オーバーロード モモンガ様は独りではなくなったようです 作:ナトリウム
まず気付いたのは。不規則かつ異様な鼓動の響きであった。
胸の中だけではなく全身に散らばっている。まるでバラバラの材質を圧縮して、身体の中に押し込んでいるような、脈動する軋みが指先まで走って行く。抑えた顔の下で肉が動いている。
「う……なに、バグ?」
不可思議な衝動に襲われたケイおっすは顔を顰めた。
一瞬の立ち眩みと似ている。だがどうも調子がおかしい。目を閉じているのに周囲の様子が見えている気がするし、実際に玉座の上で取り乱しているモモンガの様子が理解できていた。
それだけではなく背後に当たる壁とか、待機の指示により平伏している執事……確かセバスだったか? が、僅かに訝しげな表情を浮かべる事さえもが見えているし、玉座の横、ケイおっすとは逆側に立っているアルベドが、その嫋やかな黒髪を流しながら小さく首を傾げる様子も把握できている。
「ケイおっすさん、ログアウトが……!?」
顔を上げたモモンガが唖然とした表情で口を開けた。ちょっとコミカルだ。
ケイおっすはそれを手のひら越しに見る。目を閉じているどころか手で顔を覆っているのだが見えてしまう。
「どうしたの? マスター? こっちの顔に……顔に、あれ?」
自分の顔はどうなっているんだ。そう思考しただけで、ケイおっすの顔が視界に写った。
指の隙間から見えるのは不規則に色を変える異形の瞳である。だが目があるべき部分以外にも無数の瞳が生まれて周囲を伺っていた。
意識を動かせばTPS視点のゲームのように視界が動く。360度どちらへも見える。
顔だけではなく手や足にも視点は存在するようで、内部から触手がのたうっているように変形する両足と、股間を包む純白のパンツが眺められる視点さえ存在していた。気持ち悪い。
「だ、大丈夫ですか? 困ったな、GMコールも出来ないようで」
ケイおっすは深呼吸して余分な"目"を閉じた。それに合わせて全身の脈動も収まっていく。
口を開こうとして、自分の舌が7枚ほどに分裂している事に気付いてしまう。中には舌と言うべきかエイリアンの第二口のような、ガチガチと昆虫に似た牙を鳴らす物もあった。
それらも努めて人間の物へと戻していく。全身を軽く震わせて変身を行き届かせた。
「マスター、どうやら、厄介事だよ」
無数の声が重なって響き、ケイオッスは驚いて口元を抑える。
唖然として目を見開いたのがモモンガにも分かったのだろう。ユグドラシルではマクロにより表情を変える事は可能だったが、今のようにごく自然に動かそうとしたら、よほど精密に組んだ上で演技を合わせるしか無い。自然に行うのはほぼ無理である。
そもそもボイスの変更は課金要素であるが、複数の声を同時に発する事はできない。仕様として決まっている問題であるから、クライアントの改造でも行わない限り不可能な行為である。
「……一度、戻りましょう」
広々とした玉座の間では落ち着いて会話するのも変な気分だ。ケイおっすも頷いた。
ギルドの象徴が床を打つ音を聞きながら玉座を離れる。ふわふわした絨毯を踏みしめ、何処か適当な部屋に入ろうとモモンガの後に続いて。自然な動作でセバスという執事NPCに迎えられた。
「何かございましたか、モモンガ様、ケイおっす様?」
初めて聞いた執事の声に身体が強張った。いい声してやがる、なんて思考の隅で思う。
驚いて振り返るモモンガに首を振ってアピール。今は冗談などやっている余裕はない。仮に腹話術だとしてもNPCを動かすには声での命令が一般的なのだ。自発的には動かないのが普通である。
「あ、ああ、セバス」
足を止めながら名前を口に出し、しまった、という顔をしたのが雰囲気で分かった。
伏兵している背中を眺めながら、モモンガはその外見にそぐわぬアウアウといった感じで、骨の顎を動かしている。
具体的な情報が何一つ無い状況なのだ。焦って当然だった。
