やはりこの世界にオリキャラの居場所が無いのはまちがっていない。   作:バリ茶

8 / 12
8話 俺達に居場所はない

 太陽はすでに落ち生徒たちが妙なテンションに陥り始める夜の旅館。そのロビーに設置してあるソファに座って自動ドア式の出入り口を凝視し続けている不審人物が一人。

 

 はい、俺です。いやぁほんと何してんだか。

 盗撮機に煽り全開の台詞を吐いたあれから、旅館に戻って数分で自分の間違いに気づいた。

 

 よく考えなくても分かる事だったのだ。修学旅行に来てまで一個人をストーカーするような危険人物が逆上したらどんなことをするのか、なんてことは。

 

 なのに俺はアイツを挑発するようなことを言って勝利した満足感に浸っていた。

 明らかな失策。証拠を掴んでから改めて行うような行為では無いだろうに。

 

 他にやりようはいくらでもあった。具体的な解決策は今でも思いついていないが、それでもあんなことは普通しない。

 

 テンションが上がっていた。調子に乗っていたのだ。何でも出来る気になって、更にトントン拍子に事が上手く進んでいったものだから、完全に冷静な判断力を欠いていた。

 

 

 まぁ、過ぎたことをいつまでも悔やんでいても仕方ない。失敗はこれから正せばいい。

 ということで、とりあえず俺はこのロビーであの男が現れるのを待っているわけだ。

 

 あの男も総武高の生徒だ。修学旅行というこの期間中に、生徒が帰ってくる場所は宿泊先のここしかない。

 よって、待っていれば来るはずだと思い見張っているわけだ。幸い証拠は手元にあるので、ガハマさんが盗撮されている心配はないから安心して自分の目先の事だけに集中できる。

 

 しかし戻ってきてから、数時間ここにいる。少し疲れたし、自販機で飲み物でも買って休もう。

 そう思ってソファを立った時、出入り口から人が入ってくる音がした。

 

 あの男か? と思って出入り口の方を見ると、そこにいたのは王道ハーレムラノベ主人公みたいな顔をしてるくせに醜悪な笑みを浮かべるあの男―――ではなく、緑色のパーカーを着ていて更に死んだ魚の様な眼をした少年。

 

 何だ、ヒッキ―じゃん。警戒して損した。

 俺が安堵して向かい側の自販機に行こうとすると、館内に入ってきたヒッキ―が、死んだ魚の様な眼をキラリと輝かせてこっちに小走りで駆け寄ってきた。

 

「霜月っ」

「なんだ比企谷お前かわいいな」

「……は? な、何言ってんだお前」

 

 俺がからかうとヒッキ―は僅かに赤面して困惑する。俺を見た瞬間嬉しそうな顔して駆け寄ってきたように見えたもんだから、ついからかってみたが、何だこの可愛い生き物は。

 きっと彼はついさっき、コンビニであーしさんにキツい言葉を言われた筈だ。どんなセリフだったかは忘れたが。

 

 トップカーストの女子とタイマンで話したら緊張するだろうし、その後に知り合いを見つけたら自然と嬉しくなってしまうんだろうな。

 そんな顔して話しかけてくるんだからヒッキ―は生粋の無自覚ビッチですね間違いない(勘違い)

 

「こんな時間に戻って来るなんて……コンビニでも言ってたのか?」

「まぁな。ていうか霜月こそ、何でまだ制服なんだ? そろそろ風呂が閉まっちまうぞ」

「……あ、あー。大丈夫。実はもう風呂入ったから。ちょっと制服が着たかっただけだから」

「な、なるほど……?」

 

 下手な誤魔化しをしたが、実の所お風呂に入るということを忘れていた。ついでにずっとここに居たので夕食も食べていない。班の皆にはうまく誤魔化して伝えておいたが、やっぱり少し怪しまれるだろうか?

 

「比企谷、俺がずっとここに居たこと、誰にも話さないでくれ」

「……お前ずっとここにいたのか」

「と、とにかく! 頼んだぞ比企谷」

「あー、おう。わかった」

 

 半ば押され気味のヒッキ―は了解してくれた。これでまた監視に専念できる。

 自販機で飲み物を買って定位置のソファに戻ると、ヒッキ―が俺の隣に座ってきた。

 

「霜月、そういえばお前」

「なんぞ」

「昼ごろ、由比ヶ浜とお土産屋で何してたんだ?」

「えっ」

 

 問い詰めるわけでもなく、素直に疑問を問いかけてくるヒッキ―に少したじろいだ。

 あー、やっぱり見てたかー。気のせいじゃなかったか―…。

 

 土産屋を離れる直前に遠目に見えたヒッキ―の視線。あれ、やっぱり俺を見てたのね。

 

「えっと……そう、虫! 由比ヶ浜さんの肩に虫がついてたから、取っただけなんだ」

「その前も何かウロウロしてなかったか?」

「た、確かに、お土産屋さんの周りは気になってたからうろついてたけど、そこに由比ヶ浜さんがいたのは偶然だって……」

「……そ、そうか」

 

