もちろんトラックに轢かれたのだから以前の俺の肉体はおそらく死んでいる公算は高く、そうでなければ現状は病床で見ている俺の夢でありいつか醒めるハズで、とどのつまり元の世界に帰るなどという目標を立てたところでそれは儚いものと散る可能性は極めて高い。
元の世界に帰ろうなどという試みは、無駄だ。
そして、そんなことは初めから知れていた。
それでも帰りたい。
考えに考えた末に、結局はそこにたどり着く。
おかしな話だ。実に理屈に合わない。何かがおかしい。
そう思う事と、それでも帰りたいと思う事ばかりがやめられなかった。
考えて考えて考えて、ようやく俺が元の世界に帰れそうな道筋をひとつおもいついても、なお。
その計画を実行しようという思いに駆られることはなかった。
ただ、ぼんやりと帰りたかった。何一つ手につかずに、頭の中でその思いだけがいや増すばかりだった。
俺は帰りたい。
だったら帰れるよう努力すればいいじゃないか。少なくとも、理屈ではそうなる。
理不尽だ。
そう思って煮詰まって、ふと気晴らしに手に取ったミステリー小説に答えが書いてあった。安楽椅子探偵の口を借りて、その真理は俺の胸に去来した。突き刺さったのかもしれない。
実情に理屈が合わないのは、理屈が間違っているからなのだ。
俺は帰りたいはずなのに、帰ろうとしない。その、前提が間違っている。
俺は、帰りたいのではないのだ。
認めてしまえばあとは簡単だった。やわらかい土を掘り起こすよりも簡単に、蔓を引っ張って芋を掘りだすように簡単に、俺は幾つものことを認めた。認め難いことを幾つも、幾つも認めることになった。
そもそもかつての俺に、今ではさほど執着もない――あれから十年以上経ったのだ。
十年。何もかも変ってしまうのの十分すぎる時間。
あるいは仮に、俺が死んだその時に他のなにもかももその時のまま生き返ったとて、この俺自身がそこに違和感を覚え続ける事になるだろう。
結局のところ、生前の俺にとってこの世界が異世界であったのと同じくらい、今の俺にとって前世は異郷に他ならない。
帰りたいのではない。
ただ、帰りうる場所というのを俺は幾つかの理由があって求めている。
求めている、という事は持っていないという事である。
そのことを、俺は長らくどうしても認められなかった。
否認していたが半分、認識できていたのが半分だった。
俺には居場所がない。
無いものには居場所があるはずもない。
俺は無い。
無だった。
例えば俺の名前。
可愛らしい名前だ。そう思う。だけれども俺の名前であるようには思えない。前世ではもっと別の名前を使っていたし、現世でも男であった時には似たようで違う名前で呼ばれていた。
今では姓は母の旧姓になった。
女になってからの名前だった。
俺がチンコをなくしてきてからの名前だった。
俺が俺の両親にもその他の人間にも誰だかわからなくなってからの名前だった。
その名前に感じる違和感と同じくらい、鏡を見てそこにいるのが自分だとは理解しがたかった。
その前には、結構な慣らし期間があったから、前世と現世のギャップに戸惑うことも少なかった。それに男だった。顔もどちらも普通くらいだ。
ああ、俺は生まれ変わったのだ――そう感嘆するだけだった。
そして、また俺は生まれ変わった。
今度はひどく暴力的に。
それは過程の話ではあったし、また俺の了解の話でもあった。
その後の話でもあった。
俺が原因で両親は離婚した。
結局母方に引き取られることになった。
どうも、父親の方は母親の不倫まで疑う発言をしたらしい。それが、どうしようもなく致命的だった。再構築も不可能なくらいに、二人の関係は破壊され焼却され棄却された。不毛の荒野と化した。
父親はもう、俺という子供を前にして父親であることも、母親を前に夫であることもなくなった。出来なくなったのか、止めてしまったのか。それはわからない。
それでもそういう事情をそれでも子供には隠そうとしたのは、両親のなしけしの親心だったのかもしれない。無駄だったけれど。
母親は、仕方なく俺を引き取った。
仕方なく、という風情は透けて見えていたが、俺が文句を言う筋でもない。ただ、彼女を哀れだと思った。
実家が実際に無いのか、母親が頼れないと思ったのかはわからない。
母子家庭になった。
古びていたが割合清潔なアパートで、そして近所づきあいというものはなかった。
