東方狐答録   作:佐藤秋

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第百話 時戻異変①

 

 俺が地底から戻ってきてから数ヶ月が過ぎ、季節は冬になろうとしていた。

 風が吹くと肌が冷たい。太陽が完全に昇っても肌寒さが残るこんな日は、昼からでも温泉に入りたいと思わせるのに十分だ。俺以外にもそう思うヤツは多いのだろう、博麗神社に新しくできた温泉は今日も盛況である。

 

 地底で負った火傷も治ったことだしと俺も温泉に入りたいところだが、残念ながら今日は他に用事がある。紅魔館に来るよう咲夜から呼び出しをくらっているのだ。

 ……ん? 呼び出しをくらう、というとなんだか大仰な感じがするな。正確に言いなおそう。咲夜から、フランが会いたそうにしているので遊びに来てくれないかと頼まれたのだ。

 

 知っての通り、俺は子どもがあまり得意ではない。子どもは自己中で我儘であり、また人数が増えると生意気になるからだ。毎日寺子屋で子どもの相手をしている慧音はすごいと思う。

 だがまぁ、フランと遊ぶとなれば話は別だ。フランはアクティブ過ぎるところはままあれど、素直だし、かわいいし、自意識過剰かもしれないが俺に懐いてくれていると思う。そんなフランと遊ぶのは俺にとってそこまで苦ではない。

 

 おっと、苦にならないものなら俺がなんでも頼みごとを受けると思うなよ。こういうのは自分にもなにかしら利があるからやるものだ。いやらしい言い方をすれば、見返りか報酬である。

 

 俺がフランに会いに行くことで得られる報酬とは何か。まず、フランに会えることとフランが喜んでくれることだな。望まない相手の世話をするよりかは、望んでくれたほうがずっといいのは当然だろう。

 他には、美鈴とかパチュリーとかにも会えることとか。ついでにできることがあるのはいいことだ。

 そして最後に、昼食として咲夜の料理が食べられること。咲夜からそう明言されたわけではないが、まぁ昼食ぐらい出るだろ、多分。

 

 そういった報酬が出るからこそ、俺はフランに会いに行くのだ。決して、子どもが大好きだから、フランに会いたくてしょうがないわけではない。

 

 ……さて、そろそろちょうどいい時間だろう。こういうのは早く行きすぎても迷惑だし、遅く行きすぎるのもよくはない。頃合いを見て行くものなのだ。

 俺は最近歩いての移動が少ないなぁと思いつつも、紅魔館に向かうべく、自分の身体を宙へと浮かばせた。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 博麗神社にできた温泉を見ると、少し思うことがある。あれは、俺が地震のエネルギーを解放するのに失敗して、噴き出した間欠泉をどうにかするために地底に向かった挙句(あげく)、暴走したお空を止める過程でできた温泉、なわけだが…… もし俺が地底に向かわなかった場合はどうなっていたのだろうか。

 

 もしかすると俺がいなくても、お空なら数ヶ月くらいかけて力をコントロールすることができていたかもしれない。今となってはあの強大な力を自在に使えるお空である。そんな可能性だってあっただろう。

 その結果、力を得て少し調子に乗ったお空は、地上に侵略しようなどといった考えを持ったりするのだ。ちょうど今の時期くらいに。結構あり得る展開だと思う。

 そして地底で力を使ったお空が原因で、博麗神社に間欠泉が噴き出すだろう。

 

 ……そう、結局博麗神社には温泉ができるのだ。俺が地下に行く必要なんて全く無かった。どんな世界軸でも神社に温泉ができることは、決定された『運命』だったのである。

 

「……なんて、レミリアみたいな考え方だったかな…… っと、紅魔館が見えてきた」

 

 移動中、そんなことを考えていると、すぐに目的地へとたどり着いた。考え事を終了し、まずは門の前へと着地する。俺は門を飛び越えていきなり屋敷の扉の前に降り立ったりはしない。

 門の前には、紅魔館の門番としておなじみの紅美鈴が。そしてその隣、塀によって影になっている所には、目的であるフランが立っていた。

 

「! 真だ! おーい!」

 

 フランは俺を発見すると、無邪気な笑顔をこちらに向けて両手を大きく振ってきた。吸血鬼なのに、真っ昼間から元気だなぁ。俺もそんなフランに微笑みながら、小さく手を振り返して近づいていく。

 

「よー、フラン、遊びに来ぐふっ!」

 

