咲-Saki- 北大阪恋物語   作:晃甫

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園城寺怜の場合

 麻雀。

 野球、サッカーにも負けず劣らずの人気を持ち、世界中から愛されるスポーツである。プロから子供老人まで含めれば競技人口は一億人を超え、その人気ゆえ連日のようにテレビ中継が行われている。

 

 世界を席巻する麻雀ブームに於いて、日本はその火付け役と言っても過言ではない。

 近年台頭してきたアメリカやヨーロッパ、中国式麻雀として昔から馴染みのある中国と並んで、日本は世界トップクラスの実力を有していた。

 その日本国内、大阪にて。

 少年少女たちの物語は始まる。

 

 

 

 1

 

 

 

「なーなー。今度の大会は観に来てくれるん?」

「次ってーとインハイ予選のか? あー……確か麻雀部とうちの部、大会日程重なってたような……」

「ええ、またぁ? そっちはもうインハイ決まっとるようなもんなんやから、たまにはこっち応援きてぇなあ」

 

 桜が舞い散る四月の舗装された道を、一組の男女が肩を寄せ合って歩いていた。少年は引き締まった身体に長めの茶髪という風貌。肩には少し大きめのショルダーバックが、歩く少女とは反対側に掛けられている。対して少女は肩口あたりまで伸ばされた髪と華奢な身体つきが印象的だ。両手で学生鞄を持ち、なにやら頬を膨らませていた。

 少年が着用している学生服は、北大阪にある吹田実業高校という学校のものである。この吹田実業はサッカーの名門校であり、ここ十年大阪どころか関西でも負け知らず。その関西最強と名高いサッカー部に少年、二葉黎は所属している。

 部員数が軽く百人を超える吹田実業の中で、彼はMFのポジションを勝ち取っている。しかもそれは、一年生の頃から今の三年生に至るまで、途切れることなく。名門校のレギュラー争いとなれば、当然競争率は段違いに激しく、厳しいものだ。そんな環境の中で、彼はこれまで自分のポジションを誰かに明け渡したことがない。

 これがどれほど異常なことなのか、想像に難しくない。

 

「確かに春季大会に応援に行けなかったのは悪かった、謝るよ。でもこっちもキャプテンとしての仕事ってのが……」

 

 バツが悪そうに少女に向かって謝罪を述べる黎。不幸なことに、黎のサッカー部と少女の部活動の大会日程はことごとくバッティングしてしまい、応援に行くに行けない状況が作りだされてしまっているらしい。

 彼に悪気がないことなど分かり切っている少女だが、それでもやはり好きな人に自分の頑張る姿を見てもらいたいというのが乙女心というものなのだろう。行き場のないモヤモヤとした気持ちを持て余していた。

 

「なぁ、怜」

 

 怜と呼ばれた少女、園城寺怜は、横に並ぶ少年へと視線を移した。

 黎が長身で、怜が小柄とはいかないまでもそれほど大きくないため、必然的に怜が黎を見上げるような形になる。

 

 少女が着用している白と紺のセーラー服は、北大阪にある千里山女子高校のものだ。

 彼女はそこの麻雀部に所属し、そこでエースとしてその力を遺憾なく発揮している。千里山女子と言えば麻雀業界ではその名が知れ渡っていて、十一年連続で激戦区である北大阪を制し全国へと駒を進めている関西の超強豪校だ。

 昨年のインターハイでは四位に留まったが、全国ランキングは二位に位置し今年のインターハイでも優勝候補に挙げられるほど。そんな麻雀部の先鋒を務める少女が、少年をジッと見つめる。

 

「なに?」

「約束するよ。インハイ予選は観に行けないけど、インハイは観に行く。絶対だ。うちのインハイとそっちのインハイは一週間くらい日程がズレてた筈だから、重なることはまずないだろうし」

「ほんま!?」

 

 黎の言葉を聞いた怜が、子供のように目を輝かせる。黎が来てくれるということが余程嬉しいのか、これまでの足取りが嘘のように軽快なものになっていた。

 

「ほんまにほんま!?」

「ああ」

「やったー!!」

 