住民の出入りが激しいという事は無いのだが、生活が不規則な住人が多く、そして微妙に流行っていないために、隣に人がいるかどうかさえ確証が抱きづらいのだ。かろうじて薄い壁が、右隣の部屋の住人が、日中ずっと公共放送にチャンネルを合わせたままかけっぱなしにする奇癖を持っていることを示唆するだけだった。ずっと経ってから、これは泥棒除けなのかもしれないと思った。結局、それを確認する機会はついに訪れなかったけど。
母親は働きに出た。
俺は学校に出されなかった。
時折教育委員からの連絡に、機械的に俺は問題なく暮らしていると母が返す、それだけで俺の義務教育は果たされた形になった。
伏線はあった。
引っ越しの準備でごたごたしているときに、手持ち無沙汰にしている俺に、母親は問題集の類を投げてよこした。小学生レベルを超えたものも混じっていたが、それ以前から俺は特に前世の記憶を――あるいは神童振りとみえるかもしれない――隠しはしなかったからだ。一度親が確かめたくなるのも無理はないと思っていた。いや、進んで自分の前世の記憶を確かめた。学力という形で。
告白すれば、それは愉快な経験だった。
俺は、十分に学力があることを示した。
母親は無表情でそれを確かめると、学校に行かせる必要はないと判じたようだった。あとから思い出せば、そのような事をつぶやいていた。
なるほど。
俺も特に反対する理由はないと思った。
母親は忙しそうにしていた。
俺にだけそう見せていたのか、本当にそうだったのかはわからない。
ただ、それなりに収入に余裕があったのは確かなようで、一日に渡される金額はその日の食費としては十分以上のものだった。
学校に行かない生活はヒマで、俺は久しぶりに腕を振るって凝った食事を作ることに熱中した。
母親にそれを振る舞う機会もあったが、常に忙しそうにしている彼女からは特に感想は聞けなかった。ただ、時折思い出したように作る母親の飯と比べると、俺と母親の味はどうしようもなく似ていなかった。
米の水加減からして違う。味噌汁に使う味噌や、出汁の取り方にも随分だが差があった。俺が豚や鳥をメインにする傾向があったのに、母はと言えば肉と言えば牛だと思っている節がみられた。冷蔵庫の緑黄色野菜は、俺が使わなければ腐ってしまっただろう。
それでも互いに不味くはなかったと思う。少なくとも俺は、母親の飯を美味しく思った。母親も、俺の飯を残したりはしなかった。
そのようなふれあいの機会も、しばらくすればだんだん減っていって、結局母親は家に寝に帰るようなものだった。傍から見てみて、どうやって生きているのか不思議なくらい、家では少し寝に帰るだけだった。
もしかしたら他に安らげる場所を見つけたのかもしれない。そしてあるいは、誰か俺の知らない人間のそばで安らいでいるのだろうか。
彼女にはそうするだけのいくつもの理由がある。
それは確かだ。
そうして、俺は一人だった。
物理的に。
心情的に。
独りだった。
その状況に気が付けば、つまりは簡単な話だ。目をそらし続けるのをやめれば、それは明白な話ではあったのだ。
俺は帰りたい。
帰れるか帰れないかは問題ではなかった。帰る先さえ問題ではない。
ただ、ここが俺の居場所ではない事だけは確かなのだから。
そう認識した時、ようやく心の靄が晴れた気がした。
その先に進めるような気がした。
それから、ようやくあの計画に着手した。
俺のいた世界に帰る為の、あの一つの思いつきを形にすることにした。
他にやることはなかったし、論理的には可能でも極めて難しいと思っていたことだけれども今ならできるという思いもあった。核心なんて何一つない、単にそういう勢いだっただけだけれど。
結局武器は俺の記憶一つだった。
まずは、それをよく確かめて検討し、あの思い付きが本当に可能かどうか考えなければならなかった。
幸い、時間はいくらでもあった。毎日が日曜日だった。前世の俺に言ってやったら、涙を流してうらやむだろう。
家にいても気が滅入るだけだったので、図書館に通って、俺のこの世界についての記憶全てを纏める事にした。
……俺の図書館通いはそうして数年続いた。
*
二〇一〇年、九月二十一日。
私立希望崎学園でダンゲロス・ハルマゲドンが勃発する。
これは学園公認の元行われる、『生徒会』と『番長グループ』の二大武装勢力がどちらか片方が殲滅されるまで戦う凄惨な殺し合いである。
