咲-Saki- 北大阪恋物語   作:晃甫

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 咲ちゃんまじヒロイン。


宮永咲の場合

 

 お姉ちゃん。その言葉はいつだって少女について回った。目の上のたん瘤みたいなものだった。

 少女は自身の姉のことを快く思っていなかった。どころか、嫌ってすらいたかもしれない。発端が何であったのか、今となっては思い出すことも難しい。両親の別居という事実も二人の溝を深くし、更に拍車をかけていたことだろう。しかしそれでも、姉のことを遠ざけていたのは他ならぬ自分自身だった。こちらが一方的に遠ざけて、撥ね付けて、向こうの言葉になど耳を貸さず、塞ぎ込むように周囲からの歩み寄りを遮断した。

 ふとした時、少女は思う。どうして自分はこんなにも弄れているのだろうかと。もう少し、あとほんの少しだけ素直でいられたなら、こんな事にはならなかったのかもしれないのに。

 分かっている。そんなものは結果論と理想論であって、それを考えても仕方がないのだと。

 

 でも、それでも。

 考えてしまう。望んでしまう。

 

 再び家族で笑い合える日が来ることを。姉と、笑い合える日が来ることを。

 

 そんなことを考えてしまう自分が、本当に嫌だった。原因は自分にあるくせに、過程をすっ飛ばして解決を望むのだ。その方法を人任せにして。元々社交的な性格でない少女に、上手い口実など思い浮かぶはずもなく。かと言ってこのままでは何も事態が好転しないことは既に理解している。

 引くに引けない状況を作り出してしまっても、結局彼女にはどうすることもできなかった。

 その後すぐ、少女の姉は母親と一緒に東京へと引っ越してしまった。何の解決にも至らないまま、ずるずると時間だけが過ぎていく。その時間が長くなればなるほど、少女の心中には恐怖が募る。姉は自分のことを憎んでいるのだろう。もう一生このままなのかもしれない、両親が離婚してしまったら、それこそ二度と会うこともなくなるかもしれない。

 心の底では、こんな喧嘩別れのようなことは望んでいなかった。

 

 後悔だけが募り、しかし行動には移せないまま、気がつけば数年の歳月が流れていた。

 父と二人の生活にも違和感を感じなくなるようになった、そんなある日。何の連絡も無しに、突然姉はやって来た。

 

 ――――その横に、見知らぬ少年を連れて。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 長野県、清澄高校。特に進学校というわけでもない普通の一般高校に、宮永咲という少女は通っている。黒髪のショートカットに物静かな雰囲気、そして小脇に抱えた文庫本がいかにも文学少女という印象を与える彼女だが、文学部に所属しているわけではない。意外なことに、彼女の所属している部活動は麻雀部である。

 

 野球、サッカーと並ぶ人気競技である麻雀の競技人口は数億人にまでのぼる。咲もまた、麻雀に魅せられた少女の一人だった。

 一体いつから彼女が麻雀を始めたのか。それはもう十年も昔に遡る。元は咲の姉、照が麻雀を始めたことが切っ掛けだった。幼い頃から姉について回っていた咲が同じ競技をやりたいと言い出すことは両親も想像に難しくなかったようで、姉妹揃って麻雀教室に通うようになったのである。それ以来、咲の人生は麻雀と共にあったと言っても過言ではない。朝から晩まで打つことなどしょっちゅうで、その度に母や父に怒られていた。しかしそれすらも家族のふれあいとして咲は楽しんでいたし、姉や両親も最終的には付き合ってくれた。

 

 それからというもの、紆余曲折はあったものの、こうして彼女は麻雀を続けている。

 一度は牌に触ることすら嫌悪した時期もあった。が、それでもやはり咲にとって麻雀は嫌悪したくらいで辞められるものではなかった。今となっては牌に触れない日などないくらい、咲は麻雀という競技に没頭していた。

 

「おーっす咲」

「あ、京ちゃんおはよー」

 

 九月中旬。朝方の教室へと向かう咲の肩を男子にしては高い身長の少年が叩いた。不良と呼ばれる人種の比較的少ない清澄高校において明らかに浮いた金髪。しかし顔の造形が整っていることや元来の気さくな性格から周囲から遠ざけられるということもなく、寧ろクラスでは中心的な人物。

 須賀京太郎。咲の中学時代からの友人で、幼馴染。そして、恋人である。

 

 頭二つ分は離れていようかという身長差の二人は肩を並べながら、木造校舎の廊下を歩く。

 

