妖怪の山に来て何百年経っただろう、とにかく長い間俺は妖怪の山にいた。理由はどうあれ名前を天魔から貰ったのだ。少しくらいはこの山に貢献しようと思い俺は妖怪の山に留まった。
とはいえ特に、何か特別なことをする、ということも無かったが。たまに勇儀や萃香が喧嘩に誘ってきたり、鬼の開発部の酒虫の研究を手伝ったり、天狗と速さ比べをしたり、河童の技術に舌を巻いたりする毎日だった。
ある日尻尾が八本に増えていることに気が付いた。妖力は増えたがそれでも勇儀には純粋な力では敵わない。腕相撲などでは俺は一度も勝てなかった。
思えば何年も人間を見ていない。人里は一体どれほど文明が進んだのだろう。永琳のときと比べるとかなり遅いようだが、それでもかなり変化しているはずだ。そう感じた俺は、近いうちに旅を再開することを決めた。
「じゃ、ちょっと出ていくよ」
まるで近所のコンビニに行くような気軽さで、俺は勇儀と萃香にそう告げた。「あいよー」と答えた二人は日中だというのに酔っ払っている。勇儀と萃香はそれぞれの手に瓢箪と盃を持っていた。
実はあれ、俺が鬼の技術部との協力を得て作り、二人にプレゼントしたものだ。酒虫の性質をうまく利用したもので、瓢箪は空気中の水分から無限に酒を作り出し、盃は注いだ酒の味を極上のモノへと変える代物である。
萃香には瓢箪を、勇儀には盃をそれぞれあげた。なんとなく、萃香は質より量、勇儀は量より質というイメージがあったのだ。
再び妖怪の山に俺が戻ってくるのは一体いつごろになるのだろうか。願わくば俺の渡したプレゼントを長く使うことで、たまには俺のことを思い出して忘れないでいてほしい。
そんな感傷的な気分はさておいて二人にはもう別れの挨拶は告げたことだし、と、俺は妖怪の山を後にした。
「……いやぁ、真がいなくなると少しだけ退屈になるねぇ萃香」
「……そうだね、私らと正面切って戦えるヤツなんてそういないからね」
「……真のヤツ、術を多用したらもっと強いだろうにな」
「そうそう、私たちに合わせて肉弾戦にしてくれてるよね」
「そのくせ負けず嫌いだよなぁ真は」
「ははは、違いない」
「……」
「……」
「……ま、次に会うまで酒でも飲んで待ってるか」
「そうだねー。 ……ところで勇儀、真から貰ったその盃、いつも大事に持ってるよね。酒を飲まない日もしっかりと」
「な!? そ、それは萃香も同じだろう!」
「私は瓢箪だからそういうもんだよ。でも勇儀は戦いのときでも手放さないじゃないか」
「あ、あれは、敢えて自分の動きを制限することでより戦いを楽しくするためにだな……」
「はいはい、そういうことにしといてあげるよ」
「なにー!」
「お、やるかー!?」
・・・
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妖怪の山から適当な距離を飛び、適当な森の中へと降り立つ。適当に人里まで行ってもよかったが、こういった一人の時間も俺は好きだ。孤独が辛かったのはもう昔の話、今は一人を楽しむ余裕すらある。
久しぶりの一人の時間だ。世界に言葉を話せる存在は自分以外にも沢山いる。その事実があるだけで一人はなんと気楽なものか。
俺は鼻唄を口ずさみながら、適当な方向に歩き出した。
妖怪の山にいる間に妖怪の質が変わったのか、それともこの森の妖怪のタチが悪いのかは知らないが、歩いていて何度も妖怪に襲われた。一人の時間が好きだといったのに全く空気を読んでほしい。
とはいえ鬼と互角以上には戦える俺に敵う妖怪はそうそういない。更に、勇儀たちとの喧嘩のときは使わないが、万が一のため能力を使いながら戦っているので相手の力量を見極めることもできる。格上の相手の場合でも逃げる自信は大いにあった。
歩いていると突如、目の前の空間が縦に裂けた。何が何だか分からないが、俺にはそう表現するしかできない。裂けた空間の両端にはリボンのような物がついており、空間の中は真っ暗で所々に目みたいなものがついている。
なんだろう…… そう思いつつ警戒しながら裂けた空間をまじまじと見る。
触ってみる勇気はない。それほどまでに俺は目の前の空間に気味の悪さを感じていた。
「えーと……『これは一体』…… うおっ」
