オーバーロード モモンガ様は独りではなくなったようです   作:ナトリウム

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第八話 信仰

 

 

「……ケイおっすさん。ノリで言ってしまったんですが、どうしましょう」

 

 

 モモンガが焦ったような雰囲気で、呟くように漏らした内容を要約するに。ちょっとばかし見栄を張り過ぎたらしい。

 実は独力での撃退は行う気がなく、拒絶させてから村人の防衛側へと周り、デスナイトよりは弱いスケリトル・ドラゴン辺りを幾らか召喚して護衛につける。もし死にそうであればバッグにある課金アイテムを渡して救出し、適当に恩を売る。そういう予定を思い描いていたらしい。

 本当は更に控えめにする予定だったのだが、ナザリックの支配者を名乗っていた事を思い出したので後に引けなくなって、受諾されてしまった事で余計に後に引けなくなったと。

 

 

「別に良いんじゃない? それにカッコ良かったよ、ギルド長。

 ガゼフと戦わせてたら向こうだって消耗しちゃうだろうし、出来れば消耗品とかも分析しておきたいし、これも無駄ではないと思うけどなー。アイテムは大事でしょ!」

 

 

 複数の天使に向けて悠然と歩きながら、かなり情けない内容の遣り取りを行う。

 指揮官らしき存在はニグンと呼ばれているらしい。幸いにもガゼフ一行は少数精鋭であり、村という人質の存在もあって、広域の範囲は必要ないと判断されたのだろう。物理的な距離はさほど離れていなかった。

 なので集合する前にエイトエッジ・アサシンたちに間引かれてしまい、集めに行くのが面倒だから出落ち的に壊滅……という状況には陥っていない。

 

 無論、彼らが逃げ出せば、数秒後にはそうなるだろうが。

 

 

「そうですね。では、伏兵などを捕らえさせて……。私の魔法では手加減が難しいと思うので、ケイおっすさん、適当に実力を測ったら捕縛をお願いできますか?

 デスナイトが簡単に手足を砕いていましたから、下手すると低位魔法でも即死させてしまいそうでして……。いや、もっと強いとは思うんですが……。魔法だと加減が難しいんですよね。

 私は情報系による監視とか、危険そうな魔法の行使とか、そちらの方を見ておきますので」

 

 

 ゆったり歩いているモモンガたちに気付いたのだろう。敵に動きが見られる。

 雑魚天使により上空からも警戒しているようで、ガゼフは村人を集めた家屋の前で守りを固めた事も把握したらしい。現在は強襲すべく速やかに集合中であるようだ。

 集まってくれた方が対処がしやすい。これもギルドマスターの戦略の内だろうか? 本当にこういう、アレコレを考えてくれるモモンガさんの戦略は凄いなー、とケイおっすは感心した。

 

 

「……やっぱり弱そうだぞ。俺、あんなのにビビってたのか?

 守護者たちの事だってな……。皆に申し訳ないじゃないか……」

 

 

 モモンガは重々しく苦渋を漏らし、ギルドスタッフを握る腕が小刻みに動く。

 幾つかの情報魔法を発動させているのだろう。ただモモンガのキャラメイクでは妨害や反撃に関する情報魔法こそ覚えていても、目の前の相手を分析するなど直接的な情報系魔法には疎い。

 具体的には敵レベルの把握に始まり、ステータスの看破、アイテムの鑑定なども含む。

 そういうのは殴り合う直前になってから行うのではなくて、マンパワーを活かした監視などで事前に済ませておく。それがデキるPKのスタイルである。戦う前に勝つという感じだった。

 

 

「ええと、ケイおっすさん、ガゼフでしたっけ? 彼の強さって分かりましたか?