 なんだか苦し紛れの言い訳だったが、取り敢えずヒッキ―も納得してくれたようだ。

 今ヒッキ―は奉仕部の依頼真っただ中だ。他の事に気を取られてはいけない。だから今は俺の事なんて無視してほしいくらいだ。

 

「それはそうと、霜月」

「な、なに?」

「あとどれくらいここに居るつもりなんだ?」

「それは――」

 

 またまた質問され、飲み物を飲みながら答えを考える。

 正直に言えばあの男が戻ってくるまでだが、そんなことをヒッキ―に伝えても意味は無い。

 

「――待ってるやつがいるんだよ。ちょっと出かけるとかで外に出て、もうそろそろ戻ってくるらしいんだ」

「なるほど」

「だからそいつが戻ってくるまではここに居るつもりだし、比企谷も別にずっとここに居なくても大丈夫だぞ」

「そ、そうか」

 

 小さく返事をしたヒッキ―はゆっくりとソファから立ち上がった。

 

「気を使わせて悪かったな、比企谷。一緒に待ってくれるつもりだったんだろ?」

「い、いや別に。気にしてねーよ。……じゃあ」

「ああ、お休み」

 

 ヒッキ―は「おー……」と返事を返してそのままクラスの部屋のある二階へ上がって行った。

 なんだか悪い事をした気分だ。もうちょっとここで彼と談笑していてもよかったかもしれない。

 

 さて、これで気兼ねなくあの男を待てる。

 ていうか、長い間待ってるんだしそろそろ帰ってきてくれないものだろうか。

 

 それとも怖気づいて逃げてしまったか? それはそれでいいかもしれないが、やっぱり野放しにしていい人間ではないし、さっさと帰ってきてくれないものだろうか。

 

 逆に、俺が煽ったから帰ってこないのではないだろうか。やっぱりあの行動はどう考えても悪手だった。全く状況が好転しないし、あの時の自分を殴りたい。

 

 

 

 ―――と、頭を抱えていたとき、出入り口の方から誰かが入ってくる音が聞こえた。

 

「――来たか」

 

 奴だ。以前サッカーボールを拾わせたあの男子生徒。

 ソファから立ち上がり、ポケットから袋に入った盗撮機を取り出す。

 

「おい」

「………」

 

 俺が正面に立ち声をかけると、ピタッと歩く足を止め、睨みつけるような眼で俺を見つめた。

 さぁ、証拠を見せて反応を窺おう。この男が犯人なのかどうか、その答え合わせだ。

 

「話がある」

「………」

 

 反応が無い。

 俺の声が聞こえているのかすら怪しい。

 

「聞いてるのか? 話があるって言ったんだ」

「………君は」

 

 かすれた声だが、漸く反応を示した。意思疎通が出来なきゃ話にならないし、黙秘を貫かれなくてよかった。

 

「俺は霜月大悟(だいご)。……あぁ、お前の自己紹介はいらない。とりあえずこれを見てくれ」

 

 右手に持った盗撮機の入った袋を、目の前に突き出す。

 瞬間、無表情だった男の顔が強張った。

 

「これ、なんだか分かるか? 俺はこれ、何に使うか……いや、何に使っていたのか、大体予想がつくんだけど」

「……そうか。君が」

 

 男が呟いた。が、よく聞こえない。

 

「なんだって?」

「君か。そうか、君だな? 錯乱していて、あまり覚えていなかったんだ。まさか自分から出てきてくれるなんて」

「お前―――」

 

 俺が言葉を紡ごうとした瞬間、男の拳が俺の腹にめり込んだ。

 

「うっ!? ……うっ、ぇぐっ」

 

 少し後ずさり、膝をつく。腹を抱えながらも、なんとか目線は男を逃さないように見上げる。

 決して油断していたわけではないが、それにしたって今の攻撃の速さは異常だ。まるで遠慮が無かった。殺す気なのか。

 

「何故気づいたのか、そんなことを聞くつもりは毛頭ないよ。過ぎてしまったことだしね。それより聞きたいのは」

「くっ……」

「どうして僕の邪魔をしたんだい? 君は僕に何か恨みでもあるのか、それとも結衣に思いを寄せているのか……いずれにせよ、理由が聞きたいんだ。聞かせてくれるまでは、手を出さずに待っていてあげよう」

 

 ―――本当にムカつく野郎だ。犯罪がばれたくせに開き直りやがって。更に上から目線ときたもんだ、とんだ頭のおかしい男だな。

 

 俺はゆっくりと立ち上がり、盗撮機を再びポケットに入れる。男は邪魔をする様子を見せず、俺を見たままだ。

 証拠が目の前にあるってのに、焦って奪いに来ようともしない。こいつは本当に自分の邪魔をした理由を聞くまで手を出さないつもりか。

 