モモンガはギルドマスターではあるが、下手すると設定が変わっており、敵対的な侵入者として扱われる危険さえある。特に背後に居るアルベドはワールドアイテムさえ所持しているのだ。戦闘メイドたちと連携して襲ってきた場合、正直に言って勝てるかどうかは厳しいだろう。
ケイおっすは変則的なタンカーなので耐久力は極めて高い。だが攻撃力はさほどではない。
ガチタンと呼べるぶくぶく茶釜と比べれば劣るけれども、モモンガを背にして魔法を連発してもらえば、そう簡単には死なないと思いたいが……。
正直、ちょっとのミスで死亡に繋がる可能性は十分にあると判断していた。
「そ、そうだ。マスター、情報を調べてもらったら? アルベドには全体の指揮を」
「お、おう。そうだな! セバス、早急に情報を集めよ。アルベドは警戒態勢を敷け。
この大墳墓にも異常が起きているやもしれぬ。守護者たちに変化がないか、内部に異常が発生していないかを確認し、次いで周辺も探索するのだ。範囲は1キロで良い。動物の有無、特に知的生物の存在が知りたい。発見した場合は交渉し、友好的ならば連れて来い。だが戦闘は避けろ」
セバスたちの様子を見る限り、どうやら命令権は生きているようだ。
矢継ぎ早に支持を飛ばしたモモンガに近寄ると、ケイおっすは自分の身に起きた変化を伝える。その証拠して手袋の内部から、ムカデに似た昆虫の一部を生やしてみせた。
モモンガは明らかにギョッとしていたが無言で口を閉じる。どうやら力が消えた訳ではない、と気付いたのか安堵した様子を見せ。手の中のスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握り締めた。
「何が起きたのか……分からないけど」
「そうですね、まずは落ち着きましょうか。ありがとうございます、ケイおっすさん」
言いながら骨だけの右手薬指を立て、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをチラリと見せつけた。 「第二休憩室でいいでしょう」 言いながら指輪を光らせる。
ナザリック内部で無限のテレポートを可能にする指輪だ。ケイおっすも体内に取り込んでいるリングの存在を探る。胃が反転するような違和感が喉まで持ち上がり、細い首筋からタコに似た触手がズルリと顔を出した。
その先端には同じ指輪がぶら下がっている。この状態でも使用は可能らしい。
それを見たモモンガは腰が引けていたが、メンバーを怖がるのはあってはならない、と思ったのか、歯を食いしばる様子を見せるとケイおっすの肩に手を置く。
身長差が大きいので子供と大人のようにも見えるだろう。 「サンキュ、マスター」 頷いて発動させた。
「くはぁ……。驚いたよ、まさかこんな事が起きるなんて」
現実では有り得ない程に豪華絢爛な、しかし懐かしい部屋が視界に広がる。
軽く見回してNPCなどが誰も居ない事を確認。ケイおっすは耐えられないとばかりにふかふかのソファーへと身体を投げた。
中身には異形の肉体がミッチリと詰まっている割に、その体重は見た目通りの軽さらしい。クッションからはぽふんと空気が抜ける音が響く。
「ですね、疲れました……。明日、4起きなのになあ」
モモンガも適当なソファーへ身体を預け、綺羅びやかなシャンデリアに目を細めた。
言ってから自分の行動を思い出したのだろう。 「ケイおっすさん、私がメールなんか送らなければ……」 骸骨の顔に泣きそうな雰囲気を張り付かせた。
ケイおっすは首を振ってそれを否定する。目を閉じてこの世界に思いを馳せる。
ユグドラシルにINしたのは自分の意志だ。きっかけになったのは事実だが、そんな責任までマスターの背中に背負わせる気はない。骸骨の細い背骨が折れちゃうよ、と口の中で笑う。
「いいんですよ、向こうでは天涯孤独になってしまいましたから……。嫁さんどころか恋人も居ませんでしたし、クソ上司とも反りが合わないですしね。
これ以外に趣味が無かったので、置いてきてしまった貯金は、マジで勿体ないんですけど。
……おっと、こんなキャラじゃないですな、失敬失敬」
