東方狐答録   作:佐藤秋

107 / 156
第百七話 時戻異変⑧

 

 暦の上ではどうなのかは知らないが、体感的には季節はもう冬である。太陽の沈む時間も早くなり、辺りは既に夜の帳が下りていた。太陽の光が差し込まない地底と比べると、地上では視覚的にも夜であることが実感できて分かりやすい。

 

 気絶している霊夢と魔理沙が、二人で仲良く布団の上で、なにやらうわ言を呟いている。神社の穴から変な音が……だの、穴から衝撃波とは驚きだぜ……だの。

 まったく、どうしてこいつらは、夜中に神社の穴を覗いていたりしたんだろう。天子が異変を起こしたときに空いた、地底と繋がる温泉穴のことだ。

 そこまで大きい穴ではないが、人間一人はすっぽり入る大きさであり、当然ながらものすごく深い。うっかり落ちたりしたら危ないじゃないか。いやまぁこいつらは飛べるけど。

 

 もっとも今回危なかったのは、穴に落ちることではなく、穴から何かが飛び出てくるということであるが。

 

 

 

 ~回想~

 

「……ねえ魔理沙。さっき私、この穴に小さい真が入っていくのが見えたんだけど」

「……はー? なんだそりゃ。つーか小さい真ってなんだよ」

「なんか真がフランくらいの大きさになってたやつでね? 尻尾もたくさん生えてたの」

「……尻尾は分かるが、真が小さくなる意味が分から…… ん、待てよ……確か妖怪の山でそんな異変が起きてたって……」

「それでね、後になってちょっと気になったから穴を覗いてみたら、中から変な音が聞こえる気がするのよ」

「……変な音? どれどれ……」

「地の底から何かが猛スピードで飛んでくるような、そんな感じの……」

 

 ヒュウウウウウ…… パン!!!

 

「「うわぁ!!」」

「……よっし、ついた! はっはー、全力で飛べば一分以内に地上まで来れるんだな…… ん?」

「「……きゅ~……」」

「……あ」

 

 ~回想終わり~

 

 

 どうやら霊夢と魔理沙の仲良し二人組は、夜中だというのに地底につながる穴を覗いていて、出てくる俺に驚いて気絶してしまったようなのだ。俺にだって両目は前についているし、ぶつかるヘマなどしないのだが…… 全力で飛んできてしまったせいだろうか、結構な量の空気を押し出してしまったらしい。霊夢と魔理沙はおそらくそれに驚いたのだろう。

 パン、という空気の破裂音も俺の耳には聞こえてきた。俺が空気の壁にぶつかった音だ。つまり音速を超えたということだろうか。 

 

 とにかくまぁ、六割くらい俺のせいで、二人は仲良く気絶してしまった。それから二人を神社内まで運び、布団に寝かせて今に至る。二人には悪いが、俺としては、この小さい姿を見られなくてよかったというところだ。

 

「うぅん……真が……真が小さい……」

「よしよし霊夢、それは夢だ。俺が小さいなんてあるわけがない」

 

 気絶しながらうなされている霊夢の頭を丁寧に撫でる。風邪をひいているわけではないので当然ながら熱は無いが、こういうときは頭に濡れタオルとか置いたほうがいいのだろうか。冬だし、冷たい思いをさせてしまうかと思ったので、布団に寝かせるだけにとどめているのだが。

 

「うぅん……小さい……小さいおっさんがお茶碗の周りに何人も……」

「うん魔理沙、お前のほうは間違いなく夢だ。今日はそのまま眠ってしまえ」

 

 同じくうなされている魔理沙の頭もポンポンと叩く。一瞬霊夢と同じうなされ方をしているのかと思いきや、なかなか愉快な夢を見ているようだ。よもや小さいおっさんとは俺のことを指しているわけではあるまいし。

 

 起こさないようにしなければと思ったが、二人とも起きる気配はまったく無い。元の姿に戻るのにもう少し時間がかかりそうな俺にとっては、なかなかに好都合だと言える。今夜はこのまま二人仲良く、朝まで眠っておいてほしいところだ。