 目の前の天使はユグドラシルの基準だと、物凄く懐かしいようなのばかりなのですが……」

 

 

 場当たり的な行動が多いこの状況は悪い。モモンガのような慎重派からすると不安のようだ。

 頭上の天使などを含めて弱すぎる。ナザリックの大半からすればチワワが吠えている程度の物であり、軍用犬として愛くるしい小動物を採用するような間抜けさを感じてしまう。

 セバスやケイおっすは単純に考えているような雰囲気を共有していたが、他がそうだからこそモモンガは 「なにか裏が、落とし穴があるのでは……」 と裏を疑っているらしい。

 

 

「ガゼフの強さは、デスナイトに勝てる……かも。ぐらいだと思うよ、多分だけど。

 装備の質によって変わるかな? でも今は特に身に付けてないみたいだし……。ああ、でも疲労とかあるのか。ならデスナイトの方が有利かなあ。

 ただ当てになるかというと、その。体重計の上に20グラムの塩と19グラムの塩を置いて、どっちが重いのか? って聞かれてるような話で……。それに身体構造の差異とかもあるしさ」

 

 

 怒気を発した時に感覚で漠然と察したが、時間も短かったし完璧ではなかった。

 ケイおっすにしても情報系には疎い。致死性の猛毒をぶっかけて死亡までの時間を計測し、毒のダメージから体力やらレベルを逆算する……とかは可能でも、直接的なスキルは有していない。

 この辺りは特化キャラにつきものの悲劇と言えるだろう。尖っているだけに足りない場所も多かった。

 

 だから本能などの感覚で話しているのだけれど、それだって限界は有る。

 現実のボクサーだってカブトムシの強さを感覚で測れと言われたら困ってしまう。あまりに実力差がある相手だと逆に通じない。

 普通の兵士よりは強いんだろうな、このカブトムシはツノが立派だもの。そんな風に認識するのが精々である。

 

 

「確かに。現実になってしまっただけ、強さなんてより曖昧な物になりますか」

 

 

 頷くモモンガも納得を示した。異形種にとっては自分の身体こそ証拠だった。

 単純な筋力やら体力の問題では終わらない、耐性の充実だとか生物的な限界、呼吸の必要性や視界認識の方法など、その他の要素だって総合的な判断には要求される。

 アンデッドに剣を突き入れたとして 「ちょっとダメージが発生した」 で終わるだろうが、人間には血肉と内蔵が存在するのだ。受ける被害の割合は同じでも齎す結果は歴然だった。

 

 

「スケリトル・ドラゴンと、同レベル帯のドラゴンを戦わせた、として。

 やっぱり血を流す方が不利だと思うんだ。出血とか病気とか疲労とかさ。そういう意味だとダメージを与えられない雑魚スケルトンでも、ドラゴンに勝てる可能性が出てくるし」

 

 

 現実では当たり前だが、動けば動くほど、疲労は溜まっていく。また喉の渇きや飢えなども存在するし、目に見えない部分では精神的な疲労といった問題がある。

 アンデッドにも炎などの弱点もあるが……それを引き合いに出したら、それこそ。生物には口の中や眼球、肛門、内蔵、呼吸器。それら死体には存在しない急所が無数にあるではないか。

 

 ユグドラシルには様々なアイテムが存在したが、どうも此方だと想像以上に貴重なようだし。

 馬に乗ってきた騎士の額に汗が浮かんでいた事を鑑みるに、微弱な回復効果の物すら装備していないようなのだ。弱点を晒しっぱなしで戦争に出てくる初心者を彷彿とさせた。

 彼らでさえそうなのだからマジックアイテムんは相応に貴重なのだろう。貴重とはつまり高額ということであり、此方はフリーハンドに近い状態ではないだろうか?

 

 利用方法までは思いつかないが……。ナザリックの長い手であれば、それこそ色々と。

 ケイおっすは自分なりに考えた事をメッセージで送っておく。

 

 

「ふむふむ……ああ、そうだ! こっちも発見があったんでした。

 デスナイトの持っていた武器で、こっそり手を刺してみたんですが……。此方でも上位物理無効化のパッシブスキル、ちゃんと生きているみたいですよ?

 だからケイおっすさんだと、マジックアイテムの質にもよりますけれど、この世界の武器は殆ど効かないと思います」

 

 

 楽しげに言うモモンガの言葉通り、常に発動する耐性スキルという物がある。

 ユグドラシルと同じようなシステムが働くという前提がある場合、この場で見えている天使ではモモンガにダメージを与える方法がない。弱すぎて物理や魔法の無効を突破できないのだ。

 アンデッドだから持久戦も無意味であるし。ガゼフに言った 「蟻がいくら集まっても」 というのは真実だった。

 

 ある程度のデータ量……此方では威力だろうか……がある武器でなければ、またはレベル60以下の存在が行う攻撃であれば、モモンガの骸骨のような肉体は完全に無効化してしまう。