だが、そこに両者の殲滅を目論む教師にがミス・ダンゲロスを報酬に召喚した『転校生』が殴り込みをかけてきたことで、本来ハルマゲドンに関係のなかった両性院男女が『番長グループ』に参戦。『番長グループ』自体は情報戦に負けたことであっさり『生徒会』に敗北するが、そこに『転校生』の存在を関知せずに、これもまた『生徒会』『番長グループ』両者の殲滅を目論む『魔人中隊』が参戦し、『生徒会』を殲滅。
今度は『転校生』と『魔人中隊』の戦いの様相を呈するが、そこで生き延びていた『番長グループ』に参加していた両性院男女が『転校生の力の秘密』を対価に『転校生』に協力し『魔人中隊』を撃破。返す刀で『転校生』を撃破。
ダンゲロス・ハルマゲドンはこうして幕を閉じる。
所々端折ったり厳密ではないところもあるが、大筋ではこのようになる。
この間、たった二日。
最終的に戦いに臨んだ物も巻き込まれたものも途中参戦したものも単にその場に居合わせただけのものも全員死んで、生き残ったのが両性院男女とその幼馴染の天音沙希だけだというのだから凄まじい。
ただ、これ自体は単に魔人が大量死するというだけの事なので、俺の目的には何ら益する所が無い。
むしろ、重要なのはこれが起こった経緯と、両性院男女がこの事件を通して『魔人』そして『転校生』というものに対して深めた認識だろう。
表向きにはダンゲロス・ハルマゲドンは『生徒会』と『番長グループ』の軋轢が原因、という事になっている。それ自体は嘘ではない。
しかしそれは巧妙に仕組まれたことだったのである。
そもそも私立希望崎学園という、魔人を大量に受け入れる学園それ自体が一つの罠だった。魔人の中には凶悪な事件を起こすものがいる。そういった存在を、集めて殺し合わせてその絶対数を減らす、という理念のもとこの学園は設立されている。恐ろしいことに国家の肝いりの事業であった。
なんでそんな七面倒臭い事をしているのか、といえば国家といえども学園には手出しできない法律があるのである。
その名を『学園自治法』という。その名の通り学園に自治を認め治外法権とする法律であり、成立当時にはそれなりの意義はあったのだろうが、結果としては学園を不良魔人が暴れ回る手の付けられない悪所に換えてしまった悪法であった。
先にサラッと述べたが、学園内に二つも武装組織が会ったのはこれがためである。
その『学園自治法』を勝ち取った当時の学生運動のリーダーの名はド正義克也。
彼の息子の名はド正義卓也。
凶悪魔人同士の殺し合いの場であるはずの私立希望崎学園に圧倒的武力を以て平和をもたらした『生徒会』のリーダーである。
親が作った法律を悪用していた国家の前に、息子が立ちふさがった形になる。
そこに目を付けたのが、公安である。
学生運動家であったド正義克也に煮え湯を飲まされていた老刑事が、半ば暴走気味に事の『真相』を質そうとド正義克也を拷問、死に至らしめてしまったのである。
時に、二〇〇九年六月。
これがよくなかった。
もちろん元学生運動家であり大量殺戮の疑いさえかかっていたド正義克也はどう贔屓目に見ても善良な市民とは言い難い。十分な疑いがあれば強引な捜査も致し方ないかもしれない。だが、拷問は明らかな行き過ぎであり、しかも老刑事の期待していた国家転覆などの『真相』は実在しなかった。
場所も悪かった。ド正義克也は治外法権である学生に潜んでおり、殺害も学園内で行われた。
国家が立ち入ることのできない場所で、しかも殺人を犯してしまったのだ。
そんなことを公表できるはずもなく、事件は表向き学生運動仲間による内ゲバ的な殺人だという事になった。
だがその事件が、希望崎学園で平和を維持していたド正義卓也の精神の均衡を崩した。
彼自身『学園自治法』で苦労した過去があったために、彼は父親が殺されること自体は致し方のないことだと受け入れた。ただ、それをやったとされるのが学生運動仲間だという『ストーリー』が、潔癖な彼に結局は他人というのは信用できないものだという一念を植え付けた。
実のところ希望崎学園の平和を維持していたのは『生徒会』だけではない。
同時に『番長グループ』が『生徒会』の対抗勢力として存在しつつ、『生徒会』には手の届かない部分で治安維持を行っていたために学園の平和は保たれていたのだ。