 両手を挙げて喜びを爆発させる怜に苦笑する黎。というか、前提として怜がインハイへと駒を進めるのが決定事項になっているがそこは触れないのが正解だろう。

 いつもの病弱だなんとか言っている時とは大違いだな、などと考えていると不意に腕に細い腕が絡まされた。

 確認するまでもなく、怜の腕だ。

 ニコニコしながらギュッと腕に力を込めてくる怜を見て、思わず黎も口元が緩む。こういうやり取りを通して、つくづく思うのだ。

 

(……やっぱ好きだな、俺は)

 

 もうじき三年になるだろうか。

 隣にいる少女と、そういった関係になってから。不意に呼び起される記憶に抗わず、黎はそっと瞳を閉じた。思い出されるのは、彼女を初めて見た、その当時の光景――――。

 

 

 

 2

 

 

 

「おはよー黎!」

「おっす竜華。朝からテンション高いな」

 

 後ろからいきなり背中を叩かれた黎が振り返ると、そこには黒髪ロングの少女の姿があった。

 季節は真冬。朝布団から這い出すだけで精いっぱいだった黎には、この少女のテンションは些か高すぎる。

 

 清水谷竜華。

 

 所謂幼馴染というやつで、家がお向かいさんということもあり知り合ってから現在に至るまで家族ぐるみの付き合いを続けている。黎の両親からしてみたら、引っ越してきた家のお向かいさんに同い年の子供がいたというのは話題的にも大助かりだったことだろう。実際すぐにこうして打ち解けることができたのだから。

 

「黎はテンション低すぎんでー? 子供は風の子なんやからもっと元気出さな!」

「いやそんなこと言えるのはお前くらいだよ……」

 

 つーか子供って言っても俺たちもう中二だぞ、などとぼやく黎。

 

 竜華は小学校時代から麻雀に打ち込んでおり、現在は千里山女子付属中学の麻雀部に所属している。三年生が引退してからは部長として部を引っ張り、全中への出場も期待されている有望な選手だ。

 

「そういえば黎。この前の試合どうやったん? うちも応援行きたかってんけど、練習試合と重なってまってなぁ」

「そんな毎試合観に来なくたっていいって。あの試合は調整試合みたなもんだったし」

「えぇ? そんな寂しいこと言うのは無しやでー黎。うちとあんたの仲やんか」

 

 そう言うと、竜華は自身の所属する麻雀部の話を切り出した。

 内容はやれ今年は全中に絶対行くだとか、やれ来年度の新一年はどんな選手がいるのかやら、最近よく時間をともにする少し病弱な友達の話まで様々。黎としては耳にタコが出来るほどに聞かされている話だが、前聞いたぞ、などと野暮なことを口走ったりはしない。

 女の子のお喋りにちゃんと付き合うのが男の甲斐性だと思っているからである。

 

(そういえば最近その病弱な子の話題増えたよなぁ)

 

 ぼんやりと、最近よく話題に上がる少女のことを考える。

 竜華曰く、病弱であるがそれを全く隠そうとせずむしろ清々しいほどに主張している少女。麻雀の腕はそれほどでもないが、センスは悪くないらしい。

 

 病弱を売りにするってどういうことだと思った黎だったが、その疑問はとりあえず自身の胸の内にしまっておく。

 

「なーなー、今年は絶対にインターミドル行くから応援来てな?」

「おう、行けたらな」

「あ、ひどっ。その言い方やと行けへんみたいやん!」

 

 ぷくーっと頬を膨らませて黎を睨みつける竜華。怒っていますという態度をとっているが、如何せん普段の竜華が温厚な性格であるためその効果は薄かった。

 

「ごめんごめん。行けるといいな」

「絶対行くもん!」

「因みに開催地は?」

大阪(ここ)

 

 黎は知らなかったが、どうやら今年の全中は大阪で開催されるらしい。それならば応援に行くのにもあまり手間はかからない。なにより竜華の晴れ舞台だ。応援に行かない理由など最初からなかったのだが。

 

「俺も頑張って全国取ってくるからさ。お互い頑張ろうぜ」

 

 そう言って、黎は竜華に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 七か月後。

 