 肉体という意味では脆弱なスペルキャスターでさえ、そうなのだ。

 やや変則的ながら耐久を仕事とするケイおっすの場合はもっと酷い。更に強烈な無効能力がゴロゴロと並んでいるし、だからこそ助力を承諾した、という面も大きかった。

 

 

「では、やりますね、ケイおっすさん。……セバス、我が隣へ」

 

「じゃあ、こっちは前に出るね、マスター」

 

 

 草原に布陣している連中の前へ向け、3人は堂々と歩を進める。

 そして無数の天使に囲まれる位置にまで、距離にすれば指揮官らしき男の顔が見える、おおよそ20メートルほどまで接近した。

 

 

「愚かな襲撃者の皆さん、始めまして。私はナザリック地下大墳墓の主、モモンガです。

 こちらは友人のケイおっす。そして執事のセバス。……単刀直入に言いますが、降伏しませんか? 今なら苦痛のない死を与えますし、情報提供に協力するならば、見逃す事も考えますよ」

 

 

 だから余程の切り札がない限りは平伏して、ただ許しを請うのが正解な訳だが……。

 優しく降伏を提示したモモンガの慈悲は、悲しい事に一笑に付されてしまった。

 

 

 

 

 

 

「はっ。我らに対し、降伏だと? 愚かな! 狂人の類か……。

 さっさと殺せ! ガゼフに逃げられるのは困る! だが、装備品は一級のようだな。死体は確保しておくように。装備を剥ぎ取れば強化に繋がるだろう」

 

 

 天使に囲まれているこの状態、彼にとっては絶対に近い自信が存在した。

 平凡な顔をした男の名前は、ニグン。彼は唯一の特徴と言える頬の傷を指で撫でながら、外見ばかり豪華に見える間抜けな3人に向けて、勝利を確信しながら命令を下す。

 

 間違っているとは言えないだろう。常識に当て嵌めればその通りなのだ。

 普通に考えれば眼前に居る異様な連中は 「周辺に部下が潜んでいるにもかかわらず、無人の荒野を征くように進む愚か者」 なのだ。

 まさか気付いていて 「害にはなりそうもない」 という理由で無視されているとは思わない。

 

 

「不運だったと諦めるのだな。なに、愚か者よ。そなたらでも神は受け入れて下さるだろう」

 

 

 情報にない事が気掛かりではある。ただし大勢に影響はない。ニグンは改めて頷く。

 貴族の三男などが夢に溺れて冒険者の道へ入る事はあるし、その際に装備品などを持ち出すというパターンも少数ながらあった。

 

 

「そうですか。残念ですね……。ケイおっすさん、任せました。

 囮にしても天使のレベルが低すぎます。これでは私が魔法を使ってしまうと、本当に皆殺しにしかならないと思いますので」

 

 

 だから眼前に居るのもその類で、ガゼフという大目標の前には、些末事に過ぎない。

 口から漏れているのは誇大妄想であろう。ニグンは不愉快げに鼻を鳴らした。

 この任務が終われば更なる栄光が待っている。公にこそ出来ない任務だが十分だ。非公式にでも人類最高クラスの人物を仕留めたという事実、それは少なからぬ栄達に繋がっている筈だった。

 

 

「っ! 何だ、忙しいとき、に……」

 

 

 そう思っていたニグンの横顔に、突如として突風が吹き付ける。

 ただ強い風という感じではなく、巨大な何かが目にも留まらぬ速度で移動したような。妙だと思いつつも顔を覆っていた手を離し、幸運にも寿命が少し伸びたであろう狂人に目を向けた。

 

 さっさと殺せ。部下にそう命令しようとして。

 そして、眼前の事実と向き合う。

 

 

「……は? なんだ、と」

 

 

 反射的に目元へと置かれた指先、それで繰り返し目を擦った。

 視線の先では巨大な天使の羽が藻掻いている、その後ろ姿には見覚えがあった。自分の横で待機させていた監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)の背中だ。

 ニグンは改めて目を擦り、瞬きを繰り返し。一瞬の内に空位となった自分の横と、何か細いロープのような物で拘束され悲鳴すら漏らしている、最も防御に優れた天使の姿を見た。

 

 

