第一話 名無しの狐
気が付いたら俺は狐になっていた。それもまだ生まれて一ヶ月も経っていない子どもの狐だ。近くに四匹の別の子狐と、その中心には母狐もいる。この狐たちは家族だろうか。その家族という括りには、当然狐になった俺も含まれている。
「……どういうことだ?」
俺が思わずそう呟くと、狐たちが一斉にこちらを向いた。母狐にいたっては怪訝な顔をしているようにも見える。そりゃそうだよな、いきなり自分の子どもが人語を話し出したんだ。不気味に思われて当然である。俺は声を出してからしまったと思った。
人語を話す赤子として気味悪がられた俺は、その日のうちに捨てられた。青っ鼻に生まれ悪魔の実を口にして群れから追われたチョッパーの気持ちは、おそらくこんな感じだったんだろうな。子ども以上には精神が成長しているからまだこんなことを考えていられるが、それにしたって今の状況はなかなかに辛い。むしろ今までの経験のせいで、いまいち現実を受け入れられないという点もあるが。
畜生、何で俺がこんな目に…… 畜生なのは俺だけどさ。
……さて、少し状況を整理させてもらおう。ただ悲観していても事態は何も解決しない。二十年にも満たない人生で学習した、俺の一つの考えである。
今の俺は子狐だが、ついこの間までは人間だったはずだ。田舎の町に生まれ、学校に通い、ついこの前大学に受かったばかりの男。平々凡々の代名詞のような生活であり、特殊な能力なんて持っているわけもない。
確実に俺はこの前まで人間だった、そう断言できる。断言できるほどの記憶が俺にはあるのだ。そうだ、人間のときの俺の名前は……
「あれ? 俺の名前……あれ?」
人間の記憶を更に詳しく思い出そうとすると、自分の名前が思い出せない。それだけではなく親の顔や名前も、いたのかもしれない兄弟のことも、一緒の学校に通っていた友達のことも、どれもまったく思い出せなかった。
「……どういうことだ?」
俺は思わずもう一度呟く。
自分が人間だったことは確信を持って言える。しかしその人間であるときの記憶が無いのだ。自分のことが狐であることや今こうして思考できていることから、知識自体は残っているようだが。
「……なんだよこれ……」
自分の今の格好もさることながら、思い出という名の記憶が抜け落ちている。あまりに信じがたい今の状況に俺は少しの間放心していたが、ふと俺は一つの仮説を思いついた。
「もしかしてこれは、転生というやつか?」
俺の立てた仮説はこうだ。
人間だった俺は、事故か何かで死んでしまった。魂は輪廻するということを聞いたことがある。死んだ生き物は魂が浄化され記憶を無くし、あらたな生き物に生まれ変わるというやつだ。その例に漏れず俺も死んで狐に生まれ変わったのだろう。ただ、浄化が不十分で中途半端に記憶が残ってしまったのだ。
突拍子もない話だがこれなら一応納得はできる。正解か不正解かなどは問題ではない、大事なのは俺が納得できるかどうかなのだ。もっともこの仮説だと、狐が人語を話せている理由の説明ができていないのだが。
「……ふざっけんな! 記憶を消すならちゃんと消せよ! 中途半端に残してんじゃねぇ!」
正しいかどうかも分からない仮説に文句を言う。しかし俺は何かに今の感情をぶつけなければ気が済まないのだ。記憶が残っていたからこそしゃべってしまい、そのせいで親に捨てられたのだから。
記憶が無かったら普通の狐と同じように生活できただろうに、スタート地点からすでにマイナスである。意味が無いものだと理解していても、黙って今の状況を受け入れることなど不可能だった。
……とはいえ文句を言って聞いてくれる存在など、俺の近くにはどこにもいない。俺の叫びは広大な自然に飲み込まれて消えていく。
……さて、これからどう生きていけばいいものか……