 

「う、うぅん…… 真……」

「むぅぅ…… おっさんが……」

「……まぁなんというか、ごめんな二人とも。そのうちきっといい夢に変わるから」

 

 俺はもう一度二人の頭を軽く撫でたのち、明かりを消してこの場を後にした。

 

 

 

 

 居間である。

 普段は魔理沙などの客人はこの部屋でくつろいでいるし、霊夢もまたお茶を飲んでのんびりするときはこの部屋にいるのだが、今はこの居間には俺しかいない。誰も使用していないこたつが中心に置かれ、思想にふけるには十分な場所だと言える。

 

 紫の居場所を『答えを出す程度の能力』で確認したところ、どうやら迷い家にいるようだった。迷い家とは、紫が藍や橙と住んでいる謎の場所のこと。どこにあるのか分からないので、俺でもそう簡単に足を踏み入れることはかなわない。

 もっとも、もう一度能力を使ってしまえば、迷い家への行き方くらいはすぐに分かるのかもしれないが。

 

「……でもま、頑張ってたどりついたときに、紫はもういなくなっている可能性もあるけどな」

 

 地底でのさとりの言葉を思い出しながら、こたつに入らないまま俺はそう呟く。「能力で紫が次に来る場所を調べれば、あとは紫を待ち伏せるだけ」。さとりのその言葉を聞き入れた俺は、紫を探しに行くことをやめていた。わざわざ探しに行かなくても、待っていればいずれ紫はここまでやってくるのだから。

 

 次に紫が訪れる場所、それは博麗神社だった。今から数えて約一時間後、紫は自分から俺のいるここまでやってくる。いや、正確に言うならば、やってくるのではなく来てしまうわけであるが。

 

 実は今、博麗神社の温泉には、藍と橙が入りにやってきているのだ。入りに来たのはこの二人であり、紫は今後待っていても入りには来ないのだが、ここでちょっとした策がある。

 温泉から上がった藍と橙を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。そうすれば自分の式たちの帰りが遅くなったことを訝しんだ紫が、まんまと博麗神社にやってくるのである。これも『答えを出す程度の能力』で調べておいた。

 

 ああ、無作為に紫を追いまわすより、なんて効率的な策なのだろう。解決のヒントをくれたさとりには、感謝の念があふれんばかりだ。

 

「……さて、そろそろ藍たちが温泉から出てきてもいい時間だが……」

 

 閉め切られた博麗神社の一室で、扉の奥を見据えながら俺はそう呟く。俺が神社に来たときには藍たちは既に温泉に入っていたようなので、実際のところどのくらい温泉に浸かっているのか、正確な時間は分かっていない。

 しかし俺が霊夢たちの看病をして、それなりに時間は経っているのだ。一般的な入浴時間を考えてみるに、そろそろあがっていてもいいと予想するのは当然だった。

 

「……ふぅっ、やっとお風呂が終わりました! 霊夢さーん! お風呂ありがとうございましたー!」

 

 予想通り、橙が体から湯気を立たせながら、神社の中に入ってきた。ほんのりと赤くなった頬と肩にかけられたタオルは、いかにも風呂から出たばかりだと思わせる。

 ふと橙の周りを見渡してみると、藍の姿は近くに見えない。多分まだ温泉に入っているのだろうと思われる。

 子どもの管理がなっていないとは敢えて言うまい。子どもと一緒に風呂に入ったならば俺だって先に子どもを上がらせるし、実際地底などではそうしてきた。

 

「……霊夢さーん? ……あれ、もう寝ちゃったのかな……」

 

 神社の中に入った橙は、キョロキョロと中を見渡して霊夢の姿を探し始める。

 

「やぁ橙、こんばんは。その通り、霊夢はもう寝ちゃってな」

「……え? わわっ! だ、誰ですか貴方は!」 

 

 見知らぬ子どもに声をかけられて驚く橙。見知らぬ子どもというか、まぁ俺のことなのだけど、この姿が俺だと知らない以上は同じことだ。

 いきなりこの姿を見せて俺が真だと認識できたヤツは、今のところ誰もいないんじゃないだろうか。

 