「そういやコクマの代表に選ばれたんだろ? おめでとう」

 

 ふと思い出したのか、京太郎はそう言って笑みを浮かべた。それに対し、咲は照れながらも感謝の言葉を返す。

 

「ありがとう。まさか私が選ばれるなんて思ってなかったけどね」

「インハイ個人戦三位のやつが何言ってんだよ。十分代表圏内だったろ」

「でも今年の長野県って他の県から『魔窟』って呼ばれるくらいだから……」

「お前がその筆頭なんだけどな」

 

 ええっ? と驚きを示す咲に、京太郎はやれやれと息を吐いた。

 今月発売されたWEEKLY麻雀TODAYのインターハイ特集によれば、今夏のインターハイを席巻したのは多くの超新星。男子では奈良県の福与恒太。女子では西東京の大星淡、そして長野県の宮永咲というルーキーがインターハイという大舞台で大暴れしたことがでかでかと書かれていた。

 ちらりと、京太郎は横で目尻に涙を浮かべて『わ、私が筆頭なの? 魔物なの?』と制服の裾を引っ張ってくる咲を見る。

 インターハイ団体戦準優勝の立役者にして個人戦三位。これだけの結果を残しておきながら、逆に選抜されないほうがおかしな話である。麻雀をしている時の咲は普段とは雰囲気が全く異なり、纏う雰囲気は正に絶対的強者のそれだ。インターハイの会場で直にそれを見ている京太郎は、咲の凄さというものを一番近くで感じていた人間の一人だ。

 が、麻雀をしている以外の咲は基本的にポンコツであり、今もそうしているように京太郎への甘えが目立つ。

 それを嫌だとは思わず可愛いと感じてしまう京太郎は、かなり咲に入れ込んでいるなと内心で苦笑した。

 

「ほら、もう教室つくぞ」

「わ、わ。待ってよう京ちゃん!」

 

 歩幅の違いから数歩先を歩き出した京太郎を、涙目のままの咲が慌てて追いかける。

 

 教室のドアを開いて、それぞれの席に着いたところで京太郎と咲に声が掛けられた。因みに二人の席は窓側最後列で隣同士である。

 

「おはようございます宮永さん。須賀君」

「おはよー和ちゃん」

「おっす和」

 

 腰まで伸びる桃色の髪に、すれ違う男子が必ず二度見する豊満なバスト。整った容姿を有するこの少女は、咲や京太郎と同じく麻雀部に所属する部員、原村和。中学時代のインターミドル王者であり、インターハイ団体戦でも副将を務め合計収支プラス、個人戦ベスト16にまで勝ち進んだ長野県を代表する打ち手の一人である。

 

「コクマのメンバーに選ばれたんですよね。おめでとうございます」

「あ、ありがとう。和ちゃんも選ばれてたよね?」

「はい。世界ジュニアの代表には漏れてしまいましたが、コクマは何とか選出されました」

 

 咲と和の二人はそう言って笑い合う。国民麻雀大会と言えば高校性にとっての三大大会の一つ。予選を勝ち抜かなければ本選に出場することは出来ないが、まずそのメンバーに選出される時点でかなり名誉なことだ。先程咲が言ったように、今年の長野県は例年にないくらいレベルが高かった。インターハイ初出場でありながら決勝卓にまで勝ち進んだ清澄高校がそれを体現しており、また個人戦に出場した三選手も全員がベスト16以上に名を連ねている。これまでレベルが高いと言われていたのは東京、大阪、鹿児島、兵庫などであったが、来年からはそこに長野県が加わることだろう。

 そんな長野県の代表に、清澄高校から二人も選ばれる。これをスゴイと言わずしてなんと言うのか。京太郎はしみじみ自分の周りには怪物ばかりだなぁと考える。

 

「まぁ部長が代表を辞退したので転がり込んできただけなんですけどね」

「部長が?」

 

 和の言葉に、京太郎が小首を傾げた。

 

「はい。高校の麻雀はインターハイでもう十分楽しんだ。今はプロチームで打つほうが楽しいんだそうです」

「ああ。そういや部長って……」

「プロチームの入団が内定してるんだっけ」

 

 京太郎の言葉の後に続いて咲が言った。

 清澄高校元部長、竹井久。悪待ちなどという和に言わせれば非効率極まりない打ち方でインターハイを戦った、我らが部長様である。高校に入って団体戦に出るのが夢だったらしい彼女が、インターハイ決勝戦後に大粒の涙を零して感謝の言葉を述べたことを、京太郎は恐らく一生忘れないだろう。咲という恋人が居なければうっかり惚れてしまいそうなくらいに、その時の部長は綺麗だった。