「これってレベル幾つだっけ? ユグドラシルでも居たよね、コイツ」

 

 

 楽しげな少女の声に合わせ、成人男性の身体すら軽く包む巨大な翼が揺れる。

 その様子は蜘蛛の巣に捉えられた獲物のようだった。ケイおっす辺りであれば蛾といった表現になるだろうし、ニグンであれば絵画のようだと述べただろう。

 必死に翼を動かそうとしてそれすら出来ない。いっそ哀れという言葉すら浮かぶ。

 

 右手に握るメイスはいつの間にか奪い取られており、モモンガと言ったか、魔術師らしい仮面の男が興味深げに観察している。

 ガントレットをつけた指先で無遠慮に弾くなどは天使に対する敬意も欠片もない。その冒涜的な行為に怒りを覚え 「貴様ら!」 叫ぼうとして、状況についていけず声が出なかった。

 

 

「……、……っ!」

 

 

 ニグンの口からは 「あ、ああ、ああ……」 と意味を持たない呻きが溢れるに留まる。

 夢ではないのか。あるいは幻術か。しかし残念ながらどちらも違う。伸ばした手は何者にも触れないまま、ただ虚しく空を切った。

 

 

「壊すと消えちゃうのか。味見は期待薄かなあ……」

 

 

 メイド服の少女が唇を尖らせる。脳天気な声なのに異様なほど不吉に聞こえる。

 ニグンの心臓が強く軋んだ。邪悪な何かが皮膚を透過しているようだ。息を吸い込もうとしているのに 「ひ、ひっ……」 額からは脂汗が滝のように滴っている。

 

 認めない。認められない。認めたくない。ギリギリと歯を噛み締める。

 奥歯を噛み砕くほどの忍耐の末に再び顔を上げ、号令を上げるために大きく息を吸い、ニグンは次の瞬間に後悔した。

 

 

「ば、馬鹿な! 監視の権天使の一部とはいえ、防具だぞ……」

 

 

 もう片方の手にあった円形の盾は、刹那の間に原型を失っていた。

 強く握り潰された厚紙のようにくしゃくしゃだ。構造上の弱点を突いたとか、そういう雰囲気ではない。ただ無造作に握り潰された結果として転がっていた。

 

 アダマンタイトには及ばずともミスリルは超えているだろう、つまり一流の冒険者が持つ装備に並ぶほどの、極めて硬度が高いはずの盾であるのに。

 今日だけは厚紙で作ったレプリカを持っていました。そんな冗談すら期待してしまう。

 冗談じみた態度で振り返って欲しい。そんな馬鹿げた期待すら抱いて、やはり実現しない。存在を維持出来きず魔力の粒子となって散ってしまった。

 

 

「あり得ん……」

 

 

 耐え切れずに顔を逸らせば部下たちの驚愕が目に入る。誰もが脂汗を滴らせている。

 魔法による攻撃または他の天使による援護、それらを行おうとして、監視の権天使に当ってしまいそうだから……という理由に縋りながら躊躇していた。

 

 いや、正確に言えば違う。 「全く通じない」 という結果が起きる事を恐れている。

 積み上げてきた己の研鑽と信仰の全て。高みに立つ存在だからこそ、否定される事が怖くて堪らない。

 

 

「攻撃してこないのかね? おっと、すまないな。萎縮させてしまったようだ。

 ケイおっすよ。その玩具は彼らの拠り所だったらしいぞ。返してあげてはどうだ?」

 

 

 モモンガの優しげな声が響く。大人気ないとでも言いたげな内容と共に。

 それは殺し合いの場で出して良い音色ではない。子供たちが必死に行う浅知恵を、余裕に満ちた態度で受け止めてやる、そんな格差すら感じ取れた。

 

 

「ん? ああ、そうか。コレって防御力の強化能力があるもんね。

 また呼べば良いと思うんだけど……無理そう? なら味見するのは後にしておくよ」

 

 

 ごめーんね、なんて。その声に強い嘲りが秘められている事をニグンは察した。

 そして壊れ物を扱うような繊細さで監視の権天使の身体が戻ってくる。空中をゆっくりと移動する様子を呆然と眺めながら、輝くような鎧だった物が無数の亀裂と歪みで覆われている事に、残念ながらニグンは気付いてしまった。

 

 

「馬鹿な……! 馬鹿なっ……! あり得ん! 貴様、どんなイカサマをしている!