 好都合だ。こちらとしても直ぐに殴り合いに発展しなくて助かった。もともと喧嘩は強くないし、自身も無い。

 とりあえず今はゆっくりと理由を話して、時間を稼ごう。そのうち誰かがロビーに降りてくるはずだ。その時に大声でも上げれば数の差で俺が勝てる。

 

「まぁ、そうだな……。理由としてはまず」

「簡潔に頼むよ。僕は気が短くてね」

 

 な、何なんだよー、もう。不良並に気の短い奴なのかコイツ。

 時間稼ぎは出来無さそうだな。今にも襲い掛かってきそうなオーラが溢れ出てるわ。

 

 そうなったら道は一つ。

 殴られる前に殴る。これに限るな。俺のパンチ力に期待なんか出来ないが、それでも不意を突ければなんとかなる筈。

 

 腹を抑えていた手を降ろし、両手をフリーにする。そして今一度目の前の男を睨みつける。

 

「分かった、分かったよ、話す。いいか、よく聞けよ」

「うん」

「お前を邪魔した理由は―――」

 

 続きの言葉を言う直前に、男の顔面めがけて殴りかかる。よし、これで一発――

 

「続きを言うつもりはないらしいね」

 

 入らなかった。しっかりと男の目の前で俺の拳が片手で掴まれている。

 嘘でしょ、反射神経よすぎじゃないですかね。ていうか、普通片手で掴めるものなのか、こっちはそれなりに勢い付けて殴りかかったつもりだったのに。

 

 俺が次の行動を悩んでいるうちに、男は足を勢いよく動かして俺は両足を蹴られた。

 いわゆる足払いというやつか。俺は転倒し、男に上から伸しかかられた。

 

 そして両手も男に掴まれ、殆ど身動きが取れなくなってしまった。不覚。

 こんなR18作品ご用達の押し倒しの態勢、俺が女だったら事案だ。いやぁ、犯されるゥ!

 

「おや、案外余裕そうな表情だね」

「あ、当たり前だ。証拠はすでに俺が持ってるんだから、お前にボコボコにされたところで」

「……そうか。じゃあどうして証拠を持っているのに、君はまだ警察を呼んでいないんだい?」

「―――――えっ」

 

 

 息が詰まった。直ぐに反論したかったのに、言葉が思いつかない。

 確かにそうだ、俺の手元には証拠がある。すでに事件は起きている。

 

 警察や教師に相談すれば、少なくとも今みたいな無様な醜態は晒していなかっただろう。

 今頃目の前のこの男は掴まって、俺の大勝利。

 

 なにも悪い事なんて無い。自分以外の力に頼れば、早期に幕引きを図れたかもしれない。

 平塚先生っていう、絶対に俺の味方をしてくれる大人だっている。

 

 なのに、どうして、俺は一人でこんなことを?

 

 困惑して、腕の抵抗する力が少し弱まった。すると男はおもむろに俺の耳元に顔を近づけた。

 

 

 

 

「……やはり、俺の青春ラブコメはまちがっている」

「――っ!?」

 

 今、コイツは何て言った? やはり……なんだって?

 

「お、お前、いま、なんて、いま」

「……ぷっ、ふふ……はは」

 

 目に見えて動揺している俺を見て、男はおかしそうに笑う。

 俺の目の前に、男の顔がある。あと少しで触れてしまいそうなほど、息がかかるほど近くに男の顔が。

 

「その反応、そっか。やっぱり君もそうなんだね。僕とは違う意味で結衣に執着している」

「ま、まさかお前」

「そうだよ。もう分かったと思うけど、僕も前世の記憶を持ってる……それも一部分を鮮明にね」

 

 あっさりと、男は衝撃の事実を話した。

 俺との共通点を、男は語った。

 

 

 前世の記憶。そして鮮明に記憶に焼き付いている一部分。

 

 それはきっと、さっき男が言い放った「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」というワードと、それに付随する数多の情報。

 

 それが俺の持ち合わせている前世での一番大きい記憶。この世界で生きていくうちに他の記憶は薄れていくのに、その強烈な一部分だけは絶対に忘れることは無かった。

 

「どうしてそれを……!」

「ただ結衣のクラスメイトってだけで、彼女の危機と想い人に気づくなんて、都合がよすぎるだろう」

「だったら、お前だって由比ヶ浜結衣の想っている男を知ってるはずだろ……!」

 

 抵抗する力を強め、上半身を起き上がらせようとする。しかし男の力も強く、未だに先程の態勢のまま変化は無い。

 

「なのに、何でお前は――」

「そんなこと知ったことじゃない」

「は、はぁ?」

 

 男は眼の色を変えたように俺を睨みつける。既に額はお互い接触していて、相手の体温が額から伝わってくる。

 額から感じられる男の体温は、高熱のような熱さだ。今にも噛みついて来そうなほど興奮している。下手したら本当に文字通り噛みつかれる可能性すらある。

 

「この世界が前の世界と同じ物語を辿るとは限らないだろう? どうせ君だって、最初は結衣……いや、この世界の主要人物たちに介入したかったんじゃないのかい……?」

 