そして、その複雑で綱渡りな平和を維持していたのが、『生徒会』リーダード正義卓也と、『番長グループ』リーダー邪賢王ヒロシマとの個人的友情であったのである。二人は中学からの親友であった。
ド正義卓也は本来、彼単体で学園の治安を担える能力は具えていた。
拘束を違反したものを一睨みで殺害できる『超高潔速攻裁判』という特殊能力を具えていたからである。
ただし、この強力な能力で中学時代の彼は荒れていた中学の治安を回復した後、周囲から敬遠された。あまりにも強力な力は畏れられるのだ。
希望崎学園でのド正義の権力を担保していたのは、その力自体よりも、それまで戦慄のイズミ率いる『番長グループ』によって戦闘破壊学園と称されるほどまで荒れていた希望崎学園に治安を取り戻し、さらに戦慄のイズミを斃した邪賢王ヒロシマの『番長グループ』を相手に治安を維持し続けていたという実績による、学生たちの支持であった。
魔人というのは別に超人ではない。
超人的な力をもってていたり、強力な超能力を具えているものはいる。しかし、大半はそうではないし、たとえそのようなものがいたとしても決して無敵ではない。
普通に死ぬし、相性の悪い魔人と戦えばあっさり負ける。
その様な事をド正義卓也は失念したようだ。
彼は、自分の力だけで理想郷を打ち立てることを夢見た。
広大な敷地を持ち『学園自治法』により国家の手出しできない希望崎学園に、魔人の魔人による国家を設立しようとしたのである。
ここで、先走った公安の老刑事の妄想は、瓢箪から駒、現実のモノとなる。
マッチポンプとも言うかもしれない。
二〇〇九年、十二月。
あわてて国家は指揮下にある魔人だけの軍隊である『魔人中隊』からスパイを送り込み、ド正義卓也を排除することに決める。ついでに『番長グループ』まで殲滅し、希望崎学園を元の戦闘破壊学園に戻そうという腹である。
スパイは仕事を完璧にこなした。
二〇一〇年七月の男子剣道部解体、同年八月の『生徒会・番長グループなかよしお楽しみ会』における殺人事件。
これらを経て両グループの関係は急速に悪化。
二〇一〇年九月。
ついにダンゲロス・ハルマゲドンが勃発することになる。
以上の中々複雑な経緯は、実のところかなり偶然と誤解によるものがある。
場合によってはちょっとした介入で国家を動かすことも不可能ではないので、覚えていて損はない。だが、基本的に厄ネタなので火遊びをすれば大やけど必至だ。
この知識は自衛のため、主に巻き込まれないために使うべきだろう。
最後に。
魔人の能力と転校生について。
曰く、――魔人の能力は、自分の認識を他者に強制する力である。
たとえば、『海は青い』という共通認識がある。常識と言ってもいい。
そこに『海は赤い』というような妄想を持った変人が登場する。
彼はそれだけでは単なる変人にすぎないが、それが魔人であれば『海は赤い』認識を他者へ強制し共通認識に昇華することができる。
もう少し噛み砕けば、妄想が現実になるのである。
ド正義卓也の『超高潔速攻裁判』も、不良魔人を校則違反で死刑にしてやろうという妄想が実現化したものである。
なおこの能力、現地で死刑相当の罪を犯したことが確認できない能力であり、つまりこの世界の日本の学校には死刑があるのだ。
さて、魔人の能力は認識によるものだが、そこに強い弱いの概念はない。
つまり、『最強の矛』の能力と『最強の盾』の能力は文字通りの矛盾でありながらともに最強であることは間違いない。両者とも自分も相手も最強だと認識している。魔人能力とはそうしたものだからだ。
だが、その二つがぶつかったとき――
その結果、どちらかが勝つ。
そこには目にみえる必然性は存在しない。
その結果導き出されるのが『神』とでもいうべき審判存在である。
能力の矛盾――作中のあるキャラに言わせれば『認識の衝突』――に勝利した存在は、『自らは神に愛されている』と認識する。実際にそうかどうかはともかく、そうとしか思えないことが起こったのは現実だからだ。
その『認識』が彼らを単なる魔人から一つ上のステージに押し上げる。
それが『転校生』である。
それ故に『転校生』は『強い』。
彼らは通常の魔人と同じく能力を持つ他に、無限の攻撃力と無限の防御力を持つ。通常の手段ではその攻撃を防ぐことはできず紙の様に蹴散らされ、逆に攻撃しても一切通じないのである。
