咲-Saki- 北大阪恋物語   作:晃甫

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宮永照の場合

 

 白糸台高校。

 麻雀を嗜む人間にとって、今やその名を知らない人間は居ないと言える程の超有名校だ。

 西東京に位置するこの白糸台高校の麻雀部は全国大会第一シード。つまりは昨年のインターハイの王者であることを意味している。更に言えば、現在インターハイを二連覇中であり、学校別の全国ランキングも文句なしの一位。在籍する選手も一流とあって、名実ともに日本最強の高校である。

 

 さて、そんな白糸台高校麻雀部に所属する少女たちとて、その実力はどうであれ内面はまだ花咲く十代乙女。色恋沙汰に興味がないわけではなく、むしろそういった話題が大好物だったりする。これは、麻雀部を牽引する少女と、そのサポートに徹する少年の物語。

 

 

 

 

 

 1

 

 

 

 

 

「おはようございます!」

「おはようございます、宮永先輩ッ!!」

 

 部室の扉を開けば、中で麻雀に勤しんでいた少女たちはその手を止めて一斉に立ち上がる。視線は今扉を開いた少女へと向けられ、全員が挨拶を口にする。この光景は、白糸台高校麻雀部にとっては当たり前の光景。白糸台麻雀部は、上下関係に於いて絶対的な規律が存在する。上級生の言うことには下級生は必ず従う。部員数百を越えるこの麻雀部で唯一絶対の掟である。まぁ、一部の例外がいないこともないのだが。

 

「おはよう」

 

 そんな立ち上がり挨拶をしてくる下級生たちに対し軽く挨拶を返し、少女は腕に紙袋を抱えてその部屋を抜け奥の扉を開く。その扉を開いた先でも、白地にラインの入ったセーラー服を纏った少女たちが彼女に挨拶を礼儀正しく行っていく。この部屋に居るのは二軍の選手たちである。その数は二十人、因みに最初の部屋に居たのは全員が三軍の選手たちだ。

 

 白糸台高校麻雀部は一軍、二軍、三軍と三つのクラスで編成されている。今現在歩を進めている少女を始めとした十五人が一軍に所属し、次点の二十人が二軍、それ以外が三軍だ。インターハイや春季大会を制した白糸台高校には、当然毎年多くの入部希望者が続出する。七月に入った今百名程に落ち着いた部員数も、四月当初は二百名以上居たのだ。麻雀に多少なりとも覚えがある者、驚異本位で入部した者、こういった者は、真っ先に部活から姿を消した。腕に多少なりとも覚えがある者はなまじ実力があるだけにレギュラーとの実力差に絶望し、興味本位で入部した者はその上下関係の厳しさに耐えかね逃げ出す。

 今この部活に所属している少女たちは、そういったもの程度では揺らがない精神力と実力を持ち合わせた少女たちなのだ。

 故に、日本最強。

 二軍ですら県代表クラスと言わしめる理由は、こうした部分に起因する。

 

 尚も進む少女はやがて最後の扉の前に辿り着き、一瞬の躊躇もなくその扉を開いた。

 その扉を開くことが許されているのは監督と、一軍メンバーのみ。

 

「あっ、おはよーテルー!」

 

 扉を開いた瞬間、フワッとした金髪の少女が彼女に抱きついた。

 

 大星淡。

 この長い白糸台麻雀部の歴史上、二人目となる一年生ながらに大将を任された超新星(スーパールーキー)である。

 

「おはよう」

「んん? なぁにテルー、その紙袋。何か甘い匂いがするけど」

「購買でお菓子買ってきた」

「照、部活中はお菓子禁止だぞ」

 

 淡と少女が戯れ(?)ていると、雀卓についていた黒髪の少女が立ち上がってそう言った。

 

「分かってる、菫。これは終わってから食べる分よ」

「お前昼休みにも同じの買ってただろう……」

 

