咲-Saki- 北大阪恋物語   作:晃甫

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弘世菫の場合

 

 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 

 これは美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花に例えて形容する言葉である。可愛い、というよりは綺麗な女性に向けられる言葉だが、現代に於いては早々使うことも無くなった。綺麗な女性を例える言葉が数多く存在するからというのもあるが、昨今の女性に向けて使うには些か適していないからだ。

 古くから存在するこのことわざには、どこか奥ゆかしく静謐な印象を抱かせるものがある。現代の茶髪にメイクを施した少女ではなく、日本古来の大和撫子を彷彿とさせるような少女にこそこの言葉は相応しい。髪は全く癖の無い烏の濡れ羽色。頭のてっぺんから爪先まで一本の芯が通っているかの如く美しい立ち姿。顔のパーツそれぞれが主張しすぎることなく黄金比を構築し、その瞳は透き通るように澄んでいる。これぞ日本の女性。世界に誇るジャパニーズパーフェクトビューティーである。

 しかしながらそんな少女がホイホイ居るはずもなく、絶滅危惧種指定も間近とはどこぞの高校生男子の話だ」

「……さっきから一体何を言っているんだお前は。というか何故説明口調?」

「そして何を隠そう、今俺の前に居る菫こそがその絶滅危惧種なのであった」

「本当に何を言ってるんだ!?」

 

 どこからか取り出された真っ白なハリセンが、燐の頭部に直撃した。

 

 

 

 1

 

 

 

「痛いじゃないか。何も叩かなくてもいいだろうに」

 

 尚もハリセンの痛みが残る頭部に手をやりながら、三尋木燐は目の前の少女に向かってそう溢した。

 燐の机を挟んで正面に座る少女は眉間にやや皺を寄せ、じっとりとした視線を彼へと向けている。

 

「お前が突然変な事を口走るからだ」

「別に変なことじゃないと思うけどね。実際菫は美人だし」

「よくもまぁぬけぬけと……」

 

 呆れを多分に含んだ溜息を吐き出して、燐をして大和撫子だと言わしめる少女は視線を机上に落とした。

 机の上に広げられているのは、複数の科目の参考書たちである。

 一月の第一週。センター試験を来週末に控えた彼女は、学年でも指折りの成績である燐に勉強を見てもらっていた。

 断っておくが、彼女は決して成績が悪いわけではない。学年トップ3に入る燐には及ばないまでも常に上位十人の中には食い込んでくる秀才である。才色兼備とは正にこのこと。

 

「昼休みにまで勉強なんて真面目だねぇ菫は」

 

 正午過ぎの現在、教室内には菫の周囲以外完全に弛緩した空気が漂っており、生徒たちは束の間の休息を全力で謳歌しているようだ。午後の授業と戦うための英気を養っているのだろう。斯く言う燐も右手に焼きそばパンを持ち、紙パックのフルーツ牛乳を吸っている。

 

「推薦入学が決まってるのに、センター試験まで受けるなんて」

「何にでも手を抜きたくないんだよ、私は」

 

 言いながら菫はページを捲る。今開いているのは古文の参考書である。

 先程燐が長ったらしく話していたのは、その参考書に掲載されていた源氏物語に影響されてのことだった。

 

「にしてもこの主人公は些か恋愛脳すぎるな」

「輝く美貌と才能に恵まれれば、そりゃ女の子の方から寄ってくるでしょ」

「軟派男どころの話ではないぞこの男」

「菫はそういう男、嫌いだもんね」

「男なら一途で堂々としているものだ」

 

 それはそれで少しばかり乙女の妄想が入っているような気がしないでも無かったが、燐はその言葉をフルーツ牛乳と一緒に喉の奥へと流し込んだ。進んで藪に手を突っ込む必要はないのである。

 もぐもぐと焼きそばパンを頬張る燐の傍ら、菫は真剣な表情で問題を解き進めていく。

 

「どうだ、近頃の部の雰囲気は」

 

 視線は参考書に向けたまま、菫が問い掛けた。

 菫自身は世界ジュニアの選手に選抜されていたこともあり、初冬までは部活に参加していた。だがそれは部員としての活動というよりも自身の技量を磨くという個人的な部分が大きく、二年生以下が主体となった白糸台高校女子麻雀部の中枢にまでは関与することはしていなかったのだ。