「分からないか? じゃあ改めて自己紹介といこう。博麗神社に居候させてもらってる鞍馬真という。普段はもう少しマシな姿をしているんだがな」

「……え、真さま? そ、そう言えばどことなく面影があるような……」

 

 とはいえ無駄に勿体ぶって、警戒でもされたら目も当てられない。俺はさっさと橙に自分の正体を明かす。

 いつも素直でそしてかわいいさすがの橙でもすぐには信じられないようだが、まぁ時間はまだまだあるのだからゆっくりと信じてくれればいい。

 というか面影があるとかさすがに嘘だろ。狐の耳と大量の尻尾で俺だと分かってくれれば幸いだ。

 

「? ? ……うにゃあ……? ここにいる貴方が真さまなら、いつもの真さまはいったいどこに……?」

 

 変な風に混乱して、なにやらおかしなことを口走っている橙。本人はいっぱいいっぱいなのだろうが、見ているこちらとしてはかなりかわいい。紫のことなど関係無しに、博麗神社にずっと置いておきたいと思うほどだ。まぁさすがにそれは無理なので、今はこのかわいい橙のあたふたする様子を見ることだけにとどめておくが。 

 

「……む。橙、髪から水が垂れてるぞ。さてはちゃんと拭かなかったな?」

「……え? ……あっ、こ、これは……いつもは藍さまがお風呂でタオルを巻いてくれるのですが、今日は最後に髪を洗ったもので……わわっ!」

「よっと。まったくしょーがねーなー。自分で髪を拭くことも覚えなきゃだめだぞ?」

 

 橙の首に掛かっていたタオルを手に取り、垂れる水滴を受け止めるように橙の頭を拭いていく。髪の拭き方は、霊夢で何回か経験があるのでバッチリだ。

 敢えて違う点を挙げるとするならば、橙には猫耳が生えているということだろうか。あのときの霊夢は猫みたいでかわいらしかったが、今回は本当に猫である。

 あまり猫耳には刺激を与えないように、髪の毛の流れに沿うようにして橙の頭を拭いていく。

 

「……ふにゃあ…… こ、この優しい手つきは……真さまじゃないですか! 真さまこんばんは!」

「うん、さっきも名乗ったはずだけど…… っていうか手つきで分かるのか、すごいな橙」

 

 この姿だと、手の大きさなども変わっているはずなんだがな。まさか拭き方が俺だという証明になるとは思わなかった。

 まぁ俺だと分かったのなら、特にこれと言った不都合はない。むしろよくそんなので分かったものだと称賛の意味を込めて、拭く行為に合わせ、ついでに橙の頭を撫でてみる。

 

「……でも、どうして真さまは今のようなお姿に……?」

 

 よぅし橙、それでいい。この小さい存在が俺だと認識できたなら、まずはその質問が出てくるべきなのだ。

 それでは教えてしんぜよう。橙の主の主が俺にかけた多大な迷惑の話と。ついでにそいつをこらしめるために今から橙にも少し協力を頼みたいということを。

 俺は引き続き橙の髪の毛にタオルを当てながら、もう少し博麗神社に残ってほしい旨を伝えるために説明を開始した。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「……ふう、いい湯だった。少々長湯してしまっただろうか? 橙が待ちくたびれていなければいいのだが……む? あれは……」

 

「人間の童男(おぐな)……ではなさそうだな、妖怪の尻尾のようなものが見えている…… しかしどうして博麗神社に妖怪が……」

 

「(……! あいつの目の前にいるのは橙じゃないか! な、何故(なにゆえ)、木っ端妖怪の分際で橙の頭に触れているんだ……!)」

 

「(まさか私が見ていない一瞬の隙に、橙に悪い虫が寄り付くとは……橙の愛らしさを甘く見ていた! ……くっ、いったい何を話している! 声が小さくてよく聞こえんぞ……!)」

 

 

 

 