 ありえる筈がないのだ! 貴様ごときが、こんな! 監視の権天使だぞ!? それを……!」

 

 

 力を込めて壊したと言うよりも、力加減を間違えたら壊れた。そちらの方が印象に近い。

 最初に居た位置であるニグンの隣に傷付いた天使が降ろされる。その姿にかつての威容は感じられず、無手となった両腕を顔の前で構える様子は、あり得ない事だが恐怖と絶望に囚われているようだった。

 

 ニグンの持つ生まれながらの異能、タレントと呼ばれる力によって、召喚された天使たちは強化されている。特に監視の権天使となれば視界内の天使たちを強化する効果があり、発生した相乗効果には絶対の自信があった。

 人間を極めた存在ですら一撃では倒せない。削り殺す事は可能だとしても、こんな、物のついでのように握り潰されるかも、などとは。絶対に認められない。

 

 

「お、お、愚か者め! 貴様らは、切り札となる物を、自ら手放したのだ!

 それを身をもって後悔するが良い! 総員、天使を突撃させよ! 魔法による援護を行え!」

 

 

 絶叫に近い号令がニグンの喉から迸る。噛み締めた歯茎からは血が滴っている。

 自分の言葉があまりにも頼りなく感じられた。本当に通用するのだろうか? 神の威光は彼らを滅する事が出来るだろうか? その答えは 「分からない」 だった。

 第三位という高等技術を修めている筈の組織が、法国に存在する頂きの一つと言っても良い陽光聖典が、一方的に恐怖するなどあり得てはならない筈なのに。崖に向かって飛び立つような不安感が拭えない。

 

 ニグンは部下と共に短い祈りの言葉を紡ぐ。信仰により心の鎧を構築しなおし、額の汗を強引に袖で拭った。己の胸を殴りつけると強引に深呼吸を行う。

 手元へ戻って来た監視の権天使が腰を据えた事で、防御効果が復活した事を感覚で察する。

 ならば大丈夫だ。きっと大丈夫だ。我らが信じる神は我らを見捨てる事はない。ニグンは拭い切れぬ額の汗と不安を意志の力で跳ね除けようとする。

 

 

「おおー! でも、見慣れた魔法ばっかり……。他には無いの?」

 

 

 聖なる光、毒を伴うガス、盲目の呪い、火の玉、不可視の鉄槌。

 散会していた筈の部下たちがいつの間にか集合し、怯えた顔で左右に固まっている。ニグンが叱責を交えながら指示を出すと一斉に魔法を開放して攻撃を放った。

 

 左右からの十字砲火が飛ぶ。たった独りのメイドに降り注ぎ、そして無駄に終わる。

 メイド服に焦げ跡どころかスカートを揺らす事さえ無く消えていくのだ。的はずれな流れ弾でさえ透明な壁でもあるように掻き消され、背後の魔法使いや執事へと一発も辿り着けない。

 理解が及ばぬ結果にニグンの視界が揺れる。部下たちからは悲鳴が上がる。

 

 

「た、隊長! 魔法が通じません! ど、どうすればいいんですか!?」

 

「知らん! 俺はお前たちの母親では無いのだぞ! 未知の手段だ、対処を考えろ!」

 

 

 もし尋ねれば答えてくれただろう。 【マナ・イーター/魔力喰い】 のスキルであると。

 低位魔法ごとき単純に指で掻き消している。彼らには残像の目視すら難しい速度で飛び回る指先、幾多の生物を混ぜあわせたような無数の顔を持つ、悪意に満ちた造形を見せつけながら。

 そして同時に突撃した天使は……3歩すら前に踏み出す事が出来ず消え失せた。何か斬撃に似た物が天使を攫ったのだ。

 

 一瞬だけブレた天使の姿と、空気が裂かれた音だけが、痕跡の全て。

 何処へ消えたかニグンには分からない。きっと碌でもない場所だろう事だけが理解できる。あの女の胃袋の中が有力だろう。喉の奥に苦渋を通り越して胃液そのものが溢れてきた。

 

 

「ふーん。魔力って、甘いんだね? ……量が少ないからか、随分と薄味だけどさ」

 

 