 燐はその質問に、やや間を置いてから。

 

「悪くないよ。菫と照が抜けた穴はかなり大きかったけど、なんとか埋めようって亦野と渋谷が頑張ってくれてる」

「秋季大会はかなりリスキーな采配をしていたが、春季大会はどうするつもりだ?」

 

 その問い掛けに、思わず燐は苦笑した。

 

「その頃には俺はもう卒業して新しい監督に代わってるよ。お役御免てやつさ」

「……そうだったな」

 

 うっかりしていたと菫も苦笑いを浮かべた。受験勉強に没頭し、周囲の雰囲気に合わせるように高校生活最後の冬を過ごしているというのに、どうしてか部活動に対してだけは上手く切り替えが出来ていない。

 悔いはなく、全国の頂点に立ち満足して高校での部活を引退した筈だというのに。

 

「子離れが出来ない親の気分だよ」

 

 そう言って彼女は一枚ページを捲る。視線は未だ、机上の参考書だ。

 

「俺も最初は色々と心配な部分はあったんだけどね」

「今は違うのか?」

「まあね」

 

 即座に返って来た回答に、菫は意外そうな表情を浮かべて顔を上げた。

 燐の顔からは、負の感情は一切見受けられない。

 

「亦野も渋谷も淡も、俺の想像以上に成長してるよ。特に淡は同級生の男の子に麻雀を指導し始めたのが良い方向に転がってるみたいだ。最近の牌譜を見ていても分かる」

「ああ、原田とか言ったか。一度見た限り素人も同然だったような気がするが」

 

 先月から淡が同級生の男子に麻雀を教え始めたという話を聞いた時は耳を疑った菫だったが、その光景を実際に目の当たりにすれば事実として受け入れざるを得ない。

 あの淡が他人に麻雀を教えるのだ。菫の中では手のかかる娘っ子としてのイメージしか無かったあの生意気な自称高校100年生がである。驚きと共に目頭がじんわりと熱くなったことは今でもはっきりと覚えている。

 

「素質はあると思うよ」

「ほう?」

 

 燐の言葉に、菫が興味深そうに溢した。

 

「……何さその目は」

「他ならぬ白糸台高校麻雀部監督の御眼鏡に適う人間がこんなに近くにいたのかと思ってな」

 

 三尋木燐は選手としての才能は勿論、監督としての能力も高い。本質を見抜く洞察力と、育成する力がずば抜けているのだ。

 そんな彼をして素質ありと言わしめる淡の同級生に、菫は少しばかり興味を持った。

 

「淡の指導云々はこの際置いておくとして」

「置いていいものなのかそれは」

「誰だって最初はああいうものだよ」

 

 やたらと擬音で埋め尽くされた淡の説明を思い出しながら、燐は続けた。

 

「彼、多分異能持ちだ。それも全体支配系」

「淡と同じタイプか」

 

 菫の言葉に燐は一つ頷く。

 

「まだ開花はしていないけど、ひょっとすると」

 

 燐がそこまで口にしたところで、昼休み終了を継げる電子音が流れ出した。

 慌ただしく移動を始める生徒たちと同様に、菫も参考書を閉じてクラスメイトの座席から立ち上がる。その座席の主はどうやら食堂で昼食を済ませてきたようで、丁度菫が席を立ったタイミングで教室に戻ってきた。

 

「お? なんだ珍し……くはない組み合わせだな。元部長と監督だし」

 

 言いながら、浅野藤間は菫が空けた席へと着いた。

 浅野の中では燐の横に居るのは常に照になってしまっているが、同じクラス且つ同じ部活の仲間である菫が居たとしても何ら不思議はない。

 少し、いやかなり感覚が麻痺してしまっているだけの話だ。

 

「少しばかり分からない所があってな。教えてもらっていたんだ」

「昼休みにまで勉強とは真面目だねぇ弘世は」

 

 やれやれとでも言いたげな浅野は机の中からごそごそと数冊のノートを取り出す。高校三年生の一月ともなれば各科目の履修範囲などとうに終わっている。故にこの時期の授業はその殆どが自習に変化するのだ。その例に漏れることなく、午後一となる五限は自習だった。