 

 

 

 

『さあ始まりました全国中学校大会(インターミドル)!! ここ大阪の地で優勝という栄光を掴むのは一体どの学校なのかーッ!?』

 

 会場中に実況を担当する女性の快活な声が響き渡る。

 中学校三年生の夏。以前の言葉通り、竜華たち千里山女子中等部は全国への切符を手に入れインターミドルの舞台へとやって来ていた。黎は一人、会場の観客席に腰を下ろし中央に設置された巨大なモニターを見つめる。黎の両親も竜華の応援に来ていたが、清水谷家の人たちと合流して竜華たちの控室へと向かった。今頃なにかしらの激励を送っていることだろう。

 黎としてはそんなことをするのは気恥ずかしいということもあったし、なにより竜華は本番前は一人で静かに集中することを好むということを知っているので親たちに同行はしなかった。

 

 モニターではこれから始まる各一回戦の見どころなどを二人の女性が話していた。

 黎の記憶が正しければ片方の女性は竜華が言っていたプロ雀士だった筈だ。名前は出てこないが。

 

『さあいよいよ一回戦が始まります。早速紹介いっちゃう!?』

『行かない手はないよね……』

 

 なんだか漫才を見ている気がしてきたのは、きっと黎だけではない。

 

『まずはAブロック第一回戦! 南北海道の古豪、札幌東!!』

『この中学には昨年個人戦四位の谷木選手が在籍、高火力な選手が揃った今回は歴代最強との呼び声も高いですね』

 

 映された映像には通路を歩き対局室へと向かう少女たち五人の少女たち。おそらく先頭を歩いているポニーテールの少女が谷木という選手なのだろう。映された瞬間、会場の一角から割れんばかりの歓声が上がった。

 

『続いての登場は北関東を制した栃木の新鋭、六学館!!』

『ブロック予選では昨年団体八位の周皇中を完封しての優勝、今最も勢いのあるチームかもしれません』

 

 モニターの画面が切り替わり、六学館の少女たちが映し出される。アナウンサーが勢いがあると言うだけあってその表情には自信が満ちているように見える。

 

『そして石川県代表、金沢大付属中学!! 石川県大会を破竹の勢いで勝ち進んだ勢いそのままに全国でも台風の目になることができるのか!!』

『注目は個人戦にもエントリーしている縁選手ですね。彼女の的確なデジタル打ちは楽しみです』

 

 画面が再度切り替わり、赤色の髪の毛の少女や何故かポッキーをパクついている少女が映し出された。

 この中学はなんだかいろいろと個性的だな、などとどうでもいいことを黎が考えていると。

 

『ラストは北大阪代表、千里山女子!! 関西の名門校が満を持して登場ですッ!!』

『地区大会では中堅を務めた江口選手が大量リードし、大将の清水谷選手でシャットアウトというのが黄金パターンでした』

 

 モニターに映された見知った少女を見て、黎は内心で安堵していた。

 竜華は昔からこういった大舞台では極度の緊張で実力を発揮できないことが多かったのだが、モニター越しに見る限りではそういった硬さや緊張は見られない。

 

(いい状態で集中できてるみたいだな)

 

 千里山の選手がモニターに映った瞬間、黎の周囲から大きな歓声が上がる。自身は全く気が付いていなかったが、どうやらこの辺りの観客席には千里山の応援団が陣取っているらしい。よくよく見てみれば竜華が着ているものと同じ制服を身に着けた少女たちの姿が多く見られる。その数はざっと百近く、会場が大阪ということもあってか部員全員を応援として呼んでいるのだろう。其々が選手たちに大きな声援を送っている。

 と、そんな応援団の中にやけに目につく少女を見つけた。

 他の生徒たちが立ち上がるなどして声を張り上げている中、一人席に腰を下ろしメガホン片手にジッとモニターを凝視している。黎が座っているのはその少女の幾つか上段なのでこの位置からはその顔まで窺うことは出来ないが、なにやら少し華奢で触れると消えてしまいそうなイメージを抱かせる。

 

 はて、なんだか竜華の話に出てくる少女のイメージにぴったりだな。

 と黎が思っていると、不意にその少女が振り向いた。

 