 菫という少女の言う通り、彼女は昼休みにも購買で同じお菓子を同じだけ購入していた。その時も彼女は『これは部活が終わってから食べる分』と言っていたのだが、実際は昼食後に跡形もなく消えていた。つまるところ、照はお菓子大好きな食いしん坊だった。それは薫にしてみれば既に解りきっていることだったが、それでも立場上一応の注意だけはしておかなくてはならない。

 

 弘世菫。

 この白糸台高校麻雀部の現主将であり、団体戦に於いて次鋒を務めている少女である。黒髪ロングを他靡かせる様は宛ら和風美人。その実力はこの白糸台でレギュラーを勝ち取り、主将を任されている時点で述べるまでもない。

 

「全く、頼むぞ照。お前はこのチームのエースなんだからな」

「分かってる。でもお菓子が無いと」

「おい私の話聞いてたか?」

 

 菫の言葉を受けながらも、紙袋から取り出したパイをサクサクと頬張りながら答える少女。彼女こそが、この白糸台に於いて絶対的エース。

 

 宮永照。

 一、二年までは大将を務め、今夏のインターハイからは先鋒を務める高校最強の打ち手だ。

 「インターハイチャンピオン」、「高校生一万人の頂点」など様々な肩書きを持ち、その肩書き通りインターハイ二連覇、春季大会(スプリング)個人戦優勝など間違いなく高校界ナンバーワンと言える実力を有している。彼女を含む現在のレギュラーはチーム姫虎と呼ばれ、白糸台史上最強との呼び声も高い。当然、今年のインターハイも目標は三連覇だ。

 

「はぁ……、(りん )、お前からも何か言ってやってくれ」

 

 頭を抱え溜息を溢す菫が助けを求めるようにして声をかけたのは、一軍の部室の片隅で牌を磨いていた少年。照よりも若干短い黒髪にカッターシャツを着た少年は、菫に言われて苦笑した。

 

「照。三年生は下級生に示しをつけないとダメじゃないか」

「む。分かってるけど……」

「だったらお菓子は部活が終わるまで我慢。それは俺が没収します」

 

 そう言って、少年は照の腕の中から紙袋をヒョイッと取り上げた。途端、照の顔が曇る。

 

「あ……」

「…………」

「おい燐。何を葛藤してるんだ」

 

 取り上げたはいいものの、照の上目遣いで紙袋に手を伸ばす様に完全に硬直する少年。そんな少年につっこむ菫の顔にははっきりと『呆れた』と書いてあった。このままでは埓があかないと少年が持っていた紙袋を取り上げ、菫はそれを部室備え付けのロッカーへと放り込んだ。

 

「終わってからだぞ、照」

「ん、分かってるわよ」

「燐に取り上げられた時の表情を見た限りだと、絶対分かっていなかったぞ」

 

 そう言いながら、二人は部室中央に設置された麻雀卓につく。既に他の二人は席についていたため、照と菫が席に付いたと同時に賽が回される。卓を同じくしているのは照や菫と同じ一軍レギュラー、亦野と渋谷。二人共今年からのレギュラーであるため、インターハイは初出場となる選手たちだ。

 とは言っても、白糸台で団体戦のメンバーに選出される人間がそこいらの選手に遅れを取るはずがない。事実、西東京予選では渋谷は半荘八回で三回の役満。亦野は六連続和了などを記録し圧倒的な強さを見せつけた。更に他の学校にしてみれば全国でのデータがない分照や菫よりも分析がしにくく、苦戦を強いられることは必至であるため、そのアドバンテージもあって彼女たちは思う存分にその力を振るうのだ。

 

「ロン」

「あちゃー、そこで待ちますか」

「お前はスジや現物に頼りすぎだ、8000」

 

 亦野が切った一萬に菫が牌を倒して点数を申告する。

 東一局、亦野が菫に振り込んだ。どうも彼女は捨牌をスジや現物に頼るというクセがあるらしく、スジ引っ掛けなどに弱いという弱点があるらしい。本人もそれは指摘されて分かってはいるが、どうもこの四人での対局となると安牌がない場合それに頼りがちになってしまう傾向にある。