「……まぁそんなわけで、こんな姿になってしまったというわけだ。 ……ん? 橙、ちゃんと聞いてたか?」

「にゃぁ…… っ! は、はい聞いてましたよ! 決して髪を拭いてもらうことの心地よさに呆けていたわけではありません!」

「そうか、それならいいんだが……っと、よし、これで終わり。最後は……」

「……わぁっ! ありがとうございます!」

 

 橙の髪をタオルで拭きつつ、まずは俺が小さくなった経緯を説明する。髪を拭かれていたためだったか橙は目を細めていたため、いまいちちゃんと聞いていたような気がしないでもないが、それはまぁ良しとしよう。どうでもいいが、猫が自分を見ながら目を細める行為は心を開いた証拠らしい。

 俺も目を細め返しつつ、髪を拭き終わったタオルはそのまま橙の頭に巻きつけておく。手拭いを額に巻くのとはまた違った巻きつけ方だ。

 どうして俺はタオルの巻き方など知っているのだろうか。橙が結構喜んでいるので、とりあえずこれもまぁ良しとする。

 

「(やけに橙はうれしそうな表情をしているな…… 相手の男は……くそっ、顔が見えん! どうやら狐の妖怪みたいだが…… 狐がなんだ! 私は九尾だぞ! そうと知ってなお私から橙を奪おうというのか!)」

 

「……ところで、真さまが小さくなったことを藍さまは既にご存じなのでしょうか?」

 

 頭にタオルを巻いた状態のまま、橙が俺に訊ねてくる。特徴である猫耳がすっぽり隠れていて、まるで人間の女の子みたいだなと俺は思った。人間だろうと妖怪だろうと、橙の愛らしさは特に変わらないが。

 

「いや、おそらく藍もまだ知らないはずだ。それに、俺の全力の姿がこうなることも知らないと思う」

「そうなのですか! それでしたら、藍さまが来たらもう一度説明しなければいけませんね!」

 

「(……ん!? いま橙はなんと言った!? 私が来たら説明をする……? ま、まさか、私たち今度結婚します的なことじゃああるまいな……? ……だ、駄目だ駄目だ! 橙にはまだ早すぎる! 大体どこの馬の骨かも分からんヤツと……ってなんだあいつ尻尾が十本もあるぞ!? 九尾である私よりも多いだと!?)」

 

 橙はそう言っていたが、あの察しのいい藍のことだ。俺を見るなり事情に気付いて、説明をする必要などいらないかもしれない。

 さすがに藍を過大評価しすぎだろうか。しかしながら、博麗神社にいることであったり大量の尻尾が生えていることであったり、ヒントはけっこうあるのだから、一目見て俺が真だと気付いてくれるくらいはあると思うのだ。

 

「(……尻尾が十本の狐なんて聞いたことないぞ!? 一体あいつは何者なんだ……?)」

 

 ……何か少々引っかかるがもう一度言おう。藍ならきっと俺だと気付いてくれると思うのだ。

 

 まぁ今は藍が来たときの話よりも、その前にもう一つ橙に言っておかなければならないことがある。

 なんにせよ、俺は紫のせいで小さい体になってしまった。だから元の体に戻るため、紫をここに呼ぶために、橙にはもう少しだけ神社に滞在してもらわなければ困るのだ。

 

 俺はこほんと咳払いを一つ。それで、橙にはお願いがあるんだがと前置きをして。「もう少しだけでいいから、ここに一緒にいてくれないか」とお願いをする。

 

「(はああああ!? 一緒にいてくれってなんだあの小僧! 一丁前にプロポーズか! まだまだお互い小さいというのに、そんなの橙が了承するわけが……)」

 

「分かりました!」

 

「(ちぇえええええええん!?)」

 

 了承してくれた橙は続けて言う。

 

「私がそうすることで真さまが元の体に戻れるお手伝いになるなら喜んで!」

 

「(橙お前なに元気に返事を…… って、え? 真?)」

 

