。人を驚かすことが妖怪の本分であると。妖怪は人を驚かすことで妖力を回復できるのだと。
俺の能力は『疑問』を持たないことには答えを得られない。俺一人だとこのようなことを知ることはできなかっただろう。一鬼の話はとてもためになったと思う。
一鬼は俺に、ここにいる上での最低限気をつけることと、住む場所を教えて去っていった。次宴会をするときはお主も誘うよ、と年の割りに軽快に笑いながら。
この日俺は、初めて妖怪の友達ができた。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
人間の村の周りに住むようになって、様々な"初めて"を体験した。
初めて人を驚かせた。
夜、空から村に忍び込んで、そこらへんにいた村人を背後からくすぐってみた。村人は「ひぃっ」と少しだけ声を出し、あわてて振り向くが誰もいない。俺はすでに隠れている。村人は首をかしげ、少し早足に去っていった。
たったこれだけのことをしただけでも、ちゃんと妖力が回復した。妖怪の体って便利だな。もっとも、驚かしても妖力が回復するだけで、妖力の総量が増えることはないみたいだが。
初めて酒を飲んだ。
一鬼に呼ばれ妖怪たちの宴会に行ってみた。どうやら俺は酒にあまり強くないらしい。酒の味の良し悪しもよく分からないので、美味しいとは感じなかった。ただ一つ思ったのは、酔っ払うという感覚は気分がふわふわして楽しいということだ。
妖怪たちは気のいいヤツらばかりで、宴会は楽しいものだった。次もまた誘ってくれ、と一鬼に言うと「酒をちゃんと持ってくるんだぞ?」と言われた。
一鬼とはよく喧嘩して遊んだ。
といっても一鬼相手に俺は、まったくと言っていいほど歯が立たない。一鬼は『結界を操る程度の能力』を持っていて、それに阻まれ俺の攻撃は一鬼にまったく届かなかった。これが実戦だったら、俺の周りを結界で囲まれてすぐに負けるだろうなと思う。そんな使い方を一鬼が思い付いているかは知らないが。
数回目の喧嘩でようやく俺の拳が一鬼に当たった。結界は硬くて頑丈だが、あいつの体も負けないくらい頑丈だ。攻撃を当てたのに俺のほうがダメージが大きいのではないだろうか。一鬼は攻撃されたことに驚いていたようだが、すぐにニヤリと口を歪めた。あ、これヤバい。
初めて人間の友達ができた。
あれは、宴会用の酒を用意しようと人里の民家に忍び込んだときのことだ。能力を使い『忍び込んでも大丈夫な民家』を探して侵入する。見つかったら面倒なことになると思い、狐の姿のまま忍び込んだ。さて、どこに酒はあるのかな、と探そうとしたら不意に声をかけられた。
「かわいい侵入者さんね。二尾の狐なんて珍しい」
「えっ」
驚いて、声のしたほうを見ると、そこには女の子どもがいた。人間にしては珍しい、白い髪をした少女である。
「あら言葉を話せるのね。じゃあ貴方も妖怪なのかしら。お酒が目的? だったらこっちに保管してあるわよ」
見つかってしまい人を呼ばれるかもと焦っていたが、少女はなぜか酒の場所まで教えてくれた。どうやらそれぞれの民家には妖怪に盗まれる用の酒が用意されているのだという。少女に案内されて酒のある部屋まで訪れた。
「……ありがとうな、お嬢ちゃん。君は妖怪が怖くないのか?」
「村の大人たちは何か騒いでいるけど、私は別に怖くないわ。驚かされこそするけどそれだけよね」
少女は、まだ
しかし俺たち妖怪は、人間を傷つけたり殺したりは絶対にしない。ただ驚かして楽しんでいるだけなのだ。
俺は妖怪を怖がらないこの少女を、なんだか面白い存在だと思った。
「俺は真という。お嬢ちゃんの名前を良かったら教えてくれ」
「私の名前は
「……んん?」
名前の部分がよく聞き取れなかった。いや、聞き取れたのだがどうも聞きなれなくて発音できない言葉である。えーと、ヲ、ヲモヰなんとか? でいいのかな。
「ふふ、発音できないようだから
「そうか、じゃあ永琳。またここに来てもいいか?」
「……いいけど、もうしばらくはお酒は無いわよ?」
「永琳に会いに、だよ」
「……そう、いいわよ。一人のときだったら相手してあげるわ」
永琳は少し驚いたような表情をしたが、すぐに表情を元に戻した。
「ありがとう。じゃ、またな」
そう言い残すと、永琳がくれた酒を尻尾で器用に持って、俺はこの家から出ていった。
あれから何度も永琳のところに遊びに行った。能力を使い永琳が一人のときを見計らって訪れるのだ。
永琳はこの若さで村の中でも飛び抜けて頭が良いそうで、彼女は家で薬の研究をしているらしい。正直言って、俺には何をしているか全く分からなかった。
「あれ、この液体を先に入れるんじゃないのか?」
「あ、そうだったわありがとう…… って真。貴方、私が何しているか分かるの?」
「いや全く」
永琳が何をしているのかは分からない。が、能力を使って『次の手順』がなんなのかは理解できるのだ。
