re:戦闘破壊学園ダンゲロス   作:ホームパイ

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今まで一人称で誤魔化していた主人公の名前、やっと決めました(この話書くまで考えてもなかったの意)。
飛行迷宮(漫画)三巻発売記念上げ。

前回までのあらすじ:小説『戦闘破壊学園ダンゲロス』の世界に転生した主人公は、その転生知識のゆえに周囲から浮いていた。また偶然遭遇した原作主人公・両性院男女に話の行き違いから能力『チンパイ』により性転換されてしまう。これにより主人公の家庭は崩壊、母親に引き取られた主人公はその母親との関係もうまくいかず、小学校にもいかせてもらえない。主人公は周囲との不和から、原作知識を利用して超魔人存在『転校生』になろうと画策する。しかし、「ジュラ紀接合事件」における母親の命がけの献身を通して、主人公は母親の愛に気が付きむせび泣くのだった。


『夏への扉』

倉敷(くらしき)鈴音(りんね)――か?」

 

 フルフェイスのヘルメットは、初めて口をきく。黒一色のライダースーツの下からでも、盛り上がるような筋肉量は隠せない。俺より頭一つ分半高い背丈、圧倒的な筋肉量と体重差。

 その視線の行方をうかがい知ることはできないが、その男は巨躯を明瞭(はっきり)と俺に向けて立っていた。

 それに、この場にフルフェイスと話しができる人間は俺一人きりだろう。

 

 俺は少し考えるようなふりをして周囲を見渡す。凄い、全滅だ。先ほどまで俺を取り囲んでいた男子学生たちは一人残らず伸びている。大半は苦しげに呻いているだけだが、中には意識のないように見受けられるものもいる。まさか死んではいないと思うが。

 ざっと数えて十余人を下らず、二十人には届かないだろうか。

 彼らを地に這いつくばらせたのは、無言で現れたフルフェイスだった。

 

 この数の中学生男子を、文字通りの一蹴。

 ただのひと蹴りで、なぎ倒してしまった。

 

「まあ、そうだけど?」

 

 抵抗して意味があるとは思わなかったし、嘘を吐く理由も特にはなかった。

 フルフェイスはしばしむっつりとした無言を返し、

 

「倉敷鈴音は女だと聞いていたが」

 

 そんなすっとぼけたことを言う。

 女だと聞いてはいたが、同時に男子の制服を着用していることも、おそらくは顔さえ分かっていたに違いない。でなければ、どうして俺を取り囲んでいた男子生徒たちだけを登場と同時に一蹴して俺だけを残せるというのか。

 肩をすくめて髪を拳でくしゃりとなでる。

 多少美少女顔をしているし背も男子生徒としては決して高くはない。だが男子生徒並に髪は短く刈ってあるし、肩もさほど撫で肩というわけでもない。それが男子生徒の制服を着ていれば、まあ男子と言われて違和感はないはずだ。少なくとも、毎日鏡の中に見出せる俺は、そんな感じだ。

 

「校則には制服を着ろとは書いてあったけど、女が男の服装をするなとは一言も書いてないからな」

「それは、普通はそんなことは書かないだろうな」

「ちゃんと入学前に教師にあって許可もとったぞ。絶対にダメとは言わなかった。スカートってヒラヒラしていてなんていうか慣れないんだよ」

「変な奴だ」

「自覚はある」

 

 表情は見えないが、フルフェイスは笑った――様な気がした。

 そのとき、ようやく俺は自分が思った以上のプレッシャーに晒されていたことに気が付いた。圧倒的な暴力を身に着けたフルフェイスが、俺には問答無用で蹴りつけてくるという事がなさそうだと、そう思っただけで驚くほど気が楽になる。

 いつのまにか握りしめていた手をゆっくりと開くと、汗で湿った掌が、ひんやりとした。

 

 季節は春。

 日差しの中は暖かいけれど、まだ少し肌寒い季節。とくに、俺が今いる様な体育館裏の日陰になるようなところでは。

 

「変な奴だという事は」

「うん?」

「魔人か」

 