 俺の全身が塀の影に入ったところで、フランがすごい勢いで飛びついてきた。ぬえといいフランといい、出会い頭に腹に向かって頭突きをすることが流行っているのだろうか。腹にフランの頭が勢いよくぶつかり少し痛い。

 

「……えへへー、真おかえりー」

「……ああ。ただいま、フラン」

 

 飛びついてきたフランを抱き上げて頭を撫でつつ、俺はそう返事する。最近気付いたことだが、誰かのところに訪問したときの挨拶には『こんにちは』と『お邪魔します』以外にもあったのだ。それが今の『ただいま』である。

 『ただいま』とは通常、自分の住んでいる家に戻ったときの挨拶であるが、意外や意外、訪問した際にも使われる。相手が『おかえり』と迎え入れたとき限定だが、親しい感じが出てくるこの『ただいま』という挨拶は結構ながら気に入っていた。

 

「いらっしゃい真さん。お待ちしてましたよ」

「よ、美鈴。そうみたいだな」

 

 フランを抱えながら門のそばまで移動して、次は美鈴とも挨拶を交わす。確かに、わざわざ門の前にまで出てきていたのだから、待っていたというのはその通りなんだろう。もう少し早く来てもよかったかもしれない。

 

「……さて、それじゃあ何して遊ぼうか。フランは今日は何がしたい?」

 

 たっぷり数十秒、腕の中にいるフランの頭を撫でたのち、俺はフランに尋ねてみる。

 子どもと遊ぶときには、身体を動かさない遊びのほうが俺は楽だ。あやとりだとか、折り紙だとか。

 おいかけっこなんかは身体を動かすだけなうえ、終わりが見えないので、個人的には楽しくない。子どもとの遊びにおいて、自分の楽さと楽しさを求めるのはどうかと思うが。

 

「……えーと、せっかく真が来たんだからお外で遊びたいけど…… みんなでトランプもしてみたいし…… 真に絵本も読んでほしいし……」

「はっは、そりゃあ全部同時にはできないなぁ」

 

 悩む姿のフランを見て、俺は少しだけ笑いが漏れる。面白くて笑ったのではない。微笑ましいから笑ったのだ。

 まぁ時間は十分あるのだからゆっくり考えて決めるといい。それにどうせ順番を決めるだけで、結局全部することになるだろうしな。

 

 ちなみにフランの言った、せっかく俺が来たから外で遊びたい、というのは、俺が変化の術を使えるからという意味だろう。変化の術をうまくフランに掛ければ、太陽の元での活動も可能となるのである。

 もっとも、俺がいなくてもフランが外で遊べるようにと、咲夜には変化ができる木の葉を渡しているのだが…… どうやらまだ使ったことは無いようだ。

 

「……ふむ、それなら…… 俺がいなくてもできることは後回しにしようか? 絵本を読むとかは俺じゃなくても、美鈴あたりに読んでもらえばいいし……」

「むー……確かに美鈴も読んでくれるけど…… 私は真に読んでほしいの!」

 

 分かるでしょ! とフランは続けながら、俺の首回りに抱き着いてくる。それなりにまともな助言をしたつもりだったが的外れだったようだ。フランの中では、俺が絵本を読むことと美鈴が絵本を読むことは違うらしい。

 

 頬を膨らませるフランを見て、こんなフランもかわいいなと俺は思った。怒っている相手にこんなことを思うのは失礼なのだろうが、思ってしまったのだから仕方がない。

 言葉の内容も、かわいいうえに俺にとって嬉しいものものだ。フランが望むのならば毎晩でも紅魔館まで絵本を読み聞かせに行こうか、と考えてしまうほどに。

 

「……まぁ、なんだ。俺はフランがやりたいことならなんでも付き合うから、正直なんでも構わないぞ?」

「ほんとっ!? じゃあねぇ…… この前美鈴から聞いて、真にやってほしかったことがあるんだけど!」

「うんうん。なんでも言ってみな?」

 

 美鈴は、フランに絵本を読んであげることもあるそうだが、それ以外にも色々な話をするみたいだ。俺に関して一体どんな話をしたのだろう。パッと思いつくのは、俺と美鈴が出会ってからの、一緒に旅をしていたときの話であるが。

 俺が隣に視線を向けてみると、美鈴は軽く頭を下げて苦笑してきた。なぜ苦笑することがあるのだろう。もしかすると美鈴のヤツ、いまだに紅魔館で俺とこっそり稽古している話でもしたのかもしれない。