 そんな部長も今ではその権限を二年の染谷まこに渡し、インターハイの時に親交を深めた姫松の愛宕洋榎と揃って埼玉のチームに加入することが内定している。今はチームの遠征に内定選手としてついて回っており、高校は一週間ほど欠席していた。

 

「すごいよね。清澄からプロ選手が出るなんて」

「だな。今のうちにサインでも貰っとくか」

 

 ミーハー気質の京太郎がそんなことを言っていると、予鈴が鳴り響いた。和は自分の席へと戻っていき、咲も慌てて姿勢を正す。夏休み明けの行われた実力テストも終わって、次は文化祭だと盛り上がり始める雰囲気をなんとなく感じながら、京太郎はなんとなく昔のことを思い出していた。

 それは一年ほど前の記憶。それは咲と京太郎の二人にとって決して忘れることの出来ない記憶。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「きょ、京ちゃん。あのね、相談があるんだけど……」

 

 中学三年生。まだ咲と京太郎が付き合っていない、仲の良い友達同士だった時の話。

 放課となり、さっさと帰ろうと荷物を纏める京太郎の元へ、どこか様子のおかしい咲がやってきた。

 

「ん? どした咲。具合でも悪いのか?」

「そういうんじゃないんだけど……、聞いてくれる?」

「おお、なんだ悩み事か。この京太郎さんに話してみなさい」

「じゃ、じゃあ帰りながら話そ」

 

 という訳で同じ帰り道を歩きながら、咲はたどたどしくも口を開いた。

 その内容は、京太郎が予想していたものとは全く違うものだった。学生鞄を抱きながら話す咲。その内容は。

 

「……告白、された?」

 

 思わず京太郎が聞き返した。無理もない、まさか咲からこんな話題が飛び出すなどとは思ってもみなかった京太郎である。開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのか。呆然として目を丸くする京太郎へと、咲は続ける。

 

「同じクラスの……早川君」

「早川ぁ!?」

 

 なんとか平静を取り戻そうとしていた京太郎は、その人物の名を聞いて再び驚愕する。

 

「早川ってあの早川!? イケメン頭脳明晰で性格も良いあの早川!?」

「た、多分その人で合ってると思う」

 

 京太郎が知る限り同じクラスに早川という人物はたった一人しかいない。その彼はスポーツも出来て頭も良い。おまけにイケメンという本の中から飛び出してきたんじゃないかお前と疑いたくなるくらいの男子だ。当然、クラスの女子の大半が彼のことを狙っている。同じ男の京太郎ですら、時折そのカッコよさを憧れてしまう程だ。そんな彼がよりにもよって、咲に告白するとは。

 

「……で、なんて答えたんだ?」

「…………」

 

 そう問いかけた途端、咲は俯いてしまった。

 基本的に内向的な咲は京太郎以外に親しい男子の友達はいない。そんな彼女がいきなりクラスで一番人気のある男子に告白されては、こうなってしまうのも無理からぬことだろう。と思っていた京太郎だったから、次の咲の言葉に三度目を丸くした。

 

「……逃げてきちゃった」

「は?」

「だからぁ! 恥ずかしくなって何も言わずに逃げてきちゃったの!」

 

 顔を真っ赤にしてそう言う咲の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 あちゃあ、と京太郎は頭を抱える。好きな女の子に一世一代の覚悟で告白したというのに答えも聞けぬまま目の前で逃げられてしまっては、流石に早川に同情してしまう。と同時に、内心で微かにホッとしていることに京太郎自身は気がついていない。

 

「そりゃお前が悪いだろ。いくら男が苦手っつっても、向こうだって腹括って告白してるんだぜ」

「うぅ……それは分かってるけど、緊張と恥ずかしさでおかしくなりそうだったんだもん……」

「まぁ返事はきちんとしなくちゃダメだぞ」

「京ちゃんついてきてよぉ」

「いやそこに俺が行っても邪魔なだけだろう」

 

 冷静な京太郎のつっこみに、再び咲が俯いてしまった。出来れば力になってやりたいが、この件に関して京太郎が協力してやれることはないと言っていい。過去何度か告白の経験がある京太郎には、早川という少年がどれだけ緊張したのかなどが手に取るように分かるのだ。男として、その覚悟を無碍にすることは出来ない。

 と、そこで京太郎は一番重要なことを忘れていた。

 咲、彼女自身が彼と付き合う気があるのかということだ。

 