 断定された。

 変な奴、イコール、魔人。

 少し意外だった。フルフェイスはこの短いやり取りの中で俺が感じた分では、初めに見せた暴力性を抜きにすれば、ひどく理知的な雰囲気を纏っていたからだ。こんな短絡的な事を言わない気がいしていた。

 それが意外で、つい揶揄するような口調になってしまう。あるいは、話が通じるとみて油断したのかもしれない。

 

「ひどく乱暴な推定だな」

「そうだな。だが、少なくともそこにいる奴らはそれだけで十分だと思った様だぞ」

「十分? 何がだ」

「……魔人狩り」

 

 聞きなれないその言葉に俺がリアクションする前に、フルフェイスの背後からもう一人が現れた。

 今度は普通の男子生徒だった。フルフェイスと比べれば小さく見えるが、それはフルフェイスの方が大きすぎるのだ。平均か、やや下ぐらい。それでも俺よりいくらか高い。何にもおおわれていない顔は、髪を後ろに撫でつけて涼やか。端正な美少年と言っていいかもしれないが、しかし気になることにまるで漫画のキャラのように細目だった。あるいは単に目をつぶっているのかもしれないが、それにしては迷いのない足取りでフルフェイスに近寄ると、「来た」とだけ告げる。

 

 その時、倒れていた男子生徒の一人がまるで夢から覚めたように身を起こす。だが、状況を判断してそうしたのではないらしく、ぼんやりと周囲を見回す。

 と、その男子生徒に美少年顔がいきなり左手で張り手を喰らわせた。目を細めたまま、恐ろしいほどの憤怒を顕わにしていた。

 もう一発喰らわせようかと追いう勢いだったが、それをフルフェイスに止められる。

 

「大きな音を出すな」

「しかし、こいつらは……!」

「未遂だ。とにかく、場所を変えよう。ついて来い」

 

 何やら憤懣冷めやらぬ美少年顔を諭すと、どうやら最後の言葉は俺に向けて、フルフェイスは俺の脇を通り抜けて早足で行ってしまう。その後ろに美少年顔が続き、ふりかえって「どうした来ないのか」とでも言いたげな顔で俺を見て、やはり行ってしまう。

 仕方なく、俺も続いた。しばらくして振り返ると、どうも男子生徒たちは大方タヌキ寝入りをしていたらしい。ごそごそと身を起こすもの、仲間を助け起こすもの。勝手に逃げた者もいるらしく、数が減っていた。俺たちを追いかけるつもりはないらしい。

 

 

    *

 

 

 体育館を回り込んで、校舎の間をすり抜け、プールと花壇の間にある人気のない小道のベンチに二人は並んで腰かけた。小さなテーブルを挟んだ対面のベンチを勧められたような気がしたので、黙って座る。

 

 ここまでの道のりで気が付いたのだが、美少年顔はフルフェイスの歩いた途をピッタリ同じように歩いていた。忍者か。

 などというツッコミも、フルフェイスがフルフェイスを脱ぐのをみて、驚きの余りに引っ込んだ。

 

 もちろんフルフェイスの下に顔があった。

 その顔自体にもインパクトはあった。

 ライオンの(たてがみ)かと見まごうばかりに逆立った金髪。やぶにらみの目は鋭く、蛇のような印象を与える。そして、その顔には縦横無尽に傷跡が走っていた。中学生には、いや堅気の人間にはとても見えぬ容姿である。

 特徴的な、あまりに特徴的なその顔は、しかしその隣にたたずむ美少年顔と共に一つの記憶を揺さぶった。

 

夜夢(よるむ)アキラに、リンドウ……!」

 

 リンドウは確か姓だったと思うが、名前までは思い出せない。普通に考えれば竜胆、だろうか?