 駄目だぞその話は。一応咲夜には内緒という(てい)でやっているのだから。

 

 美鈴に目で軽く注意を促したのち、俺はフランに向き直る。美鈴からその話を聞いて、フランは俺に何をしてほしいのだろう。組手? 試合? どちらも子どもがやって楽しいものではないと思う。

 

「えっとね! えっとね! 真って本気を出したら、尻尾がぶわーって沢山出るんでしょ! 私、全力の真が見てみたい!」

 

 『ぶわー』と言うと同時に、両手を大きく広げた動作を見せるフラン。ああもう、いちいちかわいいなぁ。

 

「ほう。俺の尻尾が見てみたいのか」

「うん!」

 

 よくよく思い返してみれば、フランの前では尻尾を出した経験はとても少ない。おそらくは美鈴から『真さんは私と稽古するときには尻尾を何本か出すんですよ』とでも聞いたのだろう。なるほど、組手や試合なんかよりかはよっぽどありえる頼み事である。

 

「それに、真って全力を出したら体が小さくなっちゃうんだよね! 楽しみだなぁ、いったいどんな姿なんだろ!」

「……! ……えーとフラン。それも美鈴から聞いたのか?」

「うん! 美鈴も見たいって言ってたよ!」

 

 フランが羽をピコピコと動かしながら、これでもかというくらい楽しそうに言ってくる。そんなかわいい仕草を見せるフランを抱き締めたいところだが、残念ながらそうもいかない。緊急の用事ができてしまった。

 俺は首だけ動かして、近くにいる美鈴と目を合わせる。

 

「……おかしいなぁ…… どうしてフランが俺の全力の姿のことを知ってるんだ……? なぁ、美鈴……?」

「……! ご、ごめんなさい! うっかりしゃべっちゃいました!」

 

 俺と目が合うや否や、美鈴が目の前に移動してきて頭を深々と下げてきた。腰の角度はピッタリ直角の九十度。見事な謝罪の体勢である。

 

「……ん? どうした美鈴? なぜ急に謝ったりしているんだ?」

「い、いえ…… そう言えば真さんはあの姿を見せたがらなかったことを思い出しまして、取り返しのつかないことをしてしまったかなぁ~、なんて……」

 

 頭を上げ、体の前で人差し指を合わせながら、あさっての方向を見て弁解を始める美鈴。よく見ると額や頬には汗が流れている。冬に汗など珍しいが、おそらくあれは冷や汗である。

 

「ははは、何を心配してるんだ美鈴? もしかして俺が怒るとでも思ったのか?」

「い、いやぁ、空気が凍るのを感じた気がしましてね? は、ははは……気のせいですよね? あの優しい真さんが怒るところなんて見たことが……」

「うんうん、俺が怒るわけないだろう。あ、フラン。ちょーっと身体から降りてくれるか?」

 

 抱き上げていたフランを地面に降ろし、俺はさらにもう一つお願いをする。少しの間、目を閉じて耳を塞いでおいてくれ、と。

 全力の姿を今から見せるけど見られていると緊張してうまくできないんだ、と付け加えると、フランは素直に従ってくれた。

 

「……そう、俺が怒るわけがないんだよ。少なくとも……」

「……し、真さん? 顔が恐……」

「……少なくとも、フランが見てる前ではな!」

「ギャー! い、いひゃい! ひんはんひょれはいひゃいへふ!」

 

 ……まったく、人の秘密を知らないうちにバラしやがって。おしゃべりなのはこの口か? 俺はそういう思いを込めつつ、右手で美鈴の左頬を強く引っ張る。

 おそらく『真さんそれは痛いです!』と言ってるんだろうが、痛めつけているのだから痛いのは当然のことである。

 

「……あう~……」

「……どうだ、反省したか? 秘密を勝手に話したりしたらこういう目に遭うんだからな」

「ひ、ひまひたひまひた! へふからもうほれふらいひ……」

「……ふむ。何を言ってるのか分からんな。面白いからもう少しやろう」

「!?」

 

 ガーン、という擬音が聞こえてきそうだがひとまず無視。俺は続けて両方の手で、美鈴の頬の感触を堪能する。

 上下左右に捏ねくり回してもある程度かわいい顔を保てるのは、さすが女の子と言ったところか。仮に俺だったらそうもいかない。変な顔をさらすこと請け合いだろう。

 

