咲-Saki- 北大阪恋物語   作:晃甫

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大星淡の場合 1

 

 歩く度にふわりと舞う絹のように艶やかな髪を、何度美しいと思っただろうか。

 滑らかな白い指先が牌を捌く様に、何度見惚れたことだろうか。

 彼女の一挙手一投足を眼で追ってしまう自分に気がついたときには、その恋はもう始まっていたのかもしれない。

 その気持ちを恥ずかしいものだとは思わない。はっきりと自覚してからは寧ろ誇らしく、声を大にして叫んでしまいたい気持ちだった。大好きだ、彼女のことが大好きだ。

 

 ――――僕は、大星淡のことが大好きだッ!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 放課後の校舎。部活動に勤しむ生徒たちが多く残るその一室で、牌を卓に切る音だけが静かに響く。

 白糸台高校、女子麻雀部。今夏のインターハイを席巻したと言って間違いない女子高校麻雀界最強の高校である。だがその歴史は思いの外浅く、インターハイに初めて出場したのは今から二年前。今年のインターハイを含めれば出場回数はたったの三回だ。

 しかし、その全てが優勝。個人戦三連覇を果たした高校生一万人の頂点と呼ばれる宮永照を筆頭に、メンバーの五人全てが全国トップクラスの打ち手で固められている。数ヶ月前に行われたインターハイでは団体優勝、個人戦で宮永照が優勝、大星淡が四位とそうそうたる成績を収めていた。

 インターハイが終わって二ヶ月後に行われた秋季大会でも他の追随を許すことなく関東大会で優勝。全国大会までは開催されないのでそこで成績は止まってしまったが、インターハイを戦ったメンバーが三人も残っている白糸台高校は間違いなく今現在も女子高校麻雀界のトップをひた走っていた。

 

 タン、タン。

 一定のリズムで牌がツモられ切られていく。

 

「ロン。12000」

 

 鈴を転がしたような凛とした声が、長らく静寂に支配されていた卓の上から響く。対面に座っていた二年生の生徒が何の警戒もなしに二萬を切った直後、手牌を倒すと共に上がった声だった。

 

「おいおい。こりゃ今日の淡は手がつけられないか?」

「亦野せんぱーい。今日はじゃなくて今日もでしょー?」

 

 淡の隣に座るベリーショートの少女、亦野誠子が眉根を下げて呆れるように呟いた。その言葉に口角を上げて答える淡の手元には三人から集めた点棒が数多く。得意げな彼女の表情からすると、まだまだ終わらせる気はないらしい。

 自分の元に残された点棒の少なさに溜息を吐きつつも、亦野は積み上がった牌を素早く取っていく。いくら単純な実力で負けているとは言えそれを言い訳にしていては何時まで経っても成長することはない。それは昨年までの己を省みれば嫌でも分かることだった。安牌が無ければ安易にスジや現物に頼る。それでは全国上位の打ち手と渡り合うことはできない。実際、今回のインターハイの準決勝では一度足元を掬われている。そこからだ、彼女が変わったのは。牌だけでなく、対戦相手の表情や仕草、卓全体を見るようになった。何も捨て牌だけが判断材料ではない。自ら視野を狭めてしまっていた、目の前にはあれだけたくさんの情報が転がっていたというのに。そう気がついた亦野の決勝での戦いぶりは怒涛の一言に尽る。準決勝で土を付けられた相手にきっちりリベンジし、白糸台の三連覇を大きく引き寄せた。

 

 とは言え、それはこの少女、大星淡も同じ訳で。

 

「ツモ、4000オール」

 

 三巡目での和了。速度を重視した麻雀を打つ亦野であっても淡のスピードについて行くことが出来ない。

 嬉々として点棒を受け取る淡を、亦野は横目で見つめる。

 大星淡。三年生が引退した今、恐らくは白糸台で最も強い少女だ。秋季大会の団体戦では大将を務め、その圧倒的な火力で他校をねじ伏せたのは記憶に新しい。付いた渾名は『宮永照の後継者』。淡本人もその呼び名を気に入っているらしく、雑誌の取材時には頻繁にその言葉を使用していた。