 とにかく彼らは、『戦闘破壊学園ダンゲロス』の登場人物であった。

 確か、ダンゲロスハルマゲドンの最中、決闘しているところに殴りこんできた『転校生』に遭遇してあっさり殺されたのだったと思う。まごう事なきカマセであった。

 

 だが、そんな若干失礼な俺の内心を知る由もなく、二人は「なんだ今更気が付いたのか」と言わんばかりの表情である。

 たしかに、リンドウも特徴的な風貌だが、夜夢アキラも負けてはいない。美少年顔ながらぴたりと閉じたその眼の中は実は空洞であり、今はおそらく閉じたままの拳に握りこんでいるのだろうが、時あらばその眼球が自由自在に飛び交うのである。どちらがより特徴的なビジュアルであるかはにわかには判じ難い。

 名前を知っているのならすぐに気が付いて然るべきレベルの知名度はあるのだろう。

 あいにくと、俺は本で読んだという情報入手手段のために中々気が付けなかったが。

 そういう可能性はあるとは思っていたが、同じ学校だったのか。

 

「俺たちの事を知っているのなら、自己紹介は不要だな」

「あ、ああ……。なんだかよくわからんが、助けてくれた、んだよな? まずは、礼を言う。ありがとう」

「その事に関してだが。倉敷、お前は事態をどれだけ把握している?」

「いや……。正直、良くわからない。呼び出されて、ついて言ったら武装した男子生徒にいきなり取り囲まれて、その後すぐに君たちが来たから」

 

 と、しか言いようがないのだ。

 だが、その言葉にリンドウは狂暴な顔をぐっと顰めた。多分、疑問があるだけで不興を買ったとかではないと思う。思いたい。

 

「武装した? どういうことだ」

「いや、だからナイフとかバットとかもった……あんたも見てたじゃないか」

「そうではない。武装していない学生がどこにいるんだ? いまは新学年が始まったばかりだぞ」

 

 えっ。

 どうやら鳩が豆鉄砲くらったような心境は、如実に俺の顔面にあらわされていたらしい。リンドウと夜夢アキラもまた驚いたように一瞬目を見開き(小説中で述べられていた通りに、確かに夜夢アキラの目の中には何もなかった)、そして二人してひそひそと内緒話を始めてしまう。時々俺の方を指さすので、俺のことを話しているらしいと想像はつくがいい気分ではない。

 

「何だよ。言いたいことがあるならはっきり言え」

「逆にこっちがいくつか質問したいんだが」

「もしかしてお前は武器の類を何も持ってないのか?」

「持ってないけど」

「ではお前は……魔人なのだな? 少なくとも常人を圧倒できる程度に強力な?」

「いいや」

 

 理解に苦しむ、と二人の表情が揃って言っていた。

 こっちだって何が何だかわからない。

 わからないなりに互いに質問をしながら――と言っても主に夜夢アキラが俺に質問し、それをリンドウがまとめていくという形式だったが――判明したことの全貌は次の通りであった。

 

 

    *

 

 

 まず、大前提その一。

 常識的に考えて学園内では学生は武装している。

 

 なぜなら『学園自治法』があるからだ。警察はやってこないし、銃刀法は機能しない。代わりの学則があるにはあるが、機能しないことも多い。究極的には自分の身は自分で守らねば話にならない。

 ただまあ、普段からあからさまに帯刀しているとかは流石に少数で、そういうのは真っ先に魔人体育教師の『指導』の標的となるのもあって、平時にはナイフを懐に忍ばせておくとか、催涙スプレーをスカート下のホルダーに隠しておく程度であるようだ。

 俺はそれを見て、やっぱ学校って物騒だな、としか思ってなかった。

 

 今年はリンドウと夜夢アキラの二名の魔人が入学することは知られていた。だから、同級生はおろか、上級生たちも魔人入学に備えて武器を研いでいたのだ。

 どうも、この学園はしばらく魔人がいなかったらしい。そういう事情もあって過敏になっているようだ。

 

 そこに俺が現れた。

 籍では女なのに平気で男装して衒いもない。変人である。しかも武装していない。

 そういわれると我がことながらなかなか客観的に言って非常識な奴ではある。

 

 大前提その二。

 ことさら非常識な人物はとりあえず魔人とみなしていい。

 