 男の息が荒い。額をグリグリと押し付けてくる。

 

 男の言う通り、確かに俺も最初は介入するつもりだった。

 痛い主人公から可愛いヒロインたちを奪い去りたかった。

 自分の思うままにこの世界を謳歌したかった。でも――

 

「間違ってるだろ、そんなこと……!」

「何が、何が間違っているって言うんだい?」

「元あった、完成されたあの話を破壊することが、間違いだって言ってんだ!」

 

 更に自分の腕の力を強めると、俺を押えている男の腕が少しだけ浮いた。俺の抵抗も無意味ではないようだ。

 しかし、それに比例して男の手の力も強くなる。まるでシーソーゲームのように、終わりが見えない。

 

「それは違うよ、君だって気づいてるはずだ」

「何がだよ!」

「力が無かったから、勇気が出なかったから介入をやめたんだろう?」

「そ、それは」

 

 違う、と言いたかった。

 しかし、それは違わないと心の何処かで思ってしまった。

 

 もし、もしも俺に簡単にヒロインを奪える力があったら。

 もしも主人公を越せる様な過去の経験があったら。

 もし転生させてくれた神に、自分を中心に都合よく物語が展開する能力を付与されていたら。

 

 きっと俺はそれらを駆使して、あれこれ好き勝手に暴れていただろう。

 今俺が彼ら彼女らの味方でいられるのは、単に『介入する為の力』が無いからだ。

 

 この男の言っていることは、きっと間違いではない。

 

「さて、本題に戻ろうか……君が警察や教師に頼らなかった理由……僕は分かるよ」

「わ、分かるわけ」

「分かるさ。君は―――物語が壊れることを危惧したんだろう?」

 

 あっさりと、男は言った。

 そして男は豹変したように、醜悪な笑みを浮かべた。夢の中で見たような、あの悍ましい表情を。

 

「そうなんだよなぁ!? 君は僕と同じでなんの特典も無く転生した、でも君は……僕と違って割り切ることが出来なかった! 中途半端に主人公に手を出して、それで後に引けなくなった! 今更物語は壊したくない! でも僕の事を修学旅行中に大ごとにすれば確実に奉仕部は依頼どころじゃなくなる! 盗撮犯の標的が結衣だとわかったら、皆慌てる! 他人の色恋をどうこうとか、そんなことしてる場合じゃないから! 奉仕部の二人はきっと結衣の身を案じて依頼なんて関係なく彼女に寄り添って傷心を舐め合う! そんなことになったら依頼の告白をやめさせることもできずにトップカースト組の仲には亀裂が生じて物語は知らない方向に進んでいく! それが怖かったんだろ!? だから誰にも頼らず、大した作戦も考えずに僕の前に立ったんだよなぁぁ!?」

 

 

 

 

 

 男は、完全に俺という人間の本質を見抜いていた。

 同じ転生者だからなのか、思っていることはお互いに一緒だったのだ。

 

 俺とこの男の違いは『踏み出す勇気』が有ったか、無かったか、ただそれだけ。

 

 この男は恐れることなく由比ヶ浜結衣に近づき、俺はただ彼らを外側から傍観していた。

 

 男は第二の人生を好きなように生きたいと踏み出し、俺は何かを恐れて直ぐに介入を諦めて妥協した。

 

「俺は……」

「中途半端な人間だな、君は。せっかく貰った新しい命でも妥協をして、自分の心に嘘をつく」

 

 男は押えていた手を離し、立ち上がった。あまりにも急で、俺は直ぐに立ち上がれなかった。

 そのまま男は振り返ることなく、出入り口に向かって歩いていく。

 

 俺は焦って立ち上がった。

 

「おい、どこに行くつもりだ!」

「電話で先生たちはうまく誤魔化しておいたし、君にも会えたし、もうここに用はないから」

「どこへ行くのかって聞いてんだ!」

 

 俺が声を張り上げると、男は面倒くさそうな表情をしながら振り返った。

 

「君には関係ないだろう、弱虫。既に勇気を出せなかった君に居場所なんてないんだ」

「……っ」

「少しだけ親近感が湧いたから、今回は見逃してあげる。くれぐれも僕の邪魔はしないでくれよ」

 

 男は吐き捨てるように言うと、出入り口の先の夜へと溶けて行った。

 

 直前に言われた言葉に思う所があったのか、俺は男を追いかけることは出来なかった。

 そのまま出入り口を見つめ、男が見えなくなっても俺はその場で立ちすくんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼ごろ。場面的に言えば比企谷が海老名姫菜に「よろしくね」と釘を刺されて少し経った後。

 正確には葉山グループと分かれた奉仕部三人が、嵐山駅周辺をうろつき始めたころ。

 

 俺はこそこそと隠れながらその三人を遠くから見ていた。

 

 

 昨晩、あの男に「居場所なんてない」と言われそのまま男を逃がしてしまった後、俺は部屋に戻らずロビーで思慮に耽っていた。それはもう、いろいろと考えていた。

 