「なあ咲。お前は早川と付き合う気はあるのか?」

「ふぇ?」

 

 その問いかけに、咲は思わず顔を上げる。

 そもそも咲に彼と付き合う気がないというのならこの話はここで終わりである。両者が互いに想い合っていなければ、決して交際には発展しないのだから。

 

「……うぅん。早川君は良い人だとは思うけど、私、好きな人居るから」

「え、ええ!? お前好きな奴居たの!?」

 

 咲、突然のカミングアウト。

 京太郎、まさかの事実に硬直。

 この間僅か一秒である。

 

 咲の言葉にまたチクリと京太郎の胸の奥が痛む。

 だが、それが何を意味しているのか今の彼には分からない。

 

「だから、その、断わろうと思うんだけど……」

「一人じゃ無理だってか?」

 

 無言で頷く咲に、やれやれと京太郎は溜息を吐いた。昔から引っ込み思案なところのある咲だから、男子に告白されればまぁこうなるだろう。彼女に好きな異性がいることには驚きだが、そこは置いておいて、頼られるというのは悪い気はしない。早川の想いも尊重してやりたいところではあるが、本人にその気がないというのなら先延ばしにするだけ酷というものだろう。こういうのはハッキリスッパリ後腐れなく終わらせる方が良い。幸いにして早川という少年は振られたからといって恨むような人種でもない。

 京太郎は大事な幼馴染のため、人肌脱ぐ決意をするのだった。

 

「分かったよ、俺も一応ついていってやる。でも咲、返事はきちんとお前がするんだぞ」

「わ、わかった……」

 

 不安が顔に出まくっている咲に内心で不安を覚える京太郎だったが、やるときはやる少女であることもまた彼は知っている。きっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせることにした。

 

 そんな訳で翌日、放課後の屋上。

 こういうのは早いに越したことはないという京太郎の意見から、返事を直ぐ様するという結論に至ったのだ。顔を真っ赤にする咲をなんとか言いくるめて、京太郎は早川を屋上へと呼出させた。部外者である京太郎がその場にいるのは不自然だろうということで当初は物陰にでも隠れていようと考えていた京太郎だったが、何故か咲にその場に来ることを強要されてしまったので彼女の横に呆然と立っている。

 いや、これは流石にまずいのではと思ったが頑なに咲が首を縦に振らなかったのである。

 

 ということで、現在屋上には呼び出された早川と咲、その横に京太郎というなんともおかしな構図が出来上がっていた。

 

「……宮永さん。返事、聞かせてくれるのかな」

 

 優しげな瞳で、早川は咲へと言葉を投げかける。その言葉に、咲はコクリと頷いた。

 

「その前に、どうして須賀がここに?」

 

 尤もな疑問である。京太郎はグウの音も出なかった。

 言い淀む京太郎を他所に、咲は意を決して口を開いた。

 

「ご、ごめんなさい。私、早川君とは付き合えません」

「……そうか。きちんと考えてくれて、ありがとう」

 

 一度は目の前で逃亡を図った咲だが、その言葉をなんとなく早川は予想していたらしい。その表情にショックのようなものは見受けられなかった。

 

「一応、理由を聞いても?」

「…………」

 

 好きな女の子に告白して振られる。普通なら泣き出してしまいそうな状況だが、早川はどこまでもイケメンだった。京太郎は戦慄する。『こ、これがイケメンと俺との違いか……!』と。

 それに対して、咲はきゅっと横にいた京太郎の手を握った。『ん?』と不思議に思う京太郎が声を発するよりも早く、咲は答えた。

 

 

 

「わ、私。京ちゃんのことが好きだからっ!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「京ちゃん、どうしたの?」

 

 昔のことを思い出していた京太郎は、隣から掛けられた声でようやく我に返った。周囲を見渡せば生徒たちは賑やかに雑談に興じている。どうやらいつの間にSHRは終わっていたらしい。まさか時間も忘れてしまうとは。

 

「いや、ちょっと昔のこと思い出してた」

「昔?」

「咲にいきなり告白された日」

「なぁっ!?」

 

 ガタタンッ!! と咲の座っていた椅子が大きく揺れる。仰け反って顔を赤くする咲を見て、京太郎の中の嗜虐心が芽生える。

 

「まさか咲があんな大胆なことするなんてなー」

「あ、あれは! だって! 京ちゃんが!」

 