 始めにそのことを指摘した張本人、照はそっと牌を倒し、次局に備えて瞳を閉じた。照は東一局では基本的に和了ることはないと言っていい。それは彼女の持つ能力が相手を見極めるのに必要な時間だからだ。とは言っても必ずしもそうではない。部内での対局では既に相手のことなど解りきっているので別に待つ必要もないのだ。今のは只単に菫の聴牌が早かっただけの話。

 自動卓から現れた配牌に視線を落として、チラリと照は部屋の隅で牌を磨く少年へと視線を向けた。一つ一つ丁寧に布で磨いいていく少年、燐もその視線に気づいたのか顔を上げて照を見る。

 目が合う。

 

 燐はニッコリと笑い、照は若干頬を染めて配牌へと視線を戻した。

 照が目を逸らしたことに軽くショックを受けつつ、しかし燐にはそれが単なる照れ隠しであるということも分かっているのでそのまま牌磨きの作業に戻る。そんな二人の様子を見ていた部室内に居る少女たちは揃ってこう思っていた。

 『リア充は爆ぜろ』。

 しかし相手はあの宮永照。思っても決して口にしないのは、皆命が惜しいからではなく普段クールな照とのギャップが凄まじいからで、そこに萌えているわけではない。断じて。

 

 

 

 

 

 

 

 部活の終了時間が訪れ、一軍の生徒たちは部室内の一箇所に集められていた。

 インターハイまで二週間を切った今日は、正式なレギュラー発表が行われるのだ。西東京予選ではメンバーに選ばれた選手であっても、最近の調子などで交代することなどザラにある。故に、少女たちの表情はいつもよりも幾分か硬い。

 

「えー、では今から監督にインターハイの正式なメンバーを発表してもらう」

 

 前に立つ菫がそう言うと、少女たちの前に少年が立った。

 つい先程まで隅で牌を磨いていた少年、燐である。

 

 燐が前に立っていることに意を唱える人間は誰一人としていない。何故なら、この少年こそが白糸台高校麻雀部現監督なのだ。

 

「それじゃあメンバーを発表します。まず先鋒――――――――」

 

 白糸台高校麻雀部監督、三尋木燐。

 監督就任三年目、インターハイ三連覇に挑む監督である。

 

 

 

 

 

 2

 

 

 

 

 

 午後七時とは言っても、七月も半ばとなればまだそれなりに明るい。徐々に広がる漆黒の夜空と夕焼け空が織り成すコントラストがなんとも幻想的だ。そんな空を見上げながら少年、燐は帰路についていた。その隣には照の姿もある。こうして二人で下校するようになったのは、一体何時からだったろうか。そんな些細な事を考えていた燐に、隣から声が掛けられた。

 

「燐。どうして今年は私を先鋒に、淡を大将に据えたの?」

 

 その采配に何か不満があるわけではない。照は燐のことを全面的に信頼しているし、彼のこういった采配は間違ったことがない。故にこの質問は照の単なる興味本位である。

 

「んー。多分だけど、今年のインハイは去年みたいに順当にはいかないと思うんだよ」

 

 未だ空を見つめたままの燐は続ける。

 

「昨年の天江、神代、荒川。ああいった化物は必ず今年も出てくる。それに照が負けるとは思わないけど、何せ団体戦だ。正直、渋谷と亦野には不安もある。だから照には序盤で出来るだけ多く稼いで欲しいんだ。目星い所では千里山、臨海、姫松あたりとは当たる可能性が高いしね」

 

 全く、よくもまぁここまで考えられるな。と内心で照は関心する。彼が情報収集能力においても優秀なのは知っているが、各県の予選はまだ先日終わったばかりで牌譜もまだネットに上がっていない。にも関わらずここまで正確に相手の事を把握しているのだ。

 

「燐、無理してない?」

 

 だからこそ、照には心配だった。頑張りすぎる彼のことだ。寝ずにいることなどしょっちゅうだろう。

 

「ありがと、照。でも大丈夫」

 

 そう言ってようやく夜空から視線を照に移した燐は、彼女を見て優しく微笑む。

 いつの間にか二人は照の家の前までたどり着いていたが、二人は玄関の前から動こうとはしなかった。

 