また転校生は不老である。だが不死ではない。
例えば即死の呪いにかかれば死ぬ。『転校生』が所有するのはあくまで無限の防御力であって、魔人の能力によって死という認識を押し付けられたときには死ぬほかない、と言い換えてもいい。
そして、彼らのルールにのっとって世界を移動し、それどころか世界を作り出しさえするらしい。
彼らは特殊な手順によって呼び出され、契約に則ってテロリズムからお掃除まで何でもやる。
その対価として彼らが求めるのが、生きた人間である。求められた働きを終えた後、彼らは生贄を生きたまま引き裂き自分の世界に連れて帰る。
それが、『転校生』という存在だ。
以上が、『戦闘破壊学園ダンゲロス』における主要な物語の流れと、設定である。
それを加味して、俺は俺の目標を果たす必要がある。
俺の目標。理想。野望。なんといってもい。
要するに俺はこの現状に不満がある。なにせ、この世には俺の居場所が無いのだから。
だから、俺の居場所が欲しい。
俺の、俺による、俺のための居場所が欲しい。
もはや過去となった前世でもなく。
いまや針のむしろな今生でもない。
天国のような俺の居場所が欲しい。
はたして、この世界、いやこの世界の外なのかもしれないが、そのような場所がある。そのような場所に住んでいる存在がいる、というべきか。
それは、『転校生』である。
そう。
俺は、『転校生』になるつもりなのだ。
自分の世界を作る、その為に『転校生』になる。
それが、俺の目的であり、手段である。
そのためには、『認識の衝突』に勝利する必要があり、さらにそのためには『魔人』になる必要がある。
少なくとも、正攻法で行くのなら。
どうせ『魔人』になるのだから、一足飛びに『自分は『転校生』である』というような認識で『魔人』となれれば手間が大分省ける。
だが、別に俺は自分が『転校生』であるなどという妄想を抱けるほど夜郎自大ではない。そもそも『魔人』でもない。そんな『認識』はない。
それに、作中の描写を見る限り、自分自身がどういう魔人になれるかを完全に制御できるかどうかは難しいと見なければならないだろう。むしろ「何でこんな能力になったんだろう」と悩んでいるものが多く見受けられる。
ひどく思いつめたことで初めて魔人として覚醒したものがいる一方。
何でもない連想からあっさり魔人となったものがいる。
それに、能力の原理を知ってしまった俺にとって妄想それ自体が難しい。
要らないツッコミを勝手に自分で入れてしまうような気がする。いってみれば、『中二力』が脆弱だ。
なろうと思ってなれるようには思えない。
これは望み薄とみておくべきか。
ここで思い出される一つの興味深いエピソードがある。
作中に出てきた『転校生』たちのうち、すくなくともひとりは別枠で『転校生』になったらしいのである。
とある人物が『転校生』に貸しを作り、その代わりに『転校生』はその人物の孫を『転校生』にした。
具体的な方法などは一切語られてはいない。が、『転校生』になるには裏道がある。
それだけが解れば十分である。
そういう方策があるのだと判ってさえいれば、それを実行するのはそう難しい話ではない。俺はやり方を考える必要はない。やってもらえばいいのだから。
奇しくも、作中で両性院男女がそうしたように。
俺も、『転校生』から『転校生になる方法』を聞き出すのだ。
ただし、『魔人』ならぬ人のまま、『転校生』にしてもらう。
無論、ただでは無理だろう。
だから『報酬』を支払う必要がある。
そう、『報酬』次第でテロでも便所掃除でもするのなら、『報酬』次第で内部事情の暴露なり、新規採用だってするかもしれない。いや、やってもらう。
必要なものは、『転校生』の世界につながる電話番号。
そして、『報酬』。
これらはすべて、『ダンゲロスハルマゲドン』の時点で揃っている。
希望崎学園の数学教師、長谷部俊樹。
原作で『転校生』を召喚した男が手に入れたパンフレット。
そして、 希望崎学園の『魔人』の大部分を殺戮可能な三人の『転校生』への『報酬』。
ミスダンゲロス、天音沙希――両性院男女の想い人。
ここでお浚いをしておこう。
長谷部が『転校生』を召喚したのは希望崎の魔人を殲滅する為であり、しかも小心者の彼はその舞台を通常の規則が凍結されるダンゲロス・ハルマゲドンに指定した。