軽く降っていた左手を、そのまま自分の細い顎に指を置き 「考えようによっては、こっちなら大金持ち! ボク大富豪だよ?」 元気づけるように調子よく叫んだ。
明らかに人間でなくなってしまったのは、ちょっと抵抗があると認めよう。だがギルドマスターだってアンデッドになっているのだ。自分だけではない。
「そうですね。ユグドラシルの金貨なら、プールに入れて泳げるほどあるでしょう。
食料の生産についても、マジックアイテムで間に合うでしょうし……。最悪、本当にこのナザリックだけになっても、守りを固められると思います」
「おお、さすがマスターだ、思慮深い。でも危険なんてあるかな?」
自分たちはカンストレベルまで鍛えてある。武器防具だって最高クラスだ。
それにナザリックの防御力と来たら並大抵ではないと断言できた。外が天使系モンスターで満ちた天界フィールドの最上位かつエリアボスつき、とかだと被害は出るだろうが。それでさえ対策はあるから、立て直したがちょっと面倒だなあ、ぐらいで終わるだろう。
膨大な数のプレイヤーでさえ跳ね返した実績がある。普通なら心配の必要すらない、とケイおっすは首を傾げる。
「用心するに越したことは無いですし。臆病なだけですよ」
「そうだねえ。ボクも自分の身体について、まだ完全には把握できてないし」
ケイおっすはだらしなく足を持ち上げる。ロングスカートが捲れて膝まで顕になる。
万単位を費やしたアバターだけに肌も滑らかで美しい。思わず頬ずりしたくなるようなおみ足をぼんやりと眺め、モモンガが困った顔を浮かべているのに気付いて足を戻した。
意図的に作られた不気味さ以外は非常に整っている。骨格を無視して柔軟に曲がる自分の翼に手を伸ばすと、口元に近づけて匂いを嗅いだり舐めてみたり。未だ実感は沸かない。
「そうだ。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>があった!
城下町の様子でも見られれば、参考になるでしょうしね」
アイテムインベントリから無限の背負い袋<インフィニティ・ハヴァサック>を取り出す。ケイおっすもいいアイディアだと言いながら自分の分を探った。
もし他のプレイヤーたちも転移しているならば、他人との接触を求めて、露天などで賑わっていたイメージのある場所へ向かうだろう。いそいそとソファに座り直し鏡を起動する。
「……? あれ、草原? 壊れた訳じゃないよね」
だが予想に反し、鏡に写ったのは一面の草地であった。
手を動かす事で右や左へ移動できる事には直ぐに気付いた。モモンガとケイおっすの二人はパントマイムでもしているかのように腕を動かし、懸命に映る範囲をズラしていくが、それでもおもしろみのない草原ばかりが表示される。たまに動物がチラチラと見える程度である。
機能が追加されたのは嬉しいが、示すべき座標がズレてしまっているのだろうか。
俺は草原じゃなくて街が見たいんだよ。強制パントマイムに苛立ちながら腕だけで踊り続けていると、ケイおっすは偶然に角度の調整を発見する。
遠く見える山々と広々とした草原。端っこにナザリック周囲にある外壁も見受けられた。
「まさか、本当に異世界なのか? 毒の沼地が浄化された、という訳でも……」
手招きして呼び寄せると、モモンガでさえ地形の変化に驚きを隠せない。
慎重に手を動かして角度の変更を繰り返し、やはりナザリックであるという確信を抱く。外観は変わっていなかったが雰囲気は随分と違って見えるのは、環境の変化のせいだろう。
オドロオドロしい毒沼と、ごく普通そうに見える平原。差が出るのは当然の事である。
「うーん、他に何かは……。お? 騎士が見えた。でも弱そうだなあ」
再び腕を振る作業に戻って。暫く続けていると、今度は人間と馬の一団を発見した。
視点を暴走させないよう慎重に鏡を操作し、頭上から見下ろすような形で姿を捉える。大雑把に数えて10人とちょっとか。トロそうな馬に跨ったトロそうな連中だった。