「無理しないでね」

 

 言って、少しだけ逡巡して、照は燐へと身を預けた。

 燐も、彼女をそっと抱き留める。暫しの沈黙。そして、二人はゆっくりと唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 3

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「おうお帰りぃ燐」

「あれ、姉さん帰ってたの?」

 

 照を家まで送った後、自らの家に帰ってきた燐は姉が帰ってきていたことに少しばかり驚いていた。確か明後日までは遠征で海外に行っている筈なのだが、どういうわけかリビングのソファで着物のまま横になって煎餅を齧っている。

 

「試合は?」

「わかんねー」

「いや分かるでしょうよ」

 

 姉、三尋木咏は袖をフリフリと振りながら燐にあっけらかんと言った。

 燐の姉である彼女は、現麻雀プロである。高校時代からインハイや春季大会で名を馳せた彼女は卒業後は地元のプロチームに入団し、その力を遺憾なく発揮してチームを優勝に導いた。因みに昨年は首位打点王とゴールドハンド賞を受賞している、日本を代表するプロの一人なのだ。

 遠征、というのも彼女は日本代表の先鋒として中国で行われているアジア大会に参加するため。……なのだが。

 

「アジア大会は?」

「だーめだー。私とすこやんだけじゃ流石に勝てねーよー」

 

 どうやら日本女子チームは敗退してしまったらしい。一応補足しておくと、すこやんというのは日本女子の大将を務める小鍛冶健夜プロのことだ。

 

「とりあえず着物のままだと皺になるから、ほらこれ着て」

 

 そう言って燐は咏へと部屋着を渡す。

 現在咏が住んでいるのは実家ではなく所属しているチームが管理する寮なのだが、こういった遠征帰りに限っては東京にある燐の家へとやってくることがしばしばある。曰く帰国直後は自分では何一つやりたくないかららしいが、燐としても姉から得られる情報は中々貴重なものなのでこうして受け入れている。

 部屋着に着替えた(燐の目の前で)咏はドカッとソファに座り、再び煎餅を齧ろうとして。

 

「あ、そういや私インハイの解説することになった」

「え? それいつ決まったの?」

「昨日。いやーすこやんとはやりんに人数足りないからってお願いされてさぁ」

「姉さん真面目な解説なんてできるの?」

「いや、知らんし」

 

 どうしてだろうか。直近に迫ったインターハイが急に不安になってきた。

 咏は感覚的な麻雀を打つ人間、いわゆる感覚派。デジタル打ちの対極であるそれは、『こんな感じ』や『なんか嫌だな』的な直感で行うものなので解説として言語化することはかなり難しい。ましてやテレビの前の一般視聴者に伝わる言い方ともなればなおの事。いや、別に咏には向かないと燐は考えているわけではない。何も考えていなさそうに見えて裏では何十手先も読んでいるし、プロの第一線で活躍する選手ということで知名度も高く、比例して咏の解説を望む声は多い。

 

 しかし。

 姉弟だからこそ感じるものもあるということだろうか。姉が解説している場面を想像しても、カオスな予感しかしないのだ。

 

「おいおい燐。お前私に解説なんて出来ないと思ってんだろ」

「ギクッ」

「分かりやすい反応をありがとう。お姉さんが愛しい弟に拳骨をプレゼントしてやろう」

 

 燐にとって全くありがたくないプレゼントを貰い、頭を摩っていると。

 

「そういやお前、彼女とはうまくいってんのか?」

 

 急に話題が恋愛(そっち)方面にシフトした。

 だがまぁ、燐としては別段恋愛話に免疫がない訳でもない。。

 

「うん、お陰様で」

「羨ましい限りだなぁオイ」

「姉さんも早く相手見つけなよ」

「はぁッ!? わ、私はまだ二十四だし別にそこまで焦ってないっていうかそんなん知らんし!!」

 

 非常に分かりやすい反応を示す姉。どうやらそれなりに焦ってはいたらしい。麻雀の男子プロって姉のお眼鏡に適う人はいないのだろうか、そこまで考えて燐は『ああ、いや違うか』と頭を振った。いつだったか、珍しく酒を飲んでいた姉がうっかりと口を滑らせていたのを思い出したのだ。