「っててて……」

「ふんっ」

 

 美鈴に十分罰を与えたところで、つまんでいた頬から手を放し、俺は尻尾をすべて解放する。二本、三本と、徐々に数を増やしていき、その度に妖力が溢れてきた。

 七本、八本、九本。そして十本目を出したところで視界の高さが半分以下になり、鏡などなくても、ああ自分は縮んだなと理解できた。

 

「……え、真さんその姿…… 嫌だったんじゃなかったんですか?」

 

 先ほどまで情けない顔をしていた美鈴が、今度は驚いたような表情でこちらを見ている。

 

「そりゃあ嫌だが、フランには見せるって言ってしまったからな。俺は子ども相手でも約束は守るんだ」

「おー…… さすが真さん! いいと思います!」

「なにちょっとテンションあげてんだ。あんまり見るな」

 

 次に美鈴は目を輝かせた表情でこちらを見てきた。表情豊かなのは結構なことだが、俺の情けない姿を見て喜んだリアクションを見せられるのは複雑な気持ちだ。俺が引っ張って赤くなった頬も相まって、美鈴は興奮しているようにも見える。

 

「お待たせフラン。もういいよ」

 

 そんな美鈴はスルーして、俺は目を閉じているフランの肩をポンとたたく。今のフランは耳も塞いでいるため、声で呼び掛けても聞こえないからだ。

 

「? もう目を開けてもいいの?」

 

 耳を塞ぐ手を外し、再び確認してくるフラン。きちんと確認のできるのはとてもいい子だと俺は思う。確認もせずに人の秘密を話した美鈴に見習わせたい。

 

「……どうだ?」

「……わぁ~、貴方が真? すごいすごい! ほんとに小さくなっちゃってる!」

 

 目を開けたフランは俺の姿を見るなり、両手を取ってはしゃぎ始めた。まるで同年代の子どもを相手にしたようなはしゃぎ方。いつもとは違って新鮮に感じるのは、見下ろす目線ではなく目の前にフランが見えるからだろう。

 

 目線の高さが同じということは、今の俺の身長はフランと同じくらいということだ。この姿だとフランを抱き上げることが難しそうで、なんだか少し残念に思えた。

 

「顔も小さいし、手も小さい! 真をそのまま小さくしたって感じだね! まるで時間が戻っちゃったみたい!」

 

 翼をピコピコと動かしながら、俺の外見を観察し始めるフラン。時間を止める能力者を近くに持つせいか、子どものような姿になったことに対し『時が戻った』と表現するのは、なかなか詩的でユニークである。

 俺をそのまま小さくしたと言うフランに対し、そりゃまぁ別人みたいになったらわけ分かんないしな、と俺は返す。

 

「あ、声が少し高くなってる! リグルちゃんに近い感じだ!」

 

 他に新しく発見した特徴を、フランは嬉々として声に出す。へぇ、そうなのか。声は自分では分からなかったが。

 フランの着眼点に驚いたが、声の違いは自分以外ならすぐに分かることなのかもしれない。

 

「あとあと! 聞いてた通りすごい尻尾! ねぇねぇちょっと触っていい?」

「ん、いいぞ」

 

 俺がフランにそう返事すると、すぐにフランは尻尾の一本に飛び付いてきた。両腕で抱き上げることはできないが、こうなるともう同じことだ。俺はフランがくっついている尻尾を動かして身体の前に持ってくる。

 

「~♪ えへへ~、やわらか~い♪」

 

 頭を撫でると、幸せそうな表情で更に尻尾に抱き着いてくるフラン。ふと横を見ると、美鈴が仲間にいれてほしそうな顔でこちらを見ている。

 

「……美鈴も来るか?」

「! いいんですか!?」

 

 結局美鈴も加え三人で、まずはこの尻尾を使って遊ぶことにした。三人でというか、俺はこの尻尾を使わせてあげる立場なのだけど。

 美鈴が時折こっそりと俺を抱き上げようとしてきたが、その度に頬を引っ張ってお仕置きをしておいた。こんな姿だろうと大人の男を子ども扱いするものではない。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「……ん~、よく寝たっ!」

 