 実を言えば、彼女もまたインターハイまでは亦野と同じく何処か慢心を残していた。日本最強の白糸台、その大将を一年生ながらに任されたことで心の何処かに隙が出来ていたのかもしれない。そんな慢心を突かれたのがインターハイ準決勝。相手は十年ぶりにインターハイに帰ってきた奈良県阿知賀女子の一年、高鴨穏乃。優勝最有力だった白糸台に唯一土を付けた無名のダークホース。

 そこからだろうか。大星淡という少女が変わったのは。これまでの浮ついた雰囲気は消え失せ、惰性で打っていたような印象は綺麗さっぱりと消え失せた。負けん気は以前から強かったが、一層それが表に出るようになった。

 今や誰もが淡を白糸台のエースだと認めている。宮永照が抜けた穴を埋めるのは彼女しかいないと断言できる。

 

 最強の名を欲しいままにしてきた白糸台は、これから先もその座を譲る気はない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 本日分のメニューを全て消化した頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。十二月に入った事でその寒さはより厳しくなり、今やマフラーとコートは手放せない。

 午後六時半。一軍のメンバーが揃う部室の前方に設置されているホワイトボードの前に集合した部員たちは前に立つ監督、三尋木燐の話を聞いていた。

 

「はい、じゃあ今日はこれで解散。あ、部長と副部長は残ってね」

 

 パンパンと手を叩いて解散を宣言する。それに伴って集まっていた二十人程の部員たちの殆どが鞄を片手に部屋を出て行った。コートを着た女子生徒が出て行った後、部室に残ったのは燐に亦野、渋谷。そして淡だった。

 

「えーと、淡? もう帰っていいよ?」

「もーつれないなーりんりん。今日も一局、ね? どうせ部室の外にテルーもいるんでしょ?」

 

 ぎくり、と燐の頬が引きつった。同時に部室の扉の向こうでガタンと物音。

 これは今日も長くなりそうだ、と内心で燐は苦笑して、先に本題を片付けることにした。持ってきていたファイルから数枚の書類を取り出して亦野と渋谷の二人に手渡す。

 

「これは……?」

春季大会(スプリング )の要項。秋季大会( オータム)や去年の成績から考えてもうちは第一シードなのは間違いない。あとは団体戦と個人戦のメンバーの選出なんだけど、俺はもうその頃にはあまり部活に顔を出せなくなってるだろうからね。今のうちに亦野たちにある程度のことはできるようになってもらおうと思って」

 

 ああ、と言われて亦野は納得した。

 彼、三尋木燐は学生ながら麻雀部の監督を務めている。しかしながら彼ももう三年生。卒業してしまえば監督業を行うことはできないのだ。そのまま何処かの大学に進んで監督を続けるということも出来なくはないが、生憎と燐は卒業後プロ入りすることが内定している。

 となれば、春休みに行われる春季大会が開催される時期に既に彼はいないわけで。新しい監督が時期を早めてやってくるにしてもそう易々と慣れるものでもない。だから今のうちから部長や副部長に仕事を覚えさせて少しでも手助けになれば。そう思ってのことだろう。

 

「チームの選抜はこっちでやっちゃおうと思うけど、亦野や渋谷が推薦したい選手がいれば今のうちに聞いておきたい」

「いえ、先輩にお任せします。今までもそうでしたし、不満なんてありません」

 

 事実これまで彼の采配が外れたことはない。チームを振り分けるにしても各々が任されるべきポジションにきちんと当てられていた。亦野、渋谷、淡の三人はまた同じチームを組んで校内戦に挑むことになるだろう。秋季大会の時とメンバーが大きく変わるということはないので、恐らくは残りの二人も同じだと思われる。あっても一人交代するくらいだろう。

 

「ん、分かった。じゃあこっちで骨組みは作るから、何かあれば言って」

「分かりました」

 

 燐に渡された資料に目を通しながら亦野が頷く。中々器用なことするなぁと思いながら、燐は資料を読み下げていく。

 