 スポーツ推薦や指定校推薦で既に進路が決まっている生徒以外は、この時間を使って受験勉強に勤しむこととなる。そして、それは浅野藤間にも当てはまる。

 

「いーよなーもう進路が決まってるやつは」

 

 浅野は燐の方を恨めしそうに見ながらシャーペンを取り出し、芯の補充を始める。

 

「俺たちはまだこれからが本番だってのにな、弘世」

「いや、私はもう決まっているが」

「…………」

「そんな裏切り者を見るような目で見ないでくれ」

 

 愕然とする浅野に、菫はなんと声を掛ければよいのか分からなかった。

 困った様子で視線を向けてくる彼女に助け舟を出すべく、燐がおもむろに口を開く。

 

「菫は部活動推薦だよ。幾つかの大学から打診があってね」

「法翔大学は関東一部リーグ所属でな。自分に一番合った条件を出してくれたところなんだ」

「は? 法翔?」

 

 菫の口から告げられた大学名に、浅野が反応を示す。

 奇しくもその大学は、今現在彼が必死に勉強して入学しようとしている大学だった。

 

「でも今勉強してたよな? 入学が決まってんのに何で勉強してるんだ?」

「法翔は偏差値が高いだろう? 麻雀の腕だけで入学したと思われたくないのでな」

「菫は意外に負けず嫌いだからなぁ」

 

 うるさい、と燐への小言を口にして菫は自身の座席へと戻って行く。

 その後姿を、浅野は燐に声を掛けられるまでなんとなく眺めていた。

 

 

 

 2

 

 

 

 法翔大学は大学麻雀界に於いて五本の指に入る程の超強豪である。

 全日本学生麻雀大会、通称インカレには二十年連続で出場、内九度頂点に上り詰めている。著名なプロも度々輩出している法翔大の名は、麻雀を嗜む人間にとってはかなりのステータスと成り得るものだった。

 そんな有名大学に晴れて入学することとなった菫だが、実のところかなり悩んだ上で選択した進路である。

 

 今夏のインターハイ、十月に開催されたコクマ、そして十一月に日本で開催された世界ジュニアに選手として出場を果たした弘世菫という少女は、間違いなく今年の高校三年生の中でトップクラスの実力の持ち主だ。同校に宮永照という圧倒的な存在が居る為に隠れがちになるということもなく、寧ろ照や淡といった突き抜けた存在の手綱を握り纏め上げた手腕は各方面から高い評価を受けている。

 麻雀雑誌にも幾度となく取り上げられた菫は、宮永照、辻垣内智葉、園城寺怜、愛宕洋榎の四人と並び各所から今後の進路が注目されていた。

 

 そして選んだのは、大学へと進む道。

 当然彼女の元には大学だけでなく、実業団からの勧誘も数多く寄せられた。

 中には日本リーグの上位で戦うチームもあり、高卒一年目にしては破格とも言える条件を出してくれた所もある。

 正直、揺れた。

 宮永照、三尋木燐といった怪物たちと出会うまでは、菫は自身がプロで戦っていけるような力があるとは微塵も思っていなかった。中学時代の実績も東京都でそこそこ。父親が会社の経営者ということもあり、なんとなく将来は父親の会社に勤めることになると考えていた菫は、麻雀で生計を立てるなど考えたことも無かったのだ。

 

 そう、あの二人に出会うまでは。

 三尋木燐と宮永照。この二人と同じ高校、しかも同じ学年であったことは菫にとって僥倖だった。切磋琢磨できるライバルと、自身の能力を存分に伸ばしてくれる監督である。望外の環境を手に入れた菫は、この三年間で全国にその名を轟かせるまでに成長した。

 想像したことも無かったプロの世界へ、手を伸ばせば届くところまでやって来たのだ。

 

 しかしそれでも、どこか菫は自信が持てなかった。

 傍で照や淡といった正真正銘の怪物を見てきたからだろうか。いや、違う。

 心のどこかで客観的に限界点を決め付けている自分が居て、プロの世界では通用しないと囁くのだ。

 その言葉を振り払うことが出来ずに、潰しがきく大学卒という肩書きが欲しいだけなのかもしれない。

 