(あ……、)

 

 ――――それが少年、二葉黎と少女、園城寺怜との初めての出会いだった。

 

 

 

 3

 

 

 

「おはよー」

「おはよ」

 

 千里山女子麻雀部の扉を開き、怜と竜華は室内へと足を踏み入れる。

 二人が入ってきたことに気が付いた部室内に居た少女たちはすかさず「おはようございますっ」と挨拶を行う。最早習慣と化したこのやりとりも先輩になりたての頃は違和感しかなかったが、流石に三年にもなれば先輩としての在り方というものが分かってくる。怜も竜華も後輩たちに軽く挨拶を返し、部室の中心にある雀卓へと向かう。

 足取り軽く先行する竜華の後ろを歩く怜。そんな二人が歩いていくと、周囲の後輩たちは海割の如く道を開ける。

 関西最強と名高い名門のレギュラーともなれば、同門であっても畏敬の念を抱かれるものだ。

 

 全国ランキング二位に着ける千里山の先鋒、園城寺怜。同じく清水谷竜華。

 そして二人と同じく全部員から憧憬と畏敬を抱かれる学ランを纏った少女が、先んじて卓に着いていた。

 

「おっす二人とも」

「おはよーセーラ。なんや今日は早いなあ」

 

 卓についた竜華が対面に座る少女――――江口セーラに言う。確か彼女は委員会関連の会議に出なくてはならなかった筈だったと竜華は記憶していたのだが。

 

「セーラのことや。どうせうまいこと言って早退きしてきたんやろ」

「流石怜、ご名答や」

 

 いつものことだと言わんばかりの怜の発言にセーラは笑い、竜華は頭を抱えた。

 

 江口セーラ。

 ここ千里山女子麻雀部で中堅を務める少女であり、昨年までのエース選手。男子のように立たせた赤いつんつんの髪の毛に学ラン、ハーフパンツという女子の恰好としては如何なものかと思わせる身なりをしているが、その実力は全国でもトップレベルの猛者。怜や竜華とは中等部からの知り合いで、今や親友である。

 

「さ、はやく打とうぜ~」

  

 言いながら牌を積んでいくセーラの表情はとても生き生きとしている。そんなセーラの表情に怜は笑いつつ、竜華はため息を一つ吐いて目の前の牌を積み始めた。

 

「あのー、皆さん私のこと忘れてませんかね?」

 

 卓の残る一角に座っていた少女、二条泉が片手を挙げながら控え気味に呟いた。無論、三人とも忘れていたなどということはない。セーラなど怜たちが部室に来るまで楽しくお喋りしていたのだから。

 

「あ、泉おったん?」

「園城寺先輩ッ!?」

 

 さらっと毒を吐く怜に泉の目尻に涙が浮かぶ。その様子を見ながらも助け舟を出さないあたり、竜華やセーラも泉をからかう方向で内心一致しているのだろう。

 

 二条泉。

 全国学校ランキング二位の千里山で、一年にしてその次鋒を任された期待のホープ。長い千里山の歴史の中でも一年でレギュラー入りした選手は極僅かしかおらず、セーラでさえベンチ入りがやっとだった。それを思えば、彼女がどれほど有望な打ち手なのかということが窺える。

 しかし生憎現在卓についているのは千里山の最強クラスの三年生。まだまだ一年生に後れをとるわけにはいかない。そんなわけでこれから、可愛い後輩に指導という名のハコを経験してもらおうかと画策しているのだった。

 

「さーやるでー!」

「今日は怜に勝つからな」

「それは無理やでりゅーか」

「ええっ!?」

「やっぱり私のこと忘れてませんか……?」

 

 そんなことを各々口にしつつ、対局が始まった。

 基本的に千里山女子の部活動内容はそのほとんどの割合を対局が占めており、一軍から三軍までの選手たちがホワイトボードに名前を書きだされ、その指定された卓で打つというのが流れとなっている。しかしながら部員数百名を超えるここ千里山では、一つの部室で全ての部員が対局できるほどの広さの部室は持ち合わせていない。よって一軍及び二軍の上位選手とそれ以外の部員、というように二分されているのだ。