 

「片思いしてるんだっけ。高校の時の同級生に」

「!!??」

 

 燐の言葉に、咏の肩がビックゥッ!! と大きく揺れる。燐もそれが誰なのかまでは知らないが、今も姉と連絡を取り合っている高校時代の異性の友達ともなれば、自然とその人数は限られてくる。脳内で何人か思い浮かべ、そして一人の男性が思い至った。ただの推測に過ぎないが、一応確認してみる。

 

「その人ってもしかして今日本代表副将の相楽さんじゃ――――――――」

「言うな! それ以上言うな!! わーーーー!!」

 

 この過剰反応っぷりを見るに、どうやら燐の適当な予想は正解だったらしい。我ながら恐ろしい推理力だ、などと物思いに更けながら、燐は目の前で可愛く喚く姉を宥めるために台所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 4

 

 

 

 

 翌日の昼休み。ようやく訪れた至福の時間だと嬉々として弁当箱を取り出す燐の目の前に弁当箱を持った一人の生徒がやって来た。

 

「燐、ここいいか?」

「うん」

 

 燐の了承を得た少年はそれを聞くなり前の席の椅子を持ち出して座り、イソイソと弁当を広げ始めた。燐よりも少し短い髪の毛の少年は、燐にとっての親友と呼べる存在だ。

 

「それで? どうしたのさそんな深刻な顔して」

 

 燐の言う通り、目の前で卵焼きを咀嚼する少年はどう見てもおかしかった。何か考え込んでいるような、そんな表情を浮かべて先程からずっと視線を机に落としている。彼がこういった行動をするのは珍しいことではないのだが、心なしかいつもよりも深刻そうに感じた燐は少年の顔を覗き込むようにして尋ねたのだ。

 

「……なあ燐」

 

 そこで少しだけ少年は間を置いて。

 

「やっぱりお前、大会に出てくれよ」

「だが断る」

「……バッサリだな」

 

 何を言い出すのかと思えばまたこの話か、と目の前の少年――――浅野藤間(あさのとうま )に即答する。

 この白糸台高校で有名なのが先も述べたように麻雀部であるが、有名なのは女子( ・・)麻雀部なのだ。そしてこの藤間は男子麻雀部の主将である。部員数が百名を越える女子麻雀部に対し、藤間の所属する男子麻雀部の部員はたったの五人しかいない。団体戦出場もギリギリの状態なのだ。

 

「何度も言ってるじゃない。俺は選手として大会に出る気はないの」

「そんなこと言わずにさぁ!」

「それに俺が入ったら部員の一人が団体戦に出れなくなっちゃうじゃないか。そんなのは嫌だ、雰囲気悪くさせるだけだし」

 

 これは以前も行なった問答であり、このままでは平行線のままだということは両名も承知している。よって先に話の方向を変えたのは藤間のほうだった。

 

「……お前が宮永を支えるためにあそこで監督やってるのは知ってるよ。その仕事を疎かに出来ないっていう燐の気持ちもわかる。でもよ、俺にはお前が麻雀してないのが余りにももったいないんだよ。中学時代あれだけの成績を残しておいてさ」

「…………」

 

 何も言わない燐を前に、藤間は続ける。

 

「俺はお前に憧れてたんだぜ? 同じ高校だって知ったときはすげぇ嬉しかったんだ。でもお前が入ったのは女子麻雀部、しかも監督だ。何があったんだよって感じだった」

「藤間……」

「宮永の力になるってお前の思いを踏み躙る気なんざ更々無いけどよ、俺は、お前と一緒に麻雀したいんだよ。今年が最後のチャンスなんだ。女子と違って弱小部の俺たちにはもう今年しかない。来年には人数だって足りなくなるし、下手したら廃部になっちまうかもしれない」

 

 徐々に言葉に熱が篭もり始めるのを藤間は自覚しつつ、それでも自らの思いを燐へと話し続けた。

 