 幾つかの選択肢を示されたとき、無意識の内に大学を選択していた。

 世界ジュニアに参戦した三年生たちの殆どは、そのままプロの世界へと飛び込んでいく。

 大学へと進むことが悪い訳ではない。燐にも自身の選択は肯定された。ひょっとすると、内側にあったこの想いが見抜かれていたのかもしれないが。

 

「……優柔不断だな、私は」

「あ? 何言ってんだお前」

 

 独り言のつもりで呟いた言葉に反応があって、思わず菫は声のした方へ顔を向けた。

 

「電気も付けずに何黄昏てんだ?」

「浅野か」

 

 入口のすぐ傍にあるスイッチを入れて、教室に明かりを灯す。

 気づけば随分と長く考え込んでしまっていたらしい。窓の外はすっかり暗くなり、タイマー式暖房の消えた教室はひどく冷え込んでいる。

 

「こんな時間まで残ってどうしたんだ?」

「そりゃこっちのセリフだよ。真っ暗な教室で一人何ぼーっとしてんだ」

「少し、考え事をな」

 

 浅野はどうやら引き出しに参考書を忘れていたらしく、自習していた図書室から取りに戻ってきたのだそうだ。

 

「こんな時間まで勉強しているのか? もう八時過ぎだぞ」

「弘世と違ってこっちは受験戦争の真っ只中なんでな。一分一秒だって無駄にできねぇんだよ」

 

 言いながら浅野は目的の参考書を手に取り、そして無言で菫の前の席へと座った。ぐるりと身体を反転させ、菫と正面から向き合う。

 突然の浅野の行動に目をぱちくりとさせる菫は、疑問をそのまま口にする。

 

「どうしたんだ?」

「いや、何か悩んでそうな顔してっからさ」

「む」

 

 そこまで顔に出てしまっていただろうか。燐や照ならともかく、クラスメイトに見破られるほど面の皮は薄くないはずなのだが。

 

「こんな時間に真っ暗な教室で一人残ってる奴が普通なわけあるかよ」

「……確かにその通りだな」

 

 客観的に今の状況を見てみれば、普通とはかけ離れていることなど考えずとも分かる筈だ。

 とどのつまり、現在の菫はそれにすら気付かない程考え込んでいたのである。

 

「ま、言いにくいことなら無理にとは言わねえけどさ。他人に話すことで解決することだってあると思うぜ」

「なんだ、いつからお前はカウンセラーになったんだ?」

「期間限定サービスだよ。同じ法翔大に進学するよしみってやつだ」

「まだ受かってもいないというのに」

 

 言って菫は苦笑いを浮かべる。

 浅野という少年が作り出す雰囲気がそうさせるのか、はたまた夜も深くなりつつある教室にたった二人という状況がそうさせるのか。どちらなのかは定かでないが、菫は妙な高揚感を覚えた。

 彼が聞く姿勢を崩さないことに根負けして、ぽつぽつと自身の心中を語り始める。燐にすら全ては打ち明けていないことも、自然と口をついて言葉となっていた。

 浅野は菫の言葉を、ただ静かに聞き届ける。

 

 数分もの間、菫は目の前の少年に向かって話し続けた。

 自分の選んだ進路に実は自信が持てないこと。

 自分の力を伸ばすのであれば世界ランカーも居る実業団へと進み、プロの世界で揉まれるのが最短ルートだと理解はしている。しかしそれでも、麻雀一本でこの先やっていける自信がない。

 麻雀プロとして生きていくか、それ以外の選択肢を模索するのか。その結論が出せないまま、大学入学が決まってしまったこと。

 一分の迷いもなくプロ入りを決めた燐や照を見ていると、自分にそんな覚悟があるのか問い掛けずにはいられない。自問自答を何度繰り返しても、煮え切らない答えしか出せないでいる。

 

 なんとも形容しがたい感情が、自身の心の奥底で燻ったまま沈殿している。

 それが堪らなくもどかしく、気持ちが悪い。

 

「…………」

 

 そんな菫の独白を、浅野はただじっと聞き続けた。

 聞き続けて。

 

「……弘世って意外と抜けてんのな」

「は?」

 

 心底呆れたとでも言わんばかりの溜息を吐き出した浅野に、菫は素っ頓狂な声を漏らした。

 抜けている? 自分が? 