ユグドラシルでは馬以外にも騎乗できるモンスターは多い。それらを知っている人間から見た場合、全力疾走でないにしても徒歩並みのペースは、少しばかり遅すぎるように感じる。
最低レベルの傭兵よりはマシな装備をしているけれども、武器防具は魔法の雰囲気が感じられない単なる道具だし、馬だってあまり大きくはない。ポニーよりマシな程度である。
足の太さや上に乗っている人間の格好を見るに、乗馬クラブの遠乗りではなく任務に付いている軍馬である事は違いないだろうけれど、勇ましさが足りないのとサイズの関係で見窄らしく感じた。ユグドラシルであれば畑を掘り返す姿の方が似合いそうだった。
「ふむ、確かに。コイツ、何処に向かっているんだ? まさか、ナザリックの存在が?」
すわ侵略軍、いや偵察兵か。最悪の想像にモモンガの声が強張った。
ケイおっすは不思議そうに首を捻ったので説明される。これほど早急に国家が対処してきたのであれば、準備不足も甚だしいナザリックは不利になってしまう、かもしれない。そう言われて納得する。
強さでは負けないだろう。だが情報で負けているのは気分が悪いのは確かだった。早急な対処が必要だ。
「失礼します、モモンガ様、ケイおっす様。調査結果の報告に参りました」
顔を見合わせたタイミングでドアがノックされる。モモンガが許可を出すといかにも有能な執事らしい動きでセバスが入室した。
その表情を見るに致命的な事は起きていないようだ、とケイおっすは胸を撫で下ろす。
実際に行われた報告にしても想定の範囲内で、ユグドラシル時代と比べると……モモンガの主観では……多少の差異や齟齬は発生しているようだったが、特別報告する程の内容だとは判断されていないらしかった。
今のNPCたちであれば柔軟に対処できる範囲内であるらしい。確かにセバスなら大抵の事には対処できそうである。彼を営業に出せばその会社の業績は鰻上りだろうな、とケイおっすは呟く。
「シモベに命じて周辺地域を探索させましたが、既存の地形とは一致しませんでした。瘴気が存在しないことや毒沼の消失と合わせ、完全に未知のフィールドであると思われます。
また隠蔽を施した騎乗兵により上空からの偵察を行わせた結果、ナザリックから南西方向へ2キロ程度の地点に、人口100人程度と思われる小規模の村を発見しました」
堂に入った見事な報告態度だ。物語に出てくる貴族より貴族らしい。
ケイおっすはふんふんと頷きながら、その村の存在というのに注意を惹かれていたが、モモンガはセバスというNPCを作り上げた仲間たちとの日々を思い出したのか、そちらの方を感慨深げに頷いている。
対処はマスターに任せるよ。ケイおっすは丸投げする事にして、再び鏡の中を覗き込んだ。
あの騎士たちがナザリックへ向かっているのか? それとも報告にあった村に入ろうとしているだけなのか。そこは間違いなく抑えておきたい。
「ふーむ、そうだ、村の様子が詳しく知りたいな。シャドウデーモンを送り込めるか?
仮に侵入が困難であれば、更に上位のモンスターでも構わん。未知の探索スキルがあるかもしれないしな、注意しておけ。
出来れば戦闘能力についても知りたいが……。戦闘は避けろ。それと、人間の騎士が周辺をうろついているらしい。そいつらに目立った動きがあれば報告するんだ」
モモンガが命令を終えると、セバスは優雅に受諾の意思を示す。
退出していく彼の背中を楽しげに眺め 「ギルドは……アインズ・ウール・ゴウンは、ここで、彼らの中で、生きているのだな……」 と感慨深そうに身体を震わせる。
「こっちは、ここで待ってるから。守護者たちに会ってきたら?」
ケイおっすが提案すると 「あ、いや……。うむ、頼む」 と照れ臭そうに頬を掻いた。
誰よりもギルドメンバーたちを思っていた人間だ。かつての黄金の日々を思い起こさせるであろうNPC、いや守護者という分身の存在は、モモンガの心を強く揺さぶったに違いない。
ギルドは抜け殻ではなかった。皆の分身が居た。あの日々は消えていなかった。
その事実は確かに、ケイおっすの心も強く震わせているのだし。