 正直、燐としては高校の大会に参加する気などなかった。それは自身が照を支えることの方が大切だと考えていたからでもあるし、もう高校の麻雀に興味を失っていたからということもある。

 中学時代、燐はインターミドルを二度制した。確かにそれは簡単なことではなかったけれども、無理難題を吹っ掛けられたわけでもない、精々難問程度のものだったのだ。そんなものよりも燐には照に付いていることのほうが大切だったし、それ以上優先すべきことなどないと確信していた。

 そして、彼は中学卒業と同時に選手を卒業し、監督業に専念することにしたのだ。

 

 とは言え、幾ら全国優勝の経験があるとはいえども一介の学生が名門校の監督などホイホイ就任できるものではない。燐が就任するまで監督を務めていた五十程の白髪の目立つ男性監督は燐の就任を馬鹿げていると一蹴した。しかし燐が監督を務めることは照が白糸台に入学する条件と卒業生である姉の口添えによりほぼ確実なものとなっており、それでも納得がいかなかった元監督は麻雀による実力勝負を求めたのだ。

 男性監督には自身があった。全国王者とは言え、所詮まだ高校一年生。プロだった自分が負ける訳がない、と。

 

 結果。

 元監督は燐に東三局でトバされた。

 

 そのような経緯で監督となった燐だが、一応男子の大会にも登録さえすれば出場することは可能である。

 女子のに東京予選は先週終わったが、男子の予選は今週末である。出れないこともない。

 

 燐とて藤間のお願いを無下にするつもりはないが、如何せん監督業の忙しさがこれから多忙を極めることになるだろうし、やはり自身が入ることで溢れてしまう生徒が出ることは望ましくはない。

 

(困ったなぁ)

 

 率直に思う。藤間が自身を必要としてくれることは素直に嬉しいし、力になりたいとも思う。が、それと選手として大会に出ることとは全くの別問題である。

 そして何よりも。

 

「照と離れたくないんだよなぁ」

「そこかよッ!!」

 

 ボソッと呟いた燐の言葉をしっかし聞いていたらしい藤間は、自らの箸を力の限り机に叩きつけた。

 

「一人あぶれるとか業務が忙しいとか言っといて、結局そこなのかお前はっ!!」

「え? 当たり前じゃん」

 

 今更何言ってんの? と首を傾げる燐に、藤間は大きな溜息を溢した。

 

「お前なぁ……、宮永と付き合ってるのは確かにうちの高校の奴らなら殆ど知ってるけど、それでも宮永って人気すげぇんだぞ?」

 

 藤間が言うように、照は高校内で非常に人気がある。麻雀部員はとりわけ人気が高いのだが、中でも照は別格だ。一見クールだが面倒見もよく、その容姿も相まってか何度も告白されているのを燐は知っていた。

 

「他の男子からしたら何でお前が宮永と付き合ってんだって思ってる奴だって少なくないぜ」

「そうなの?」

 

 まぁ傍目から見ても燐はイケメン、というわけではない。頭は良く性格も良いが、容姿だけで言うなら多めに見積もっても中の上くらいだろう。確かに他の男子からすればなんでアイツと、と思わなくはないのかもしれない。

 

「ほんと、俺だってお前と宮永の話聞かなかったら宮永のこと狙ってたかもしれないし」

「遺言は終わったかい?」

「怖ッ!! お前その能面みたいな顔やめろよ!!」

 

 酷く平坦な声で告げた燐の表情は、冗談半分で言った藤間を後悔させるには充分なものだった。

 

「……とにかくだ。大会の件、もっかい考えてくれないか」

「うーん……、まぁ、考えてはみるよ」

 

 藤間としても燐が乗り気でないことは百も承知なので強要するようなことはしない。昼休みも残りわずかとあって次の授業の準備に取り掛かる燐にそう言って、藤間は自らの席へと戻っていった。そんな彼の後ろ姿をぼんやりと眺めつつ、燐は思い出す。

 

(俺と照が出会ったのは、もう五年前になるのか……)

 

 

 

 

 

 

 