 他人に余り言われたことのない言葉である。

 

「抜けてるよ。というか、そもそも前提が間違ってるな」

 

 言いながら、浅野は菫の前に人差し指を突き出して。

 

「――――なんで大学に行ったらプロにはなれないみたいになってんだよ」

「…………」

「今の弘世の話を聞いてると、高校卒業の段階でプロ入りするかどうかを決めなくちゃいけないみたいに聞こえるぜ」

 

 絶句。

 浅野のその言葉に、菫は声を失う程の衝撃を受けた。

 今目の前に座る少年が然も当然のように告げたその言葉が、ゆっくりと菫の中へと溶け込んでいく。

 

「たかだか十八年生きただけだぞ俺たち。人生の四分の一も生きてないってのに、今の時点で将来の事なんて決め付けるなよ」

「……お前は、どうなんだ?」

 

 菫の問い掛けに、浅野は自嘲気味に笑った。

 

「俺は弘世と違って麻雀も上手くねぇし、勉強もそれなりだけどな。それでもプロになりたいって夢はそう簡単に捨てやしねぇよ」

「プロ? お前、プロになりたかったのか?」

「おう、誰にも言ったことなかったけどな」

 

 誰にも、ということは親友である燐にも話したことがないのだろう。

 菫は燐すら知らない浅野の夢を知り、そしてその進学先の希望を思い出す。点と点が、繋がった。

 

「……だからこその、法翔大か」

「ああ、あそこは男子も関東一分の超強豪。日本代表の相楽の出身校だからな。実績の無い俺がプロになろうと思ったら、大学の四年間で腕を磨くしかねぇのさ」

 

 何てことはない。

 菫は無意識の内に、選択肢を狭めてしまっていただけなのだ。

 あるかもしれない可能性から目を背けて、この道しか無いのだと決め付けていただけ。

 大学へ進めばプロにはなれないと考えていた。高校を卒業してプロになるか、大学へ進むかの二者択一。それが当然だと考えてしまっていた。

 

 思考の方向性を変えてみれば良かったのだ。

 浅野のように大学の四年間で地力を底上げし、堂々とプロの世界へ飛び込めばいい。麻雀推薦で大学へ進む以上、本気で取り組むことに違いはない。

 改めて考えたことで、やはり自分はプロになりたいのだと気付かされた。安定した職に就くことも悪くはない。しかし、それ以上に価値のある世界がその先に広がっている。

 

 いつだったか、燐が独り言のようにぼやいていたのを思い出す。

 

 ――――好敵手は引かれ合う。強敵たちとは、再び何処かで対峙する。

 

「……ああ」

 

 静寂に満ちた、二人だけの教室で。

 一人、少女は微笑んだ。

 

 

 

 3

 

 

 

「藤間みかん取って。あ、それロン」

「んなっ、三枚切れてる九索だぞ!?」

 

 燐が手牌を倒したのを目の当たりにして、浅野は忌々しげにみかんと点棒を差し出した。

 受け取ったみかんをわこわこと剥きながら、プロ一年目でゴールドハンド賞を獲得した少年は楽しそうに宣う。

 

「こたつでする麻雀てのも中々いいもんだね」

「そりゃそんだけ浮いてりゃ楽しいだろうよ。こちとらトビ寸前だけどな!」

「静かにしてくれ。紅白でサブちゃんが歌ってるんだぞ」

 

 思わず叫んだ浅野にすかさず飛ぶ叱責の声。長い黒髪を一つに結った少女が、浅野に厳しい目を向けていた。

 麻雀卓がぴったり乗るサイズのこたつの四方に陣取っているのは、白糸台高校を今年の春に卒業した四人である。

 集まっている場所は、菫が今年の春から住んでいるアパートだ。

 

「菫、お蕎麦食べよう」

「さっき夕食を食べたばかりだろう。それにまだ八時過ぎだ」

 