 何かを味わうように指先を唇に押し当てている。その少女の様子がこの上なく恐ろしい。

 まさか、と湧き上がる不吉な思いを即座に否定した。もし認めてしまったら次は自分が、瞬きをするだけで自分の全てが、ただ意味もなく終わってしまうような気がして。

 

 

「じ、時間を、時間を稼げ! 最高位天使を召喚する!」

 

 

 ニグンはチラリと自分の横を見て、未だ立つ監視の権天使を突撃させようか悩んだ。

 他の天使が1秒と持たず食われた現在、まともに動けそうな手札は極めて限られる。もはや是非も無い。それは理解しているのだが、もしかして防御力増強効果が無いと負けてしまうんじゃないか。けれど、もし召喚する前に押し込まれたら、なんて。

 

 普段のニグンであれば働くであろう思考能力、この事態を前にして完全に混乱していた。

 必死に動き続ける部下を一瞥し、その動作は見る影も無くなっている事に舌打ちをする。

 涙すら零しながらスキルを行使し、駄々っ子のようにスリングによる鉄球や短剣、中には武装である槍や剣までもを投げつけ。その全てが効果を発揮しない。

 

 

「ふふ、楽しくなってきたよ。キャッチボール!」

 

 

 大半の口からは嗚咽が漏れている。その理由をニグンは漠然と察した。

 魔法でも武器による攻撃でも、命中の瞬間に攻撃者へ向けて微笑んでいるのだ。

 返されたら確実に死ぬ。その確信を乗り越えて放った一撃が、己の人生を費やして磨いた一撃が、ただ子供の悪戯のように優しく受け止められる。それがどれほど心を踏み砕く行為であるかなど考えたくもない。

 

 微笑みの下は悪意に満ちていた。攻めてこないのも同じ理屈だろうとニグンは判断する。

 獲物が抵抗するのを楽しんでいるのだ。他ならぬ自分も過去に行った事がある。神を知らぬ愚か者に対し、肉の塊に変える前の慈悲の一環として。

 自分がそれを行われている。そう行き着くと、ニグンの精神力を持ってしても足が震えた。

 

 

「今に、今に見ておれ……! 貴様らなど、この威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を開放すれば……!」

 

 

 馬鹿め、その傲慢をへし折ってやる。

 神の意思は我が心に、神の力は我が懐に存在するのだ。

 

 溢れそうになる不安を一喝する。ニグンは恐怖を信仰と怒りによって思考を塗り潰した。

 メイドから視線を切らぬよう、極限の集中を続けたまま監視の権天使の背後に隠れる。相手が自分たちを舐め切っているのは態度からも明らかだが、まだ切り札が残っていた。

 

 ただし、未知の手段によって遠距離での攻撃を行える相手だ。注意しなければ。

 この一国をも滅ぼせる天使を封じた、法国でも有数の切り札であるクリスタルを奪われる未来など、想像もしたくない。人間の未来が終わってしまうかもしれない。

 瞬きさえ行わずにメイドと手中の結晶を凝視し続ける。ニグンは震える腕を抑え込みながら、開放の手順を行おうとして、ふと自分の背後に影が差すのを感じた。

 

 

「へぇ、魔封じのクリスタル?」

 

 

 耳元で。

 声がする。

 

 無邪気に笑う声がする。

 

 あの女の声がする。

 

 

「あれ? そのクリスタルって……。それに威光の主天使を封じてるの?

 なんて言うか……勿体なくない? そんな雑魚でいいなら普通に呼べば良いのに。それともやっぱり呼べないの? いや、こっちのオリジナルモンスター?」

 

 

 ニグンは瞬きすら忘れて眼前を眺める。メイドの少女は定位置から消え去り、そして部下たちは全て倒れている。一瞬たりとも目は離していない。なのにどうして?

 頬を撫でるのは真冬の風よりもなお冷たい風だ。振り向きたくない。絶対に振り向きたくない。振り向いてはいけない。地獄から噴き出すようなオーラが肌を泡立てる。耳のすぐ後ろから吹き込んでいる。

 監視の権天使は……。極僅かだけ視線を動かす事に成功し、巨大な顎が飴玉をしゃぶるように天使の頭を覆っているのを目の端に目撃してしまう。もはや何も言えなくなった。

 

 

「ねえねえ。それで出てくるのって、あの翼の塊みたいなヤツ?