考えても埒があかないと思い、俺は目の前の裂けた空間を能力で調べようとする。分からないものでも能力を使わず考えてみることは大事だと思うが、得体の知れない物をそのまま放っておくなんて俺にはできない。
俺の能力を使う代償に『調べるものに対して触れる』なんて条件が無かったことに安堵しつつ、目の前の空間から目を離さないようにしながら声を出そうとした次の瞬間。空間から何者かが現れた。
「はぁ……はぁ…… ここまでくれば……」
現れたのは少女だった。長い金髪をした、年端も行かぬ幼い少女だ。少女にはひどく疲れているような印象を受ける。
少女が空間から出てきてドサッと地面に落ちると同時に、空間は自動的に閉じられて今はもう影も形も無い。
「!! 人間!?」
少女は俺を見て驚いているようだった。そっちがいきなり現れたのだから驚きたいのは俺のほうなのだが。もしかして少女が俺の前に出てきたのは意図していないものだったのか。
「くっ……ダメ……もう……意識が……」
少女は俺を見て立ち上がろうとするも、そう呟いたと思ったらそのまま倒れて気を失ってしまった。森のとある空間に、気絶した少女と共に取り残される俺。
「なんなんだ一体……」
俺は能力を使うわけでもなく、ただただ疑問を独りごちた。
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「……はっ!」
「お、起きたな。そんな『はっ!』とか言いながら気が付くヤツ初めて見た」
森の中で俺の目の前にいきなり現れ、勝手に気絶した少女が目を覚ます。放っておいて他の妖怪に襲われでもしたら気分が悪いと思い、一時的に保護することにしたのだ。
実はこの少女、何日経っても目が覚めなかった。いいかげん目覚めてくれないと面倒なので、能力を使って少女のことを調べた俺に罪は特に無いはずだ。その結果少女は妖怪であり、死にはしないものの妖力が枯渇していることが分かったので、俺の妖力を分けてやることにしたのである。
その他にも、少女の境遇についてある程度分かったことがある。他の妖怪に襲われ続け命からがら逃げてきたことや、なぜ妖怪に襲われ続けたか、少女の持つ能力についてなど様々だ。勝手に知ってしまい悪いと思ったが、分かってしまったのだから仕方が無い。
「こ、ここは……」
「お前が気絶したところの近くにあった巨木の中。術を使って家みたいに変化させてみた」
「あ、貴方は……」
「たまたま居合わせた狐の妖怪」
「な、なんで私を……」
「いやぁ、俺の目の前で倒れた女の子をほっといて、襲われでもしたら寝覚めが悪いし」
俺は少女の質問に答えていく。本当は俺に答える義務など無く少女が目覚めるのを確認したらさっさと去ってもよかったのだが、少女の境遇を知ってしまった今となっては無視ができない理由があった。
「……」
少女は無言で俺を見てくる。俺が少女を助けた理由が抽象的過ぎて、まったくわけが分からないといった表情だ。
俺だって見ず知らずのどうでもいい相手を、わざわざ自分の時間を削ってまで助けようとは思わない。同情もあるがそれ以上に、俺にはちゃんとした理由があるのである。
「……それに、お前は似てると思ってな」
「……え? 似てるって誰に……」
「昔の俺にさ。俺も自分の能力に振り回されててな。使いすぎた日にはこの前のお前みたいに、いつの間にか気を失ってることが何回もあった」
「……そう……なんだ」
似てる、という言葉を聞いて、少女が警戒を緩めた気がした。本当は話すつもりなど無かったのだが結果オーライ。今だ、と思い会話を広げる。
「ほら、腹減ってないか? 飯ならできてるぞ」
「え?」
俺は少女に梅の入ったお粥を渡す。一人での旅は何度もしてきたんだ、料理くらいは作れるさ。
「……これは……」
少女はお粥を受け取ったはいいが、そのままのポーズで固まってしまった。
「……ど、どうした、梅は苦手だったか? それなら代わりにリンゴ風味のお粥も……」
「……違うの」
「え?」
「私……こんなに優しくされたの初めてで……」
少女の目から涙が出てきて、そのまま頬を伝わり地面に落ちる。ああ、なるほど驚いていただけか。
続けて少女は独白するように言葉を続ける。俺は能力を使ったため少女のことは結構知っているが、それでも聞いてあげたほうがいいような気がした。
