東方狐答録   作:佐藤秋

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第二十四話 古明地こいし

 

「……ふーさっぱりした。いいなぁここ、温泉が湧いてるなんて。ずっとここに住もうかなぁ……」

 

 さとりやお燐が住むこの地霊殿には、なんと温泉が湧いていた。なんでも地霊殿の下にはもともと灼熱地獄があったらしく、その影響で温泉が湧いているらしい。さとりからこの話を聞いて、風呂好きを自称する俺としては入らずにはいられない。三時のおやつの時間までには出ることを約束し、早速入らせてもらった。

 

 地底には妖怪を監視するためにやってきた俺ではあるが、今日はまだ初日である。このくらいのわがままは許されてもいいだろう。

 尻尾を出した状態でお湯に浸かると毛が大量に浮いてしまうような気がしたので、このときだけは尻尾を消す。温泉の温度は少し熱いと感じたが、これはこれで気持ちいい。広さもかなり広いしまるで貸し切りの銭湯に来た気分だ。

 

「……尻尾が少し重い気がする。少し濡れたのかな」

 

 温泉から出た俺は、そんなことを呟きながらさとりの部屋まで歩いていく。風呂から上がってから改めて尻尾を出したからそんなはずは無い、おそらく俺の気のせいだ。

 

 尻尾への意識を無くしながら更に先へと歩いていく。すると廊下の角を曲がった先で、黒く長い髪をした少女とばったり出会った。

 

「うにゅっ! 誰だお前は!」

「む? ああ俺は……」

「さとり様ー! 侵入者! 侵入者がいます!」

 

 少女は俺の顔を見かけるや否や、そう言ってさとりの部屋まで飛んでいってしまった。

 ……まぁ、心が読めるさとりなら少女の言う侵入者が俺だとすぐに分かるだろう。慌てて止めることも無いと思い、改めてさとりの部屋まで歩いていった。

 

 

 

 

「俺だけどー」

「どうぞ」

 

 さとりの部屋の扉をノックして、返事があったので部屋に入る。中にはさとりとお燐、それと先ほど見た少女がいた。

 

「ほら、お空。この人が新しくここに住むことになった真さんよ。挨拶なさい」

「はーい。私、霊烏路(れいうじ)(うつほ)。お空って呼んでね!」

「俺は鞍馬真。狐の妖怪だ、よろしく」

 

 少女は先程とは違い友好的に挨拶してきた。さとりがうまく説明してくれたのだろうか、先ほどの態度をまるで感じさせない。もっとも、そのほうが俺にとっても都合がいいので無駄に言及はしないでおく。

 

「真さん、少しお願いがあります」

「? なんだ、さとり」

「おそらく近くに私の妹が来ています。真さんの能力で見つけて下さい。理由は後ほど説明しますので」

「? よく分からんが分かった。『さとりの妹の居場所』。 ……後ろ? 誰もいないと思うんだが……」

 

 能力を使うと、さとりの妹は俺のすぐ後ろにいるのだという答えが出る。しかし後ろには誰もいない。

 どういうことだと思い目を皿にしてよく見てみると、俺の尻尾に違和感を感じる。更に注意して尻尾をよく見てみると、子どもが一人、俺の尻尾の先にしがみついているのを発見した。

 

「な、な、なんだお前!」

「……あれ、見つかっちゃった?」

 

 一度見つけてしまえば、なんでいままで気付かなかったのかと思うくらいはっきりと見える。緑がかった灰色をした髪の少女がそこにいた。

 一体いつから少女はそこにいたのだろうか。俺は尻尾を曲げて、しがみついていた少女を自分の前に持ってきた。

 

「あ、こいし、そこにいたのね。真さん紹介します。私の妹の古明地「こいしだよ。よろしくね、真」……です。諸事情により覚妖怪の能力を閉ざしてしまって、代わりに私でも認識出来ない能力を身に付けています」

「……ほー」

 

 見るとこの子にも、さとりと同じように第三の目がついている。さとりと違いその目は閉じられていて、心を読む能力を閉ざしてしまったというのは本当のようだ。

 それにしても、認識出来ない能力か……よし、今度からこの子のことはミスアンノウンと呼ぼう。

 

「やめて下さい」

「はい」

 

 さとりに心を読まれて釘を刺された。俺のパーフェクトプランが崩れてしまったが、少し予想をしていたのであまり落ち込みはしない。

 

「さあこいし。真さんの尻尾から離れてみんなでお菓子を食べましょう」

「はーい」

「すごいね真! 真はこいし様を見つけられるんだね!」

「まぁな」

 