パンフレットが実際に手元に届いたのは二学期になってから。
チャンスは二十日ほどの間になる。
また、長谷部の臆病で神経質な性格を考えれば、諸々の条件はできるだけ変わらない方が好ましい。
実際、彼は国家権力を敵に回すことを恐れ『転校生』との契約を白紙にしようとして、逆に『転校生』に殺された。テンパると考えなしな事をするようである。不安要素は少ない方がいい。
すると、ダンゲロス・ハルマゲドンに関しては当面一切介入しない方針で行くことになる。
因果関係が非常に面倒臭いので、下手に突っつくと長谷部が来る前にハルマゲドンが勃発したり、そもそも長谷部が希望崎に赴任しなかったりというアクシデントが起こり得るのである。
長谷部の前歴は数学者だったという事しかわからない。それに、パンフレットを入手する手段を講じたのも、魔人嫌いの彼が有力魔人の機嫌を損ねて希望崎学園に左遷されたからである。
長谷部に接近するために希望崎学園に入学することが望ましい。
学園には表向きには『生徒会』と『番長グループ』が目を光らせているし、『魔人中隊』の監視もある。直前になって出入りするのはそれだけでリスキーである。
逆算した結果、俺は両性院男女と同学年。つまり、希望崎学園が平和を確立した後に入学できるのだ。
結論。
このままダンゲロス・ハルマゲドンに向けて大人しく過ごす。
ハルマゲドン直前に、長谷部から転校生のパンフレットを入手し、転校生とコンタクトして現状を打破する。
*
要するに『転校生なら何とかしてくれる』という頭の悪い計画である。
たったそれだけを確認するのに丸一年かけて『戦闘破壊学園ダンゲロス』の内容を思いだして、更に一年かけて検討した結果でてくる結論が『基本的に何もしない』なあたり笑えてくる。
だが、魔人だらけのこの世界で俺が持っているアドバンテージを駆使しようとするならば、そうなるのも当然の話ではあった。
未来を知っていて行動すれば、その結果未来が変わりかねない。まして、俺は物語にとって異分子なのだから。
俺は苦笑しつつノートを閉じた。表紙には『自由研究』と書いてある。
もちろん自分で書いたのだが、それを見るたびに毎日が夏休みな今の自分に妙な居心地悪さを感じる。
まるで罪滅ぼしの様に書き込みで真っ黒になった参考書は古書店で求めた近くの高校の指定教科書で、この世界の政治経済にはとんと疎い俺に重宝した。特に、『学園自治法』絡みの動きの裏付けに役立ってくれた。
高田講堂事件には一章を割いて解説してくれていた教科書には、挿絵にはなっていなかったド正義克也の写真までもが載っていて、それがまたド正義卓也にそっくりで初めて見た時には笑ってしまった。作中で、一目で二人が親子関係にあると見破る登場人物がいたが、それも無理はない話だった。顔の造作というよりも、何というか潔癖で不器用な生き方が似ているな、と教科書と原作を比べつつ思ったものだった。
ノートと教科書を手に取り、カバンに詰める。
その下から、書家から苦労して取り出した正義克也の作品集なるモノが出てきた。こういうのって生前から出るものだろうか。
目当ては魔人能力に関する論文だったのだが、それは共著者が一般向けに分かりやすい本を出していてそちらの方が参考になった。
それよりも、学生運動時代の書簡集だとか演説の方が読んでいては面白かった。その行動の末路さえ知らなければ、その英明さがきっと万難を排し理路を尽くして明るい未来を創るだろうと思わせるような、そんな文章を書く人だった。だからこそ、いたたまれなくなる部分があったのだけど。
スピーカーから『新世界より』が流れ出す。
今日は思ったよりも長居をしたようだった。閉館五分前を知らせる録音音声が、今日も借りられる本の冊数や期限を教えてくれる。
少しだけ迷って、ド正義克也には書架に戻ってもらった。代わりに小説を数冊、ヤングアダルト書架から適当に抜き出して借りる。タイトルで選んだのが半数、挿絵で選んだのが半数だ。
夏休みだけの小学生と化してから、俺は優に自分の身長の何倍もの本を読むようになっていたが、魔人関係や歴史関係を除けば読んでいるのはもっぱら娯楽読み物だ。
行儀悪くも、歩きながら少しさわりを読み始める。
読み始めようと、した。
図書館を出て、『新世界より』を背に。
俺はジュラ紀を見た。
「3、失われた世界」へ続く