「あとのことは俺の次にくる監督に任せるけど、あの人いつ東京にくんのかな」

 

 首を傾げる燐だが、亦野はさらっと出た今の言葉に思わずぎょっとする。

 

「え、ちょ、ちょっと待ってください! もう次の監督は決まってるんですか!?」

「当たり前じゃないか。もう十二月だよ? 監督要請の手続きとかインハイ終わってからやってたし」

 

 そんなことは聞いてないとばかりの亦野。渋谷も声には出さないが驚いているのは見て取れた。そんな二人の後ろで淡は頭上にハテナマークを浮かべていたりする。監督が誰になろうとも関係ないと言わんばかりの仕草だった。

 

「本当は部員たちには三月まで言わないつもりだったけど、二人には言っておこうと思って。そのほうが気持ちの整理もつきやすいでしょ?」

「いやそれはそうですけど……一体誰なんですか?」

「大丈夫。技量的には全く問題ない人だから。寧ろ俺より監督には向いてるかもね」

 

 燐よりも監督に向いている。そんな言葉をおいそれと受け入れられる訳が無かった。一つ年上の先輩というには余りにもレベルが違いすぎているということを亦野を始めとする白糸台麻雀部員はよく知っている。高校生離れした分析力と指揮官として力量。プロにだって中々いないだろう存在だ。そんな彼をして監督に向いていると言わしめる人物とは一体誰なのか。嫌でも興味が湧いてくる。

 待ちきれないのかそわそわと落ち着きの無くなった亦野に苦笑して、燐はその人物の名を挙げた。

 と同時、亦野から驚愕の声も上がる。

 

 それは、とても名の知れたプロの一人だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 亦野と渋谷の二人を帰した後、部室には燐と照、そして淡の姿があった。

 最終下校時刻はとうに過ぎているが、そこは全国最強の名を使わせていただいて居残り練習という名目で部室の使用許可を得ている。三人で囲んだ卓の中心から牌が現れる。三人とも淀みのない動作で取っていき、瞬く間に理牌までを終わらせた。

 ふんふんと上機嫌で今にも鼻唄を歌いだしそうな淡が、両隣の二人を交互に見つめる。

 

「今日は負けないんだからッ!」

「淡、それこの前も聞いた」

「照。そういうのはね、分かってても言わないで上げるのが優しさってやつだよ」

「二人共酷くないっ!?」

 

 午後七時を過ぎていることを気にもせず、起親となった淡から牌に手をかける。

 世界ジュニアが終わってから、こうして三人で麻雀を打つようになった。始めはもうじき卒業してしまう燐と照に負けっぱなしなのが気に食わない淡がふっかけたものだったが、ひと月もすれば最早恒例となってしまった。最初はただ勝つためにがむしゃらに、しかし次第に勝ち方を模索するための麻雀に変わっていった。格上の相手に勝つにはどうすればいいのか、どういったうち回しをすれば自身を有利に、相手を不利に出来るのか。三人という変則的な人数で行うことで、それはより顕著に卓に現れる。

 秋季大会での淡の活躍の下地には、実はこの三人麻雀があったりするのだ。何せ相手は高校最強の二人。不足などあろう筈もない。

 

「そういえばさー」

 

 ツモった牌をそのまま切って、淡はなんとは無しに呟いた。

 

「りんりん達って、高校卒業したら一緒に住むの?」

「うん」

 

 返答は即座に返って来た。声の主は燐である。切った牌を横に曲げて千点棒を出す。うっ、と淡の表情が渋くなった。

 

「横浜ロードスターズは選手の寮もあるんだけど、強制入寮ってわけじゃないし。向こうの監督も俺と照の関係は知ってるから同棲も認めてくれるってさ」

 

 実は燐と照の関係がばれたのは数ヶ月前の男女別で行われた横浜ロードスターズの合宿だったりする。その際に顔を見られない照がふらふらになったり無意識のうちに男子の合宿先に向かおうとしたりと様々な出来事があったらしいが、ここでは関係ないので割愛させていただく。