 魔人というのも外見からして人間離れしているものから、一見して人間と変わらず超人的な力を備えていないものまでさまざまである。

 だが、一般通念に於いて魔人は人間と違う。明確に違う。それは肉体的に違うかもしれないし、変態的な思想を持っているのかもしれないし、禍々しいオーラを背負っているのかもしれない。とにかく、なにかが違うのは、それはもう魔人とみなされてもおかしくないのだ。

 例えば。

 堂々と異性装しているとか。

 俺だ。

 

 さて、一般生徒たちは明らかに魔人臭い俺を警戒した。

 俺も、変な格好をしているのだから変に思われるのは仕方ないとその辺りは流していた。それは周囲の疑念をいや増すことにしかならなかったけど。

 

 つい先日まで小学生だった奴らと共通の話題が無かったのも災いした。別に見下しているわけではなく、学校に行ってなかったからこの世界の小学生のノリに全然ついていけなかったのだ。俺の知らないゲームが流行っていたし、俺の知らないドラマが流行っていた。

 小学校には通ってなかったのだから、そういう話題についていけないのは仕方がない。

 中学生くらいの頃は性別カーストが強くて中途半端な俺はあっさり両方から敬遠されたのもある。

 

 そう思って中学デビューの失敗を謙虚に受け止め――そしてなすすべもなく手をこまねいているうちに、周囲の疑いは確信に変わった。

 こいつは変だ。

 魔人に違いない。

 空手なのももしかしたら強力な特殊能力を備えているからかもしれない。

 

 確信は恐怖になり、恐怖はやがて欺瞞に変じた。

 遠因としてはこれまで魔人のいなかった学校が一気に魔人を二人に魔人疑いを一人抱え込んだ反動であったかもしれないし、直接の原因はこの年頃の子供たちが武器を携帯しているという高揚があったかもしれない。

 この魔人はいつか何かをやらかすに違いない。

 それに備えなければならない。

 そういう機運が生まれた。

 

 生まれたはいいが、俺は何も起こさなかった。ぼっちだっただけだった。

 ついでにいえばリンドウや夜夢アキラにも怪しい動きはなかった。彼らは平和主義者である(と、自称した。俺は何も異議をさしはさまなかった)。

 肩透かしを食らった生徒たちの手元には、武器と空回りした情熱が残った。

 

 このとき、何も起こらないのならそれでいいではないかと考える多くの一般生徒と、特に周到に武装した一派の間で摩擦が起き始めた。魔人が何もしないなら、武装して目をぎらつかせている一般生徒の方が危険である、と考えるのは特におかしい話ではない。

 だが、武装した生徒たちには武装した自分たちの存在こそ魔人を牽制し一般生徒を守っているのであるとの意識が少なからずあり、逆に批難されたことに不満を持つものも少なくなく出た。

 

 これではいけない。一般生徒を守るために武装したのに、その武器を一般生徒に向けては本末転倒ではないか。

 もちろん我々は武器を振り回して遊びたいのでもなければ、魔人を仮想敵にチャンバラごっこがしたいわけでもない。魔人の脅威に立ち向かうヒーローなのである。

 

 ――だから、魔人を襲おう。

 ひどい論理の飛躍もあったものであるが、そういうことになった。

 

 魔人。つまり俺だ。

 リンドウは明らかに強そうだったし、夜夢アキラはリンドウの親友であると周知されていたのだから。

 まず孤立している俺を狙うのは当然の話だった。

 

 そして今日、彼らはクラスの男子を通じて俺を呼びだした。要件が凄く適当だったにもかかわらずホイホイ俺が付いて行ったのは暇だったからだ。ちょっと他人との会話に飢えていたことも告白してもいい。

 校舎裏に誘い出された俺を待っていたのは、もちろん武装した魔人狩り一派であり、俺は済んでのところでリンドウに救われたのである。

 

 

    *

 

 

 ……というのがこれまでのあらましだったのだが、実のところ現実での話はあっちこっちに話が飛び、停滞し、あるいは前後して、無用に混乱していた。

 大体夜夢アキラのせいだ。

 