「生まれたときから妖怪に命を狙われて……安心できる日なんて無くて……毎日毎日逃げてきて……」
「……そうか」
喋る度に、少女の目から大粒の涙がポロポロとこぼれる。俺は、目の前の頬に伝っている涙を袖で拭うと、少女の頭に手を置いた。
「……もう大丈夫だから」
この少女も、俺と同じように強すぎる能力(自分で言うのもなんだが)を得てしまった存在だ。ただ一つ、決定的に違うのは生まれてきた時代だろうか。
今の妖怪は昔と比べてタチが悪い。この少女の成長を恐れ早めに芽を摘もうとしたのか、それとも少女の妖力を奪ってやろうと考えたのかは分からないが、ほとんどそのどちらかの理由で少女は常に狙われてきたのだ。
俺は生まれてきたときは周りに味方がいないだけだった。生まれてきたときから周りが全員敵だったこの少女は、どれほど苦しんで生きてきたのだろうか。
「……もう大丈夫。君が生きてきた世界は、まだほんの一部に過ぎない。世界はほんとは、君を幸せにするためにあるんだよ」
少女の頭を撫でながら、かつて読んだことのある印象的だった漫画の台詞を言う。あの少女たちは壊れてしまっていたが、この少女はまだ曲がってはいない。
少女はまだ、世界の一部分しか見ていない。
汚いことは当然ある。そんなことは百も承知でも、俺は少女の世界に光を当ててやりたいと思った。
俺は少女の涙が止まるまで、少女が我慢していたものを出し切るまで。俺はずっと少女の頭を撫で続けていた。
「……っと、自己紹介がまだだったな。俺は鞍馬真、狐の妖怪だ。お嬢ちゃんの名前は?」
「……
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「……ねぇ、真……さん?」
飯を食って落ち着いたのか、紫が話しかけてきた。こうして誰かの名前を呼ぶのは初めてなのだろう、どことなくぎこちない感じがする。
「真でいい。どうした紫?」
「そう…… 真はどうやって能力を使いこなせるようになったの?」
先ほどした、俺も似たような境遇にあったという話を覚えていたのか、紫が俺に尋ねてきた。
『答えを出す程度の能力』のほうはあまり使っていないため、使いこなせているかと言われたら微妙なところではある。ただ妖力の総量が増えたため、当初みたいにすぐに疲れて眠ってしまうことはなくなった。
「うーん……何度も使ううちに慣れてきたってのもあるが…… やっぱり長く生きているうちに妖力が増えて使いやすくなったかなぁ」
「長生きって、真は何年生きてるの?」
「さぁ…… 千は結構前に過ぎているが」
「せっ!? ……私もそんなに待たないといけないの?」
「大丈夫。見たところ紫は才があるようだし、俺とは違った生まれきっての妖怪だろ。すぐ能力を使いこなせるようになるさ」
「……本当?」
「本当だとも」
そう言って頭を撫でてやる。「えへへー」と笑う紫はとても幸せそうだった。
嘘を言っているつもりはない。生まれてから今まで生きてこれたことが何よりもその証拠である。ほとんどの妖怪に狙われて逃げ延びてきた、それは運だけでは片付けられない。
「そういえば紫は今、能力を使ってどんなことができるんだ? 『境界を操る程度の能力』だったか」
「え、どうして私の能力を…… うーん、何ができるかって……せいぜい場所を移動することにしか使えないわ。それも離れた場所には移動できないし」
「……それだけ?」
「……それだけ」
……おかしいな、俺の知った限りではもっと応用が利く能力のはずだが……
まぁ俺だって変化の能力一つにしても、最初は自分しか変化できなかった。更に『答えを出す程度の能力』がなかったら他のものを変化させるといった応用には気付かなかったかもしれない。
まずは、紫には自分の能力がどのようなものかを知ってもらう必要があるな。紫の能力で何ができるか、俺はもう既に知っている。
「……紫、質問だ。『境界を操る』とは一体なんだ?」
「えっと……空間に境目をつくって、別の場所に繋げたり……」
「そうだな、それもある意味正解だ。しかし紫の能力はもっと応用性に長けたものだ」
「……どういうこと?」
紫が首をかしげて聞いてくる。能力は、自分で勝手に限界を決めてはいけない。意外とできることは沢山あるのだ。