 そして出た結論が「とりあえず様子を見よう」だった。

 あの男がこれから何をするかは分からないし、正直自分には無かった勇気を持っているあの男を邪魔するかは決めていない。

 

 でも、何もしないままなのは嫌だった。

 確かに男に言われたとおり、俺は中途半端な人間だ。

 

 介入を妥協したけれど、なんとなく機会があったから比企谷八幡に接触した。

 そうしたら思いのほか好印象だったので、その後も少し交流があった。

 

 気づいたら、いつの間にか彼とは昼食を一緒に食べるような間柄になっていた。

 介入なんてしないと言いながら、物語の主軸である彼と接触したのだ。

 

 何がしたいのか。このままじゃいずれ傍観では済まない結果になるかもしれない。

 これからあまり本筋には関わらない人間だが、城廻めぐりに告白なんてバカなこともした。

 

 傍観するつもりの建前と、介入したいという本心が混ざり合って、おかしな結果を生み出している。

 

 昨日の様子を見るに、俺は比企谷八幡と自分が思っている以上に親密な関係になっている。

 いわば友達だ。恐らくこのまま物語が進めば、彼が自分一人で物事を考える様な場面で、俺に助けを求めるだろう。

 

 うぬぼれならそれでいい。でもきっと、自分への彼の好意は気のせいではない。彼から見たら恐らく俺は『友人』だ。

 ぼっちな彼に、俺と言う友人がいる。ああ、なんてことだ、嘆かわしい。

 

 

 だからこのままじゃいけない。

 でも具体的にどうしたらいいか分からない。

 だから俺の結論は様子見になったのだ。

 

 

 遠目に見える、奉仕部三人。由比ヶ浜結衣……ガハマさんが買い食いをしながら、明らかに買い過ぎた量のそれを見て左右二人に呆れた視線を送られている。

 

 素晴らしい光景だ。とても胸が高鳴る。いつか見た場面を、別アングルから見ているのだから。

 もし俺が上手く介入できていたら、あの三人の間に俺がいたのだろうか。それとも比企谷……ヒッキ―の場所が俺に変わっていたのだろうか?

 

 ああ、そうなっていたら、どれだけ楽しいのだろう。ヒロインとして完璧な二人と、あわよくば途中加入の一色いろはに囲まれて奉仕部生活を送れていたのかもしれない。 

 

 

 おっと、妄想が過ぎたか、現実を見よう。

 辺りを見渡してみるが、あの男の影は見えない。

 

 もしかして何もしないのではないか?

 そう思いながら奉仕部の尾行を続けていると、唐突に後ろから声をかけられた。

 

「ねぇ」

「は、はい?」

 

 俺は焦って振り返った。そこに居たのは――

 

「もしかして、邪魔しに来たの?」

「お前……」

 

 あの男だった。昨日姿を消してから何をしていたのか知らないが、その眼はある種の決意に満ちていた。

 まるでこれから何かするぞ、とでも言いたげな、自信満々な顔だ。

 

「止めてくれよな、居場所のない中途半端な君が、今更僕を止めようだなんて思うのは」

「……い、いや、そういう訳には」

 

 ぼそぼそと俺が言った瞬間、脇腹に衝撃が走った。

 どうやら男が俺の脇腹を思い切り蹴ったらしい。

 

「いぃっ……」

「見逃してあげるって言ったのに……君は馬鹿だなぁっ!」

「がっ!?」

 

 更にもう一度蹴られ、俺はよろめく。そして男は俺の胸倉を掴んで引き寄せた。

 

「僕はこれから結衣と結ばれるんだ。君は邪魔なんだよ……」

「………そんなこと」

「なに?」

 

 男は掴む力を強める。まるで鬼の形相だ。思わず怯みそうになった。

 

 確かにこの男は俺に無いものを持っている。だからここまで大胆な行動を取ってこれた。

 ガハマさんに介入することを恐れず、勇気を踏み出した。

 転生の際の特典なんか無く、俺と同じ条件だったのに、俺が出来なかったことをやろうとしている。

 この男なら出来るのだろう。行動力も勇気もある。同じ転生者でも俺はきっとコイツに劣っている。

 

 

 でも、俺だって、もう様子見だけをするのは終わりにしたい。

 少し先には守りたかった光景があって、目の前にはそれに害を成す敵がいる。

 

 劣っていようが、介入する勇気がなかろうが、それが俺だ。

 コイツとは違う。

 

 

 ――――お? よく考えたら、コイツ犯罪者。ただの盗撮魔じゃね? 

 

 なのに介入がうんたらとか新しい命で妥協とか、わけのわからんこと言って俺を混乱させやがったのか?