 目の前で震える小動物をどうどうと宥めつつ、京太郎は優しく笑う。

 あれが無ければ、きっと京太郎は自分の気持ちに気が付かないままだっただろう。無意識のうちに惹かれていたこの気持ちに、気付くことは出来なかっただろう。

 

「はは、そう怒るなよ咲。今日の昼飯奢ってやるから」

「ご、ご飯なんかに釣られないからね!?」

「いらないのか?」

「……いる」

 

 三大欲求には勝てなかった咲が昼食で手を打った。

 あの屋上での告白から早一年以上。まさか咲とこうして恋人同士になるとは、人生分からないものだなと京太郎は思った。いや、彼にとってはこれが間違いなくハッピーエンドに繋がる道なのだろう。なんだかんだで咲は家事も出来るし料理も出来る。それ以外はポンコツだが。ただ巨乳でないのが唯一残ね――――

 

「京ちゃん?」

 

 勘は鋭い。物凄く。

 

 冷や汗が止まらない京太郎に対して、咲はそういえば、と切り出した。

 

「今週末にお姉ちゃんたちがこっちに帰ってくるんだけど、京ちゃんも来るでしょ?」

「まじ? いくいく。また皆で打つんだろ?」

「うん、うちの卓で打つよ」

 

 咲の言葉に、京太郎は拳を握った。

 咲の姉、照が東京から帰ってくる。その恋人と一緒に。

 京太郎が初めて照たちと会ったのは昨年の夏のことだ。夏休みということで咲の家で遊んでいた所に、東京の高校に通っている照が帰省したのだ。その横には京太郎の知らない少年、その人が照の恋人だということは咲から教えてもらったが、まさか高校で麻雀部の監督をしているとは思わなかった。

 そうして知り合った四人で、長野に照が帰ってくる度に卓を囲むようになった。京太郎にしてみれば他の三人が人外過ぎて最早魔境レベルなのだが、それでも強い人と打つというのは勉強になる。咲は人にモノを教えるということが得意ではなかったが、姉の照は口数が少ないながらも言うことは正確だし、彼女の彼氏、三尋木燐は流石は監督。人に教えるという点でも彼は抜きん出ていた。それ以上に麻雀の実力は飛び抜けていたが。

 

 打ち始めたばかりの頃は南場を待たずしてハコにされていた京太郎だったが、最近はなんとか南場までは辿り着けるようになってきていた。それでもハコにはされるが、京太郎としても実力が伸びていると実感できている。このまま行けば、秋季大会でブロック大会までは勝ち上がれるのではないかと思えるくらいには。

 

「燐さんにまた教えてもらいたいと思ってたんだ」

「京ちゃん燐さんのこと好きだよね」

「あの人まじで良い人だろ。教えるの上手いし、強いし。俺もあんな男になりてえなぁ」

「確かにお姉ちゃんが惚れるくらいの人ってそうそう居ないよね」

 

 咲にしても京太郎にしても、あの二人は理想のカップルだ。いつかはあの二人みたいに、と思う二人だがそれを口には出せなかった。

 

「あれ、でも大会の規定でコクマの選手同士って対局しちゃいけないんじゃないのか?」

「それは公共の場所で打つ場合ね。家で打つなら問題ないし、燐さんは選手じゃなくて監督だし」

 

 考えてみれば、宮永家の卓を囲むのはインハイチャンピオンに三位、そしてU19日本代表に選抜された監督。とんでもなく豪華な面子である。それを麻雀を嗜む他の高校性に言えば羨ましがられるのだろうが、京太郎は一言言いたい。そんな甘いもんじゃないと。

 

「つーかさ。あの二人なんなんだ? 照さんは和了る度に点数高くなるし、燐さんには和了牌全部掴まれてるし」

「あの二人を常識で考えちゃいけないと思うよ、私は」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ロン、1300」

「げっ」

 

 スジの四索を切ってみれば、見事に照に牌を倒された。ペンチャンで待たれていたことに気がつかなかったのはどうやら京太郎だけだったようで、他の二人は見事にそれを回避している。泣く泣く点棒を支払う京太郎に、照は声を掛ける。

 

「京太郎は捨牌とスジに頼りすぎ。もっと他も見たほうがいい」

「他って?」

「雰囲気とか、感覚」

「何それ全然わかんないッス」

 

 上手く理解出来ない京太郎に、燐が言葉を加える。

 

「京太郎は捨牌ばかり見るんじゃなくて、卓全体を視野に入れたほうがいいね。牌も勿論大事だけど、その人の癖や雰囲気から分かることだって大事なんだ」

「なるほど……!」

「まぁ、その雰囲気とか癖でわざと引っ掛けてくる人もいるけどね」

 