一度口を出してしまってからというもの、永琳の仕事の手伝いをやらされることになった。とはいえ狐の姿で人間の研究を手伝うのは難しい。俺のやることといえば、永琳が動きやすいようにサポートするだけだ。次に必要な道具を、いち早く持ってくるとかな。
ある日永琳が俺の手際の良さに、こんなことを聞いてきた。
「なんで何しているか分からないのに、真はこんなに手伝えるのよ」
「そういう能力を持ってるんだよ。『永琳が何をしたいのか』を理解して手伝ってる」
「そんな能力があるなら『私が何を研究しているか』も理解できるんじゃないの?」
「それもそうだが…… まぁいいかやってみよう。『永琳が何を研究しているか』」
俺は永琳に言われ、能力を使ってみる。少し頭がくらっとし、足元がふらついた。
「……ちょっと真大丈夫? 私の研究内容は理解できたの?」
「……ものすごい量の情報を脳に直接ぶち込まれたみたいで……頭がガンガンする…… だけど唐突に理解した。これは……無理……!」
そう言って俺はそのまま真横に倒れこんだ。ドサッと倒れる音が部屋に響いた後、一人と一匹の間に少し沈黙が生まれる。
「……真ってたまにテンションおかしくなるわよね。それ演技でしょ」
「あ、バレた?」
「バレバレよ」
そう言うと永琳は笑った。こうして笑顔を見ると、年相応の少女のようで可愛らしい。驚いた顔を見るのも楽しいが、笑顔を見るのもかなり好きだ。
一度永琳に人化した姿を見せたことがある。どうだ、驚いたか、と聞くと「小さいほうが可愛いわ」と言われた。会話のキャッチボールをしてほしいと思う。
たまに永琳に薬の実験台にされたりする。基本的に協力はするが、能力で『ひどい結果になる』と分かるときは断固拒否した。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
永琳と出会ってから八十年が経つ。永琳は少女の見た目から少し大人の女性に変化していた。
なんでまだそんなに若い姿なんだ。そう永琳に聞けば、人間に寿命があるのは"穢れ"が体に溜まるからだと言う。この村……いや、村は八十年で都市とも呼べるほどに大きくなっていた。いくらなんでも早すぎないか? まぁいい、この都市の人間は永琳の作った薬で穢れを追い出しているからかなり長寿なんだそうだ。その功績もあって永琳は今、かなり偉い立場の人物にある。
「……それにしてもその服は無いわー」
「あら、この服のよさが分からないなんて真もまだまだね」
永琳は右半分が青、もう半分が赤という奇抜なデザインをした服を着ている。下は逆に左半分が青で右半分が赤だ。
なんだこれは、某ドクター髭の配管工に出てくるカプセルか。逆に積んじゃったのか。それとも髪の毛の白とあわせて床屋のサインポール気取りですか。くるくる回ってればいいんじゃないかな、うん。
……とはいえどちらも医者を連想させるものではあるので、薬師の永琳にはぴったりの服なのかもしれない。
「で、永琳。月へ行くんだって?」
「……なんで知ってるのよ」
「ふはは、私の情報網を舐めるなよ。まぁこの前永琳が深刻な顔してたから能力を使って原因を調べただけなんだけど」
「……はぁ」
都市の人間は全員月に移住する計画が立っていた。なんでも月には穢れが無いらしく月に移住することで人は永遠に生きられるのだという。
「ねぇ、良かったら真も一緒に月へ行かない? 妖怪の一匹くらいなら私が何とか……」
地上にある穢れの原因はなんでも妖怪にあるそうだ。月に妖怪はつれていけない。もともとそんなことをする物好きな人間はいなかった。 ……目の前の一人を除いては。
「……やめとくよ。地上にも仲良くなったヤツらがたくさんいてさ。それに妖怪なんて連れて行ったら怒られるぜ?」
「……そっか。まぁ真ならそう言うと思ってた」
「……おう。出発はいつだ?」
「……三年後よ」
「そっかぁ。 ……早いなあ」
「……ええ」
三年後に永琳は月へ行ってしまう。というか人間は全員月へ行ってしまう。永琳以外の人間とは交流があったわけではないが、人間がいなくなると寂しくなるなぁと思った。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
あっという間に月日は流れ永琳が月に行ってしまう時がきた。永琳は立場上もっと早くに出発する予定だったのだが、別れを惜しんで最後のロケットまで地上に残ってくれたらしい。永琳のその気持ちが嬉しかった。
「それじゃあ」
「ああ、
さよならとは言わなかった。二度と会えないような感じがするさよならという言葉は苦手だった。
永琳が乗ったロケットを都市の端っこから、出会ったときと同じ狐の姿のまま見送ることにする。永琳の前ではほとんどこの狐の姿で過ごしていた。
永琳を乗せたロケットは、あっという間に空の上まで昇っていった。
瞬間、俺の視界が真っ白になった。