「何を平気な顔をしている!」

「実際君たちのおかげで何もなかっただろ。クールそうな顔してる癖に随分と熱血漢じゃないか、他人の事だろうに」

「そういうお前にとっては自分の事だろうが、倉敷鈴音!」

「それはそうだけど」

「お前には危機感が足りない!」

 

 そんなことを言われても。

 視線でリンドウに助けを求めるが、口には出さないもののリンドウも概ね同意見と見えた。

 そして、ため息を一つ。リンドウは懐から一冊の雑誌を取り出した。間のテーブルに投げてよこす。

 それを見て夜夢アキラが顔色を変える。

 

「リンドウ、それは」

「ここまで言ってわからんのなら、もう直接教えるしかないだろう。奴らが何をしようとしていたのかをな」

 

 それは、普通の書店などで扱っている雑誌ではないようだった。露骨に紙質が悪く、アングラな雰囲気を漂わせている。表紙に踊る半田の女性の写真と、飛び交う胡散臭い戦場的な煽りがいかにも、という感じだった。

 俺が手に取ってみると、癖がついていたらしくあるページが勝手に開く。

 ぷんと、栗の花の匂いが鼻につく。

 

 レイプ物の漫画のワンシーンだった。

 女が一人、見開きの真ん中で身をくねらせるポーズで横たわっている。その手足を、黒いベタの闇の中で男たちががっしりと押さえている。

 その、ページの半分を白く占領する女体に、見覚えのある文言が書かれていた。胸から始まり、悩ましくカーブを描くお腹を経て、デルタを微妙に隠した量の足の太ももにかけて。下手糞な字で。いかにも中学生のガキが興奮のあまり書いたという風に。それが。

 

 倉敷鈴音。

 俺の名前が。

 

 雑誌を取り落した。

 と、思ったのは単に気が遠くなったからであり、あにはからんや俺の全身は硬直していて、したがって指も雑誌も握って離していないのも俺は同時に見て取っていた。

 

 ただ、その感触はすでになかった。

 全身が末端から冷たくなっていく。腹をぶち抜かれでもしたように血液がどこかへ逃げていくのが、なんとなくわかった。血の気が、引いていく。世界から音が消えていく。平坦になって、潰れていく。

 頭が痛い。

 

 突然視野が大きくなり小さくなり、倉敷りんねの文字を中心に世界が踊る。

 真っ白に。

 真っ黒に。

 暗くなっていく視界の端から白い手がいくつもいくつもいくつも。俺に俺の名前に俺の身体に伸びていく。それが、紙面の事なのか現実の事なのか俺にはもう判別がつかなくなっている。

 

 顔のない手が、顔そのものになって、恐竜の顎になってカラフルに。赤く、紅く、朱く血に染め上げていく。白い骨を、黄色い脂肪を、(あおぐろ)い血管をあばいていく。

 不意に透明な真っ白な薄汚れた鉄のドアが目の前に立ちはだかって、俺の前に血まみれのあの日をよく見せた。見たくない。もう十分見た。覚えていない。グルグル回る視界が常に俺の名前に焦点する。あの日呼ばれた俺の名前。

 骨を削る音。肉を引き裂く音。ドアをたたく音に。俺と誰かの絶叫。

 

 こみあげる、あたたかい酸味。

 

 お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。「     」お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。「     」お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。「     」お母さん。お母さん。お母さん。

おかあさああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「     」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「     」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「     」ああああああああああああああああああああああああ

 

 ………。

 遠く。

 俺を呼ぶ、知らない誰かの小さな声。

 

 

 

     *

 

 

「……軽率な事をした。すまない」

 

 気が付くと同時に、そんな声がかけられた。

 首を巡らせれば、片頬を真っ赤にはらしたリンドウがむっつりとこちらを見下ろしている。睨みつけている、と言いたいその面相だったが、その真底申し訳なさそうな声音に免じて、物理的必然性に則って見下ろしていたといっておく。

 

 俺はベッドに寝かされていた。かけられた布団は薄べったく、ベッドは白いカーテンに囲まれていた。その囲いの隙間から、ひょっこり夜夢アキラが顔を出す。手には湯気のたった紙コップ。差し出されたのを体を起こして受け取ってみれば、粉っぽい緑茶だった。