 笑いながら牌を流す燐。対局は既に後半、南二局に突入していた。京太郎の点棒が既に一万を切っているのに対して、他の三人は二万点以上をキープしている。一位の燐との差は既に二万点以上にまで開いていた。

 卓上に現れた牌を取って、素早く理牌を済ませる。このままではトバされかねないと感じた京太郎は、配牌に恵まれたこともあって大きいのを狙いにいくことに。ツモさえ良ければ三巡で聴牌、裏が乗れば倍満まで狙える手牌だ。

 が、三巡目。咲の手牌が倒される。

 

「カン」

 

 倒される四枚の牌。

 が。

 

「ロン」

「え?」

「国士無双。32000」

 

 倒される燐の手牌。ニッと笑う彼の表情は、してやったりとでも言いたげだった。

 

「咲のトビで終了」

「そんなぁ……」

「すっかり失念してたって感じだね咲ちゃん」

「だって、まだ三巡目でしたよ?」

「いや三巡目で嶺上開花和了ろうとする君に言われたくない」

 

 京太郎にしてみればどちらも化物である。三巡目で国士聴牌する方も嶺上で和了ろうとする方も。

 

「こんな人たちにどうやって勝てばいいんだ……」

「ん? 対策なら教えて上げようか?」

 

 京太郎の呟きを聞き取っていた燐が、照と咲への対応の方法を教えてくれるという。願ってもない話だった京太郎は、すかさず食いついた。

 

「咲ちゃんの場合はカンさえさせなければいいんだから、カンされそうになったら今みたいに一度槍槓して脅しをかければいい」

「いやそんなこと出来るの燐さんくらいですからね?」

「照の場合は連チャンさえされなければ大きな点数にはならないんだから、早いうちに流しちゃえばいい」

「ダメだこの人俺と根本が違う」

 

 どうやら京太郎の知っている麻雀と彼らの知っている麻雀は違うらしい。がっくりと項垂れる京太郎に、咲は心配そうな表情を浮かべて。

 

「大丈夫? 京ちゃん、疲れたならお父さんに代わってもらうけど」

「ありがとな。でも大丈夫だ、こういうのを経験しておけば、大会で緊張しちゃうこととかもなくなるだろうし」

 

 強がって笑顔を見せる。その笑顔で安心したのか、咲は『次は私もトップとるよ』と意気込んだ。京太郎の最下位の可能性がまた高くなった。

 

 結局その後行われた四半荘。京太郎は最下位から脱出することは出来なかった。

 

 夕方になって、宮永家の食卓には京太郎と燐を含めた六人の姿があった。咲と京太郎、照と燐が隣同士で座り、それぞれの横に父と母が座っている。母が腕によりをかけて作ったという料理を味わいつつ、久しぶりに家族全員が集まっての食事に皆が顔を綻ばせる。

 照や燐から数時間遅れ仕事を片付けてからこちらへ帰ってきた母は、咲と京太郎をニヤニヤと眺めている。

 

「で? 咲は京太郎君とどこまでいったの?」

「ぶっふぉッ!?」

「ちょ、お母さん!?」

 

 ビール片手にニヤつく母に、咲が噛み付く。横で京太郎は顔を赤くして黙っているが、どうやら母にはそれらが不満らしかった。

 

「何よー、まさかキスもまだなんじゃないでしょうね? 照と燐君なんかもう指輪まで買ってるっていうのに」

「ええ!? 聞いてないよお姉ちゃん!!」

「だって言ってないもの」

 

 言われて照の指を見てみれば、確かにそれらしき燐とお揃いのものが嵌められていた。

 なんということだ。彼氏を連れて帰ってくるまでは自身と同じ異性との付き合いが苦手な文学少女だと思っていた姉は、大人の階段を数段すっ飛ばして上っていたらしい。指輪というワードに釣られたのか、京太郎は対面に座る燐に尋ねた。咲たちには聞かれないよう、できる限り声を潜めて。

 

「(不躾な質問で申し訳ないんですけど、ソレ、幾らくらいしたんですか?)」

「(流石に給料三ヶ月分なんてことはないよ。結婚する時に正式なモノを買うつもりだし。精々がバイト代金三ヶ月くらいかな)」

「(いやそれでも十分高いんじゃ……)」

 