 現在怜たちがいるのは当然一軍選手たちが集まる部室で、粛々とした雰囲気の中複数の卓で対局が行われている。

 

「そーいやぁさー怜」

「なに?」

 

 牌を切りながらセーラが怜に声を掛ける。

 

「最近彼氏くんとはどうなん? 順調なんか?」

「ゲホッ!? いきなり何言い出すんセーラ!?」

 

 予想だにしていなかった話題だっただけに、怜は思わずむせ返ってしまった。その際に持っていた牌を落としてしまった結果。

 

「お、それロン。12000」

 

 セーラに跳満を和了られた。

 

「むぅ……、卑怯やでセーラ」

「いやあ、まさかそこで九索出るとは思わんかったわ」

 

 怜からしてみればセーラの河に索子が極端に少なかったことから染めていること、この一巡先に4000オールを和了ることは分かっていたことだったが、まさかこんな簡単な手に動揺して牌を落とすことになるとは思いもよらなかった。

 悔しそうに点棒をセーラへと差し出す。

 

「園城寺先輩の彼氏って、吹田実業の二葉選手ですよね?」

「せやでー、あの二葉黎やで。うちの幼馴染さん」

「なんでそこでりゅーかが言うん」

 

 泉がその話題に食いつき、竜華が更にそれを広げる。

 

「今年の選手権、テレビで見ましたよ。準々決勝凄かったですね」

 

 言われて、怜は自慢げに胸を張った。いや、張る胸は竜華程は無いのだけれども。とにかく、自分の彼氏を褒められて悪い気はしない。

 

「確かになぁ。あんな彼氏やったら俺も欲しいと思うわ」

「セーラはどっちかっていうと彼氏役やろ」

「なんやてっ!?」

 

 怜が黎と付き合っている、というのは千里山女子麻雀部の中では既に周知の事実であり、今さらこうして騒ぎ立てることなどない。

 しかしながら、そこは花も恥じらう十代乙女。こういった色恋沙汰に敏感なのは、何処の世界の女子も同じなのだ。

 

「お似合いで羨ましいですわ。園城寺先輩と二葉選手」

「なんや泉。泉も彼氏ほしいんかぁ?」

「そ、そんなんじゃないですけど! 事実を言っただけですよ! ほら、二葉選手って大阪内にファンクラブまであるっていうじゃないですか!」

 

 泉が言ったことは事実であり、黎のファンクラブというものは確かに存在している。一年の時からレギュラーとして全国で活躍してきた彼は大阪期待の選手として幾度か雑誌にも取り上げられ、その度に女の子のファンを増やしていったのだった。

 彼女である怜としては、黎に色目を使う輩が増えるのは面白くないことである。が、それだけ人気な選手の恋人であるという事実が内心で嬉しいのも否定できないので、複雑な感情を持て余していたりもする。

 

「で、どうなん?」

「どうって、別にこれといったことはないで。いつも通りや」

春季大会(スプリング)の時の怜は不機嫌さがやばかったけど、インハイは来てくれるんか?」

「うん、向こうのインハイはこっちと日程ズレてるらしいから大丈夫やって」

「怜、顔ニヤけてるで」

「うぇっ!?」

 

 竜華に指摘された怜は自身でも全く気付かぬうちに頬が緩んでいたらしい。

 そんな様子を見て、他の三人が内心で「恋する乙女」という言葉を連想したのは言うまでもない。

 

 怜が黎と恋仲になったことについては、部員たちからしても喜ばしいことである。これまでの怜は竜華に頼り切りという節もあったが、付き合いだしたことを機になにかと一人でこなすようになっていった。

 

「さて、怜の機嫌も良くなったところで再開するか」

 

 先程跳満を和了ったセーラの親番となり、一打目を切る。

 

 インターハイ一か月前。

 千里山女子のいつもの部活風景がそこにあった。

 

 

 

 4

 

 

 

「なーなー、俺にも千里山の子紹介してくれよー」

「ほんとそればっかりだなお前」

 