 

「こんなものしかなくて悪いが」

「いや、ありがたい」

 

 嫌に喉が渇いていた。

 と言うか痛い。風邪を引いた時みたいに喉が炎症を起こしている。温かいお茶は従って少々どころではなく痛かったが、それでも気分を落ち着けてくれた。

 

 不意に視界がにじんだ。

 拭ってみると涙で、それをみて二人の魔人は面白いくらいに慌てた。

 それはそれは滑稽だったが、それゆえに俺はそれを見て見ないふりしてやることにした。別に気になっていたことがあったから、と言うのもある。

 

「それで、二人ともちょっと見ない間に随分男ぶりを上げたな」

「……おう」

「何のことだ?」

 

 片頬を真っ赤にはらしたリンドウは短く応えただけだったが、夜夢アキラはまぶたの周りに真っ青な青タンを作っているにもかかわらずすっとぼけた。

 今更ながらにこいつらのキャラクターがつかめてきた気がする。

 

「ここ、どこだ」

「保健室だ。その必要があると思ったんでな」

 

「そっか。俺どんなだった?」

「嘔吐して、絶叫して、気絶した」

 

「悪かった。俺からも謝らせてくれ。こいつはいい奴なんだが、デリカシーと言うのが足りん。だが、いい奴なのは確かだ」

「いや別に。気にしてないよ。エロマンガくらい俺だって見るし」

 

 夜夢アキラの美少年顔が困惑気味に固まる。リンドウの表情は少し変化が分かりにくいが、視線が泳いだ。

 おもしろい。

 せっかく美少女顔に育ったんだから、くそまじめな顔して隠語連発してみたかったんだが、今まで相手がいなかったからなあ。少し満足。

 

「トラウマだったのはレイプ描写じゃなくて。……なんていうのかな、絵面が悪かった。昔、母親を恐竜によってたかって食い殺されたことがあってさ」

 

 自分で言っててトンチキな告白だが、しかし事実だ。

 一応、ドア一枚隔ててその場に居合わせたことは伏せておいた。腹を割って見せるのと、パンツまで脱いで晒すのは違うと思うからだ。

 はたして両魔人は得心を得たように頷く。

 

「ジュラ紀世界接合事件か」

「俺たちは被害を受けなかったが、そういえば被害地域にはこの中学校の学区も含まれていたな。クラスメイトが友人を雷竜に踏みつぶされたとか言っていたぞ」

 

「そういうわけで、お前ら俺が性的なトラウマがあってそれを穿っちまった、だなんて考え違いは止してくれよ。男装(これ) はまた、別の理由があるんだ。言わないけどな」

「そうか」

「わかった」

 

 いかめしい顔でうなずく魔人二人。

 うん。

 難しい話、終わり。

 

「で、ここまで運んでくるまでに俺のおっぱい触ったのどっちだ?」

 

「…………っ!」

「…………っ!?」

 

「あ。だいたいわかった。うん。健康な男子だって事だなお前ら」

 

「ま、待て! 貴様何かひどい誤解をしているぞ」

「そうだ。別に俺たちは」

「いいっていいって」

「だから!」

「話を!」

 

 気持ちもわからないでもなかったが、野郎共の弁明には一切耳を貸さずに俺は「なんか気分が悪い」とかなんとか言って二人をカーテンの向こうに追いやった。

 まあ、たしかに。

 今の俺は生物学上明らかに女なのだ。胸だって大分育ってきた。ブラの購入も検討せねばなるまいと、かねがね思って居たのだ。

 

 ベッドの隅に、備え付けの小さな鏡があった。

 のぞき込めば、大体男と言っても通りそうな顔がのぞき込んでいる。だが、そう思って居たのは俺だけかもしれない。結構これで女に見えてしまうようなのだ。それは普通の生徒にも、魔人にも、変わりはない事らしい。

 

 実のところ、今では俺だってそうだった。

 前世からの惰性を引きずるのをやめる潮時が来たのだと思った。

 