 

 転生者だとかそれよりも大前提として、こいつは犯罪者。ストーカー盗撮間の見抜き変態クソ野郎じゃん。

 

 何をビビってんだ俺……呆れた。なんか凄い目力で睨みつけてきてるけど、ただの変態だろ? 笑っちゃうぜ、めっちゃ滑稽だな。

 

 どうせ今からしようとしてることも誘拐だろ。僕は結衣と結ばれる~とかキモすぎるわ。どうせ陰キャキモヲタクなのに童貞まで拗らせてるとか救えないなぁコイツ。

 

 何か笑いがこみ上げてきた。こんな奴に怯んでたのか俺。

 

 まったく、変態犯罪者ストーカーが調子のり過ぎだろ。

 

「そんなこと、俺が知るか!」

 

 胸倉を掴んでいた手を腕を振って払いのけ、男の腹を正面から蹴飛ばす。

 少し距離を取れたか。

 

「……何のつもりだ。君は邪魔だと――」

「あー、もう。だから言っただろ」

「……なに?」

「そんなこと俺が知るかってな!」

 

 俺は前に突き出した手のひらを自分の方へ向けて、指をクイクイと動かして挑発する。

 

 なに、簡単なことだ。

 奉仕部の依頼はもうすぐ終わる。これから数十分後に海老名さんにヒッキ―が告白して、奉仕部の仲に亀裂が入ったまま修学旅行編は終了。

 

 つまりコイツを見逃す理由が無い。こいつをぶっ飛ばして数十分押えてればそれでいい。そうすれば修学旅行編はいつの間にか幕を引いているはず。

 

 ヒッキ―たち奉仕部の三人ももうすぐ告白をする場所に移動するはずだ。

 それまで時間稼ぎ。あわよくばコイツを気絶させる。

 

 簡単だ。おー、なんかテンション上がってきた。いわゆる調子に乗ってる状態になったか。

 調子に乗ってる時の俺がどれだけヤベーやつなのかは、俺が一番よく分かってる。

 

 調子に乗った今の俺ならきっとコイツにも勝てる。何せ遠慮が無いからな。

 よっしゃ、気持ちは最強ハイパー無敵チートラノベ主人公だ! イキリオタク全開で行くぜ!

 

「かかってこいよクソザコ野郎!」

「急に調子に乗って……痛い目を見ないと目が覚めないかな?」

 

 そういって男は懐に手を伸ばすと、金属部分が見える小さな物体を取り出した。

 そして指で金属部分を展開し、こちらにそれを向けてきた。

 

 あ、あれ。それって――

 

「ナイフは反則じゃないですかね!?」

「何のルールも無いのに、反則も何もないだろう」

「バッカお前、今のは完全に泥臭い男の殴り合いになる雰囲気だったろうが。凶器持ち出すとかヤンデレ彼女か!」

 

 若干うろたえる俺に構わず、じりじりと男は距離を詰めてくる。

 

「訳の分からないことをいちいち吠えるな……!」

「あー、分かった。完全に理解した。お前それでガハマさんのこと刺すつもりだったんだろ。うわー、嫉妬見苦しいわー、ないわー。とんだヤンデレだな、お前。でもお前可愛くないし気持ち空回りしてる止めた方がいいぜ。そもそもヒッキ―と張り合う時点で勝ち目無いから、ガハマさんお前の事すら知らないから。自分の気持ちだけ相手に理解して貰おうとか図々しいにもほどがあるね。……わかった! お前絶対前世でも童貞だっただろ! いや、拗らせてるし絶対そうだな、うん、間違いない。まぁ? 俺も童貞のまま死んだけど? 女性経験無いの丸わかりのお前と違って彼女いたし? はい俺の勝ちー雑魚乙!」

 

 

 俺のイキリ全開の低レベル罵倒ラッシュは、どうやら頭に血が上った状態のあの男には効果があったようだ。めちゃくちゃ怒った顔してる。まぁ昨日めちゃくちゃ言われたし、お返しだ。

 

 今ならあの男に冷静な対処をするだけの余裕は無いはず。今がチャンス。

 

 俺は懐を漁り、とある物を取り出した。

 黒色で短めの、昨日俺が買った木刀だ。

 相手がナイフだってんなら、俺は木刀を使う。侍魂を見せてやる。

 

「オラくらえっ!」

「なっ!」

 

 まぁ、投げるんですけどね、初見さん。

 投げた木刀は男の腕に当たり、一瞬の隙が生まれた。

 

「0.1秒の隙がある!」

 

 某太陽の王子よろしく隙を見逃さずに相手のナイフを持った手を蹴り上げる。

 うまく当たり、男の持っていたナイフは少し遠くの路上へ飛んで行った。これで男は丸腰。

 

 すると男は急にこちらへ駆けだしてきた。

 

「きっさまぁ!」

「うぐっ!」

 

 男の素早いストレートを腹に受けてしまった。自然と足が後ろへ下がり、もたつく。

 丸腰なら行けると思ったが、やっぱりこいつ喧嘩慣れしてんのかなぁ。パンチがいちいち重いんだよ。すげぇ体に悪い。

 

 よろけた隙に回し蹴りを喰らい、更に腹に膝蹴り、畳みかけるように右頬を思い切り殴られた。

 まったく容赦ねぇ。

 

 鼻血を出しながら俺は地面に倒れる。流石にダメージがデカい。すぐに起き上がれない。

 

「そこで寝てなよ」

「ま、待て! おい待て! 止まれ―! バカ―! このハゲー!」

 

 立ち上がれずに叫び散らす俺を気にも留めず、急いでナイフを回収してから奉仕部三人がいる方へ向かう男。

 

 

 なんか俺ザコすぎない!?