 昼休み、吹田実業高校。黎が所属する教室の一角で、一人の男子が懇願するように黎にそう言った。

 因みに吹田実業は男子校である。

 

「だってお前あの怜ちゃんと付き合ってんだろ!? それだけで北大阪の男の大半を敵に回してるってのに、竜華ちゃんと幼馴染とかどんだけだてめぇ!! もげろ!!」

 

 目の前でそう叫び散らす少年の言葉には全く耳を貸さず、黎は今しがた自販機で購入したパックの牛乳に口をつける。

 黎自身、怜との仲をあまり隠し立てしていないので目の前の親友が喚いているのは仕方がないといえば仕方がない。当時は知らなかったが、怜や竜華にはファンクラブが存在しているらしい。まぁ、麻雀が人気競技として浸透しているこの世の中で全国でも有数の実力を持ち、更に容姿もいいとなれば知名度が上がるのは当然だ。

 

「まぁまぁ、一旦落ち着けよ」

「これが落ち着いていられるか!! なんでだ! なんでお前ばっかりモテるんだよ!! 俺だって選手権で活躍したのに!! 好セーブ連発したのに!!」

「……顔じゃね?」

「言ってはならないことを言ったな貴様ッ!!」

 

 男子校ということもあり、吹田実業の生徒で彼女持ちという生徒はそう多くない。スポーツの名門ということもあって皆その競技に打ち込んでいて彼女をつくる暇がない。……ということにしている。

 黎の場合にしても、もしもあの時怜と出会っていなければ未だに彼女などいなかっただろう。この恋を応援し、協力してくれた龍華には感謝してもしきれない思いである。

 

「そんな焦んなくてもさ、インハイで結果残せばお前のファンだって子がたくさん出てくるだろうさ」

「まじか」

「マジもマジ。何かに打ち込んでる姿ってのは女子から見てもカッコいいもんだって竜華が言ってたし」

「よっしゃやる気でてきたぁぁああああッ!!」

 

 これほど単純な人間というのも珍しい。

 黎は内心でそう思い、焼きそばパンを頬張った。

 

 先の県予選を順当に勝ち進んだ吹田実業高校サッカー部は、無事インターハイへの切符を手に入れた。目の前の少年もゴールキーパーとして予選無失点の恐るべき実績を上げている。部内の士気もインハイへ向けて順調に上がりつつあり、八月の本番にはいい状態で臨めることだろう。

 今日はその部活動から解放される、唯一の休養日である。

 本来であれば、インターハイへ向けて毎日遅くまで練習に明け暮れているのだが、根の詰め過ぎは怪我をするリスクも少なからず発生する。そこで月に一度は休養日として完全オフの日を定め、身体を休めることにしているのだ。この日限りは自主練も禁止の徹底ぶりである。

 

 普段練習で怜となかなか会うことができない黎は、こういった日を利用して彼女との時間を作っている。

 そしてそれは今日も例外ではない。

 逸る気持ちを抑えつつ、放課後の訪れを黎は待った。

 

 

 

 5

 

 

 

 放課後。

 千里山女子高校の校門の前には、自転車を傍らに置いた黎の姿があった。彼の通う吹田実業からこの千里山までは自転車で三十分くらいの距離で、こうして黎が迎えに行くのが常となっている。

 

(確か怜の部活が終わるのが六時頃だから、あと二十分くらいか……)

 

 一応到着のメールは入れておいたが、少々早く着きすぎたかなと黎は時計を見て嘆息した。というか、校門から出てくる千里山の生徒たちからの視線が痛い。物凄く痛い。

 女子高の校門に男子が立っているのだから幾分か目立つのは仕方ないが、通り過ぎていく生徒たちがほぼ全員こちらをチラチラと見てくるのだ。見世物にされているような気にさせられてしまう。

 

『あれって吹田の』

『なんでここに?』

『ほらあの麻雀部の』

『連絡先とか』

 

 などという声が耳に入ってくる。

 流石にこんな場所に男一人というのは心細いので、誰か見知った人間が居てくれればよかったのだが、生憎とそんな都合よく現れてくれたりはしないのだ。

 結局、怜が出てくるまでの二十分を黎は必死に耐えることとなった。

 