それから俺は一人で生きていくことにした。というか頼れるものが他にいない以上、そうするしか道はなかったのだ。
狐としての本能なのか、虫や他の動物の死骸を貪ることでなんとか生きていくことができた。
一年、二年と必死で生き延びた。体も大きくなり狐としてはとっくに成熟している。人間と比べると成長が早い。つまり死ぬのも人間より早いということだ。
狐の寿命って何歳くらいなんだろう。死ぬときは衰弱しきって力が入らなくなり他の動物に食べられたりするんだろうか。
死ぬのは嫌だが、痛いのも嫌だし怖いのも嫌だ。いつ死ぬかわからない恐怖に怯えながら、一年、また一年と生きていき、気がついたら二十年経っていた。
母親と兄弟はすでに死んでいる。昔、ただ生きているこの状態が嫌になり、俺を捨てた母狐と兄弟たちを探すことを目標にした。会いたかったわけじゃない、人生には目標が必要だと思い立ったのだ。
十年ほど前、母親を見つけた。狐なんてみんな同じ顔だろうが俺には分かる、向こうは気付かなかったみたいだが。
母は自分の掘ったであろう穴に身を埋め、どう見ても弱りきっていた。
数日後に母親は俺を捨てた山の方角を見つめながらあっけなく死んだ。おそらく母はあそこで生まれ育ったんだろう。狐死首丘ってのはホントだったんだな、と漠然と思った。
それと近い時期に兄弟の一匹を発見した。母ほどではないが、コイツも衰弱していると言っていいだろう。一年後にはもう死んでいると思う。他の兄弟も似たようなものだと予想した。
俺ももうすぐ死ぬのだろうか。まぁいい、目標は達成したようなものだし満足だ。今まで恐れていた死というものも、受け入れてみると案外どうということはない。
次の日になったら目覚めることなく死んでいる。そうなっても別に構わないと思いながら俺は毎晩眠りにつくようになった。
それなのにどうしたことだろう。あれから十年も経った今も、俺は未だに生きている。死ぬ時期に固体差があるとしてもさすがにこれは差がありすぎだ。それにまだ俺には弱り始める前兆すら訪れていない。
「……ふぅむ、考えてみればやはりおかしい。『これはいったいどういうことだ?』」
俺以外に人語を解する動物に会ったことなど無かったため、こうして人語を言葉にするのは実に二十年ぶり。これだけ久しぶりであるのに、更に相変わらず狐の姿なのに、人語はスルリと話せるのは不思議なものだ。
そして俺が疑問を口にした直後、ある考えが急に頭の中に浮かんできた。
"俺はもしかして……化け狐になったのか?"
長生きした猫は尾が二股になり妖怪化、化け猫になると人間だった頃にどこかで聞いたことがある。俺もそれと同じように、常識外の存在になってしまったのではないか。
妖怪など今まで一度も見たことが無いくせに、そう考えるのが一番しっくりきた。
「妖怪ねぇ……仮にそうだとして、寿命が延びたこと以外で『何ができるんだか』」
自嘲ぎみにそう呟くと、突然頭の中にとある単語が浮かんでくる。俺は頭に浮かんだその単語を、半ば無意識に声に出していた。
「……『答えを出す程度の能力』?」
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翌日、朝起きて自分の尻尾が二本に増えているのを発見する。これでいよいよ自分は妖怪であると確信できた。
なんとなくだが、妖怪であることを自覚することが尻尾を二本にする条件だったように感じる。うえきの法則で天界人が
昨日自覚した自分の能力についていろいろなことが分かった。『答えを出す程度の能力』、これが俺の能力名だ。
これを知ったときまず思い浮かんだのがアンサートーカーという単語である。アンサートーカーとは金色のガッシュという漫画に登場する能力で、『答えを出す者』と書かれるものだ。どんな謎や疑問にも瞬時に答えが出せるチートみたいな能力である。