 もう夜だというのに、近所迷惑も考えずに元気よく返事をしてくれる橙。博麗神社に近所なんていないのでどうでもいい。それよりも、嬉しいことを言ってくれるものだ。

 橙が、俺が元の姿に戻ることに協力してくれるということは、ある意味で(あるじ)を差し出す行為でもあるのだが…… まぁ、主が迷惑を掛けた場合、それを諫めるのも式の仕事の一つだということで。

 

「(……な、なんだ、事情はまだ飲み込めないが、どうやらあれは真のようだな…… 紫様の仕業で小さい姿になったのだと仮定すれば、今までのことも納得が……いや待て! まだ本当に真だと決定したわけではない! ……橙が騙されている可能性もあるわけだし、まずは顔を見てみないと判断できんな。 ……け、決して真の幼顔(おさながお)に興味があるだとかそういうわけでは……)」

 

「……それにしても藍、結構長いこと温泉に浸かるんだな。もうそろそろ出ていてもいいと思うんだが……」

 

「(!!)」

 

 俺はクルリと振り返り、藍がやってくるであろう神社の入り口に目を向ける。

 藍って結構長風呂なんだな、知らなかった。まぁ、一緒に住んでいるわけでもない相手の風呂の長さを知っているほうがおかしいのだが……

 というか一緒に住んでいるわけでもないのに、藍が三人の中で一番最後に風呂に入っているということを知っている俺は、結構かなりおかしいのかもしれない。

 

「(……か、かわいい~~~!!! 普段の真とは全然違うのに、不思議と子どもの真だと断定できる! ……うわ、さすがにこれは反則だろ……! 抱っこして頭を撫でてみたい……!)」

 

「……ふむ、遅いな…… ちょっと様子を見てこよう。さすがに俺が女湯の中を見るわけにはいかないから、橙も一緒についてきてくれるか?」

「分かりました! 確かに少々遅いですよね! お供します!」

「ん。じゃあ行くか」

 

 そう言って俺は座っていた橙の手をつかみ、そのまま引っ張り立ち上がらせる。温泉ではしっかり温まってきたようで、橙の指は冷たくなかった。かくいう俺も先ほどまで橙の頭を拭いていたため、それなりに指先は温まっている。

 

「(うわわわ! 真と橙が手を、手を繋いでる! かわいい真とかわいい橙が二人そろってかわいさ二倍! 二人まとめてぎゅ~ってしたい……とか言ってる場合じゃなくて! マズい、二人がこっちに来てしまう! いま来たばかりのように振る舞わないと!)」

 

「……真さまの手、私よりも少し大きいですね」

「そうみたいだな」

 

 俺の手を握って観察し始める橙。さすがに橙よりも小さかったら凹んでいたところだ。それ即ち、フランやてゐ、妖精たちよりも小さいということになるからな。

 

 橙が手を放す気配が見えないので、もうそのまま引っ張って温泉まで歩こうかと思った次の瞬間。神社の入り口が開かれた。

 

「……ごほん。ち、ちぇーん、待たせたなー、たったいま温泉から戻ったぞー」

「あっ、藍さま!」

 

 こんな時間に神社の戸を開くのは一人しかない。先ほどまで温泉に入っていた藍が、扉から顔をのぞかせる。

 今から向かおうと思ってたところで、なかなかどうしてタイミングがいい。立ち上がった橙が俺の手を引っ張りながらも、藍の前に駆け寄っていく。

 

「藍さま、お帰りなさい! 今日はいつもよりお風呂が長かったですね!」

「う、うむ、博麗の湯が予想よりもいい湯だったのでな」

 

 待たせてしまって悪かった、と続ける藍に、橙はいえいえぜ-んぜん! と返す。やはり今日の藍はいつもより長風呂だったようだ。

 あまり長風呂には慣れていないようで、藍の頬は真っ赤に火照っている。

 

「……む、そのタオルは……」

 

 橙の頭に巻かれたタオルを指さして藍は言う。

 

「あ、これですか? これはですね……」

「そこにいる……真にやってもらったのか。よかったな、橙」

「……! そ、そうなんです! 藍さま、よく真さまだと分かりましたね!」

 