 

 

    *

 

 

 

 次の日、これもあらかじめ購入してあった女子の制服を着て登校した。

 いつもと違う格好をしているからか、普段は俺の方を見て声を潜めて何やらやり取りする生徒に煩わされることもなかった。それだけで、かわいらしいパンツを穿いた上にスカートとかいう飾り布しかないという羞恥プレイにも耐えた甲斐があったというものだった。

 

 それどころか、後門の辺りにたむろっていたのは昨日リンドウに一蹴された『魔人狩り』有志一同たちであった。あちこちの痣や包帯が男ぶりを上げている。

 俺としては、仮にもレイプ目的に拉致されかかった相手なので心穏やかにはいられない。

 

 だが、どうも彼らにも俺を俺と認識することができていないらしい。

 女物の服のせいかもしれないし、実はけっこう厚みのある女物の靴のせいかもしれない。化粧はしていないし、アクセサリーと言えるものも男服の時にはシャツの下に隠れていた鍵のペンダント程度のものではあったからそのせいとは思えないが。

 

 とにかく素知らぬ顔で彼らのそばを通り過ぎた。

 ふと目線があったときにはにっこりと笑えば、まるで無邪気に手など降ってくるのだから少し困惑する。彼らは魔人差別こそ激しいものの、単に女と見ればレイプする様な、モヒカンザコのような世紀末的心性をしているわけではないらしい。逆に心中暗澹たるものになるが、どうでもいいといえばどうでもよかった。

 

 自分の教室にはまっすぐ向かわず、二つ先の教室を目指して歩くと、人ゴミにぶつかった。

 見れば、先日の実力テストの結果が張り出されていた。学年上位だけではなくて、一学年の順位と点数が全部貼ってあるのは珍しい。

 それをぼんやりと眺めていると、いきなり周囲の人が気が割れて一人取り残される。本当に、波が引いていくように人間がいなくなった。そこに魔人が来たからだった。

 

「あ、来たか。おはよう」

 

「ああ。おはよう」

「……夜夢、知り合いか?」

 

 昨日と変わりなく対応してくる夜夢アキラと対照的にリンドウは不審そうに俺を眺めてくる。

 この巨漢に警戒オーラを出されると正直怖くて仕方がないが、いちいちそんなにビビっても居られない。俺は気丈にふるまう事にした。

 

「なんだ。薄情じゃないか鈴藤啓太(リンドウ)。昨日の今日で胸を揉んだ相手の事を忘れるなんて」

「そういうお前は――倉敷鈴音か。見違えたぞ」

 

 目が見えないお蔭で声だけで俺に気が付いた夜夢アキラは、しかし俺が女装しているのには気が付かなかったらしい。

 俺とリンドウとの会話で察して今更ながらに驚いている。

 

「改めて昨日の礼を言いに、な。そっちの教室に行こうと思ってたんだが、いい所で出会った」

「別に。当然のことをしたまでだ」

「あれで馬鹿な奴らに調子づかれても困ったからな」

 

 リンドウの言葉に、俺は今更ながらに彼らが純粋な善意で俺を助けたわけではないことを察する。

 いや、おそらく夜夢アキラの方はそこまで深く考えていない。だが、少なくともリンドウには、魔人排除の機運が本格化する前に出足を挫いておきたかったと、そういう目論見があったようだった。

 道理で、昨日二人と別れるときに「礼は夜夢に余計に言っておけ」等と言われたわけだ。妙なところで潔癖な奴。

 

 まあ、それは過ぎたことで。

 これからの話をしよう。

 

「ところで、お前ら勉強の方は得意じゃなそうだな」

 

 魔人二人はむっとした表情をする。だが、俺が実力テストの張り出しを指し示すと「ぐぬぬ」と言いつつ反論はしない。

 そして、俺は魔人二人の名前のあるドベの方から反対方向を指し示す。

 

「俺は得意だから、わかんない所があったらいつでも聞きに来いよ」

 