 

「じゃあじゃあ、結婚はすぐ!?」

「ぶふぅッ!?」

 

 単純な好奇心から出たであろう言葉はしかし、燐の動揺を誘うには十分すぎる効果があった。思わず取り零した牌を見て、すかさず照が手牌を倒した。

 

「ロン。1000」

「容赦無いね照……」

「当然」

 

 結婚かぁ、と点棒を差し出しながら燐は思う。いずれはそうなりたいと思っているが、二人共プロの一線で戦うとなるとその時期に迷う。正直な話、結婚するだけなら今すぐにでもしてしまいたい燐だったがそれには指輪だの式場手配だのといった諸々が必要になってくる。それにはやはりお金が必要で、自身で稼いだ金銭でとなれば最低でも二、三年はプロで頑張らなくてはいけないだろう。

 

「淡はそういった相手、いないの?」

 

 意外にもそうした質問をしたのは照だった。

 表情を変えないまま、淡を見つめる。

 

「私? んー、考えたこともなかったなー」

 

 顎に人差し指を当てて小さく唸る。自分がそういった恋人同士になるなど想像したこともなかった。燐と照はお似合いの恋人だ、それは淡も認めているし、あんなカップルになれたらいいなと憧れもする。しかし己がどうかと問われると、まず第一に恋をしたことすらないことに気がついた。

 恋愛ごとに興味がないわけではない。だが幸か不幸か、淡にとってのそうした相手は未だ現れていないのである。

 

「淡のことだから、案外身近な奴にコロッといっちゃうかもね」

「りんりんとか?」

「…………」

「ちょ、淡! 冗談でもそう言うのやめてくれる!? 照も真に受けないでよ!!」

 

 淡のからかいを存分に含んだ物言いに燐が慌てる。照は何を思ったのか、ジトッとした視線を燐へと向けていた。

 そんな二人の様子を見てけらけらと笑いながら淡は考える。これまで想像したこともなかった、自身が恋をしている姿を。

 

(……そんなの、想像もつかないな)

 

 

 

 ◆

 

 

 

 翌日の昼休み。一年生のとある教室で二人の男子が難しい顔を付き合わせて弁当箱の中身を口に運んでいた。お通夜ムード漂うその一角に誰も近寄ろうとしなかった結果なのか、今日の彼らの周囲には不自然なスペースが生まれてしまっている。

 どんよりとした雰囲気を醸し出しているうちの一人、黒髪の少年が卵焼きを咀嚼し終えて呟いた。

 

「……どうする?」

 

 まるで覇気が感じられないその質問に、同様に力の無い返答が返ってくる。

 

「どうするって、どうしようもないだろ」

 

 茶髪を後ろで一括りにした少年は頬杖をついてそう返した。

 想像していた通りの返答だったためか、黒髪の少年の纏う雰囲気がより一層悲壮感漂うものへと変化する。

 

「じゃあ優樹はこのまま部が廃部になってもいいって言うの!?」

 

 バンッ、と机を叩いて黒髪の少年は立ち上がった。その拍子に掛けていた椅子が後ろに倒れるが、それを全く気にした様子はない。対して、優樹と呼ばれた少年は大きく溜息を吐き出して。

 

「良いなんて言ってないだろ。ただ……廃部はほぼ決まっちまってるようなもんだ」

「でも!」

「じゃあ月彦には名案があるのか?」

 

 そう言われて黒髪の少年、原田月彦は口を噤んだ。

 彼ら二人の話の中心にあるのは、所属している部活動が廃部の危機に瀕しているというものだ。そしてその部活動の名は、男子麻雀部。

 西東京どころか全国でも有数の実力を誇る女子麻雀部と同様に、男子麻雀部も白糸台高校には存在している。しかしその知名度は女子に比べると遥かに劣るものであり、部員の数も団体戦に出場できない程に少なかった。それでも今年の夏までは四人で活動しており、西東京予選に個人戦のみではあるが出場もしていたのだ。麻雀の腕に覚えのある部員がいないため、予選突破は成らなかったが。