例えば萃香の能力だが、萃香は『密と疎を操る程度の能力』がある。萃香は当初この能力を、宴会に人を萃めることと、酒気を散らすことにしか使えないと思っていた。
しかし能力の名前の通り、まだまだ応用に使えることがある。自分の身体を萃めて巨大化したり、散らして霧のようになることも可能だったのだ。
紫の『境界を操る程度の能力』も同様に、その名前の通りのことができる。まずは『境界』とは何なのかを、紫自身が知る必要があるのである。
「いいか、世の中に存在するもの全てに『境界』は存在する。水だってお湯との境界がどこかにあるし、火だって炎との境界がどこかにある」
「……」
「目に見えないものにだって境界はある。たとえば感情…… 喜び、怒り、悲しみとかだな。これだって人によって境界が存在するから、同じことが起きても反応が変わるんだ」
「な、なるほど……?」
「紫、お前は『境界を操る程度の能力』によって、これらを操作することができるはずだ」
「え、そ、そうなの?」
「そうだ。よし、紫、ものは試しだ。この水の温度の境界を操ってお湯にしてみてくれ」
そう言って俺は器に入った水を指差した。こういったことは言葉で分かるのも大事だが、まずは本当に使えるのかどうか実際にやってみることから始めたほうがいい。
「……わかった、やってみるわ」
紫はそう言うと、水を見つめてなにやら集中を始めた。俺からは見つめているようにしか見えないが、紫は境界を操ろうとしているのだろう。こればっかりは本人にしか分からない感覚である。
少しして、水から湯気が昇り出す。紫はその液体に、自分の指を突っ込んだ。
「熱い…… 本当にできた……」
「だろう? 紫が境界を認識できれば認識できるほど、応用もできるようになってくるさ。これは追々慣れていくしかなさそうだが」
今回は、水をお湯に変えただけだ。一度できたならこれは次から絶対にできる。紫の能力で重要なのは、どうやって他のことに応用していくかである。
紫は、自分の能力がこのように使えるのかと驚いている様子だったが、すぐに子どものようにはしゃぎ出した。
「……すごいすごい! 私の能力にこんな使い方があったなんて! 真にはまるで、私よりも私のことがわかっているみたい!」
「まぁ……そういう能力だからな」
「そうなの? あ! だから真は私の『境界を操る程度の能力』ってことも知ってたんだ! なんで知ってるのか少し疑問だったの!」
「そういうことだ」
はしゃいでいた紫だったが、ここでハッと何かに気付いた様子になる。紫は自分の口に手を当てて、恐る恐る俺の顔に目を向けてきた。
「え、ちょっと待って…… じゃあ私、真に隠し事できないの?」
「……まぁ一応そういうことになるが」
「あ、あわわわわわ」
「……でも、普段は俺は能力をそういうことに使うつもりはないぞ。今回は、紫がなかなか目を覚まさないから仕方なく使ったんだ」
「そ、そうなんだ」
紫はほっと胸を撫で下ろした。誰でも隠し事の一つや二つあるだろう。それをわざわざ知ろうとするなんて無粋なことはするつもりは無い。
「…………ふわぁ~あ。 ……真、私なんだか眠くなってきちゃった……」
紫が欠伸をする。見ているこっちまで眠くなるような大きな欠伸だ。
「慣れない能力の使い方をしたからかな。それともまだ疲れが残っていたか…… まあいい、今日はもう休もう。能力を使う練習は、これからゆっくりやっていけばいい」
「はぁい……」
紫はそう返事をすると、座っていた布団の中に寝転がる。懐かしい、俺も能力を覚えたころは、二、三回使うだけで眠くなっていた。
「ねぇ真……?」
「どうした?」
「起きたらいなくなってたりしないでね……?」
「大丈夫、いなくなったり絶対にしないよ」
「……約束よ?」
「ああ、約束だ」
そう言って俺は、差し出される紫の手のひらを握り返す。紫は安心したように目を閉じると、そのまま寝息を立て始めた。
紫がこうして周囲を気にせず眠りにつけたのは、おそらく今日が初めてだろう。無防備な寝顔をさらす程度には、俺は信用されたようだ。
俺はおやすみ、と呟き、明かり代わりに点していた狐火を消す。
紫が能力を使いこなせるようになるまではそばにいてやろう。闇に慣れない目で目の前にいるはずの紫を見つめながら、なんとなく俺はそう思った。