 こいしがさとりに言われて俺の尻尾から離れていく。先ほど尻尾が少し重いと感じたのはこいつのせいだったんだな。

 お空が俺に向かってすごいすごいとはしゃいでくる。凄いと言われて悪い気はしない。

 

 テーブルの上には一つの大きな皿に、ドーナツが大量に盛ってあった。みんながそれぞれテーブルの周りのソファーに座る。さとりの目の前が空いているので、俺はそこに腰かけた。

 

「「いっただっきまーす」」

「「「いただきます」」」

 

 みんなで手を合わせてそう言ったあと、それぞれがドーナツに手を伸ばす。すべて同じ種類のようなので、どれを取っても同じだろう。しかし少しでも大きいのを取りたいと思うのが子どもである。少女たちより大人である俺は少し遅れて手を伸ばした。

 

「これは全部さとりが作ったのか?」

「はい」

「へぇぇ、凄いな」

「さとり様が作るお菓子はどれも美味しいんだよ!」

 

 お空はそう言って幸せそうにドーナツを頬張っている。見ているこっちも幸せになるような表情だ。

 お空に続いて俺もドーナツを食べる。うん、甘くて美味しい。男は甘いものが苦手というのを聞いたりするが、俺は甘いものは好きなほうだ。

 

「お口に合ったようでよかったです」

「まあな。 ……あれ、お燐はさとりに許してもらったのか?」

 

 見るとお燐も俺たちと同じようにドーナツを食べていた。先ほどのことはもう許してもらったのだろうか。まぁそこまで取り立てて怒るようなことでもなかったし、さとりの冗談みたいなものだと思っていたが。

 

「まぁねー」

「ん? なになに、お燐さとり様に何かしたの?」

「真の術でさとり様が心を読めない状態にされちゃってね。焦るさとり様を見て新鮮だなーって思っただけだよ」

「えっ! 真ってそんなこともできるの!?」

「私も見てたよー。『えっ? えっ?』って焦るおねえちゃんかわいかった」

「もう、こいし!」

 

 なるほど、こいしはあの時点で既に部屋にいたのか。自己紹介するまでもなく俺の名前を知っていたからどこかで聞いていたんだとは思ったが。

 

「でも、さとり様が心を読めなくなったらなにも得することはないよね。うまく喋れなくても分かってくれるさとり様が私は好きだし」

 

 お空がそんなことを言っている。なんださとりのヤツ、地底じゃ嫌われているみたいなことを言っているが、妹やペットには十分好かれているじゃないか。まぁ見たところ、心を読まれる以外に嫌われる要素は見当たらないので、心を読まれてもいいと思っているペットにとっては当然の感情なのだろう。お空の言葉にお燐もうんうんと頷いている。

 

「ふふ、二人ともありがとう」

「……まぁさとりが好きなのはいいとして、得することは本当に無いのか?」

 

 幸せそうなこの家庭を一旦無視して、俺は思った疑問を口に出す。本当に心が読めなくなっても利点は無いのだろうか。能力が自動に発動することが厄介に見えて仕方が無いんだが。

 

「えっ」

「そりゃあ無いに決まってるよー」

「……例えばの話だが、このドーナツが最後に一つ余るとするだろう? その場合どうする?」

「はい! 私とお燐がじゃんけんして勝ったほうが食べる!」

 

 お空が元気よく手を挙げて発言する。ここまで理想的な発言をしてくれると話の展開がやりやすい。

 

「私は半分ずつでもいいんだけどね。あ、たまに気付かないうちにこいし様に食べられてることもあるか」

「えへー」

「……まぁそれは置いといて、じゃんけんするとしよう。じゃんけんにさとりは参加しないよな。何故なら心を読めるさとりが必ず勝てるから。しかし一時的に心を読む能力を押さえられるなら、さとりもじゃんけんに参加できるとは思わないか?」

「……確かに! 私さとり様とじゃんけんしたこと無い!」

「さとり様にじゃんけんで勝てるのはこいし様だけだからねぇ」

「ま、ようは遊びの幅が広がるってことだ。遊びってのは心が読めないから面白いのも多いからな」

 

 俺の知っているゲームだと、心を読めてしまった場合はほとんどのゲームが崩壊してしまう。必ず勝てる最初のうちは楽しいかもしれないが、それだとすぐに飽きてしまうのだろう。お空がさとりとじゃんけんしたことが無いというのもあり得ない話じゃない。

 