 しかしインターハイ予選が終わったことで二人の三年生部員が引退。二年生の部員が一人もいないため、残されたのは月彦と優樹の一年生二人のみとなってしまった。必然的に部長、副部長に就任したわけであるが、ここで大きな壁にぶち当たる。

 白糸台高校の規則では、部活動は最低でも三人いなければ部としての存続が認められないのである。

 最低でもあと一人部員を確保しなくては、月彦の所属する男子麻雀部は存在しなくなってしまう。個人戦で結果を残すことでアピールすることも不可能ではないが、残念なことに一ヶ月前に行われた秋季大会個人戦では初戦で敗退してしまっている。

 学校側としても女子麻雀部が強豪であり、全国的に注目されているために男子麻雀部にも頑張ってもらいたいと思ってはいるものの、実績と人数の足りない部活動を残しておく意味がないのもまた揺るぎない事実。先日校長から呼び出しを受けた際にそう言われ、月彦が説得に説得を重ね続けた結果なんとか即時廃部だけは免れたものの条件を付けられた。

 その条件が――――。

 

「――――来年四月に三人以上の部員確保とインターハイ出場って、いや無理だろ」

「それでもなんとかするしかないんだよ。浅野先輩だって苦労して部を存続させてきたんだ。それを僕たちの代で終わらせたくない」

「いやそうは言ってもよ……」

 

 現実問題として、部員の確保のほうはまだ望みがある。女子麻雀部が有名なおかげで男子で麻雀を打てる生徒もそこそこ入学してくるし、実際月彦もそのクチである。自分たちを含めてあと一人入部させることが出来れば最低人数には到達することが出来る。

 問題なのは後者、インターハイ出場のほうだ。今の実力で言えば百パーセント無理だと断言できる。全国から選りすぐりの選手が集まる女子とは違い来年の一年生に強者は入ってくる保証は無い。かといって今の月彦と優樹の実力はいいとこ予選二回戦レベル。八方塞がりとは正にこのことを言うのだろう。

 

「いっそのこと俺たちの代わりに女子に出てもらうか? そうすりゃ予選突破なんて楽勝だろ」

「そんなこと出来るわけないだろ。……いや、待てよ」

 

 冗談のつもりで溢した言葉に食いついたのか、月彦は顎に指を添えて黙り込む。

 

「お、おいおい。冗談だぜ? そんなことしたら問答無用で廃部に決まってる」

「いやそうじゃなくてさ。僕らだけで強くなるのは無理がある。なら、女子に協力してもらうのはどうかな」

 

 思いつきで提案した月彦だが、存外悪い案ではないと感じていた。自分たちよりも実力が上の人間に教えてもらったほうが上達は早いだろうし、それが全国最強クラスの人間ならば尚の事。少しでも廃部の危機を回避するために、男としてのプライドだとかそんなちゃちなものはかなぐり捨てるつもりだ。

 

「ほら、同じクラスには大星さんもいるし」

「いやいやいやいや。大星ってうちのレギュラーっつかジュニアの日本代表だぞ? 俺たちに割くような時間はねーって」

「そんなの聞いてみなきゃ分からないだろ」

 

 本気かよ、と顔を顰める優樹に構わず月彦は席を立った。向かう先はクラスの女子と一緒に昼食を摂っている淡。同じクラスになってもう九ヶ月程経つが、話をしたことは殆ど無い。片や日本を代表するような麻雀選手。片や無名のクラスメイト。接点など麻雀くらいしかなく、それすら実力に差がありすぎて中々交流することが無かったのだ。

 が、そんなことは関係ないとばかりに月彦はずんずんと淡のもとへ向かっていく。それに気がついた淡の周囲の女子数名が何事かと視線を向けてくるが、それらの全てを月彦は意図的に無視した。女子の視線に慣れていないからではない、断じて。

 そんな少年に気がついたのか、淡が顔を月彦の方へと向けた。こてんと小首を傾げる姿が恐ろしく様になっている。はっきり言ってそこいらの男ならノックアウト級だ。

 