俺の『答えを出す程度の能力』もこれとほぼ同じような能力と言っていいだろう。能力を使おうと意識しながら、答えの出したい疑問を口に出すと答えを瞬時に理解できる。能力を使いこなせてきたら口に出す必要も無いらしい。
どうして俺がこんな能力を……とも考えたが、とても便利な能力を手に入れたと思う。なんせ言い換えればこれは全知というものに他ならない。単なる一動物に過ぎない俺に、過ぎた能力にも程がある。
しかし実はこの能力、使うとかなり疲れるのだ。先ほど言ったことを能力で理解した直後、急激に眠くなった俺はやむを得ず能力を使うのを諦めた。おそらくだが難しい疑問ほど答えを出したら疲れが大きくなると思う。この場合の難しい疑問とはどんな基準だか不明ではあるが。
そして今日も今日とてこの能力を使い、妖怪になった自分のことを解明していこうと思う。
「そんじゃーまずは『妖怪になった自分にできること』。 ……ふむふむ、妖力を使って空を飛んだり、妖術なんかも使ったりできる、と」
能力で理解した自分のことを、確認するように口に出す。力をつけた大抵の妖怪は空を飛べるようになるようであり、狐妖怪たる俺には固有能力もあるようだ。それが変化や狐火などの妖術である。
「ふむ……飛んで、変化して、火を出せる、ねぇ。 ……ってちょっと待て! 変化の術ってもしかしたら『人だったときの俺の姿に戻れるんじゃないか!?』」
狐の姿になって二十年…… この姿にも愛着が湧いている。だがやはり人間の姿にも同じように、愛着という名の未練が残っているのだ。
人間の姿に戻れるかもしれない。そう期待して能力を使うと、はたして出てきた答えはイエスだった。
「やっぱりだ! 予想通り人間に戻れる! 『どうやるんだ?』 ……こうか!」
瞬時に能力で導き出したやり方どおり、自分の人間だったころの姿を詳細に思い出しながら体内に感じる妖力を操作する。すると次の瞬間、ボワンという変な効果音とともに体から漫画みたいな煙が現れた。
煙が晴れて前を見てみると、視点がいつもと違って高い気がする。下を見てみるとそこにあるのは……
「……おお! 人間だったころの俺の手だ! それに二本足で立ててる!」
間違いなく人間だったときの自分の姿がそこにあった。平凡な黒髪、平均的な身長。自分の体の具合を確かめるように身体中を撫でまわす。
「……ん? 頭と尻に違和感が……うおっ! 狐の耳と尻尾がある!」
頭の上には獣耳、体の後ろ側には尻尾が生えていた。どうやら尻尾には特に妖力が溜まるらしく、変化して隠すのにはそれなりの練習が必要らしい。
「やばい、変化しているのめちゃくちゃ疲れる。とりあえず狐に戻ろうか」
名残惜しいがこの状態を続けていると、また急激に眠くなりそうだ。狐の姿に戻れば、この体力の消費は収まるだろう。そう判断して力を抜くと、自分に掛けていた変化の術は自然に解けた。
「……ふぅ、随分疲れた。今日はもう休むか。明日から術の練習しよう」
妖怪生活一日目、初めて妖力を使うということに、当然だがまったく慣れていない。これほどまでに疲れるなんて妖怪というものも結構大変だな。
体を動かすのは今日は止めだ、今日の残った時間は頭を動かして過ごすとしよう。
「……あ、そうだ。自分の事ばっかり調べてたけど、この世界のことも知っておくべきだよな。よし、『今はいつでここはどこか』。 ………………は?」
得られた答えに思考が止まる。
ここはどこか。地球上の大地の上。なんて大雑把な答えだろうか。
そしてもう一つ、今はいつか。
今は年号が成立するよりも遥か昔。人類が誕生したばかりの時代である。
「どういうこと……だ?」
そう呟くと、俺は意識を手放した。