「はぁ~、なるほどねぇ」

「なるほど! さとり様じゃんけんしましょう!」

「あははお空、まだおねえちゃん心読めてるから負けちゃうよ?」

「……いいでしょう。真さん、やってください」

「はいよ」

 

 俺はさとりに変化の術を使い第三の目を消した。なんだかさとりもやる気になっているようだ。

 

「ドーナツは残り四つ。負けた人以外の四人が食べるということでいいですね?」

「わかりました!」

「いいですよ」

「いいよー」

「いいだろう」

 

 別に俺は我慢するから四人で食べればいいのだが、そんなことを言える空気ではない。ペット二人とさとりは、なにやら楽しそうに見える。こいしは、ずっとニコニコしているから分からない。

 

「「「「「最初はグー、じゃん、けん、ぽん!」」」」」

 

 五人でテーブルの前に拳を突き出し声を揃える。 

 

 数回のあいこの末、結果はどうなったかというと……

 

「わーい、さとり様に勝ったー!」

「すいません、じゃあいただきます」

「もーらいっ!」

「……決勝戦と行こうか」

「……望むところです」

 

 俺とさとりの二人負けだった。むむむ、別にドーナツは譲ってもいいが、勝負事となると負けたくは無い。

 

「……一つ予言をしよう。この勝負、俺が勝つ」

「……へぇ。言っておきますが能力を使うのは無しですよ?」

「当たり前さ。使わなくても勝てるからな」

「……まあ、やってみれば分かりますよね」

 

 俺の言葉で、さとりとの間に軽く緊張した空気が流れた。ペット二人とこいしは、ドーナツを食べながら勝負がどうなるか見守っている。

 

「宣言しよう。次に俺はグーを出す」

「……!?」

 

 俺は自分が何を出すか宣言する。じゃんけんは運ゲーではなく心理戦だ。さて、心が読める状態のさとりには意味が無いが、心が読めない今のさとりはこれを聞いてどうするのだろう。俺の意図を読み取ることはできるのか。

 

「さとり様、パーです! 相手がグーなら、パーを出せば勝てますよ!」

「お空、ちょっと黙ってな」

 

 ギャラリーが勝負の行方を見守っている。少しさとりは困惑した表情をしたが、今度は少し笑って次の言葉を言った。

 

「へぇ。私は何を出すかは言いませんけどね」

「それでもいいさ。じゃあいくぞ?」

「ええ」

 

 さとりの顔を見て、出す手は決まった。考えるのは、さとりが俺の言葉を信じているか信じていないか()()()()

 

「「最初はグー……」」

 

「「じゃん、けん、ぽん!」」

 

 俺とさとりの手がそれぞれ出揃う。

 

 さあ、結果は……

 

「あー! 真ずるーい! グーを出すって言ってたのにチョキにしてるー!」

 

 さとりはパー。俺はチョキ。

 俺の勝ちだ。

 こいしが「おー」と口を開いて手をパチパチ叩く。

 

「……どうして、私がパーを出すことが分かったんですか? 私が真さんの言葉を信じていると思ったのですか?」

「……普通の者は、人の心を読むことなんてできない。だから相手のことを考え、研究して、分析するんだ」

 

 俺は最後のドーナツを手に取り、笑ってさとりにこう言った。

 

「嬉しい、楽しいと感じている者は、ほとんどの者がパーを出すのさ」

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「真、今日はありがとうね」

 

 こいしが、俺の尻尾の上に乗りながらそんなことを言ってきた。ここは、今日地霊殿に新しくできた俺の部屋である。もう一日が終わるので部屋に戻って休んでいた。

 

「尻尾か? まさか尻尾のことなのか?」

「違うよ」

「む」

 

 違った。あれからこいしはずっと俺の尻尾でなにかしら遊んでいる。お礼を言われるとしたらこれ以外に思い付かないのだが。

 

「今日のおねえちゃん、とても楽しそうだった。真のおかげ。だから、ありがと」

「そうなのか。じゃんけん程度で楽しんでもらえたなら全力を出した甲斐があったな」

「たしかにあれもだけど、心を読むことを知ってなお自分のことを嫌わない存在に出会えて嬉しかったんだと思う」

「へぇ。でもそんなヤツ、生きてれば何人くらいかは……」

「いないよ。少なくとも私が心を閉ざすまでは一人もいなかった。人間にも、妖怪にもね」

 

 こいしが、俺が言い終わる前に否定してくる。ずっと笑っていて何を考えているか分からないこいしが、初めて感情を出した気がした。

 