 空中に敷いた尻尾の絨毯の上、眠っていたフランが目を覚ます。あのあと、せっかく尻尾が十本もあるのだからとこのような使い方をした結果、昼寝をすることになっていた。

 自分の尻尾の上に俺も乗り、三人で横に並んで寝る。フランが真ん中で、俺と美鈴がその左右。大きいほうが安心するのか、フランは少し美鈴寄りだ。

 美鈴が「真さーん。真さんもこっちに来ていいですよー♪」と子ども扱いしてきたので、ふざけんなとデコピンしたら、尻尾の外まで吹っ飛んだ。この姿では手加減するのが難しい。美鈴相手なので問題は無いが、今後は気を付けなければと思った。

 

「えへへー、真おはよー」

 

 まだ眠っている美鈴のそばから離れ、フランは俺のほうにゴロゴロと転がってくる。

 塀の影の伸び具合と傾き具合から察するに、眠っていたのは一時間程度だろうか。俺が来た時からすでにおはようの時間ではなかったのだが、目覚めたときの挨拶としては、まぁ間違っているわけではない。俺もまたフランにおはようと返し、近くに寄ってきたフランの頭を撫でる。

 

「~♪」

「はいフラン、帽子」

「ありがとー」

 

 眠る前、邪魔だからと預かっていた帽子をフランに返し、そのまま頭に被せてやる。今も俺は小さい姿のままなので、手も短く、帽子を被せてやるという簡単なことも少々難しい。

 まぁ、まるで同じ布団で寝る仲のいい兄弟のように、フランは俺のすぐそばまで来ていたから、実のところそう難しくもなかったのだけれど。それでもやはりこの姿には慣れておらず、不便なことは多いと思う。

 

「……うーん、やっぱり真は大きいほうがいいなー。そっちのほうがかっこいいし!」

 

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、フランは俺に抱き着きながら、こんなことを言ってきた。顔には出さないようにしているが、正直いま俺はとても嬉しい。純粋な子どもの言葉には、嘘が混じらないぶん、心に響くものがある。

 

 ああ、フランはいい子だなぁ。寺子屋の男子とは大違いだ。あいつら『かっこいい』なんて言わないどころか、『じいさん』だの『バカ』だの『キツネ』だの『メガネ』だの、それはもうたくさん悪口を言ってくるぞ。

 年寄り扱いや狐呼ばわりは事実だしどうでもいいにしても、勉強を教わってる相手に『バカ』は無いだろ。あと眼鏡じゃねぇし。もっとも、構ってほしいが故の言動なのは理解しているので、腹を立てたりはしないけど。

 

「よし、それじゃあ元に戻るか」

「うん!」

 

 ある意味では、尻尾を全部出したこの姿こそ『元の姿』なのかもしれないが、それはそれとして俺は尻尾を消して『元の大人の姿』に戻ろうとする。絨毯にしていた尻尾がシュルシュルとほどけ、俺とフランは地面へと降り立った。

 ……あ、そういえば、まだ美鈴が寝てたっけ。「ふべっ!」とか聞こえたけど、美鈴は頑丈だから大丈夫だろう。ただ一つ言っておくと、頑丈だからといって何をしてもいいわけではない。

 

 フランが、「あ、でも、尻尾は何本か残しておいて!」と頼んできたので、「まかせろ」と返事をしつつ、尻尾を消すことに集中を始める。今でこそ、尻尾の数は簡単に調節することはできるし、ある程度制御したまま眠ることだって可能であるが、本来尻尾を隠すのは結構難しいのだ。藍が今もできないことからも、そのことはよく分かるだろう。

 

 尻尾を隠すためには、尻尾が無い自分を完璧に想像することが大事である。人間でいうと、自分の左腕を無くす感じ。力を抜き、妖力を抑え、気配を絶つ。そうすることで初めて尻尾を消すことが可能になるのだ。

 

 尻尾が十本あるときは、妖力がいつもよりも多く流れているため、制御が多少難しくなる。まぁとはいっても、ちょっと深く集中すれば済む話なので、どうということはない。目でも閉じれば簡単にできる。

 

 俺は目を閉じ、尻尾を消す。これでこの姿とはおさらばだ。フランはもうこの姿を見たがることは無いだろうし、今後「なんでもしてやる」なんて安請け合いをしなければ、頼まれてもこの姿になることは無いだろう。

 この姿を誰かに見せるのも今日が最後かぁ……なんて名残惜しさなど全く感じないまま目を開けるとーー

 

「……どーしたの? 元の姿に戻らないの?」

「……あれ?」

 

 先ほどと全く変わらない視界の高さで、目の前で首をかしげるフランが目についた。

 

 


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