 俺の指の先にあるものを見たリンドウが、半ばは夜夢アキラへの説明に、半ばは驚きのために「学年一位……満点……だと……?」と呟くに至って、夜夢アキラも「何ィ!?」と飛び上がる。

 俺にとっては中学レベルの問題など生まれる前に済ませてきたものだし、復習だって小学校にもいかずにドリルできっちりやったのだ。当然といえば当然の結果ではある。

 

「じゃ。話はそれだけだけど――」

 

「待て倉敷。俺は今日数学で当てられるかもしれんのだが」

「俺は英語を教えてほしい」

「って、早速かよ……」

 

 ぼやきながらも、俺はその場で教科書を開いて二人に教えてやった。

 どうも俺の教え方はさほどうまくないようで、結局始業ベルギリギリまでかかってしまったし、公共の廊下で魔人が勉強している姿は心ならずも一般生徒を怖がらせてしまう結果になったようでもあった。

 

 いや。

 内心、怖がっているのは俺も一緒なのだ。

 無論今更、魔人一般はともかくとしてこの夜夢アキラとリンドウを怖いとは思わない。少々面妖な面構えだって、今ではかわいらしいとすら思う。

 

 だが、彼らは死ぬ。

 原作の流れに沿っていけば、それは変えられない流れなのだ。それはそれは、無残な死にざまだったと思う。

 

 俺はそれを見たい。

 

 仮にもいろいろ助けてもらった恩人に対して、自分でもひどいと思う。

 けれど、今はそれだけが俺の心からの望み――ほんのわずかな希望なのだ。

 自分でも怖気をふるう事実だけど。

 

 もし彼らが原作通りに死ぬのなら。原作の登場人物が原作通りに動くのなら。

 それが、俺の持つ原作知識の正しさを証明する。

 

 正直に言ってあの『ジュラ紀接合事件』から自信を無くしていたのだ。

 あんな大事件が、ストーリー上重要でなかったからという理由ですっぽり抜け落ちているような情報源に頼っていたという現実をまざまざと思い知らされたのだから。

 

 前途の多難さに、心奪われ、腑抜けていたのだ。

 自信を失っていたのだ。

 

 けれど、それも昨日までの話。

 やはりこの世界が『戦闘破壊学園ダンゲロス』である、という証拠が二人も揃って俺の前に現れた。

 ならば、やることはひとつだ。

 たったひとつしかない。

 

 それは、あのジュラ紀の夕べに出る前に決めたことだったから。

 

 端的に言って、自分の計画ひとつのために前途ある若者二人が無残に死ぬことを心から願っている自分は人間として最低だと思う。

 いや。

 二人ではない。究極的には希望崎学園に集う魔人すべての死が、俺の正しさを証明する。生徒会と、番長グループと、魔人小隊、転校生。ついでに死んだ長谷部俊樹を含む教員も併せて、百人もいるだろうか?

 そいつらが俺の知っている通りに死ぬような状況。

 

 ああ、俺はハルマゲドンを待ちわびている。

 あんな地獄を心から求めているなんて、俺はいつの間にか、とっくに狂っていたに違いない。

 

 仕方がないとは言わない。

 こんなのは俺のエゴだ。

 俺は邪悪で、最悪だ。

 

 世界中のだれもが、俺自身さえ邪悪に過ぎると思っていても、もう止めることは出来ない。

 何一つ免罪符になるものか。

 

 たとえ、あの時俺をかばってくれた母親ともう一度あいまみえるためだとしても、それは許されることではない。

 

 赤の他人は元より。

 俺自身も許される事ではないと思うし、母親にしてもいい気持ちはしないだろう。

 

 若しも神がいるというなら、どうぞ俺を裁いてほしい。

 もっとも、『転校生』の神は世界のルールの裁定者に過ぎないらしいけど。

 あるいは実際に目にする機会があり、言葉を交わすこともあるかもしれない。その時を愉しみにしておこう。

 

 俺は、『転校生』になると決めたのだから。

 そのために、あらゆる生贄をささげると誓ったのだから。




次回、『ハローサマー、グッドバイ』へ続く。

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