 なんと藍はそのタオルを巻いたのが俺だということどころか、俺が真であることも風呂上がりの一目で見抜いてしまった。やはりというかさすがは藍だ。

 地上のさとりという異名は伊達じゃないな。なお、たったいま俺がつけた異名であるので、認知度は殆どゼロに近い。

 

「(ちょ、ちょっと理解が早くて不自然だったか? ……いや、確かに後ろ姿では真だと一目で分からなかったが、私なら顔を見ればすぐに気付いたはずだ。うん、何も不自然なことではない)」

「藍さますごいです! この姿の真さまを、一目見て真さまだと分かるなんて!」

「ああ、さすがは藍だな。余計な説明の手間が省けて助かるよ。なにより、この姿でも少しも疑わず俺だと断定してくれてとても嬉しい」

 

 嬉しくて、思わず口元が緩んでしまう俺。仕方ないだろ、一発で俺だと確信されるなんて初めてなんだから。喜びの感情を隠せるほど俺はポーカーフェイスが上手くないのだ。

 

「(! 笑った! 笑った表情の真も滅茶苦茶かわいい! このまま抱き締めてもいいだろうか……)」

「……さて、それで、藍にもお願いがあるんだが…… っと、藍?」

 

 藍にも神社に残って欲しいということを理由も含めて話そうとしたのだが、どうにも藍の様子がおかしく見えた。頬が先ほどからのぼせたように真っ赤であるし、こちらの言葉が聞こえてないかのようにぼーっとしていることが何度かある。やはり長風呂してしまった影響なのだろうか。

 今もなんだかぼーっとしているような気がして、俺は藍の目の前で手のひらをブンブンと振ってみせる。

 

「……おーい、藍? 大丈夫か?」

「……はっ! だ、だ、大丈夫だ! ちょっと理性を保つのが大変でな!」

 

 なにやらよく分からないことを言って飛び退く藍。顔は更に赤くなっている。

 どこからどう見ても大丈夫のようには見えないのだが。ここで、ああそうかと興味を無くすほど、俺は藍に対して無関心な性格はしてないつもりだ。

 

「……のぼせたなら、少しの間ここで休んでいくか? というか俺としても、藍がここに残ってくれたら助かるんだが……」

「……そ、そうなのか……? 真が助かるというのならば、神社に残るというのも(やぶさ)かではない……」

 

 あくまで自分のためではなく、俺のために神社に残るという選択をしてくれた藍。結果的に説明を省く形になってしまったわけだが、今の藍に余計な説明などしている暇はないだろう。どっちにしても神社に残ってくれるというのならば俺の計画に支障はない。

 それよりも、まずはかなりキツそうな藍に、楽になってもらわなければ。

 

「……ところで真、今のその姿についてなんだが……」

 

 布団の上に座った藍が、俺に話しかけてくる。のぼせているんだから無理にしゃべろうとしなくていいのに。

 一応橙に頼んで、藍の着物の帯は少しだけゆるめてもらった。目のやり場に困るほどではないし、そもそも俺は苦しそうにしている藍を、そんな下心のある目で見たりはしない。

 

「……もしやそれは紫様の仕業でそうなってしまったもので…… 私たちがここに残ると助かるというのは、紫様がここに来るからなのか? 紫様が来たら元の姿に戻してもらうつもりで……」

 

 のぼせていてもさすが藍、俺が説明するまでもなく俺の意図を読み取っている。

 俺がそうだと答えると、藍は憂いを帯びた表情になった。おそらくはこんな姿にされた俺を、大変だったなと思ってくれているのであろう。

 俺が地底で火傷を負ったときには看病のようなことをしてくれたりもしたし、藍は優しいヤツなのだ。

 

「(……そうか、真はもう元の姿に戻ってしまうのか…… もう少し橙と一緒に愛でていたかったが残念だ…… 元の姿になる前にぎゅっとさせてくれないかなぁ…… もしくは『お姉ちゃん』とか呼んでくれるのもアリ……)」