「えーと、何か用? ……原田君」

 

 後半部分が遅れたのは、名前を知らなかった淡に横の女子生徒が耳打ちしていた為だ。

 自分の名前すら覚えられていなかったことに軽いショックを受けつつ(というかクラスの大半の男子の名前を淡は記憶していない)、それでも意を決して口を開く。

 

「大星、さん。君に頼みたいことがあるんだ」

 

 初めから上手くいくなどと思ってはいない。断られることなど百も承知。一度や二度無理だと言われたくらいで諦めるくらいなら、麻雀なんてとっくの昔に辞めている。あの場所で、あの部室でまだ麻雀を打ちたい。そんな一心で月彦は淡に頭を下げた。

 

「僕たちに、麻雀の指導をしてくれませんか!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「だーかーらー。何でそこで二索出すかなー」

「え、いやだって安牌ないし一応スジだし……」

「そんなの関係ないんだってば。なんかこう雰囲気とかでわかるじゃん?」

「すいません分かりません」

 

 放課後、男子麻雀部の部室に用意された唯一の麻雀卓で三人は卓を囲んでいた。

 今は先程終わった対局の反省会を行っている最中で、月彦が無用心に切った牌を淡が問いただしているところだ。

 月彦の決死の懇願は、案外あっさりと受け入れられた。淡本人が「いいよー」と二つ返事で了承したのである。それについて周囲の女子たちが部活の方はどうするんだとか監督に確認したほうがいいんじゃないかとか慌てだしたために確認してみたが、女子麻雀部の監督もOKしてくれたらしく今日からこうして指導してくれるようになったのだ。

 とは言っても部活動のある日は基本的にそちらを優先させるので毎日行える訳ではない。精々が週に一度、二度あればいいほうだ。

 月彦としては大事なレギュラーがこんなことに時間を使うのは監督が許可してくれないのではないかと思っていたが、どうもその監督である三年生は引退した浅野藤間の友人らしい。というか三尋木プロの弟だった。そしてこの前の世界ジュニアの代表だった。そんな訳で友人の後輩の頼みならと了承してくれたそうな。

 

 女子の部室に比べれば小さな部室で三人の討論は続く。

 

「大星さんは何でここでリーチかけたの? もうツモ牌も少ないし、優樹がリーチかけてたのに」

「ん? 和了れると思ったから」

 

 それが何か? と言わんばかりの即答。事実この後一発ツモしているのだから何も言い返せない。得意げに金髪を揺らす淡に、月彦と優樹は唖然とするしかなかった。

 そして同時に思う。大星淡は理論の上で麻雀をしているのではない、感覚を重視するタイプの打ち手であるのだと。

 

 結局指導初日は淡によるダメ出しが大半で、まともな技術指導などが行われることはなかった。

 

 陽の落ちた帰り道を月彦と優樹の二人は歩く。十二月に入って一層増した寒さに自然巻いていたマフラーを口元にまで引き上げる。一定のペースで歩きながら、口を開いたのは優樹だった。

 

「いやー、わかっちゃいたけど大星さんてめちゃくちゃ強いんだな」

 

 うちのレギュラー張ってるんだから当然っちゃあ当然か、と付け加える。それには横で歩く月彦も全面的に同意していた。淡本人がなんとなくと言っていた勘も然ることながら、それに完全に頼りきっているわけではないのか時に牌効率や卓全体を見ながらベタ下りしてくることもある。理論と感覚、その両方を兼ね備えているのだと月彦は今日一日で理解した。

 そんな彼女を目の当たりにして、月彦の心の内に確かな希望と火が灯る。彼女の下で指導を受ければ、自分たちはまだまだ強くなれる。淡のように強くなりたい。例え可能性が低くとも零でない以上諦めたくはない。そう強く思うようになった。

 

「……つーかよ、見すぎだったぜ」

「なにが?」

「お前、対局中もその後もずっと大星さんのこと見てたろ」

「はあッ!?」

 