 ちょっと興味あるんだけどさ、あれの翼を全部引っこ抜いたら、何が残るの? 知ってる?」

 

 

 長過ぎる指先が……。幾多の昆虫や動物で構成された、鋭い刺を持つ長大な指先が、ニグンの肩越しに伸びて。手の中にあるクリスタルを指し示した。

 あまりの恐怖に何も言えない。おぞましい、そうとしか言えない異形の指が、その指から生えている感覚器官が、物言わぬ視線だけを送りながら、ただ舐るように自分を観察している。

 その中には明らかにヒトに由来する構造も存在していた。そして知性ある存在特有の粘り気を感じる。昆虫のような異形からでさえ。

 

 背後に居るのは、いや、自分たちが対峙していた存在は、何だと言うんだ。

 ニグンは呼吸を求めて口を開く。だが全身を覆う重圧により肺が動かない。口の中が猛烈な勢いで乾く。肺という臓器が鉛に変わってしまったようだった。

 

 

「……? ああ、後ろに回るのにスキルを使って動いたから、ちょっと緩んだのか。

 驚かしちゃったかな、ごめんね、アイテム好きだからさ、興味があって……。ちょっと待っててねー、今戻すから」

 

 

 身動ぎすら取れずに固まっている。ニグンの背後で、肉と骨から成る異様な音が響く。

 滑らかすぎる動きで異形の指先が下がっていった。それに合わせ耳を塞ぎたくなるような、人間を丸のまま咀嚼していそうな音が活性化する。人ならざる影が異様な形へ歪む。人型に押し込まれるように凝縮していく。

 唐突に音が止むと 「そこまで怖がってもらえると、なんか恥ずかしいなあ」 照れ臭そうな様子でメイドの少女が目の前へと回って来た。

 

 

「お待たせ。無駄だと思うけど、召喚しても良いよ? でも、どうせなら欲しいなあ、それ」

 

 

 圧し潰すようなオーラも消えている。目の前の少女からは何も感じない。

 しかしニグンの目にはおぞましき化け物の姿が重なって見えた。それが恐怖による幻覚なのかさえ判別がつかなかった。

 

 美しい姿であるからこそ余計に恐ろしく感じる。金と銀の髪が風で揺れている。

 天使のような姿だが、果たして。自分の目だけが壊れているのではないだろうか。もう目が信じられない。

 世界はもしかしたら、自分が知らないだけで……目の前にいるコイツのように……。

 自分を見上げている少女の微笑みが、微笑んでいるのが、どんな猛獣より怖い。どうしようもなく恐ろしい。酸欠による激しい頭痛に襲われるのをニグンは感じた。

 

 

「何なんだ、貴様らは……。神が、お許しになる筈が……」

 

 

 威光の主天使が封じられているクリスタルを握ったまま、ニグンは呟きを漏らす。

 もはや手の中のそれに縋りつく気にはならない。クリスタルの輝きは陳腐なガラス球のように感じられ、封印されているはずの力は子供騙しのようにしか思えなくなった。

 召喚しても無意味だろう。ニグンでさえ絵画でしか知らなかった威光の主天使の姿を言い当て、その名を聞いてなお舌なめずりをする存在を前にしたら。半ば確信に近い諦めが心を埋める。

 

 

「んー、疑問だけど、神様って居るの? 祈ったら助けてくれるの?」

 

 

 珍しく悪意の欠片もない言葉。ただ純粋に疑問を抱いたらしい。

 ニグンは沈黙してしまう。手の中にあるはずの神でさえこの女は玩具のように笑っていた。

 ならば自分の信仰は何処に向かえばいいのだろうか。その言葉に対する答えを、少なくとも現在のニグンは、持っていなかった。

 

 少し前の自分であれば一蹴した筈だ。しかし現在は何も言えない。

 神の存在についての議論は、他国で行われるその冒涜的な会話に対抗するために、様々な実験を含めて行われている。そのような知識は有しているが、意味のない行為だと思っていた。

 しかし現在はその実験に参加したい気持ちでいっぱいだ。今の自分では神に祈る事が出来ない。手中にある奇跡に頼りたくも頼れない。

 

 もし実行したら、実行してダメだったら、全てが折れてしまうような気がした。

 

 

「神は……、神は、かみ、は……」

 

 

 神は居るのだろうか。本当に。信仰に応えてくれるのか。それとも……。

 否定する。否定してしまう。自分の人生が無意味な物だったのか? 居もしない者だとしたら、真の悪魔を前にしたら無力な存在だったら。他でもない自分が認める事になってしまう。

 

 

「ボクはあんまり信じてないんだけどさ。仕事しないなら、居なくても同じでしょ?