 現在の京太郎のバイト代は月役三万円程度。それに当てはめるなら、京太郎は十万円程の買い物をしなくてはならない計算になる。値段など咲は気にしないと言いそうだが、やはりそこは男としてのプライドがある。例え値段を偽ろうとも、良い物を買いたいとは思う。が、如何せん貯蓄など無い京太郎には先の長い話だった。

 

「ま、無理しなくてもいいと思うよ。京太郎たちはまだ高校一年生。半年後には社会人になってる俺たちとは違って、まだまだ時間はあるんだから」

「……燐さんって、ほんと大人ですよね」

 

 年齢で言えばたった二つしか違わないというのに、価値観も考え方も大人以上に大人らしい燐。京太郎は素直に彼のことを尊敬していた。もしも京太郎が今の燐と同じ十八歳になった時、こんな風に大人びた考えが出来るかと聞かれれば、それは恐らく無理だろうと思う。

 しかし、京太郎の言葉に燐は苦笑して。

 

「俺が大人? なわけないよ。本当に大人だったら、照一人のために宮永家と対立なんてことしない」

「対立?」

 

 その話は初耳だった。不穏なワードが出てきたことで思わず聞き返してしまった京太郎。その言葉を、宮永家四人は耳聡く聞きつけていた。

 

「あー、懐かしいなぁ。燐君がうちに乗り込んできた時だろう?」

 

 ビールの注がれたグラスを傾けながら、酔いが回って饒舌になった父が懐かしそうに語る。それに呼応するように、母も続いた。

 

「その前にはうちに来たのよ、燐君。あの時は怒るのも通り越して唖然としたもの」

「それってどういう……」

 

 イマイチ要領を得ない京太郎の顔を見て、宮永家の両親は顔を見合わせる。

 

「そうだな。京太郎君もいずれは家族になるんだから、話しておいていいんじゃないか」

「そうね。燐君の武勇伝、聞かせてあげようかしら」

 

 アルコールが入ってかなり上機嫌な父と、そういった話が大好きな母。咲と照はもう止めることは出来ないと諦めているらしく、静かに食後のお茶を啜っている。その横では燐が苦笑い、一体これから何を話すんだと気が気でない京太郎へ、父は空になったグラスへとビールを注ぎながら口を開く。

 

「――――あの頃のうちは家庭崩壊寸前でね。彼が、燐君が、うちを救ってくれたんだ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夕食後、咲の私室に二人の姿はあった。咲は机で課題を片付けており、京太郎は咲のベッドに仰向けになって身体を休めている。因みに燐と照は照の部屋へと入っていき、両親たちはリビングで二回戦を始めている。

 はぁ、と京太郎の溜息が天井へと吐き出される。先程の食事の時に聞かされた話を、もう一度頭の中で反芻する。

 

「……すげえよな」

「え?」

「燐さん。咲と照さんの姉妹仲だけじゃなくて、親御さんたちの仲まで修復しちまうなんて」

 

 手の甲を額に当てて、独り言のように呟く。

 自分にそれが出来るのかと聞かれれば、無理だ。少なくとも、今の京太郎にそこまでの力はない。

 きっと、ああいうのが本当の愛なんだろうと思う。本当に好きな人の為ならば、その両親にさえも立ち向かえる。それが、きっと愛しているということなのだ。

 咲のことは好きだ。将来のことだって考えている。でも。それでも。

 同じ状況に立たされて、自分自身は立ち向かえるのか。保身に走ってしまわないだろうか。そう考えること自体が咲への裏切りに思えてしまって、京太郎は静かに奥歯を噛み締める。

 

「京ちゃん」

 

 と、そう考えていた京太郎の顔の目の前に、咲の顔があった。いつの間にか机から離れてこちらまでやってきたのだろう。京太郎を覗き込むようにして屈む咲は、京太郎の内心を知ってか知らずか優しく微笑んで。

 

「大丈夫だよ」

 

 そう言った。

 

「私たちには私たちのペースがあるよ。だから京ちゃん、ゆっくり、ゆっくり一緒に歩いていこう?」

「…………っ」

 

 思わず上体を起こして、咲を見つめる。

 基本的にポンコツな咲だが、時折こうして彼の核心をつくことがあった。そしてその度に、京太郎は救われたような気持ちになるのだ。

 ついには我慢できなくなって、京太郎は咲の華奢な身体を抱きしめた。

 

「咲っ」

「きょ、京ちゃん?」

 

 驚きながらも、咲も抵抗はしなかった。戸惑いながらも、その細い腕を彼の背中へと回す。

 