「……こいしが心を閉ざしたのっていうのはやっぱり……」

「そうだよ、心を読めても辛いことしか無かったからね。 ……ねえ真、私がやったことって馬鹿なことだったと思う? おねえちゃんみたいに、心を読める状態のまま生きて、真みたいな人に会えることを信じて生きていくべきだったのかな?」

「……馬鹿なことだったかどうか決めるのは、これからのお前次第だよ。それに俺は、やりたいと思って選んだ選択肢を否定することはできない。仮に自殺したヤツがいたとしても、そいつの気持ちは分からないが、そいつの気持ちを否定するつもりは無い」

「……そっか」

 

 こいしはそう言うと、俺の尻尾から飛び降りる。さっきまでの少し暗い空気はどこへやら、こいしはいつもの何を考えているか分からないのほほんとした雰囲気に戻っていた。

 

「よっし、真。一緒にお風呂行こー。背中流してあげる」

「え、俺今日はもう入ったんだけど」

「いーじゃん。私が入りたいと思ったんだからさ」

 

 そう言ってこいしは俺の手を引いて温泉まで引っ張っていった。

 ……まぁ別にいいか。風呂は一日に何回入ってもいいものだ。

 

 

 

 

「……ほら、体にタオルを巻いときな」

「はーい」

 

 風呂場に行って、俺はこいしに大きめのタオルを渡す。女の子なんだから慎みを持たないとな。俺は女じゃないので、風呂での慎みを持った行動というのは分からないが、少なくとも裸で歩き回るものではないと思った。

 こいしは俺より一足先に浴室へと入っていった。俺は着ている服を腰タオルに変え、開けっ放しにされた浴室への扉をくぐってこいしを追う。

 

「おーいこいし、一瞬だろうがちゃんと扉は閉めて……」

「し、真さん!?」

 

 扉を開けっ放しにしていたこいしに注意しようとしたら、浴槽のほうから声が聞こえてきた。湯気が立っていて視界が悪く見えないが、どうやら先客がいるようだ。

 

「その声は……さとり?」

「ど、どうしてここに………… そう、こいしに連れられて……じゃあここにはこいしもいるのね」

「ああ。悪いな邪魔して。なんなら俺は引き返そうか?」

「……い、いえ。大丈夫です。お湯は濁っていますし、こいしに対して下心を持ってはいないようなので。こちらを見ても大丈夫ですよ」

「……まぁ子どもだしな」

 

 ついでに言うとさとりに対しても下心は多分持っていない。見た目がまだまだ幼いからだろうが、だからといってじろじろ見ることは失礼なので自重する。

 

「じゃあ……あれ、こいしはどこいった?」

「ここだよー」

「わっ、こいしいつの間に私の横に……」

 

 声のする方向を見ると、こいしはさとりの横で既にお湯に浸かっていた。こうして並んでいるところを見ると、さすが姉妹と言ったところか、髪の色は違うが二人ともよく似ている。

 

「ちゃんと体流して入ったか?」

「うん」

「ならよし。じゃあ俺も入るか」

 

 湯船から桶でお湯をとってかけ湯を行い、二人から離れた場所から湯船に浸かる。無闇に相手のパーソナルスペースに浸入したりはしない。

 

「あ、真さん耳が……」

「ん? ああ、あと尻尾もな。風呂のときは邪魔になるから消してるんだ」

「なるほど……」

「えー! いま真尻尾無いのー!?」

 

 こいしがバシャバシャと波を立てて寄ってくる。自由だなこいつ。

 

「わー、ほんとに無いー」

「……すいません真さん。今日見る限りずっと真さんの尻尾にじゃれていて…… あら、昔からこいしみたいな子がいたから慣れてるのね。それに……藍さんというのかしら、その人の尻尾を触ってからその気持ちは分からなくもないと」

「ええい、触るな読むな」

 

 俺はタオルを湯船につけて、空気を含ませ湯船の中に沈めた。タオルからいくつもの小さい気泡が立ち上る。俺がタオルクラゲと呼んでいるこれにより発生させる泡を、こいしは「おー」と言いいながらじっと見ていた。こういった不規則性のある動きを、人はついつい見てしまう。1/fの揺らぎというやつだろうか、それはまた違うかもしれないが。

 ともかく、俺はこいしの意識を別のほうに向けることに成功した。

 

 

「……真さん。明日からも、よろしくお願いしますね」

「ああ」

 

 明日からは地底をいろいろ見て回ろう。まずは地底のことを知らなければ。

 

 俺の作ったタオルクラゲがこいしに握りつぶされ「ボフッ」と音を立てていなくなった。

 

 


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