 でも魔法とか、不思議な力がある世界なんだから……。もしかしたら、ねえ?」

 

 

 無邪気な少女のように笑う、その姿を見て、ニグンは悟る。

 瞳の奥にあるのは……圧倒的強者の眼差し。それも動物に近い。捕食者が餌を見る目。

 それに気付いた、気付いてしまった。生理的な恐怖がニグンの胃を締め上げる。呼吸も満足に行えず喉が笛のようにヒュウヒュウと鳴る。視界が揺れる小舟のごとく翻弄される。

 鍛え上げてきた筈の精神が崩壊していくのを感じた。極度の緊張のあまり意識が薄れていく。

 

 

「化け物め、化け物どもめっ! ……ちくしょう。人の世の、終わり、か」

 

 

 ああ、神というやつは、今も見ているのなら、この上ない性悪だな。

 そして思う。クソッタレの傍観者め。この女に食われてしまえ。

 

 

「神の居ない世界など、俺は御免被る!」

 

 

 ニグンは懐から短剣を抜いて、狂ったように笑いながら少女の顔面へと突き立てた。

 渾身の力を込めた腕を振り下ろし、だが 『キンッ』 と硬質な音が発されるのを聞いて、ニグンは肩で息をしながら 「やっぱりな」 と呻いた。

 

 ミスリルの刃では届かなかった。どうやら彼女の眼球にすら劣る強度しか持たぬらしい。

 滑りそうになった切っ先は閉じた目蓋によって優しく摘まれ、引き戻す事さえ不可能になる。

 

 

「終わりかな? バイバイ、あんまり面白くなかったよ」

 

 

 そして、少女の両手がニグンの顔に迫ってくる。

 抱擁を行うように優しげな、人形のような顔が微笑みながら近づく。ただしその口内からはギチギチと牙が擦れ合う音が響いている。決して人の身では在り得ざる音が耳を叩いていた。

 美しく見える手袋も異様に脈動している。壊れ物を扱うように頬を両手で包まれ、だが万力のように強い。

 

 皮膚に食い込む感触は異様の一言だ。昆虫のようでもあり動物のようでもあった。

 恐らくは人が決して知るべきでないのだろう。こんな化け物が存在すると知ったら、人の闇に潜んでいるのだと理解したら、社会を作る事は出来ない。愛すべき隣人が信用できなくなる。

 

 

「……やだ」

 

 

 ボコボコと肌そのものが沸騰しているような。

 硬さ、柔らかさ、粘着質。目まぐるしく変異を続けている、そんな少女の肌に触れ合う。

 振りほどきたいのに毛筋一つさえ動かない。安らぎを伴う甘い香りが少女から漂っているのを感じる。それですら拒絶の対象であった。

 

 想像を絶する恐怖と絶望。ニグンは己を構成する魂の一部が砕けるのを感じた。

 特別な魔法ではない。単純に怖かったのだ。頭蓋骨と共に心が軋む。正気が失われる。幼い頃の悪夢が目の前にある。パパもママも、ボクにはもう居ないのに。

 

 

「は、ははは、これは、ゆめだ、ゆめだ、やだよ……」

 

 

 股間から生暖かい物があふれるのを感じつつ、ニグンの脳裏で走馬灯が浮かぶ。

 何で俺は聖職者なんて道を選んだのだろう? 小さい頃は絵描きになりたかった。教会で見た天使様の絵が切っ掛けだったと想い出す。それで憧れを抱いてしまった。

 信仰なんて虚構に、騙されてしまったのだ。とんだ茶番に付き合わされた。人生を無駄にした。

 

 

「ママ、パパ。助けて、怖い夢が来るんだ……」

 

 

 自分の腕からクリスタルと短剣、そして自分の全てだった物が滑り落ちていくのを感じ。

 急速に訪れた眠気を、ニグンは諦念と共に受け入れる。

 

 

 


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