 突拍子の無い優樹の発言に月彦の肩が大きく揺れる。肩に掛けられていた通学鞄がずり落ちそうになった。そんな友人の様子を見て優樹はハァ、となんとも意味ありげな溜息を一つ。

 

「な、なんだよ」

「お前、自分でも気付いてなかったわけ?」

「見てるって、そりゃ対局中は相手の視線とかも気にしなきゃいけないだろ」

「そんなレベルじゃねえんだよお前のは。ガン見だガン見、その癖大星さんと目が合うと途端に逸らすんだけどな」

 

 初心か、と突っ込みたいところである。

 そう言われれば確かに気がつけば淡の動作に目が行っていたことに月彦は気がついた。意識してのことではない、無意識に、自然に目が彼女の事を追っていたのだ。それがどんな感情からくるものなのか、月彦はまだ知らない。しかし少なくとも彼の横を歩く優樹はその正体を見抜いているようであった。

 

(しっかし、恋愛ごとに興味なさそうだった月彦(コイツ )がねぇ……)

 

 寒空を見上げながらしみじみ思う。陰ながら応援してやろう、密かに決めた優樹だった。

 

 

 

 

 

 ボフン、と淡の身体が柔らかなベッドに沈み込む。整えられた髪の毛が乱れるのも気にせず、真っ白な天井を見上げて今日の出来事を思い出す。

 月彦から聞かされた男子麻雀部廃部の危機。それを免れるためには来年の夏、インターハイに出場しなくてはならない。今日卓を同じくしての正直な感想は初心者に毛が生えた程度で、今のままでは全国大会出場など夢のまた夢。

 だが、伸びしろはそれなりにあるようだった。

 そもそも淡が指導の話を二つ返事で了承したのには理由がある。それは数日前、いつものように燐と照と三人で打っているときのこと。なんとなく行われていた会話の中に、こんな話題が上がったためだ。

 

「ねーねー。りんりんは部活で毎日打ってるわけじゃないのになんでそんな強いわけ? 鈍ったりしないの?」

「うーん。一番は監督として指導してるからかな。自分で打つのも勿論大切だけど、外から見て違う角度から考えたりするのも大事なんだよ」

「そういうものなの?」

「淡もそういう立場になれば分かるんじゃないかな。人に教えることで見えてくるものもあると思うよ」

 

 流石にたった一日で燐の言うことが理解出来た訳ではないが、その片鱗を垣間見たような気がした。このままあの二人に指導を続けていれば、彼の言うようにそれを自分の実力アップに繋げられるようになるかもしれない。

 淡は決して現状の自身の実力に満足していない。インハイは団体戦こそ優勝したものの個人戦は四位に留まっている。優勝した照が来年いないことを加味しても、残りの二人を倒すには今のままでは難しいことは本人が一番分かっていた。荒川憩も宮永咲も、現時点では淡よりも一歩先に進んでいる存在であることに違いない。そして、彼女はそれが我慢ならない。自分よりも強い存在が居ることが内心では沸騰しそうなほどに嫌なのだ。だから秋季大会で勝ったくらいで満足などしていられない。今は何でも自分の為になるならやるつもりだった。それが結果として相手のためにもなるのなら一石二鳥である。

 

 それにしても、と淡は思考を切り替える。

 

「原田月彦と山村優樹、ねぇ」

 

 特に気にかかるのは前者、原田月彦という黒髪の少年だった。しかし何がどう気になるのかと聞かれても、明確な答えを示すことは出来ない。もやもやとは違うはっきりとしない感情に、喉に異物が詰まったような違和感を覚える。

 ともあれ彼らの部活動存続は自身に託された訳で、ないがしろになどできる筈もない。女子麻雀部での活動を最優先することは変わりないが、少しでも二人の指導を行う時間を確保しよう。そう決めて淡は部屋をあとにする。軽快な足取りで夕食の支度が調っただろうリビングへと下りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 細々と書いていたら二万時超えそうだったので一分割。一話完結とかぬかしていた私の馬鹿。後編は近いうちに投下いたします。
 あわあわ可愛いよ、あわあわ。

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