 

 それにしても、地底での火傷がバレたときもそうだが、藍の察しの良さは半端じゃないな。さすがは毛利探偵の娘と同じ名前をしているだけのことはある。

 むしろ藍が蘭ねーちゃんの立場にいたならば、新一も正体を隠し通すこともできなかっただろう。

 

 偶然にも今の俺は『見た目は子ども頭脳は大人』状態であるし、奇妙にも俺たち二人(真と藍)あの二人(新一と蘭)と似たような状況だなと思った。

 

「……紫のせいでこうなったとか、よくまぁそこまで分かるもんだ。さすがは藍ねーちゃんだなぁ……なーんつっ……」

「……ぶっ!!」

 

 なーんつって、と俺が言い終えるかどうかのところで、藍の鼻から血が噴き出してきた。

 ああもうだから言わんこっちゃない、のぼせてるのにしゃべったりするからだ。それにしても見事に噴き出るものである。

 

 大丈夫か、と変化で作りだしたタオルで藍の鼻血を拭いていく。が、顔付近の血を拭いていたところでまたも鼻血が噴き出してきた。

 

「(はぁ……はぁ…… し、真の顔がこんな近くに…… し、刺激が強すぎる……)」

「ら、藍さま! 大丈夫ですか!?」

 

 橙も来て、二人で藍の看病をする。

 まったく、どうしてこんなにのぼせるまで温泉に浸かってたんだか。

 藍の鼻血が止まるまで、結構な時間がかかってしまった。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「……橙、俺としりとりで勝負しよう」

「いいですよ!」

「俺からな。『鼻血』」

「……『ぢ』、ですか? えぇと、ぢー、ぢー…… ぢ?」

「……実は、『ぢ』から始まる単語は存在しない。つまり橙の負けだな。残念だったな橙」

「えー!? 真さまそれはズルいです!」

「はっはっは、俺の勝ちー」

「むー!」

 

「(……じゃれてる真と橙、かわいいなぁ……)」

 

 藍の鼻血はどうしてだか、俺と橙が近づくと出てきて、離れると止まる仕組みになっていた。いやほんとにどういうことだ。

 

 多分だが、近くに誰かがいると無意識のうちに頼ってしまい、その甘えから鼻血を律することができなくなるのだろう。キツいときは頼ってくれていいのだが。

 ともかく、藍が離れていろと言ってきたので、俺と橙は藍から少し距離を取った状態で待機。紫が来るのを待っている。

 

 そろそろ紫が来てもいいと思うんだが……と考えた矢先、この部屋の空間に切れ目が入った。間違いなく紫のスキマである。

 

「……らーん、なにしてるの、私お腹が空いちゃっ……きゃあっ!?」

 

 はい来た、ヒット。

 紫がスキマから顔を出してすかさず、十本もの尻尾をすべて使って紫の全身を包み込む。  

 

 長かった…… ようやく紫を捕まえたぞ。まったく手間をかけさせてくれやがって。用事の無いときはよく姿を見せる癖に、用事のあるときに限って捕まらないんだもんな。それももう終わったことだが。

 

 俺は球状に丸まった尻尾を自身の近くに持ってくると、内部にいる紫に話しかける。余計な問答はこの際無しだ。さっさと俺を元に戻せ。

 

「……はぁ!? 元に戻せって何のことよ! そもそも貴方は誰なのよ、声だけじゃ分からないわ! この妖怪の賢者八雲紫にこんな真似ができるなんて真以外に心当たりなんて無いんだけど!」

 

 なんだ、俺が誰なのか、見えていないのにしっかり分かっているじゃないか。分かったなら天子みたいに喚いてないでさっさと元に戻してほしいものだ。

 俺の中で『喚く=天子』のイメージがついているんだが、初めて顔を合わせたときがあれだったため、これは仕方のないことだと言える。

 