 ま、まずい。なんか上手くいけばゆきのんがあの男に背負い投げとかやってくれそうだけど、急に襲い掛かってきた人間にそんなことするほど瞬発力がいいとは思えない。

 

 ていうかナイフ持ってるし。さっきの俺の苦労はなんだったんだ……。

 

 足を止めることなく、三人へ向かって走る男。

 

 くっそ、無理しろ、俺! どうすれば……そうだ、手を噛もう! 他の痛みで一時的に腹の痛みを和らげる! ていうか体にムチ打って無理させる!

 

 親指の付け根に噛み千切るくらいの勢いでガブっと歯を立てる。

 

ひっへぇぇぇ(いってぇぇぇ)!!」

 

 少し血が滲んできた。これなら口寄せの術とか出来そうだな。

 とりあえず復活! なんとか無理できそうだ!

 

 急いで立ち上がり、奉仕部たちのもとへ走り出す。

 

 げっ、あいつヒッキ―と取っ組み合いになってやがる!

 急がないとヒッキ―が刺されちまう!

 

「ライダーキック!」

 

 横から男を飛び蹴り。男は蹴られた勢いで標識に思い切りぶつかり、膝をつく。

 

「ぐっ!? ま、また君か!」

「何度でも邪魔するぜ、お前が諦めるまではな」

「し、霜月? お、おい、何がどうなってんだ?」

 

 後ろからヒッキ―の声がかかる。説明している暇はないから、さっさと逃げて欲しい。

 

「いいからとりあえず逃げろ!」

「いやでも、相手凶器持ってるぞ…」

 

 一向にヒッキ―が引いてくれない。

 俺の身を案じてくれるのは凄く嬉しいが、お前が怪我したら元も子もないんだよなぁ。

 

 

 俺が次の言葉をヒッキ―に伝えようとした瞬間、男がナイフを持って走ってきた。

 

「―――うぐっ!」

「邪魔するなぁあぁぁ!!」

 

 うまく避けれず、ナイフが腹に刺さってしまった。しかし男は力を緩めず、ぎりぎりとナイフに込める力を強める。

 

 痛みと言うかそういうのがよく分からないことになっているが、なんか取り敢えず気持ち悪い。表現しがたい不快感が全身を支配している。

 

 だが、男を押える力は緩めない。逆にナイフが止め具になっているのか、男の腕を固定できている。

 

「離せよ! 彼女に危害を加えるつもりはない! 刃物を向けたりなんかしない!」

「じ、じゃあ……ぅ゛っ…! お前が今、持ってる物は……何だ!?」

「これは彼女の周りにいる蟲を消すための道具だ! だから安心しろ! 離せ! 離せよ!」

「な、なぉ……ぁぐっ、ぅ、ふぅっ、なお、さら……離すわけには、いかねぇ……」

 

 その言葉を聞いた男のナイフを持つ手の力は更に強まり、流石に一瞬だけ力が緩んでしまった。

 

 その隙に男はナイフを腹から抜き取り、空いている方の手で俺の顔を殴った。俺は仰向けに倒れる。

 

「結衣、もう大丈夫だ。邪魔者はもういない! さぁ、行こう!」

 

 男は血濡れの手で奉仕部三人へ近づいていく。

 ヒッキ―はまだ折れていないが、ガハマさん……なによりゆきのんが恐怖に震えて動けなくなっている。

 

 目の前で人が刺されたら誰だってこうなるだろう。寧ろ悲鳴を上げてないだけマシだ。

 

 しかし恐怖で硬直したゆきのんが、逆にガハマさんの自由を奪っている。

 

 このままじゃヒッキ―のみならずゆきのんまで刺されてしまう。

 

 なんとか、立ち上がらないと……そう自分を奮い立たせていると、目をつぶって恐怖を必死にこらえているゆきのんが眼に映った。

 

 そして意を決したように、ゆきのんは目を開いた。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん、逃げて!」

 

 驚くことに、ゆきのんはそう言ってガハマさんを掴んでいた手を離し、両腕を広げて男の前に立った。

 ガハマさんを庇うように、前に立ったのだ。

 

 うわー、かっこいい。嘘でしょ。今にも失禁しそうなくらいビビってんのに、友情がそれを押し殺しているのか? 不謹慎だけど、涙目のゆきのんが可愛い。

 

 ていうか強すぎでしょ、ゆきのん。やっぱ、メインヒロインは格が違うな!

 

 

 こりゃ、倒れてる場合じゃねぇ。

 一人の女の子が友達を守るために体張ってるんだし、俺だって物語を守らなきゃな!