 菫の右に陣取る照は、既に年越し蕎麦に意識が持っていかれているようだった。そんな彼女の対面には点棒をわんさか抱えた燐が座り、その隣に恨めしそうな視線を投げる浅野の姿があった。

 菫と浅野の通う大学は冬休み、年内最後の海外遠征から戻っきた燐と照は正月までは休暇が与えられている。そんなわけで、久方ぶりに集まっての年越し会が開催される運びとなった。

 

「久しぶりに会う割に、懐かしい感じはしないね」

「そりゃお前と宮永は同じチームだし、弘世とは先月のプロアマ混合で会ってるからだろ」

「藤間はいなかったけどね」

「うるせえ選出されてねえんだから仕方ねえだろ!」

 

 確信犯な燐の発言に、またもや浅野が声を荒げる。

 血反吐を吐く思いで取り組んだ勉強の末、浅野はなんとか法翔大に合格した。当然のように麻雀部に入部した彼だったが、関東リーグ一部に所属するチームの選手層は並ではなかった。

 まず一回生だけで部員が三十人。単純計算でも全体で百二十人の大所帯である。

 その中でレギュラーとして試合に出られるのはたったの五人。補欠を含めても両の指で足りてしまう。

 高校時代大した成績を残していない浅野だが、プロアマ混合戦への選出基準となる公式戦にそもそも出場できていないのだ。

 

「そうコイツを苛めてやるな。それなりに頑張ってはいるんだ」

「そうだもっと言ってやれ弘世」

「最初は下から三番目くらいの実力だったが、今では下から十番目くらいになった」

「おい唐突にディスるのはやめろ」

 

 フォローしてくれるのかと思えばこれである。浅野の周囲に味方はいなかった。

 が、この程度でへこたれる男ではない。

 浅野は慣れた手つきで理牌しながら、隣でぬくぬくと暖まる燐を見やる。

 

「ぶっちゃけ周り皆強い奴ばっかだけどよ、お前とずっと打ってたからか不思議と心折れたりしねえのよ」

「もっと褒めてくれてもいいよ」

「褒めてねえよ俺のトラウマはお前だっつってんだ」

 

 一巡目、それも一発目でロンを宣言された時の絶望感たるや。しかも三倍満。

 

「でもまぁ良かったよ。なんだかんだで上手くいってるみたいで」

「今の話のどこに良い要素があったんだよ……」

「いやいや、そうじゃなくて」

 

 ニコニコと笑いながら、燐はなんの気なしに言った。

 

「藤間と菫、付き合ってるんでしょ?」

「「ッッ!!?」」

 

 途端、二人の法翔大生の顔が真っ赤に茹で上がった。

 

「ばっ、おま、何てこと言うんだ!」

「あれ? 違うの?」

「そうだぞ燐! 私とコイツは同じ大学なだけで!」

「その割には二人の距離、近くない?」

 

 そう言えば藤間の好きな髪型ってポニーテールだったな、なんてことを思い出して、燐は更にその笑みを深くした。

 

「なんだその孫を見るおじいちゃんみたいな目は」

「いやいや、俺は嬉しいんだよ。やっと藤間にも春が来たのかなって」

「違うからな! 私たちはまだ付き合ってなどいないからな!」

「菫、それ自爆」

 

 やいのやいの。

 騒がしくも楽しい今年最後の夜は、ゆっくりと過ぎていった。

 

 

 

 

 





以下人物補完。

・弘世菫
 照や淡といった手のかかる娘っ子どもをまとめ上げた姉御。でも実はちょっと乙女脳。
 なんとなく彼女は高卒でプロではなく大学へ進みそうだと思いました。
 大学卒業後はプロの道へ。最終的に日本代表の副将にまで上り詰める。
 →その時のオーダー
 先鋒:園城寺
 次鋒:辻垣内
 中堅:大星
 副将:弘世
 大将:宮永 ※すこやんは引退、咏と咲は産休。

・浅野藤間
 モブキャラからのまさかのランクアップ。
 初登場は「宮永照の場合」なので割と最古参。
 今作でただ一人ヒロインと「付き合う」まで漕ぎ着けられなかったヘタレ野郎。

 衝動的に四日くらいで書き上げましたが、
 ぶっちゃけ最後が書いてて一番楽しかった。


 

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