「……え、本当に真? ……だとしても、言ってることが分からないわ! 私、真に何もしてない!」

「……じゃあ少し昔話をしてやろう。幽々子が亡霊になる少し前の話だ。俺たちが幽々子の死体を使ってあの西行妖を封印するとき、あの妖怪桜は暴走したなぁ? あのときは俺が全妖力を解放してあのふざけた植物を押さえつけたわけだが…… あのあと、全力の俺の姿を見て、紫は俺に何か変な術を掛けた覚えがあるんじゃないのかなぁ……?」

 

 非常にゆっくりとした口調で俺は言う。早口になってしまいそうだったが、もう紫は捕まえているのだ。焦ることはないだろう。

 

「はぁ? そんな昔のこと、簡単に思い出せるはずが…… 思い出せるはずが…… あっ」

 

 尻尾の中の紫から、何かに気づいたような声が発せられた。このタイミングで気付いたことなど一つしかない。どうやら思い出せたみたいだな。

 昔のとある日常の話を思い出せというのは難しいだろうが、あれはかなりインパクトのある思い出である。思い出せないほうがおかしいのだ。

 

「……あーそう言えば! あの小さい真がもう一度見てみたくってこっそりスキマを弄ったわね! まぁうまくいかなくて、尻尾を全部出したら戻れなくなるような術になっちゃったけど! ……え、ってことはいま真は小さい姿なの? うわ、見たい見たい! 見たいからちょっとここから出して!」

 

 尻尾の中で騒ぎ始める紫。身をよじっているのが縛っている尻尾の感触から分かる。

 俺はそんな紫の言葉を「うるさい」と一蹴。ついでにお仕置きもしておこう。

 

「ぎゃあああ! 圧縮! 圧縮される! 痛い痛い痛い! 冗談よ真! 冗談だってば!」

「……あの、真さま? 中にいる紫さまは大丈夫でしょうか? 尻尾の大きさ的に変形してそうなんですけど……」

「ああ、まぁ変形してるだろうな」

「ええっ!?」

「はい解いた! 術を解いたからそっちも尻尾解いてぇぇえええ!」

 

 尻尾の中で、なにやら紫は楽しそうな声を上げている。見えないので、どんな楽しいことが起きているのか分からない。きっと愉快なことが起きているのだろう。

 

 縛る尻尾の一本を消そうとしてみると、問題なくその尻尾は消せたみたいだ。見えないが尻尾の感触が一つ消えたと思う。

 それと同時に俺の身体も元の姿、大人の状態へと戻ってきた。むくむくと伸びる俺の身長。ああ、この視界の高さが懐かしい。

 

「やったぞ橙! 元の姿に戻れたぞ!」

「わぁ! 真さまおめでとうございます!」

 

 近くにいた橙を抱え上げ、喜びのあまりくるくると回る。橙も一緒に喜んでくれてなによりだ。

 さらに藍のところにも行き、こちらにも戻れたことを報告した。藍は俺によかったなと一言。藍も、鼻血はもうおさまったみたいでよかったな。

 

「(戻ったか……よかった、あの真は私に刺激が強すぎる…… いつもの姿の真のほうが落ち着けるな)」

「……あっ! それより紫さま! 尻尾の中の紫さまは無事なんですか!?」

 

 腕の中の橙が今さらながらに紫のことを心配する。

 式なのに、尻尾の中の紫よりも、元の姿に戻った俺を優先したのはどうなんだろう。俺としては嬉しいが、式としては未熟と言えるかもしれない。

 

「大丈夫大丈夫、実際はそんなにキツく締めてないから」

「で、でも真さまの尻尾、私が入るくらいまで縮んじゃってるんですけど……」

「まぁ見たら分かるよ。ほら、出てこい」

「いたっ!」

 

 尻尾を開き、中から紫が産み落とされる。顔から落ちたが大丈夫だろうか。

 大丈夫だろう、俺は紫をそんな(やわ)な子に育てた覚えはない。

 

「うぅ……痛い…… それにお腹もすいた……」

「……ゆ、紫さま、その姿……」

「……えっ? な、なにこれ!!」

 

 まるで卵のような球の形をしていた俺の尻尾。その中から、子どもの紫が誕生した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。