 五年前。

 まだ中学生に上がったばかりの燐は、教室の前方に設置された教壇に立つ担任の教師と、その横に立つ少女を視界に捉えていた。いや、実際は担任の教師は司会には入っているがピントは合っておらず、隣の少女にピントは合わされていた。

 

『今日は転校生を紹介します。長野県から引っ越してきた、宮永照さんです。みんな仲良くしてあげてね』

 

 そう紹介されペコリと頭を下げる転校生の少女。しかし、その瞳はどこか虚ろで、何故か燐にはその子のことが放っておけなかったのだ。

 いや、放っておけなかったというのも間違いではない。だが、もっと単純な理由があった。彼女に関わるようになった理由。それは――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ん。燐」

「え?」

 

 耳元で聞こえてきた声に反応してみれば、そこにはこちらを覗き込む照の姿があった。周囲を見渡せば片付けを終えた部員たちが部室から出ていくところだ。ああ、今しがた今日の反省とこれからの対外試合についての説明を終えて解散したところだった、と今更ながらに思い出す。

 

「どうしたの? 何だかボーッとしてたけど」

「いや、何でもないよ。ちょっと照と会ったころを思い出してた」

「私と会った頃?」

「そ。中学一年の時の事」

 

 そう言って、燐は照の手をそっと握る。彼女にとってはあまり思い出したくない記憶かもしれないが、その時を乗り越えて燐と照は今ここにいるのだ。無かった事になど出来る筈もない。

 

「あの時の私は……、頭の中がぐちゃぐちゃで何が何だか解らなくなってた」

 

 照がこちらに引越してきた当時、彼女の精神面は酷く不安定なものだった。

 その理由は、両親の別居。長野に住んでいた宮永家には父と妹を残し、こちらに母は照だけを連れてやってきたのだ。いきなり家族がバラバラになってしまった事にもショックを受けたが、何よりも母親の変わりようにも照は怯えていた。以前のような優しい母はいなくなり、何に対しても厳しくするようになった母。そんな母が待つ家に帰らなくてはならない子供の気持ちはどんなものだったのだろうか。

 妹や父に会えず、母は人が変わったかのように厳しくなった。おまけにこの地にはまだ友達と呼べるような存在はいない。

 

 必然、照は心を閉ざし、周囲から孤立していった。唯一周りとコミュニケーションの手段としてやっていた麻雀も、その実力のせいで人を寄せ付けなくなってしまった。

 

 もう、彼女に声を掛ける人間はいなくなっていた。

 照もそのことを何とも思わなくなっていった。

 

 そんなある日のこと。いつものように休み時間を一人読書して過ごす照に、一人の少年が話しかけた。確か同じクラスの子だったと照は記憶していたが、これまで一度も会話をしたことがなかったので名前までは思い出すことが出来なかった。

 本を読んでいた照に対し、少年は微笑み、そして手を差し出して。

 

『ねぇ、麻雀しようよ』

 

「あったねぇ、そんなこと」

「燐のあの一言が無かったら、きっと私は今ここにいないわ」

 

 燐に握られていた手にキュッと力を込めて照は言った。彼女にしてみれば、燐という存在は正に救世主だった。一人でいることが当たり前だった照に、一緒にいることの楽しさを思い出させてくれた。それがどれほど嬉しかったことか。彼がいてくれたから、母親とも向き合うことが出来たし、多くの友達を持つことも出来た。

 三尋木燐という少年は、宮永照という少女にたくさんのものを与えてくれた。そんな二人だ。必然的に、その距離は近くなる。仲の良い友達から恋人という関係に変わるまで、そう時間はかからなかった。

 

「燐、これからも一緒にいてね……」

 

 消え入りそうな声で照は言う。彼女は一人の寂しさというものを嫌という程知っている。もしも燐が居なくなれば、今度こそ彼女は壊れてしまうかもしれない。

 照は燐の胸に飛び込み、その顔を埋めた。燐は何も言わず、彼女の腰と頭に腕を回して優しく抱き締める。二人にはそれだけで十分だった。この時間が二人にとって掛け替えのない時間だ。

 

 

 