「……いいんだよ。京ちゃんのカッコイイ所、私はいっぱい知ってるから」

「咲……!」

 

 愛おしくて、愛おしくて。

 京太郎は彼女の肩に顔を埋めた。彼女の手は、彼の頭を優しく撫でる。

 

「大好きだよ、京ちゃん……」

「……ああ、俺もだよ。咲」

 

 顔を上げて、少女の顔を間近で見つめる。彼女もまた、彼から目を逸らさずに見つめていた。

 抱きしめていた身体を、自身の方へと抱き寄せる。

 

 そして、柔らかな唇同士が重なった――――。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「のどちゃーん! こっちこっちー!」

「ちょ、あまり大きい声出さないで下さい優希」

「へへ、すまんすまん」

 

 大きなセレモニーホールのエントランスに二人の女性の姿があった。一人は桃色の髪の毛を肩口で切りそろえ、胸元が大胆に開いたドレスを纏い、一人は着ているというよりは着られているという印象のドレスを引きずりそうになりながらヒールの歩き辛さと格闘する茶髪の女性。

 近くにあった受付を済ませ、二人は少し離れた場所で会話を交える。

 

「久しぶりですね優希。一年振りくらいでしょうか」

「そうだじぇ。相変わらずのどちゃんのおっぱいは殺人級だな」

「破廉恥です訴えますよ」

 

 清澄高校を卒業して早五年。成人をとうの昔に迎えた二人は、女性らしい成長を遂げていた。和は高校を卒業後関東のプロ麻雀チームに入団。優希は推薦で大学に入学し、昨年卒業してOLとなった。

 

「そういえばさっき部長にあったじょ」

「竹井部長ですか?」

「なんか隣に男の人居たけど彼氏かなんかか?」

「去年結婚式一緒にいったじゃないですか……」

「おー、そういえばそうだったじぇ」

 

 全くもう、と和は優希のフリーダムさに呆れる。まさか結婚していたことまで忘れてしまっていたとは。

 

「しっかし、周りの皆もどんどん結婚していくなー」

「そうですね。私の知人も次々に結婚していきますし」

「乗り遅れてる感が半端ないじぇ」

「言わないでくださいよ……」

 

 優希の言う通り、和や優希の知り合いたちは次々と運命の相手を見つけて結婚していった。話に上がった竹井久。チームの先輩に当たる園城寺怜や荒川憩。小学校時代の友人である新子憧などがそうだ。結婚はしていないながらも交際している友人も多く、まだ二十代前半ながら生き遅れているのではと錯覚してしまう程であった。

 

「んで今日は、」

「ええ」

 

 二人はセレモニーホールへと視線を向けて。

 

 

 

「――――咲さんの結婚式」

 

 

 

「なぁ、服ってこれで良いよな!?」

「二回目なのにキョドりすぎよアナタ。もっと父親らしく……って何で泣いてるの?」

「だってなぁ! やっぱり娘を他所へ出すとなると自然と涙が……!」

「それ照のときも言ってたわよね」

 

 新婦の控え室。やいのやいのと騒ぐ両親を尻目に、鏡の前に座る咲はどこまでも落ち着いていた。瞳を閉じて、これまでの彼との思い出を思い返す。高校時代の三年間はずっと一緒だった。最後のインターハイは選手として一緒に参加することが出来た。卒業後、咲はプロリーグへ、京太郎は大学へと進路は別れたが、それでも週に一度は会ってデートを重ねた。そして大学時代の四年間で貯めていたという結婚資金を全額引き出して、就職内定の通知と一緒に咲の両親たちに突き付けたのが一年前。

 あのときの京太郎の必死さには、思わず横で笑ってしまったのを今でも鮮明に覚えている。

 一世一代の覚悟で想いを告げた京太郎に対し、両親は一度頷いてからサムズアップ。それはもう、イイ笑顔だった。

 

「咲、そろそろよ」

「あ、うん」

 

 母にそう言われて、鏡台の前から立ち上がる。

 既に涙腺が完全崩壊している父と共に、咲は舞台へと向かう。

 

 ギイッ、と重厚な音が聞こえて、扉が開かれる。

 前々から憧れていた、教会での結婚式である。中に居た多くの友人が、拍手で出迎えてくれている。

 

 そして、咲の視線の先。

 神父の傍らに立つ、愛しい青年の姿がそこにあった。自然、頬が緩む。

 

 

 

 ――――咲。

 

 ――――京ちゃん。

 

 

 

 ――――愛しています、永遠に。

 

 

 

 暖かな拍手が、二人を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 


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