「ごめんな。顧問がインハイのことで色々話込んで遅れてまって」

「気にすんなよ。全然待ってなかったから」

 

 怜を自転車の後部に乗せ、長い一本道を進む。

 

「嘘や。校門の前に人だかりできてたで」

「う……」

 

 どうやらしっかりと目撃されていたらしい。黎からすれば完全に不可抗力なのだが、背後から感じる不機嫌オーラがすごいことになっている。これは何か埋め合わせしなくてはいけないかな、と黎が考えていると。

 

「……渡さへん。黎はうちのや」

 

 ギュッ、と後ろから手を回された。

 自転車の操作に集中しているため後ろを振り向けないが、怜が自身の背中に顔を押し付けているというのは感触でわかった。

 

 同年代の女子からすれば、華奢な腕。

 ふんわりと香るのは、シャンプーか何かの香りだろうか。茜色から徐々に藍色に染まっていく夜空を見上げながら、二人はしばし無言で自転車を走らせた。

 

 自転車を走らせること数十分。二人の乗った自転車は怜の自宅に到着した。既に空には星が輝き、街灯も付き始めている。

 

「ありがと」

 

 言って、怜は後部から降りる。黎も自転車を止めて彼女の後ろに続いた。

 数段ある階段を上がり、玄関前まで歩く怜。そこで、彼女はクルッと回って黎と正面から向き合った。その瞳にはなにか期待したような感情が読み取れる。そのことに気付いた黎は苦笑して、ポケットから小さな袋を取り出した。

 

「うちが何言おうとしたかわかったん?」

 

 言葉とは裏腹に、怜は満面の笑みを浮かべてそう尋ねる。

 

「当然。今日は大事な日だからな」

 

 言って、黎はその袋を怜に手渡す。「開けてもええ?」と聞かれた首肯すると、彼女は徐に袋の紐を解いて中身を取り出した。

 

「わぁ……」

 

 取り出されたのは、シルバーのネックレスだった。リングが通されたそれは、それほど高価なものではない。精々が高校生がちょっと背伸びをして買うようなものだ。

 しかし、それを怜は嬉しそうに繁々と見つめた後、自らの首に付けた。

 

「どう?」

「うん、似合ってる」

「他にはなんか感想ないん?」

 

 苦笑しつつも、怜はやがて黎の胸に飛び込んだ。それを黎はしっかりと抱き留める。

 時間が経つのも構わず、二人はしばらくそのまま動こうとはしなかった。無言のまま流れる時を堪能し終えたのか、ゆっくりと怜が口を開く。

 

「……黎。インハイ、来てな?」

 

 上目遣いに潤んだ瞳という男子を一撃で撃沈させる表情で怜が聞く。そんな彼女の頭を優しく撫でながら、

 

「ああ。絶対行くよ」

「うちも黎の応援行くから」

「前みたいに日射病で倒れないでくれな? あれまじで心配したから」

「大丈夫。今度は日傘持っていくから」

「そういう問題じゃなくね?」

 

 軽口を叩きながら、尚も二人は離れようとはしない。怜の腕は未だ黎の腰に回され、黎の腕は怜の肩にある。

 

 再び、沈黙。

 やがて二人は、口づけを交わし。

 

 

 

 6

 

 

 

『さあ始まりました、インターハイ二日目!! 今日からシードの学校が次々に登場しますッ!!』

『西東京の白糸台に北大阪の千里山。鹿児島の永水女子に東東京の臨海女子と、注目校が続々対局室へと向かっていますね』 

『さあそんな中で私たちが実況するのは第四シード、千里山のブロック!! 果たして関西最強の名門に他の学校はどう対抗するのかあ!!』

 

 実況の声が会場内に反響する。そんな声を聞きながら、黎は少女へと声を掛ける。

 

「がんばれ、怜」

「任せて」

 

 少女、園城寺怜はそう答え、対局室へと繋がる通路を歩き始めた。

 

『北大阪代表、千里山!! その先鋒を務めるのはこの人、園城寺怜!!』

 

 彼女と彼の高校最後のインターハイが、幕を開けた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




船Q「解せぬ……」


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