 ――――――――が。

 

「おーい。お前ら何してんだ」

 

「「!!?」」

 

 忘れることなかれ。今二人が居るのは麻雀部の部室。戸締まりに来た先生に出会すこともあるのである。

 

 

 

 

 

 5

 

 

 

 

 

インターハイを来週に控えた今日、燐は照の自宅へとやってきていた。土曜日なので学校はなく、部活も午後からなので午前十時の今は問題ない。

 

「おじゃまします」

「あら燐くんいらっしゃい。照なら部屋にいるわよ」

「あ、いえ。今日はお母さんにお話があって」

「私に?」

 

 何かしら? と頬に手を当て小首を傾げる照の母親に、燐は何度か深呼吸してから本題を切り出した。それはもう、人生最大の勇気を振り絞って。

 

「お母さん。俺は卒業したら照と一緒にプロに行きます。こんな時に言うのは可笑しいかもしれませんが、俺たちがちゃんとプロになって、自立できるようになったら」

 

 

 

『そのときは――――――――』

 

 

 

 

 

 

 

『さあいよいよ今日からシード校が参戦しますインターハイ二日目!! 注目はなんと言っても二連覇中の大本命、白糸台高校!!』

『昨年までは大将だった宮永選手を今年は先鋒に起用してきた三尋木監督の采配は、やはり各校のエースと対決するためでしょうか』

『白糸台の監督はあの三尋木プロの弟さんなんですよね!?』

『はい。彼は実力もありますし、何より頭が良いですから、今年も白糸台を優勝へと導く算段は整っているでしょうね』

『ということは今年も白糸台が優勝かな!?』

『何で!? アナウンサーがそんなこと言っちゃダメでしょ!?』

『だって小鍛冶プロがそんなに推すんだもん』

『これはあくまで一個人の見方であって、他にも強豪はたくさん――――――――』

 

 控え室備え付けのテレビから聞こえてくる二人の愉快なコント(?)が流れる中、燐はメンバー五人に最終連絡を終えたところだった。

 

「じゃあ、頼むよ照」

「任せて」

 

 そう言葉を交わし、照は対局室へと向かった。

 

「ねーねーりんりんー」

「何かな淡」

 

 照が出て行ったことを確認してから、今までおとなしかった淡が燐に声を掛けた。なにやらその瞳にはキラキラと輝くものが見える。

 

「それ!」

「それ?」

「それだよ! りんりんの薬指についてるそれ!!」

 

 ビシッと指を指す先には、燐の薬指に嵌められた指輪があった。

 

「それテルーも同じのつけてたでしょ!? まさかまさか!!」

 

 きょーみしんしん!! と言わんばかりにテンションを上げてくる淡。その影に隠れてはいるが、菫や他のメンバーも気になっていたようだ。心なしかそわそわしている。そんな彼女たちを見て、燐は少しだけ恥ずかしそうにして彼女たちに報告した。

 

 

 

 

 

 燐が照に関わるようになったのには、放っておけなかったというよりももっと簡単で単純な理由があった。

 彼女を人目見た瞬間、燐は心を奪われてしまったのだ。即ち、一目惚れである。

 そして、実は彼女も。

 

 

 

 

 

『そのときは、照さんを俺に下さい』

 

 

 

 

 

 照は対局室へと続く廊下を歩く。周囲には雑誌の記者たちが集まって質問を投げかけてくるが、照の耳には届いていなかった。

 今彼女の思考を埋め尽くすのは、先日燐から受けたプロポーズと、自身の左手薬指に嵌められたシルバーのリング。ああ、こんなにも幸せでいいのだろうかと照は思う。このことを考えると自然と頬が緩んでしまうので出来るだけ考えないようにしていたが、左手に視線を落としてしまってはもうダメだ。

 

 現在の彼女にはクールの欠片もなかった。

 

 しかし、二人が結ばれるにはプロにならなくてはならない。そして、そのためにはこのインターハイ、負けるわけにはいかない。自身の為に、燐の為に、そして応援してくれる全ての人の為に。

 

 そうして照は、対局室へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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