 

 気合と気力と根性で、自分の体を奮い立たせる。

 ここが最後の正念場だ。

 

 ゆっくりと、だがしっかりと、俺は立ち上がった。よかった、体が言うことを聞いてくれた。

 俺は駆けだして、後ろから男に全身で掴みかかる。

 

 今度はナイフで刺されないよう、腕ごと体全体で締め付けるように押える。

 

「君みたいなモブの出番は終わってるんだ、いい加減にしろよ霜月大悟!」

「いい加減に、すんのは、て……てめぇの、方だ! 好き勝手ガハマさんを盗撮した挙句、俺のみならず他の人間にまで、危害を加えよう……としやがって、ぜってぇ……許さねぇ!」

 

 俺はそのまま男を持ち上げ、後ろに下がっていく。

 

 後ろに、走っていく。

 そして何かに足が引っかかり、俺たち二人は道路に寝そべる形になった。

 

「どうして邪魔するんだぁぁぁああ!!?」

「お前が気に入らないからに決まってんだろ、物語を壊すような事しやがって」

 

 ああ、それとな―――そう言葉を紡ぐ数秒前、俺たちの目と鼻の先に大型トラックがあることに気が付いた。

 どうせ避けられず、このまま跳ね飛ばされる。まぁ、恐らく死ぬ。

 

 

 だがその前に、この男に伝えなければならない事がある。

 

「お前は何か勘違いしてるようだが」

「うわぁぁぁ! 車がぁっぁ!」

「この世界に()()()居場所はないぞ―――」

 

 

 言った瞬間、僅かにブレーキ音は聞こえたが、俺たち二人はまとめてトラックに跳ねられた。

 

 掴んでいた腕は跳ねられたときに離したので、男は何処かへ吹っ飛んだ。

 俺も当然吹っ飛ばされたが受身は取れず、強い衝撃を受けてボロ雑巾のように道路に横たわった。

 

 

「霜月っ!」

 

 

 声が聞こえる。ヒッキ―の声だ。

 神のいたずらか、はたまた俺の耐久力が頭おかしいだけなのか、いずれにせよ俺には僅かに意識があった。

 

「おい! しっかりしろ霜月!」

 

 すぐ近くまで駆け寄って、膝をついて俺の心配をしてくれている。

 正直視界は真っ赤だし、ヒッキ―の表情はよく分からんが、声は聞こえてくる。

 

 

 よし、好都合だ。これからヒッキ―にも言いたかったことがある。

 死ぬにせよ死なないにせよ、どうせ直ぐに俺の意識は飛ぶ。その前に伝えなければ。

 

 

 俺は手を伸ばし、ヒッキ―の胸倉を辺りを掴み、自分の顔の近くまで引き寄せる。

 

「し、霜月?」

「……き、け」

「大怪我してんだぞ!? と、とりあえず喋るなよ…!」

「い、い、……か、ら………きけ」

 

 なんとか声を絞り出すが、口の中は鉄の味でいっぱいだ。それに喉もなんだか違和感がある。

 だが、悠長なことを考えている暇は無い。とにかく、彼に伝えないといけない。

 

「い、いか……よく聞け……」

「……ああ、わかった」

 

 少し間を置く。

 

 ぼそぼそ喋っても、伝わるかどうか分からない。

 だったら、寿命を縮める結果になるとしても、しっかりと伝えなければならない。

 

 ハッキリとした、いつもの口調で。ちゃんと伝わるように喋る。

 

 そのつもりで、一旦深呼吸をする。ついでに口の中の血も飲み込む。喉の奥が痛んだ気がしたが気にしない。

 

 

 ヒッキ―の耳を最大限まで俺の口に近づけ、そして口を開く。

 

 

「お前が見た光景は、お前には何も関係ない。たまたま同級生が喧嘩して車に引かれただけだ。お前は奉仕部の依頼を最優先で考えるんだ。お前が本来やろうとしていたことをやれ。いいか、絶対だぞ」

 

 

 脳が揺れる。ハッキリと喋った分、先程ぼそぼそと喋った時とは、比べ物にならないほど脳に負担がかかっている。

 くらっときた。まずい、意識が飛ぶ。あともう少し、もう少しだけ伝えなくちゃならない。

 無理をする。人生で一番の無理をして、残りの内容を伝えるんだ。

 

 

「俺が死んだら俺の事は忘れろ、お前に霜月大悟なんて()()はいなかったってことにしろ。そして俺が生きて……んぅぐっ!? ごほっ!」

 

 血反吐を吐いても無理をする。死んでも伝える。

 

「お、俺が……い、いきて、たらぁ、は、ぅっ、………絶対に、俺の見舞いには来るな」

「………は? お、おい、霜月――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 僅かに聞こえてくるヒッキ―の声を最後まで聞くことなく、俺の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想と評価いただきました、ありがとうございます。まだ続きます。
矛盾点誤字脱字等の報告を頂きました、本当にありがとうございます。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。